2019年4月8日月曜日

旅の絶頂

ホテルの外からただならぬ雰囲気がして、ベランダから外を見てみてると、パトカーのライトがくるくるまわって辺りを赤く照らしていた。
そして、パトカーとは別に、大きな車体が現れ、屋根の上の巨大な照明が点けられ、それが海の方に向けられていた。
完全に海で何かあったとわかる状況だった。
その巨大な車は水陸両用なのか、海に入っていった。違うホテルの部屋からも、同じように状況を見守っている人たちが多くいた。
そういった緊迫感のある状況なのに、肝心の現場近くのバーレストランでは陽気な音楽が大音量でかかっており、一種の狂気のようなものが漂っていた。まずその音を止めろと僕は思った。
その後、どういう決着が着いたのかわからないのだけど、車両は去っていき、大音量の音楽も止まって、静かな時間が流れた。

平和そうなグアムにもこういった事が訪れる事を知る。


朝の4時半に目がさめる。もはや特段珍しい事でもない。せっかくだから、ベランダで海を眺めるだけではなく、近くを散歩しようという気持ちになった。
この時間帯は本当にうっすらとだけ明るい程度で、鳥たちもまだ鳴き始めない、まだまだ夜の延長の時間帯だ。

アメリカ本土からかけ離れたところの島とは言え、グアムはアメリカである。いきなり「フリーズ!」と言われるかもしれない恐怖を感じながら、ホテルの外へ行くことにした。初日に夕飯を食べたダイナー付近へ行き、しばらく歩いてみたけれど、特になにもなく、反対方向へ。するといくつか建物があり、それはスーパーマーケットのようだった。建物はどれも1階建ての低層だった。またしばらく歩くと教会があった。ふと、先日あった銃の乱射事件を思い出す。

それから路地を入ってみる。ここを行けば海に出るかな、と思ったのだけど、立ちはだかるのは野犬だった。いや、正確に言えばどこかの飼い犬なのかもしれないけれど、とてつもなくでかい。完全なる部外者の僕の存在はとうの昔に気がついているだろうに、のそのそゆらゆらと歩いている。
正味5メートル程度の幅の、舗装されていない道路。僕は端を歩き、犬とは目を合わさずに歩く。しかし一匹かわしても、奥にはまだまだ犬がいた。それに民家のようなところの軒先に人がいて、こちらを一瞥している。もうこれ以上行かないほうがよさそうな雰囲気だった。
先ほどうまくかわした犬はまだそこにいて、部外者が立ち去るのを待っているかのようだった。
「コケコッコー」と鶏が鳴いて、そろそろ朝が始まりそうだった。


ホテルに戻ると、従業員が国旗を掲揚しているところだった。当然アメリカのものだ。
ホテルの敷地内から海に出る事にした。空は黒から赤みを帯びた青になっていくところだった。そういった状況が目の前で繰り広げられていく。

海の中では3人の男が釣りを楽しんでいた。各々が数十メートル離れているので大声で話をしているのが聞こえた。この人たちは昨夜の事を知らないのだろうか。


部屋に戻るとまだ6時前だった。
しばらくすると玲さんが起き出して、我々の朝が始まった。散歩をしてきたと花さんに話す。「スーパーの方まで行ったよ」というと、「そこは24時間営業で美味しいコーヒーが飲めるらしいよ」と言われた。何事も下調べが重要だなと思った。

この日はホテルではなく、パンケーキの店に行く事にしていた。9時にならないとバスの運行がなかったのでゆっくりと支度をした。玲さんの食事もこの時点で済ませた。
玲さんは場所が変わっても特段体調に変化は見られなかった。しいて言えば便秘ではあったけれど。

9時になると外に出た。最終日もいい天気だ。バスに乗ろうとすると、酔っ払っているかのように陽気な運転手がいた。チケットを見せて降りたい場所をいうと「なんでー?」「どうしてー?」と言う。意味がわからず、このバスでは行かないの?という疑問が生まれたのだけど、なんてことはなかった「ショッピングに行く」というとにっこりして乗せてくれた。ただのグアムジョーク、コミュニケーションだったのだ。
僕らの後に乗りこんだ女性二人組にもそんな風に言っていて、ケタケタ笑っていた。そうしてバスは優しく発進した。
バスに激しく揺られて、タモンというエリアへ。いわゆる中心街であるらしく、車窓からハイブランドの看板が多く目につく。

目当ての店は I HOPというパンケーキ屋だった。僕の辞書に「パンケーキを食べにお店に行く」というのは、まったくない字面である。
店の前には列ができていた。並んでいるのはいずれも日本人だったのだけど、店の中には欧米人も多くいた。

我々も席に案内されて、テーブルに着くと陽気な店員に接客された。どこでも玲さんは人気者である。
メニューを見て、僕はパンケーキと目玉焼き、それにハッシュドポテトが載ったプレートを、花さんはベリー系のパンケーキを注文した。大人のドリンクは『 NEVER EMPTY COFFEE』。おかわりができるから空にならないということらしい。言葉遊びが素敵なメニューだった。

いざ料理が到着すると、見た目のボリュームに圧倒されてしまうところなのだけど、意外と食べきることができた。美味しかったのだけど、パンケーキにものすごく期待値を高くしていた僕にしてみると、こんなもんか、と思うような味ではあった。
後ろの席にいたのも日本人グループで、その中の子供が「パンケーキ食べたい!パンケーキ食べたい」とどこかで聞いたことのあるフレーズを口にしていた。グアムでも真似されていればその芸人も満足であろう。

バスに乗って、今度はマイクロネシアモールへ移動する。大人のショッピングタイムである。理子は相変わらず服屋に入るのが嫌いなので、僕は玲さんを抱っこしつつ、おもちゃ売り場へと行った。日本のおもちゃと違ってとても大きくてカラフルだ。理子はペッパピッグのぬいぐるみを見つけると嬉しそうに手に取り、もう離すまじ、といった風だ。最初僕は買うつもりはなかったのだけど、自分のものも特に買っていないし、最終日だし、理子にもいい思い出を残してあげようと思って買う事にした。そうしたら理子は買ってもらえるとは全く思っていなかったようでたいそう喜んでいた。
店員に玲さんの月齢を聞かれたので、8ヶ月と答えると「ビッグ!」と驚かれた。

花さんと合流すると、彼女は理子と玲さん用の服をいくつか持っていた。収穫があったようだ。僕もメンズコーナーを見てみたのだけど、全く触手が伸びない。他にも一人でフットロッカーなど、アメリカならではの靴屋にも行ってみたのだけど、買い物の神様はグアムでは結局降臨することはなかった。


その後、モール内を散策すると、中高生によるグループステージショーのようなものがやっていて、ダンスをしたりピアノ演奏を披露していた。こういったローカルなものに触れられたのはなかなかよかった。モールを一通り見た後、ホテルに戻った。


ホテルに戻ると、しばらく休憩をしたのちホテル内のプールに行った。理子はもう流れるプールには行きたくないらしい。花さんはコインランドリーで洗濯をしに行ったり、玲さんの離乳食を調達しに買い物へでかけた。

プールは入る時ひんやりと冷たかっただけどそのうち慣れた。理子は、キャーキャー言いながらその冷たさすら楽しんでいるようだ。ただのプールなので、理子は浮き輪でぷかぷか浮いてるくらいのものなのだけど、深さの違う2種類のプールを行ったり来たりしているのが十分に楽しいらしい。
たまに海の方へと行ってみたのだけど、やはりサンダルに砂が入るのがとても嫌らしく、そうそうにプールへと舞い戻った。

そうこうしているうちにだんだんと日が陰ってきた。花さんもやってきて、選手交代。僕は玲さんをあやしながらデッキに寝そべった。
今日が終われば明日の早朝に帰国する。あっという間の旅を反芻した。玲さんが産まれて初めての海外旅行は、どうやら順調に終わる。花さんが計画してくれた行程の3分の1くらいしか消化できなかったけれど、それも織り込み済みの計画であろう。子供は予想外のことを発生させるし、海外である、というだけでトラブルも発生しやすい。生後8ヶ月の子供と4歳の子供が無事に過ごせたというので十分に思えた。

日も暮れ、我々は部屋に戻り、僕は買ってあったビールを飲んだ。


夕飯はアウトレット内にあるチャッキーチーズという店に行った。この店はレストランとゲームセンターが一緒になっていて、料理を注文する際、ゲームで使用するコインも同時に購入するシステムらしい。そのゲームで得たポイントを合算して、最終的にはおもちゃと交換できる。入場する際、特殊なハンコを手に押される。子供の数と大人の数が入退場の際一緒であることを確かめるためのものらしい。なんともアメリカ的というのか、誘拐予防なわけである。

理子はプールで遊び疲れ、眠さも伴って不機嫌極まりなかったのだけど、このゲーム機たちから発せられる楽しげな音楽に、目の色を次第に変えていった。ここはどうやら楽しいところだ!と全身で感じ取ったらしい。
といっても理子が好きなのは体を動かすもので、厳密に言えばゲームではなくアスレチックのものなのだけど、生きた屍みたいだったのが見事に復活した。
律儀に靴を脱ぎ揃え、日本人らしさを垣間見せながら遊び始める。軀体の大きな外国の子供たちに負けじと登ったり、這いつくばったり、滑ったりを繰り返した。
注文していたピザは、もはや理子にはなんの魅力もないもののようで、数切れ食べるとまた遊び場へと戻っていった。僕は玲さんとともにテーブルに残り、残ったピザを食べた。
周りのテーブルには欧米人が数多くいて、誕生日会をしているグループもいた。ここの住民たちの憩いの場であるようだ。
花さんと理子はしばらく戻ってこなかった。それだけ楽しんでいるということだろう。

しばらくすると、コインを全て使い切ったようで、ゲームで得たポイントのチケットを大量に持っていた。カウンターでそれをおもちゃと交換してもらう。遊び倒した1日が終わろうとしている。


バスでホテルに戻ると、花さんはフロントで翌日のタクシーの配車を頼んでいた。本当にぬかりなくことを進めてくれる。
部屋に戻り、玲さんをお風呂に入れる。日に焼けた肌が痛いのか、泣き叫んでいた。
翌日は4時半に起きなくてはならず、僕はアラームを4時25分、4時30分、4時32分にセットした。大人たちは帰り支度を済ませ、そうそうに寝床についた。

ぐーぐーぐー
すーすーすー
ぐーぐーぐー
「それりこのー」

3人分の寝息が聞こえる中、理子が寝言をクリアな声で言っている。
いつもの夜である。


早朝に起きるにはもはや苦でもなんでもない。なんならアラームよりも早く目が覚めた。
アラームを切り、静かに支度をスタートさせる。花さんも起きて、7時35分発の飛行機に乗るために、テキパキと旅をクローズしていく。
玲さんを花さんが抱っこし、理子を僕が抱っこすることにした。

僕らを乗せたタクシーの運転手は若い女性だった。車内に花が飾られたりしていて、なんだか珍しかった。
空港までの道は混んでもなくて、あっという間に到着した。荷物を預けるカウンターではアロハシャツを着た陽気な人がテキパキと作業をしていたのだけど、その後の出来事はそれとはほど遠かった。
朝食も食べていなかったので早めに中に入ろうと、保安検査場へ行くと、長蛇の列ができていた。まだ朝の5時台である。世界各国の人たちがイライラした表情で、まったく進まない列の先の方を見ている。見た目で2つの列があるのだけど、それもどういった列なのか皆目見当がつかない。でも保安検査場があるからここから入っていくには違いない。
とりあえず並んでは見たものの、一向に進まない。アロハシャツを着た職員に向かって誰かが何かを尋ねても、とにかくこのレーンに並べというだけでなんの解決にもならないというシーンが何回も繰り広げられた。先ほどまで陽気に見えていたアロハシャツは、ただの仕事のできない人に見え始めた。
優先レーンも存在しているようだったのだけど、それもうまく機能していないようだ。判を押す職員は一人しかおらず、時間はかかる一方だった。

そして、一組の中年外国人夫婦の焦りは今にも噴火しそうな山そのもので、あと20分で出発なのだ!と訴えていた。傍目から見てもこの状況はまずいだろうと思うのだけど、職員はなにもしようとしなかった。その職員にはなにも権限がないだけかもしれないけれど。
しまいにはその夫婦は僕らの後ろに並んでいた日本人に英語で話しかけ、言葉は悪いが横入りをした。しかしそこに割り込んだとしても、それが無意味なくらい先は混んでいた。
ついに搭乗締め切り時刻になってもまだ出国手続きに至ることができないという事態に陥っている人たちが多く現れた。
その波は日本人客たちにも当然やってきて、不安な表情を浮かべたままあと10分なんだけど、どうなってるの?と不満を募らせていく。近くにいる日本人を見つけては「そちらは何時発ですか?」という質問が繰り返されていた。
結局どこかの日本人職員のような人がやってきて、「何分発の東京行きの人いますか?」と聞くといたるところで手が上がり、こんなにたくさんまずい状況の人がいたのか、と驚いた。その人たちは別のレーンに通され、奥へと消えていった。僕たちは福岡行きだったので、まだ時間があるといえばあったのだけど、列が進んでいかないことには変わりなかった。
そのうち権限をもってそうな職員が現れ次々と都市名を挙げていく。「ホノルル!ホノルル!」というと、どこそこで手が上がり、奥へと消えていった。

しばらくすると、いよいよ僕らも危ういという時刻になった。結局今まで並んでいた意味は、まったくないのだけど、別のレーンに移動となり、出国手続きをした頃にはアナウンスで「ナガハシ〜」と呼ばれるはめとなった。
免税店はおろか、ちょっとした軽食を買う時間もない。旅の最後の最後でのこのアクシデントはスパイスが効きすぎている。
名前をアナウンスされるくらい遅かったので、他の乗客の多くはもう席に着いていて、哀れみの顔を浮かべられた。
理子は昨日の疲れもあるし、早朝から起こされたため、離陸するとほどなくして、ペッパピッグのぬいぐるみを枕にして寝た。



福岡空港に到着すると、荷物をピックし、国内線に乗り換える。再度荷物を預けるのには、無人の機械で行われていた。
昼食は空港内のラーメンを食べることにした。福岡なのに、北海道ラーメンを食べるというのには理由がある。カウンター席ではなくテーブル席があったからである。
数日ぶりの日本食、といってもラーメンだけど、それはとてもおいしい。その証拠に、キッズサイズとはいえ理子も完食したほどである。
僕はビールも飲み、無事の帰国を祝った。

羽田行きの飛行機に乗り換えると、離陸も間もなく僕たちは眠りについてしまった。

羽田に無事に到着すると、どうやら少しひんやりとしている。出発した日は稀に見る暖かさのため上着は持っていなかったし、花さんや理子に至っては靴下は履いているけどサンダルだった。とはいえリムジンバスに乗ってしまえば特に関係はないのだけど。

バスに乗ると、さすがに疲労がたまってきたのか、玲さんはぐずりだし、花さんがこっそり授乳をしても泣きやまなかった。いつも混む二子玉の道に入るとピークを迎え、立って抱っこしてあやした。
二子玉に着くと、理子も疲れがマックスか、と思いきやレゴのイベントが行なわれているのを発見すると、目がキラキラしだし、そのうえ、保育園のお友達一家と遭遇したら、テンションがこの旅一番のマックスに達していた。現地では数回しか見せなかった大きな笑顔が、乱発されている。
飛び跳ね、奇声をあげている。友達には勝てないな、と思った。
結局イベント終了までいたのだけど、周りではダウンを着ている人たちもいる中、理子は鼻水を垂らしながら着ていたカーディガンすら脱いで半袖姿だった。

その後、我々は電車に乗って帰った。旅が終わると日常が待っている。でもそれも愛おしい生活には変わりない。
次の旅はどこへ?
本棚にはどこの都市のガイドブックが足されるのだろうか。

0 件のコメント: