2013年10月27日日曜日

記録

思えば僕の父親は、僕が物心つく前、というよりも父親自身が幼少の頃から
何かにつけて記録をとるタイプだったようだ。
実家のリビングの本棚には大量の本があり、
何気なく手に取った本の表3部分には、
「○年○月」といったように、日付と父親の名前が書かれていた。
その日付が本を購入した日なのか、読了した日なのかは確かめた事はないが、
そういう父親だった。

まだ僕が幼い頃、父親が寝る直前に布団の中で革張りの手帳に何やら書き付けている姿を見た事があった。
どうやらそれは日記だったらしい。
彼は朝の7時には家を出て、夜の9時に家に帰ってくるような生活サイクルだったと記憶しているが、1日が終わった後、どのようなことを書いていたのか僕は知らない。

記録をとると言う事に関して言えば、日記を書く事に止まらなかった。
兄や、僕が誕生した日にはビデオをまわし、母親の体内から心音まで録音していた。
そしてそれを編集し、音楽をのせ「優の誕生」とタイトルをつけ
ビデオの背にオリジナルのネームテープを貼っていた。
僕たち兄弟が、思春期を迎える頃にはビデオに収めると言う行為は
少なくなっていった。
僕たちが幼少の頃はそういったことを当たり前のことのように思っていたのだけど、
それは当たり前の事ではなかったことを成長して行く過程で知って行く事になる。

普段の生活においては母親との比重が大きく、
父は一歩引いたところにいるようなタイプだったと記憶している。
母は、そんな父に対してもっと積極的に子育てに参加して欲しそうではあったのだけど
今振り返ってみると、父は記録におさめることや、
またはカメラのファインダー越しに家族との接触をはかっていたようだ。

人との距離の取り方と言うのは、人それぞれで、
家族間においてもそれは例外ではないようである。

先日私の従姉妹が東京の我が家へ泊まりにきた際に、
兄夫婦が育児日誌をつけていて、その内容が面白いのだと言っていた。
血は争えないのである。

僕はと言えば、高校時代から専門学校時代にかけて、
至って普通のキャンパスノートに日記を書いていた。
誰に見せるともなく書かれたそれには、
16歳の小さな悩みを恥ずかしげもなく書いており
未来にいる僕とHANAを多いに笑わせるのであった。

自分に子供が出来たら、父親である僕の名前を検索してこの日記を見つけるのであろうか。
それはちょっと恥ずかしい気もする。

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