「4歳 長女 次女 生まれる」
とりあえずグーグル先生に上記の言葉を入力する。
理子は昼間はいい子なのだけど、睡眠時だけが異様になる。そういった人たちの経験談を探してみる。
通勤時間の30分、昼食時など、とりあえず眺めまわしたところ、答えがわかった気がした。
それはつまり「まだ生まれて4年しか経ってないのです。まだ赤ちゃんなんです」ということであった。れいちゃんが生まれる前のときのように、「理子が一番。」という姿勢を強調することに尽きるようだった。
そういったわけで、僕は帰宅するなり、まず「理子ただいま」「理子理子理子ー!」となった。とにかく理子の近くにいて、理子を抱きしめ、理子への愛を言葉にして伝えた。
すると笑顔の数も増えた。これはいける!と思い、「じゃあ今日はパパとお風呂入ろうか?」というとそっけなく「ばあばと入る」という。
それはそれで構わぬ。
理子が母と風呂に入っている間にれいちゃんとの親睦を図る私。オムツを替えた途端にまたうんちをする。へその緒はまだついたままで、少し血のようなものが見える。オムツに当たっていたそうである。
今のところれいちゃんは、母乳だけで生きているので、お腹が空いたようなそぶりを見せたら花さんにバトンタッチした。
ばあばと理子が出てきて、我々も風呂を済ませると、寝床をつくる。
相変わらず入眠までは時間がかかるけれど、この日は夜中に目を覚ますことはなかった。作戦成功であった。
理子ファースト。
我々はこれを肝に銘じて日々を過ごすことにした。
2018年7月26日木曜日
2018年7月23日月曜日
日曜日
日曜日の朝は静かだった。理子がいないのである。布団に対して自分の体を大きく広げて寝られる幸せを噛み締める。
夜のうちにタイマーをかけておいた洗濯機はまだ稼働していなかった。朝の5時である。僕は一度スイッチを切り、予約を解除してからまた洗濯機のスイッチを押した。
洗濯が終わるまで、プリキュアではなく、朝の情報番組を見る。2、3年前はこんな感じだったなと思いながら、お気に入りのアイスコーヒーを飲む。
洗濯を終えるブザーが鳴ると、ベランダで洗濯物を干した。いつもより洗濯物が少ない。理子の分がないのだ。
花さんとれいちゃんが起きてくる。れいちゃんは朝のおっぱいを飲んだら眠りにつく。そしてうんちをして、また眠りにつく。腹圧が強いのか、れいちゃんのおならは立派だ。
お昼。
ソーメンを茹で終わったあとに、めんつゆがないことに気がついた。仕方がないのでごましゃぶのたれを使って昼食とした。
お昼を食べて少ししてから、沼津に帰っていたおかんと理子を迎えに品川へ行くことにする。リビングの扉を開けるとそこはもう熱帯雨林気候。自分の体に不快という名の湿気がまとわりつく。花さんはもうここでよいと言って制して、リビングのドアを閉め、家を出た。
こころなしか外を歩いている人は少ないようだ。電車に乗っても然りだった。
大井町線に乗って品川へ。コンビニで買ったお茶はもうぬるくなっていた。
品川駅に着くと、ここは人でごった返していた。なにもこんな時季に日本に来なくても、と外国人旅行者を見て思う。しかし日本から四季はなくなってしまったようなものだからいつ来ても同じようなものなのかもしれない。寒いときはクソ寒く、暑いときはクソ暑い。
新幹線の改札で待ち合わせしようかと思ったのだけど、到着まで少し時間があったので、せっかくだからホームまで行くことにした。見送り用の切符を買い、東京駅方面のホームへ。品川から東京は一駅だから、ホームで待っている人はいなかった。
ベンチに座って到着を待った。
しばらくすると、アナウンスとともに新幹線がホームへと滑り込んできた。ぞろぞろと降りてくる乗客のなかに、母と理子の姿を探した。
新幹線がまた走り出した時、左手に二人の姿を見つけた。僕がそちらのほうへと歩いて行くと、理子も僕に気がついたようだった。「パパー!」と言って全力で走ってくる。
僕も近づいていき、膝をつき、力一杯抱きしめた。
「おかえり!楽しかったか?」と聞くと理子は笑顔でそれに答えてくれた。
母には「甘やかして困るわ」と言われても抱っこして歩いた。普段とは違うシャンプーの香りに、理子が自分とは離れたところにいたんだなと感じた。
親と離れて過ごすのはまったくの初めてのことだったのだ。
来た道を逆に行き、家まで帰った。
家に着くと数日ぶりに会うママに甘える理子。
れいちゃんにも理子なりに優しく接し、変わりなくいたのだけど、夜になると一変する。とにかく寝ないのである。絵本を2冊読んで、これでおしまいねと言っても自分で電気をつけたり消したりする。
いきなり立ち上がってみたり、足をバタバタしたりして、一つの部屋で寝ているれいちゃんの身の危険を感じてしまう。
こういったとき、思わず、弱者のれいちゃんを優先してしまい、理子を叱ってしまうのだけど、それに比例してヒートアップしてしまう。
ようやく寝たかと思えば2時頃に唐突に叫び出す。
「ヤダヤダヤダー」とのたうちまわる。手足をバタバタさせて全身で不満を訴えている。
目は閉じているのだけどとにかくヤダヤダという。
当然僕も花さんも起きて、二人がかりでなだめるのだけど、本人もどういったわけでそう暴れているのか、理解しているとも思えない。
10分以上そんなことが続き、スイッチが切れたようにまた眠りにつく。
ググれば色々なことが書いていあるのだけど、結局十人十色。色々な体験談から自分に近しいものを選んで納得するしかない。
朝、起きしな理子にはっきりとした口調で言われる。「パパどうしてここに足があるのよ。パパ嫌い」
悪夢は現実でも続いている。しかたがなく僕はまた眠りについた。
夜のうちにタイマーをかけておいた洗濯機はまだ稼働していなかった。朝の5時である。僕は一度スイッチを切り、予約を解除してからまた洗濯機のスイッチを押した。
洗濯が終わるまで、プリキュアではなく、朝の情報番組を見る。2、3年前はこんな感じだったなと思いながら、お気に入りのアイスコーヒーを飲む。
洗濯を終えるブザーが鳴ると、ベランダで洗濯物を干した。いつもより洗濯物が少ない。理子の分がないのだ。
花さんとれいちゃんが起きてくる。れいちゃんは朝のおっぱいを飲んだら眠りにつく。そしてうんちをして、また眠りにつく。腹圧が強いのか、れいちゃんのおならは立派だ。
お昼。
ソーメンを茹で終わったあとに、めんつゆがないことに気がついた。仕方がないのでごましゃぶのたれを使って昼食とした。
お昼を食べて少ししてから、沼津に帰っていたおかんと理子を迎えに品川へ行くことにする。リビングの扉を開けるとそこはもう熱帯雨林気候。自分の体に不快という名の湿気がまとわりつく。花さんはもうここでよいと言って制して、リビングのドアを閉め、家を出た。
こころなしか外を歩いている人は少ないようだ。電車に乗っても然りだった。
大井町線に乗って品川へ。コンビニで買ったお茶はもうぬるくなっていた。
品川駅に着くと、ここは人でごった返していた。なにもこんな時季に日本に来なくても、と外国人旅行者を見て思う。しかし日本から四季はなくなってしまったようなものだからいつ来ても同じようなものなのかもしれない。寒いときはクソ寒く、暑いときはクソ暑い。
新幹線の改札で待ち合わせしようかと思ったのだけど、到着まで少し時間があったので、せっかくだからホームまで行くことにした。見送り用の切符を買い、東京駅方面のホームへ。品川から東京は一駅だから、ホームで待っている人はいなかった。
ベンチに座って到着を待った。
しばらくすると、アナウンスとともに新幹線がホームへと滑り込んできた。ぞろぞろと降りてくる乗客のなかに、母と理子の姿を探した。
新幹線がまた走り出した時、左手に二人の姿を見つけた。僕がそちらのほうへと歩いて行くと、理子も僕に気がついたようだった。「パパー!」と言って全力で走ってくる。
僕も近づいていき、膝をつき、力一杯抱きしめた。
「おかえり!楽しかったか?」と聞くと理子は笑顔でそれに答えてくれた。
母には「甘やかして困るわ」と言われても抱っこして歩いた。普段とは違うシャンプーの香りに、理子が自分とは離れたところにいたんだなと感じた。
親と離れて過ごすのはまったくの初めてのことだったのだ。
来た道を逆に行き、家まで帰った。
家に着くと数日ぶりに会うママに甘える理子。
れいちゃんにも理子なりに優しく接し、変わりなくいたのだけど、夜になると一変する。とにかく寝ないのである。絵本を2冊読んで、これでおしまいねと言っても自分で電気をつけたり消したりする。
いきなり立ち上がってみたり、足をバタバタしたりして、一つの部屋で寝ているれいちゃんの身の危険を感じてしまう。
こういったとき、思わず、弱者のれいちゃんを優先してしまい、理子を叱ってしまうのだけど、それに比例してヒートアップしてしまう。
ようやく寝たかと思えば2時頃に唐突に叫び出す。
「ヤダヤダヤダー」とのたうちまわる。手足をバタバタさせて全身で不満を訴えている。
目は閉じているのだけどとにかくヤダヤダという。
当然僕も花さんも起きて、二人がかりでなだめるのだけど、本人もどういったわけでそう暴れているのか、理解しているとも思えない。
10分以上そんなことが続き、スイッチが切れたようにまた眠りにつく。
ググれば色々なことが書いていあるのだけど、結局十人十色。色々な体験談から自分に近しいものを選んで納得するしかない。
朝、起きしな理子にはっきりとした口調で言われる。「パパどうしてここに足があるのよ。パパ嫌い」
悪夢は現実でも続いている。しかたがなく僕はまた眠りについた。
2018年7月22日日曜日
7月22日
陣痛促進剤をいれ、痛みが出てきたタイミングで背中に麻酔を入れる管を入れる。そして胎児の心音を常時測定できるようにセットした。
これが今回の出産の肝であった。
なにが誘発させたのかはわからないけれど、胎児の心拍が弱まって行ってしまったのは、胎盤の一部が剥がれかかったことが原因だったようだ。
もしかしたら、そもそも陣痛促進剤を入れなかったら、こういった事態は起きなかったのかもしれないけれど、なにが正解だった、なんてもはや関係なく、結果が全てだった。
胎児の心拍が低下した兆候が見られてから帝王切開の決定、施術に至るまで、実に30分ほど。もし、金曜に入院していたら、花さんが痛みを我慢していたら、胎児の心拍低下などにだれも気づかず、大事になっていたかもしれない。
れいちゃんが生まれて1週間が経った。
初日のうんちは黒かった。こういってはなんだけど、タールみたいに見えた。2日目のうんちも同様だった。それから、緑色、黄色と変わっていった。
体に対してオムツがまだまだ大きい。履かせるタイプではなく、マジックテープを前で合わせるオムツの扱いが懐かしい。
理子は毎夜ヒートアップしたテンションを抑えることができずにいた。そんな中、姪っ子の保育園で行われる祭の準備のため、おかんは理子を連れて金曜日に沼津へと帰って行った。理子は意外にもあっさりママとバイバイしたらしい。
初日のうんちは黒かった。こういってはなんだけど、タールみたいに見えた。2日目のうんちも同様だった。それから、緑色、黄色と変わっていった。
体に対してオムツがまだまだ大きい。履かせるタイプではなく、マジックテープを前で合わせるオムツの扱いが懐かしい。
理子は毎夜ヒートアップしたテンションを抑えることができずにいた。そんな中、姪っ子の保育園で行われる祭の準備のため、おかんは理子を連れて金曜日に沼津へと帰って行った。理子は意外にもあっさりママとバイバイしたらしい。
花さんは腹を切っても、4日での退院は変わらず、痛みがあるなか理子の16キロの巨体と向き合わなくてはならず、体への負担があった。
そんな中、おかんは気を使ってくれたものと思われる。
本当に家族の協力は絶大だ。
理子がいないと部屋は静かだ。
まず、プリキュアがテレビに映っていない。
我が家にもたらされた静けさの代償はもちろん実家で披露されているようだ。3姉妹のなかに放り込まれた理子。想像を絶する無秩序ワールド。
れいちゃんは、まだ基本的に寝ている時間が長い。おっぱいを飲み、うんちをし、寝る。それを繰り返している。理子がまだ生まれて間もない頃、「意外と赤ちゃんは寝てばかりで静かなもんだ」と思っていたけれど、数ヶ月もするとその認識は間違っていたということに気がついた。今回もそうなるだろうから、この平和を鵜呑みにしてはならない。
今年の暑さは異常だ。エアコンをつけて寝ないととてもじゃないけれどいられない。
2週間検診を控える花さんにはタクシーで病院まで行ってくれ、と打診した。
2018年7月17日火曜日
長子の葛藤
夜中に理子はうなされている。ママは会いに行ける距離にいるのに、家に帰ってこないことが理解できていないということのようだ。
それと夜中の寝苦しさもある。エアコンはタイマーで3時間セットしているけれど、ちょうどタイマーが切れる頃にもぞもぞとしている。そして起きてしまう。「ママ、ママー」と叫ぶ。暴れる。
最近は体が成長してきたために、蹴り上げられると結構痛い。だから必死になだめる。
そのうちに、口で言ってなだめるよりも、エアコンをさっさとつけて室温を下げたほうが寝ることに気がつく。もう日本の気候は変わってしまったと認めざるをえない。世代的なのか、生まれた地域性なのか、僕はエアコンを使うことが悪のように染み付いてしまっている。初めて住んだ東中野のワンルームには、エアコンは付いていたけれど、ほぼ使わなかった気がする。
しかしもう時代は変わってしまった。そして気候すらも変わった。エアコンは使わなくてはならない。
朝、起きてパンを食べる。理子は一枚を食べきることができないでいる。
父はテレビの一週間まるごと録画にいたく感動している。そして地上波で放送していたジュラシックワールドを見て、理子に非難されている。
昼ごはんは母が懐かしい味のする焼き飯をつくってくれた。特別な何かをしているわけでもないのだろうけど、僕が作るそれとは違って、きちんと昔から作ってくれていた母の味がする。
ご飯を食べ終えると、父が運転する車で病院へと行く。昨日とは違う顔のれいちゃん。だんだん皮膚の色が変わって、表情に落ち着きが出てくる。まだなかなか目を開けてはくれない。花さんに聞くと昼間は寝ていることが多いのだけど、夜中に起きているようだった。
しばらくすると、花さんのお父さんがくる。どうやら駅から歩いてきたらしく汗びっしょりだった。父親同士はかなり久々に会ったんじゃないかと思う。理子の100日のお祝いの時だったか。孫きっかけで親同士が顔をあわせるのはいいことだと思う。
しかし父親同士というのは照れ臭いのか、あまり言葉をかわすこともなく、帰って行った。うちの父はれいちゃんを抱っこしてから帰ったのは意外だった。
理子はれいちゃんの世話をしようとするのだけど、どうしていいのかわからないといったふうだ。メルちゃんとは違うから仕方がない。けれど一生懸命さは伝わって来る。
うまくいかないことで嫌気がさしたのか、花さんのiPhoneでユーチューブを見はじめてしまった。
理子にとっては花さんに甘えたいけどなかなかそれも出来ず、なにかお世話をしようとすると止められるし、ふて寝してしまった。我々は理子をベビーカーに乗せて歩いて帰った。
それと夜中の寝苦しさもある。エアコンはタイマーで3時間セットしているけれど、ちょうどタイマーが切れる頃にもぞもぞとしている。そして起きてしまう。「ママ、ママー」と叫ぶ。暴れる。
最近は体が成長してきたために、蹴り上げられると結構痛い。だから必死になだめる。
そのうちに、口で言ってなだめるよりも、エアコンをさっさとつけて室温を下げたほうが寝ることに気がつく。もう日本の気候は変わってしまったと認めざるをえない。世代的なのか、生まれた地域性なのか、僕はエアコンを使うことが悪のように染み付いてしまっている。初めて住んだ東中野のワンルームには、エアコンは付いていたけれど、ほぼ使わなかった気がする。
しかしもう時代は変わってしまった。そして気候すらも変わった。エアコンは使わなくてはならない。
朝、起きてパンを食べる。理子は一枚を食べきることができないでいる。
父はテレビの一週間まるごと録画にいたく感動している。そして地上波で放送していたジュラシックワールドを見て、理子に非難されている。
昼ごはんは母が懐かしい味のする焼き飯をつくってくれた。特別な何かをしているわけでもないのだろうけど、僕が作るそれとは違って、きちんと昔から作ってくれていた母の味がする。
ご飯を食べ終えると、父が運転する車で病院へと行く。昨日とは違う顔のれいちゃん。だんだん皮膚の色が変わって、表情に落ち着きが出てくる。まだなかなか目を開けてはくれない。花さんに聞くと昼間は寝ていることが多いのだけど、夜中に起きているようだった。
しばらくすると、花さんのお父さんがくる。どうやら駅から歩いてきたらしく汗びっしょりだった。父親同士はかなり久々に会ったんじゃないかと思う。理子の100日のお祝いの時だったか。孫きっかけで親同士が顔をあわせるのはいいことだと思う。
しかし父親同士というのは照れ臭いのか、あまり言葉をかわすこともなく、帰って行った。うちの父はれいちゃんを抱っこしてから帰ったのは意外だった。
理子はれいちゃんの世話をしようとするのだけど、どうしていいのかわからないといったふうだ。メルちゃんとは違うから仕方がない。けれど一生懸命さは伝わって来る。
うまくいかないことで嫌気がさしたのか、花さんのiPhoneでユーチューブを見はじめてしまった。
理子にとっては花さんに甘えたいけどなかなかそれも出来ず、なにかお世話をしようとすると止められるし、ふて寝してしまった。我々は理子をベビーカーに乗せて歩いて帰った。
2018年7月16日月曜日
続・家族
深夜の出産劇から、タクシーに乗って自宅に帰った。結局4時くらいに寝たんだと思う。頭が妙に冴えてるのに体がついていかないといったふうだ。僕たちの木曜日がようやく終わった。
寝たのも朝方ではあるけれど、起きたのも朝方だった。6時前に母親からの電話が鳴ったのである。やはりマナーモードは解除してあったので、フル音量で着信したのであった。
僕は昨夜、「帝王切開になった、今タクシーにのって病院に向かっている」というメールを母親に送ったきり、そのあと連絡をしていなかったから、それを朝起きて見て、びっくりして電話をしてきたのだと思われた。
ことの顛末を寝ぼけながら話をした。それに納得したのかどうかはわからないけれど、花さんもれいちゃんも無事ということは理解したようだ。
電話を切ったあと、再び眠ることはできなかった。人に話したことによって、あれは現実だったんだなと改めて実感したところもある。
しばらくすると、理子がうなされて起きた。エアコンが切れて部屋が暑くなったこともあるし、おそらく昨夜の様々な出来事がフラッシュバックしたのだと思われる。うなされながらママ、ママと叫んでいた。
エアコンをつけるとまたすーっと眠ったのだけど、体がとても熱い。昨日体調が悪そうだったこともあり、また起きたタイミングで午前中の間に小児科に行くことにした。
午後には僕の両親が来ることになっていたので、布団の準備をしたり、掃除をした。そのうち理子は起きてきたのだけど、機嫌が悪い。
「朝ごはんはなにを食べる?」と聞くと、「いらない」と思春期の輩みたいなことを言う。「パンにチョコレート塗る?」と言っても「いらない、お茶漬けがいい」と言う。
あいにくご飯のストックはなかったので、早炊きモードでご飯を炊くことにした。
炊けるまでの間、プリキュアの録画を見ているとだんだん機嫌が直ってきた。
30分後くらいにご飯が炊け、いざお茶漬けを出しても案の定食べない。
半分も食べずに「もういらない」という。仕方がないのでもうご飯を食べさせるのは諦めて自分が食べた。茶碗のなかでアンパンマンの顔がむなしく浮かんでいる。濡れてちゃ力も出ないだろう。
11時半頃ベビーカーで小児科まで行った。12時に閉まるので道を急いだ。
焼けるようなアスファルト。ベビーカーで感じる気温は大人以上だと思われる。
小児科に着くと患者は誰もおらず、診察券を出すとすぐに診察室に通された。
診てもらってもとくに特化して悪いところもなく、ホクナリンテープと、熱をさますシロップを処方してもらった。
向かいの薬局で薬を受け取り、駅前のスーパーで買い物をして帰った。
焼きそばを作って食べると、支度をしてママのいる病院へと向かった。早くママのところに行きたいと理子がいうのだった。
しかしいざバスで向かおうとすると、理子は歩かなかった。そして抱っこしてバスを待っている間に眠ってしまった。やはり体が疲弊しているようだ。
16キロの体を抱っこし、バスから降りると、炎天下の中日陰のない道を歩いた。
病院に入ると受付をし、手の消毒をした。待合室にいた人たちが一斉にこちらを見ている視線を感じた。1階が診察室で2階が入院している部屋だったので、階段を上がるのだけど背中にも視線を感じる。待合室にいる人たちはこれから産む人達なわけで、興味深かったのかと思われる。
花さんの部屋に入る。れいちゃんが透明なケースのなかですやすやと寝ている。
昨夜は暗がりの部屋の中でしか姿を見ていなかった。改めて明るい部屋の中で対面すると、出産してまだ10時間程度しか経っていないため、まだ皮膚が赤紫といったふう。
「れいちゃん、パパだよ、お姉ちゃんもいるよ」などと声を掛ける。
花さんは少しは眠ることができているようで、元気そうだった。
しかしながら一月前くらいから続いている手足のむくみはまだ解消されていない。
昨夜は看護師さんに手渡された、という形で抱っこをしただけだったので、ベッドに寝ているれいちゃんを改めて抱っこすることにした。
しかし4年近く前のあの感覚はもう忘れてしまった。なにもかもおぼつかないぎこちなさだった。本当に2児の父なのか?といった感じだった。
その後16時過ぎに、僕の両親がやってきた。彼らにとっては5人目の孫である。しかも全員女なのだ。
父親はビデオカメラで記録することをやめ、ソニーのデジカメで5人目を記録している。
映像は編集しないといけないから、またカメラ自体が重いからだという。
僕も記録する。こうやって家族が集まって無事に新しい家族を迎えられることを幸せに思う。
花さんが疲れてしまう前に帰ることにする。
両親は車で来ていたので、車で家まで帰り、家の近所の串カツ田中でご飯をたべた。この店の客層は家族づれが多く、安心してくることができる。最近全席禁煙になったのもうれしい限りだった。
久々に居酒屋に行き、両親と酒を飲みながら過ごせるというのもいいものだった。
家に帰ると理子はばあばとお風呂に入り、ばあばと寝た。
僕にとっても、理子にとっても、もちろん花さんにとっても、ものすごく長い長い1日が終わった。
寝たのも朝方ではあるけれど、起きたのも朝方だった。6時前に母親からの電話が鳴ったのである。やはりマナーモードは解除してあったので、フル音量で着信したのであった。
僕は昨夜、「帝王切開になった、今タクシーにのって病院に向かっている」というメールを母親に送ったきり、そのあと連絡をしていなかったから、それを朝起きて見て、びっくりして電話をしてきたのだと思われた。
ことの顛末を寝ぼけながら話をした。それに納得したのかどうかはわからないけれど、花さんもれいちゃんも無事ということは理解したようだ。
電話を切ったあと、再び眠ることはできなかった。人に話したことによって、あれは現実だったんだなと改めて実感したところもある。
しばらくすると、理子がうなされて起きた。エアコンが切れて部屋が暑くなったこともあるし、おそらく昨夜の様々な出来事がフラッシュバックしたのだと思われる。うなされながらママ、ママと叫んでいた。
エアコンをつけるとまたすーっと眠ったのだけど、体がとても熱い。昨日体調が悪そうだったこともあり、また起きたタイミングで午前中の間に小児科に行くことにした。
午後には僕の両親が来ることになっていたので、布団の準備をしたり、掃除をした。そのうち理子は起きてきたのだけど、機嫌が悪い。
「朝ごはんはなにを食べる?」と聞くと、「いらない」と思春期の輩みたいなことを言う。「パンにチョコレート塗る?」と言っても「いらない、お茶漬けがいい」と言う。
あいにくご飯のストックはなかったので、早炊きモードでご飯を炊くことにした。
炊けるまでの間、プリキュアの録画を見ているとだんだん機嫌が直ってきた。
30分後くらいにご飯が炊け、いざお茶漬けを出しても案の定食べない。
半分も食べずに「もういらない」という。仕方がないのでもうご飯を食べさせるのは諦めて自分が食べた。茶碗のなかでアンパンマンの顔がむなしく浮かんでいる。濡れてちゃ力も出ないだろう。
11時半頃ベビーカーで小児科まで行った。12時に閉まるので道を急いだ。
焼けるようなアスファルト。ベビーカーで感じる気温は大人以上だと思われる。
小児科に着くと患者は誰もおらず、診察券を出すとすぐに診察室に通された。
診てもらってもとくに特化して悪いところもなく、ホクナリンテープと、熱をさますシロップを処方してもらった。
向かいの薬局で薬を受け取り、駅前のスーパーで買い物をして帰った。
焼きそばを作って食べると、支度をしてママのいる病院へと向かった。早くママのところに行きたいと理子がいうのだった。
しかしいざバスで向かおうとすると、理子は歩かなかった。そして抱っこしてバスを待っている間に眠ってしまった。やはり体が疲弊しているようだ。
16キロの体を抱っこし、バスから降りると、炎天下の中日陰のない道を歩いた。
病院に入ると受付をし、手の消毒をした。待合室にいた人たちが一斉にこちらを見ている視線を感じた。1階が診察室で2階が入院している部屋だったので、階段を上がるのだけど背中にも視線を感じる。待合室にいる人たちはこれから産む人達なわけで、興味深かったのかと思われる。
花さんの部屋に入る。れいちゃんが透明なケースのなかですやすやと寝ている。
昨夜は暗がりの部屋の中でしか姿を見ていなかった。改めて明るい部屋の中で対面すると、出産してまだ10時間程度しか経っていないため、まだ皮膚が赤紫といったふう。
「れいちゃん、パパだよ、お姉ちゃんもいるよ」などと声を掛ける。
花さんは少しは眠ることができているようで、元気そうだった。
しかしながら一月前くらいから続いている手足のむくみはまだ解消されていない。
昨夜は看護師さんに手渡された、という形で抱っこをしただけだったので、ベッドに寝ているれいちゃんを改めて抱っこすることにした。
しかし4年近く前のあの感覚はもう忘れてしまった。なにもかもおぼつかないぎこちなさだった。本当に2児の父なのか?といった感じだった。
その後16時過ぎに、僕の両親がやってきた。彼らにとっては5人目の孫である。しかも全員女なのだ。
父親はビデオカメラで記録することをやめ、ソニーのデジカメで5人目を記録している。
映像は編集しないといけないから、またカメラ自体が重いからだという。
僕も記録する。こうやって家族が集まって無事に新しい家族を迎えられることを幸せに思う。
花さんが疲れてしまう前に帰ることにする。
両親は車で来ていたので、車で家まで帰り、家の近所の串カツ田中でご飯をたべた。この店の客層は家族づれが多く、安心してくることができる。最近全席禁煙になったのもうれしい限りだった。
久々に居酒屋に行き、両親と酒を飲みながら過ごせるというのもいいものだった。
家に帰ると理子はばあばとお風呂に入り、ばあばと寝た。
僕にとっても、理子にとっても、もちろん花さんにとっても、ものすごく長い長い1日が終わった。
2018年7月14日土曜日
前夜
出産を確実に、翌日に控えているという時点で、理子の出産の時とは全く違うんだよな、と電車に揺られながら考えていた。
花さんは今日の午後に入院し、明日の出産の準備をしていた。
その出産方法によってこうも理子の時と違うのだなと思い、また二人目だからということもあり、さらには日常で理子の世話をしていて忙しないから、という色々なことが相まって、明日出産を迎えているというリアリティがどこか遠い。
誇張でなく日に日に大きくなっていった花さんのお腹。そのお腹にそっと手を当てると、直前までは暴れまわっていたのに、なりをひそめる。理子はお腹の赤子に向かって「おねえちゃんだよ」と呼びかけ、その姿が愛らしかった。
毎週土曜日は定点観測を行なった。大きくなったなと思ってたあの頃の腹も、今の腹に比べればまだまだだったな、と振り返ってみてみるとおもう。
理子が生まれた病院とは違うところにしたのだけど、そこでは4Dエコーでも診察をしそれをプリントしてくれた。顔を見せてくれなかったね、といってまったくよく分からない姿のそれを見ても、どこか理子の顔に似てるねなどと言って花さんと笑って話した。
診察の帰り道、駅までのバスの時間が合わず、歩いて帰った日。理子はベビーカーに乗っていて、今度からは4人家族なんだなって実感した。
出産までの日が、一ヶ月、2週間、1週間と近づくにつれ、一つずつのことが3人ではなくなるんだなって、いつも以上に感傷的だ。
花さんは今日の午後に入院し、明日の出産の準備をしていた。
その出産方法によってこうも理子の時と違うのだなと思い、また二人目だからということもあり、さらには日常で理子の世話をしていて忙しないから、という色々なことが相まって、明日出産を迎えているというリアリティがどこか遠い。
誇張でなく日に日に大きくなっていった花さんのお腹。そのお腹にそっと手を当てると、直前までは暴れまわっていたのに、なりをひそめる。理子はお腹の赤子に向かって「おねえちゃんだよ」と呼びかけ、その姿が愛らしかった。
毎週土曜日は定点観測を行なった。大きくなったなと思ってたあの頃の腹も、今の腹に比べればまだまだだったな、と振り返ってみてみるとおもう。
理子が生まれた病院とは違うところにしたのだけど、そこでは4Dエコーでも診察をしそれをプリントしてくれた。顔を見せてくれなかったね、といってまったくよく分からない姿のそれを見ても、どこか理子の顔に似てるねなどと言って花さんと笑って話した。
診察の帰り道、駅までのバスの時間が合わず、歩いて帰った日。理子はベビーカーに乗っていて、今度からは4人家族なんだなって実感した。
出産までの日が、一ヶ月、2週間、1週間と近づくにつれ、一つずつのことが3人ではなくなるんだなって、いつも以上に感傷的だ。
7月13日
7月12日木曜日、花さんは入院した。その後、進捗をメールで送ってくれ、だんだんとその準備に向けていることが分かった。
理子を連れて家に帰り、食事の支度をした。20時だった。いつもは僕が帰ってくる19時頃には花さんが支度をしてくれた食事を食べていたわけだから、だいぶ遅い。
第二子をもし授かったら無痛分娩で、という思いが花さんにはあったようで、今回はそうすることにしていた。
また、それを実践している病院が近くにあった、ということも背中を押した一つの理由と言えた。
花さんの入院した部屋は個室で、送ってくれた写真を見てみたら、まるでホテルの夕食のようなものを食べさせてくれるようだった。翌日の出産に向けて思いを馳せているといった感じだった。
また、それを実践している病院が近くにあった、ということも背中を押した一つの理由と言えた。
花さんの入院した部屋は個室で、送ってくれた写真を見てみたら、まるでホテルの夕食のようなものを食べさせてくれるようだった。翌日の出産に向けて思いを馳せているといった感じだった。
僕は僕で、金曜日と翌週の火曜日に休みを取った穴埋めをするため、仕事を進めた。
ようやくなんとか先が見えた夕方、コンビニでおにぎりとサンドイッチを買って食べた。
18時過ぎに仕事を終え、保育園へと向かった。理子にとっては久々の延長保育だった。
理子を連れて家に帰り、食事の支度をした。20時だった。いつもは僕が帰ってくる19時頃には花さんが支度をしてくれた食事を食べていたわけだから、だいぶ遅い。
レトルトのハンバーグを食べたのだけど、理子は完食しなかった。咳も出ているし、体調が思わしくない。
食事が一区切りつくと、花さんから電話があった。理子は嬉しそうに話をしていた。
花さんは時折下腹部に痛みがあるようだった。
その後21時頃に風呂に入り、洗濯物干したりして22時半に布団に入った。結局寝付いたのは23時頃だったと思われる。
時同じくして、翌日に出産をするはずの花さんのお腹のなかでは様々な事態が起こっていたようだった。
陣痛が強まり、子宮口が5センチほど開いていて、かつ赤ちゃんの心拍が落ち始めていたようだった。
そして帝王切開が行われることが決定したとラインが入っていた。
なにかあった時のためにマナーモードは解除していたけれど、メールの着信音では気づくことはなかった。
まさに日付が変わった0時に電話が鳴った。100パーセントなにかが起こったことを伝える電話だ。文字どおり飛び起きた。
着信は花さんからだった。落ちついた口ぶりのなかにも緊迫感が伝わる、少し震えた声で、赤ちゃんの心拍が落ち帝王切開することになったと改めて花さんは言った。当然僕はラインを読んでいなかったので、寝起きの頭をフル回転させても理解ができずにいた。無痛分娩とは程遠い「帝王切開?どうして?」
とにかく早く来て欲しいと言われ、どれぐらいで来れるか、との質問に1時間以内には、と伝えた。いつもはバスで10分強くらいの距離。時間は深夜だからタクシーを配車し、理子を起こして行かねばならない。電話口の向こうではそれより先に生まれてしまうという助産師さんらしき人の声がする。
電話を切ると、とんでもないことが起きたと右往左往した。理子が生まれた時も、深夜に自宅で破水してバタバタしていたけれど、今回は離れたところで事態は起きていた。
まず理子を起こすために部屋の電気をつけ、自身も着替え、どういうわけか理子の着替えをカバンに突っ込み、ペットボトルのお茶とカメラを持った。
「れいちゃんに会いに行くぞ!」と理子にいうと意外なほど、さっと起きた。
アプリで配車したタクシーはあと10分で到着するということだったけど、気が気でないので家を飛び出した。理子を抱っこして外に出ると、ちょうど「迎車」のライトが灯ったタクシーがゆっくりとやってきた。
名前を確認され乗り込んだのだけど、小さな子供も一緒だったためか、運転手は少し動揺しているようだった。夜中の12時。子供はあきらかにパジャマを着ているのだ。
病院の住所を告げ、急いでください。と言った。
病院に行くいつもの道なのに今回は暗く、いちいち止まる信号にもどかしさを感じ、急いでくれって言ったじゃないかと理不尽なことを思ったりした。
病院に到着し1300円だと告げられると2000円を渡し「お釣りはいらないです」と口走っている僕がいた。460円の富士そばを昼飯に食べているような僕がどうしてそんなことを言ってしまったのか。運転手は「本当にいいんですか?」と聞き返すほどだった。
夜間インターホンを押すと名前を告げ中に入った。僕の声は震えていた。
静寂に包まれた病院の廊下や階段を、スニーカーがキュっと音を立てる。
ナースステーションには人はおらず、新生児室、分娩室にも人影は無かった。
本当にこの静けさのなかで手術が行われるのだろうか?と思った時、助産師らしき人影があった。僕は声をかけたけど、それは届かなかったようで、また足早にどこかへ消えていった。
静寂。
僕は訳も分からず受付や個室が並んでいる廊下を歩いてみた。そしてまた分娩室があるほうに行くと名前を呼ばれた。
緊急で手術が行われることを改めて告げられると、先ほどまで花さんがいたであろう分娩室に通された。ベッドの脇のテーブルには、見慣れた花さんの携帯が置かれていた。
ベッドのシーツには血痕があって、それが妙に静寂さを感じさせていた。
ここでお待ち下さい
と伝えられると、先ほどは耳に入ってこなかった金属音やモニターの何かを知らせる音などが聞こえ始めた。自分の感覚が体に戻ってきたようだ。しかしそれらは不気味なほどに、不吉なことを想起させた。目の前には血痕のついたベッドもあるのだ。
ソファに腰を下ろしたけど、背もたれに体を預けることなどできず、本当に色々なことを考えていた。
心拍が低下しているという言葉がもたらす破壊力はすさまじく「死」のイメージを直結させた。だから僕はもう随分前に亡くなったじいちゃんに「まだそっちに連れて行かないでくれ」と本当に何度もお願いした。こういう時、ポジティブに産後のことを考えるというよりも、とにかく花さんもれいちゃんも無事でいてほしい、そのことしか思えなくなる。
しばらくすると、理子は、今まで見たことのないような表情で僕の顔をじっと見つめてきた。よほど僕が頼りない顔をしていたんだろうなと思った。
「大丈夫だよね?」口には出さないけれど、そう聞かれているようだった。
いつも診察をしてくれていた先生が部屋に入ってきて説明をしてくれた。今から帝王切開します、大丈夫ですから待っていてくださいと彼は言った。
よろしくお願いしますと言ってからどれくらいの時間が経ったろうか。
いまさら帝王切開のことをネットで調べる気も起きず、ただただ誰かに祈っていた。ほぼ無宗教のように生きているのに虫のいい話だ思われても仕方がない。でもこういうときにすがる者があるのは安心するのだろうなと思った。
理子も眠たい目をこすりながら、この空気を感じ取っているようだった。静かに前をみていた。
赤ちゃんの泣き声がする。でもここは新生児室のすぐ近くだ。ある意味完全なる沈黙の状況の中ただひたすら扉が叩かれるのを待っていた。
そして「トントントン」と扉をノックする音がした。
助産師さんが「おめでとうございます、母子ともに無事ですよ」と教えてくれた。
それと同時に涙が出てきた。全身の力が抜けてへなへなになってしまった。
本当に良かった、本当に。
放心するなかありがとうございますと頭を下げた。
「ママがんばったよ、理子。もうすぐ会えるよ」と理子に伝えた。
本当に出産は千差万別だ。「絶対」がありえない。
ただ無事に生まれたことだけが事実として残った。
助産師さんは理子の顔をみると「お顔はお姉ちゃんにそっくりだよ」と教えてくれた。
しばらくして、先生からも説明があり、最後に「お姉ちゃんにそっくりですよ」と言った。
後々分かったのだけど0時28分に生まれたようだった。それは僕が病院に到着してほんとにすぐ後のことだった。体感的にはもっと後のことのように思えるのだけど、時間の流れが異質だったのかもしれない。
花さんは個室に戻っていた。僕と理子が部屋に入ると花さんは安心したのか涙を流していた。ほんとうに不安だったんだろうなと思った。心細いその瞬間に近くにいれなかったことを悔やんだ。
それを見て僕もまた涙が出てきた。部屋にはまだれいちゃんの姿はなく、色々と検診を受けているようだった。
お腹を切った後にもかかわらず、意外と意識がはっきりとしていてきちんと話すことができた。「ありがとう、お疲れ様。ほんとうに大変だったね」気の利いた言葉がなかなか出てこなかったけど、素直な気持ちだった。
そのうち助産師さんによってれいちゃんは連れてこられた。生まれたばかりの理子にそっくりなれいちゃんだ。ベッドで横になる花さんにそっと抱かれた。生まれたてってこんなに小さくて、こんなにかわいいんだったっけ?
4年ぶりの新生児の匂い。あまり泣くこともなく、でもまだ短いその腕を懸命にのばして母親に触れようとしている。
理子は少し離れたところで嬉しそうに見ていた。
保育園からの帰り道「明日れいちゃんに会えるけど、どんな気持ちがするの?」と理子に聞いたら、理子はすごく素直な言葉で「やさしい気持ち」と答えてくれた。
そんなやさしい気持ちで部屋は満たされていた。
ママに甘えたいけどそれをしていいのか分からずもぞもぞしているのも、きっと理子なりの優しい部分の表れなんだと思う。
花さん、ほんとうにありがとう、お疲れ様でした。
僕らは4人家族になった。
食事が一区切りつくと、花さんから電話があった。理子は嬉しそうに話をしていた。
花さんは時折下腹部に痛みがあるようだった。
その後21時頃に風呂に入り、洗濯物干したりして22時半に布団に入った。結局寝付いたのは23時頃だったと思われる。
時同じくして、翌日に出産をするはずの花さんのお腹のなかでは様々な事態が起こっていたようだった。
陣痛が強まり、子宮口が5センチほど開いていて、かつ赤ちゃんの心拍が落ち始めていたようだった。
そして帝王切開が行われることが決定したとラインが入っていた。
なにかあった時のためにマナーモードは解除していたけれど、メールの着信音では気づくことはなかった。
まさに日付が変わった0時に電話が鳴った。100パーセントなにかが起こったことを伝える電話だ。文字どおり飛び起きた。
着信は花さんからだった。落ちついた口ぶりのなかにも緊迫感が伝わる、少し震えた声で、赤ちゃんの心拍が落ち帝王切開することになったと改めて花さんは言った。当然僕はラインを読んでいなかったので、寝起きの頭をフル回転させても理解ができずにいた。無痛分娩とは程遠い「帝王切開?どうして?」
とにかく早く来て欲しいと言われ、どれぐらいで来れるか、との質問に1時間以内には、と伝えた。いつもはバスで10分強くらいの距離。時間は深夜だからタクシーを配車し、理子を起こして行かねばならない。電話口の向こうではそれより先に生まれてしまうという助産師さんらしき人の声がする。
電話を切ると、とんでもないことが起きたと右往左往した。理子が生まれた時も、深夜に自宅で破水してバタバタしていたけれど、今回は離れたところで事態は起きていた。
まず理子を起こすために部屋の電気をつけ、自身も着替え、どういうわけか理子の着替えをカバンに突っ込み、ペットボトルのお茶とカメラを持った。
「れいちゃんに会いに行くぞ!」と理子にいうと意外なほど、さっと起きた。
アプリで配車したタクシーはあと10分で到着するということだったけど、気が気でないので家を飛び出した。理子を抱っこして外に出ると、ちょうど「迎車」のライトが灯ったタクシーがゆっくりとやってきた。
名前を確認され乗り込んだのだけど、小さな子供も一緒だったためか、運転手は少し動揺しているようだった。夜中の12時。子供はあきらかにパジャマを着ているのだ。
病院の住所を告げ、急いでください。と言った。
病院に行くいつもの道なのに今回は暗く、いちいち止まる信号にもどかしさを感じ、急いでくれって言ったじゃないかと理不尽なことを思ったりした。
病院に到着し1300円だと告げられると2000円を渡し「お釣りはいらないです」と口走っている僕がいた。460円の富士そばを昼飯に食べているような僕がどうしてそんなことを言ってしまったのか。運転手は「本当にいいんですか?」と聞き返すほどだった。
夜間インターホンを押すと名前を告げ中に入った。僕の声は震えていた。
静寂に包まれた病院の廊下や階段を、スニーカーがキュっと音を立てる。
ナースステーションには人はおらず、新生児室、分娩室にも人影は無かった。
本当にこの静けさのなかで手術が行われるのだろうか?と思った時、助産師らしき人影があった。僕は声をかけたけど、それは届かなかったようで、また足早にどこかへ消えていった。
静寂。
僕は訳も分からず受付や個室が並んでいる廊下を歩いてみた。そしてまた分娩室があるほうに行くと名前を呼ばれた。
緊急で手術が行われることを改めて告げられると、先ほどまで花さんがいたであろう分娩室に通された。ベッドの脇のテーブルには、見慣れた花さんの携帯が置かれていた。
ベッドのシーツには血痕があって、それが妙に静寂さを感じさせていた。
ここでお待ち下さい
と伝えられると、先ほどは耳に入ってこなかった金属音やモニターの何かを知らせる音などが聞こえ始めた。自分の感覚が体に戻ってきたようだ。しかしそれらは不気味なほどに、不吉なことを想起させた。目の前には血痕のついたベッドもあるのだ。
ソファに腰を下ろしたけど、背もたれに体を預けることなどできず、本当に色々なことを考えていた。
心拍が低下しているという言葉がもたらす破壊力はすさまじく「死」のイメージを直結させた。だから僕はもう随分前に亡くなったじいちゃんに「まだそっちに連れて行かないでくれ」と本当に何度もお願いした。こういう時、ポジティブに産後のことを考えるというよりも、とにかく花さんもれいちゃんも無事でいてほしい、そのことしか思えなくなる。
しばらくすると、理子は、今まで見たことのないような表情で僕の顔をじっと見つめてきた。よほど僕が頼りない顔をしていたんだろうなと思った。
「大丈夫だよね?」口には出さないけれど、そう聞かれているようだった。
いつも診察をしてくれていた先生が部屋に入ってきて説明をしてくれた。今から帝王切開します、大丈夫ですから待っていてくださいと彼は言った。
よろしくお願いしますと言ってからどれくらいの時間が経ったろうか。
いまさら帝王切開のことをネットで調べる気も起きず、ただただ誰かに祈っていた。ほぼ無宗教のように生きているのに虫のいい話だ思われても仕方がない。でもこういうときにすがる者があるのは安心するのだろうなと思った。
理子も眠たい目をこすりながら、この空気を感じ取っているようだった。静かに前をみていた。
赤ちゃんの泣き声がする。でもここは新生児室のすぐ近くだ。ある意味完全なる沈黙の状況の中ただひたすら扉が叩かれるのを待っていた。
そして「トントントン」と扉をノックする音がした。
助産師さんが「おめでとうございます、母子ともに無事ですよ」と教えてくれた。
それと同時に涙が出てきた。全身の力が抜けてへなへなになってしまった。
本当に良かった、本当に。
放心するなかありがとうございますと頭を下げた。
「ママがんばったよ、理子。もうすぐ会えるよ」と理子に伝えた。
本当に出産は千差万別だ。「絶対」がありえない。
ただ無事に生まれたことだけが事実として残った。
助産師さんは理子の顔をみると「お顔はお姉ちゃんにそっくりだよ」と教えてくれた。
しばらくして、先生からも説明があり、最後に「お姉ちゃんにそっくりですよ」と言った。
後々分かったのだけど0時28分に生まれたようだった。それは僕が病院に到着してほんとにすぐ後のことだった。体感的にはもっと後のことのように思えるのだけど、時間の流れが異質だったのかもしれない。
花さんは個室に戻っていた。僕と理子が部屋に入ると花さんは安心したのか涙を流していた。ほんとうに不安だったんだろうなと思った。心細いその瞬間に近くにいれなかったことを悔やんだ。
それを見て僕もまた涙が出てきた。部屋にはまだれいちゃんの姿はなく、色々と検診を受けているようだった。
お腹を切った後にもかかわらず、意外と意識がはっきりとしていてきちんと話すことができた。「ありがとう、お疲れ様。ほんとうに大変だったね」気の利いた言葉がなかなか出てこなかったけど、素直な気持ちだった。
そのうち助産師さんによってれいちゃんは連れてこられた。生まれたばかりの理子にそっくりなれいちゃんだ。ベッドで横になる花さんにそっと抱かれた。生まれたてってこんなに小さくて、こんなにかわいいんだったっけ?
4年ぶりの新生児の匂い。あまり泣くこともなく、でもまだ短いその腕を懸命にのばして母親に触れようとしている。
理子は少し離れたところで嬉しそうに見ていた。
保育園からの帰り道「明日れいちゃんに会えるけど、どんな気持ちがするの?」と理子に聞いたら、理子はすごく素直な言葉で「やさしい気持ち」と答えてくれた。
そんなやさしい気持ちで部屋は満たされていた。
ママに甘えたいけどそれをしていいのか分からずもぞもぞしているのも、きっと理子なりの優しい部分の表れなんだと思う。
花さん、ほんとうにありがとう、お疲れ様でした。
僕らは4人家族になった。
2018年7月9日月曜日
7月6日の出来事
基本的に3人で行動する我々。休日も、どちらかが一人で出かけるということはほぼない。
それは夜、寝る時もそう。
今ではご飯を食べ、お風呂に入り、就寝するまでが3人。それがルーティン。
子供というのは、それが当たり前になると、そうでなかった時に違和感を覚えるらしい。
ほぼバラエティ番組やらニュース番組を見ることなく1日が終わるので、たまの週末の夜、テレビでも見たいなと思い、リビングに残ってテレビを見ていた。
すると、すべての寝支度を終え、寝室にいた理子がやってきて、「パパ、もう寝るよ」という。
「今日はパパは夜更かしするからここにいるね」というと「そうか!分かったー」と言って寝室に戻る。
それから数十秒後、またやってきて「パパ寝ないの?」という。
「パパは今日はまだネンネしないからママとネンネしてね。」というと、「分かったー」と言って寝室に戻る。
そうしたらやっぱりまた戻ってきて、「どうしてネンネしないの?」というので「参りました」と言って私も寝室に行った。
どうして夜更かししてテレビ見る必要があるのかわからなくなってしまった。
シングルとダブルの布団が敷かれた寝室。
もはやキングサイズの布団を理子は縦横無尽にローリンローリンする。
ママの顔を蹴り上げ、私の腹部をかかと落とし。
暗闇の中で立ち上がり、のそのそと歩き危うく股間を踏まれそうになる。
どうしてネンネしないの?と僕が理子に聞きたいところである。
それは夜、寝る時もそう。
今ではご飯を食べ、お風呂に入り、就寝するまでが3人。それがルーティン。
子供というのは、それが当たり前になると、そうでなかった時に違和感を覚えるらしい。
ほぼバラエティ番組やらニュース番組を見ることなく1日が終わるので、たまの週末の夜、テレビでも見たいなと思い、リビングに残ってテレビを見ていた。
すると、すべての寝支度を終え、寝室にいた理子がやってきて、「パパ、もう寝るよ」という。
「今日はパパは夜更かしするからここにいるね」というと「そうか!分かったー」と言って寝室に戻る。
それから数十秒後、またやってきて「パパ寝ないの?」という。
「パパは今日はまだネンネしないからママとネンネしてね。」というと、「分かったー」と言って寝室に戻る。
そうしたらやっぱりまた戻ってきて、「どうしてネンネしないの?」というので「参りました」と言って私も寝室に行った。
どうして夜更かししてテレビ見る必要があるのかわからなくなってしまった。
シングルとダブルの布団が敷かれた寝室。
もはやキングサイズの布団を理子は縦横無尽にローリンローリンする。
ママの顔を蹴り上げ、私の腹部をかかと落とし。
暗闇の中で立ち上がり、のそのそと歩き危うく股間を踏まれそうになる。
どうしてネンネしないの?と僕が理子に聞きたいところである。
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