2014年8月25日月曜日

2014年8月21日

8月21日の早朝4時頃。当たり前だけど僕はベッドのなかで眠りについていた。
そんな中、部屋の外から叫び声が聞こえる。
「破水した!」HANAが言った。
低血圧で、目覚めの悪い僕ではあるのだけど、文字通り飛び起きた。
ハスイシタ
たったの5文字であるのに、まったく理解ができないでいる僕を尻目に
HANAは至って冷静に見えた。着替えをし、支えなしで自分の足で歩き、まずかかりつけの病院へ連絡。
指示をあおぎ、登録しておいた妊婦用タクシーに連絡をした。
事前にHANAは、必要な物を3つのバッグに入れて用意していたので、
それらを持って、外へ出た。
すると、既にタクシーは指定された場所で待機していた。
夏とはいえ、まだ薄暗く、蝉も鳴いていない時間だった。
タクシーの運転手は、緊急時用にもかかわらず、地理が不勉強らしく
我々が道を指示して病院へと向かった。

車内でもHANAは冷静に見えた。
予定日は24日だったので、3日ばかり早い。
しかも陣痛ではなく、破水から陣痛が起きるパターンだ。
もしこれが、HANA一人の時に起きていたらと思ったらゾッとした。

病院に着くと、時間外受付で事情を説明し、産婦人科病棟へと向かう。
すぐさま、胎児の心音と、胎動の確認を行い、それぞれの数値がグラフ化され、プリントされる。
あたりまえかもしれないけれど、このまま入院ですと告げられる。
そのとき時刻は5時前だったのだけど、9時には先生がくるという。
その間、ご主人はどうされますか?と聞かれたので、
いったん家に帰り、家の片付けをしてから戻ってきます、と答えた。

電車の始発がでている時間だったので、駅まで歩き、冷静になろうと努めた。
少しまえに実家の母には連絡を入れており、起きているようだったので電話をした。
母の声を聞くと幾分落ち着くことができた。

電車に乗るという日常的な行為が、いまいちしっくりと肌になじまない感覚。
自分の体に異変が起きた訳でもないのに、
体の奥の方からすさまじいエネルギーの固まりのような物が押し出してくる感覚があった。

家に着くと、軽く食事を済ませ、食器を洗い、洗濯機をまわした。
洗濯が完了するまでに、インターネットで、破水から始まる出産について調べる。
まったく予想もしなかったことなのだ。
破水とはすなわち、胎児がいるお腹の中の羊水が抜け出ていくことであるから、
時間との勝負になってくる。時間が経つにつれて、赤ちゃんが呼吸ができなくなって辛くなっていく一方なのだ。
24時間以内での出産をある程度の基準としていることが多いようだった。

洗濯を終えるアラームが鳴り、洗濯物を干すと、また家を飛び出した。
病院に着いたのは9時を過ぎていた。院内にあるコンビニエンスストアで、水やポカリスエット、軽食を買った。
そして、ナースステーションで名前を告げると、分娩室に通された。
HANAは、胎児の心音と、胎動をモニタリングする装置をつけ、陣痛を促す薬を点滴していた。
その部屋には、テレビが備え付けられていたが、なぜかチャンネルを切り替えることができず、ニュース番組はただひたすらに、広島の災害のことを告げていた。
僕は、勤め先の社長に電話で事情を話し、休みを取った。

12時頃になって、HANAの食事が出てきたので、
僕もコンビニで買ったおにぎりやらサンドイッチを食べた。
それからしばらくすると、HANAの体に変化が出てきていた。
陣痛の感覚が一定になり、グラフの山がなだらかになったのだ。
助産師さんが、子宮口の開き具合をチェックし、点滴の量を調整。
そういった動作が繰り返された。
痛みは静かに、確実にHANAの体に繰り返しもたらされた。
休む暇もなく、次の波が襲ってくると、HANAの顔は痛みで歪んだ。
休めるうちに休みましょう、と言われても、痛みでとても眠られるような状態ではないようだった。

HANAは言った。
「これが赤ちゃん自身が求めているものだったら我慢できるけど、薬で無理矢理起こした陣痛だから、この痛みに対してどうしたらいいかのわからない」と。

しかし、一センチしか開いていなかった子宮口は、HANAにもたらされる痛さとともに、
確実に開いていくのだった。
4時近くには、8センチほど開いていた。

そして、先生は僕に言った。「思っていたよりも早く生まれるかもしれません、7時から8時くらいだと思います」子宮口も完璧に開きつつあった。
しかしこのことは当の本人には告げられなかった。
痛みの感覚が短く、そして激しいものになっていったとき、
助産師さんは、HANAの体を自分に預けさせながら、
優しく話しかけ、もう少しだよ、あとちょっとだよとHANAをなだめるのだけど、
「あとちょっとってどのくらいなんですか?」と
ひどく冷静に質問をしていた。
僕は先生から聞いたように、「子宮口が開いて、あともう少しで頭が見えるようだ」と伝えた。
僕はHANAの背中をさすったり、テニスボールを押当てたり、汗を拭いたりと、
思いつくことをやりつづけた。それでも足りないと思うのだけれど。


そして、ついに、その時は訪れる。
助産師さんに、「ご主人は立ち会いますか?」と聞かれ、「はい」と答えた。
僕は一度部屋の外に出ると、廊下を行ったり来たりとし、落ち着かなかった。
そして、死んだじいちゃんに祈った。「どうか、無事に出産させてほしい、見守っていてください」と。
いつも診察をしてくれていた先生に加え、女医さんと助産師さん2名が部屋に入り、
出産の支度を始めているようだった。
「ご主人、入ってください」と言われ、部屋に入ると、
酸素マスクを口につけ、分娩台に上がったHANAの姿があった。
僕の心拍数は跳ね上がった。
今まさに、生まれようとしている。
僕はHANAの右側に寄り添い、見守った。
先生が数値や子宮口を確認する。
そしてHANAに声をかけ続ける。
「息を止めると赤ちゃんが苦しくなるよ、吐いて、力んで!」
「そう、上手だよ、赤ちゃんの顔が見えてきたよ」
男の先生が、かけ声とともにHANAのお腹を下の方へと押し出した。
「せーの!」
「もう少しだよ、がんばれ!」先生たちのかけ声が響く。
正直なところ、僕は声をかけることができなかった。
ひたすらに痛みに耐え続けているHANAの姿を間近で見ていたら
情けないけれど、口を開いた途端に涙が出そうになっていたからだ。
それでも、2回めに先生がお腹を押してイキんでいるとき、
「がんばれ!花ちゃん!がんばれ」と叫んだ。

あっという間の出来事だった。
鳴き声とともに、赤子は取り上げられるとHANAの胸で抱きかかえられる。
「おめでとう!元気な女の子だよ」
分娩室で声援が響く。
僕は「やったね。花ちゃん。やったね。がんばったね」と声をかけるけど
その視界は涙でにじんでいた。
HANAは声にもならない声で、赤子を抱いていた。

すぐさま赤子は助産師さんによって、抱きかかえられると、
別室で体を拭かれ、体重、身長を測った。
8月21日。19時21分誕生。47.1センチ。2685gだった。

助産師さんは、タオルで包まれた赤子を僕に手渡してくれた。

僕は愛娘に初めて声をかけた。
「いらっしゃい、理子さん。パパだよ」

HANAと、母たちの名前にある「子」を一字とり、
スペイン語で「豊かな」という意味のある理子(リコ)と名付けた。

理子は、顔の割に大きな瞳をしっかりと見開いて僕を見つめ返してくれた。
これからいっぱい愛を注いでいくよ、理子さん。



花ちゃん、本当にありがとう。







photographed by yanobetty

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