2013年10月4日金曜日

七戸町



目が覚めると、まだ少しだけ酔いを感じた。
昨夜の夕飯時にかなりの量の日本酒を飲んだせいだった。
しかしながら二日酔いとまではならないところをみると
やはり美味い日本酒だったのだろうと思った。
iPhoneを手にとり時刻を確認すると、まだ6時だった。
しかしながら、玄関の外ではお義父さんが車にエンジンをかけて
出かける準備をしていた。

この日、八戸の港湾で行われている朝市に行くことになっていた。
僕は眠い目をこすり急いで支度をすると、車に乗り込んだ。
1時間ほどのドライブで目的の場所に着いた。
普段は駐車場として使われているであろうスペースに、
所狭しとテントが建てられ、各々が自慢の商品を並べ、
威勢のいいかけ声を飛ばしていた。
しかしながら青森の言葉を理解するにはワンテンポ時間をとられてしまう。
イントネーションの違いならまだしも、聞いたことのない単語も飛び交っていて
こっそりとHANAに耳打ちするのであった。
「あれなんて言ってるの?」

お義父さんは、この朝市に来るのが習慣となっているようで、
ここで買い物をしたものを、東京の僕たちの家に送ってくれることもあった。
足取りはとても軽く、人ごみをものともしていない。
目的のサバ寿司を探す眼光は鋭く、
ほかにもなにかよいものはないか探しているようだった。
所々で足を止め、果物を買い込んでいた。
一周してから、もう一度逆方向に進んでいると、
ようやく目的のサバ寿司を売っている店を発見した。
「最後の1パックでしたよ」
店員のおばさんは優しい口調で言った。

この時、まだ7時半頃だった。
それでも既に売り切れていたり、テントを畳み始めている店もあった。
目当てのラーメン屋も既に完売で、僕たちは豚汁を買い求め、
ビールケースをひっくり返した簡易的な椅子に座って食べた。
お腹いっぱいになったところで、家に戻った。

正午を過ぎると、またお義父さんに車を出してもらい、
七戸町へと向かった。HANAの友達に会い、祭りを見ることになっていたのだ。

台風の影響で空は暗かった。
そして車の窓に打ち付ける雨がだんだんと強くなっていった。

友達の家の付近で車から降りると、
「この辺だったはずなんだけど」とHANAは言ってすたすたと歩き始めた。
おそらく何度も通った道なんだろう。すぐに家は見つかった。
友達とは結婚式以来の再会だった。
昼食を一緒にとることになっていて、近所にあるオススメの店へと連れて行ってくれた。

HANAの高校時代からの、今も連絡を取り合うような気の置けない友達は
二人目の子供のお母さんとなっていた。
上の子と、旦那さんを含めて食事をしていたのだけど、
子供との会話というのはとても面白かった。
自分が知り得たことを説明したがるのだ。
大人4人は、そんな子供の成長していくさまを見ては顔がほころぶのであった。

店を出る頃には雨が本降りになっていた。
『どんなに強い雨が降っていても中止になることがない祭り』
そのように聞いていたのだけど、
容赦のない雨を見るとそれは無理だろうと心の中で思った。
商店街を歩いていると、友達の顔なじみの店の人が、歩道に椅子を用意してくれて
「そこに座って見るといいよ」と言ってくれた。
僕たちはその言葉に甘えさせていただくことにして、ベストポジションを確保した。

時間が経つにつれて雨脚は増していった。
少し先が白くて見えないくらいだ。
それでも車道には警察官がパトカーを走らせ、交通整理をしていた。
そして誰も通らなくなった。


遠くの方で、かけ声が聞こえ、大きな山車が見え始めた。
青森と言えば『ねぶた』をすぐに連想してしまうのだけど、
それに負けずとも劣らない技巧を凝らした山車だった。
そしてその山車には中高生くらいの男女が乗り込み、
太鼓を叩き、笛を吹いていた。
僕の地元で言えば『しゃぎり』というものであろう。

各町内が自慢の山車を引き連れ、
商店街を練り歩き、踊りながら行進して行く。
「雨などいいビタミン剤だ」と言わんばかりに力強い姿だった。
台風の影響で雨の勢いは止まることを知らず
演者たちを打ち付けていたのだけど、結局最後のチームまで無事に終わることができた。
『本当に中止にならなかった!』と僕は思った。
店の人に場所を提供してくれた礼を言うと、友達にも別れを告げて帰宅した。

家に着くと、一休みをしてから、用意してくれていた夕飯を食べた。
そして、また日本酒をいただいた。
実に美味い酒だった。
僕は調子に乗ってグビグビと飲み続けると、
仏壇のある部屋で、ご先祖様に見られながらその場で寝てしまった。

『やれやれ、娘婿は困ったものだ』
などと思われてなければよいのだけれど。









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