2019年12月27日金曜日

「あと5分」の集積

すべては『『あと5分」の集積だ』と思う。

朝、暖かな布団を抜け出して部屋をでる。ドアを閉めきると結露がひどいから、いつも少しそれは開いている。ひんやりとする廊下を抜けて、リビングへ。カーテンの向こうに少しだけ太陽の光を感じるけれど、それはまだ低い位置だ。だからまだカーテンは開けず、電灯をつける。
ガスストーブを点火すると、空間の少しの部分が赤く照らされる。洗面所へと行き、夜に干した洗濯物を確認する。除湿機をかけても乾きが悪くてげんなりする。
乾いたものを洗濯バサミから外してカゴにいれる。夏だったらこれらはすべて乾いているのに。

リビングへと戻り、洗濯物を畳む。しばらくすると花さんも起きてくる。そしてヤカンで湯を沸かす。彼女のルーティンだ。
二人で洗濯物を畳む。そしてそれぞれの収納棚へと仕舞う。じわじわと部屋が暖まってくる。
カーテンを開けると、光が差し込む。台所の床の埃がキラキラと光る。

ダイニングテーブルに座り、子供達の連絡帳を記入する。昨日あったこと、最近の様子、あんなことそんなこと。あったこと。
7時10分。

二人のこどものうち、どちらが先に起きてくるかは、日によって違う。
椅子に座らせて、たいていパンを食べさせる。そしてヨーグルト。
テレビはつけず、僕がYouTubeで音楽をかけている。小学校の時、掃除の時間にかかっていたクラシックの曲だったり、最近聴きこんでいるZORNだったり、山下達郎だったりする。
「どんな夢見た?」「昨日は保育園でなにした?」たわいもない会話。

理子はご飯を食べ終わると、お皿を台所へ運ぶようになった。特にこちらが促すこともなくできるようになり、成長を感じる。ご飯を食べ終わると、テレビタイムが始まるので、iPhoneで聴いていたYouTubeを消す。
7時40分。

玲も食事を終えると理子のそばでテレビを見るともなく見ている。
7時50分。
パジャマから洋服に着替えることができないままでいる理子のお尻を叩きながら、支度を促す。着替えと、タオルと連絡帳をカバンに入れるのに、異様に時間がかかる。

気がつくと8時13分。
「ほらほらもう13分になっちゃったよ」理子に言ってるのと同時に、自分にも言ってる。まだ自分も着替えていない。
花さんが寝室の布団を畳んでくれている。僕はクローゼットからTシャツ、ニット、パンツを選び取り、リビングへ戻る。リビングのドアのガラス部分が、曇って汚れている。朝日に照らされてそれがよく見える。拭きたいけどそれをしている5分がない。

風呂の掃除をする。浴槽と床にスプレーをしてスポンジで洗う。洗い流しているうちに、鏡のくもりが気になり始める。でもここにまで手を出したら、仕事に遅れてしまう。

風呂から出ると、歯磨きを始める。理子にも歯ブラシを渡すけれど、自発的に磨くことができない。テレビを見ていれば、消す。そしたらおもちゃで遊び出す。その間ずっと口の中で歯ブラシを弄んでる。だから歯ブラシはすぐにダメになってしまう。
「歯ブラシをくわえたまま歩いちゃだめって何回言ったらわかるんだ!」と叱責している自分が歩きながら磨いているのだから、説得力など少しもない。

8時40分。
自分の着替えが終わる。45分には出かけるモーションに入りたい。
あと5分。その5分で掃除機をかけたい。一番奥の部屋から順に、廊下、トイレ、洗面所、台所、リビング。掃除機をかけたそばから、また違うゴミが、ほこりが顔を出す。
昨日届いた荷物のダンボールを畳んで捨てたい。燃えるゴミは花さんがまとめてくれている。

8時48分。
まだ出かけることができない。理子も玲も靴下を履いていない。そして自分もだった。
僕は玲を保育園に送るために、まずエルゴをつけ、靴を履く。そして玲を抱っこして、上着を羽織る。同時に理子も靴を履いたり上着を着たりするので玄関はもう狭い。保育園の園庭の砂を、理子の靴が玄関まで運んできてしまうため、すぐに埃として溜まってしまう。あと5分あればほうきで掃くのに。

慌てて4人で家をでる。結局8時55分。花さんがゴミを捨てに行ってくれる。「いってらっしゃい」とマンション内で別れる。
抱っこした玲に、話しかけながら、時には歌いかけながら、保育園まで歩いていく。すると後ろの方から「パパー!」と呼ぶ声が聞こえる。理子と花さんが走ってくる。玲は足をバタバタさせて喜んでいる。

横断歩道まで一緒に歩く。理子とは手をつないでいる。信号のないそれを二人が渡りきるまで見届けて、僕と玲と、花さんと理子は、道路を挟んで平行に歩き出す。
「いってらっしゃい、楽しんできてね」と僕は声を張って言う。
そしてまた玲とお話をする。最近は明確に僕のことをパパと呼ぶようになったので、とても嬉しい。

保育園について、先生たちに挨拶して、検温と体に異常がないかのチェックをする。「変わりないです」と言えるありがたみを感じて、先生に玲を委ねる。
靴を履いて、園を出ると、イヤホンをして出勤するために駅へと向かう。

8時12分。
8時19分の電車に乗りたい。だけどそれはもう難しい。

あと5分あればあれをして、あと5分あればこれをして。あと5分。あと5分。
あと5分の集積で、結局なにもしないで終わる。
動き出せば2分で終わって、時間が押してもどこかで辻褄を合わせるのだろう。そんなものなんだろう。




2019年10月2日水曜日

タフなトラベラー


早朝の飛行機に乗るため、前夜はパジャマではなく洋服を子供達には着させた。一通りの準備を済ませると眠りにつく。
カーテンから漏れる光が、天井に独特な模様を作り出していて、そういったものを見るのがだんだんと日課となってもいたのだけど、これでお終いである。


目覚ましを何重にもかけていたのだけど、それよりも少し前に目が覚める。すでに花さんは起きていた。大人たちは言葉少なに準備をした。花さんたちはこれからシンガポールに行くので、それには不要なものを僕が持ち帰ることにした。

支度が終わると、玲さんはすんなり起きて、花さんの抱っこ紐に収納された。そして理子は僕が抱っこして部屋をでた。
スーツケースを持ってフロントで花さんがチェックアウトをする間、理子はソファでぐずっている。無理もないのだけど、こういったぐずりにこれからは花さんが一人で対応していくのかと思うと、タフだなと思わざるをえない。『旅をしている』というのが彼女を奮い立たせるのだろうか。

チェックアウトが済むと、やはりGRABでタクシーを配車した。早朝にもかかわらず、それはすぐに到着した。
運転手はものすごく若い。20代前半くらいの男性だった。車は新車のように清潔で、座席には GRABの文字が刺繍されていた。

車窓から見えるのはやはり建設中の工事現場ばかり。これ以上なにが必要なのだろうか。作ってから考えているのかもしれない。高速道路のようなところをひた走る。この道はパトゥ洞窟に行った時と同じだ。
そんなことを考えながら、花さんと旅を反芻する。マレーシアにはマラッカなど他にもみどころはあるのだけど、今回はクアラルンプールだけにとどまった。理子や玲さんのことを最優先に考えてのプランニングを花さんが組んでいたわけだけど、理子は出かけるということに対してのモチベーションが低い。部屋でYouTubeを見ている方が断然楽しいようだ。それは知らないところに行くのが怖いということなのかもしれない。
プールに行ったりペトロサインスで遊んだりしても、瞬間的には楽しんでいるようだけど、旅行は親についてきているだけ、という感覚なのだと思う。

玲さんもイヤイヤ期が始まっているので、これからの旅行の仕方はどうしていくのか、考えなければいけないのかもしれない。

そんな話を花さんとしていると、空港に到着する。数十分の乗車にもかかわらず、日本のそれと比べるとだいぶ安い料金だった。
まずはANAで僕の手続きを済ませる。4人でカウンターにいるのに、僕だけ搭乗することになるので、係りの人は不思議そうな顔をしていた。
その後、花さんたちはシンガポール行きの搭乗手続きを別の場所で行った。

空港内で店を見ている余裕というのもなく、そそくさと出国手続きを済ませる。荷物チェックなどはかなり適当に思えるほど簡易だった。こんなので大丈夫なのだろうか。
偶然にも僕たちの搭乗口は近く、直前のところまで一緒に行くことができた。マレーシアにやってきたときと同じ電車のようなものに乗る。ついこの前これに乗ってきたような気がするのだけど、と感慨に耽る。

そしてお別れの時はやってくる。外国にいるのにこうやって家族が離れることもあるんだなと不思議だ。理子はちょっと泣いていて、僕も離れるのは嫌だなと思う。そしてこれから数日とはいえ二人の世話をしながら外国で過ごすという花さんに、やっぱりこの人はタフな人だとも思う。

搭乗口で別れる。3人とも楽しんでねと言って後ろ髪を引かれながら歩きだす。少ししてから振り返ってみたけど、理子は泣き止んでいるようだった。花さんがなにか魔法の言葉を言ったのかもしれない。母親は子供を泣き止ませるものを持っている。


僕が乗る飛行機の搭乗口へ行くと、当然のことながら日本人が多くいて、安心した。そしてここでまた身体検査が行われた。今度は丁寧に行われている。
搭乗時間まで待っていると花さんからLINEがくる。それは音声で「パパだいすきだよ」と理子からのメッセージだった。

座席は花さんが気を使ってくれて、3人席の通路側を指定してくれていた。定刻通りに進んで、無事に飛行機は飛び立った。それと同時に僕は眠ってしまったのだけど、30分ほど経った時、凄まじい揺れで目が覚める。気流が悪いらしく、今までに経験したことがないくらいに揺れている。日本人CAさんが説明してくれていたのだけど、機長の指令でCAさんも業務を止めて着席してしまうくらい揺れている。備え付けのモニターで飛行機の運航状況を示す画面にしていたのだけど、どんどん高度を上げていくのがわかった。そしてしばらくするとどうにかこうにか落ち着いた。しかしそんなことが日本に着くまで数回あって、生きた心地がしなかった。
心を落ち着かせようとバラエティコーナーから水曜どうでしょうのヨーロッパリベンジ完結編を見てみたらなんと2話までしかなかった。がっかりして気分が落ちた。

結局それから到着までは寝ることはなかった。


成田は雨が降っていた。窓に雨が当たる。iPhoneの電源を入れるとLINEが届いている。花さんたちが乗った飛行機も無事に到着していたようだ。

その後入国手続きをし、荷物を受け取った。ちょうど時間よく二子玉川行きのバスがあったので、コンビニで納豆巻きとお茶とチョコレートを買って乗り込んだ。バス乗り場で対応していた係りの人は、マレーシア人のように見えた。『世界はつながっている』ということを妙に強く感じた。

4時過ぎにバスに乗る。空は曇っていたけれど、遠くにある建物のてっぺんが見えないということはなかった。マレーシアと比べると日本のほうが空気は澄んでいるようだった。
そして明らかに季節が変わったことを実感した。半袖だとむしろ寒いくらいだ。

結局家に着いたのは7時を過ぎていた。家まで帰る道中、松屋で牛丼の大盛りを買い家で食べることにした。旅の余韻なく、いきなり日常が戻ってきた。家には僕だけしかいないのだけれど。



これを書いているのは10月2日で、花さんは仕事に復帰している。それでもきっと頭の中ではもう次の場所を探して、どこかに旅をし始めているにちがいない。彼女はタフなトラベラーだからである。

2019年9月28日土曜日

あなたの最高の1日はここから


「 YOUR BEST DAY EVER BEINGS HERE」
この旅最後の行き先であるサンウェイ  ラグーンで見かけた看板に書かれていた言葉だ。
旅の大半が理子対応となっている昨今なのだけど、この日訪れたのもその最たる場所だった。動物園や数種類の屋外プールが併設されていて、ホテルやショッピングモールもある。超巨大施設である。
ホテルから GRABで配車したタクシーに乗って数十分。到着するとそこにはバスで乗り付けた団体客や、様々な国籍の人がいた。花さんはネットでチケットをすでに買っていて、オンラインで購入済みのレーンに並んだのだけど、係りの人がなかなか要領を得ない人で、なかなか発券されない。なんのためのオンラインなんだろうかとも思う。

チケットはリストバンドになって、手首に巻いてから入場した。少し汗ばむくらいの陽気になってきて、実にプール日和である。
しばらく歩くと冒頭の言葉に出会った。あなたの最高の1日はここから、みたいなとこだろうか。理子はうきうきが止まらない様子だ。

園内が広すぎて、どこから回ればいいのかよくわからなかったのだけど、動物園からスタートすることになってしまった。とはいえ、日本で見るよりも空いていたのでゆっくりと見ることができたのはよかった。

そしていよいよプールゾーンである。服の下に水着を着込んでいた理子は、ロッカーでの着替えなどをすっ飛ばして一目散にプールへ。花さんも同様だったので、僕は玲さんとパラソルの下で待機することにした。玲さんにも少し疲れがでていたようで、咳がでていたため大事をとってプールはやめることにしたのだった。
だだっぴろい波の出るプールに、客は10人くらいしかいない。しかも大人ばかりだった。まわりには流れるプールもあったのだけど、そこには誰もいなかった。
理子の様子を眺めながら、椅子に座ってまったりしていると、草の茂みからノソノソと大きなトカゲのようなものが歩いてきた。全長は70センチくらいはあったであろうか。動物園が併設されていることもあって、逃げ出したのか、そもそも放し飼いの君なのか、判断がつかなかったけれど、とくにどうすることもしなかった。

ある程度時間が経った頃、花さんと交代した。すぐ近くに子供用の数種類の滑り台があるところを見つけたので、そこに行くことにした。ここも僕らの他には1組の親子しかいなかったので、遊び放題だった。最初は怖がっていたけれど、一度滑ってしまえば楽しさを覚えて、自分から階段を上って行き始めた。あまりにも楽しそうに滑っていくものだから、僕もやってみようと思って登ると監視員に止められた。ちょっと恥ずかしい。

また花さんと交代して、というのを何回か繰り返してから、違うエリアに行くことにした。波の出るプールというよりは、浅瀬の湖のようなところだった。
ビーチチェアを陣取って、また泳ぎに繰り出す理子。

周りを見渡すと先ほどの場所よりも多くの人がいる。そしてこういう場所でも宗教の色が色濃く出るのだなと思ったのだけど、女性は顔以外のほぼ全身を覆った水着を着ていた。それは大人から子供までそうで、セパレートのものを着ている人などごくわずか。おそらく観光客なのであろう。男性はいたって普通の格好である。
そういえば、女性の格好も、ヒシャブで髪を隠す人もいれば、全身真っ黒で目の部分だけ肌が見えている人など様々だった。逆にパッと見で服装に宗教色が現れない人もいた。
肌の色も様々で、インド系の褐色から日本人よりもちょっと濃い、くらいの人までいた。

ペトロサインスの中にも祈祷する部屋があったし、僕たちの泊まっているホテルの天井には、イスラムの聖地を指す矢印が書かれていた。この国の当たり前を考えた時に、日本でこういった人たちは快適に過ごせているのか、ふと疑問に思った。空港には祈祷室があると聞いたことがあるけれど、日常生活レベルで対応できているのか。例えば仕事をしている女性がヒシャブをつけることを許されているのか。全身真っ黒の服を着た人を奇異な目で見たりしてないかなどなど。来年のオリンピックでは『オモテナシ』以前に彼らの普通を用意できているといいのだけど、と思う。


そんなことをぼんやりと考えていると、現地人ふうの男性がスマホで写真を撮ってくれという。彼はどうやら僕の隣のチェアで寝そべっている女性とともに、こっそりと映して欲しいようだった。なんだかあとで変なことに巻き込まれたくないなと思ったし、当然のこととして彼一人をバーストで撮影した。彼にスマホを返すとまんざらでもない顔をしてサンキューと言って仲間のところへ去っていった。ただ本当に撮ってほしかっただけなのかもしれない。

理子が花さんと戻ってくると、ご飯を食べた。理子はバーガーキングである。食事を終えるとすぐに浮き輪を持ってプールへ戻ってプカプカと泳ぐ。すっかりと食事はついでのものである。

散々遊び倒して17時だ。空が明るいのでまだまだいけそうな気もしてしまうのだけど、帰ることにした。やはりここでも GRABの登場である。ここにおいては、 GRABを利用する人向けの、空調つき待合所があった。すっかりと浸透したシステムのようである。
タクシーに乗って最後の車窓を眺めると、やっぱりどこもかしこも何かを建設中である。土地が有り余ってるのか、それともスクラップアンドビルドなのだろうか。経済を回すのに積極的ということなのだろうか。日本はすっかり遅れをとっているんだろうなと思わされる。


ホテルに着いて、一休みしているともう20時である。今日の食事はどうしようか?と花さんが言うので、僕は「もう一度ハッカレストランに行きたい」と言った。もう一度チャーハンを食べたかったのだ。
店に行くと、すでに屋根を開けた状態だった。席に案内されると「ハイチェア?」と聞かれる。理子用に椅子は必要か?というわけだ。お願いすると、なんてことない。大人用の椅子を2つ重ねて高くするという荒技だった。でも確かにテーブルに対してちょうどいい高さになった。
今回は鍋はやめて、チャーハンの他に、青菜炒めと豚の角煮と蒸しパンなどを頼んだ。もちろんビールも注文する。
旅行前に花さんは断乳していたので、アルコールは解禁されている。やはり一人で飲むのではなく花さんと飲む方が楽しい。しかしガラスが空になると注いでくれるのはカールスバーグお姉さんだった。見つけて注ぐまでが素早すぎる。

マレーシアで食べたご飯のなかで、やはりここが一番おいしかった。豚の角煮と蒸しパンのセットは絶品だった。玲さんに至っては、今回はお弁当パックを持たず、ここでの料理を食べてもらった。初めて食べる食材もいくつかあったのだけど、とくに問題なかった。

ホテルに帰ると、荷物の整理をした。翌日は超早朝の4時起きである。そして僕は日本へ、花さんたち3人はシンガポールへと行くことになっている。実に旅に貪欲な妻である。
疲れ切って眠る3人に対して、玲さんはやはりベッドの上を徘徊してしまう。そして最後の最後でベッドから落ちて大号泣してしまった。とりたてて別状はなかったけれど、心臓に悪い出来事だった。

長いながいマレーシア旅行が終わる。


ペトロサインス



知らない土地での生活に、そろそろ疲れが出始めていたのか、朝食後にもなかなか出かけようとしない理子。「楽しいところに行くよ」という言葉だけでの誘いにはもうなかなか乗ってこなくなっている。もう11時近くになっていた。
仕方がないので花さんは理子を抱っこして出かけた。僕は相変わらず玲さんを抱っこしている。
この日はスリアにあるペトロサインスというところへ行った。ざっくりと言えば石油会社が作った科学館のようなところで、その施設の間口からは想像できないくらい中は広かった。エントランスには自社の説明のような区画があって、料金を支払ったあと、中に入るのには丸いトロッコのようなものに乗っていく。
レールに沿って進んでいくと、暗いトンネルの中にジャングルのように草木が茂り、壁のモニターでいろいろなことを説明している。ナレーションが流れているのだけど、言語が理解できないので、勝手な解釈ではあるけれど、マレーシアの自然とペトロナスという石油会社の共存や、マレーシアの発展には我々が必要なんだ、という映像だろう。お金を払ったのにこういう啓蒙のための施設なのか?といぶかってしまうのだけど、そのトロッコを降りてから広がる世界はなかなかのものだった。

電気や宇宙、映像、恐竜、石油の採掘場を再現したような巨大施設。とにかく館内は広い。フロアが変わると全く違う施設に来たような気になる。展示物の説明パネルには現地語と英語と併記されているのだけど、理解はできない。だけど、直感的にどうやって楽しむのかが分かるようなものが多かった。体験型のものが多かったので、施設に入るまではずっと抱っこされていた理子だったけれど、お気に入りのサンダルのヒールをカンカンと響かせながら、あれはなに?これは?と興味深そうに遊んでいた。
僕のお気に入りは宇宙のフロアで、宇宙飛行士が訓練にでも使うような機械を試すことができた。座って手足を固定すると、とにかく360度ぐるぐると勢いよく回り出す。年甲斐もなく「ウワー!!!!」と叫んでしまう。しかし、途中からはこの状況が面白くなってきて笑い出してしまった。とても面白いものだった。
この装置の脇にはもちろん係りの人がいたのだけど、もうそういったリアクションを毎日見ているのであろう、僕のリアクションに対してはまったくの無表情であった。

その他にも、宙吊りになった宇宙服があり、顔のマスクのガラス部分がモニターになっていて、自分の顔写真をそこに移す仕掛けがあったりして。大人も子供も楽しめた。もしかしたら僕の方が楽しんでいたかもしれない。

だんだんと人の数が増えていって、それぞれの遊ぶものに対して群がる人数が当然増えていく。特に採掘場を再現しているエリアは、子供心をくすぐる巨大装置があって、そこにとにかくわんぱくな子供たちが集まっていた。
採掘を模したものなので、カゴのようなものに砂の粒を詰め込む。それを滑車の仕組みでロープで引っ張り、荷を上に運び、中身をあけて、また砂を入れて、というのを延々と繰り返す。
みんなが我も我もとやりたがる。もはや順番や代わり番こという概念が存在していない。言葉がお互いに通じないというのもあるのだろうけれど、これは子供たちに限ったことではなかった。
例えばエレベーターを待つとき、日本だと並ぶという行為が自然発生すると思うのだけど、それがない。思い返してみれば空港で電車に乗ったときもそうだった。
そういったわけで、親たちも子供のことを注意しないし、ただ遠くで見ているだけだった。

世界で負けてしまう日本人の絵を感じざるをえない構造が見えてしまったので、理子には負けるなとハッパをかける。それが良いことなのかは分からないけれど、せっかく自分の番が回ってきたのに易々と譲るなということを言ったわけである。


それぞれのフロアの濃度が濃いため、時間があっという間に過ぎていく。気がつけば2時だった。途中、軽食を食べれるところがあったので、そこでお弁当やドーナツを買って食べた。理子はチョコのかかったドーナツだったのだけど、どういうわけか温めてから渡された。当然チョコレートは溶けていて、口の周りはチョコだらけになってしまった。

施設はまだまだ続く。その後はレーシングカーの原寸大のものや、ゲームセンターにありそうなレーシングゲーム。とにかくありとあらゆるものが揃っていた。個室でのワークショップもある。
しかしその施設の多さに比例して、僕の疲弊度も増していった。10キロ近い玲さんをずっと抱っこして、かがんだり、なんやらしていたことに加えて、冷房の強さがこたえた。そういえばホテルの部屋もクリーニングされた後は空調設定が15度になっていた。なんなんだろう、この国は。


施設の最後の方で、ゲームのシムシティのように、街をつくるシミュレーションゲームがあった。海の近くに原子力発電所を作る、山の方に火力発電所などなんとなくやってみる。最後の最後で石油会社感を出してくるのは流石である。するとモニター内で上司のような女性がプレイヤーである僕に対して罵る。「YOU`RE SUCKED!!」
どうやら僕は街づくりを失敗したようだ。

その後ホテルに戻って休憩する。理子も疲れているはずなのに、こういうときにしか自由に見れないYouTubeを視聴し始める。僕の嫌いなプリンセスのユーチューバーの声をマレーシアで聞くことの悲しみを覚えながら体を休めた。

その後は、やっぱりプールである。もはや疲れることを知らない底なしの理子。僕もそこで飲むビールを励みに奮闘する。プールに併設されたバーカウンターでは、モアビア?と勧められる。サテは?とも。どうやらすっかり飲む人と認定されてしまったようだった。

その後、夕飯はホテルのラウンジで済ませ、またスリアに行き、伊勢丹で買い物をした。お土産らしいものをちゃんと買っていなかったのでそこで探すことにしたのだ。伊勢丹だから、ということもあるのだろうけれど、日本人がいっぱいいて、僕らと同じようにお土産を買い込んでいるようだ。いかにもお土産然としたものよりも、地元民が食べているようなもののほうが面白い。有名だというオールドタウンホワイトコーヒーも買う。

スリアを出て少し街を歩いてみると、CHANELや PRADAの店など、どこか東京の日常で見かける延長線のような街の景色に、自分がどこにいるのか一瞬見失いそうになる。明日で旅も終わって日常へ戻っていくのが不思議な気分である。

旅先での毎日が色濃く終わっていく。

2019年9月25日水曜日

うまがあう食事


朝起きて、窓から景色を眺めると、向かいのホテルのロータリーに黄色いスポーツカーが止まっていた。ボンネットには花束があり、それはちょっと置いておいた、というよりも、飾ってあるように見えた。
ホテルで結婚式でもあるのかもしれない。そんな風に思った。

この日もホテルのラウンジで朝食を食べた。続けて利用しているので、ホテルの人も親しみを込めた挨拶をしてくれた。少し離れた席では関西弁を話す中年のグループがいて、ここは一体どこなんだろうかと思う。

この日はまず洗濯をすることから始まった。4人分もあるので、すぐに洗濯物がたまってしまう。ホテルにも洗濯をしてもらうシステムはあったのだけど、キロ換算ではなく、アイテム数で料金が計算されてしまうので、どうしても値段が高くついてしまう。そういったわけで、イケアの青いバッグに洗濯物を詰め込んで、ホテル近辺にあるコインランドリーに行くことにした。
ホテルを出て、ファッションビル群を通り過ぎる。途中、セブンイレブンに立ち寄り、お茶を買う。シンガポールでお茶を買った時は、甘い紅茶のような味がして、全く求めていた味と違って閉口した、ということがあったのだけど、ここでは「おーいお茶」を買った。味はまぎれもなく「おーいお茶」だった。

歩みを進めていくと、だんだんと景色は雑多になり、華やかさがなくなり、生活臭がするようになっていく。建物は薄汚れていて、道端にはゴミが散らばっている。軒先ではなにやら原色のテントが張られて食べ物を売っている。なんだか異様に強い生命力を感じる。そんな『そちら側』からは、遠くに華やかな高層ビル群が見えるのだけど、今日もヘイズで曇っていた。

調べてあったコインランドリーに着くと、数台の洗濯機が元気よく回っていて、備え付けられていたベンチに座って待っている人の姿が見えた。
店の奥にはカウンターがあって、僕らが中に入って看板を見ていると、係りの人が話しかけてくれた。
話を聞くに、椅子に座って待っている人たちのように、自分でマシンを動かすか、係りの人に全部渡してやってもらうか選ぶことができるらしい。
僕らは係りの人にお願いすることにした。その場で重さが計られて値段を確認。終了時間を教えられるのかと思ったら、ホテルまで配送するサービスもあるという。「なんて素晴らしいシステムなんだ!」と僕らは当然のことのようにそれを利用させてもらった。「畳むか畳まないか」を何ども確認され、「畳まない」と突っぱねる我々だった。

一気に身軽になって、気分がよくなった。

仕事をひとつ終えると、セントラルマーケットに行くことにした。花さんが「 GRAB」というアプリでタクシーを呼ぶ。海外出張時にこれを使い、とても便利だったという。なぜなら、運転手と会話をしなくても確実に目的地に行けるし、直接のお金のやりとりも発生しないからだった。
そんなわけで、ここマレーシアでもそれを使った。設定が済むと、いまどのあたりまで来ているか、地図でわかるのも良い。

車は早々に到着し、乗り込むとそれは新車で、新しい匂いがする。最初の「ハロー」くらいの会話が終わると、すぐに目的地に向かった。無駄はなにもない。

セントラルマーケットは、バザールのようなもので、区分けされた場所に店が並んでいる。ざっくりと言えばお土産屋の集合体であった。
水色で可愛らしい建物の中には入ると、当たり前のように日本語がいろんな方向から聞こえてくる。中にはドクターフィッシュの水槽に足を突っ込むという店があり、そこでは日本人のユーチューバーらしき集団がいて、騒いでいた。トルコでドクターフィッシュをやったことがあったけど、その時見たものよりも3倍くらい体が大きい。

マレーシアのお土産はここで揃うといわれるだけあって、いろんなものが置いてある。バティックやなまこ石鹸、アクセサリー、お菓子。とりわけ花さんや理子が長居していたのは、お土産的ものではなく、地元民が食べていそうな、どちらかといえばスナック菓子の問屋のような店だった。ここでは店員のおじさんがすぐに袋を開けて、試食させてくれていたようだった。サービス精神が旺盛であるがゆえに、財布の紐も緩んでいく、といった感じだ。僕はアクセサリー屋で、祖父母にブレスレットを買った。ずっと前から欲しいと言われていたのだ。
また、別の店では、子供服専門店があり、花さんが値段交渉をして買い物をしていた。言われたままの金額では高いのである。店員も日本人とわかるとふっかけてくるようだ。なぜなら服には値札がついていない。勧めた挙句、買う直前になってもなかなか値段を言わないという徹底ぶりだった。結局いくらかまけることに成功したようで、理子と玲さんの分の2着を買っていた。
しかし全体をざっと見て回って思うのは、なんとなく同じような店が並んでいるように見えてしまうということ。同じようなものを同じように売っているので、なんとなく手に取っても買うまでには至らなかった。

マーケットを出てみると、道に沿って屋台が連なっていた。デザイナーのジミーチュウは
マレーシア出身ということもあって、安い、などという字面を見かけたのだけど、どう考えても偽物だろうという店構えのなかで様々なブランドの革製品が売られていた。そして日本語で「マスター!マスター!」と声をかけられる。

ここにはブランド品以外にもおもちゃなどもあり、アナ雪が目にはいった。似ても似つかない顔のエルサがくるくると踊っている。理子は食いついて見ている。カオスである。
陶器を扱った店があり、ただプリントされた柄の皿といったものたちだったのだけど、その柄や色味が可愛くて買おうかな、とも思ったけど、持ち帰るのが怖いと思って買わなかった。

屋台をぶらぶらと冷やかした後、昼食を食べに行った。マレーシアでチキンライスといえば南香飯店である。いわゆるチャイナタウンの中にあって、実に雑多な街のなかだった。地元民であろう人たちから観光客までもわんさかと人がいたけれど、運良くすんなりと入ることができた。
チキンライスの味を2種類と青菜炒めを頼む。玲さんにはお弁当パックを与えていたのだけど、我々が注文したものが届くや否や、それを食べさせろと「うー!んー!!」と主張した。実際与えてみるとパクパクとよく食べる。マレーシアでの食事にうまがあう玲さん。理子も負けじと食べるので、大人が食べる分がなくなってしまった。それでもその食欲を見ていたら、それでお腹いっぱいになってしまった。

食事を終えると、またGRABでタクシーを手配した。しかしなかなか来なかったので、流しのタクシーを使った。メーターには厳密に何セントという単位で表示されていたけど、値段を払うときになると、セントは端数と見なされたのか、お釣りはくれなかった。そういうものなんだろうか。

大人の買い物で体力を使うことなく過ごした理子は体力が有り余っているために、またホテル内のプールに行く。先日もみた親子がやっぱりいる。このホテルに滞在している以上、そういうものである。
理子と同じくらいの年齢の子が、お父さんと入っていて、我々が近づくとハローと挨拶をしてくれる。子供はどちらも恥ずかしがって隠れてしまうので、「ソーリー。シャイガール」と笑って話した。そんなことが数回繰り返された。

相変わらずのビールを飲み、プールを出る間際、先ほど話しかけられたお父さんに、訛りの強い発音で「どこから来たの?」と聞かれて僕は「ジャパン」と答えた。するとそのお父さんはブラジルから来たのだという。ちょっとした会話だったのだけど、よい国際交流の時間だった。

プールを終えて一休みすると、ホテルに近くにあるハッカレストランへと行った。花さん曰く「高城剛がリコメンドしていた店」とのこと。その店は外観は半屋外で、アジアの雰囲気があり、外国人受けしそうなところだった。僕らが店に入った時は7時を過ぎで、まだポツポツと席が埋まってるくらいのものだった。
注文はマレーシアだけど「鍋」とチャーハン、ビール。屋内ではエアコンが全開で付けられていることが多いので、こういった温かいものに飢えていたのだ。
この店にはどういうわけか、カールスバーグのボディコンシャスな服を着たセクシーなおネエさんがたくさんいて、ビールを飲み干すや否や、即コップに注いでくれた。飲みきってなくても注ぐのでなかなか休まらない。結局のところ瓶をお代わりしてしまったのは彼女たちの働きっぷりによるところなのかもしれない。

鍋は、調理されたものが運ばれてくるのではなく、店員さんが全てをセッティングしてくれた。それぞれの野菜を入れるタイミング、火加減調整など、僕らはすることはなかった。
玲さんはやっぱりチャーハンをいっぱい食べた。ポロポロ落としてはいるものの、食欲は衰えることをしらないようだった。僕らは鍋の温かく優しい味を堪能した。
そんなころ、突如屋根が自動で動き出し、頭上には空が広がった。理子が「ばあばにも見せてあげたいな」などと可愛らしいこと言う。
ほろ酔いで気持ち良く、さらにはこんなサプライズ的な仕掛けがあって、とても気持ちが良い。もしかしたら水にあたってお腹が痛くなるなんて心配もしていたけれど、1歳の玲さんも5歳の理子も我々も健康で過ごせている。とても良い。

すっかり2本目のビールも空いて、カールスバーグお姉さんが次のオーダーを促したけど、
しっかりと断って、会計し店を出た。すっかりもう9時を過ぎている。この日もやっぱり長い1日だ。

2019年9月21日土曜日

長い1日



朝、7時過ぎに目を覚ます。カーテンの隙間からうっすら光が漏れているけれど、7時にしては外はまだ暗そうだ。そっとカーテンの向こうへ潜り込み外を見ると、まだまだ夜だった。日本の冬だって7時半ともなればもう明るいと言っていいと思うのだけど、完全にまだ夜の暗さだ。
旅先で早く起きた時は散歩をするのが常であるのだけど、それをするには暗すぎて怖い。仕方がないのでベッドにまた戻った。

8時を過ぎると、家族が起き出した。その頃にはいくらか外も明るくなり始めていた。
10時に運転手付きのガイドを頼んでいたので、さっさと朝食を摂ることにした。ラウンジに行って昨日と同じテーブルに座ると、ウェイターはどこからともなくベビーチェアを運んできてくれる。
玲さんに、クロワッサンやフライドポテト、オムレツなどを与えてみると、面白いくらいにパクパク食べる。もちろん椅子の下にはポロポロ落としているのだけど、それにしても良い食欲だ。
体調を崩しがちな玲さんなので、旅先での体調不良をもっとも懸念していたのだけど、杞憂だった。安心できるむしゃぶりつきである。
並べられた料理で、チキンスープにビーフンか、ちぢれ麺を入れる料理があった。近くにいるコックに注文してちぢれ麺で食べてみることにした。これが朝食べるには良い味だった。

食後のコーヒーまで堪能して部屋に戻ると出かける準備をした。

マレーシアのことを調べた上で、トイレは結構重要なポイントだった。それは便座の周りが水浸しになっていることが多いということだ。要は、日本のように排泄後のおしりの処理をティッシュでするのではなく、備え付けられているシャワーや置かれているバケツの水を使って洗うので、水浸しになってしまうという。そのためにうすっぺらいサンダルではないほうが賢明であるとのこと。そんなわけで僕は今回サンダルではなく、ナイキのソックダートを履いてきたのだった。
ホテルのトイレにももちろん脇にシャワーが付いていた。僕は郷に入っては剛に従え、というかそうせざるを得ないので、用後、シャワーを使って洗ってみた。ウォシュレットみたいなものである。しかし自分でシャワーヘッドを持って洗うのはなかなか難しかった。ピンポイントで洗うことができず、確かに便座を含めて水浸しになってしまった。
そんな悪戦苦闘ぶりを、なぜかガラス張りになっているバスルームの向こう側で、僕以外の3人が隙間見ており、笑っている。ロールカーテンを閉め切っていなかった。


10時になって、ロビーに降りると、ガイドが待っていた。日本語が話せるということだったのだけど、ちょっとかじってる、くらいで達者ではなかった。
ワンボックスカーに案内されると、別にドライバーがいた。こちらは日本語を理解していない様子。
前もって行先は伝えてあって、早速連れて行ってもらうことにした。
自己紹介的な会話がひと段落すると、僕は気になっていたことを質問した。
「街中にいっぱい国旗があるけど、どうしてですか?」
するとマレーシアの建国記念日に備えて、掲揚しているのだという。それにしても結構な量だった。大小さまざまで、中にはビル全体を覆うほどの大きさのものもあった。
日本で同じように国旗を掲げまくっていたら、ちょっと異様な景色に感じるだろうなとぼんやり思う。
花さんとそんな話をしていると、イギリスに占領されていて独立した過去があるから、国旗を誇示しているのかもねと彼女は言った。
こういう時、学校で習うもので無駄な知識などないのだな、と思う。

そしてまた別の質問をする。
「いつもこういった天気なんですか?」つまりもやもやしているものなのか?という質問だったのだけど、「ヘイズだ」と言った。インドネシアで大規模な森林火災があって、それの影響でもやもやとした天気なのだという。ゆえに街も臭いわけである。学校もクローズしてしまうらしい。そのため、人工的な雨を降らせて対策をしているらしいのだけど、それは天気予報ではわからないことらしかった。
国が陸地で繋がっていると、紛争以外にもいろんなことがあるのね、と改めて思った。


ドライバーは猛スピードで走っていく。そしてシートベルトを二人ともしていなかったのが怖い。
そしてバトゥ洞窟に到着する。山、というか崖のようなところに階段をくりぬいた、といった雰囲気だ。その階段は虹色で色付けられていた。その脇には巨大な立像があり、遠くからでも目に入ってくる。そして観光バスがたくさん並んでいる。道の脇では店が並んでいて、花飾りが目についた。「これは菊で、お供えするためのもの」とガイドさんは教えてくれた。確かに店先で菊の花をむしって作っている姿が見られた。黄色や赤の鮮やかな色が目に入ってくる。

車から降りるとガイドさんがあれこれ説明する。階段は何段あり、それを登ると何があってあれがあって云々カンヌン。この人まさか、ついてきてくれないの?と思った時「私はコノアタリデまってます。往復で40分くらいカカル。子供いるだから」
「おい!ガイドだろお前」とこそ言わなかったけれど、内心毒づいた。

この日、僕が玲さんを抱っこしていたのだけど、階段を上るその一段一段が重い。それに結構な急勾配である。階段を見上げるとその彩色の面白さと、まわりにいる野猿に興味を覚えるけれど、なかなかたどり着かないという事実にげんなりしてしまう。
理子もこんな階段で抱っこをしろと花さんにのたまう。無理無理無理!頑張れ!と鼓舞する私たちだった。

階段を登り終えると鍾乳洞の広い空間があった。そこにも寺院のようなものが建てられ、極彩飾で彩られている。何かを売っているかのようなカウンターがあって、入るのにお金がかかるのかな、といぶかっていると、どうやらそれはお供えするものを売っているらしかった。半裸の僧侶たちがおり、祈祷している。しかし観光客がいっぱい溢れていて、その神聖さが少し薄らいでしまって見える。
洞窟内の高い位置に、スプレーでアルファベットがなにやら書かれているのが目についた。でも英語ではないものが多くて読み解けない。そんな中、一言「 REAL」 と書いてあり、なぜかしばらく見とれてしまった。
天井には部分的にぽっかりあいて、空が見えていた。

しばらくうろうろ見ていたけれど、来た道を戻ることにした。こういうとき下りのほうが
結構怖いものである。それに、猿があちらこちらにいて、それもちょっと怖い。ある女の人はどうやら土産物屋で買った小さな像を猿に取られてしまったらしく、号泣していた。それをあざ笑うかのように、猿は柱にそれをカンカンと打ち付けている。また泣く女性。無念である。

どうにかこうにか階段を下りきると、トイレに行く。このトイレは有料で50セント支払った。それからガイドさんのところへ戻る。彼はなにをするでもなく座ってぼーっとしていた。

次の目的地はピンクモスクだった。それがある地域は、今来たところとは逆方向にあるらしく、また車はスピードを出して飛ばしまくる。
だんだんと雲行きが怪しくなって、とうとう雨が窓に打ち付けるまでとなってしまった。
どうやらこれが人工的な雨によるものらしい。「天気予報ではワカラナイ」と彼は言う。

ピンクモスクは、官庁街にあるようだ。モスク以外の建物を見ると、日本では見られないような構造のものが多いように思う。高いし大きいし、複雑そうである。
車を降りると、傘を借りて中に入る。正門らしきところは人で溢れていたのだけど、ガイドは少し脇にある入り口から入ろうとする。さすがだなと思ったのもつかの間。警備員によって止められてしまった。雨で館内が濡れていて滑って危険だから入れないらしい。
目の前に鮮やかなピンクの建物があるのに、ただただ眺めるだけとなってしまった。しばらく雨が止むのを待っていたのだけど、ついに入ることはできなかった。午前の部が終了してしまったのだ。
そして今回のガイドによる案内はこの2箇所だったため、これにてホテルに戻ることになってしまった。「スミマセン、でも雨だから」と言う。あとで花さんに聞くとこのガイドのために支払ったのは実に2万円だった。ぼられたわけでもないし、落ち度があったわけではないけど、少し腑に落ちなかった。

ホテルに着くと、しっかりと高速代は別料金で取られた。この内容でこれは渋い。渋すぎる。


その後、昼食を食べにパビリオンというビルに行く。食事処を探したのだけど、結局昨日食べたディンタイホンのようなお店に入る。どういうタイミングなのかわからないのだけど、理子がぐずりだした。
食べたいと言ったものを食べないし、飲みたいと言ったメロンジュースも飲まない。さらに追い討ちをかけるように玲さんまでもぐずりだした。花さんは玲さんをなだめるために席を立ち、それによって理子はよりぐずった。少し疲れが出てきたのかもしれない。まだ5歳なのだ。


食事を終えると、ホテルに戻って休憩し、ホテル内にあるプールに行くことにした。思ってたよりも暑くないマレーシアだったので、僕はプールに入るのを若干渋っていたのだけど、理子のもやもやを発散させるためにも必要なことだった。
プールに行くと数人が泳いでいた。水着を服の下に着込んでいたので、早々にインした。
屋外にあるので、プールの水は冷たいのだけど、子供はそんなことは関係なかった。インフィニティプールという、要は建物のきわの部分まで行けるような大人向けのように見えるのだけど、ずいぶんと子供達が楽しんでいる。理子も同様である。
最初は花さんが一緒に入っていて、その後僕も入った。水は冷たい。

浮き輪を使ってゆらゆらしている理子はとても楽しそうだ。そういう姿を見ると嬉しくなる。その後、プールに併設されている簡易的なバーカウンターのようなところで、ビールを飲んだ。近くにいた地元民のような少年たちがサテを食べているのを見て、思わず僕も注文した。バリで食べてとてもはまった料理だ。それを食べながらビールを飲む。なんだかとっても夏休みである。
結局7時近くまでプールに入って遊び倒した。長い1日だった。


2019年9月19日木曜日

もやもやした景色の中で



ホテルに到着するものの、チェックインするには時間が早すぎた。花さんは交渉の末、アーリーチェックインという形でお金をいくらか支払いチェックインすることにした。外語大、ここに極まれりである。
その結果、この時間からクラブラウンジにて軽食を摂ることができた。15階から見下ろすクアラルンプールの景色はやはりもやっとしていた。でも目の前には有名なツインタワーがあり、マレーシアの近代化を示す象徴のようだった。そして周りには、15階にいたとしても見上げてしまうビルが他にもいくつもあったのだった。

部屋に入り、荷ほどきをすると、ベッドの中でしばらくまどろんだ。


その後ホテル近くの KLCC公園へと向かった。ホテルから外に出るには、屋根のついた通路を通って行けた。それを使えば主要なショッピングビルなどへは、直通で行くことができる。熱帯における雨予防の役割もあるのであろう。結果的に今回の旅において、純粋に外に出て歩いたというのはあまりなかったように思う。

街中のど真ん中の公園ではあるけれど、緑が生い茂っている。見たことのない草木、蝶々。平日であるからか、人もそこまで多くない。一画では子供用のいく種類もの遊具があった。子供は誰もいない。貸切状態だった。
公園内にはセキュリティの人が何人もいた。そして、意外とチェックが厳しい。園内には、いわゆるじゃぶじゃぶ池があり、そこには子供が入ることができるのだけど、ルールから逸脱した人を見かけると「ピー!」と笛が鳴り、そこから離れろとジェスチャーする。そんな光景を何度も見た。

気温は思ってたよりも暑くはなかった。とはいえ、少し蒸し蒸しする。そして木が茂るところにいるのに、やっぱり少し臭い。しばらくしてから涼むためにも建物に入ることにした。
スリアというショッピングビルに入る。マレーシアの大きな国旗がそこかしこにかかっている。そういえばタクシーで街中を移動してきた時も多くの国旗を見かけた。マレーシア人は愛国心が強いのだろうか。

ビル内をぶらぶらしていると、レゴの店を見つけてしまう。理子はどういうわけか、自分の興味のある企業ロゴやらFreeWi-Fiのロゴを見つける能力に長けている。そしてここぞとばかりに遊ぶこととなった。レゴがワールドワイドに展開していることを恨んでしまう。どうしてそんなに子供心をキャッチしてしまうんだ!

なんとか店から出ることに成功すると、ディンタイフォンで食事をすることにした。一番最初の食事はマレーシア料理ではなかったが、マレーシアならではだったのは「NO  PORK」ということだ。イスラムの国なのである。
「どうして豚は食べてはいけないの?」
という理子の素朴な疑問に「この国で信じられている神様がそう決めたから」と答えるも、
「どうして?」と続けてくる理子。
「どうしてイスラム教にとって豚はだめなんだっけ?」
素朴な疑問は、答えがないままに自分自身も放置していたツケがこんなところでまわってきた。結局理子の興味は別のところに向かって行ったのでそのままこの会話は流れたのだけど。
食事は6品頼んで160RMちょっと。1RMが28円なので4500円くらい。
日本の同じ店で食べるよりはいくらかは安いけど、思っていたよりも高くつく。

食事を終えるとビル内にある水族館へと行った。なんとなく、雰囲気が品川水族館に似ている気がした。水槽のトンネルを通ると、頭上にはサメが泳いでいて、何層にもなった鋭い牙を覗かせていた。出口付近にはもちろんスーベニアショップがあり、どういうわけか日本語表記のポップがいくつもあった。おもてなしというよりは、商売っ気がありすぎるだろうとも思うが、買っていく客も多いのだろう。

ホテルに戻ると、またクラブラウンジに行った。昼食を遅めに摂ったので、軽い食事にしたいと思ったからだ。
ビジネスマンも多く滞在するらしいこのホテルでは、基本的にラウンジにいつでも入れるようになっているらしい。そして時間によってバイキングで提供されるものが異なった。モーニングやらアフタヌーンティ、夕方を過ぎると、カクテルタイムとなり、お酒も無料で楽しむことができた。イスラムの国ではお酒が高いのでこれは有難かった。
しかし食事をする、というほどのものがあるわけではなく、あくまでおつまみ、軽食だったので、理子はご立腹だった。感情が100パーセント顔と態度に出るわかりやすい子である。
僕らはビールを瓶のままで飲んでいたのだけど、ウェイターに「グラスはいるか?」と聞かれた。その意味を特に考えずに「ノーサンキュー」と言ってしまったのだけど、暗に行儀の悪さを指摘されたのかもしれない。カジュアルスマートというのがドレスコードとして存在していたから、僕のビールの飲み方は屋台向きだったのかもしれない。

その後、部屋に戻り、理子と風呂に入り、長い1日が終わった。
かのように思ったのだけど、なかなかどうして玲さんが寝てくれない。
「枕が違うと眠れないの」というわけではなく、ベッドでの就寝が珍しいからかもしれない。あらかじめベビーベッドを手配してあったのだけど、そこで寝るのは断固拒否だったから、セミダブルを2つつなげたベッドを縦横無尽にローリンローリンする。時折ベッドのつなぎ目にはまって抜けなくなり、また泣いた。寝たかと思ったら僕や花さんの足元あたりにいつの間にかいて、あと少しでベッドから落ちてしまいそうになる、ということが何回もあった。
結局熟睡できずじまいで、1日目を終えることとなった。

知らない国

我が家の本棚の一区画には、旅本コーナーがある。いつ頃だったか今まで本棚になかった、新しい国名が書かれたガイドブックの背表紙を発見する。次に旅する国である。
それはマレーシア。貯まったマイルで行けるところ。アジア圏で、行ったことがなくて、幼い子供が行っても大丈夫そうなところ。他にも該当する国はもちろんあるのだけど、マレーシアに落ち着いた。
9月の3連休に合わせて、夏休みを3日くっつけた。そうして花さんは、旅ブログやガイドブックを駆使して、興味深いところや子供対応しているところをピックアップした。そうやって段取りを組んだ。時折、「ここら辺はどう思う?」などとラインが飛んでくる。長橋家の専属ツアーコンダクターである。
そして、「しおり」が今回も作られ、修正を経た改訂版が出発の数日前に送られてきた。今回はクアラルンプールに絞っての旅である。
満を持して旅への出発だ。

それは平日木曜からスタートした。7時間近くの移動を、睡眠時間に充てるために深夜便という選択である。子供たちにとってはそれが負担が少ないと思われる。当然僕は仕事があるので、花さんたちとは空港で待ち合わせることにした。

花さんは、玲さんを抱っこし、理子を連れて空港まで移動するために、あらかじめスーツケースは配送済みである。今回も抜かりなしだ。
空港へは僕の方が先に着いた。送り預けてあったスーツケースをピックした後、シャワールームを予約した。これはウェブでは予約できないので、直接カウンターで申し込んだ。思えばここを使うのは2度目で、以前はバリへ行く時だった。あの時とは違って今では4人家族である。

しばらくすると、3人がやってきた。「パパー!」と元気よく理子が走り寄ってくる。待ち合わせ場所は到着ロビーだったので、その光景はさながら出張から帰ってきたパパ、それをお迎えする家族たちといったふうだ。

5歳の子供もしっかりと「1人」にカウントされ、シャワールームを使用する。一人当たり1000円くらいで30分。僕は理子を、花さんは玲さんをそれぞれ担当する。同室で2人使用は30分×2となって1時間使うことができたので、花さんに1時間使ってもらった。

シャワーから出ると、チェックインカウンターで荷物を預ける。だいたいいつもそうなのだけど、たっぷりあったはずの時間はいつの間にか枯渇している。ゆっくりと『つるとんたん』で日本での最後の食事を堪能することなど出来ず、モスバーガーで済ませた。
店の近くに設けられた休憩スペースには多くのグループがいて、これからどこかへ飛び立っていくようだ。そういう姿を見ると、こちらも旅に思いを馳せて少しドキドキしてくる。

ささっと食事を済ませると、出国手続きをする。理子のパスポートはまだ赤ん坊の頃に撮った写真が使われているので、係りの人にも少し笑顔が見られる。

搭乗口がだいぶ遠かったので足早に歩いていると、陽気な音楽ともに、カートが近寄ってきて、紳士なおじさまが「乗りませんか?」と声をかけてくれたので、喜んで乗せてもらうことにした。行き交う人を器用に、丁寧に避けておじさまは目的のゲートへと我らを運び届けてくれた。道中、周りの視線が注がれているのがわかる。あまり乗っている人を僕自身も見たことがないから、それもそうだよな、と思うが、人の親切は素直に受け取ったほうが良いようである。実に楽チンであった。

果たして、搭乗口に着くと少し遅れが生じていた。その間にトイレなどを済ませる。周りを見渡すと、僕たちと同じように幼い子供を連れている人たちがそれなりにいることがわかる。みんな考えることは一緒のようである。

子供連れは優先的に手続きをしてくれるので、搭乗時間がくると、すぐに機内に入ることができた。花さんが予約してくれた席は、前が壁になった先頭寄りのところだった。その壁にはベビーベッドをつけられる仕組みになっており、あとでCAさんがつけてくた。
グアムに持っていったジェットキッズはもう我々は手放していた。飛行機に乗っているときこそよかったものの、そのうち遊び始めてしまって荷物になってしまうだけだった。
今回はその代わりに、空気を入れて膨らませるオットマンのようなものを使った。もちろん用意したのは花さんである。

定刻通りに飛行機は発った。11時30分。7時間の旅


少しは想像していたことではあったのだけど、玲さんはベビーベッドでは寝ることはなかった。


クアラルンプール国際空港に到着し、無事に入国することができた。市内に向かうために電車に乗る。切符を発券するとQRコードがついていて、改札でそれを読み取る仕組だった。
車内の周りには日本人のおじさんグループがいた上に、窓からの眺めはどこか懐かしさを感じるような田舎風景で、日本にいるかのような気分だった。玲さんは車内でご飯を食べた。実にたくましく育っている。

市内に着くと、タクシーを拾ってインピアナホテルへと向かった。旅の第一印象はいつも、タクシーから見る風景によって決まると言っても過言ではない。窓の外に広がるクアラルンプールの街は、どこを見回しても高層ビルが建ち並び、なにかしらを建築途中で、大きなクレーン車がいくつもならんでいた。高層ビルの上階はもやっとしていてその輪郭がぼけていた。どことなく空気も臭いように感じる。

『深夜特急』ではマレーシアの街を高層ビルの街として描いていたような記憶があるのだけど、今現在においてもなお、高層ビルを造り続けているこの街は一体どうなってるんだろう?発展の天井がないのだろうか?
シャッターに描かれたグラフィティや行き交う人の姿を目で追いながら、ホテルに到着した。
「ようこそ、インピアナホテルへ」
体の大きなドアマンがホテルの中へ案内してくれる。僕たちの夏休みが始まったのである。


2019年8月11日日曜日

you tube

気がつくと音楽をかけながら何かをしている。大抵がYouTube。便利なもので、ログインしていれば自分の視聴履歴から、「これ、好きでしょ?」という音楽を最上位に表示してくれる。それは最近で言えばZAZEN BOYSである。

僕が洗濯物を干す時、理子に手伝ってもらうことがある。そういう時、やっぱりYouTubeで音楽を聴いている。一昨年はフジファブリックをよく聴いていて、若者のすべてのサビの部分「さいごのーはなびにー」と理子が口ずさむまでとなった。そしてそれを保育園で歌ったらしく若い先生の心をキャッチしたようだった。

いつぞやの金曜日、フジロックが開催されていた。僕はやっぱりYouTubeで配信されていたそれを見ていた。夜、花さんが気を使ってくれて、理子とともに寝室に行った。しかし理子は一度布団に入ったものの、どこか浮ついた金曜日の雰囲気を感じ取ったようで、リビングにやってきた。
しばらく暗い部屋にいたからか、明かりのついたリビングの部屋はまぶしいらしく、目を細めながら部屋に入ってくる。
「まだ寝ないの?」などと言う。数年付き合ってる同棲カップルのようなセリフだ。
「まだ寝ないよ、だって金曜日の夜だもの」と村上小説に出てきそうなセリフを僕も言う。
そして、発泡酒を片手に、キャストでテレビに飛ばしたフジロックを理子と見ている。いつもだったら僕は、一人時間を終わらせて、理子と一緒に寝室に行くところであるけれど、この日はすっかり浮ついた金曜日だったのだ。

そして、これがギターで、ベースで、ドラム、そしてこの人がボーカル、と構成を説明する。世の中にはいろんな仕事があるんだよと教える。
たしかオリジナルラブが演奏していて、 PUNPEEがゲストで入ったタイミングだった。理子がぽつりと「カッコイイ」といった。
よしよし僕の『エイサイキョウイク』の賜物だ。この良さが君にも分かるかね?

ついでだから、僕が最近聴いている ZAZENBOYSを聴かせてみることにする。やみくもに聴かせたところで「何これつまらない違うのがいい」というに決まってるからキャッチーな曲を選ぶ。
アソビタリナーイ
アソビタリナイナイナイナーイ

すると数日後、僕が何かの作業中にこの曲をかけると、頭のギターの音を聴くなり理子は言った。「これ、アソビタリナーイでしょ?」
アソビタリナーイ
アソビタリナイナイナイナーイ
しっかりライブバージョーンでお届けする理子に、僕は次になにを刷り込んでやろうかと、にやにやしながら今日もyou tubeを徘徊するのであった。


2019年7月30日火曜日

姉妹

昨日超えられなかった壁を、ひょいひょいと超えていく人が我が家に二人もいる。
立つことを覚えて、最初はぐらぐらと不器用にしていたけれど、今ではその2本の足をしっかりと直立させている人。今ではその足を前に出すことに積極的だ。
ご飯の量も増え、興味をもつ対象が増え、気になるものを指差すことも覚えた。僕が仕事から帰ると、両手を叩いて喜んでくれる。そんな姿を毎日見れて僕は幸せだ。


少し前まで、食べなかった野菜を食べる。洗濯ものを干すお手伝いをしてくれる時、うまくできなかったハンガーに通すことも、今では僕が直さなくても良いくらい、上手になった。

何気ない会話の中で出てくる言い回しや難しい言葉にハッとする。言いにくいことを言おうとする時、鼻の穴がひくひくする姿。伸びた髪の毛を、手でさっと払う仕草。去年着ていた膝下丈のワンピースが、すりむいた膝の上になっている。お気に入りのワンピースを、昨日着たけど、今日も着たいと泣いて、僕は扇風機の前にそれをくくりつけて干した。


8月に5歳の誕生日を迎えるにあたって、誕生日プレゼントは何がいいの?と聞くと、昨日はりかちゃんのお寿司屋さんセットと言っていた。しかし今日は違っていた。

「誕生日はね、れいちゃん」

タオルを頭にかぶって、それを玲さんは取って「いないいないばあ」をする。ゲラゲラと笑う玲さんと理子。

理子は玲さんのことを好きでいてくれる。ママを奪う許しがたき存在ではない。玲さんは自分の手のひらを、反対の手で指差すと、それを見て理子は「一本橋こーちょこちょ」と遊んであげる。してもらった玲さんは喜んで、その嬉しそうな玲さんを見て理子も喜んでいる。

誕生日はれいちゃん
理子の素直な言葉は、本当にいつも僕の心にほっこりする場所を作ってくれる。


毎日毎日、書き留めておこうと思うことがあるのに、せわしない日常に埋もれていってしまう。とはいえ、そんな日常も幸せの集積。昨日と違う2人の姿を明日もきっと見ることができるだろうと思うと、ついつい寝てしまうのはいつも22時だ。

明日よ早く来い来い。

2019年4月8日月曜日

旅の絶頂

ホテルの外からただならぬ雰囲気がして、ベランダから外を見てみてると、パトカーのライトがくるくるまわって辺りを赤く照らしていた。
そして、パトカーとは別に、大きな車体が現れ、屋根の上の巨大な照明が点けられ、それが海の方に向けられていた。
完全に海で何かあったとわかる状況だった。
その巨大な車は水陸両用なのか、海に入っていった。違うホテルの部屋からも、同じように状況を見守っている人たちが多くいた。
そういった緊迫感のある状況なのに、肝心の現場近くのバーレストランでは陽気な音楽が大音量でかかっており、一種の狂気のようなものが漂っていた。まずその音を止めろと僕は思った。
その後、どういう決着が着いたのかわからないのだけど、車両は去っていき、大音量の音楽も止まって、静かな時間が流れた。

平和そうなグアムにもこういった事が訪れる事を知る。


朝の4時半に目がさめる。もはや特段珍しい事でもない。せっかくだから、ベランダで海を眺めるだけではなく、近くを散歩しようという気持ちになった。
この時間帯は本当にうっすらとだけ明るい程度で、鳥たちもまだ鳴き始めない、まだまだ夜の延長の時間帯だ。

アメリカ本土からかけ離れたところの島とは言え、グアムはアメリカである。いきなり「フリーズ!」と言われるかもしれない恐怖を感じながら、ホテルの外へ行くことにした。初日に夕飯を食べたダイナー付近へ行き、しばらく歩いてみたけれど、特になにもなく、反対方向へ。するといくつか建物があり、それはスーパーマーケットのようだった。建物はどれも1階建ての低層だった。またしばらく歩くと教会があった。ふと、先日あった銃の乱射事件を思い出す。

それから路地を入ってみる。ここを行けば海に出るかな、と思ったのだけど、立ちはだかるのは野犬だった。いや、正確に言えばどこかの飼い犬なのかもしれないけれど、とてつもなくでかい。完全なる部外者の僕の存在はとうの昔に気がついているだろうに、のそのそゆらゆらと歩いている。
正味5メートル程度の幅の、舗装されていない道路。僕は端を歩き、犬とは目を合わさずに歩く。しかし一匹かわしても、奥にはまだまだ犬がいた。それに民家のようなところの軒先に人がいて、こちらを一瞥している。もうこれ以上行かないほうがよさそうな雰囲気だった。
先ほどうまくかわした犬はまだそこにいて、部外者が立ち去るのを待っているかのようだった。
「コケコッコー」と鶏が鳴いて、そろそろ朝が始まりそうだった。


ホテルに戻ると、従業員が国旗を掲揚しているところだった。当然アメリカのものだ。
ホテルの敷地内から海に出る事にした。空は黒から赤みを帯びた青になっていくところだった。そういった状況が目の前で繰り広げられていく。

海の中では3人の男が釣りを楽しんでいた。各々が数十メートル離れているので大声で話をしているのが聞こえた。この人たちは昨夜の事を知らないのだろうか。


部屋に戻るとまだ6時前だった。
しばらくすると玲さんが起き出して、我々の朝が始まった。散歩をしてきたと花さんに話す。「スーパーの方まで行ったよ」というと、「そこは24時間営業で美味しいコーヒーが飲めるらしいよ」と言われた。何事も下調べが重要だなと思った。

この日はホテルではなく、パンケーキの店に行く事にしていた。9時にならないとバスの運行がなかったのでゆっくりと支度をした。玲さんの食事もこの時点で済ませた。
玲さんは場所が変わっても特段体調に変化は見られなかった。しいて言えば便秘ではあったけれど。

9時になると外に出た。最終日もいい天気だ。バスに乗ろうとすると、酔っ払っているかのように陽気な運転手がいた。チケットを見せて降りたい場所をいうと「なんでー?」「どうしてー?」と言う。意味がわからず、このバスでは行かないの?という疑問が生まれたのだけど、なんてことはなかった「ショッピングに行く」というとにっこりして乗せてくれた。ただのグアムジョーク、コミュニケーションだったのだ。
僕らの後に乗りこんだ女性二人組にもそんな風に言っていて、ケタケタ笑っていた。そうしてバスは優しく発進した。
バスに激しく揺られて、タモンというエリアへ。いわゆる中心街であるらしく、車窓からハイブランドの看板が多く目につく。

目当ての店は I HOPというパンケーキ屋だった。僕の辞書に「パンケーキを食べにお店に行く」というのは、まったくない字面である。
店の前には列ができていた。並んでいるのはいずれも日本人だったのだけど、店の中には欧米人も多くいた。

我々も席に案内されて、テーブルに着くと陽気な店員に接客された。どこでも玲さんは人気者である。
メニューを見て、僕はパンケーキと目玉焼き、それにハッシュドポテトが載ったプレートを、花さんはベリー系のパンケーキを注文した。大人のドリンクは『 NEVER EMPTY COFFEE』。おかわりができるから空にならないということらしい。言葉遊びが素敵なメニューだった。

いざ料理が到着すると、見た目のボリュームに圧倒されてしまうところなのだけど、意外と食べきることができた。美味しかったのだけど、パンケーキにものすごく期待値を高くしていた僕にしてみると、こんなもんか、と思うような味ではあった。
後ろの席にいたのも日本人グループで、その中の子供が「パンケーキ食べたい!パンケーキ食べたい」とどこかで聞いたことのあるフレーズを口にしていた。グアムでも真似されていればその芸人も満足であろう。

バスに乗って、今度はマイクロネシアモールへ移動する。大人のショッピングタイムである。理子は相変わらず服屋に入るのが嫌いなので、僕は玲さんを抱っこしつつ、おもちゃ売り場へと行った。日本のおもちゃと違ってとても大きくてカラフルだ。理子はペッパピッグのぬいぐるみを見つけると嬉しそうに手に取り、もう離すまじ、といった風だ。最初僕は買うつもりはなかったのだけど、自分のものも特に買っていないし、最終日だし、理子にもいい思い出を残してあげようと思って買う事にした。そうしたら理子は買ってもらえるとは全く思っていなかったようでたいそう喜んでいた。
店員に玲さんの月齢を聞かれたので、8ヶ月と答えると「ビッグ!」と驚かれた。

花さんと合流すると、彼女は理子と玲さん用の服をいくつか持っていた。収穫があったようだ。僕もメンズコーナーを見てみたのだけど、全く触手が伸びない。他にも一人でフットロッカーなど、アメリカならではの靴屋にも行ってみたのだけど、買い物の神様はグアムでは結局降臨することはなかった。


その後、モール内を散策すると、中高生によるグループステージショーのようなものがやっていて、ダンスをしたりピアノ演奏を披露していた。こういったローカルなものに触れられたのはなかなかよかった。モールを一通り見た後、ホテルに戻った。


ホテルに戻ると、しばらく休憩をしたのちホテル内のプールに行った。理子はもう流れるプールには行きたくないらしい。花さんはコインランドリーで洗濯をしに行ったり、玲さんの離乳食を調達しに買い物へでかけた。

プールは入る時ひんやりと冷たかっただけどそのうち慣れた。理子は、キャーキャー言いながらその冷たさすら楽しんでいるようだ。ただのプールなので、理子は浮き輪でぷかぷか浮いてるくらいのものなのだけど、深さの違う2種類のプールを行ったり来たりしているのが十分に楽しいらしい。
たまに海の方へと行ってみたのだけど、やはりサンダルに砂が入るのがとても嫌らしく、そうそうにプールへと舞い戻った。

そうこうしているうちにだんだんと日が陰ってきた。花さんもやってきて、選手交代。僕は玲さんをあやしながらデッキに寝そべった。
今日が終われば明日の早朝に帰国する。あっという間の旅を反芻した。玲さんが産まれて初めての海外旅行は、どうやら順調に終わる。花さんが計画してくれた行程の3分の1くらいしか消化できなかったけれど、それも織り込み済みの計画であろう。子供は予想外のことを発生させるし、海外である、というだけでトラブルも発生しやすい。生後8ヶ月の子供と4歳の子供が無事に過ごせたというので十分に思えた。

日も暮れ、我々は部屋に戻り、僕は買ってあったビールを飲んだ。


夕飯はアウトレット内にあるチャッキーチーズという店に行った。この店はレストランとゲームセンターが一緒になっていて、料理を注文する際、ゲームで使用するコインも同時に購入するシステムらしい。そのゲームで得たポイントを合算して、最終的にはおもちゃと交換できる。入場する際、特殊なハンコを手に押される。子供の数と大人の数が入退場の際一緒であることを確かめるためのものらしい。なんともアメリカ的というのか、誘拐予防なわけである。

理子はプールで遊び疲れ、眠さも伴って不機嫌極まりなかったのだけど、このゲーム機たちから発せられる楽しげな音楽に、目の色を次第に変えていった。ここはどうやら楽しいところだ!と全身で感じ取ったらしい。
といっても理子が好きなのは体を動かすもので、厳密に言えばゲームではなくアスレチックのものなのだけど、生きた屍みたいだったのが見事に復活した。
律儀に靴を脱ぎ揃え、日本人らしさを垣間見せながら遊び始める。軀体の大きな外国の子供たちに負けじと登ったり、這いつくばったり、滑ったりを繰り返した。
注文していたピザは、もはや理子にはなんの魅力もないもののようで、数切れ食べるとまた遊び場へと戻っていった。僕は玲さんとともにテーブルに残り、残ったピザを食べた。
周りのテーブルには欧米人が数多くいて、誕生日会をしているグループもいた。ここの住民たちの憩いの場であるようだ。
花さんと理子はしばらく戻ってこなかった。それだけ楽しんでいるということだろう。

しばらくすると、コインを全て使い切ったようで、ゲームで得たポイントのチケットを大量に持っていた。カウンターでそれをおもちゃと交換してもらう。遊び倒した1日が終わろうとしている。


バスでホテルに戻ると、花さんはフロントで翌日のタクシーの配車を頼んでいた。本当にぬかりなくことを進めてくれる。
部屋に戻り、玲さんをお風呂に入れる。日に焼けた肌が痛いのか、泣き叫んでいた。
翌日は4時半に起きなくてはならず、僕はアラームを4時25分、4時30分、4時32分にセットした。大人たちは帰り支度を済ませ、そうそうに寝床についた。

ぐーぐーぐー
すーすーすー
ぐーぐーぐー
「それりこのー」

3人分の寝息が聞こえる中、理子が寝言をクリアな声で言っている。
いつもの夜である。


早朝に起きるにはもはや苦でもなんでもない。なんならアラームよりも早く目が覚めた。
アラームを切り、静かに支度をスタートさせる。花さんも起きて、7時35分発の飛行機に乗るために、テキパキと旅をクローズしていく。
玲さんを花さんが抱っこし、理子を僕が抱っこすることにした。

僕らを乗せたタクシーの運転手は若い女性だった。車内に花が飾られたりしていて、なんだか珍しかった。
空港までの道は混んでもなくて、あっという間に到着した。荷物を預けるカウンターではアロハシャツを着た陽気な人がテキパキと作業をしていたのだけど、その後の出来事はそれとはほど遠かった。
朝食も食べていなかったので早めに中に入ろうと、保安検査場へ行くと、長蛇の列ができていた。まだ朝の5時台である。世界各国の人たちがイライラした表情で、まったく進まない列の先の方を見ている。見た目で2つの列があるのだけど、それもどういった列なのか皆目見当がつかない。でも保安検査場があるからここから入っていくには違いない。
とりあえず並んでは見たものの、一向に進まない。アロハシャツを着た職員に向かって誰かが何かを尋ねても、とにかくこのレーンに並べというだけでなんの解決にもならないというシーンが何回も繰り広げられた。先ほどまで陽気に見えていたアロハシャツは、ただの仕事のできない人に見え始めた。
優先レーンも存在しているようだったのだけど、それもうまく機能していないようだ。判を押す職員は一人しかおらず、時間はかかる一方だった。

そして、一組の中年外国人夫婦の焦りは今にも噴火しそうな山そのもので、あと20分で出発なのだ!と訴えていた。傍目から見てもこの状況はまずいだろうと思うのだけど、職員はなにもしようとしなかった。その職員にはなにも権限がないだけかもしれないけれど。
しまいにはその夫婦は僕らの後ろに並んでいた日本人に英語で話しかけ、言葉は悪いが横入りをした。しかしそこに割り込んだとしても、それが無意味なくらい先は混んでいた。
ついに搭乗締め切り時刻になってもまだ出国手続きに至ることができないという事態に陥っている人たちが多く現れた。
その波は日本人客たちにも当然やってきて、不安な表情を浮かべたままあと10分なんだけど、どうなってるの?と不満を募らせていく。近くにいる日本人を見つけては「そちらは何時発ですか?」という質問が繰り返されていた。
結局どこかの日本人職員のような人がやってきて、「何分発の東京行きの人いますか?」と聞くといたるところで手が上がり、こんなにたくさんまずい状況の人がいたのか、と驚いた。その人たちは別のレーンに通され、奥へと消えていった。僕たちは福岡行きだったので、まだ時間があるといえばあったのだけど、列が進んでいかないことには変わりなかった。
そのうち権限をもってそうな職員が現れ次々と都市名を挙げていく。「ホノルル!ホノルル!」というと、どこそこで手が上がり、奥へと消えていった。

しばらくすると、いよいよ僕らも危ういという時刻になった。結局今まで並んでいた意味は、まったくないのだけど、別のレーンに移動となり、出国手続きをした頃にはアナウンスで「ナガハシ〜」と呼ばれるはめとなった。
免税店はおろか、ちょっとした軽食を買う時間もない。旅の最後の最後でのこのアクシデントはスパイスが効きすぎている。
名前をアナウンスされるくらい遅かったので、他の乗客の多くはもう席に着いていて、哀れみの顔を浮かべられた。
理子は昨日の疲れもあるし、早朝から起こされたため、離陸するとほどなくして、ペッパピッグのぬいぐるみを枕にして寝た。



福岡空港に到着すると、荷物をピックし、国内線に乗り換える。再度荷物を預けるのには、無人の機械で行われていた。
昼食は空港内のラーメンを食べることにした。福岡なのに、北海道ラーメンを食べるというのには理由がある。カウンター席ではなくテーブル席があったからである。
数日ぶりの日本食、といってもラーメンだけど、それはとてもおいしい。その証拠に、キッズサイズとはいえ理子も完食したほどである。
僕はビールも飲み、無事の帰国を祝った。

羽田行きの飛行機に乗り換えると、離陸も間もなく僕たちは眠りについてしまった。

羽田に無事に到着すると、どうやら少しひんやりとしている。出発した日は稀に見る暖かさのため上着は持っていなかったし、花さんや理子に至っては靴下は履いているけどサンダルだった。とはいえリムジンバスに乗ってしまえば特に関係はないのだけど。

バスに乗ると、さすがに疲労がたまってきたのか、玲さんはぐずりだし、花さんがこっそり授乳をしても泣きやまなかった。いつも混む二子玉の道に入るとピークを迎え、立って抱っこしてあやした。
二子玉に着くと、理子も疲れがマックスか、と思いきやレゴのイベントが行なわれているのを発見すると、目がキラキラしだし、そのうえ、保育園のお友達一家と遭遇したら、テンションがこの旅一番のマックスに達していた。現地では数回しか見せなかった大きな笑顔が、乱発されている。
飛び跳ね、奇声をあげている。友達には勝てないな、と思った。
結局イベント終了までいたのだけど、周りではダウンを着ている人たちもいる中、理子は鼻水を垂らしながら着ていたカーディガンすら脱いで半袖姿だった。

その後、我々は電車に乗って帰った。旅が終わると日常が待っている。でもそれも愛おしい生活には変わりない。
次の旅はどこへ?
本棚にはどこの都市のガイドブックが足されるのだろうか。

2019年4月1日月曜日

SHOPPING

海を離れ、ホテルに戻ると一休みをして、アウトレットへと向かった。これももちろんバスに乗っていく。
目的の店はロスドレスフォーレス。掘り出し物がいっぱいあるらしい。
ガタガタ揺れるバスに乗ってしばらくすると、グアムプレミアアウトレットに到着した。日本でいえばイオンモールくらいの大きさであろうか。
中には、カルバンクラインや、スニーカーショップがたくさん入っているようだった。しかし夕方前くらいに店に着いたので、あまり時間もない。目的の店をとりあえず覗いてみることにした。このロスドレスフォーレスという店は、とてつもなく広いし、雑多に様々なものが積まれていた。
レディース、メンズと区画で分かれているものの、凄まじい量感で、通路に商品が落ちていてもお構いなし。それに商品自体にもべったりと値段のシールが貼られていて、実にアメリカンで大胆なディスカウントショップだった。

僕たちは今回の旅であえてWi-Fiは持って行かなかったので、時間で区切って、入り口で待ち合わせをした。最初、理子は花さんと一緒にいたので、僕は一人でメンズのコーナーを流し見ていた。聞いたことのないブランドに混じってアディダスやナイキがいっぱいあった。中には日本でも見かける種類のスニーカーもあったし、服のラックにはリーバイスのジーンズなどもあった。しかしながら、この量感を見ているだけでお腹いっぱいになってしまい、早々に花さんたちと合流した。

理子はおもちゃ売り場で、ラプンツェルを手に入れていた。
それからは僕は理子とともに行動した。しかし店はとても広かった。服や靴以外にも、現地の人たち向けであろう日用品も売っていた。
そのうち理子がまた「おしっこ」というので店を出てトイレを探した。理子のこの告白がどの程度の緊急性をもっているのかが分かりかねるので、抱っこをして駆け回った。一度外に出てみて店内図を探してみたりしたのだけど、とにかく広いモール内を駆け回った。

ようやく見つけて個室に入り、事なきを得たのだけど、今度はまた店に戻って花さんたちを探さなくてはならない。僕は理子を肩車して、高い位置から探してもらう事にした。そして理子に「はなさーんって言って」とお願いした。「ママ」だとそこらじゅうにいるママと変わらないからである。
店内を歩き回ってみていると、レジに向かって長蛇の列ができていた。100メートル以上の長さはあったのではなかろうか。意外とグアムの人たちは辛抱強いのだろうか。

そのうち花さんを見つける事ができて、カートを覗いてみるとラグアンドボーンのサンダルを発掘していた。長蛇の列の事を花さんに告げると、並びながら理子を見ててくれるというので、僕は他の店を見る事にした。
カルバンクラインに入ると、ラフシモンズがデザインしたものがラックにかかっていた。試着してみたのだけど、僕にはタイトすぎて似合わなかった。それよりも試着室の鍵が電子式であることのほうが驚いた。

その他にもちらほらと見てみたのだけど、買うまでには至らなかった。僕はそれまで、ホテルの売店でしか財布を開いてなかった。


店に戻ると、ちょうど買い物を終えて出てくるところだった。
理子はお腹が減ったというので、フードコートに行く事にした。
日本語でメニューがでかでかと書かれている店もあるし、日本語をまるで解せないと言った雰囲気の店も当然あった。
店員と日本語でのコミュニケーションができるのかといえば、僕の肌感覚でいえばそうでもなかった。当然英語で聞かれるし、答えなくてはならないので、僕はひよって日本語のメニューが書かれた店で、「味噌ラーメン」とコーラを頼んだ。
しかしこれは美味しいとは言えない代物だった。注文が難しくても頑張って現地の人が食べていそうなものをトライしてみればよかった。
花さんといえば、店員とコミュニケーションをとって食べたいものを食べられたようだ。
語学は本当に重要だよなと思う。


8時を過ぎた頃、ホテルへと戻り、僕は売店でビールを2本買った。
あと1日で旅も終わる。余韻に浸りながら僕は喉を鳴らしながらビールを飲み干した。





2019年3月30日土曜日

BEACH

朝5時に目を覚ました。ベランダに出ると、月が高いところで煌々と光っていて、海に道筋を作っていた。水面でそれがゆらゆらしている。
月は大きな雲に覆われて隠れたり、またひょっこりと顔を出している。
しばらくは上半身裸で外に出ていたけれど、薄ら寒くて服を着た。南国といえど、そういうものらしい。
ニワトリがコケコッコーと元気よく鳴いている。しかしまだ朝はなかなか始まろうとはしていないように思う。
そう思っていたら、空がだんだんもやもやしてきて、雨が降り、しばらくするとまた止んだ。
先ほどまでは空に溶けていた山の輪郭が、くっきりと浮かんできた。太陽はどこから登るのだろう。

6時を回ると、空全体が明るくなってきた。遠くの方に強い光が見えて、星が瞬いているのかと思ったら、ゆっくり移動していた。どうやら飛行機だった。観光地には早朝から飛行機がやってくるようだ。
ニワトリ以外にも鳥の鳴き声が増えてきて、グアムの朝がどうやら始まり出し、我々も活動を開始することにした。理子は去年も着ていたお気に入りのワンピース姿だった。

前日の反省を活かして、早めに朝食を食べにバイキングへと行く。種類は豊富だった。日系のホテルらしく納豆やごはんなどがあったので、理子にはそれを与えた。しかし、いわゆる納豆のタレがなく、醤油で味付けしたのが嫌だったらしく、あまり手をつけなかった。難しい年頃である。

花さんはグアムを周遊するバスのチケットをネットで予約していて、ホテル内にあるHISのブースでそれを受け取った。いたるところにバス停があり、3日間乗り放題だった。バスはホテルにももちろん停車するため、これが本当に便利だった。ぬかりない花さんの活躍によって、我々は目的地へと向かった。

グアムの道が悪いのか、バスの性能の問題なのか、乗っているとガタガタとかなり揺れた。それにどういうわけか、座席は日本の一般的なそれとは違って、窓際に一列に並んでいるため、停車するたびに進行方向に、つんのめってしまう。

朝方の雨が嘘のようにいい天気だった。バスの車窓から眺める景色はどれも新鮮だ。いわゆるアメリカンハウスはモダンに見えたし、木々の緑はとても強く、南国を感じるものだった。しかしながら至るところに日本語の看板があった。よほど日本人がたくさん来るようである。

イパオビーチ近くの停留所で下りて、海岸まで歩いた。基本的に日陰などなく、照りつける太陽が肌に痛い。
僕が玲さんを抱っこしていたのだけど、理子も歩くのを拒否し、結局花さんが抱っこしていた。

海岸に近いところにだだっ広い公園があり、滑り台などの遊具があったけど、日差しで座面が熱くて遊ぶことはできなかった。すると理子は「おしっこ」と言った。唐突にやってくる子供の尿意。
土地勘のないところでのその意思表示は大人を困惑させる。その広場において建物っぽいそれを探して歩く。近づいてみると、全く関係のない建物で、右往左往。すると、少し離れたところにいたおじさんが、身振りであっちに行けという。思いっきりカタカナで「トイレ?」と聞くと頷いていたので、そちらに行くと本当にあった。
助かった。

気を取り直して、海辺へと行くと、ホテル前の海岸とはまた質が違って、かなり綺麗だった。まばらに人がいる程度で、特に混雑しているわけでもない。気持ちのいい場所だった。
我々は11時に、そのビーチ近くのレストランを予約していたので、一旦そちらに向かった。
プロアという名前のその店に着くと、まだ開店していなかったけれど、続々と客が集まってきた。その人たちはみんな日本人だった。
店が開くと、我々は窓辺のいい席に案内された。照明や、壁面の色の趣味がとても良い。
一押しメニューのバーベキューとシーザーサラダ、それと理子用のキッズメニューを注文する。

これがこの旅で一番の美味であった。
スペアリブを口に頬張った瞬間に広がる旨味は飛び抜けていた。「うまい!」と何度も口ずさんだ。
シーザーサラダというと、全く想像と違った形状をしていた。いわゆるクルトンにあたるものが、一つの筒状のクッキーのようになっていて、その中にドレッシングで味付けされたレタスの房が入っている。
「なんじゃこりゃ」と食べ進んでいったのだけど、これは完食できないほどの量だった。

理子といえば、ミートボールが日本で食べるようなものではないと嘆き悲しみ、パスタもあまり食べずに終わってしまった。子供を楽しませるためのメニューを選ぶのはなかなか難しい。

我々が店を出る頃には全ての席が埋まっていた。超人気店だった。


お腹がいっぱいになったところで、海に行くことにする。木陰にレジャーシートを敷き、水着になる。
理子は待ってましたと言わんばかりにささっと支度をし、海に駆け寄る。ここも波は遠くにあるので安心して遊ばせることができた。
砂浜をよくよく見ると、貝殻やサンゴが細かくなったもので形成されているようだった。だから裸足で歩くと痛い。
この日のために、水中を見ることができる筒状のスコープを持参していたので、それで観察することにした。
理子は魚が見えたと言って喜んでいた。

ときおり花さんと交代した。僕はサンダルを脱いでシートにあがると、サンダルのストラップに沿って真っ赤に日焼けしていた。新婚旅行でトルコに行ったときと同じサンダルを履いていたのだけど、当時も同じように日焼けしていて、それがおかしかった。

玲さんをしばらく抱っこしていると眠りについた。実に穏やかで平和な時間だった。
ふと、遠くの方をみると、ウエディングドレスを着た人がいて、海をバックに写真撮影をしていた。ここに来るまでは、なんでわざわざ外国にきてそんなことするんだろう、と斜に構えた考えをしていたのだけど、実際にこういう場所であることを知ると、気持ちがわからないでもない。圧倒的な絶景だからである。
自分がリゾートの魅力を知らなかっただけだった。


理子がこちらには目もくれず、海辺ではしゃいでいる。何をするわけでもなく楽しい、という最高の時間を過ごしているようだ。
僕もそんな姿を遠くから見ているだけで、気持ち良く時間を過ごせた。


まだまだ遊び足りない、と言った理子をなだめ、ホテルに帰ることにする。
理子はだんだんと不機嫌になってくる。それは単純にまだ遊びたいからというわけではなく、睡魔が襲ってきたからである。行きの反省を踏まえ、玲さんを花さんに抱っこしてもらう。電池が切れかかってる理子は僕が抱っこした。歩かなくてもいいと分かると、元気が出てくる理子。しばらくは僕の腕の中で暴れていたのだけど、しばらくするとすーっと電池が切れた。

「パチン スイッチオフ」

子供にも魅力的なグアムであった。








U.S.A! U.S.A!

到着したグアム空港では、入国のための長蛇の列ができていた。ぱっと見では圧倒的に日本人が多かったが、もちろんそれ以外も多くいるようだった。テープで仕切られた通路に、くねくねと曲がりながらとにかくたくさんの人が並んでいる。飛行機の中同様に子供がわんさかいる。そして時刻は2時近く。当然眠い時間帯である。お父さんによって抱きかかえられている子供たちが多いなか、どういうわけか理子は元気であった。

兎にも角にもまったく進まない列。今までの海外渡航で(両手で数えられる程度だけど)記憶にないくらい並んでいる。これがアメリカに入国するってことか、などど思った。子供連れを優先してくれる国もあったけど、今の状況でいえば、そんな組ばかりなわけで、どちらにしても待つしかなかった。


ようやく入国審査をパスして荷物をピックすると外に出た。しっとりと暖かかった。タクシー乗り場にはボッタクリ防止のためなのか、どこそこまでは幾ら、といった看板がある。
『オンワードビーチリゾート』というホテルが我々が宿泊するところだった。それを告げると、日本よりも大きめな車が動きだす。
当然真っ暗なので景色など見れないけれど運転手は「ビューティフルアイランド」だと言った。
空港からホテルまではあっという間に着いた。ホテルにチェックインし、部屋に入るととても広かった。早速窓を開けてみると、目の前が漆黒の海だった。波の音は聞こえなかったけれど、月の光が海面をゆらゆらと照らし、白い道を作っていた。
これはもう綺麗に違いないと確信させるものだった。
時刻はもう3時近く。我々は広い2つのベッドで寝た。


9時近くに目を覚ました。分厚いカーテンは全てを遮光していて、部屋は真っ暗だったので外の様子は全くわからない。寝ぼけ眼でベランダに出てみると、今までに見たことのない綺麗な色の海が広がっている。エメラルドグリーンと深い青とが混じり合い、遠くのほうで白い波が立っている。遠浅のようだ。少し先には小さな島がある。泳ぎが得意な人はすぐに着いてしまいそうな距離だ。
まだまだ朝なのに、既に海ではモーターボートを楽しむ人がいて、ホテルのプールでは子供達の声が響いていた。

僕らはまずホテルで朝食を食べることにした。閉まってしまうまであと1時間を大きく切っていたのだった。
バイキングのホールに行くと、家族づれが多くいた。そして、とにかく日本人ばかりだった。ホテルが日系だから、ということももちろんけれど、欧米人の姿はほぼなかった。
ホールで働く人たちはおそらくチャモロ人で、どちらかといえば東南アジアよりのように見える彼らは人懐っこそうな顔立ちをしていた。
腕にびっしりと刺青が入っているお兄さんが、玲さんを見つけると優しく微笑み、声をかけてくれた。
ご飯を食べられる時間はあまりなかったので、さっさと見繕って食べることにした。特にすごく美味しいというわけでもなかったけど、素晴らしい景色を見ながら食べるので、十分であった。
玲さんのご飯をお湯で温めて食べさせていると、タイムアップ。閉店となった。

部屋に戻ると、早速着替えをし、しっかりと日焼け止めを塗った。理子は水着のまま駆け出しそうだったので、なだめてズボンを履かせた。ホテル内は当然水着で歩いてはならないのだ。
ウォーターパークという、アトラクション系のあるほうのプールに行くと、流れるプールや、ウォータースライダーがあった。
ビーチパラソルのあるロッキングチェアはもう既に使用されていた。大人気である。
屋根のある売店の、テーブルを確保して、陣取った。理子は早速シャワーの流れる浅瀬のプールで遊び、滑り台を何回も往復して楽しんでいた。そして流れるプールに、自前の浮き輪を持って、花さんと入っていった。僕は玲さんを抱っこして、このグアムの日差しや、僕の目の前を通り過ぎていく黒いニワトリなどの、目新しいものを見て楽しんでいた。
うっかりドルを丸ごと部屋に置いてきてしまったため、売店でビールやらなにやら買うことができなかった。

ひとしきり楽しんだ二人は、テーブルにやってきて少し休憩をして、また理子はプールに舞い戻っていく。今度は花さんと交代して僕も流れるプールに入る。どこからともなく流れてくる浮き輪の一つを浸かってゆらゆら流れる。こんな風にプールに入るのは何年ぶりのことだろうか。中学生以来といっても過言ではない。

お昼をだいぶまわった頃、花さんが売店でご飯を買ってきてくれた。本当はアウトレットに行ってそこでご飯を食べる予定だったのだけど、理子はここから離れることを断固拒否したのだ。
僕はご飯のついでにLITEと書かれたビールを飲んだ。この状況で飲むそれが美味しくないわけはなかった。

花さんと交代したりして、ひとしきりプールを楽しむと、いい加減出よう、ということになった。花さんは先に着替えに戻り、僕は玲さんを抱っこしてテーブルから理子を見ていた。すぐそこの浅瀬にある滑り台で遊んでいたかと思ったら、いきなり流れるプールの方へ行った。しばらくプールサイドから眺めていただけだったのに、浮き輪を持って着水した。僕は全身の血の気が引いてすぐに駆け寄った。僕が慌てふためく姿を、理子はにやにやして最初は楽しんでいた。浮き輪に入っているので、溺れたわけではないので、まだ余裕があったのだ。
しかし僕が階段を下りて理子を捕まえようとしても捕まえることができず、理子が流れていってしまったとき、その状況にびっくりしたのか泣き始めた。当然のことだ。僕の焦りも半端なかった。プールは意外と深く、抱っこ紐で玲さんを抱えたままだと玲さんも溺れてしまう。
運よく日本人の人がその状況を見て助けてくれた。本当に助かった。何度もその人にはお礼を言って、理子にはきつく怒ったし、自分自身も戒めた。
水辺においては絶対安心なんてことはなにもなかった。

花さんが戻ってきて、ことの顛末を話すと、理子はまた泣き出した。そうして部屋に戻って休むことにした。


部屋から眺める景色が綺麗だと、なにもしてなくても居心地の良い時間が過ぎていく。うつらうつらとベッドで横になっていると、いつの間にか寝てしまった。


夕方過ぎ、辺りがもう真っ暗になったころ、ホテル近くのダイナーでご飯を食べた。ザッツアメリカン。地元民もツーリストも集まるいい店だった。メニューにはガツンと肉、肉、肉が並ぶ。ステーキの塊と炒めた肉の2種、それにチキンライスがどっさりと盛られたプレートと、巨大なクラブサンドを注文した。ビールはどういうわけかアサヒだった。そういえばテーブルには「YAMASA」と書かれた醤油が置かれていた。

理子は昼間の出来事のせいか、あまり料理を口にしようとしなかった。無理もないと思いつつ、僕はがっつりとそれらを食べる。旅先でカロリーを気にしてどうするのだと言い聞かせてズボンのベルトをこっそりと緩めるのだった。
店員は気さくに話しかけてくれ、特に玲さんをあやしてくれた。どっさり盛られた料理を、最初は食べきれないかと思ったけど、結局は全部食べきれた。


店を出る頃には理子の機嫌も直っていた。そして「明日は海に行くよ」と花さんと楽しそうに話をしている。旅はまだまだ始まったばかりだ。

2019年3月28日木曜日

旅の始まり

この世の中には、カードで支払いをすると、マイルというご褒美がもらえるシステムがあるらしい。旅好きである花さんがこれを知ってからは、錬金術士のごとくであった。家庭内における出費という出費はカードを通してされた。スーパーでのちょっとした買い物も、カードで行われた。
そしてある日こう言った。「グアムまで家族で行くぶんのマイルが貯まった」と。
まさに塵も積もればグアム旅行である。錬金術士の努力の賜物であった。

それからというもの、やはり我が家の本棚には、『グアム』とタイトルのついたガイドブックが並んだ。そして花さんはそれを家事の合間に楽しそうに眺めているのであった。または旅のブログ、特に子連れで旅をした人の体験記などを読みふけていた。
それをもとに、旅のしおりが練られ、PDFになって私のGmailに添付されて送られてくるのだ。

出発は平日の夜だった。18時に仕事を終え、僕はそのまま成田へ行くことになっている。花さん一人で、生後8ヶ月と4歳児を連れ、大きな旅行鞄を持って電車に乗るなど出来やしない。
鞄はどうするつもりなの?と僕は花さんに聞いた。すると花さんは「事前に鞄をクロネコヤマトにピックしてもらい、空港宛に送るの」と言った。抜かりない。
飛行機の出発は21時20分だった。花さんたちは帰宅ラッシュを避けるべく早めに出かけて行ったらしい。
僕はといえば、18時に完全に仕事を終わらせるべく、奮闘していた。『飛行機 間に合わない どうする』みたいな検索を昼休みにしてはいたけれど。

かくして無事に会社を脱出した。普段はてぶらで出社しているけれど、この日はリュックを持っていた。しかしだれもそんな様子を気にとめることはなかった。この日は気温もかなり高く、厚手の上着も必要ではなかった。南国に行くのにはかなりの大荷物になってしまうところだったから、助かった。

いつもは大江戸線に乗るところを、日比谷線に乗った。山手線に乗り換えようとすると、緊急停止ボタンが押されたとアナウンスがあった。こういうときに限って、ということでもない、もはや日常の異常の中、ホームは人で溢れかえっていた。
ようやく電車が到着し、乗り込んだ。サンドイッチの具のようにぺちゃんこになりながら僕は東京駅へと向かう。

駆け足で階段を降りて、成田空港行きのホームを目指した。特急券を買わなくてはいけないけれど、券売機には列ができていて諦めた。ホームにいくと、列車はすでに到着していた。同じように券を買えなかったであろう人が、駅員に話どうすれば良いのかを聞いていて、とりあえず乗って車内で支払いをしてくれと言われていたので僕もおとなしくデッキに立っていた。

英語圏ではない人が電話をずっとしていて、その声がやたらとうるさかったけど、「ああ、もうここから海外へ行くのが始まってるんだな」とぼんやりと思った。そして僕は松浦弥太郎の『場所はいつも旅先だった』を読みはじめた。



成田空港へと到着すると、花さんたちとの待ち合わせた場所へと向かった。彼女たちはすでに空港内でシャワーを浴び、玲さんも離乳食を食べ終わっていた。
理子はジェットキッズに乗っていた。子連れの海外旅行の友らしい。ずいぶん前に買っていたけれど、使うのは初めてだ。それに跨って足で蹴って前へ進んで行く。空港くらいの広々したところで使うには安心できる。周りには同じような家族づれがいて、色違いのそれに乗っている子もいれば、あれはなんぞ?と興味津々で見ている子もいた。

荷物を預け、出国手続きをしようとすると、長蛇の列ができていた。予定よりも早く着いていたはずなのに時間はあっという間に過ぎていく。やっと終わった頃には夕飯をゆっくりと食べることもできない時間になっていて、売店でホットドッグを買って機内で食べた。

以前はシートベルトをしたくないといって暴れていた理子は、おとなしく自らそれをしていたし、半年前はYouTube漬けでアディクトしていたけれど、もうそれもなかった。
座席にはモニターはなく、自分のiPhoneにアプリを入れて、それで閲覧するようになっていた。
飛行機内には、玲さんと同じくらい、または理子と同じくらいの子供たちがいっぱいいた。みんな考えることが一緒である。時差が1時間程度なので、夜中に出発して少しでも滞在時間を楽しもうというわけである。これで玲さんが泣き出しても、多少は大目に見てもらえそうだと胸をなでおろした。

離陸に向けてアナウンスがあり、ゆっくりと滑走路へと入っていく。昼間とは違って、ライトアップされたそれは、これからの旅をどこか幻想的なものにするショーアップのようだった。
離陸の瞬間に向けて理子には飴を舐めさせ、花さんは玲さんにこっそり授乳していた。飛行機は速度を速め、次第に機体は空へ向けて傾き地面を離れた。空には大きな月が丸く、煌々と光っていた。


2019年3月26日火曜日

2019年3月7日木曜日

カーテン越しに、朝の光が部屋の中にぼんやりと広がっている。だんだんと季節が変わっていこうとしていることがそんなことからも分かる。5時である。
ここのところほぼ22時には布団に入っている。4人、同じ部屋。理子はママと寝たいし、玲さんは夜中に授乳が必要だからママの隣なわけで、ダブルの布団に3人。シングルに僕が一人寝ている。
夜中、玲さんがもぞもぞと動く音が聞こえる。こういうとき、耳は早々に働き始める。泣きだすであろうちょっと前に、花さんのパジャマのマジックテープが外れる音がする。授乳を開始したようだ。母親の反射神経には父親は永遠に追いつけない。

分断されながらも、5時には目がさめる。
寝るときに、iPhoneは飛行機モードにしていて、Wi-Fiも切っている。布団に入りながらもぞもぞしてなんとなくsnsをザッピングする。洗濯が終わるアラームが聞こえて、僕は布団から這い出る。
洗面所に行き、お風呂の追い炊きをする。洗濯物を干す。ものすごく小さなボリュームで、 never young beach を聴く。
大人のものよりも多い子供たちの服を洗濯バサミに止め、それらを持ってベランダに出る。左手方向は、オレンジ色の光が広がり始めているけれど、右手側はまだ夜が続いているし、中央では星が強く瞬いている。朝とも夜とも言えない、不思議な時間帯である。マンションの3階からは、少し離れたところにある首都高速が見える。この道には夜も朝も関係なく、いつだって車が走り続けている。

洗濯物を干し終えると、風呂に行く。最近日課になっているお風呂での映画視聴である。花さんたちが起きだすまでの時間、1時間ちょっと。つまり映画は一度では見終えることはできないけれど、それくらいがちょうどいいとも思っている。
つい昨日見終えたのはゴッドファーザー3である。つまりその前に1、2も同じように風呂で見終えた。9時間ちかく風呂にいたのかと思うと、いますぐのぼせてしまいそうである。

だいたい映画を見終えるのは、理子が唐突に風呂のドアを開けることによる。イタリアンマフィアが敵を待ち構えて殺そうかというときにドアが開くものだから、なかなかスリリングがある。


理子はここのところ、我々のコーヒーを淹れることにはまっている。といってもコーヒーのカプセルをセットして、レバーを倒せばコーヒーは抽出されるのだけど、きちんとそれに砂糖と牛乳を入れ、さらにスプーンでかき混ぜてくれもする。なかなかである。
それをおぼんに乗せて、テーブルまで運んでくれる。
「『まだかなー』って言って」と理子は僕に言う。
「まだかなー」と僕が言うと、「お待たせしましたー」と言ってコーヒーを置いてくれる。
娘に入れてもらうコーヒーは美味しい。

朝食を食べ終えると、理子の着替え、歯磨きとスムーズに行くこともあるし、我々に怒鳴られて、泣きながら保育園に行くこともある。
魔の3歳とよく言ったものだけれど、3歳で魔になると、そのまま能力は高まっていくわけである。3歳が絶頂では当然ないわけであった。

僕は大抵、iPhoneで音楽を聴きながら支度をしたり片付けをしている。
とある日、ペトロールズのFUEL聴いていたら、理子が廊下を走って僕のところにやってきた。
「楽しそうな曲が聞こえてきたから走ってきちゃった」だそうな。
音を楽しんでいるようで何よりである。いい朝だ。