昨日の夕飯は、ママが朝から仕込んでいたスペアリブだった。それを一瞥した理子は「美味しくなさそう」とのたまう。偏食の玲は見向きもしない。理子はお皿に乗ったそれには目もくれず、納豆をひたすら食べ続けた。
ママのモチベーションがダダ下がりする音が聞こえるようだった。
「もう来週から夕飯作るのやめようかな」とママは言う。せっかくの夕飯だけど、重い空気が漂った。ストライキ宣言である。
「ストライキになってもそれは仕方がないんじゃない」と私は言う。大人だって傷つくのだ。それは大人からでも子供からの言葉でも関係ない。言葉の重みは、放たれた後は誰からというのは関係なく、重いのだ。
ようやく理子はこの状況は自分がもたらしたのだと気づきはじめたようだ。普段はあまりしないような玲を嗜めるようなことを言い始める。
月曜日と火曜日は休肝日と決めている花さんがビールを飲んでいる。もうそういう気分なのだ。
いつもより沈黙が長く続く。「食事中は静かに」という種類の静けさではない。
そして理子が口を開く。「ママ、美味しくなさそうって言ってごめんなさい」
私は単純に「すごいな」と思った。自分の過ちを素直に認めて謝ることができたのだ。私はとくにママに謝りなさいよ、ということは言わなかった。それでも理子なりにこれはまずいと思ったわけだ。少し前の理子だったら訳もわからず泣いて終わったであろう。謝ることもできずに。
理子が謝ったから、私も言葉を重ねた。
「ママはね、理子が帰ってきたころにはお腹が空いてるだろうから、すぐに食べられるように朝から支度してくれてたんだよ。それを美味しくなさそうって言ったら悲しいよ。大人でも言葉で傷つくことがあるんだよ」と。
この頃には花さんも理子も号泣である。しかし涙の後には和解があり、また笑いも生まれたのだった。
なんだかとっても成長をしているんだなって思った。
難しい言葉を言えたり、長い文の暗唱をすることもすごいけど、自分の気持ちを相手に言う、非を認めて謝るなんて大人でも難しいことをやった理子に私は「偉かったね」と言って抱きしめた。
その後、オセロで理子と対戦する私。結果は私の勝ちで、その後花さんとも理子は対戦したが花さんの勝ちで、ボロ泣きする理子であった。
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