子供を授かると、いろいろな行事が次から次へとやってくる。
毎日、洗濯やら沐浴などをさせていればいいわけではなく
変な話であるけど、節目と言うのがたくさんあるようである。
今回はお宮参りだ。
本来は生後1ヶ月程度で行なわれるもののようであるけれど
ほぼ2ヶ月目の今日、近所の神社で済ませてきた。
親と同居していたら、そろそろお宮参りだ、そろそろお食い初めだと
キッチンタイマーよろしく知らせてくれるのだろう。多分。
しかし核家族では自分たちで気づき、実行しなくてはならない。
花さんが神社と、着物の手配をしてくれた。
僕は次男坊B型の精神に則って、それにおんぶに抱っこ、ついていく。
僕は自身の結婚式のときに買ったロングジャケットとハットをかぶった。
花さんは黒いドレスシャツに、黒いスラックスにマルジェラのシューズ。
記録媒体として、デジカメ、フィルムカメラ、デジタルビデオ、チェキ、三脚を持った。
予約した神社は徒歩で20分程度の場所ではあるが、1時間前に家を出た。
先週買ったベビーカーを初めて使う。
僕らには珍しいピンク色のフレームをチョイスしたそれに、理子さんを乗せる。
最初は少しだけぐずったけれど、
そのうち小刻みな揺れが心地よかったのか眠りについた。
僕は少し汗をかきながら、車通りの激しい環八を離れ、
路地に入って目的の神社へと向かう。
通りには提灯がぶら下がっていて、お祭りの様相だった。
ハッピを着た若者が、コンビニの駐車場に座り込んで酒盛りをしていた。
そう、18、19日は、まさに今向かっている神社でお祭りが行われているのだった。
「人がいて、少々うるさいかもしれませんよ」と
花さんは電話で神社の人に言われたらしい。
行った事のない神社だったのだけど、祈祷するような場所の近くは静かだろうと
たかをくくり、「問題ないですよ」と答えた我々だった。
いつもは道をナビする花さんがベビーカーを押しているため、
地図の読めない僕が道を先導する。
つまりはiPhoneのマップ機能に住所を打ち込み、
それに従って向かっていただけなのだけど、
所詮は人工知能を持たない普通のコンピューターである。
僕らを導いたのは、長い階段がある神社の正面入り口であった。
慣れない道をベビーカーで歩いていたせいで約束の時間まで10分を切っていた。
愕然としつつも、階段を登らなくてはならない。
「お宮参りを受け付けている神社がこんな階段登らせるのかよ」
僕たち夫婦の間には共通の感情が涌いていたのだけど、
それは口には出さず、目で語り合った。
僕はベビーカーをぎこちなく畳み、両腕で鞄を、両手でベビーカーを持ち、
花さんは理子さんをエルゴで抱っこして階段を登った。
階段を登りきった先には、屋台が並び、こどもたちが奇声をあげてかけまわってる。
そして大音量で北島三郎が「祭りだ祭りだ」と歌っている。
言われなくても分かる、まさに祭りの最中である。
赤い旗が振られた闘牛のように突進するこどもたちの間を、
ロングジャケットにハットをかぶった、祭りの会場に相応しくない赤子連れが通る。
神社の事務局のようなところに入って「こんにちはー」と声をかけるも
さぶちゃんの歌声によってかき消される。
何度か大声で呼びかけたらようやく係の人が現れた。
お宮参りで来たのだ、と伝えると、本殿のほうへ行ってくださいと言われる。
果たして、本殿とは即ちお賽銭箱の奥であった。
僕たちが想像していた準備室みたいなものは存在していなかった。
既に本殿には、今すぐに祈祷を始めますというオーラの女性が立っていた。
しかしながら理子さんはまだ普段着であった。
準備をさせてくださいと言って許可をとり、
本殿の隅の方で着替えを始めたのだけど、
エルゴから床に下ろすやいなや、炸裂する「ブリブリッ」という理子さんによる排便である。
その時、サブちゃんの歌は止まっており、
本殿の前ではお参りに来た人が賽銭箱にお金を投げ入れていた。
なんというシュールな光景であろうか。
一瞬空間は凍り付いたのだけど、瞬間解凍して、
すぐさまシートを敷き、おむつを替えた。
昨日に至っては、ほぼ丸一日排便がなく便秘症ですな、などと言っていたにも関わらず、
おむつには実に大量の便であった。
笑ってごまかせるような空気ではなかったので、現実的にすぐ対応した。
そしてレンタルした着物を着させ、
本来祖母が着るべきところではあるのだろうけど、
花さんが理子さんを抱っこし、祈祷を受けた。
バックグラウンドミュージックは、さぶちゃんから長渕に変わった。
時折賽銭箱にお金が入る「カランコロン」という音がした。
理子さんは比較的大人しかった。少しは空気を読んだようだ。
10分程度で祈祷は終わった。
お礼を渡して本殿を後にし、記念撮影をした。
屋台は出てるし、こどもたちがかけまわっているため
隅の方でこそこそと撮っていたのだけど、人の往来は途切れる事がなかったので
撮影は早々に切り上げた。
昼食を摂っていなかったので、屋台で焼き鳥と焼きそばを買って食べた。
屋台の人のほとんどが歯のない人たちだったのは何故だろう。
祭りの雰囲気に全くそぐわない我々は、奇異の目でこどもたちに見られていたため
足早にその場を離れた。
果たして、きちんとこの神社には裏口というものが存在しており、
スロープがあり、きちんとバリアフリーであった。
出鼻をくじかれたあの階段は何だったのか。
iPhoneのマップには裏口を示す能力はなかったようである。
太陽はいつの間にか角度を大幅に変えていて、すっかり夕方になっていた。
汗ばんでいた昼間が嘘のように、少し肌寒かった。
家に帰ると、ろくに撮ることができなかった記念撮影を続行した。
白い壁を前に、三脚を使っての記念撮影。
そんな時、理子さんはいつもとは違う空気を察知してか大声で泣いた。
それはそれは、真っ赤な顔をして、着ている着物の紅にも負けないものだった。
振り返ってみれば、外ではろくにカメラを回す事もできずにいた。
理子さんが生まれる前、出かけていたらフィルム1本くらい撮っていそうなものなのだけれど。
少し前に「家族の記録は生半可な気持ちでは撮れないぞ」と
父親から言われた言葉を思い出した。
確かにそのようだよ、お父さん。
僕はあなたのようにはなれないかもしれない。
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