「日本語がペラペラで、陽気なバリ人が1日案内してくれるよ」と花さんは言った。
バリ3日目の朝である。
1日車をチャーターし、我々の行きたいところを案内してもらおうというわけである。しおりにも書かれている。バリでは電車がないため、移動手段は車となる。かといって、我々はペーパードライバーだし、とてもじゃないけれど、現地の乱暴な車の運転のなかを走れるわけがない。
朝の10時より少しまえに、部屋の電話が鳴った。どうやら陽気なバリ人が迎えに来てくれたようだ。
予定として、寺院に行くことになっていたから、暑かったけれど、長ズボンを履いた。花さんも足首まで隠れる長さのスカートを履いている。理子には、現地調達したイザベルマラン風の服を着させた。
ホテルの半野外受付ロビーに行くと、マラートと言う名の(マルアットかもしれないし、マロートかもしれないけれど)、褐色の肌をした長身の男が待っていた。
「今日はオネガイしまーす」と日本語で挨拶をしてくる。早速車に乗り込むと、チャイルドシートを用意してくれていたので、理子をそこに座らせた。
道中、ごく一般的な自己紹介をしたり、バリは最高かどうか、という話をした。今の所僕にとっては最高だ。
彼は独学で日本語を学んでいて、日本にも訪れたことがあるらしい。そのとき日本人にかなり懇意にしてもらった経験を、嬉しそうに話してくれた。
ところで、日本語を話す外国人は、どうして早口になりがちなのだろうか。
まず向かったのは、ASHITABAというところで、アタという植物を使った民芸品を制作、販売しているところだった。車内には、アタでつくられた小さなカゴが置かれていて、こういうものを売っているところだと教えてくれた。車を走らせること数十分。その場所につくと、マラートは、「子供の面倒は私が見ているから、二人で見てきてください」と言った。人見知りがちな理子は、マラートに抱っこされても嫌がるそぶりを見せず、むしろ懐いているようにすら見えた。
店の人は、どのように商品が作られているのかを、制作途中のものを我々に見せながら説明した。大人の社会科見学のようだった。
「こうしてできたものが、こちらにある。どうぞ見てください。購入もできます」と店の人は言って売り場へと自然に案内した。
よくよく考えれば、ツアー会社とツーカーの店だったわけだけど、他で買うより安いよ、という謳い文句をとりあえず信じることにして、じっくりと腰を据えて見てみることにした。
バリ様式の木工製品を見てみてもわかったのだけど、細かな作業を苦としない人種のようで、この店で見たカゴや、小物入れなどはたしかに目が細かく編まれていて、良い品のように見えた。値札もそれぞれにきちんとついており、そういう意味では良心的な店だったと言える。あとでわかったことだけど、通りに面したところにある土産物店の商品には、値札が付いてないことが多く、店員とのコミュニケーションで価格は変動すると言っても過言ではない。ツーリストには基本的には高い値段でふっかけられている。
僕と花さんは、それぞれ気に入ったものを幾つか購入した。
その間理子は、他に案内されていた日本人客のなかにいた同じ年頃の男の子と戯れていた。
買い物を終えると、車で移動し、違う銀細工の店に案内されたのだけど、なにも購入することなく終えた。日本語を話す店員がいるところを見ると、ツアー会社が観光客を連れていくルートのなかの一つなのだと思われる。
次の目的地はゴアガジャという遺跡だった。寺院であるから肌の露出は厳禁で、また生理中の女性も入場は規制される。そのあたり厳密に調べようがないし、自己判断だったり信仰によるところもあるとは思うのだけれど、注意事項として書かれている。
そんな注意書きは大きな看板に4ヶ国語で書かれていた。インドネシア語、英語、仏語、日本語である。
日本語以外のアルファベットで書かれたものは全てタイポグラフィによるものなのに、日本語だけ、どう見てもギャル文字だった。平仮名においては、もはや象形文字である。もしくは平仮名へと変遷をたどる過程の文字である。たまたま来ていた日本人観光客に依頼して書いてもらったのだろうか?
残念ながら、その文字面は厳かな雰囲気とはかけ離れたものだったが、ジャパニーズカルチャーの一つかもしれない。
遺跡をマラートに案内してもらいながら、宗教のことも教えてもらう。
インドネシアはヒンドゥー教の国であるので、多くの神様が存在しているらしい。そのあたりは八百万の神などという言葉がある日本とも近しい信仰なのかもしれない。
主だった神様として、ブラフマー、ビシュヌ、シヴァがあげられて、それぞれの神様が司るものが、創造、維持、破壊なのだという。
それぞれの単語Generate、Operate、Destroyの頭文字を合わせると、英語で言うところのGODになるんだと教えてくれた。思わずこれには花さんと二人で「おぉ!」と唸った。
こういうウンチクのようなものが日本人に受けるということを知っているようである。
多分ガイドブックなどを見れば掲載されているのかもしれないけれど、現地で、その像を見ながら説明をされると情報の深度が全くと言って良いほど異なる。
遺跡の説明を一通り受けた後、昼食をとることになった。
ウブドから少し離れたところにある美しいライステラスへと向かった。段々畑の絶景を見ながらバリ料理を食べようということである。
しかしながらこの場所に行くにあたっては、滅多に起こらないという渋滞に巻き込まれてしまった。
どうやら、この日は満月と重なっていたことが影響しているようだった。満月にはお祭りや儀式が行われるらしい。たしかに道を走っていると、すごくシンボリックで大きな飾りがそれぞれの家の前に建てられていたり、なにかの植物で作られた小さなかごには、お花やお菓子などの供物が入っていて、いたるところにそれが置かれていた。この供物は、マラートの車の中にもあった。
学校に通う子供たちの姿を見つけると、この日は儀式があるためなのか制服を着用していると教えてくれた。渋滞には巻き込まれたくはなかったけど、そういった特別な日に、マラートに案内してもらえてよかった。多分教えてもらえなければ、それは普通の景色に過ぎないものになっていたと思う。
ヒンドゥー教の人たちの信仰に関しての重要度を伺い知れることの一つだった。
数十分に及ぶ渋滞の末、無事にライステラスにある目的の店へと到着した。見渡す限り段々畑で、その向こうには熱帯地方特有の緑の濃い木々があった。屋根がついただけの実に清々しく開放的な空間で食事をとった。隣の席では欧米人がビールを美味そうに飲んでいたけれど、僕たちはアイスコーヒーで喉を潤した。
段々畑には降りられるようにもなっていたのだけど、我々は食事だけにとどまった。小さな子供を連れてはかなり難しい。土産物を物色してからその場を離れることとなった。
次の目的地へと向かう道中は、行きとは打って変わって実にスムーズだった。通りの両脇には土産物屋が連なっていて、車窓からそんな光景をずっと見ていたらバリのお土産の傾向をうかがい知ることができた。なかにはかなり巨大な石像などもあり、マラート曰く「海外に輸出する人向け」のものらしく、欧米の金持ちなどはコンテナひとつに詰め込んで運んだりするようだった。
次の目的地は、ウブドにあるモンキーフォレストという場所だった。その名の通り森で、猿がいたるところにいた。猿の扱いに関しては日本と同様で、目を合わせないように気をつけてと注意された。餌場にはたくさん補充がされていて、それを食べているからか観光客の所持品を奪ったりなどというのはないようだった。
樹齢がいったいいくつなのか見当もつかない巨木が連なった場所だった。そういった巨木も信仰の対象であり、スピリチュアルな意味のあるもののようで、ブロックチェックの布が巻かれていて興味深かった。森の中は人がとても多かったのだけど、緑の中をあるくのはとても気持ちがよく、猿の親子などの姿を見つけると、理子も嬉しそうだった。
モンキーフォレストを出ると、その近くの土産物屋を物色した。しばらく歩くとジェラート屋があったので、そこでストロベリー味のものを買って、3人で分け合って食べた。
花さんの目的の店も見つかって、そこでスキンケア商品やお香などを買っていた。やはり買い物をすると気持ちがホクホクして楽しい。
ウブドにはいろんな観光スポットや店があるのだけど、他の地区からタクシーでくるというのが少し難しいようだった。詳しい事情までは聞けなかったけれど地域によってタクシー協会の決まりがあるらしい。だからウブドをがっつりと楽しみたいときはウブドで宿を探すのが良いようだった。
猿を見た後は、猫を見に行った。といっても普通の猫ではなくジャコウネコである。このジャコウネコの糞のなかに、コピルアックコーヒーの豆がふくまれているらしい。どういういうわけで猫の糞から取れるコーヒー豆を煎って飲もうとしたのか、勇気ある先祖たちは色々な道を切り開いて後世に残してくれているものである。
果たして連れて行ってもらった場所も、昼間のASHITABA同様に、大人の社会科見学だった。コーヒーを作る過程を案内してくれる人がいた。檻の中にはジャコウネコがいたり、10種類の味のコーヒーと紅茶を飲むことができた。そして追加で500円払うとルアックコーヒーが飲めるという。
ここまできて本場のものを飲まないわけにはいくまい、ということで飲んでみたのだけど、酸味があって、確かに独特で高級感あるものだった。花さんはとても気に入った様子だった。
ここで案内役の女性は「今飲んだものがこちらで買うことができます。円でも大丈夫」と言って売り場へと案内した。もうそういうものなのである。
我々はそれぞれにやはりいくつかのものを買った。
マラートが案内してくれるのは、そこが最後だった。とてもじゃないけれど、1日で観光地を網羅することなどできない。バリは広くて奥深い。
ホテルに戻ってお礼を言うと、「一度で全部回ることができないから、また来てね」とマラートは言った。実にその通りだった。
「レビューもヨロシクね」
実に商人なマラートのアテンドは終了した。
とはいえ、やはり現地の人のガイドを頼むのは面白いものであった。ちょっとした疑問に答えてくれるし、入場料や、食事代の支払いも済ませてくれる。そういった料金を含めて一人あたり5000円だった。
移動がずっと続いていたので、ホテルで食事をとることにした。朝食は食べていたけれど、ディナーは初めてだった。
夜のレストランは、月明かりと、ろうそくの灯りのみでライトアップされた上品な空間だった。そしてそこに彩りを添えるのはティンクリックと呼ばれる竹でできた楽器で奏でられる優しい音色と虫の音、そして波音だった。
このホテルにはミックジャガーをはじめ、世界の著名人が定宿として訪れるらしいのだけど、世間の雑踏から離れ、ホテルの外にある喧騒とも隔離され、丁寧で気さくな従業員の接客を受ければ、その事実も納得できるものだった。
ここで過ごす時間は日常とは懸け離れているにもかかわらず、まるで家で過ごしているかのようだった。住むようにして旅をしている感覚は初めてのことだった。
そしてここで食べたシーフードの串焼きは、かなり美味しかった。今までに経験ないほど美味しかった。鼻を抜けていく上品な磯の香りは今でもありありと思い出すことができる。その後はキリッとしたビンタンビールで喉を潤した。
まさに旅の絶頂であった。
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