2017年5月25日木曜日

旅行記 バリ最後の夜編

カメラを持ち歩くと、ただの日常の風景を見る目が、まるで絵を切り取るような眼に変わる。そういう意味では持っていない時よりは+aなにかを得られるような気がする。
iPhoneのカメラも良いけれど、それよりはもう少し視点を変えて物を見てみたいという気持ちもある。iPhoneは世界と共有するため。カメラは自分と対峙するために。

この日も5時台に目が覚めた。聞き慣れぬ鳥の鳴き声にも少しずつ慣れ始めていた。二人はまだ寝ている時間。こっそりと起きて、海に行く支度をした。ホテル側が用意してくれていたバティック(もしくはサロン)と呼ばれる腰巻の布を巻いてみる。しかしながらホテルマンやその辺を歩いている現地の人のように小慣れて巻くことはできず、とりあえず歩いている途中に結び目が解けてしまわないようにきつく縛った。

海に行く道も、途中で会う人も、少しずつ僕の日常になりつつある。英語を話せないからすれ違う人に「おはよう」に続く「気持ちの良い天気ですね」などの言葉も出てこないけれど。

辺りはまだ暗い。でもやはり海の水平線にはオレンジの光が帯び始めている。
老若男女。世界のどこかの国の人たちが同じ太陽を見るためにビーチに集まってくる。毎日登る太陽にそれぞれの人がなにかしら話しかけているかのように、身動きせずにじっと一方向を見ている。カップルたちは太陽とお互いの顔を見ながら話をしている。

僕も砂浜に座って、手のひらにバリの砂を感じながら太陽を見る。写真を撮る。波を見る。何もしないをする。

太陽の姿が水面から顔を出したので、僕はその場を離れ歩こうとすると「パパー!」と声が聞こえた。振り返るとそこには花さんと理子の姿があった。それはどういうわけか現実味がなく、幻でも見ているかのようだった。理子はまだパジャマ姿で、僕のところに駆け寄ってきて、その重みでようやく現実と同化した。
「部屋を出て行く時に目が覚めたの」と花さんは言った。部屋にいないということは海に行ったんだろうと予想をつけて、理子とともに来たようだった。
この日の朝日もとても綺麗だったので、3人で見ることができて嬉しかった。

しばらく3人で海辺を歩いた。理子が海に入りたがるのだけど、朝方は満潮だったので、浜辺に打ち上がるサンゴのかけらや貝を拾って歩いた。
一旦部屋に戻ってからレストランで朝食を食べることにした。
ウェイトレスは理子を可愛がってくれて、「リコー!」と気さくに話しかけてくれた。
理子の名前を考えた時に英語圏でも伝わるように言葉の響きも考慮したことが功を奏したのかもしれない。
宿泊している他のお客さんの顔もだんだんと馴染みとなり、初老の男性は「オハヨウゴザイマース」と僕たちに挨拶をしてくれたりもした。理子と同じ年頃の男の子と女の子を連れた家族がいたり、日本人の中年夫婦もいた。

花さんはメインにスモークサーモンを選んでいた。僕も前日に同じものを食べたのだけどこれが本当に美味だった。そして「新しいパンに挑戦したから食べてみてほしい、感想も教えてね」とウェイターはクロワッサンとともに新作のパンも用意してくれた。
ホテルの食事はどれを選んでも、一つ一つが記憶に残る味だった。
食事に満足するというには旅において重要なことの一つだと思う。

食事をしながら、今日はどのように過ごすか、というのを改めて話した。しおりには予定が書かれていたのだけど、最後の1日だし、昨日はずっと移動で疲れてるし、なにより理子がホテルのプールで遊びたがっているから、ホテル付近で過ごそう、ということになった。

理子と同じ年頃の男の子は、パパとママの元を離れて、ビーチにあるデッキチェアのところで遊んでいた。すると理子もその場に駆け寄って、男の子になにやら話かけていた。僕と花さんはびっくりしたし、とても微笑ましくもあった。花さんはその場にそっと寄り添って理子のアタックを優しくフォローしていた。僕のところからは理子がどのように男の子に話しかけたかは分からなかったけれど、理子のなかで外に向かう感情が伸びていく瞬間を見ることができて嬉しかった。


僕たちは部屋に戻って水着に着替えた。
バリとはいえ、まだお昼前の時間では水が冷たい。しかし理子にはその冷たさすら面白いようで「きゃー!つめたい!!」と言って笑っていた。
僕も次第にその冷たさに慣れていったのだけど、いきなり足の指に激痛が走った。なにかに刺されたような痛みだった。僕がいたところはプールの深いところだから、理子には危険はなかったのだけど、よくよく下の方を見てみると、カニがいた。しかもそれなりに大きい。プールはその日の水温やphなどが掲示されていて、消毒もなされているようだったのに、生きたカニがいることにびっくりした。

朝も早く起きて、プールでしっかりと遊んだからか、理子はそうそうに昼寝に入ってしまう。屋根つきのデッキチェアのところで理子を寝かせ、僕と花さんはビールを飲んだり本を読んだりして過ごした。昨日行ったあそこはどうだった、とか、翌日からのシンガポールに気持ちを高めたりしていた。
日差しは暑くても、その暑さでビールがぬるくなっても、居心地の良さは変わらなかった。なにより花さんは心からリラックスしているように見えた。


理子が起きると近くの食堂でイタリアンを食べた。花さんは夕方頃からスパを予約していたので、そのまま近所を散策することにした。バリでのお土産を買う最後のタイミングだったので、通りにある土産物屋の一角に入ってみると、カモがやってきたと言わんばかりに、サササっとおばあさんが寄ってきた。
子供用の服が可愛かったので、理子にあてがったりしていると、これはどうだあれはどうだと片言の英語で話しかけてくる。そして安くするからというお決まりの言葉を言う。当たり前のように値札は付いていないのだ。向こうが電卓に表示した値段は買う気をそがれるものだったので、もっとディスカウントを要求し電卓を叩いたら、怒ったような口調でこれ以上は無理だという値段を提示してきた。
花さんは姪っ子用にも全部で4着購入した。
僕に対してはバティックを勧めてくるのだけど、いらない、と言い続けたら諦めたようだった。向こうが提案してくるものが全ていかにも土産物の柄だったからだ。


地元民が普通に身につけているもののほうが可愛らしい柄だったりするので、こういう人たちが買い物をしている場所はないものだろうかと、その後もフラフラと街を散策していると、ハーディーズというスーパーを見つけた。
この場所が地元民の通うスーパーであることを花さんは思い出したようだった。
店に入ろうとすると、入り口でリュックを預かるという。少し不安もあったのだけど、僕以外の人たちも同じように預けていたので従った。

果たして店内には日本で言うところの「しまむら」のような場所であり、バティックが山積みにされ300円程度の値段から売られていた。
「なんだここは!」と僕はその宝の山のように見えるエリアで手に取り広げ、最良のものを探した。
花さんは「さっきまでとまるで顔つきが違う!」と僕の顔を見て笑ったけれど、さっき買った子供用の服は、4分の1程度の値段で売られているのを見つけると、とてもがっかりしていた。
土産物屋のおばあさんがこれ以上は値切れないと言った値段はなんだったのか。あの怒ったような顔は演技だったようだ。向こうも死活問題なのだろうけれど。

花さんはアウトレットコーナーでOLD NAVYの理子用の水着を買っていた。そしてスパの時間が迫っていたので、花さんとはその場でお別れし、僕は買い物を続行した。
このスーパーは2階にも売り場があった。そこにはバリ滞在中に土産物屋で見たものたちが所狭しと置かれ、そして当然のことながらそれぞれに値段がついていた。ある意味ようやくそこで適正値段らしきものを知ったわけである。

木彫りの置物や食器。お香や石鹸。ルアックコーヒーまで、なんでも揃った。僕はベビーカーを押しながら、財布に残ったルピアを使い切るべくあれこれと手にとって買い物かごに入れていった。
花さんがいたらもっと楽しめたのにな、とも思ったけど、花さんもきっとスパで楽しんでいるんだろう。

結局1時間近くそこで買い物をし、ほくほくした僕は、ベビーカー上で有り余った体力を示す理子を、海で放牧することにし部屋に一度戻った。
昼間に乾かしておいた水着はまだ湿っていたので、理子は着替えをせず半ズボンに肌着で海へと向かう。すっかりと波は引き、砂地が広がっていた。
子供の頃、一人でボートに乗って沖に流されたことから海はトラウマ的に苦手だったのだけど、理子を連れてだと平気だった。理子の喜ぶ顔を見れたからだろう。
次第に暮れ行く夕日は、昨日までと違い、旅が半分終わったことを知らせているようだった。
しばらく海で遊んだ後、部屋に戻ると花さんも戻って来た。すっかりスパで癒されたらしく、トリートメントをしてもらったという髪もサラサラしていた。


バリ最後の夕飯は、地元民からツーリストも訪れるというナイトマーケットに行くことにした。僕はハーディーズで購入したバティックを早速巻いて出かけることにした。
原付で乗り付ける地元民に混じり、ベビーカーで入場する。入り口付近には、電飾がたくさんついた超小型のメリーゴーランド的遊具があった。子供が数人乗っていて理子は乗りたそうにしていたので、乗せようとするとギャン泣きして暴れた。そういうものなのである。


マーケット内は露天がいくつも並んでいて、どの店もおいしそうな匂いを漂わせている。一周してから入り口付近にあった店のテーブルに座る。
その店はガラスケースに並んだ20種類くらいのおかずから数種類を選んで白いご飯と食べるというスタイルだった。花さんは店員のおばさんと楽しそうに話をしていて、そんな姿をみると英語を話せることは、手にしたいことや、やりたいこと、楽しいことも増えていくことなんだろうなって改めて思った。
周りは小慣れたツーリストから地元民までさまざまな客で溢れていた。国も性別も年齢もまちまちな人たちが皆笑顔で食事をしている。
ここでは信仰も宗教もなにも関係ない。屋根もない野外の、決してきれいとは言えない場所ではあったけれど、確かな幸福感に満ちた空間だった。こんな場所があるのにな、と世界の情勢を思うと切なくなる。

理子にとってはここの食事は口に合わなかったようで、部屋に帰りたがった。昼間の疲れも、旅の疲れも出始めているようだった。理子はあまり食事を取れていなかったので、帰りにサークルKというコンビニに寄りパンなどを買ってから帰った。しかしその頃にはベビーカーに乗りながら理子は寝てしまった。


道を歩いていればタクシーはクラクションを鳴らして客引きをするし、両替えをすれば、まるでマジックのように金をくすめるし、ある種の警戒心はきちんと持っていなければならないけれど、バリはまた来たいと思える国だった。
なにより理子が体調を崩さずに過ごせたことが大きい。元気いっぱいで遊び走り回る姿をずっと見られたことにも成長を感じた。


月はまだ満月のような丸さを保ち、僕たちの最後の夜を静かに見守ってくれているようだった。

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