2018年7月14日土曜日

7月13日

7月12日木曜日、花さんは入院した。その後、進捗をメールで送ってくれ、だんだんとその準備に向けていることが分かった。
第二子をもし授かったら無痛分娩で、という思いが花さんにはあったようで、今回はそうすることにしていた。
また、それを実践している病院が近くにあった、ということも背中を押した一つの理由と言えた。

花さんの入院した部屋は個室で、送ってくれた写真を見てみたら、まるでホテルの夕食のようなものを食べさせてくれるようだった。翌日の出産に向けて思いを馳せているといった感じだった。
僕は僕で、金曜日と翌週の火曜日に休みを取った穴埋めをするため、仕事を進めた。
ようやくなんとか先が見えた夕方、コンビニでおにぎりとサンドイッチを買って食べた。
18時過ぎに仕事を終え、保育園へと向かった。理子にとっては久々の延長保育だった。

理子を連れて家に帰り、食事の支度をした。20時だった。いつもは僕が帰ってくる19時頃には花さんが支度をしてくれた食事を食べていたわけだから、だいぶ遅い。
レトルトのハンバーグを食べたのだけど、理子は完食しなかった。咳も出ているし、体調が思わしくない。
食事が一区切りつくと、花さんから電話があった。理子は嬉しそうに話をしていた。
花さんは時折下腹部に痛みがあるようだった。

その後21時頃に風呂に入り、洗濯物干したりして22時半に布団に入った。結局寝付いたのは23時頃だったと思われる。
時同じくして、翌日に出産をするはずの花さんのお腹のなかでは様々な事態が起こっていたようだった。
陣痛が強まり、子宮口が5センチほど開いていて、かつ赤ちゃんの心拍が落ち始めていたようだった。
そして帝王切開が行われることが決定したとラインが入っていた。
なにかあった時のためにマナーモードは解除していたけれど、メールの着信音では気づくことはなかった。

まさに日付が変わった0時に電話が鳴った。100パーセントなにかが起こったことを伝える電話だ。文字どおり飛び起きた。
着信は花さんからだった。落ちついた口ぶりのなかにも緊迫感が伝わる、少し震えた声で、赤ちゃんの心拍が落ち帝王切開することになったと改めて花さんは言った。当然僕はラインを読んでいなかったので、寝起きの頭をフル回転させても理解ができずにいた。無痛分娩とは程遠い「帝王切開?どうして?」

とにかく早く来て欲しいと言われ、どれぐらいで来れるか、との質問に1時間以内には、と伝えた。いつもはバスで10分強くらいの距離。時間は深夜だからタクシーを配車し、理子を起こして行かねばならない。電話口の向こうではそれより先に生まれてしまうという助産師さんらしき人の声がする。

電話を切ると、とんでもないことが起きたと右往左往した。理子が生まれた時も、深夜に自宅で破水してバタバタしていたけれど、今回は離れたところで事態は起きていた。
まず理子を起こすために部屋の電気をつけ、自身も着替え、どういうわけか理子の着替えをカバンに突っ込み、ペットボトルのお茶とカメラを持った。
「れいちゃんに会いに行くぞ!」と理子にいうと意外なほど、さっと起きた。
アプリで配車したタクシーはあと10分で到着するということだったけど、気が気でないので家を飛び出した。理子を抱っこして外に出ると、ちょうど「迎車」のライトが灯ったタクシーがゆっくりとやってきた。
名前を確認され乗り込んだのだけど、小さな子供も一緒だったためか、運転手は少し動揺しているようだった。夜中の12時。子供はあきらかにパジャマを着ているのだ。
病院の住所を告げ、急いでください。と言った。

病院に行くいつもの道なのに今回は暗く、いちいち止まる信号にもどかしさを感じ、急いでくれって言ったじゃないかと理不尽なことを思ったりした。

病院に到着し1300円だと告げられると2000円を渡し「お釣りはいらないです」と口走っている僕がいた。460円の富士そばを昼飯に食べているような僕がどうしてそんなことを言ってしまったのか。運転手は「本当にいいんですか?」と聞き返すほどだった。

夜間インターホンを押すと名前を告げ中に入った。僕の声は震えていた。
静寂に包まれた病院の廊下や階段を、スニーカーがキュっと音を立てる。
ナースステーションには人はおらず、新生児室、分娩室にも人影は無かった。
本当にこの静けさのなかで手術が行われるのだろうか?と思った時、助産師らしき人影があった。僕は声をかけたけど、それは届かなかったようで、また足早にどこかへ消えていった。

静寂。

僕は訳も分からず受付や個室が並んでいる廊下を歩いてみた。そしてまた分娩室があるほうに行くと名前を呼ばれた。
緊急で手術が行われることを改めて告げられると、先ほどまで花さんがいたであろう分娩室に通された。ベッドの脇のテーブルには、見慣れた花さんの携帯が置かれていた。
ベッドのシーツには血痕があって、それが妙に静寂さを感じさせていた。

ここでお待ち下さい
と伝えられると、先ほどは耳に入ってこなかった金属音やモニターの何かを知らせる音などが聞こえ始めた。自分の感覚が体に戻ってきたようだ。しかしそれらは不気味なほどに、不吉なことを想起させた。目の前には血痕のついたベッドもあるのだ。
ソファに腰を下ろしたけど、背もたれに体を預けることなどできず、本当に色々なことを考えていた。
心拍が低下しているという言葉がもたらす破壊力はすさまじく「死」のイメージを直結させた。だから僕はもう随分前に亡くなったじいちゃんに「まだそっちに連れて行かないでくれ」と本当に何度もお願いした。こういう時、ポジティブに産後のことを考えるというよりも、とにかく花さんもれいちゃんも無事でいてほしい、そのことしか思えなくなる。

しばらくすると、理子は、今まで見たことのないような表情で僕の顔をじっと見つめてきた。よほど僕が頼りない顔をしていたんだろうなと思った。
「大丈夫だよね?」口には出さないけれど、そう聞かれているようだった。

いつも診察をしてくれていた先生が部屋に入ってきて説明をしてくれた。今から帝王切開します、大丈夫ですから待っていてくださいと彼は言った。

よろしくお願いしますと言ってからどれくらいの時間が経ったろうか。
いまさら帝王切開のことをネットで調べる気も起きず、ただただ誰かに祈っていた。ほぼ無宗教のように生きているのに虫のいい話だ思われても仕方がない。でもこういうときにすがる者があるのは安心するのだろうなと思った。

理子も眠たい目をこすりながら、この空気を感じ取っているようだった。静かに前をみていた。


赤ちゃんの泣き声がする。でもここは新生児室のすぐ近くだ。ある意味完全なる沈黙の状況の中ただひたすら扉が叩かれるのを待っていた。


そして「トントントン」と扉をノックする音がした。
助産師さんが「おめでとうございます、母子ともに無事ですよ」と教えてくれた。
それと同時に涙が出てきた。全身の力が抜けてへなへなになってしまった。

本当に良かった、本当に。

放心するなかありがとうございますと頭を下げた。
「ママがんばったよ、理子。もうすぐ会えるよ」と理子に伝えた。
本当に出産は千差万別だ。「絶対」がありえない。
ただ無事に生まれたことだけが事実として残った。
助産師さんは理子の顔をみると「お顔はお姉ちゃんにそっくりだよ」と教えてくれた。

しばらくして、先生からも説明があり、最後に「お姉ちゃんにそっくりですよ」と言った。

後々分かったのだけど0時28分に生まれたようだった。それは僕が病院に到着してほんとにすぐ後のことだった。体感的にはもっと後のことのように思えるのだけど、時間の流れが異質だったのかもしれない。

花さんは個室に戻っていた。僕と理子が部屋に入ると花さんは安心したのか涙を流していた。ほんとうに不安だったんだろうなと思った。心細いその瞬間に近くにいれなかったことを悔やんだ。
それを見て僕もまた涙が出てきた。部屋にはまだれいちゃんの姿はなく、色々と検診を受けているようだった。

お腹を切った後にもかかわらず、意外と意識がはっきりとしていてきちんと話すことができた。「ありがとう、お疲れ様。ほんとうに大変だったね」気の利いた言葉がなかなか出てこなかったけど、素直な気持ちだった。

そのうち助産師さんによってれいちゃんは連れてこられた。生まれたばかりの理子にそっくりなれいちゃんだ。ベッドで横になる花さんにそっと抱かれた。生まれたてってこんなに小さくて、こんなにかわいいんだったっけ?
4年ぶりの新生児の匂い。あまり泣くこともなく、でもまだ短いその腕を懸命にのばして母親に触れようとしている。
理子は少し離れたところで嬉しそうに見ていた。


保育園からの帰り道「明日れいちゃんに会えるけど、どんな気持ちがするの?」と理子に聞いたら、理子はすごく素直な言葉で「やさしい気持ち」と答えてくれた。
そんなやさしい気持ちで部屋は満たされていた。
ママに甘えたいけどそれをしていいのか分からずもぞもぞしているのも、きっと理子なりの優しい部分の表れなんだと思う。


花さん、ほんとうにありがとう、お疲れ様でした。
僕らは4人家族になった。



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