2022年7月11日月曜日

七夕の話

 七夕の日、朝からそのことがニュースで取り上げられていて、一緒にご飯を食べている理子に何気なく聞いてみた。「七夕ってどういう話か知ってる?」。

私は「おはよう」くらいの気持ちだった。

すると「織姫と彦星が仕事しなくなっちゃってー」というちょっと突っ込んだ話をしてきた。

「お、おう」と私は返事にたじろいでしまった。

自分が子供の頃に知らなかったものを、今の子供たちは知っているんだなと思った次第。


夜、食事を終えた後の歓談の最中、ちょっと外出てお空見てみる?と花さんが言って、私は夕飯の片付けを、3人は外に出ていった。こういう時は外気温というのはさして苦にならないようだった。

わいわいがやがやとしていた声は、玄関を出て行ってしばらくしてから消えていった。

私はふいに一人時間を過ごした。そして自分が過ごした子供の頃も、こんな感じで親や祖父母と外に行ったりしたんだっけな、と思った。覚えていないけれど。


しばらくしてから3人が帰ってきた。星見えなかったね、仕方ないねという話をしている。

それから風呂に入って、就寝までのルーティンを過ごした。


布団に入って、電気を消す。理子に手伝って貼ってもらった星型の蓄光シールが、昼間の明かりを吸って実に綺麗に瞬いていた。

「うちには天井にお星様があるね」「うちの天の川だ」と言った。

子供というのはふいにとても可愛らしいことを言ってのけるものだと改めて思った。

来年も同じように天井を見てこんな話をしたいものだと思った。



2022年6月26日日曜日

ともだち

 久々に友人と飲むということをした翌日、私は実に二日酔いであった。帰ってきたときの記憶も不確かで、腹の中の気持ち悪さが全く収まっていない。

お茶を飲んですぐに吐いた。でもそれで多少はすっきりした。

すっきりしたのはいいが、美容室の予約をすっかり忘れてしまっていて、電話がかかってきてしまった。大の大人が情けないことである。体調不良で申し訳ないと伝え電話を切った。

子供達が起き、食事をする姿を眺めても食欲はまったくなかった。

私は酒を飲むとあまり食べなくなってしまうため、酔い方が悪いのだと思う。わかっているなら実践すればよいのだけど、酒を飲むとそのことが頭からさっぱりと抜け落ちてしまうのだった。


使い物にならない半日を過ごし、昼食を食べに行くことにした。玲はラーメン、理子はうどんで話が分かれてしまい、私はうどん屋へ、花さんは中華屋に行った。

お店に着くと、テーブル席は全て埋まっていて、カウンター席で理子と並んで食べた。理子は食に対して積極的で、私が注文したさるうどんについていた大根おろしをそのまま食べて美味しいといった。辛くないのかしら、と思うのだけど本人は2度も3度も箸を伸ばしたから本当に美味しかったのだろう。

私の隣の席には中年夫婦が座っていてなんだか雲行きが悪い。

「どうして私の話を最後まで聞いてくれないの?」と女性が言う。それに対して特に返事をしない男性。片手にはスマホで何かを見ている。椅子にはこの店に来る前に済ませて来たのであろう食材の買い物袋がかけられていて、その家庭的な情景とのコントラストがなんとも切ない。


店を出ると花さん達と落ち合い、電車に乗って隣駅まで向かった。

通学に必要なキャップをH&Mで買ったり、一年でサイズアウトしてしまったサンダルを買った。毎年成長に合わせてものが必要になるってすごいことだなと思う。

その後、私はユニクロでランニング用のキャップを買った。

子供たちは30分おきに行われる噴水の広場に行って夏を体いっぱいに浴びていた。水が出てくるところに顔を近づけて、キャーと言っている子供たちもいる。

その後魚が見たいと玲が言って、それを見に行ったり、映画館の待ち合い場でプロジェクションマッピングを見たりした。

理子はピアノに行き、玲と二人で散策を続けた。

ピアノが終わると、お友達一家も来ていることがわかり一緒にアイスを食べた。

昨日も一緒にいた友達一家。今月は一緒にいなかった週末はなかった。来週も一緒に遊ぶ予定である。竹馬の友。幼なじみ。濃い友達がいるって財産だなって思う。





2022年6月11日土曜日

2段ベッド

 2段ベッドを買った。今まで寝ていた布団は煎餅布団だったから、もう当たり前の選択だった。子供たちの寝相の悪さも相まって、朝起きると体が痛いし、超早朝に目が覚めてしまうのだ。

しばらくネットで2段ベッドを検索するシーズンが続き、エイヤっとポチった。大型商品であるのに、高額商品であるのに画像と寸法のみで判断しなくてはならないのはいかがのものかと思わないこともなかったが、仕方がない。そういう時代である。

配送までに数週間要するということで、今か今かと待った。それが届いたのが先週の土曜日のことである。さっさと組み立てて、新しい睡眠環境を整えるぞ!と思っていたのだが前日にワクチン摂取をした花さんは寝込んでしまっていた。

組み立ては明日にしようと言ってみたものの、私はもう組み立てたくて仕方がないモードになっていた。ベッドを設置する予定の部屋を空っぽにし、到着を待った。

大型荷物がやってきたのは午前中だった。男性二人が息を荒くしながら3階まで運んでくれた。エレベーターがないのが申し訳なかった。

玄関先に運ばれた段ボールの山を部屋に運び入れるのもかなりの重労働だったが、引越ししたてのようなその部屋になんとか入れ込むことに成功した。1の段ボールから開封し、説明書を見る。「二人以上で組み立ててください」と大きく書いてある。隣には玲がいるから応援してもらおう。

意外と淡々と作業は進行していたった。単純作業であるが少しミスがあってバラして、ということもあったのだけど、意外と一人でもなんとかなるものだった。

緩めに組んで最後に締め上げる。子供が使うものだから何度も緩みがないかチェックした。二人でやる作業時間の倍以上かかってしまったけど、晴々とした気分であった。

その後、ニトリで買ったマットレスも届いて、ベッドは完成した。新しい匂いがする。

しかしながら、2段ベッドに一人一人となると、その脇で寝る大人の布団がない。今までの煎餅布団をもう一度敷くのは嫌だったので、またニトリに行ってダブルのマットレスを購入した。

今まで敷いていたマットレスとそんなに変わらないほどの厚みのマットレスなのに、どうしてこんなに違うのか、と思わせる寝心地だった。

想定の範囲、というかど真ん中。1階は空席。その脇のダブルのマットレスに理子と玲が花さんが寝ている。2階では壁に貼ったポスターのジャニーズアイドルに見守られながら私が寝ている。最初からそうなるって知ってたわ。



2022年5月25日水曜日

親知らず抜歯その後。

 親知らずを抜いたその後であるが、今回はあまり痛みもなく、痛み止めも1回だけ飲んだだけである。抗生物質に関しては毎食後飲んでいる。

しかし気になってしまうのは、強くうがいができないことによる不快感と、歯茎を縫った際の糸が、口の中で割と存在感を放っているということである。ちょっと歯茎にあたる。

来週頭の抜糸が待ち遠しい。

2022年5月23日月曜日

親知らず抜いた

 親知らずを抜いた。3月の終わりにも抜いたので2回目である。今回は下部の右側だった。

前回は治療後に家に帰って鏡をみたら顔に血がついていたということがあったので、黒いTシャツを着て臨んだ。

下の歯を抜くのはしんどいという話を聞いていたが、もう歯茎の具合も悪くなっているしということで決断したわけなのだけど、今回は前回よりもかなりヘビーだった。やっぱり力技でグイグイ歯を抜くというのは見えない部分でもあるし呼吸もしずらいしすごく恐怖だった。

麻酔していてももちろん痛みはある。あぁなんか奥の骨に当たっている!と強烈な怖さを伴った触感もある。開けた口の大きさに対して明らかにでかいんだろうと思う器具が、無遠慮に口の中で暴れている。ちょっと無理って結構何度も思った。目を瞑っているからわからないんだけど。

お医者さんやアシストしていた衛生士さんは血塗れの口の中を見ながら、私の骨を砕いていくのに一生懸命だ。たまに聞こえる「あれ?」とかが本当に怖く、もういっそのこと全麻してくれって思ったりもした。

歯医者で治療を受けていて初めて手を上げてストップをかけてしまった。苦しくて。

痛さで顔が歪んでいただろうなとも思う。38歳である。

最後には舌の上に、ポロンっと取れた歯の感触があった。

もう二度と味わいたくない痛みだった。前回とは非にならぬ。

でも30分ほどで終了した。


治療後、ガーゼを噛み終えてからの痛みは前回よりも酷くはない気がしているし、腫れてもいない。終わり良ければ全てよしと言うところか。

1週間は酒も飲まずに静養しようと思う。ドライソケットになりませんように。

2022年5月20日金曜日

散歩

 朝はだいたい5時くらいに目が覚める。眠るのが22時くらいだから自然と目が覚めるのがその時間というのはもはや必然だと思う。

トップギヤのまま眠りに入る子供たちとそれに付き合う親。ドタバタで1日が終わり、自分だけの時間はないに等しい。それを唯一享受できるのは早朝と、二人の子供を送り出した後、(といっても玲は必ず花さんが送りに行ってくれるのだけど)始業までの1時間ほどである。

ここのところ、朝風呂は花さんとの争奪戦だ。早朝起床が日常になってしまった花さんとともに静かな攻防が繰り広げられる。しかし今日はふと散歩を再開してみようかなと思った。


目を覚ましたのは4時55分のことだった。寝るときは私から遠くにいた玲がなぜか私の腕の中にいた。そして理子の足は私の顔付近にある。

カーテンの真下から隙間を覗き見るともうだいぶ外は明るいことがわかる。のっそりと布団から出る。ハーフパンツとロンTという格好のまま靴下と帽子だけ身につけた。イヤホンを耳につけ玄関を開けてそっと出て行った。もう完全な朝だ。外には歩いている人が数人いるだけである。マスクは顎の位置までずらして砧公園まで歩いていく。

公園に着くと、走っている人たちがいるし、老人はラジオカセットをセットして太極拳の準備をしている。

私はサイクリングコースをただただ歩いていく。贅沢な時間である。イヤホンをしていても鳥の鳴き声や木々の揺らめく音がかすかに聴こえる。

私の脇を色々な走り方でランナーが抜き去っていく。様々な服装、スタイルである。

私は長距離を走るのが嫌いだ。以前駒沢に住んでいる時はまだ子供もいなかったので、夜中に夫婦で駒沢公園を走ることもあった。とはいえ私は最終的に花さんと大きく差をつけてようやく1周したものだった。それ以降ランニングというのをした記憶がない。


30分ほどかけてサイクリングコースを1周した。老人たちは人数が揃ったのか、音楽、というかお経のようなものに合わせて太極拳に勤しんでいた。私は家に帰った。

トイレに入ると寝室から勢いよく誰かが飛び出して行ったようだ。まずリビングへ行ってから風呂場のドアを開ける音がした。「おかしいなあ」という表情が目に浮かんだ。いい線いってるけど私はそこじゃないのよ、と思わず笑ってしまった。

トイレから出ると「パパー!」と玲が笑顔で抱きしめてくれた。金曜日が本格的に始まろうとしていた。




2022年5月13日金曜日

フル回転

 理子と風呂に入り、私が彼女の長い髪の毛を洗っている時。水を含んだそれはどうやら重いらしく、ちょっとした苦痛の表情を浮かべている。顔に水がかかるのもやはり基本的には嫌なのだろう。

そして、ちいさく「うぅ〜」と唸り始め、誰に向けてなのかわからないが怒りが芽生えているようである。嫌だーもうお風呂嫌いとなる。

しかしもう小学生であるから、髪の毛からいい匂いがするとか綺麗な髪の毛であるというのは自分に必要なスペックだと思っている節がある。もっと小さな頃は髪の毛があまり生えてこなかったからその反動でとにかく伸ばしたいというのもあるだろう。

「少し短くしたら?」と言うと「嫌だ」となり

「そしたら我慢するしかないね」と言うとやっぱりそれも「イヤ」なのである。

髪を切らずに、スムーズに洗うにはやはり導入が大事であり、自然な流れでスイスイっとやってしまい、いつの間にか終わってたくらいがベストである。この日はそれがうまくいっていなかったようだ。

ご機嫌をとったり、でも叱ったり。褒めたり、食事の世話をしたり。一緒に歌を歌ったり、毎日フル回転。気がつけばもう5月も半ばに入ろうとしているわ。

2022年5月12日木曜日

なんでやねん

 玲が唐突に「なんでやねん」と言った。

文脈からして使い方は間違っていないタイミングだったのだけど、どうした?とついつい聞き返した。

第二子の宿命なのかもしれないけれど、上の子の同時期と比べると目のかけ具合が異なる。90パーセントくらいは把握できていたものが、65パーセントくらいしかできていない気がする。

どこでどんなものに触れたのかがいまいちわからないから唐突に感じるのだけど、でも確実に「なんでやねん」に触れているかと思うと笑えてくる。


理子が3歳頃までは、自分がかなり不規則な生活をしていたので、知らない部分が多い。でも玲に至ってはコロナもあって、保育園以外の時間はほぼ接しているのだけど、それでも分からないことだらけである。

「なんでやねん」の次の言葉が気になる今日この頃。

2022年5月9日月曜日

あぁ スムーズな人生

自分という人間は、スムーズに生きられるように、花さんに道を作ってもらっているようである。

つい先日のGW。子供を連れて一足先に旅先へと向かった花さんたち。僕はその翌日に一人で飛行機に乗るという段取りである。

今日び、飛行機への搭乗というのは全てスマホで完結する。クレジットカードと紐づいており全て花さんが手配している。

「あなたはこれ、この時間に空港にいくよろし」と花さんが言う。

iPhone機能のウォレットにチケットが表示され、前日から必死にリマインドしてくれる。

「出発の何時間前だ、忘れることなかれ」と。これがあれば空港での発券なども不要で、ささっと保安検査所も通れてスムーズである。

そして当日。私はきちんと早朝に起きた。掃除をし数日の留守に部屋が耐えうるようにチェックする。洗濯機の水道の元栓も締める。私は気になる部分においては徹底してしまうB型である。

肝心のセキュリティも作動させて家を出た。玄関の鍵を閉めたかの確認も2度行った。


外はまだうっすらと寒かった。

渋谷、品川を経由し羽田空港へ。第3ターミナルは外国へ行くところだから第1.2ターミナル駅で降りる。ちょっと前に行った沖縄の時と同様に問題ない、滞りない。

エスカレーターを登りロビーに入ると思ったよりは人が少なかった。

人々はなにやらカウンターだったり発券機で作業をしている。なぜいちいち時間のかかることをしているのだろう?と謎な上から目線をまき散らしながら、僕はiPhoneのウォレットからQRコードを表示させる。実にスムーズだ。

ところがである。僕がゲートに入りQRコードをかざすと不穏なブザー音である。おや?


すぐさま有能そうな女性職員が僕のところにやってきてどうされました?と聞く。

僕は携帯のモニターを見せると気の毒そうな声で言った。「ここはJALですので、こちらではございません」と。

おや。何事だろうか。前と同じように通っているはずなのだけれど。

ちょうど花さんと連絡をとっていて、どういうわけか通れなかったのだがというと、

もしかして第1ターミナルにいるのでは?と。

おや。おや。このシンプルな字面からとてもやばい状態が伝わってくる。

果たして、僕がいかなくてはならないのは第2ターミナルであった。

しかしウォレットではターミナルの表示はなかったのだ。普通の人はANAの場合は、JALの場合はとターミナルを認識しているのであるが、僕の場合はいつも普通の顔して花さんの後ろに付いていっているだけだったからそういった頭の回路が皆無だった。

心臓の鼓動が早まる。すぐさま外に出てみるも、そこには巡回しているバスの姿も、係の人の姿も見られなかった。出発時間まで40分しかない

タクシーしかない、と思って探すも車内で休憩して寝ていたりそもそも人影が少ない。

無駄にロビーに戻り誰かを探してみるも、こういう時に限って助けてくれそうな人はいなかった。また外に出てみると、まさに客をおろそうとしているタクシーがいた。降りるや否や話をしてみると、僕の切迫具合が伝わったのか、乗せてくれた。そしてお金もいらないという。私は御幸が差したその運転手に何度もお礼を言う。そして私は人に助けられて生きているのだなと思った。

羽田空港はとても広い、車で移動しているのになかなか第二ターミナルには着かない。出発の1時間前には空港にいる状態を作っておいたはずなのに、私は空港内でタクシーに乗って焦っていた。

ドライバーは横山さんと言った。お代はいらぬと言われてもタダでのせてもらうわけにはいかない。しかし悲しいかな財布には諭吉しかいなかった。


無賃乗車の私を丁寧に運んでくれた横山ドライバーには何度もお礼を言い、これがジャパニーズおもてなしかと思う。本当はお金を払いたいのだけどすみませんと思いながらロビーに入った。

果たしてそこはANA一色であった。

もう本当に時間がなくてサササっと保安検査のゲートを目指し、チケットを表示させる。よしよしこれで安心だと思いながらゲートをくぐると、またしてもあの音である。

ブー

なんや、何がいけないんやと思いながら、有能そうな方が私に近寄ってきた。そして私に告げる。「座席指定がまだのようです」と。

そういえば花さんに言われていたわ、座席指定してね、と。

私は誰も並んでいない発券機で、QRコードをかざした。

そこには名前と38歳という年齢が表示されていた。

僕は38歳にして、一人でスムーズに飛行機に乗ることさえできないのだ。僕はなんとなくスムーズに生きていると思いきや、花さんに整地してもらった道を歩いているに過ぎなかった。

この時点で出発まで20分を切っていて、当然座席は全て埋まっており、私には非常口のある場所しか空いてなかった。甘んじてそれを受け入れて、ようやく私は保安検査を通り抜け遠い遠い搭乗ゲートを走って目指すのであった。

スムーズな人生には程遠いようだ。

2022年4月25日月曜日

Chikashi Suzuki 「体(たい)と用(ゆう)」

昨日の日曜日、お一人様時間を頂戴した。目的はたったの1箇所で、最寄駅でいえば代田橋にある本屋だ。そこで鈴木親さんの展示があるというのをインスタで見かけたのでこれは是が非でも行かねばなるまいと思ったわけである。そしてこの日が展示の最終日だった。

思い返してみると、thumb Mでご本人に会う前から親さんの写真が好きだった。nadiffで行われた展示(CITE)が初めてで、その後は仕事で関わらせていただくとは思いもしなかった。初対面は「うわ、本物だ!」と思ったものである。

免許取立てのタイミングで、山梨のトラックギャラリーにも行ったし、コウサクカネチカでの展示も行った。なかなかの回数だ。

というわけで、規模感などは特に関係なく、脊髄反射的に足を運ぶことにした。渋谷から井の頭線に乗り換えて、明大前で降りる。その後Google マップが示すように1.6キロを傘をさして歩いた。親さんの写真には日本の湿度を感じるから丁度いい導入になるのかもしれない。


本屋は、小さな沖縄タウンを通り過ぎたところにあり、地面に置かれた控えめな「flotsam books」の看板が目印だった。店内はその広さに比べると客が多かった。

不思議な店である。展示をしているからというのを差し置いても、この店には訪れる客は、本を求めるというよりもその他の何かが欲しくて出向いている、という雰囲気があった。

展示の内容に時系列はなく、フィルムで撮られたサービス版の写真たちだった。そこには生きている林さんがいて、若き日のハーモニーコリンがいたりティルマンスもいた。個人的に大好きな写真である、新宿御苑で撮られた菊池凛子や、街景もあった。

大きな写真に焼かれて少し距離を持って見るギャラリーでのそれとは異なる。サービス版の大きさだから、すごく顔を近づけて見ていた。


店主に顔なじみの客というのが来店するといろいろな話をしていた。そしての内容はその店に訪れているみんなが聞き耳を立てているようにも感じた。おそらく憧れの人、憧れの世界をその会話の中に感じていたんじゃないだろうかと思う。そしてそういった刺激のようなものを求めて来店しているのではないだろうか。当然ネット通販もこの店では行われているから、リアルな刺激を店で感じたいのであろう。

なかには、libertine duneの話をしている人がいて、僕がお世話になっていた人たちがそこから去ったということを聞いた。新刊が出ないから何かあったんだろうとは思っていたけど、そういったものを人伝に聞くのは不思議だ。

店に置かれたリベルタンのページをめくりながら、徹夜して作ってたな、と思い返した。


店内をくまなく見終えると、店を後にした。

まだ雨は降り続いていた。

2022年3月17日木曜日

コロナから明けたら春が来ていた

 日記を書くことが中断されていつの間にか1ヶ月経ってしまった。コロナにかかってしまって書く気がなくなってしまったことが原因であった。

症状が治ったら、どういった状況でかかりその後どういう行動をしていたかなども書こうかなと思ってはいたけれど、億劫になってしまっていた。

そうして気がついたら1ヶ月綴ることから遠ざかっていたのだった。

気がつくとストーブをつける回数は減っていき、窓を開け放っても気持ちの良さすら感じる気候になった。季節が一つ変わろうとしていた。


現在、保育園が休園となり在宅で玲と過ごしている。このコロナと付き合っていく生活にはきっと終わりはなく、薄く長く名前が変わったっり扱いが変わったりして続いていくのだろう。

ワクチンを打ってもかかるという言葉だけが一人歩きして、打っても意味がないとなってしまいそうな気もするのだけど、打ってたから軽症で済んだのかしら。

でも理子はたった半日熱が出ただけだったしな。


なにもわからないことがわかった。

だから知ったかぶって何かを決めつけるのはやめにしよう。

2022年2月17日木曜日

視力低下

今朝、玲と繰り広げられたプリンセスと「王子様」ごっこをしたおかげか、私が保育園に行くことができた。1ヶ月に一度くらいの出来事である。

その後家に帰り、仕事をする。

 稀に家から一歩も出ない日、というのもあるリモートワーク。そのせいもあってか視力がかなり落ちている。2009年くらいに、レーシックをしてメガネ生活からさよならしたのはいいのだけど、10年も経つと視力が落ちてくるらしい。

メガネやコンタクトをしない生活はとてもいいものなので手術したことの後悔はないのだけど、まずは眼科に行かないとなと思っている。

食事はラーメン屋に行って食べた。替え玉無料に踊らされ、替え玉する38歳であった。

その後スーパーに行って、おばあさまたちに混じって花のコーナーに行き、愛でる。ミモザが並ぶのを心待ちにしているのだけどまだのようだ。


仕事を再開する。イレギュラーな案件も入ってきてどうしたものかと考える。


花さんはプチ出張で横浜へ行っており、玲は延長番だった。理子の時は基本的に毎日延長番だった。18時が仕事の定時で、帰宅に一時間近くかかるので19時10分くらいに保育園に着くというのが常だった。だけどコロナで在宅のため、18時15分からの延長番を入れなくても十分に間に合うのだった。

だから滅多に延長番にならないため、玲はとても喜んだ。おやつがもらえるということもあるだろうけれど。

というわけで19時過ぎに、理子と玲を伴って花さんは帰ってきた。

2月も実は後半戦と考えると、今年もあっという間に終わってしまうのかもしれない。

2022年2月16日水曜日

暗唱

 今日は忙しない1日だった。常にやることがあって、次から次へと対応していった。

自分の仕事のやり方としては、メールボックスに溜まっているものを『済みボックス』に入れていくようにして、目で量が分かるようにしている。

だからメインボックスがいっぱいだと、すごく気分的に嫌なわけである。音楽を聴いて口ずさみながら淡々とこなしていった。

お昼は花さんと外へ食べに行った。駅前のネパール料理屋。いつも頼むものとは違うものをチョイスした。

食後も淡々と業務をこなしていき定時までにはなんとか終えることができた。

二人のお迎えは花さんに行ってもらい、私は夕飯の支度をした。当然YouTubeで音楽を聴きながら行う。高校生の頃にMDに入れてとにかく聴きまくっていたスネイルランプ。今でもなんちゃって英語で歌えるからよっぽど聴き込んだのだと思う。

まず、葉もののサラダを作った。それからじゃがいもを茹でてマッシュポテトにし、ツナとコーンとマヨネーズであえてポテトサラダを作った。

味噌汁をつくり、メインの鶏肉のステーキを作る。棒で肉を叩いて薄くし、オリーブオイルでニンニクを弱火で焼く。いったんそれを取り出して、肉をとにかく弱火で焼く。今回はまだ厚みが残ってしまって火の通りが悪かったので細かく切って中まで火を通した。

焼き上げると、ニンニクと醤油、砂糖と花さんの嫌いなバターを少量フライパンに突っ込みソースを作る。


食卓に並べると腹を空かせた子供たちがその肉をパクパクと食べてくれた。素直に嬉しい。

玲が結構食べてくれて、私は満足した。他のおかずは全く食べてくれなかったけれど。


食事中、理子が授業で習ったという斉藤茂吉や山上憶良の詩を読み上げる。暗唱しているものすごいけど、こうやって披露してくれるのも嬉しいことである。

興味の範囲を広げてくれる授業っていいよなと思う。

暗唱しているといえば、自分が中学の時に憲法の前文を覚えるというのがあった。「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し〜」というやつなのだけど20年以上経っても少し言えるから、この時に覚えたことって根強いんだなって思う。

憲法の前文を披露することなどこの歳ではないのだけど、それでも得た知識で不要なものなどないよなとも思う。

また理子が授業で何を覚えたか、披露してくれるのが楽しみである

2022年2月15日火曜日

ミックスリスト

 深夜、久方ぶりに金縛りにあった。目は覚めているけど体が動かなくなるアレである。

実家にいる時から結構かかることが多い私。体の上に誰かが乗ってくるということはないけれど、ドアノブがガチャガチャ回るというのは経験したことがある。その向こうには兄の部屋があったのだけど、そんなこと知らないと当時言っていた。兄が嘘をついてなければあれは一種のおばけ体験だった。

昨日は恐怖を伴うものではなかったけど、気分のいいものではない。多分また寝てしまってことなきを得た。疲れているのかもしれない。

仕事をするとき、1pなら1時間で終わらせると決めてやっている。文字いきで対応しなくてはいけないものはもっとかかってしまうけれど、そうでなければ1時間。

早いのか適正なのかはわからないけど、迅速に対応いただきありがとうございますとは言われることが多い。私はリモートでも怠けずにやっているから、コロナが落ち着いてからも是非リモートで対応させていただきたいと思っております。お偉かた様。


花さんも在宅だったけど、彼女は家で昼食を食べていた。私は外に出たかったのでお気に入りの蕎麦屋に行った。どう考えてもおいしい。天ぷらもおいしい。満足感がある。


今日の夕飯は私が作った。

ほうれん草を茹で、おひたしを作った。ブロッコリーを茹でて副菜を作った。

味噌汁とメインに生姜焼き。先日の出来事を踏まえて子供対応である。

お迎えは花さんが行って、私はYouTubeでカラオケしながら作った。食事は楽しく作って楽しく食べてもらいたいものである。

今日のお気に入りはドラゴンアッシュの「ホットケーキ」なにかのアルバムのボーナストラックである。

履歴から勝手に作られるYouTubeのミックスリストに、理子がよく聞いている「なにわ男子」が入り込んできた。飛ばさずにちゃんと聴きました。

誕生日

 バレンタインデーが誕生日というのは子供の頃どこか恥ずかしかった。なんとなく女の子の日という気がするからだ。

でも、もう38歳になる私にはただ歳を重ねるだけの日である。

数年前から夫婦間でプレゼントを渡し合うのをやめようということになっている。理子や玲から「パパお誕生日おめでとう」と言われるととても嬉しい。それで十分だ。


花さんと私は在宅勤務だったため、昼食を一緒に食べた。駅前でおいしいのにどういうわけか客が全くいない店。すぐに食事が出てくるのはそういうわけもあるのだろうけど、もっと繁盛しないと店がなくなってしまう。それは悲しい。


朝理子からチョコをもらわなかったので、これは帰宅後にもらう流れなのだろうけれど、仕事中に甘いものが食べたくなり、昼食後にスーパーでキットカットを買う。しかし昔と比べてこんなに小さくなってしまうなんてね。


家に帰り、仕事を再開する。今日締め切りのものの進行が鈍くて困る。

結局18時の定時後も作業をすることとなった。いったん私は玲と理子を迎えに行った。その間に花さんは食事の支度をしてくれていた。

家に帰ると理子からチョコをもらう。年々上手になっていて驚く。女の子なんだなって思う。

その後食事となるのだけど、玲が食べたくないを連呼してお祝いムードが駄々下がっていく。野菜と判断されたものは絶対に食べたくないというのがずーっと続いている。

ヒステリックに嫌だ嫌だというので花さんも意気消沈していく。「今日誕生日なんだけどなー」と私が言っても全く笑いへと好転しないムード。結局白いご飯にふりかけしか食べない玲。どうしたもんだろうか。そのふりかけご飯ですら完食しないのでケーキを出せない。

もうケーキを食べたい理子と玲。食事がうまく循環していかなくてもどかしい。

結局大泣きする玲。

痺れを切らして食事を片付けてケーキを食べる。一転して機嫌が良くなる玲。

以前まではカットされたケーキだったけれど、ホールになった。そういったことに家族の成長を感じた。

38歳になったということでどうしたいかという話になり、私はもっと明るい人間になりたいと小学生のようなことを言った。

朝起きたら明るい声でおはようといい、嬉しかったら手を叩いて喜ぶ。そんな人に私はなりたい。

誕生日前夜

 連休最後の日、翌日が私の誕生日ということで夕飯をつばめグリルで食べることになっていた。午前中、理子は私へのプレゼントにチョコを作ってくれていた。

午後、なんとか昼食を終えると、理子のピアノへ行くために二子玉へと向かった。雨が降っていたので傘を持っていったのだけど、玲はどうしてもボロボロの傘を持ちたがった。閉じているときに引きずってしまうので先端部分の布が破れている。傘として破綻しているのだけどお構いなしである。上着を着てくれず、ボロボロの傘を持っているという絵面は、側から見たら軽くネグレクトのように見えてしまうのではないだろうか。


二子玉に着くと理子はピアノへ。玲はライズで借りたベビーカーに乗っている。

理子がピアノをしている30分間が、親にとってはちょっとしたご褒美タイムとなる。蔦屋で古着屋がポップアップショップをしているので、そこへ行った。久々に花さんと古着屋的なラインナップを見て、やはりテンションが上がってしまう。正直なところ二子玉の服家は食傷気味で(といっても二子玉で服を買うことなどほぼないのだけど)古着屋を見るほうがだいぶ楽しい。今の時代に媚びていないのがいいのかもしれない。

花さんは灰色でスウェットのような半袖を手にとってほくほくしていた。買いそうな雰囲気がする。その頃あっという間に30分が経ちそうになっていて私はその場を後にし理子を迎えに行った。1分でも遅れると怒るのである。無理もないけれど。

その後理子と共に花さんと合流すると、その半袖以外にもスカーフを買ったらしい。歳を重ねると色物や柄物が欲しくなるというのは自分にもよくわかる話だった。

その後、理子と花さんは私へのチョコのラッピングを買いに出かけ別行動となり、私はベビーカーを押しながらいろいろな店をうろついた。理子はiPadでも使えるペンを本屋で500円くらいで見つけたらしい。アップル製の消費税にも満たない。賢い買い物である。

5時を過ぎて、今日のメインのディナー。つばめグリルへと行った。雨ということもあり店内は空いていてすぐに席に案内された。子供たちにも飲み物、我々に泡。理子は意外にもメインに和風ハンバーグを選んだ。副菜にステーキ肉とジャガイモの炒めものとシーザーサラダ。

玲はここではよく食べた。ハンバーグもジャガイモも。いつもの食事の時とは様子が違う。ばくばく食べる。琴線に触れたようだ。

隣のテーブルの家族は、我々と同じような編成だった。夫婦と姉妹である。子供たちの年齢が我々よりちょっと上のように見え、将来はこんな感じなのかなと思った。

いつも喧嘩して、でも仲良く遊んでる時ほど微笑ましいものはなく。お互いを大切に想い続けてほしいものである。

家族みんなにお祝いしてもらって幸せな夜だった。






2022年2月14日月曜日

予定のなかった休日

 3連休のなか日は、特に予定がなかった。

理子が小学校で配布されているタブレット。それを使って宿題をするのだけど、手で書くとうまくいかないことがあるためペンタブが欲しいとのこと。近所に大きな電気屋があるから、散歩がてら見にいった。理子は自転車に乗りたいと言って、久々に漕いだのだけど、坂道を下っていくため押していった。そんな状況に怒っていた。


電気屋につくと入り口付近で携帯の呼び込みの人がワンサカいて、そこを通らずすっと曲がる我々。待ち構えられているとそこから逃げたくなる客の心理のようなものを店側はわからないのだろうか。

アップルのペンタブはあったのだけど、15000円くらいする。私としては純正でなくていいからいろんな種類を見られればと思っていたのだけど、ペンタブは存在しなかった。

結局おもちゃエリアに滞在することとなった。

その後店を出て、花さんと玲はスーパーに買い物へ行き私と理子は家に戻ろうとした。

最初帰ることを渋っていたけれど、マンションの入り口でお友達一家に出会った。これから砧公園に行くと言う。理子の目は輝き、一緒に行きたいといった。

時すでに11時を越えていたのだけど、昼は公園で食べると言うのでこちらも便乗することにした。友達一家は自転車で、私は理子の自転車と併走した。花さんに連絡し公園に行くことを告げた。


天気の良い公園は人であふれていた。友達と合流して遊具のエリアに真っ先に入る。

ここに来るといつもファッションスタイル見本市のようだなって思う。最新のスニーカーを履いていたり、シュプリームで固めているパパがいたり。とにかく子供と遊ぶための服装だったり。見ていて面白い。私は近所の電気屋に行くためだけの格好だった。

理子と友達は普通の公園にはないタイプのブランコに乗るために並んでいたけれど、並んで待つというのが嫌だったようで、「パパ並んでて」と言い残して去っていった。人使いが荒い娘であった。


一通り遊ぶと、食事をとることにした。キッチンカーがでていたのでそこで買い、芝生の上にシートを敷いて食べた。

珍しく園内で大道芸のパーフォーマンスがやっていて、最初は見るともなく見ていたのだけど、そのうち子供たちはそちらの方へと走っていき、帰ってこなかった。最初はあまり見ている人もいなかったのだけど、そのうち人だかりができていた。私もついつい近くにいって人だかりに加わった。

筋肉隆々の男の人と、鍛え抜かれてしなやかな体の女性が不安定な場所でバランスをとったり、アクロバティックをしていた。よくよく見ると、以前こどもの国でも見たことのある人たちだった。ただ今回はものすごく近距離で見たので、その不確かな場所の大きな揺れや息遣いがクリアだった。手に汗をかいてみてしまった。

最後の見せ場の前にマイクパフォーマンスがあったのだけど、技術の他にも話芸も必要なんだなって思った。ようは彼らはパフォーマンスの対価がほしいわけなのだけど、それをいやらしくならないように客に伝えなくてはならない。直訳すると硬貨ではなく紙幣が欲しいということを言っていたわけである。

最終のパフォーマンスも素晴らしかったのだけど、私の財布には諭吉が1枚申し訳なさそうにいるだけだったので、300円だけ理子にあげて、帽子に入れてきてもらった。

世田谷区民は気前がいいのか、遠目でも結構な量のお札が入っているように見えた。こういった人たちのところにきちんとお金が落ちていく文化は大切だよなと思う。


その後、遊ぶエリアを変えると、そこにはシャボン玉おじさんがいて、子供たちを従えていた。大量に大きなシャボン玉を空高いところで作る。字面ではそれだけのことだけど子供たちはみんなハッピーになっていた。偉大なおじさんである。しかしシャボン玉直下では、それが割れると大量のシャボン液が降り注いだ。大きな球を作るには多くの液が必要なのだった。

なにも予定のなかった休日は、楽しい一日となった。私も久々に走り回って体を動かせてよかった。その後別れがたい友達を家に招きネットフリックスを楽しむ二人。よき一日だった。

2022年2月13日日曜日

こどもの国

 三連休の初日は、こどもの国へといった。以前であれば券売機の前に人だかりができていたけど、いまでは並ばずにチケットを買える。そして入場もスムーズだった。

チョークで地面にお絵かきするゾーンがあり、そこで楽しむ二人。描くことも以前と変わって、一丁前に『BTS』など描いている。成長したものだ。

後ろ髪を引かれながら、目的地のスケートリンクを目指す。そこに人が集中していた。老若男女。スケート靴を持参しているような強者もいる。とにかくいろんな人が集まっている。

我々は当然持参していないので、レンタルした。理子と花さんの分である。私と玲は場外で見物だ。

二人は恐る恐るリンクの中に入っていく。仕切りから手を離さないようにして、なんとか歩いていく。周りにも似たような組み合わせの人ばかりだった。

シューズを持参しているような人は、明らかに滑り方が違っていて、氷をサーっと削りながら、この集団の中において優雅だ。


私と玲はベンチに腰掛けて、誰をということもなく、見るともなく見ている。玲はYouTubeをみている。

そのうち二人がやってきた。もう無理なようだ。どうやら転んだらしい。そうしてスケートリンクを後にする。


二人は運動したので、腹が減ったということで食事を取ることにした。

レストランで、ラーメンや、カレー、お子様プレートなどを注文する。

どういうわけか、こういったところで食べる醤油ラーメンは身に染みるほどに美味しく感じる。昔花さんと行った鎌倉の売店で、あまりにもお腹が減って食べたカップヌードルのことを思い出した。


食事を終えると、宝探しの受付に行って、宝の地図を受け取った。もう何回めのそれかわからない。最終的におもちゃをもらえるのだけど、一つだと玲が泣くからといって二人分でお願いした。すぐに宝探しに行ったのは当然理子だけで、玲はその手前にある遊具で足止めである。なにはともあれ楽しそうに遊んでいるのであればこちらはそれでいいのだけど。

理子は花さんと宝さがしへ。私は玲と滑り台。

途中、親子の組み合わせが変わって、私はこっそり理子とアイスを食べた。寒いようで、お日様にあたる暖かく、アイスがとても美味しく感じた。

こどもの国へもう結構行っていると思うのだけど、その土地が広大すぎて全エリアには行けていない。だから、行ったことのないところにいこうということでボートに乗ることにした。足で漕ぐタイプのものである。

思っていたよりも必死に漕ぐ二人。そうしないと進まないのだ。ハンドルを握るのは理子だった。なかなかうまく進まなくて、もう漕がないで自然の流れに任せていいんじゃないかということで、ゆらゆら揺れていた。いい時間だった。

その後、面白自転車に乗って遊んだ。遊び倒して結局閉園の時間までいた。

帰りの電車で真っ先に寝ていたのは理子でも玲でもなく花さんだったというのが実に面白かった。



2022年2月10日木曜日

写真

 天気予報の通り、今日は雪が降った。雪が降ると子供たちのテンションが面白いように上がる。それは強く降れば降るほどに増していく。

学級閉鎖中の理子とともに、近所を散歩することにした。まだ雨が雪に変わったばかりだったので、マンションの周りをぐるりと歩いて終わった。

その後、私は仕事に戻り、理子はYouTubeの世界へ没入していった。

しばらくずっと、自宅のiMacの調子が悪い。クラッシュしてなんとか復帰させたけど動きが心許ない。アプリを立ち上げるたびにレインボーがくるくるとするのでお陀仏まで時間の問題である。

iTunesに入っている音楽は、第一次クラッシュの際にかなり消えてしまったこともあるのだけど、もうそこまで思い入れはない。なぜならYouTubeで音楽を聴いているからだ。有料会員であるため好きなアーティストのものはアルバム単位で聴くことができる。

もはやiTunesに固執する必要はなくなった。

どうしても抜き取っておきたいものは写真である。

何万枚もあるデータを、「写真」アプリから書き出して外付けHDにコピーすることにした。

ただでさえ動作の遅いiMacである。一度全ての線を抜き、電源を落とし、Wi-Fiオフという初歩的なことをしたら多少マシになった。

写真アプリから年数ごとに書き出すが、クラッシュしたこともあって、「写真」アプリが複数あるという難解なものだった。

最初期では2008年などあり、花さんとも出会う前である。

2014年までは写真を撮る相手が花さんだけだったけど、それ以降は理子や玲が仲間入りした。理子が生まれた時、玲が生まれたときの写真を久々に見返すと、本当に大きくなったものだと感慨深い。理子が着ていた服を、今玲が着ている。

似ているようで似てなくて、やっぱり似ているなと思う姉妹の姿。

2019年までは1年で2.3万枚の写真があったのだけど、2020.21年は1万枚にも満たない枚数。

いわずもがなコロナで外出が極端に減ったためである。

今年は何枚記録することになるのしら。整理するのは大変だけど何万枚撮ったって撮り尽くせない子供の成長をきちんと留めておきたいと思った。



2022年2月9日水曜日

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

昨年、仕事中にYouTubeで聴きまくった音楽はグリーンアサシンダラーだった。そしてたまたま見たインタビューで、彼は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の世界観が好きだと言っていた。

そんなインタビューを読んだ後、数年ぶりにあった友人のカメマンが読んでいたのも「世界の終わり〜」だった。これはもう巡り合わせとして読まなくてはならないなと思い、私も読むことにした。

なかなか集中して小説を読むというのも、難しいのだけど、ちょっとずつ読み進めていって、ようやく昨日読み終えた。

こんな終わり方だったんだっけな。

そうして、村上春樹の本を読んでいると起こる、文体が乗っ取られる現象。

好むこのまざるとにかかわらず、そういうものなのだ。

やれやれ。


今日も理子は学級閉鎖のため自宅にいた。昨日自分で作った時間割に基づいて行動していた。朝の会から始まり、休憩時間があり、宿題をする時間があった。

そしてママやパパの仕事にちょっかいを出しながらタスクをこなしていく。

お昼、花さんがコンビニで調達してきてくれたご飯を食べる。

その後、YouTube漬けになる理子。いまはマインクラフトポッピンズというのにはまっているらしい。時代は仮想空間ということか。理子によるとスイッチが必要らしい。


その後、同じマンションに住む友達(同じく学級閉鎖中)に誘われ家にお邪魔しにいく。18時まで帰ってこなかった。

束の間、我が家のリビングは静かだった。陽も伸びたものだ。まだ暗くなり切っていない空を見ながら、私は玲をお迎えに行った。


2022年2月8日火曜日

学級閉鎖

 学級閉鎖になってしまった。

8時前に家を出るように理子を促すため、7時前に起きていた我らだったが、

その必要がなくなってしまい、ついだらだらとしてしまう。

若干、玲が不思議そうにしている。

自分は保育園に行くようだけど、他の人はなんなんだろう?といった風に。

理子は宿題であるプリントを片付けると、完全に時間を持て余した。

学級閉鎖ではなくリモート授業でもいいのではないかと思ってしまう。


お昼、理子と一緒にスーパーにご飯を買いに行く。めずらしく焼きそばなど選んでいた。


午後も似たような時間の流れだった。


今週いっぱい在宅なのだけど、YouTubeの見過ぎで理子の頭がとろけてしまうかもしれない。


2022年2月7日月曜日

気がついたら2月も一週間が終わっていた。

 久々に玲は登園した。クラスの大半が何かしらで休んでいるらしいが、振り返さないで欲しいと願うばかりである。

急遽、理子が学童に行かないで帰ってくることになり、私はスーパーで買い物をしてそこでご飯も買い家で食べることにした。外食するには心許ない時間しか残されていなかった。

録画されている進撃の巨人を見ながら食べる。いよいよクライマックスというとことである。しかしなんでこんなにアレな描写の多いものがNHKで放送しているんだろうか。

見終わると仕事に戻った。

曖昧な仕事をするのは妙に疲れが出てくる。完成させるのが億劫である。

そして評価というものに関して上長と話をするが、なんだか腑に落ちないことがある。

会社が何を求めているかということがあって、初めて発生するものだと思うのだけど。インハウスなのだから。


18時。理子にお留守番を頼み、私は玲をお迎えに行く。玲が先生に「パパの髪の毛変わった」みたいなことを言っていたらしく、先生に会うと「ほんとだ!」と言われた。

家に帰り、花さんが支度してくれていた夕飯を温めた。明太子が少し残っていたので、それを卵と混ぜて卵焼きを作った。

いざご飯を食べ始めると玲は頑なに白いご飯以外を食べない。栄養が足りないのか時季なのかわからないけど肌もパサついていて、どうにかならんもんだろうかと思う。


白いご飯すら残そうとするので全部食べ終わらないとデザートは絶対に出さないというていで、玲に説明する。理子もスプーンを持ってあげて「あーんして」というのだけど、ねえねやだと拒否をする。メンタル弱い理子はそれで泣いてしまうのであった。


なんやかんやとあり、玲にはねえねに謝りなさいと言ったらごめんねと謝っていた。

面白くなさそうな顔で。頑固である。


その後、ふるさと納税で届いた苺を二人で食べていた。そこでは取り合いにはならなかったようだ。

苺を食べ終わると、少しテレビ休憩して風呂に入った。風呂に入ったら入ったで、めるちゃんを巡って喧嘩が始まる。

3分に一度取り合いが始まり、どちらかが怒り、泣いた。

大人は1日に数回しか笑わないというが、泣いたり怒ったりというのも子供よりは圧倒的に少ないだろうと思う。私の感情というものに関しても、二人に吸収されている気がする。

今は21時42分。22時までは自由時間。明日からも1日が長いんだろうな、。

2022年2月6日日曜日

ご近所物語

 今日は早く目が覚めたので、風呂に入った。朝風呂は完全に一人になるのでゆっくりできる。

集英社、講談社、小学館の漫画のアプリを入れていて、朝になると無料で1話読める。進撃の巨人だったり、野球漫画のメジャーだったり、烈火の炎だったり。

ネットサーフィンなどもして、気がつくと8時になってしまったのでいい加減風呂を出た。

朝食を食べて掃除機をかけて、風呂を洗った。昨日よりも天気が良くて気持ちがいい。

理子の前髪が長くなってしまったので1000円カットに私が付き添った。花さんは玲と図書館へいく。

休日の午前といえどいつもは混んでいる1000円カットが空いていて、並ばずに切ってもらえた。初めて若い男性の人が担当で理子は緊張しているようだった。オンザ眉毛で後はちょっと整えるくらいで、と伝えると私は本棚からこち亀の63巻を選んで読んだ。

なんというかこのくらいの巻数の頃のこち亀が好きなのだ。絵の描き込み具合と内容が好きなのである。

最近はiPhoneで漫画を読んでいるからか、普通のコミックサイズが大きく感じてしまった。これもデジタルに慣れた弊害である。

あっという間にカットは終わった。そのまま家に帰るのもな、と思って理子と近くのスーパーに行った。スーパーの一角に花屋があってそこを見るのが好きなのだ。気負いなく買える値段というのがいい。

もう11時を過ぎていたので、お弁当を買うことにした。花さんに連絡すると、麻婆系のものがあれば嬉しいと言っていたのだけど、それはなかったので幕の内弁当にした。

家に帰ると理子はお腹が減ったというので先に二人で食べた。玲は児童館にも行って遊んでいるとのことだった。

二人が家に帰ってくるまで鬼滅の刃のコミックを理子と読んだ。

「お前よりも強くなる必要はない、お前を弱くすればいいのだ」


玲はホクホクした様子で帰ってきた。児童館が楽しかったようだ。


午後、私はソファで寝てしまった。花さんと子供たちは近所の公園へと出かけて行った。

そして一度家に帰ってきて、理子と花さんはピアノ教室へと出かけて行った。

私は玲とお医者さんごっこをしたり、玲による一人お遊戯会を観賞したりした。

休日、玲は全く昼寝をしないのだった。

明日は久々に保育園である。胃腸炎が流行っているらしい。ぶり返さないといいのだけど。





2022年2月5日土曜日

前髪青

 気がついたら朝の8時だった。

いつも起きるのはもっと暗い時間帯なのでその明るさに驚いた。

隣を見ると理子と玲はまだ寝ていて、花さんが布団から抜け出て行った跡がうっすらとあった。ちょうど理子も起きて、私の布団に潜り込んできた。私の布団はどうやら温かいらしい。入眠時は絶対に私と寝ないのだけど、朝になって気がつくと私の布団に潜り込んでいることが多々あるのだけど、それが理由なのかもしれない。

理子がなぞなぞを出してくるので私もケータイで調べて問題を出してみた。まだ目が覚め切ってない頭で、問題を解く顔が可愛らしい。


9時近くまで布団でもぞもぞしていると玲も起きたのでリビングへと移動した。


朝ごはんを食べ、着替えをし、掃除をした。なんだかスイッチが入ってしまい通常の掃除機がけで終わらず、ドアのヘリや埃の溜まる部分まで着手した。

真剣に掃除をしていると時間はあっという間に過ぎていき、お昼の時間となった。

なんだか外に食べに行きたかったので近所のイタ飯屋に行った。

私は久々の下界だった。玲が保育園に行っていない間は自宅にこもりっきりだったらから丸二日間は家から文字通り一歩も外に出なかった。大きな窓から見える行き交う人の姿を見るともなしに見てしまった。動いてる人が珍しかったのだ。

理子はすっかりコーラにはまっていて、美味しそうにそれを飲んだ。早熟だ。

パスタやピザを食べ終わると、近くの公園に行った。天気もうっすら悪くて風が冷たいのだけど、理子は上着を脱いで遊んでいる。偶然友達もいて嬉しそうだった。


いったん家に帰ってから、私は歩いて美容院に行った。

前髪が金髪になってから半年くらいは経つのだけど、ブリーチをしてからカラーを入れることになっていた。なので2時間半はみておいてくださいと美容師さんに言われていた。

「どうしましょうか」と問われ、いろいろ揉んだ結果

「サイバーっぽくない青でお願いします」と答えた。

まず普通にカットする。その後薬品を塗りたくってブリーチ。半年前のそれと、伸びた黒い髪のコントラストがあるので時間をかなり要したようだ。それにいったん洗い流してからも、その度合いが物足りなかったようで、もう一度ブリーチした。丁寧な仕事に嬉しくなる。そして青である。鏡の前の自分の前髪が青くて非常に面白い。

2週間程度しかもたないらしく、それからは緑がかった色になるらしい。

38歳になる頃には前髪緑おじさんの出来上がりである。

カラーは楽しい。

2022年2月4日金曜日

「違うの見たい」「違うの食べたい」

 今日も玲と二人で過ごす一日だった。

玲は、この前H&Mで買ったレインボー柄の半袖のワンピースを、長袖のインナーの上に着ている。彼女に季節感を説いても仕方のないことなのである。

10時から仕事を開始する。玲はネットフリックスを見ている。「違うのー」「違うのー」と集中して同じものを見るという能力が欠如している。

お菓子を与えてもすぐに食べ終わって「違うのー」「違うのー」という。3歳とはこういうものなのだろうし、理子で一度通った道のはずなのに、新鮮な疲労感が私を襲うのであった。

毎朝仕事を始めるときに、チームで業務を開始する会議があるのだけど「在宅保育しているのでうるさいので欠席します」といって逃げた。

でもほんとにうるさいのである。

もし仮に、ズームでカメラオン、相手側の画面に子供が映っているのが見えたら、微笑ましく思うのかもしれないけれど、映ってないところでは地獄のような絵が広がっていることだろう。今の我が家がそれである。

しかし今日もすぐにYouTubeに頼る事はしなかった。どういうわけか昨日の記憶がリセットされているらしく玲もYouTubeみたいとはならなかったからだ。

12時前にチャーハンを作って食べた。包丁での千切りでは大きくなってしまうからと思い、ミキサーにかけてかなり細かくした玉ねぎを、「野菜はいやだ」と言って除ける玲。そんな視力が私も欲しいと思う。

案の定皿に残った玲の食べかけを私は食べた。そういえば胃腸炎的な症状で休んでいるんだったと食べ終わってから思い出した。

午後の部も『「違うの」祭』だった。とりあえず15時くらいにはお菓子を与えた。そしてYouTubeをテレビで見せた。より一層、「違うの祭」のお囃子が強くなってしまった。

来週は保育園に行けるから、静かに仕事ができる。嬉しい。


2022年2月3日木曜日

家に玲がいる

私の仕事は、木曜日に締め切りがあって割りに忙しいのだけど、元気を取り戻した怪獣と1日一緒だった。 私と玲と二人である。

彼女に機嫌よく過ごしてもらうために、お気に入りのプリンセスのドレスを着せたのは花さんだった。好プレイである。これでしばらくご満悦であった。そのテンションが保たれている間に私は集中力が必要な表紙のデザインを進める。

いつも奥の部屋に置かれているあまり使われていない玩具箱をリビングに運び出し、まさに玩具箱をひっくり返した。より目がキラキラする玲。

よしよし、私は集中して仕事に取り掛かることに成功した。

しばらくするとそんな世界はあっさり瓦解する。部屋の秩序も乱れている。

私の気を引こうと、わざと転んで、「おいしゃさーん おいしゃさーん」と私を呼ぶ。

プリンセスのドレスを着ていることも相まって、可愛らしい姿に37歳は膝をついて対応してしまう。「どこかいたいんでちゅか」彼女ももう3歳だからそんな喋り方をしなくてもいいのだけれど。


なんとかいいものができて、編集者に展開する。玲はテレビでネットフリックスを見たり患者になったり大変そうである。

お昼ご飯はうどんを煮た。よく食べる姿に安心した。食欲も戻ってきたようだ。

午後、保育園だと昼寝に入るのだろうけど、プリンセスは昼寝などしない。

ますますハイなテンションになっていく。

騙し騙し対応して、YouTubeを見せないようにしていたのだけど、もう限界になってしまい、テレビで見せることにした。

しかし、プリンセスはすぐに見たい動画が変わってしまうので、「ちがうのみたいー」とリクエストがこだまする。私は彼女に対して背を向ける格好で仕事をしているため、いちいち立ち上がってリモコン操作をせねばならなかった。

当然仕事の対応もずっとせねばらなず、最後の手段iPhoneでYouTubeを見せることにした。

すると先ほどまでのテンションはどこかへ吸い込まれてしまったかのように、無言な状態となった。

普段自宅で一人で仕事をしている時は当たり前のように享受していた空間を手に入れることができて私は喜んだ。


そうして、18時を大きく過ぎた頃、花さんと理子が帰ってきた。

食後、理子が学校で作ってきた鬼のお面を使って豆まきをした。まず理子が鬼となり、次に花さん、私の順だった。玲も楽しそうにオーバースローで私に豆を投げつけてきた。

成長したものだ、玲よ。

明日も玲とマンツーマン。

2022年2月2日水曜日

家に全員いる

 昨夜1時過ぎ。

玲が寝言が聞こえて目が覚めた。しかし様子がおかしく、寝言にしては具体的というか違和感があった。「手に何かついた」「お腹いたい」と言う。

すると花さんがケータイのライトで照らしたようで部屋が明るくなった。

嘔吐である。

全細胞が早く体を起こせと言っている。奇跡的に布団への致命傷は避けられたが玲の髪の毛に吐瀉物がかかってしまっていた。心苦しいがシャワーを浴びさせることにし、花さんとの連携プレーが行われた。

シャワーを浴びさせながら、いろいろ考えた。原因はなにか、コロナじゃないだろうな、翌日の仕事は何ページ分あったか、など。

震える玲を抱えて、ストーブをつけ温める。するとまた嘔吐。熱はない。

また着替え、拭き取ったティッシュなどはビニール袋に入れた。

使い捨てのマスクをつけ、もう一度玲を布団へ運ぶ。理子はこのドタバタの中においても目を覚さなかった。

玲の寝息が聞こえ始める。当然私は眠ることができず、「コロナ 熱なし 嘔吐」「コロナ 3歳 嘔吐」などと調べる。もしこれでコロナだったらどうしたもんだろうか。だれが濃厚接触者になってしまうんだろうとかもやもやしていると、玲がまた吐いた。だんだんと吐く物がなくなっていき、胃液しかない。苦しい吐き方だ。

処理しては寝て、また起きて吐く、というのがしばらく続く。気がつくと朝になっていた。


当然玲は保育園を休み、私と花さんは在宅。理子は学校に行った。

検査キットを使ってコロナかどうか調べてみることにした。綿棒で鼻をぐりぐりし、検査液につけると結果は陰性だった。安心したところで花さんが小児科へ連れて行ってくれた。

帰ってくる頃には元気になっていた。

15時前になると理子が帰ってきた。

そして平日のこの時間に、家族全員が家にいるという摩訶不思議なことが起きてしまった。


吐くものがなくなった玲はすっかり元気になった。病院でも特に病名がつかないので

いつももやもやする。今週は玲はずっとお休みだ。

2022年2月1日火曜日

家に理子がいる

 コロナが身近なところで増えているということで、理子には学校が終わったら帰ってきてもらっている。今日はお友達と一緒で、その子と夕方まで家で過ごしていた。

えらいな、と思うのは帰ってすぐさま宿題をやるということだ。家に友達がくるというのが割とまだイベント感のあるものだと思うのだけど、それにもかかわらず宿題を率先してやるというのは素晴らしい。

宿題を終えてからは、自分の机の下のスペースを秘密基地として遊んでいる。使っていない小さなブランケットをカーテンのようにして使い、ちょっとした空間を作っている。遊びに没頭できるようだ。

私はそのすぐ後ろで仕事をしているので、電話をしている時はさすがに静かにしてくれと怒ったけど、家に子供がいて仕事をするというのはこういうことの繰り返しだろう。玲が家にいたらただひたすらにYouTubeを見せる羽目になると思う。

コロナがピークアウトして減少していって欲しい、けどその次がまたやっぱりくるのかなとも思う。

2022年1月31日月曜日

ラフシモンズのデトロイトランナー

 



お洒落は我慢などというけれど、久々にそれを実感した。

寒い時はかなり着込むなどして、服で我慢などしないことが多い私である。

メルカリで買ったラフシモンズのデトロイトランナーという名前のついた靴。レビューを探し、購入したのだけど、かなり痛い。

出品者は数回着用したのみ、とのことだったのだけど、それも納得できる。

履いてらんないんだろう。

靴というのは、ある程度足の形に調整するための紐があり、布の伸縮でフィット感を生むと思うのだけど、この靴はフィットさせる部分を異素材で固定している構造である。

故に、靴が人に合わせるのではなく、靴に人が合わせろという形をしている。

昨日、近所へ出かけるために履いたのだけど、ドラクエ の沼地よろしく歩くたびにズキズキと足が悲鳴を上げる。とてもじゃないけど、ランナーなどにはなれない。どうしてこの靴にランナーという名前をつけたのか謎である。

そして今日も昼食をとりに近所に出かるために履いたのだけど、やはり痛い。

昨日とはアプローチを変えて、靴下を薄手のものにしたり、紐を緩めたりしたのだけど大差なかった。

この靴で出社し、そこで地震が起きてしまったなら、私は完全にピンチである。とてもじゃないけれど歩いて帰ることはできそうにない。

中敷を入れるといい、というレビューを見て、ニューバランスのものを入れてみてもダメだった。必要なのは天地方向の調整ではなく横幅のようだ。


私がこの靴を履いているところに出くわしたのなら、それはきっとやせ我慢をした姿である。


2022年1月30日日曜日

スタジオコースト

 理子に聞くと「パパの好きなこと」というのは音楽を聴くことという認識らしい。たしかになにかにつけてiPhoneで音楽を聴いて持ち歩いているからそういう認識なのかもしれない。

で、つい最近スタジオコーストが閉店?したというニュースを見た。

まさに私がクラブ活動を始めた頃にオープンした、トーキョーを一番感じる場所だったような気がする。夜中に渋谷に集合し、バスの整理券をゲット。0時過ぎにバスに乗って新木場に行く。着いてすぐにバスの券まで確保しておくヒヨッコではあったけど、屋外のスペースから見た朝陽とか、ウォーターバーとか、ドデカい赤いスピーカーとかそういうのを覚えている。何杯も飲んだテキーラ、ジントニック。ここで出会った友達もいる。今思い返すと本当に私が体験したことなのかなとも思うけど、それが私の20代前半を彩ったことの一つには違いない。

そんな場所の一つがなくなってしまうことに寂しさを感じてしまう。でも足が遠のいてしまった私のような人たちが他にもいっぱいいたりしたのが原因の一つなのかもしれない。

この先、音楽を聴きに出かける予定があるといえば、3月に理子のピアノの発表会である。

それが開催されるか否かはコロナ次第ではあるのだけれど。


2022年1月29日土曜日

土曜日

 理子は友達の家に行くと言って、10時過ぎに花さんと出かけて行った。遊びに行くと言うと玲に泣かれるので、注射をしに行くと言って出て行った。こういった小さな嘘をつかないといけないのは心苦しいところである。

しかし話はどうあれ、ニコニコ笑顔で見送ることに成功した。

それから私は洗濯物を干し、お出かけする支度をした。

玲にとっては公園に行く=お菓子を食べれる、という図式があるようだ。しきりにお菓子は何をもっていくのかということを気にしている。それはいらない、こっちにして欲しいということを言う。

いつも行く近所の公園では人は少なかった。寒いしコロナだし、というところだろう。

すこし滑り台で遊ぶと、すぐにお菓子を要求してきたので、お菓子を食べに公園に来たわけではないということを伝えた。またしばらく遊んでからお菓子を与えた。

とても嬉しそうである。


12時前に駅ビルに入っているうどん屋に行って昼ごはんを食べた。玲とのコンビの時は大抵ここで済ませる。やすいし早いし待たないからである。

それから電車に乗って二子玉へ行く。

H&Mで玲にドレスを買うという約束をしていたのだ。すると玲はエスカレーターで登っている時に見えたものに当たりをつけ、レインボー柄の半袖のものがいたく気に入ったよう。

これがいいと言って離さなかった。

それから理子のレギンスを選び、買った。ユニクロに行き、追加でレギンス2本。

31アイスで玲には苺、私はチョコのアイスを食べた。

それから公園に行った。パパこないでーと言われるので遠巻きに玲を見る。

いろいろな親がいて、いろいろな子供がいる。

この中にもコロナの人がいるのかもしれないと思うと、もはや運に委ねるしかない。


そろそろ家に帰りたいというので、電車に乗って帰る。

家までの道すがら「れいー」ということが聞こえたので声のしたほうに振り向くと、

花さんと理子が自転車に乗って近寄ってきた。

「注射どうだった?」と聞くと「楽しかった!」という理子。

どういうこと?という玲の顔が面白かった。

2022年1月28日金曜日

平和な金曜

仕事の嵐が過ぎ去って、落ち着いた一日だった。

というわけでお昼は二子玉まで花さんとご飯を食べに行った。回る寿司屋だけど、二子玉仕様。舌の上でとろけるネタであった。家族4人で食べる「くら寿司」よりも高いお会計だったけど、かなり満足度の高い食事となった。

その後ちらっとユニクロに寄ってUの新作を見る。試着すれどもなにも買わなかった。

その後帰宅。

どこからともなく聞こえてくる重低音にイライラし、

18時に仕事を終え、玲と理子のお迎えに行った。

平和に終わった金曜だった。

2022年1月27日木曜日

朋あり遠方より来る

 最近の小学一年は、「ともありえんぽうよりきたる」などと口ずさむようである。そして「またたのしからずや」と続ける。

自分がこの論語?故事?を学んだのはいつのことだったか。高校生だったような気がする。そしてその成績は散々なものだったと思う。

記憶力がいいのは小さな子供には結構ありがちな特性らしいのだけど、是非このまま物覚えの良い状態で成長して欲しいものである。


今日は5時間授業で(私が小学校の頃は大抵4時間だった気がするけど)帰ってきた。家に帰ってまずすることが宿題というのだから、のび太とは正反対だ。

「面倒くさいから早くやっちゃおう」などともいう。面倒なことはなるべく見たくないと思ってしまう私とも正反対である。

算数のプリント、国語の教科書の音読(ほぼ暗記している)を終えると理子の自由タイムが始まる。すなわちYouTubeタイムである。

私は理子にココアを作ってあげた。牛乳を小鍋で温めて、そこにココアを投入する。沸騰する前に火を止めてコップに入れる。

私は引き続き仕事をする。今日は本当に長いこと対応していた案件が終わる日で、ようやく肩の荷が降りる。

なにかを買ってしまいそうな衝動にかられる。明日は給料日だ。



2022年1月26日水曜日

夕ご飯

昨日の夕飯は、ママが朝から仕込んでいたスペアリブだった。それを一瞥した理子は「美味しくなさそう」とのたまう。偏食の玲は見向きもしない。理子はお皿に乗ったそれには目もくれず、納豆をひたすら食べ続けた。

ママのモチベーションがダダ下がりする音が聞こえるようだった。

「もう来週から夕飯作るのやめようかな」とママは言う。せっかくの夕飯だけど、重い空気が漂った。ストライキ宣言である。

「ストライキになってもそれは仕方がないんじゃない」と私は言う。大人だって傷つくのだ。それは大人からでも子供からの言葉でも関係ない。言葉の重みは、放たれた後は誰からというのは関係なく、重いのだ。

ようやく理子はこの状況は自分がもたらしたのだと気づきはじめたようだ。普段はあまりしないような玲を嗜めるようなことを言い始める。

月曜日と火曜日は休肝日と決めている花さんがビールを飲んでいる。もうそういう気分なのだ。

いつもより沈黙が長く続く。「食事中は静かに」という種類の静けさではない。

そして理子が口を開く。「ママ、美味しくなさそうって言ってごめんなさい」

私は単純に「すごいな」と思った。自分の過ちを素直に認めて謝ることができたのだ。私はとくにママに謝りなさいよ、ということは言わなかった。それでも理子なりにこれはまずいと思ったわけだ。少し前の理子だったら訳もわからず泣いて終わったであろう。謝ることもできずに。


理子が謝ったから、私も言葉を重ねた。

「ママはね、理子が帰ってきたころにはお腹が空いてるだろうから、すぐに食べられるように朝から支度してくれてたんだよ。それを美味しくなさそうって言ったら悲しいよ。大人でも言葉で傷つくことがあるんだよ」と。

この頃には花さんも理子も号泣である。しかし涙の後には和解があり、また笑いも生まれたのだった。

なんだかとっても成長をしているんだなって思った。

難しい言葉を言えたり、長い文の暗唱をすることもすごいけど、自分の気持ちを相手に言う、非を認めて謝るなんて大人でも難しいことをやった理子に私は「偉かったね」と言って抱きしめた。

その後、オセロで理子と対戦する私。結果は私の勝ちで、その後花さんとも理子は対戦したが花さんの勝ちで、ボロ泣きする理子であった。

2022年1月25日火曜日

なるはや

 月曜の夜、食事も風呂も、理子の宿題も終えてからオセロをした。

最初は順当に自分の色を増やしていたった私であったが、いつの間にか盤を埋めていたはずの色面積が逆転した。そして私は置けるマスがなくなり、スキップするハメとなった。

そして結果は理子の勝ち。なんということだ。

その後、花さんと理子が対戦したところ花さんが圧勝した。酒を飲んでいなかったのが勝因の一つのようだ。理子は泣いていた。よく泣くのは私の小さい頃と同じだ。


火曜日、やっぱり玲は「ママが良い」が発動したため私は上着も着て靴まで履いたのにお留守番になった。

始業時間前ではあるけど仕事を開始する。

お昼ご飯は家で食べた。青森のお母さんが送ってくれたいくらを解凍してサーモンと一緒に丼にして食べた。

その後、「待つ」という仕事を数時間続けている。

今も昔もデザイナーは待つのが仕事で、待った先にあるのは「なるはや」である。


外から子供が遊んでいる声がずーっと響いている。声が大きいのか周りの建物に反響しているからなのか、すぐそこで遊んでいるのかっていうくらいに正直うるさい。

しかしながら、内容は全くわからないけれど、3人で楽しそうである。明日は雪が降るらしい。雪が降って寒かったとしても、もっと外が賑やかになるのかもしれない。

都心で雪が降るというのはそういうものだろう。

2022年1月24日月曜日

月曜日たち

月曜日の朝の支度は時間がかかる。7時55分に理子をなんとか送り出すと、次のステップにかかる。

3歳の身支度というのは理子の100倍時間と労力がかかるのだけど、思えば理子も3歳の時は服のこだわりの権化のようなものだった。夏場はトーマスのTシャツしか着てくれなかった。しかもそれはパジャマ用のものだった。

とにかく玲は理子よりも乙女度が高く、とにかくヒラヒラしていないとダメなモードである。

時間のかかる玲の相手をしていると時間がいくらあっても足りないので、先に掃除などを済ませる。

先日味をしめた手袋作戦を今回も使ってみたけど、月曜日の玲には通用しなかった。結局花さんが保育園へ送りに行った。

私は録画していた「進撃の巨人」をテレビで見た。つい「うわぁ」と声が出てしまう展開だった。

その後仕事にとりかかる。

お昼は一人でラーメンを食べた。

その後も黙々と。

今日の夕飯は私が作った。長芋とチーズ、ハムの挟み焼き。にんじんとツナの和え物。味噌汁。パスタというなんのまとまりもない品物たち。

でもみんな何も言わずに食べてくれる良い家族たちだ。


オセロ

 日曜日、花さんと理子はピアノ教室に行ったのだけど、帰ってくると片手にはオセロがあった。しかしそれはどこにも「オセロ」という表記はなく、「リバーシゲーム」と書いてある。大人の事情なのかなんなのかよくわからないけれど、いわゆるオセロに変わりはないようだった。

食後、早速花さんと理子がやっていた。手加減しない限り明らかに花さんが大人気なく勝つのだろうと思いきや、スラムダンクの花道よろしく「なぜそこに?」という奇襲をかける理子。そして結果的に、花さんはどこにも置くところがなくスキップする羽目になるという事態。

学童で馴らしたようである。我々が知らない才能をちらつかせる理子。

その様を見ていたので私も対局することに。

確かに「あれ」とか「やば」とか、私もちょっとまずいなと感じる場面が多々あり、

大人になってかなり真剣にやってみたところなんとか勝てたのだった。

その後、花さんともやってみたのだけど、どうやら花さんはマッコリのせいで、

いまいちオセロの力を失ってしまったようだった。私が勝つこととなった。

意外とちゃんと楽しいオセロ。子供とボードゲームをやるって楽しい。


金曜を思い出しながら

 金曜日のことを思い出しながら書く。

この日は朝からなかなか幸先の良いスタートだった。

当然のルーティンのごとく、パパとはいかない宣言をした玲ではあるが、花さんが手袋とニット帽を用意してみるとミッキー(パパ)と行くと方向転換をしたのだった。

その手袋はもともと理子のために買っていたものだった。それはウサギの形をしていて、いかにも子供が喜びそうなものだったのだけど、理子は一切着用していなかった。『新品未使用、神経質な方はご遠慮ください』でメルカリ行きを免れた、存在すら忘れていたものだったのだ。ところ変われば品変わる。姉妹でも好みは結構変わるのだった。


いつもそうしていたと言わんばかりの登園となり、久々に嬉しいできごとだった。

その後自宅に戻り仕事をする。

花さんも在宅だったため、昼ごはんを一緒に食べに行くことにした。天ぷら屋を提案してみたけど、きさらぎ亭に行ってみたいというので歩いてでかけた。我々は定食のABをそれぞれ頼んだ。花さんは気に入ったようだ。帰り、私は郵便局へ行った。その道中天ぷらやの前を通ったのだけど、そこは定休日だった。「てんぷら屋は定休日だったよ」と連絡すると「おお、なんか持ってるね、私たち」と即レスだった。


理子は2時過ぎに友達と帰ってきた。この後、その子が通っている書道教室の見学に行く予定になっていたのだった。

こうやって仕事をしながら、理子とその友達が家にいることの不思議さよ。理子からは一体どういうふうに見えているんだろうか。

その後、花さんと理子は書道教室に行き、私は玲を迎えにいった。

金曜日が平和に終わっていった。

土曜日、理子と花さんはキッザニアへ、私と玲はお友達とトーマスランドへ行った。

持つべきものは友であった。

2022年1月20日木曜日

パパと行く詐欺

 結局のところ、「パパと保育園に行く」詐欺に遭い、私は家にステイコースで一日が始まる。

夫婦共に在宅勤務のため、黙々と仕事をする。昨日はまたタイミングを逃してカップ麺で昼飯を済ませてしまったので、今日は朝から昼飯のことを考えていた。

どのタイミングで行くべきか、花さんは一緒のタイミングで出られるのか。

12時頃、今日はどないやと花さんに聞くと出られるというので近所のハンバーガー屋に行くことにした。しばらく前から閉まっていて行けずにいて、バーガー欲がマックスであった。

ご飯を食べながら話す内容は、最近耳が遠くなってしまった気がするとか、加齢に関してのことだったりする。あとは話し言葉をもっと丁寧にしようとか、ヒールを履くべきか否か、など重要なことが話された。

肝心のバーガーはやはり美味しかった。

昼ごはんは花さんが奢ってくれた。我々二人はご飯に行くとシーソーのように奢りおごられとするのがなんとなくの通例となっているのだった。


その後、仕事に戻った。理子は学童に行かずに帰ってきた。まだ明るい時間に家にいるのが不思議で、ついつい抱きしめた。

2022年1月19日水曜日

カメラカメラカメラ

 普段使っているデジカメはFUJIFILMのX20というもので、ハードオフのネットで買った。それを買うまでは、フィルムカメラで撮っていたから、なんとなくファインダーを覗くというスタイルは踏襲したいと思い、ファインダーのあるカメラというものを探した。そしたらそれに行き着いた。特段思い入れがあったわけではないのだけど、使ってみると色味が気に入って使い続けている。


ところがいつからかレンズ内にゴミが入ってしまい、角に黒い点が入るようになってしまった。たまたま会社の近くに本社があり、サービスセンターがあったので持ち込むと買った値段と同じ修理代とのことだった。

その頃からうっすらといつかは買い換えたいなと思っていた。

そして時は経ち、理子の運動会の時、持って行ったX20のズーム機能など意味はほぼなく、全く理子の顔を捉えることはできなかった。それが決定打である。

いよいよ持って買い換えたい機運が増したところにパパ友達もフジフィルムのカメラに買い替えていた。私ももうそういうムードである。暇があれば検索し、この間の一人時間では電気屋で物色し、ユーチューブでレビュー動画をみたりした。

15万くらいするカメラを安いと言い張るユーチューバーには腹が立つが、

それが良さそうである。冬のボーナスは服ではなく、そこに使われることになりそうだ。

X-S10。

近いうちにゲットする。

2022年1月18日火曜日

パパがミッキーであるために

 キャラ設定の重要性に気がついた。パパがミッキーであることをちょっと強調してみたところ玲にはいい傾向が生まれ始めている。まるっきりの拒絶がなくなり始めたのだ。

一年前くらい前は普通にパパとママと半分ずつくらいの感じで登園していたのだけど、この数ヶ月パパを断固拒否でパパが登園したのはママが朝から不在だったときくらいのことだった。

ところが、今朝は途中でミッキーと行くと言ったらしいのだ。それはつまりパパと行くということなのだけど、嬉しい出来事だった。この後すぐにお友達と会ってそのまま行くことになったのだけど、明日はミッキーと行く、とスケジュールを押さえられた形である。

私はただ、いわゆるミッキーの物真似をする人のように裏声で陽気にしゃべっているだけなのだけど、3歳にはよく効くらしい。

明日は数ヶ月ぶりに保育園に送っていけるようだ。

なお、お迎えにはほぼ毎日行っているけど、ここのところママがいいとは言われなくなった。


2022年1月17日月曜日

パパはミッキー

 「ミッキーーどこいるのー?」とは玲の言葉である。ここは夢の国ではなく、自宅で私を呼んでいるのである。対してミニーはぬいぐるみである。私は男だからミッキーを仰せつかった。

玲の中では男と女が明確にあるようだ。男は格好いいし女はかわいかったり綺麗だったりするという感覚らしい。昨今ではあまり声高には言いづらい感じがしなくもないけれど彼女の中ではそういうものなのだ。

今日は花さんも在宅で、昼食を食べにパスタ屋に行った。こうやって面と向かってゆっくり話をするというのは大人同士の食事の時に限られる。家で話をしていても、子供たちに腕を掴まれ、話の腰を折られ、寝ていても腹を蹴られる。

仕事を終えると、まず玲を迎えに行った。外ではミッキーと呼ばれたことはない。パパー!である。キャンディー屋でも「パパにはぶどう味ね」だった。

理子を迎えに行くとコーチにいつものように遊んでもらう毎回新鮮なリアクションで楽しそうな玲である。

家に帰るまでに話をするのがスイッチの切り替わりタイムである。

いつも見る一軒家のガレージの大きな扉が板チョコみたいで美味しそうだとか、お月様がきれいだとかそういった話をしながら帰る。

玄関を開けるまえに、「今日の夕飯はなにかなー」と嬉しそうな理子。

花さんが夕飯を作っているところを見ると「手伝うー!」と率先してやろうとする。

素晴らしい理子である。

バスキア

 「世田美に行こう」と花さんが誘ってくれた。私が以前チラシを見せて、行ける時に行きたいと言っていたのを覚えてくれていたのだった。

それは音楽にまつわるアート展でバスキアや大竹伸朗などが見れるとのこと。見た後は砧公園で遊べばいいということもあり、午前中から出かけることにした。

日差しにあたると暖かいけれど、基本的には寒いので花さんのスヌードを勝手に借りた。みんなで自転車に乗って出発する。

いい天気で実に公園日和だった。世田谷美術館に入ると、まず検温をし、マスクをしていない玲のことを咎められる。売店で売ってるということを伝えられ「着用しなくては入れないわけでもないけどね、察して」といったふうだった。3歳の玲が大人しくつけることなどありえないけれど、こちらもポーズとして売店で買って一応身に付けさせた。すぐさま玲が自分で取り去ったのは言うまでもないのだけど。

会場の外からなんとなく感じてはいたのだけど、この展示はメインではなかったらしく、200円という入場料だった。メインの方と合わせるとお得であるということを言われたけれど、結局足早に見て終わってしまうので、当初の予定通りにした。

展示は横尾忠則のポスターから始まり、広いフロアでいろんな美術家、芸術家の作品が展示されていた。目玉はなんといってもバスキアと大竹伸朗、アンリルソーといったところか。

学芸員の方々は子連れの我々に幾ばくかの警戒心を軽く持った様子で、子供の挙動を見守る。私だって何億とする作品の前で3歳児を野放しにするわけではないのだけど、やはり偉大な作品を前にすると手に汗をかいてしまう。

花さんは気を遣ってくれて、理子と玲を連れて会場の外へ行ってくれた。私はもう少しゆっくりと見て回った。なかには荒木経惟の大きな写真作品もあった。

バスキアの力強さは言うまでもない。大きなものを作ろうという前に、自分が描きたいものを考えたら必然的にこの大きさになってしまった、という感じがする。具材が立体的に重ねられて力強く、またカラーコピーのようなものを重ねて貼り付けているような質感があった。

そのほかに気になった作品は、アドルフ・ヴェルフリという人のもので、絵の中に五線譜のようなものがあり、音符で模様のようなものを形取っていた。しばらくその場で鑑賞する。理子にもちゃんと見せてあげたいなと思った。モチーフがわかりやすいのである。

それからみんながいるところに戻って、理子だけ連れてもう一度会場に向かう。そしてバスキアとヴェルフリのところに行き、作品を見せてみた。とにかく本物を見るという機会を作るというのは大切なことだと思う。この瞬間に何かを感じ取ることは難しいかもしれないけれど、記憶力のいい理子は、いつか大きくなったときにふと思い出すかもしれない。親ができるちょっとしたことである。そんなことを今年も積み重ねていけたらいいなと思った。


2022年1月16日日曜日

一人時間の過ごし方

 かくかくしかじかで、土曜日に一人時間が与えられた。いきなり自由を与えられても人は何をしていいのかわからなくなるものらしく。困った。

理子は半日授業で、帰ってくるまで家事をした。掃除機をかけ、仕舞いきれていなかった子供服をしかるべき位置に収納したりした。

自転車置き場に行き、自分のと兼用自転車の2台の空気を入れた。意外と億劫な作業なのでこういったときにやるのがいい。


理子が帰ってきて、代わりに私が出かけて行った。理子たちは友達の誕生パーティへと行くのだった。

私は空気を入れて少しばかり軽快に進む自転車に乗って、246を走る。以前まで乗っていたスペシャライズドのピストは撤去なのかパクられたのかしてしまい、いずれにしても私の手元から無くなった。かわりに無印で花さんとも兼用できるミニベロと呼ばれる車輪の小さな自転車を買ったのだけど、ちょっとそこまでならいいかもだけど、やはり長距離向きではない。いつかはまた自転車を買い直したいものである。

246を走っていると、電柱や看板の柱などの一定の高さの位置に縦組みで「wanto」の文字が見える。ピストに乗って一気にbombしているのかもしれない。TOMのタグも見つけてついつい写真に撮ってインスタに載せる。

駒沢のブックオフによる。洋書コーナーを見ると「KRINK」や「ソールバス」の写真集がある。随分とニッチなチョイスである。

店を出ると、駒沢通りへと出て、それから目黒通りへ。サムエムに通っていた時代の通勤路にでたが、いまいち街並みを思い出せない。こんな感じだったかな?というくらいだ。

目的の場所は下目黒の「BLITZ」というギャラリーで、ステーキの名店リベラを曲がってしばらく行ったところにあった。

テリワイフェンバックの展示を見るためにきたのだけど、このギャラリーにきたのは初めてだった。ギャラリーにしては珍しいと思うが、音楽がかかっていた。室内は私一人で、ゆっくり、じっくりと見ることができた。光を見つけて写真にするのが綺麗な人という印象。鈴木理策さんや川内倫子さんをふと思い起こさせる。


ギャラリーを後にすると、次の目的地へ。

目黒通りをさらに目黒方面へ進み、大鳥神社を中目黒方面へと曲がる。

もう膝が痛い。自転車の相性なのか、単純にあの頃よりも体のガタが来ているからなのか、わからない。次の目的地は池尻大橋で、中目黒を通るので寄り道をした。

「フィフスジェネラルストア」である。気になっていたアウターを見たかったのだ。とはいえ試着はせず、店内をふらふらと見て回ってから出た。リアル店舗でどうやって過ごせばいいのかすっかりわからなくなってしまったようだ。

また自転車を漕いで「voild」へ。場所は覚えていて難なく到着したのだけど、どういうわけか扉が開いていなかった。調べてみても特に休業ではなさそうだったのだけど残念だった。

それから渋谷へ。電気屋でカメラを見たかったのだ。ヤマダ電機にはデジタルカメラのコーナーがなかった。とても大きな店舗なのに、この店においてはデジカメというのは不要らしい。ビックカメラに行くと品揃えは豊富だった。

フジかソニーがいいなと思って物色した結果、やはり今使っているものの延長で考えようという結論になり、XS10というのが気になった。お値段は15−8万。おいそれと買えるものではないのでカタログだけ持ち帰った。

16時近かったのだけどお昼ご飯を食べていなかった。私というのは一人で行動すると食事や休憩というのが蔑ろになりがちである。

246をまた走り、三軒茶屋の味噌一でラーメンを食べた。久しぶりの味。まだ理子も玲もいなかった時代の、夜通しで働いていたあの頃の濃い味だった。

まだ空が明るければ下北沢にも寄ろうかと思っていたのだけどもうそんな元気もなくなってしまった。またブックオフに寄ってみる。洋書コーナーにはなにもなかった。理子の本を探してみる。宮澤賢治にどはまりしているのでなにかないかなと見てみると「銀河鉄道の夜」があったので買うことにした。

帰り道、MKUEのタグも見つけて、ちょっと興奮する。主要な道を自転車で走って街中のグラフィティを見るのは本当に楽しい。写真に撮って、やっぱりインスタにアップする。

それからは寄り道もせず、家に帰った。家人は誰もいなかった。洗濯を取り込み畳む。

お風呂に湯を張り一人で入った。


風呂から出るとビールを飲みながら、録画してあった「紅の豚」を見た。豚が飛行機を修理するところあたりでみんなが帰ってきた。

そうやって1日が終わった。

2022年1月14日金曜日

偶然

 今日は自宅の補修工事の人が朝から来ていた。もうかれこれ1年以上も壁からの漏水に悩まされていて、今回は最終手段に近いくらいの流れでの工事である。朝の9時から16時近くまでかかるということだったのだけど、意外とあっさり11時頃に終了した。

花さんも今日は在宅で、変わりばんこに食事に出ようと言う話だったのだけど、その必要もなくなったので一緒に食事にでることにした。

ああだこうだと言って悩んだ結果、駅前のカレー屋に行った。店に入ると奥に見慣れた夫婦がいるではないか。同じマンションの住人である。「○○さん!」と思わず声をかけ、隣の席に座った。

このご時世なのでついたてがしてあったのだけど、それをどかして会話をする。子供なしで4人が揃うことなどないに等しいので、邪魔をされない会話を楽しんだ。

食事を終え、階段を降りると気の緩みなのか階段を踏み外した。後ろで大笑いする花さん。

足に異常はなくてよかった。もうアラフォーなのである。気をつけなくてはならない。


花さんは寄るところがあったので、店の前で別れると、向こうのだんなさんも銀行に行くと言う。そうして夫婦がシャッフルされた形で同じマンションへ帰宅した。

仕事を再開し、表紙のデザインをし18時に終了する。

娘たちを迎えに行き、家に帰ると食事ができていて、平日に久々にビールを飲んだ。そんな気分だったのだ。

2022年1月13日木曜日

隣の女

お昼ご飯を外に食べに行った。2週に一度くらいの割合で行く老舗の定食屋である。
そこは歩いていくには、ちょっと遠い距離なのだけど、一日中パソコンを見ているので
意識的に歩かないと体がおかしくなってしまうからちょうどいい。

道中、高校があり校庭では体育の授業が行われているようだった。校庭内を走っている姿が見える。完全にこの子たちに体力で勝てないなと思いながら店へと向かった。
14時を過ぎていたけれど、つい立てで仕切られたカウンターは満席だった。
一番端の席を通され、私は煮込み定食を注文する。
数分で出てくる早さも魅力の一つである。

煮込み→煮込み→ご飯→煮込み
といった具合に箸を運ぶ。隣の席の女性は、同僚であろう男性とずっと話しながら食べている。

すると、男性は先に食べ終わったようで店を出て行った。女性はマイペースで食事を続けている。カウンターにいた客は次第にはけていき、私と見知らぬその女性の二人となった。しかも隣同士である。
勝手にきまずい私とは裏腹に、その女性は券売機に向い、納豆を追加注文していた。確かにこの店の普通盛りは大盛りである。フードロスするわけにはいかぬと納豆で乗り切ろうとしているらしい。

ようやく私は煮込みを食べ終えた頃、隣の女性はまた席を立ち上がった。どうやらお手洗いのようである。私も帰り支度をしようとすると、ふと隣の席に置かれたケータイが目についた。そしてさらにファスナーが開けられ中身が丸見えの鞄。
私だったら席を外れる時は上着は置いて行くにしても荷物は持っていくよな、と思ったのと同時に、あらぬ疑いをもたれるのは嫌だなとも思った。
異常に冤罪を恐れる私。満員電車では無理やりにでも両手を持ち手にかけるべし。
足早に席を離れ、いつもより少し声大きめで「ごちそうさまでしたー」と声をかけ店を出た。

とこの話を夕飯の時に花さんにしたところ、確かにすぐさんは一箇所を見つめる癖があるよねと言う。めっちゃ怪しいじゃん私。

2022年1月12日水曜日

心の葛藤を口にする

 今日は一歩も外に出ない日だった。

朝、当然のように玲は、断固パパ拒否のためママが保育園に付き添ってくれた。

お昼ご飯は出そびれて家で済ませ。

帰りも花さんが二人をピックして帰ってきてくれた。


夕飯後、理子の宿題で揉める。

計算カードを忘れて自作のプリントを作ってやることになったのだけど、どういった計算なのかを私が把握しきれてなく、習ってないものを作ったことに憤慨している。

そこで、お風呂の後にやり直す?と聞くと「ぐぬー」とか「うーぬーむー」とか唸りながら

「なんで自分でもこんなにイラつくのかわからない」と言ったのだった。

なんという独白。

こういう気持ちの持って行き場のない感じとかって今後いっぱい増えるんだろうなと思った次第。でもそういう状態だって言えたのは偉いなーと思った。

2022年1月11日火曜日

青森

 久方ぶりに訪れた青森は深い雪が一面に広がっていて、私が初めて青森に訪れた時のことを思い起こさせた。

例年なら新幹線の改札前で、満面の笑みでお父さんが迎えてくれていたけど、今回は三沢空港での再会だった。2年ぶりで、少し照れ臭そうに理子は挨拶をし、玲はママの後ろに隠れていた。

車に乗り込み、青森でも数年振りという豪雪の中を行く。見渡す限りの銀世界。なにもかもを覆い尽くしていて、見えるものは森の濃い緑ばかり。それ以外なにも見えない景色なのに不思議と心が躍った。

途中、食事をとることにした。回っているけどレーンには寿司はなく、全て注文制の回転寿司だった。お腹いっぱいごちそうになった。

家に着いてお母さんと再会した。元気そうで何よりである。理子は庭に積もった雪に大興奮し、早く遊びたいと嬉しそうだった。

予め送っておいた雪遊び用の一式を着込む理子に対して、手袋はおろか上着すら着ないとごねる玲。軒下には屋根から雪が落ちてできたであろう天然の傾斜ができており、そこでそり遊びに興じた。うまく滑れなくてずっこけてしまうのすら面白い。寒いことも面白いといった感じで理子は楽しそうだった。でも一番楽しんでいたのは花さんだったに違いない。理子に混じってそりを楽しんでいた。


しばらく遊んでから室内に入ると、お父さんは豊盃酒という、木箱に入っていかにも高級そうな日本酒を出してくれた。すっかりタバコをやめたというお父さんと久方ぶりに乾杯した。

続いて出てくる毛蟹。貪り食うとはこういうことか、とその言葉を体現するように食べる食べる食べる。青森という場所で食べると尚美味しいといった味。東京の家で食べてもこのような食べ方にはならないと思う。

ハーフボトル?の酒は比較的早い速度でなくなって、贅沢ないつもの田酒をいただく。これは誰かからの頂き物とのことで、地方暮らしというのはこういったことなんだよなと羨ましく思う。

夕飯は花さんがすき焼きを用意してくれたものをいただいた。肉は、イオンなどのスーパーではなく、地元民が足を運ぶ肉専門店へと行って買ったものだった。


録画してあった紅白歌合戦の「残酷な天使のテーゼ」をなぜか繰り返し見る理子。しまいには口ずさんで歌っていて面白かった。

私は早々に風呂に入ることを諦め、ただただ酒をくらって土曜日が終わった。


夜中、ザッザッザッと雪を踏むような音がして薄気味悪かったのだけど、翌日花さんに聞いたら屋根から雪が落ちた音じゃないかとのことだった。


日曜日。午前中は引き続き雪遊びをすることにしたが、雨が雪に変わり、また晴れたりして安定しない天気だった。

それでもお構いなしで、理子はかまくらを作ることに挑戦していた。私は裏庭のほうにまわって、探検することにした。

雪が何十センチと積もっていて、どこに側溝があるのかもわからないような状態で、恐る恐る歩みを進める。

いつ見ても、ここからの景色は広大すぎる。雪があると奥行きが不確かになって、どこまでもこの世界が続いているような気すら起きてくる。

ふと足元をみると細かな歩幅で小さな足跡があった。鳥が歩いたようないかにも3つ股のものではなく、獣といった風のそれに少し背筋が凍ってしまった。そそくさと家の方に戻る。

玄関脇に積もったところを掘って、理子はいい感じのくぼみを作っていた。もう少しでかまくらと呼べるものができそうだった。


しばらくすると、雪遊びを一区切りさせて、またお出かけすることになった。地元民が集結するイオンモールである。

そこのフードコートで食事をする。理子はここへきてまでもマクドナルドを食べ、私は初めてペッパーランチというヤンチャな食べ物をチョイスした。

お父さんは早々に食べ終わって、ひとり時間を満喫しているようだった。私たちは食べ終わると子供たちのご機嫌とりタイムとなり、ゲームセンターへと向かった。理子は30分500円のアスレチック。玲はアンパンマンやトーマスの乗り物に興じている。

お父さんとの待ち合わせの時間までがっつりと遊んだ。

店内では、通り過ぎる人のなかで成人式帰りであろう集団がいた。なんでここにいるんだろうね?と花さんにふってみると、他にいくところがないからだろうとのことだった。


イオンを出ると、白鳥の飛来地へと向かった。以前もここに来たことがあったのだけど、玲は当然初見である。白鳥とともにかもめもたくさん群れていた。近くの小屋でえさが100円で売っていたのでそれを買い、餌やりをすることにした。

玲はかたくなに拒否したけれど、理子は率先して楽しんでいた。意外にもお父さんも参加していた。餌を放ると、かもめの方が小回りが効くようでうまく餌にありついていた。白鳥は長すぎる首をうまく使えずクネクネして食べれないようだった。

水辺ということもありかなり冷えるのだけど、玲はやっぱり上着を着てくれない。氷のように冷たくなった手を握って少しでも温めることにつとめた。

ふと遠くを見ると、ここにも成人式帰りのカップルがいた。イオンよりは少しロマンチックだけど、きっと足の消毒はしていかないだろう。


飛来地を後にし、温泉へと向かった。そこはいつもお正月に行くところで、りんご風呂に入ることができる。

お父さんとシャンプーをシェアさせてもらい、入る。こんな時期ではあるけど結構混んでいる。室内に露天、電気にジェットと一通り楽しんでいると待ち合わせの時間となった。前よりも長く入っていることが苦にならなくなったような気がする。

風呂から出ると当然のようにコーヒー牛乳を飲む。うまい。すごくうまい。理子と玲の面倒を見ながら入らなくてはならない花さんは疲れがあまり取れていない様子で出てきた。来年はもっと楽になるだろうか。


外に出ると雪がまた強く降っていいた。



家に着くと昨日の続きの田酒をいただく。そして毛蟹、ほたて、いくらと海産物のオンパレード。お父さんと酒を飲み交わす。

もうお風呂に入ってあるから、だいぶぐいぐいと飲むことができた。

最終的には花さんも飲んで、一升瓶を空けていた。理子と玲は、廊下でお母さんとボーリングをして楽しんでいた。ずっと花さんに隠れていた玲だったのだけど、これを境に仲良くなっていた。仲良くなった頃に帰らなくてはならないのだけれど。


一番奥の部屋に立派なピアノがあって、理子がそれで「喜びの歌」を弾いていた。お父さんは「ベートーベンだね」と嬉しそうにピアノを聴いていた。

部屋の奥の方から聴こえる誰かが弾くピアノ。それを聴きながらゆったりとした時間を過ごすというのは一つの幸せの形と言っていいと思う。


月曜日、祝日。

目を覚まし、ご当地パンのイギリストーストを食べる。それからまた雪遊びをする。青空が広がるいい天気だった。

理子は昨日の続きで、かまくらづくりに勤しんでいる。昨夜に雪がまた屋根から落ちてきて、大量の雪がある。材料はばっちりである。

しばらく掘り続けると理子がすっぽり収まるくらいの大きさの穴があいた。理子はすっかりご満悦の様子だ。

『青森に行ったら、雪合戦して、そり遊びして、かまくら作るんだ』と理子は言っていたのだけど、全てを叶えることができた。

花さんは、ふわふわの雪にダイブして、雪を青森を満喫し、玲は上着も着ないで早く家に入りたそうにしている。それぞれである。


お昼ご飯を食べるとあっという間の滞在が終わる。せっかく慣れてきた玲ではあるのだけど、次来るときはもっと愉しめるだろうと思う。

お母さんとお別れをし、お父さんに三沢空港まで送ってもらう。空港の脇にある航空公園で雪に埋れた遊具で遊んでから帰った。

次会うときはマスクなしで会いたいものである。

2022年1月7日金曜日

花ブック

 年に一度、花さんの誕生日にプレゼントするというていで始まった花ブックも、13冊目となった。もはや名前は形骸化していて、中身はほぼ理子と玲の写真で埋め尽くされている。

しかし13冊並んでいるところを見ると、よく作ったものだなと思う。

結婚して以降、旅が生活に入り込んでからは写真の撮れ高もあるし、子供が生まれてからは言うまでもない。夫婦だけの関係性では見た目で大きく変わることはないのだけど、子供の1年での変化は凄まじい。作っていて楽しいから続くんだと思う。

明日からの3連休では久方ぶりの青森へと出かける。いい手土産ができたなと思う。

2022年1月6日木曜日

 雪が降るらしいということを、昨夜、花さんが言った。布団に潜り込むとき、すでに寒かったが、理子が私の布団に潜り込んできていて温かい。いつもならしばらくすると布団から抜け出して、定位置であるママの布団へと行くのだけど、昨日は私の布団に止まったままだった。

そして夜中私の腹を蹴り上げる。寝相の悪さというよりは防衛本能のようである。足先に触れるものはとにかく押して、かかとで蹴り上げる。こちらは熟睡の真っ只中で防御機能は皆無であり、猛烈に痛くて目が覚めるが、理子は寝続けていた。喜逸の仲間かなんかで、呼吸の使い手なんだろう。


朝、やっぱり寒い。ガスストーブのパワーをマックスにして、早朝から仕事する。もはやそうしないことには終わらないのである。

しばらくして花さんが起き、玲が起き、最後に理子が起きた。

食事をし、洗濯物を畳み、風呂掃除をし掃除機をかける。木曜日は枕カバーも洗うと決めているため、それらを枕からひっぺがして洗濯機に突っ込み、パジャマとバスタオルとともに洗濯乾燥する。

まず理子が家を出た。「今日は雪が降るらしいよ」と伝えると嬉しそうに「長靴のほうがいいかな?」と言う。でも降らないかもしれないし、公園にいったときに遊びづらいからスニーカーにしたら、というと素直に従って家を出て行った。

保育園に行きたくない玲を花さんがなんとか連れ出して行って、家は静寂に包まれ私はYouTubeで芸人のラジオを聴きながら仕事をする。


しばらくすると雪が降り始め、そのことを花さんにLINEした。彼女は雪国育ちだから嬉しいんじゃないかしら。

雪も降っていることだし、家で昼ごはんを食べ、黙々と仕事をする。


時々窓の外を見ると、世界は白に包まれていた。雪が風に流されている。大きなワタのようだ。


夕方になり、花さんが理子を連れて帰ってきた。ものすごく寒いのに二人ともやっぱり嬉しそうだった。食事のあと、二人は雪遊びをしに外に出かけて行った。帰ってきた時もものすごくホクホクした顔だった。

玲は行きたくない!と言って家にいた。

私はまだ仕事が終わらずにいる。

2022年1月5日水曜日

フォいくえん

 玲がパパと保育園に行かなくなって久しい。いつからかすっかり「ママがいい」子になってしまい、断固パパ拒否の日々なのであったが、今日仕事始めの花さんは出社ということもあり、久方ぶりに私が玲を保育園に連れて行った。

いつのまにか家を出て行った理子と花さん。家にはYouTube漬けの玲と私が残っていた。『保育園に行くよ』と呼びかけるとヤダと即答する玲。たったの2文字なのに明解な答えである。

そこで私は、昨日アンパンマンニュージアムで買ってきたネイルシールを貼ろうと玲に提案した。喜ぶ玲、順調である。そしてどれを貼るかを選ばせる。ここも重要である。意識が『ほいくえんヤダ」から遠ざかっていくのが分かる。

そしてスムーズに靴下を履かせることに成功する。よしよし。

上着を着させようとすると、「どこにいくの?」との問いに「友達に会いに行くよ」とオブラートに包んで答える私。

間違ってはない答えにしぶしぶといった感じでついてくる。靴を履き、外に出る。冷たい風が強く吹いていて、ドアが少し押し戻される。やれやれ、まるで出かけるなと言っているようだ。

それでもそんな強風に負けずに家を出る。マンションを出て坂を下っていく。ここまで来ればこちらのものだ。

「どこにともだちにあいにいくの?」と質問する玲に「フォいくえんだよ」と突破ファイルの松蔭寺パイセンよろしく答える私。ここまで来ても尚濁す私に玲は答える。「ヤダ」と。

仕方なく抱きかかえて保育園まで行く。なじみのキャンディーショップのウィンドウディスプレイはクリスマスから正月へとシフトチェンジしており飴細工の虎が待ち構えていた。


結局保育園について、部屋に入るまでずっと抱っこしていた。なんなら上着を着させたまま先生にバトンタッチした。「大丈夫ですよ」の先生の声が優しくリフレインする。

下駄箱に入れられなかった玲のニューバランスの靴と、私のニューバランスの靴が仲悪そうに転がっていて、そっとそれを仕舞った。


家に着くと早々に仕事を開始する。まれに見る進行の遅さであるが、実に年始な感じである。明日も早朝から対応することになる。がんばろう。


2022年1月4日火曜日

仕事はじめ

 仕事が始まった、と言っても自宅勤務である。なんとなくzoomのモニターをオンにし、自分の顔が映っているのを見ながら上長の話を聞く。

YouTubeでナイツを聞きながら仕事をする。肝心な仕事が入らないまま、別の対応をして一日が終わる。


花理子玲は、横浜のアンパンマンミュージアムへ出かけていった。以前友達のパパからもらったチケットを使って、ロープウェイに乗ったようだった。

帰りは、玲が寝た状態で帰ってきた。

明日から保育園に行けるのかしら。


初めてふるさと納税をし、書類を作成した。

少し大人になったようだった。

2022年1月3日月曜日

新しい一年の始まり。

 2022年は沼津で迎えることができた。2年分の成長を遂げた姪っ子たちに会うのはとても嬉しいことだった。コロナでの2年は今まで以上に動画での通話をして、会えない空白を補っていたような気がする。

よく晴れた元旦。混んだ浅間神社。賽銭を投げ入れた花さんは、後ろから投げた人の小銭が当たっていた。是非運気も上がって欲しい。

1月2日。どれだけ長く滞在したとしても満足しない帰省を終えて東京に戻った。

1月3日。桜新町にある行ったことのない公園へ足を運ぶ。理子は最初、雲梯を怖がっていたのだけど、そのうちスルスルと猿のように器用に往復することができていた。玲は相変わらずママから離れない。


昼食はいつかの正月にも来た『わいがや』というパスタの店で済ませた。玲は一人前のキッズセットをぺろりと食べていた。また一人でも来ようと思う。美味しかった。

その後、混んでいた桜神宮を諦めて、用賀神社へ。家族の健康を祈願する。

そのまま2丁目公園で遊ぶ。公園で遊ぶのは玲には丁度いいけれど、理子はいつまで付いてきてくれるだろう?すっかり実家でハマってしまったニンテンドースイッチの影が頭をちらついてしまうが、理子は高く高く漕ぐブランコを楽しんでいた。

夕飯の後、今年の目標を立てようということでそれぞれ4人が紙に書き起こした。

そのうちの一つがこの日記である。少しでも多く続けられるようにしたいものである。

明日から仕事が始まる。