前日にコンビニで買っておいたもので朝食を済ませた。宿泊しているホテルにももちろんレストランはあるのだけど、朝からディナーのような価格なので、どだい無理な話だ。
シンガポールで緑茶を買うと、どういうわけか甘い紅茶のような味がする。その他「ティー」は基本的に甘い感じがした。暑い地域では糖分が必要なのかしら、と思うのだけど、ご飯には日本茶が良い、と思う我々はシンガポールで「おーいお茶」を買うのだった。
この日も実に良い天気で暑かった。僕は相変わらずサロンを巻いてTシャツで出かけた。そんな人は周りには誰もいなかったのだけど。
まず、ホテルを出てから、MRTと呼ばれる地下鉄に乗った。向かう先はカトンという地区だった。
券売機はタッチパネル式で、目的駅名を選択すると、プリペイドカードのようなものが発券される。後々これにチャージするような形で使い回しが出来る。デポジット方式なので、使い終わったら数セントキャッシュバックされるらしかった。
ベビーカーに乗った理子は、幅広の改札を通るわけだけど、その先には必ずエレベーターがあった。動線がしっかりとしているわけである。ホームと線路はきちんとパネルで仕切られていたりと安全策も取られていて、日本でも実践できてたらいいなと思うことがいくつかあった。
電車内は、座席横一列の両端がそれぞれ優先席になっていて、車両の一角が優先席になっている日本方式とは異なった。その国によって適した形があるらしい。
目的の駅に着くと、地図を片手に歩き出した。なにやらお祭りのようなものが準備されていたり、新しいビルを建築していたりと、街がにぎやかだった。日本と建築基準が違うからなのか、突飛な構造に見える建築も多い印象を受けた。
カトンの見所は、街並みの美しさとのことだった。建物の高さが均一で連なっている中、それぞれの建物はパステルトーンの様々な色彩で作られていた。落ち着いたトーンのなかで、ヤシの木の濃い緑がとても映える。黄色の壁、うすい紫の壁、白い壁に、鮮やかなグリーンの窓など、色彩に溢れていた。
プラナカン様式と呼ばれるこの建築物は、その色彩だけではなく、ところどころに使われるタイルや、窓の装飾、柱の作りにも見られた。欧米に統治されていた時に流入した文化と元々あったものが融合してできあがったらしい。
こういった色が映えるのはきっと太陽のおかげなんだと思う。日本で見える太陽ではこのようにはいかない。
一見すると観光地というふうなわけでもなく、きちんと地元民に対して機能している街、という印象があった。街往来する人たちの人種はまちまちだった。
歩いていると、突然しとしとと雨が降り出した。周りを歩いている人たちは慌てる様子もなく、なんてことない、といった風だった。確かに雨雲が広がってる風でもなかったし、ベビーカーにもひよけがあるからそれを傘代わりとして歩き続けた。
知らない土地を歩くことの愉しさよ。
この地域を抜けると、商業的に開かれた場所に出た。食事をするためにデパートに入ってみることにする。最上階にフードコートのような場所があり、チキンライスなどを食べた。どういうわけか、この時まだ僕は体調がいまいちで、あまり食が進まなかった。
フードコートを出ると、花さんが行きたいと言っていた、ラクサと呼ばれるピリ辛系のスープ麺の専門店へと向かった。お店の外にもテーブルが出され、それでも人が並んで待つほどの盛況ぶりだった。僕たちはなんとか席を確保できたので、ひとつだけ注文した。僕は調子が悪いので一口もらうだけにしたのだけど、確かに美味しい。ココナッツに蟹か海老の風味と辛味のスパイスがとても効いている。
僕たちの席の後ろにも日本人がいた。聞こえてくる会話から推察するに、日本人の女性がシンガポールで現地人と結婚。両親を日本から招き案内中。といったところだった。つまりはその土地に住んでいる人が誰かに紹介したくなるようなお店だったわけだ。花さんのしおりには脱帽である。
ところで女性はどうして辛い食べ物がこんなにも好きなのだろう。
中途半端に降った雨のせいで、熱気が増していたこともあって一旦ホテルへと戻り休むことにした。帰りはタクシーを使ったのだけど、食事などに比べるとタクシーの運賃は比較的安く感じた。
ホテルでの休憩後、いよいよガーデンズバイザウェイへと向かった。アバターにでも出てきそうな植物のタワーのある場所だ。
MRTに乗って、ベイフロント駅へ。この近くにはあのソフトバンクのCMに出てきたことでも有名な船のようなプールを屋上に持つホテルマリーナベイサンズがある。
このガーデンズバイザウェイ自体は無料で入ることができる。有料のシャトルバスに乗り、理子にとってのメインイベントのチルドレンズガーデン(無料!)と呼ばれる水遊び場に行った。
花さんがトイレでプール用のオムツを履かせ、バリで買ったオールドネイビーの水着を着させると、そのままの姿で理子は登場した。プールまでまだまだ距離があるのに服は着ない!と宣言したらしかった。公道ではないし、水着で歩いてはならないという法もないだろうから、水着のまま向かう。
しかしながら実際にその場所に行ってみると、頭上からはシャワー、地面からも水が勢い良く吹き出すという小学生の男の子なら歓喜するが幼児にはただただ怖いエリアであった。理子は「プールだと聞いていたのに、この場所はなんぞ?」と言わんばかりの顔で我々を見つめる。このエリアにも幼児向けの場所も少しはあったのだけど、その場所ですら理子にはハードだったようだ。バリのホテルで入ったようなただの箱プールが恋しがっていたのかもしれない。
結局、我々がメインに据えていたその場所をあっさりと退散し、服に着替えて近くにあった遊具で遊ぶにとどまった。結局理子はそこで十分に遊んだ。走り回り、飛び跳ね、同性代の外国人のこどもたちに負けず劣らずといった風だった。彼女たちは会話しなくとも自分の要求を伝える術を持っているらしい。目は雄弁に物をかたるようだった。
しばらくそこで遊んでいたのだけど、また雨が降り出した。しかも今回は本降りだったので、屋内有料施設のクラウドフォレストに入ることにした。花さんは事前にホテルのネット端末でチケットを購入しており、スムーズな入場となった。
植物で覆われたドームに滝が流れており、大迫力だった。そして周遊できるようになっていた。ガイドブックによると、最上階へエレベーターで行き、そこから降りてくることを推奨していたのでそれに習ったのだけど、エリアの表現が階数ではなく、THE LOST WORLDとなっていて、洒落ていた。
植物を見ながら周る道は鉄骨でできた網目状だったので、下が見えており、大人でも苦手な人は難しいかもしれないのだけど、理子はすいすいと歩いていた。
ドームの外にはマリーナベイサンズの屋上プールが見えたり、スーパーツリーグローブと呼ばれる『映画アバター』の世界にでも出てきそうな巨大なオブジェがあり、また自分の歩いているそばでは人工的ではあるけれど滝が流れているし、本当に異世界に迷い込んできたようだった。そして次第に日も暮れ始め、それらのライトアップが始まったことでまた違う世界が広がっていた。
外に出る頃にはすっかりと暗くなっていて、スーパーツリーグローブを使ってのアトラクションが始まっていた。プロジェクトマッピングを使って、また幻想的な空間を演出していた。
バリでは自然に癒され、シンガポールでは人類の果てなき想像力に感嘆した。帰り道、マリーナベイサンズは闇夜をビーム光線で照らしているのが見えた。その光はシンガポールのますますの発展を告げる道しるべのようだった。