2014年12月14日日曜日

1214

今日は、普段しないような掃除をしようと午前中から息まいていた。
ところがそんなにうまくいかない。
寝てれば寝てたで掃除機もかけられないし、
起きていれば起きていたで、ちょっかいをだしたくなる。
したがって、思うようにはまったく進まなかった。
どうしてもやっておきたかったのは、理子さん用にマットを敷くことで、
それだけはやり終えることができた。
すると、意外にも断熱効果があり、僕も寝そべっていたらいつのまにか寝ていた。

ベビーベッドの下に置いてあったバンボという赤ちゃん用の座椅子を使ってみる。
すると、首が据わったばかりだからか、酔っぱらいのように首をふりふりしていて
とてもかわいらしい。

今日は選挙だったので、18時頃に理子さんと花さんと3人で
近くの小学校へと行った。
投票を済ませると、スーパーの前で焼き鳥屋が出ていたので、
3本買って、歩きながら帰った。
なんてことないんだけれど、とても幸せな時間だった。

2014年12月6日土曜日

お食い初め

















理子さんがこの世で産声を上げてから早くも100日が経った。
自身に子どもを授かってから知ることというのは山のようにあるのだけど、
生後100日で、「お食い初め」なる儀式があるという。
子どもの健やかな成長を願って、というのがざっくりとした目的であるが、
鯛や、筑前煮、赤飯などを用意し、お宮参りした神社の石を用い歯固めの石として使用する。
僕と花さんの親に聞いたところ、そういった風習はないらしいが
スタジオでの写真撮影というオプションをつけることによって両親を東京に集結させた。

前日、車でやってきた僕の両親は家に泊まっていた。
花さんはお食い初めに必要な料理を一人で作って用意してくれており、
僕はグリルで鯛を焼く係になっていた。
僕は魚屋のおじさんに聞いた通り、弱火でじっくり実行した。

赤飯も炊きあがり、鯛もおいしそうに焼くことができ、
着々と準備は整った。

正午前に、二子玉川へと電車で移動し、花さんの両親と落ち合う。
お義母さんは、産まれて間もなく2週間近く我が家でお世話をしてくれていたけれど
それ以来の対面である。
頬の筋肉はこれでもかというくらいに緩んでいた。

駅からすぐ近くのスタジオへと足を運ぶと、
そこはまるで戦場のようだった。そして、雄叫びともなんとも言い表せない言葉が飛び交っていた。
なんだかすごいところにきてしまった、とその時は思った。

受付を済ませると、写真撮影のための衣装を選んだ。
その間も、子どもたちはそこらじゅうを走り回り、親たち、はたまたじじばばたちによって制止されていた。

衣装を決め終えると、スタジオブースへと入る。
そこは実に簡易的なスペースだった。
カメラマンのお兄さん、子どもをあやすアシスタントのお姉さんのセット。
スタジオマン独特のゆるいスリッパを履いていた。

いくつかのパターンを撮ってもらったのだけど、
お姉さんのかけ声がすごかった。
「りこちゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん」
「そうぅううううううううううううううううううううううう」

いったいどこから声が出ているんだろう、と不思議にそしてついつい笑ってしまうかけ声。
比較的理子さんは大人しく、ぐずることなく淡々とカット数をこなしていく。
隣のブースでは、「焼き肉と寿司どっちが好きーーーーーーーーーーーーーー?」
とここはどこなのだろうと思わせるかけ声が響いていた。

両親含めた集合写真、3人、1人と、撮影を無事に終えることができた。
その後、カメラマンが粗セレした写真を見て、花さんと2人で選んだ。

撮影を終えると、家へと帰り、ついに儀式のスタートである。
一番年長者から、鯛やら筑前煮やらを理子さんの口元にちょんちょんとつける。
立派に歯が生えるようにと願いを込める。
健やかな成長を願う。

ふと、この3ヶ月を振り返る。
意思と言えば、自分の欲求を伝えるだけだったのに、
ここ最近では、ものを見ることや、掴むことを覚え、首もほぼ座ってきていた。
僕の目を見て笑い、感情の表現の幅が広がってきたように感じる。
睡眠のサイクルも、花さんのおかげで一定し、9時には寝て、朝の6時くらいに起きるという安定ぶりである。
毎日、どれだけ「かわいい」という言葉を口にしているのか。
子どもへの愛情が深まっていくことを、毎日実感する。



儀式も一通り終わると、大人たちが食事を開始する。
大人たちは、赤子のにこやかな顔を肴に酒を飲んだ。

こういった節目に、自分の親たちと過ごせたことを幸せに思う。

2014年11月16日日曜日

film

久々に現像したフィルムには、
日付を間違えていたらしく、印字されているのは僕たちが経験していないものだった。

振り返ると、理子さんはとても成長したことが分かる。
もうじき3ヶ月だ。










嬉しい

抱っこをしていないと全身を使って泣き叫ぶ理子さん。
花さんが席を外していて、僕が理子さんを抱っこする。
最初は全く泣き止む気配を見せない。
僕は休日しか理子さんの世話をすることができないから、
普段の抱き心地と違って感じるのであろう。

しかしながら、しばらく声をかけながらゆらゆらと抱っこし続けていると
しだいに理子さんの体の力が抜けていくのが分かる。
そして、まばたきがだんだんとゆっくりとなって、
ついにはそのまぶたを完全に閉じた。

しかしすぐにベッドに置いたりはしない。
赤ちゃん共通に存在するという背中スイッチが発動してしまうのだ。
僕はゆらゆらとし続ける。
即興で作る歌をうたいながら理子さんの背中をとんとん叩いて
もっと深い眠りへと誘う。

固く握られていた手はほどかれ、手のひらを開いていた。
完全に僕の腕の中で眠りについた証拠である。
僕は小さくガッツボーズをする。
心の中で大きく喜ぶ。

ただただ純粋に嬉しい。
こういった積み重ねが親子の絆を深めていくんだと思う。

今日は久々の休みで、僕が理子さんをお風呂に入れた。
生まれたばかりとは違って、体が安定し始めているので幾分楽になってきた。
湯船に一緒に入って、膝の上に乗せて向き合う。
お湯の中で浮かぶ理子さんは、少し不思議そうな顔をして僕を見ている。
そして、ふいに笑う。何度も笑顔になる。
僕はたまらない気持ちになって笑顔を返す。
理子さんが生まれてから、嬉しい、と思う回数が増えた。

明日もきっと、そう思う。

2014年10月22日水曜日

2ヶ月

理子さんが誕生して、今日で2ヶ月が経った。
2ヶ月前はこの時間帯に分娩台に乗っていたっけ。
などと感慨に耽っていた。

理子さんの成長は順調のように思われる。
睡眠のリズムが一定化し、昨日に至っては夜から朝までずっと寝ていた。
相変わらず、朝方のうなり声はすごいけれど、
腸の動きが活発ということで良しとしている。

花さんの報告によると、最近のお気に入りは
花さんの胸の上でうつぶせで寝ることのようだ。
また、最近では宇宙語をよく話しているらしい。
解読は不可能なので、親目線で解釈するに、
ママとパパの間に生まれてきて嬉しいということを言っているようだ。
多分。

出産のお祝いでいただいたプレイマットで理子さんを寝かせ、
しばらくすると活発に動いて移動しているようだ。
うつぶせにしても首を高いところまで持ち上げることができ始めたりと
筋力もついているご様子。

しかしながら成長するということは、動きが立体的になっていくことであるから
目を離せないのも事実。
ニュースによると、1歳の子供が転落死するということもあったらしい。
誤飲なども心配である。
これからも注意していきたいものである。

2014年10月20日月曜日

お宮参り







子供を授かると、いろいろな行事が次から次へとやってくる。
毎日、洗濯やら沐浴などをさせていればいいわけではなく
変な話であるけど、節目と言うのがたくさんあるようである。

今回はお宮参りだ。
本来は生後1ヶ月程度で行なわれるもののようであるけれど
ほぼ2ヶ月目の今日、近所の神社で済ませてきた。


親と同居していたら、そろそろお宮参りだ、そろそろお食い初めだと
キッチンタイマーよろしく知らせてくれるのだろう。多分。
しかし核家族では自分たちで気づき、実行しなくてはならない。
花さんが神社と、着物の手配をしてくれた。
僕は次男坊B型の精神に則って、それにおんぶに抱っこ、ついていく。

僕は自身の結婚式のときに買ったロングジャケットとハットをかぶった。
花さんは黒いドレスシャツに、黒いスラックスにマルジェラのシューズ。
記録媒体として、デジカメ、フィルムカメラ、デジタルビデオ、チェキ、三脚を持った。

予約した神社は徒歩で20分程度の場所ではあるが、1時間前に家を出た。
先週買ったベビーカーを初めて使う。
僕らには珍しいピンク色のフレームをチョイスしたそれに、理子さんを乗せる。
最初は少しだけぐずったけれど、
そのうち小刻みな揺れが心地よかったのか眠りについた。

10月も半ばと言うのに、日差しは強く、夏の日のような雲が空に浮かんでいた。
僕は少し汗をかきながら、車通りの激しい環八を離れ、
路地に入って目的の神社へと向かう。

通りには提灯がぶら下がっていて、お祭りの様相だった。
ハッピを着た若者が、コンビニの駐車場に座り込んで酒盛りをしていた。
そう、18、19日は、まさに今向かっている神社でお祭りが行われているのだった。
「人がいて、少々うるさいかもしれませんよ」と
花さんは電話で神社の人に言われたらしい。
行った事のない神社だったのだけど、祈祷するような場所の近くは静かだろうと
たかをくくり、「問題ないですよ」と答えた我々だった。

いつもは道をナビする花さんがベビーカーを押しているため、
地図の読めない僕が道を先導する。
つまりはiPhoneのマップ機能に住所を打ち込み、
それに従って向かっていただけなのだけど、
所詮は人工知能を持たない普通のコンピューターである。
僕らを導いたのは、長い階段がある神社の正面入り口であった。

慣れない道をベビーカーで歩いていたせいで約束の時間まで10分を切っていた。
愕然としつつも、階段を登らなくてはならない。
「お宮参りを受け付けている神社がこんな階段登らせるのかよ」
僕たち夫婦の間には共通の感情が涌いていたのだけど、
それは口には出さず、目で語り合った。
僕はベビーカーをぎこちなく畳み、両腕で鞄を、両手でベビーカーを持ち、
花さんは理子さんをエルゴで抱っこして階段を登った。

階段を登りきった先には、屋台が並び、こどもたちが奇声をあげてかけまわってる。
そして大音量で北島三郎が「祭りだ祭りだ」と歌っている。
言われなくても分かる、まさに祭りの最中である。
赤い旗が振られた闘牛のように突進するこどもたちの間を、
ロングジャケットにハットをかぶった、祭りの会場に相応しくない赤子連れが通る。

神社の事務局のようなところに入って「こんにちはー」と声をかけるも
さぶちゃんの歌声によってかき消される。
何度か大声で呼びかけたらようやく係の人が現れた。
お宮参りで来たのだ、と伝えると、本殿のほうへ行ってくださいと言われる。
果たして、本殿とは即ちお賽銭箱の奥であった。
僕たちが想像していた準備室みたいなものは存在していなかった。
既に本殿には、今すぐに祈祷を始めますというオーラの女性が立っていた。
しかしながら理子さんはまだ普段着であった。
準備をさせてくださいと言って許可をとり、
本殿の隅の方で着替えを始めたのだけど、
エルゴから床に下ろすやいなや、炸裂する「ブリブリッ」という理子さんによる排便である。
その時、サブちゃんの歌は止まっており、
本殿の前ではお参りに来た人が賽銭箱にお金を投げ入れていた。
なんというシュールな光景であろうか。
一瞬空間は凍り付いたのだけど、瞬間解凍して、
すぐさまシートを敷き、おむつを替えた。
昨日に至っては、ほぼ丸一日排便がなく便秘症ですな、などと言っていたにも関わらず、
おむつには実に大量の便であった。

笑ってごまかせるような空気ではなかったので、現実的にすぐ対応した。
そしてレンタルした着物を着させ、
本来祖母が着るべきところではあるのだろうけど、
花さんが理子さんを抱っこし、祈祷を受けた。

バックグラウンドミュージックは、さぶちゃんから長渕に変わった。
時折賽銭箱にお金が入る「カランコロン」という音がした。

理子さんは比較的大人しかった。少しは空気を読んだようだ。
10分程度で祈祷は終わった。

お礼を渡して本殿を後にし、記念撮影をした。
屋台は出てるし、こどもたちがかけまわっているため
隅の方でこそこそと撮っていたのだけど、人の往来は途切れる事がなかったので
撮影は早々に切り上げた。

昼食を摂っていなかったので、屋台で焼き鳥と焼きそばを買って食べた。
屋台の人のほとんどが歯のない人たちだったのは何故だろう。

祭りの雰囲気に全くそぐわない我々は、奇異の目でこどもたちに見られていたため
足早にその場を離れた。
果たして、きちんとこの神社には裏口というものが存在しており、
スロープがあり、きちんとバリアフリーであった。
出鼻をくじかれたあの階段は何だったのか。
iPhoneのマップには裏口を示す能力はなかったようである。

太陽はいつの間にか角度を大幅に変えていて、すっかり夕方になっていた。
汗ばんでいた昼間が嘘のように、少し肌寒かった。
家に帰ると、ろくに撮ることができなかった記念撮影を続行した。
白い壁を前に、三脚を使っての記念撮影。
そんな時、理子さんはいつもとは違う空気を察知してか大声で泣いた。
それはそれは、真っ赤な顔をして、着ている着物の紅にも負けないものだった。

振り返ってみれば、外ではろくにカメラを回す事もできずにいた。
理子さんが生まれる前、出かけていたらフィルム1本くらい撮っていそうなものなのだけれど。

少し前に「家族の記録は生半可な気持ちでは撮れないぞ」と
父親から言われた言葉を思い出した。

確かにそのようだよ、お父さん。
僕はあなたのようにはなれないかもしれない。

2014年10月11日土曜日

50days

理子さんが生まれて、今日で50日。
僕が仕事に行っている間のことは、
花さんからのメールによって補填される。
その報告によると、今日の理子さんはとても大人しかったようで
ほぼ寝ていたようである。
「ふむ、そんな平和なこともあるのだな」と思っていた。

今日は久々に日にちが変わった頃に帰宅したのだけど。
果たして理子さんは寝ていた。
その隣で、花さんも、理子さんと同じ格好で寝ていた。
この親子、なんだかとてもかわいい。


2014年10月5日日曜日

笑顔



理子さんが生まれてから早くも44日が経った。
生まれた当初、おっかなびっくり理子さんを抱いていた僕の手つきも、
少しずつ慣れたものになってきた。

昨日、花さんから添付付きのメールが届いた。
開いてみると今まで見た事のないくらい笑顔の理子さんの写真があった。
とてもナチュラルに、母に対して見せた完全な信頼を寄せた目だった。
それを見た時とても嬉しく感じたの同時に、ほんの少しの嫉妬も覚えた。
四六時中、自分の睡眠や食事を削ってまで世話をしている花さんに対して覚えるのは
お門違いにもほどがあるのだけど。


そして、今日。土曜日は休みである。
僕は理子さんへの積極的な介入を試みる。
泣けばすぐに駆けつけご機嫌をとり、抱っこをする。
泣き止まないときはレディに失礼ながら
服の隙間からおむつの黄色いラインをリトマス試験紙よろしくチェックする。
青いラインに変色しているのを見つけるや否や、
僕の右手は新しいおむつへとむかい、
左は軽やかにウェットティッシュへとむかう。
そして両足を左手で持ちあげ、右手でおむつをおしりへ滑り込ませる。
すばやくおしりを拭き終えると、腰回りの湿気を少し取り除き
おむつのマジックテープを締め付ける。
弱くても、強すぎてもダメだ。

今まで新生児サイズを使用していたのだけど、
ここのところの理子さんの爆発的な成長によって、
かなりおむつがきつくなってきていた。
単純な見た目だけではなく、こういったところでも成長がかいま見られた。

僕がいくらご機嫌をとっても、おむつを変えても、
『歌えバンバン』の理子さんバージョンの替え歌を即興で歌い上げても、
泣き止まないときがある。
そんなとき、僕はあきらめて花さんに理子さんを渡すと
ピタっと泣き止むのである。
もう、僕は母には勝てないのである。
だから、僕は悟ったのだ。
もちろん最大級の愛情を持って理子さんに捧げるけれど、
花さんへも、変わらず最大級の愛とケアを持って接するのだ、と。

そんなことを考えながらも理子さんをあやしていると、
彼女はとても優しく僕に微笑みかけたのである。
新生児の笑顔は、医学的には反射のようなもので、
特段意味がある訳ではないとしても、
僕にとっては強烈にこみ上げてくるものがあり、僕は自然と涙を流していた。
嬉しいとか、喜ぶとかそういった感情ではない、説明のつかない涙だった。
おそらく、とても幸せを感じたんだと思う。

理子さん以外の泣き声に気づいた花さんは、
僕が涙を流しているのを見てびっくりしていたけれど、
「男にだってマタニティブルーはあるよね」と言って笑った。

僕はいまきっと幸せなんだ。

2014年9月23日火曜日

9月23日


今日、9月23日は、二人が付き合いを始めた日だ。
それから5年。
今では二人の間に理子さんがいる。
時に優しい表情を浮かべ、時に全力で泣き叫ぶ理子。
泣くことで、自分の状況を必至に伝えようとしている。

先日、生まれて一ヶ月の節目を迎えることができた。
ちょうど良いタイミングでカメラマンの矢野氏に我が家へ来てもらえることになり
ファミリーポートレートを撮影してもらった。
思えば一月前、同じく矢野氏が我が家に訪れ、
花さんの妊娠姿を写真に納めてもらっていた。

柔らかく陽が部屋に差し込み、理子の表情を照らした。
空気を読んでか、泣くことはなかった。

明日、病院での一ヶ月検診がある。
体には如実に変化のあとが見られているのだけど、
きちんと数値的に計ってもらうことになる。

この情報過多の時代において、
成長の過程の目安の見当をつけるのも難しい。
無闇に他と比べて心配事も増えてしまうから。

とにかく、理子さんを守れるのは他でもなく僕と花さんであるから、
これからも寄り添って、日々を過ごしていきたい。

2014年9月16日火曜日

電話の向こう側

三連休のうち、最後の日、僕は仕事に行くこととなっていた。
とあるショップの開店前の製作物を担当しており、その対応があったのだ。
iPhoneで会社のメールと同期しているので、クライアントからのメールが来たら出社することにしていた。
昼間は掃除をしたり、花さんと理子さんと過ごした。

しかしながら、待てども待てどもメールは来なかった。
15時頃になって、クライアントに電話をした。
すると、あと2時間くらいでメールを送ることができるというので、
それまで自宅待機することにした。

9月も半ばである。
夕方の太陽はすっかり元気をなくし、虫の音も蝉から鈴虫へと変わっていた。
17時には、理子さんをお風呂に入れることにしていた。
平日は花さんがしてくれているので、休みの日は僕が担当していた。
会社に行く前にお風呂に入れることにした。

赤ちゃんが全般的にそうなのか分からないけれど、
服を脱がせて真っ裸にさせるとすごく泣く。
だから、少し寝ぼけているくらいのタイミングでお風呂に入れ、
なにが起きているか分からないうち着替えまで済ませてしまいたい、
それが生後25日経って我々が行き着いたこの時点での答えだった。

果たして、この日の理子さんはすっかりと覚醒していた。
服を脱がせると、泣いた。
そして浴槽に足をつけると少しだけ泣いた。
しかし、体を全部浴槽のお湯につけ、ガーゼタオルをお腹にあててあげると
柔らかな表情をした。
何が起きているか理解はできないけれど、お湯につかるのは気持ちがいいようだ。
花さんのお腹の中にいるような気分なのであろう。

ガーゼで顔や髪の毛、腕、手、お腹、太もも、足、背中、おしり、性器。
順番に洗っていく。背中を洗うときに体の向きを変えるのが、
僕はまだおぼつかない手つきになってしまう。
そしてそんな半人前の僕の動きを察知して、理子さんは泣くのである。

慌てて体をもとの位置に戻すと、泣いた反動なのか、浴槽内で排便した。
お湯の中で漂う便。
とてもリラックスした様子の理子さん。
僕は理子さんを抱き上げると、花さんにお湯をかけてもらい、風呂場を脱出した。

体をタオルでふき、ベビーオイルを塗り、おむつ、服を着させる。
基本的に中腰であるから、体力のいる作業だ。

一通り終えると、僕は仕事に行った。


会社での作業は、それほど大変なものではなく、
スムーズに対応ができた。
21時に終わればよいかと思っていたのだけど、20時には帰ることができた。
僕は仕事が終わった時は、いつも花さんに電話をかけていたのだけど
理子さんが生まれてからはメールで連絡していた。
今まさに理子さんを寝かしつけたところかもしれないし、
また花さんも、合間を縫って寝たところかもしれない。
電話で邪魔をするのは嫌だった。
この日は直前までメールのやりとりをしていたこともあって、
久々に電話をかけることにした。

「仕事終わったよ、なにかスーパーで買い物していくものはある?」
と聞くと、花さんの声に混じって、理子さんの声が聞こえた。
あぁ、家族が増えたんだな
そんなことを強く感じた。

「すぐに帰るね」僕はそう言って電話を切ると
いつもより足取り軽く、まっすぐに家に帰った。

2014年9月10日水曜日

生誕20日



理子と名付けられた我が子が生まれてから20日が経った。
たったの20日であるけれど、僕たち夫婦の生活にもたらした変化はとてつもなく大きい。
生まれたての我が子は何もできないのである。
そして、僕たちは、そんななにもできない我が子に対してもまた無力であった。

なぜ泣くのか?
その動きの意味はなんだ?

とはいえ、少しずつ、知識を増やしていく。
そして対応する。


先週の土曜日、実家の全ての者が東京へやってきた。
全てであるから、祖父母と飼い犬までもである。
そして、皆が理子を抱いて笑顔になった。
姪のうさきは、最初は恥ずかしがっていたけれど、
次第に理子への接触を深めていった。
彼女もまた、理子への愛を深めていってくれていたのである。

僕たちの場合、核家族であるから、
実家で当たり前のように行われていることができない。
大人の目が圧倒的に少ないのだ。

結婚式の挨拶の時に、僕を育ててくれたように、家庭を築きたいと言ったのだけど、
それをどのようにしていけばいいのか、これから考えなくてはいけない。


だんだんと力強く泣くようになる我が子。
可愛くて目が離せない。

2014年8月25日月曜日

2014年8月21日

8月21日の早朝4時頃。当たり前だけど僕はベッドのなかで眠りについていた。
そんな中、部屋の外から叫び声が聞こえる。
「破水した!」HANAが言った。
低血圧で、目覚めの悪い僕ではあるのだけど、文字通り飛び起きた。
ハスイシタ
たったの5文字であるのに、まったく理解ができないでいる僕を尻目に
HANAは至って冷静に見えた。着替えをし、支えなしで自分の足で歩き、まずかかりつけの病院へ連絡。
指示をあおぎ、登録しておいた妊婦用タクシーに連絡をした。
事前にHANAは、必要な物を3つのバッグに入れて用意していたので、
それらを持って、外へ出た。
すると、既にタクシーは指定された場所で待機していた。
夏とはいえ、まだ薄暗く、蝉も鳴いていない時間だった。
タクシーの運転手は、緊急時用にもかかわらず、地理が不勉強らしく
我々が道を指示して病院へと向かった。

車内でもHANAは冷静に見えた。
予定日は24日だったので、3日ばかり早い。
しかも陣痛ではなく、破水から陣痛が起きるパターンだ。
もしこれが、HANA一人の時に起きていたらと思ったらゾッとした。

病院に着くと、時間外受付で事情を説明し、産婦人科病棟へと向かう。
すぐさま、胎児の心音と、胎動の確認を行い、それぞれの数値がグラフ化され、プリントされる。
あたりまえかもしれないけれど、このまま入院ですと告げられる。
そのとき時刻は5時前だったのだけど、9時には先生がくるという。
その間、ご主人はどうされますか?と聞かれたので、
いったん家に帰り、家の片付けをしてから戻ってきます、と答えた。

電車の始発がでている時間だったので、駅まで歩き、冷静になろうと努めた。
少しまえに実家の母には連絡を入れており、起きているようだったので電話をした。
母の声を聞くと幾分落ち着くことができた。

電車に乗るという日常的な行為が、いまいちしっくりと肌になじまない感覚。
自分の体に異変が起きた訳でもないのに、
体の奥の方からすさまじいエネルギーの固まりのような物が押し出してくる感覚があった。

家に着くと、軽く食事を済ませ、食器を洗い、洗濯機をまわした。
洗濯が完了するまでに、インターネットで、破水から始まる出産について調べる。
まったく予想もしなかったことなのだ。
破水とはすなわち、胎児がいるお腹の中の羊水が抜け出ていくことであるから、
時間との勝負になってくる。時間が経つにつれて、赤ちゃんが呼吸ができなくなって辛くなっていく一方なのだ。
24時間以内での出産をある程度の基準としていることが多いようだった。

洗濯を終えるアラームが鳴り、洗濯物を干すと、また家を飛び出した。
病院に着いたのは9時を過ぎていた。院内にあるコンビニエンスストアで、水やポカリスエット、軽食を買った。
そして、ナースステーションで名前を告げると、分娩室に通された。
HANAは、胎児の心音と、胎動をモニタリングする装置をつけ、陣痛を促す薬を点滴していた。
その部屋には、テレビが備え付けられていたが、なぜかチャンネルを切り替えることができず、ニュース番組はただひたすらに、広島の災害のことを告げていた。
僕は、勤め先の社長に電話で事情を話し、休みを取った。

12時頃になって、HANAの食事が出てきたので、
僕もコンビニで買ったおにぎりやらサンドイッチを食べた。
それからしばらくすると、HANAの体に変化が出てきていた。
陣痛の感覚が一定になり、グラフの山がなだらかになったのだ。
助産師さんが、子宮口の開き具合をチェックし、点滴の量を調整。
そういった動作が繰り返された。
痛みは静かに、確実にHANAの体に繰り返しもたらされた。
休む暇もなく、次の波が襲ってくると、HANAの顔は痛みで歪んだ。
休めるうちに休みましょう、と言われても、痛みでとても眠られるような状態ではないようだった。

HANAは言った。
「これが赤ちゃん自身が求めているものだったら我慢できるけど、薬で無理矢理起こした陣痛だから、この痛みに対してどうしたらいいかのわからない」と。

しかし、一センチしか開いていなかった子宮口は、HANAにもたらされる痛さとともに、
確実に開いていくのだった。
4時近くには、8センチほど開いていた。

そして、先生は僕に言った。「思っていたよりも早く生まれるかもしれません、7時から8時くらいだと思います」子宮口も完璧に開きつつあった。
しかしこのことは当の本人には告げられなかった。
痛みの感覚が短く、そして激しいものになっていったとき、
助産師さんは、HANAの体を自分に預けさせながら、
優しく話しかけ、もう少しだよ、あとちょっとだよとHANAをなだめるのだけど、
「あとちょっとってどのくらいなんですか?」と
ひどく冷静に質問をしていた。
僕は先生から聞いたように、「子宮口が開いて、あともう少しで頭が見えるようだ」と伝えた。
僕はHANAの背中をさすったり、テニスボールを押当てたり、汗を拭いたりと、
思いつくことをやりつづけた。それでも足りないと思うのだけれど。


そして、ついに、その時は訪れる。
助産師さんに、「ご主人は立ち会いますか?」と聞かれ、「はい」と答えた。
僕は一度部屋の外に出ると、廊下を行ったり来たりとし、落ち着かなかった。
そして、死んだじいちゃんに祈った。「どうか、無事に出産させてほしい、見守っていてください」と。
いつも診察をしてくれていた先生に加え、女医さんと助産師さん2名が部屋に入り、
出産の支度を始めているようだった。
「ご主人、入ってください」と言われ、部屋に入ると、
酸素マスクを口につけ、分娩台に上がったHANAの姿があった。
僕の心拍数は跳ね上がった。
今まさに、生まれようとしている。
僕はHANAの右側に寄り添い、見守った。
先生が数値や子宮口を確認する。
そしてHANAに声をかけ続ける。
「息を止めると赤ちゃんが苦しくなるよ、吐いて、力んで!」
「そう、上手だよ、赤ちゃんの顔が見えてきたよ」
男の先生が、かけ声とともにHANAのお腹を下の方へと押し出した。
「せーの!」
「もう少しだよ、がんばれ!」先生たちのかけ声が響く。
正直なところ、僕は声をかけることができなかった。
ひたすらに痛みに耐え続けているHANAの姿を間近で見ていたら
情けないけれど、口を開いた途端に涙が出そうになっていたからだ。
それでも、2回めに先生がお腹を押してイキんでいるとき、
「がんばれ!花ちゃん!がんばれ」と叫んだ。

あっという間の出来事だった。
鳴き声とともに、赤子は取り上げられるとHANAの胸で抱きかかえられる。
「おめでとう!元気な女の子だよ」
分娩室で声援が響く。
僕は「やったね。花ちゃん。やったね。がんばったね」と声をかけるけど
その視界は涙でにじんでいた。
HANAは声にもならない声で、赤子を抱いていた。

すぐさま赤子は助産師さんによって、抱きかかえられると、
別室で体を拭かれ、体重、身長を測った。
8月21日。19時21分誕生。47.1センチ。2685gだった。

助産師さんは、タオルで包まれた赤子を僕に手渡してくれた。

僕は愛娘に初めて声をかけた。
「いらっしゃい、理子さん。パパだよ」

HANAと、母たちの名前にある「子」を一字とり、
スペイン語で「豊かな」という意味のある理子(リコ)と名付けた。

理子は、顔の割に大きな瞳をしっかりと見開いて僕を見つめ返してくれた。
これからいっぱい愛を注いでいくよ、理子さん。



花ちゃん、本当にありがとう。







photographed by yanobetty

2014年8月15日金曜日

the other side

平日の朝である。
私は隣にいる眠り人を起こさないようにそっとベッドを出る。
朝はいつもラジオを聞いている。
下世話な話などを流さず、音楽のみを流す番組である。
朝から情報が多いのは嫌いだ。

トーストにチョコレートクリームを塗って、オーブントースターでこんがりと焼く。
マグカップにインスタントコーヒーを入れて、ウォーターサーバーでお湯を入れる。
朝から夏の暑さでうんざりしてしまうがコーヒーはホットを飲むようにしている。
しばらくすると、上階から足音が聞こえた。階段を下りてくようだった。
「おはよう」寝ぼけ眼で彼は言う。目には目やにがまだついている。
あくびをしながら、少し深めの皿にコーンフレーク、豆乳コーヒーを入れて混ぜる。
最近のお気に入りの組み合わせのようだ。
彼はそれをあっという間に平らげると、キッチンのシンクにそれをおき、水で軽く流している。

私は鉢植えに水をやりながら歯を磨く。
新しい芽が次々と顔を出し、鉢植えから溢れんばかりだ。
10時になると、ラジオのDJは違う人へと変わる。
彼も家を出る時間だ。
「行ってくるね」彼は言う。
「今日は燃えるゴミの日だから、ゴミ箱を出してくれる?」
私はそう言うと、
「それじゃあ変わりに自転車を押してね」と彼は言った。

玄関の外に置かれたゴミ箱を彼が運び、彼の自転車を私が押して外に出る。
それじゃあ今度こそ
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
彼は自転車を漕ぎ出し、振り返って手を挙げた。
そして、もう一度、角を曲がる前にこちらを見て手を振り、やがて姿は見えなくなった。

一人になった部屋で、今日一日のことを考える。
天気がいいのでスニーカーを洗うことにした。
バケツいっぱいに水をはり、すこし洗剤を混ぜてタワシでゴシゴシと洗う。
白いスニーカーの汚れはみるみるうちに落ちていく。
蝉の鳴き声とラジオから流れる心地よい音色。
首筋を伝う汗もどこか気持ちいいものにすら感じてしまう。
私の靴と、彼の靴。大きさがまるで違うそれらがテラスに仲良く並び、
太陽の光を浴びている。

時計を見ると、まだ12時を過ぎた頃だった。
彼が戻ってくるまではあと何時間もある。
あと半日、私は何をしよう。
エアコンをつけた部屋の、大きなソファに横になって考える。
カーテン越しに入る夏の日差し。蝉の鳴き声。

私の一日はまだ始まったばかりだ。

2014年7月14日月曜日

聖誕祭

朝の8時前に目が覚める。

僕がきちんと覚醒する頃には、隣でHANAがiPhoneを見ている。
おはよう
僕は声をかける。
それからだらだらと、寝ぼけながら会話をして1時間ぐらい過ごすと
彼女は誰かに向かって「起きる!」と高らかに宣言しベッドからいなくなる。
その誰かは、まだベッドでのたうち回っている。

それから朝食を食べ、軽く片付けをして、
19時まで真っ白な予定帳を埋めるべく、作戦会議をする。
結果、14時10分から渋谷の映画館で上映の『her』を見ることにした。
監督はスパイクジョーンズ、主演はホアキンフェニックス。
彼の作品で最後に見たのは、宣伝物も担当した『容疑者ホアキンフェニックス』である。
普通に映画界にカムバックしている訳である。


13時頃になると、家を出る。
今住んでいるところに引っ越してからというものの
渋谷がとても苦手になっている我々なのであるけれど、
そういった状況でも、それをHANAは受け入れた上で最善を尽くすのである。
「このあたりで電車に乗って、この出口で降りれば
階段ではなくエスカレーターで地上まで出られるよ」
HANAは、さも新しいスーパーではスイカが100円安かったと言った具合に
なんでもないことなんだと、有益な情報を僕にもたらす。
僕はそれに従って、ドラゴンクエストのパーティよろしく後ろを歩いて地上に出る。
しかしながら、久々に歩く渋谷の街はとても疲れるものであった。

予定よりも早い時間ではあったのだけど、
さっさと映画館に入ることにした。

映画の具体的な内容は割愛するが、新鮮で、かつエロティックで
面白いものだった。
僕としては、ホアキンが着ているシャツに見惚れてしまっていた。
スパイクジョーンズが個人的に親交のあるバンドオブアウトサイダーズなのかしらん
と思ってみていたけど、ホアキンみたいに、がたいの良さそうな人は着られないだろうな、とも思った。

映画を見終わると、中目黒へと向かった。
いくつか店を回って、プレゼントを物色した。
人に物をあげるというのは知恵を絞らなくてはならない。
自分がもらって嬉しい物をあげる
というのを念頭に置いてはいるのだけど、人と、僕は違うのである。


再び渋谷へと戻る。
雑踏をかき分け、似たような顔、似たようなファッションをした若者たちをすり抜け
目的の店へとはいる。
とても静かな店内である。
名前を告げると個室へ通される。
果たして主役はもうそこにいた。

とりあえず乾杯をし、いくつか注文をする。
そして他愛もない話をする。
そのうちメンバーが揃い、宴が始まった。
穏やかで楽しい時間が繰り広げられる。

一通り食べた後、店員が誰も注文していないデザートを持ってくる。
ハッピーバースデー
今日は二人の誕生日祝いなのだ。

ろうそくにつけられた火に、夫婦揃って息を吹きかける
そして火が消える

おめでとう

おめでとう

末永い幸せを

今日はきみたちの聖誕祭
夫婦になって初めての誕生日を祝う

永遠に幸あれよ



店を出た後の渋谷の街も、やっぱり騒がしいものだったけれど
昼間よりは幾分マシに思えた日曜日の終わり。


2014年6月29日日曜日

訪問

雨が降っていたけど、晴れた。
雲の切れ目から少しだけ覗いていた晴れ間が拡大していって
いつのまにか、夏休みの一日目のような青空になった。

朝ご飯は、ハムエッグと昨日作ったサラダとみそ汁。
BGMはインターFM。
食後は、洗濯をした。普通の洗濯とおしゃれ着洗いの2回だ。

少し休憩をして、久々になんでも鑑定団の再放送を見た。
金持ちが出品したものが、高額の評価額を受けていた。


14時頃になると、支度をして家を出た。
カメラを持っていたので、青空の写真を撮った。
雲の形が夏の到来を感じさせる。

駅まで行く途中にあるコンビニで、アイスを買った。
袋に入れずにそのまま受け取って、店を出るとすぐに食べた。
そのまま駅に行き、ホームのベンチに座った。
暑さでだんだんと、アイスの下の方が溶け始めていて
甘い汁が垂れそうだった。

電車に乗って3つ隣の駅まで行った。
そこにはHANAの弟家族が住んでいるのだ。
家に着く頃には雲行きが怪しくなっていた。
先ほどまでの夏休みのような空はどこへ行ってしまったのか。
いきなり夏休み最終日のような曇り空だ。


家にお邪魔すると、子供を抱きかかえた弟さんが出迎えてくれた。
この前に会ったときよりも顔立ちがすっきりしていて、凛々しくなっている。
そして僕たちを警戒するように、にらみを利かす。
まるで歌舞伎役者のように。

近況報告やら子供の遊び相手をした。
まだおしゃべりはできないけれど、意思を伝える事は出来始めていた。
最近はトーマスにはまっているらしい。
僕は昼間からビールをいただき、軽く酩酊しながら絵本を読んだり
幼児向けの番組を見ていた。

弟さんの奥さんが、次から次へと食事を出してくれた。
ビールをぐいぐいと飲んだ。
テレビでは、さまぁずが静岡市を練り歩いていた。

20時頃になって、帰る事にした。
子供が母の腕の中でウトウトと眠りについている時間だった。
電車に乗って駅につき、改札を抜けると雨が降っていた。
フランス人が、『雨のなかの散歩もいいものよ』
と言えるような生半可な雨ではなかった。
昼間にアイスを買ったコンビニで、ビニール傘を一本買って帰った。

6月がもうじき終わる。

休日

HANAが結婚式に出かけるということで、
今日は僕が一人で留守番だった。
9時半頃に朝食を食べ、それからHANAは支度を始めた。
いつもとは違うメイク、ヘアスタイル。
ヘアアイロンを使って髪を巻いている。
湿気のせいで、うまく髪が巻けないでいたけれど、
これでよし、と見切りを付け家を出て行った。

一人僕は、雨の休日に取り残された。
しばらく考えて、普段掃除しないところに手を付けようと思った。
まずは、花瓶の水の入れ替えをした。
しばらく前に飾った花瓶からは、少し嫌な匂いがし始めていたのだ。
逆さに吊るしてドライフラワーにしようと思ったのだけど、
茎が腐っている部分があったので、なんとか元気なものだけを選び、
テラスの梁に打ち付けた釘に、凧糸を結び吊るした。

ひとつ部屋から植物が減ってしまったので、
庭から紫陽花を1輪拝借し、花瓶に生けた。

それから、テラス部分にこびりついた泥を、ホースを使って水で洗い流した。
そしてデッキブラシでゴシゴシと洗う。
その流れで、玄関の掃除にも着手する。
出ている靴をしまい込み、水を湿らせた新聞紙をちぎって投げる。
それをほうきで掃くのである。
以前HANAに教えてもらった方法だ。これで汚れがずいぶんと落ちた。
ぞうきんを固く絞り、玄関の扉を拭く。
玄関の外には屋根の部分が狭いので、跳ねた泥がついてしまうのだった。
それが終わると、掃除機を部屋全体にかけ、食器を洗い、洗濯機を回した。

一通り終える頃には14時くらいになっていた。
冷凍のうどんを茹でて、白だしにネギをふって食べた。
HULUで、THIS IS ELVISと言う映画をBGM代わりにした。

その頃には雨もやんでいた。
僕は着替えをして、出かける事にした。
スニーカーではなくサンダルを履き。少しラフな格好で家を出た。
二子玉まで散歩がてら行く事にした。
15分くらいで行けるので、距離的にもちょうど良かった。

道中、ラジオを聞きながら歩いた。
DJはウルフルズの再結成の話をしていた。
そしてゲストには彼らが登場していた。

二子玉の駅に着くと、人で溢れかえっていた。
セールがそこかしこで始まっていたのだ。
僕はそんなセールとは無縁の本屋に行った。
そしてとくに何も買う事なく、周辺の店を物色した。
しばらくすると、HANAから連絡がきた。
式が終わって帰っていると言うので二子玉で落ち合う事にした。

先週見た花屋にあったユーカリの木は、既に売られてしまっていた。
花屋もセールをするのだ。これには驚いた。
そうこうしていると、青い服を着たHANAの姿が目に入った。
楽しい式だったと顔をほころばせていた。

地下にあるスーパーで、夕飯の買い出しをした。
以前実家で食べた、生春巻きを作ろうと思っていた。
家にある食材を二人で確認し、買い足す必要のあるものを、かごに入れていった。

両手いっぱいに荷物を持って、電車に乗り込み家に帰った。
ごはんを炊き、食材を切り分け、テーブルに並んだ。

いただきます

今日一日あった出来事を、写真を交えながら話す。

式にマジシャンが来ていてね

今日行った服屋でね

たわいもない会話を交わす。
明日は甥に会いに行く。
雨が降らないといいのだけれど。                         



2014年6月27日金曜日

我が輩は犬である。

我が輩は犬である。
名前は人間界のものがついている。
ピーマンである。
ピーマンというのは人間界の言葉で、緑色苦物のことを指すらしい。
どうやら飼い主の息子がそれを嫌いらしく、
親しみを持ってほしいがために、我が輩にその名をつけたようだ。
しかし、彼は我が輩のことをピーちゃんと呼ぶ。
我が輩はメスなのである。マンではないのだ。



という話のくだりを仕事帰りの自転車をこぎながら考えていたのだけど
この先が思いつかないので今日はここまでとしよう。



2014年6月22日日曜日

6月22日

雨音とともに一日が始まった。
しとしとと雨が屋根にあたる音が心地よく、眠りを深いものにする。
しかし、寝ているばかりの日曜日などもったいない、
そうやって自分を鼓舞させると、ベッドから這い出て一階へと降りていく。

一階ではHANAが朝食の準備をしている。
おはよう
何気ない朝の挨拶を交わし、僕も朝食をとった。
11時から、一つ隣駅にあるヨガ教室を予約しているということで、
HANAは準備をしていた。
僕はと言えば、午前中に用事など持ち合わせてないので、
ラジオを聞くともなく聞いて、先日買った雑誌を読んでいた。

「雨に歌えば」の優しい音色がラジオから流れてくる。
英語の歌詞など分からないけれど、ハミングする。
雨だからといっても、こういった曲を聴くと気分がよくなるから不思議だ。


行ってくるね
とHANAは言って、玄関で靴を履く。
そして扉を開けて振り返る。
午前指定の荷物が二つ届くから、その受け取りをしてね
まるで子供に用件を頼むような口ぶりで彼女は言う。

僕は「分かったよ」と言って軽く右手を挙げる。
HANAは小さな荷物を持ち、傘をさして出かけていった。


雨脚は少しだけ強くなる。
レースのカーテン越しにそれを確認する。
僕はソファに寝っ転がると、そのまますーっと眠りについてしまった。

ピンポーン
と玄関で呼び鈴が鳴る。
時計を見ると11時30分だった。
荷物をを抱えた宅配の男性は雨で濡れていた。
サインをし、荷物を受けると、礼を言った。
ありがとうございます


12時近くになって、僕は着替えをし、歯を磨いた。
お気に入りの帽子をかぶると、雨の世界へと出かけていった。
隣駅にいき、花屋の前で待ち合わせる。
僕の隣には、大きなユーカリの鉢植えが置かれていた。
しばらく待っているとHANAがやってきた。
雨、やんだね
HANAは言う。


二人揃って、いつもの美容室へと行く。
道中、花屋へ入ってダリヤを一輪だけ買う。
ヨシグチさんが好きだと言っていた花だ。

15時になり、美容室につくと軽く挨拶をした。
そしてダリヤを渡すと、すぐに空き瓶に生けてくれた。
まずHANAが髪を切り、その次に僕が切った。
足下には大量の髪の毛が落ちている。
髪型が夏らしく、涼しげなものになった。

礼を言って外へ出る。
家へと帰る前に、また花屋へと行き、ローズマリーを2鉢買った。
少し触れるだけで香りがたった。

家に帰るとそのローズマリーを玄関の前に植えた。
このまま根付いてくれるといいのだけれど。

少し一休みをすると、20時になった。
二人で夕食の支度をする。
僕はサラダとおひたしを作った。
HANAはカブの煮付けとアジの柚子胡椒漬けを作った。
昨日の残り物とそれらがテーブルを埋めた。
いただきます

もう雨音は聞こえず、ラジオの音だけが流れていた。
一日が静かに終わる。

2014年6月12日木曜日

京都とその他周辺

ゴールデンウィークあたりから、つい先々週の京都旅行までの写真を
現像に出したので何枚か選んでみました。

やはり写真というのは過去からの贈り物みたいなもので、
現像に出すというワンアクションがあると、より一層その感が増すのである。
実際に見た景色とは違う色合いで表現されるそれらは
思い出という補正とともに記憶と記録に残されていく。


新しい出会いと、始まりと、続いて行く未来に。