2019年3月28日木曜日

旅の始まり

この世の中には、カードで支払いをすると、マイルというご褒美がもらえるシステムがあるらしい。旅好きである花さんがこれを知ってからは、錬金術士のごとくであった。家庭内における出費という出費はカードを通してされた。スーパーでのちょっとした買い物も、カードで行われた。
そしてある日こう言った。「グアムまで家族で行くぶんのマイルが貯まった」と。
まさに塵も積もればグアム旅行である。錬金術士の努力の賜物であった。

それからというもの、やはり我が家の本棚には、『グアム』とタイトルのついたガイドブックが並んだ。そして花さんはそれを家事の合間に楽しそうに眺めているのであった。または旅のブログ、特に子連れで旅をした人の体験記などを読みふけていた。
それをもとに、旅のしおりが練られ、PDFになって私のGmailに添付されて送られてくるのだ。

出発は平日の夜だった。18時に仕事を終え、僕はそのまま成田へ行くことになっている。花さん一人で、生後8ヶ月と4歳児を連れ、大きな旅行鞄を持って電車に乗るなど出来やしない。
鞄はどうするつもりなの?と僕は花さんに聞いた。すると花さんは「事前に鞄をクロネコヤマトにピックしてもらい、空港宛に送るの」と言った。抜かりない。
飛行機の出発は21時20分だった。花さんたちは帰宅ラッシュを避けるべく早めに出かけて行ったらしい。
僕はといえば、18時に完全に仕事を終わらせるべく、奮闘していた。『飛行機 間に合わない どうする』みたいな検索を昼休みにしてはいたけれど。

かくして無事に会社を脱出した。普段はてぶらで出社しているけれど、この日はリュックを持っていた。しかしだれもそんな様子を気にとめることはなかった。この日は気温もかなり高く、厚手の上着も必要ではなかった。南国に行くのにはかなりの大荷物になってしまうところだったから、助かった。

いつもは大江戸線に乗るところを、日比谷線に乗った。山手線に乗り換えようとすると、緊急停止ボタンが押されたとアナウンスがあった。こういうときに限って、ということでもない、もはや日常の異常の中、ホームは人で溢れかえっていた。
ようやく電車が到着し、乗り込んだ。サンドイッチの具のようにぺちゃんこになりながら僕は東京駅へと向かう。

駆け足で階段を降りて、成田空港行きのホームを目指した。特急券を買わなくてはいけないけれど、券売機には列ができていて諦めた。ホームにいくと、列車はすでに到着していた。同じように券を買えなかったであろう人が、駅員に話どうすれば良いのかを聞いていて、とりあえず乗って車内で支払いをしてくれと言われていたので僕もおとなしくデッキに立っていた。

英語圏ではない人が電話をずっとしていて、その声がやたらとうるさかったけど、「ああ、もうここから海外へ行くのが始まってるんだな」とぼんやりと思った。そして僕は松浦弥太郎の『場所はいつも旅先だった』を読みはじめた。



成田空港へと到着すると、花さんたちとの待ち合わせた場所へと向かった。彼女たちはすでに空港内でシャワーを浴び、玲さんも離乳食を食べ終わっていた。
理子はジェットキッズに乗っていた。子連れの海外旅行の友らしい。ずいぶん前に買っていたけれど、使うのは初めてだ。それに跨って足で蹴って前へ進んで行く。空港くらいの広々したところで使うには安心できる。周りには同じような家族づれがいて、色違いのそれに乗っている子もいれば、あれはなんぞ?と興味津々で見ている子もいた。

荷物を預け、出国手続きをしようとすると、長蛇の列ができていた。予定よりも早く着いていたはずなのに時間はあっという間に過ぎていく。やっと終わった頃には夕飯をゆっくりと食べることもできない時間になっていて、売店でホットドッグを買って機内で食べた。

以前はシートベルトをしたくないといって暴れていた理子は、おとなしく自らそれをしていたし、半年前はYouTube漬けでアディクトしていたけれど、もうそれもなかった。
座席にはモニターはなく、自分のiPhoneにアプリを入れて、それで閲覧するようになっていた。
飛行機内には、玲さんと同じくらい、または理子と同じくらいの子供たちがいっぱいいた。みんな考えることが一緒である。時差が1時間程度なので、夜中に出発して少しでも滞在時間を楽しもうというわけである。これで玲さんが泣き出しても、多少は大目に見てもらえそうだと胸をなでおろした。

離陸に向けてアナウンスがあり、ゆっくりと滑走路へと入っていく。昼間とは違って、ライトアップされたそれは、これからの旅をどこか幻想的なものにするショーアップのようだった。
離陸の瞬間に向けて理子には飴を舐めさせ、花さんは玲さんにこっそり授乳していた。飛行機は速度を速め、次第に機体は空へ向けて傾き地面を離れた。空には大きな月が丸く、煌々と光っていた。


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