2019年9月28日土曜日

あなたの最高の1日はここから


「 YOUR BEST DAY EVER BEINGS HERE」
この旅最後の行き先であるサンウェイ  ラグーンで見かけた看板に書かれていた言葉だ。
旅の大半が理子対応となっている昨今なのだけど、この日訪れたのもその最たる場所だった。動物園や数種類の屋外プールが併設されていて、ホテルやショッピングモールもある。超巨大施設である。
ホテルから GRABで配車したタクシーに乗って数十分。到着するとそこにはバスで乗り付けた団体客や、様々な国籍の人がいた。花さんはネットでチケットをすでに買っていて、オンラインで購入済みのレーンに並んだのだけど、係りの人がなかなか要領を得ない人で、なかなか発券されない。なんのためのオンラインなんだろうかとも思う。

チケットはリストバンドになって、手首に巻いてから入場した。少し汗ばむくらいの陽気になってきて、実にプール日和である。
しばらく歩くと冒頭の言葉に出会った。あなたの最高の1日はここから、みたいなとこだろうか。理子はうきうきが止まらない様子だ。

園内が広すぎて、どこから回ればいいのかよくわからなかったのだけど、動物園からスタートすることになってしまった。とはいえ、日本で見るよりも空いていたのでゆっくりと見ることができたのはよかった。

そしていよいよプールゾーンである。服の下に水着を着込んでいた理子は、ロッカーでの着替えなどをすっ飛ばして一目散にプールへ。花さんも同様だったので、僕は玲さんとパラソルの下で待機することにした。玲さんにも少し疲れがでていたようで、咳がでていたため大事をとってプールはやめることにしたのだった。
だだっぴろい波の出るプールに、客は10人くらいしかいない。しかも大人ばかりだった。まわりには流れるプールもあったのだけど、そこには誰もいなかった。
理子の様子を眺めながら、椅子に座ってまったりしていると、草の茂みからノソノソと大きなトカゲのようなものが歩いてきた。全長は70センチくらいはあったであろうか。動物園が併設されていることもあって、逃げ出したのか、そもそも放し飼いの君なのか、判断がつかなかったけれど、とくにどうすることもしなかった。

ある程度時間が経った頃、花さんと交代した。すぐ近くに子供用の数種類の滑り台があるところを見つけたので、そこに行くことにした。ここも僕らの他には1組の親子しかいなかったので、遊び放題だった。最初は怖がっていたけれど、一度滑ってしまえば楽しさを覚えて、自分から階段を上って行き始めた。あまりにも楽しそうに滑っていくものだから、僕もやってみようと思って登ると監視員に止められた。ちょっと恥ずかしい。

また花さんと交代して、というのを何回か繰り返してから、違うエリアに行くことにした。波の出るプールというよりは、浅瀬の湖のようなところだった。
ビーチチェアを陣取って、また泳ぎに繰り出す理子。

周りを見渡すと先ほどの場所よりも多くの人がいる。そしてこういう場所でも宗教の色が色濃く出るのだなと思ったのだけど、女性は顔以外のほぼ全身を覆った水着を着ていた。それは大人から子供までそうで、セパレートのものを着ている人などごくわずか。おそらく観光客なのであろう。男性はいたって普通の格好である。
そういえば、女性の格好も、ヒシャブで髪を隠す人もいれば、全身真っ黒で目の部分だけ肌が見えている人など様々だった。逆にパッと見で服装に宗教色が現れない人もいた。
肌の色も様々で、インド系の褐色から日本人よりもちょっと濃い、くらいの人までいた。

ペトロサインスの中にも祈祷する部屋があったし、僕たちの泊まっているホテルの天井には、イスラムの聖地を指す矢印が書かれていた。この国の当たり前を考えた時に、日本でこういった人たちは快適に過ごせているのか、ふと疑問に思った。空港には祈祷室があると聞いたことがあるけれど、日常生活レベルで対応できているのか。例えば仕事をしている女性がヒシャブをつけることを許されているのか。全身真っ黒の服を着た人を奇異な目で見たりしてないかなどなど。来年のオリンピックでは『オモテナシ』以前に彼らの普通を用意できているといいのだけど、と思う。


そんなことをぼんやりと考えていると、現地人ふうの男性がスマホで写真を撮ってくれという。彼はどうやら僕の隣のチェアで寝そべっている女性とともに、こっそりと映して欲しいようだった。なんだかあとで変なことに巻き込まれたくないなと思ったし、当然のこととして彼一人をバーストで撮影した。彼にスマホを返すとまんざらでもない顔をしてサンキューと言って仲間のところへ去っていった。ただ本当に撮ってほしかっただけなのかもしれない。

理子が花さんと戻ってくると、ご飯を食べた。理子はバーガーキングである。食事を終えるとすぐに浮き輪を持ってプールへ戻ってプカプカと泳ぐ。すっかりと食事はついでのものである。

散々遊び倒して17時だ。空が明るいのでまだまだいけそうな気もしてしまうのだけど、帰ることにした。やはりここでも GRABの登場である。ここにおいては、 GRABを利用する人向けの、空調つき待合所があった。すっかりと浸透したシステムのようである。
タクシーに乗って最後の車窓を眺めると、やっぱりどこもかしこも何かを建設中である。土地が有り余ってるのか、それともスクラップアンドビルドなのだろうか。経済を回すのに積極的ということなのだろうか。日本はすっかり遅れをとっているんだろうなと思わされる。


ホテルに着いて、一休みしているともう20時である。今日の食事はどうしようか?と花さんが言うので、僕は「もう一度ハッカレストランに行きたい」と言った。もう一度チャーハンを食べたかったのだ。
店に行くと、すでに屋根を開けた状態だった。席に案内されると「ハイチェア?」と聞かれる。理子用に椅子は必要か?というわけだ。お願いすると、なんてことない。大人用の椅子を2つ重ねて高くするという荒技だった。でも確かにテーブルに対してちょうどいい高さになった。
今回は鍋はやめて、チャーハンの他に、青菜炒めと豚の角煮と蒸しパンなどを頼んだ。もちろんビールも注文する。
旅行前に花さんは断乳していたので、アルコールは解禁されている。やはり一人で飲むのではなく花さんと飲む方が楽しい。しかしガラスが空になると注いでくれるのはカールスバーグお姉さんだった。見つけて注ぐまでが素早すぎる。

マレーシアで食べたご飯のなかで、やはりここが一番おいしかった。豚の角煮と蒸しパンのセットは絶品だった。玲さんに至っては、今回はお弁当パックを持たず、ここでの料理を食べてもらった。初めて食べる食材もいくつかあったのだけど、とくに問題なかった。

ホテルに帰ると、荷物の整理をした。翌日は超早朝の4時起きである。そして僕は日本へ、花さんたち3人はシンガポールへと行くことになっている。実に旅に貪欲な妻である。
疲れ切って眠る3人に対して、玲さんはやはりベッドの上を徘徊してしまう。そして最後の最後でベッドから落ちて大号泣してしまった。とりたてて別状はなかったけれど、心臓に悪い出来事だった。

長いながいマレーシア旅行が終わる。


ペトロサインス



知らない土地での生活に、そろそろ疲れが出始めていたのか、朝食後にもなかなか出かけようとしない理子。「楽しいところに行くよ」という言葉だけでの誘いにはもうなかなか乗ってこなくなっている。もう11時近くになっていた。
仕方がないので花さんは理子を抱っこして出かけた。僕は相変わらず玲さんを抱っこしている。
この日はスリアにあるペトロサインスというところへ行った。ざっくりと言えば石油会社が作った科学館のようなところで、その施設の間口からは想像できないくらい中は広かった。エントランスには自社の説明のような区画があって、料金を支払ったあと、中に入るのには丸いトロッコのようなものに乗っていく。
レールに沿って進んでいくと、暗いトンネルの中にジャングルのように草木が茂り、壁のモニターでいろいろなことを説明している。ナレーションが流れているのだけど、言語が理解できないので、勝手な解釈ではあるけれど、マレーシアの自然とペトロナスという石油会社の共存や、マレーシアの発展には我々が必要なんだ、という映像だろう。お金を払ったのにこういう啓蒙のための施設なのか?といぶかってしまうのだけど、そのトロッコを降りてから広がる世界はなかなかのものだった。

電気や宇宙、映像、恐竜、石油の採掘場を再現したような巨大施設。とにかく館内は広い。フロアが変わると全く違う施設に来たような気になる。展示物の説明パネルには現地語と英語と併記されているのだけど、理解はできない。だけど、直感的にどうやって楽しむのかが分かるようなものが多かった。体験型のものが多かったので、施設に入るまではずっと抱っこされていた理子だったけれど、お気に入りのサンダルのヒールをカンカンと響かせながら、あれはなに?これは?と興味深そうに遊んでいた。
僕のお気に入りは宇宙のフロアで、宇宙飛行士が訓練にでも使うような機械を試すことができた。座って手足を固定すると、とにかく360度ぐるぐると勢いよく回り出す。年甲斐もなく「ウワー!!!!」と叫んでしまう。しかし、途中からはこの状況が面白くなってきて笑い出してしまった。とても面白いものだった。
この装置の脇にはもちろん係りの人がいたのだけど、もうそういったリアクションを毎日見ているのであろう、僕のリアクションに対してはまったくの無表情であった。

その他にも、宙吊りになった宇宙服があり、顔のマスクのガラス部分がモニターになっていて、自分の顔写真をそこに移す仕掛けがあったりして。大人も子供も楽しめた。もしかしたら僕の方が楽しんでいたかもしれない。

だんだんと人の数が増えていって、それぞれの遊ぶものに対して群がる人数が当然増えていく。特に採掘場を再現しているエリアは、子供心をくすぐる巨大装置があって、そこにとにかくわんぱくな子供たちが集まっていた。
採掘を模したものなので、カゴのようなものに砂の粒を詰め込む。それを滑車の仕組みでロープで引っ張り、荷を上に運び、中身をあけて、また砂を入れて、というのを延々と繰り返す。
みんなが我も我もとやりたがる。もはや順番や代わり番こという概念が存在していない。言葉がお互いに通じないというのもあるのだろうけれど、これは子供たちに限ったことではなかった。
例えばエレベーターを待つとき、日本だと並ぶという行為が自然発生すると思うのだけど、それがない。思い返してみれば空港で電車に乗ったときもそうだった。
そういったわけで、親たちも子供のことを注意しないし、ただ遠くで見ているだけだった。

世界で負けてしまう日本人の絵を感じざるをえない構造が見えてしまったので、理子には負けるなとハッパをかける。それが良いことなのかは分からないけれど、せっかく自分の番が回ってきたのに易々と譲るなということを言ったわけである。


それぞれのフロアの濃度が濃いため、時間があっという間に過ぎていく。気がつけば2時だった。途中、軽食を食べれるところがあったので、そこでお弁当やドーナツを買って食べた。理子はチョコのかかったドーナツだったのだけど、どういうわけか温めてから渡された。当然チョコレートは溶けていて、口の周りはチョコだらけになってしまった。

施設はまだまだ続く。その後はレーシングカーの原寸大のものや、ゲームセンターにありそうなレーシングゲーム。とにかくありとあらゆるものが揃っていた。個室でのワークショップもある。
しかしその施設の多さに比例して、僕の疲弊度も増していった。10キロ近い玲さんをずっと抱っこして、かがんだり、なんやらしていたことに加えて、冷房の強さがこたえた。そういえばホテルの部屋もクリーニングされた後は空調設定が15度になっていた。なんなんだろう、この国は。


施設の最後の方で、ゲームのシムシティのように、街をつくるシミュレーションゲームがあった。海の近くに原子力発電所を作る、山の方に火力発電所などなんとなくやってみる。最後の最後で石油会社感を出してくるのは流石である。するとモニター内で上司のような女性がプレイヤーである僕に対して罵る。「YOU`RE SUCKED!!」
どうやら僕は街づくりを失敗したようだ。

その後ホテルに戻って休憩する。理子も疲れているはずなのに、こういうときにしか自由に見れないYouTubeを視聴し始める。僕の嫌いなプリンセスのユーチューバーの声をマレーシアで聞くことの悲しみを覚えながら体を休めた。

その後は、やっぱりプールである。もはや疲れることを知らない底なしの理子。僕もそこで飲むビールを励みに奮闘する。プールに併設されたバーカウンターでは、モアビア?と勧められる。サテは?とも。どうやらすっかり飲む人と認定されてしまったようだった。

その後、夕飯はホテルのラウンジで済ませ、またスリアに行き、伊勢丹で買い物をした。お土産らしいものをちゃんと買っていなかったのでそこで探すことにしたのだ。伊勢丹だから、ということもあるのだろうけれど、日本人がいっぱいいて、僕らと同じようにお土産を買い込んでいるようだ。いかにもお土産然としたものよりも、地元民が食べているようなもののほうが面白い。有名だというオールドタウンホワイトコーヒーも買う。

スリアを出て少し街を歩いてみると、CHANELや PRADAの店など、どこか東京の日常で見かける延長線のような街の景色に、自分がどこにいるのか一瞬見失いそうになる。明日で旅も終わって日常へ戻っていくのが不思議な気分である。

旅先での毎日が色濃く終わっていく。

2019年9月25日水曜日

うまがあう食事


朝起きて、窓から景色を眺めると、向かいのホテルのロータリーに黄色いスポーツカーが止まっていた。ボンネットには花束があり、それはちょっと置いておいた、というよりも、飾ってあるように見えた。
ホテルで結婚式でもあるのかもしれない。そんな風に思った。

この日もホテルのラウンジで朝食を食べた。続けて利用しているので、ホテルの人も親しみを込めた挨拶をしてくれた。少し離れた席では関西弁を話す中年のグループがいて、ここは一体どこなんだろうかと思う。

この日はまず洗濯をすることから始まった。4人分もあるので、すぐに洗濯物がたまってしまう。ホテルにも洗濯をしてもらうシステムはあったのだけど、キロ換算ではなく、アイテム数で料金が計算されてしまうので、どうしても値段が高くついてしまう。そういったわけで、イケアの青いバッグに洗濯物を詰め込んで、ホテル近辺にあるコインランドリーに行くことにした。
ホテルを出て、ファッションビル群を通り過ぎる。途中、セブンイレブンに立ち寄り、お茶を買う。シンガポールでお茶を買った時は、甘い紅茶のような味がして、全く求めていた味と違って閉口した、ということがあったのだけど、ここでは「おーいお茶」を買った。味はまぎれもなく「おーいお茶」だった。

歩みを進めていくと、だんだんと景色は雑多になり、華やかさがなくなり、生活臭がするようになっていく。建物は薄汚れていて、道端にはゴミが散らばっている。軒先ではなにやら原色のテントが張られて食べ物を売っている。なんだか異様に強い生命力を感じる。そんな『そちら側』からは、遠くに華やかな高層ビル群が見えるのだけど、今日もヘイズで曇っていた。

調べてあったコインランドリーに着くと、数台の洗濯機が元気よく回っていて、備え付けられていたベンチに座って待っている人の姿が見えた。
店の奥にはカウンターがあって、僕らが中に入って看板を見ていると、係りの人が話しかけてくれた。
話を聞くに、椅子に座って待っている人たちのように、自分でマシンを動かすか、係りの人に全部渡してやってもらうか選ぶことができるらしい。
僕らは係りの人にお願いすることにした。その場で重さが計られて値段を確認。終了時間を教えられるのかと思ったら、ホテルまで配送するサービスもあるという。「なんて素晴らしいシステムなんだ!」と僕らは当然のことのようにそれを利用させてもらった。「畳むか畳まないか」を何ども確認され、「畳まない」と突っぱねる我々だった。

一気に身軽になって、気分がよくなった。

仕事をひとつ終えると、セントラルマーケットに行くことにした。花さんが「 GRAB」というアプリでタクシーを呼ぶ。海外出張時にこれを使い、とても便利だったという。なぜなら、運転手と会話をしなくても確実に目的地に行けるし、直接のお金のやりとりも発生しないからだった。
そんなわけで、ここマレーシアでもそれを使った。設定が済むと、いまどのあたりまで来ているか、地図でわかるのも良い。

車は早々に到着し、乗り込むとそれは新車で、新しい匂いがする。最初の「ハロー」くらいの会話が終わると、すぐに目的地に向かった。無駄はなにもない。

セントラルマーケットは、バザールのようなもので、区分けされた場所に店が並んでいる。ざっくりと言えばお土産屋の集合体であった。
水色で可愛らしい建物の中には入ると、当たり前のように日本語がいろんな方向から聞こえてくる。中にはドクターフィッシュの水槽に足を突っ込むという店があり、そこでは日本人のユーチューバーらしき集団がいて、騒いでいた。トルコでドクターフィッシュをやったことがあったけど、その時見たものよりも3倍くらい体が大きい。

マレーシアのお土産はここで揃うといわれるだけあって、いろんなものが置いてある。バティックやなまこ石鹸、アクセサリー、お菓子。とりわけ花さんや理子が長居していたのは、お土産的ものではなく、地元民が食べていそうな、どちらかといえばスナック菓子の問屋のような店だった。ここでは店員のおじさんがすぐに袋を開けて、試食させてくれていたようだった。サービス精神が旺盛であるがゆえに、財布の紐も緩んでいく、といった感じだ。僕はアクセサリー屋で、祖父母にブレスレットを買った。ずっと前から欲しいと言われていたのだ。
また、別の店では、子供服専門店があり、花さんが値段交渉をして買い物をしていた。言われたままの金額では高いのである。店員も日本人とわかるとふっかけてくるようだ。なぜなら服には値札がついていない。勧めた挙句、買う直前になってもなかなか値段を言わないという徹底ぶりだった。結局いくらかまけることに成功したようで、理子と玲さんの分の2着を買っていた。
しかし全体をざっと見て回って思うのは、なんとなく同じような店が並んでいるように見えてしまうということ。同じようなものを同じように売っているので、なんとなく手に取っても買うまでには至らなかった。

マーケットを出てみると、道に沿って屋台が連なっていた。デザイナーのジミーチュウは
マレーシア出身ということもあって、安い、などという字面を見かけたのだけど、どう考えても偽物だろうという店構えのなかで様々なブランドの革製品が売られていた。そして日本語で「マスター!マスター!」と声をかけられる。

ここにはブランド品以外にもおもちゃなどもあり、アナ雪が目にはいった。似ても似つかない顔のエルサがくるくると踊っている。理子は食いついて見ている。カオスである。
陶器を扱った店があり、ただプリントされた柄の皿といったものたちだったのだけど、その柄や色味が可愛くて買おうかな、とも思ったけど、持ち帰るのが怖いと思って買わなかった。

屋台をぶらぶらと冷やかした後、昼食を食べに行った。マレーシアでチキンライスといえば南香飯店である。いわゆるチャイナタウンの中にあって、実に雑多な街のなかだった。地元民であろう人たちから観光客までもわんさかと人がいたけれど、運良くすんなりと入ることができた。
チキンライスの味を2種類と青菜炒めを頼む。玲さんにはお弁当パックを与えていたのだけど、我々が注文したものが届くや否や、それを食べさせろと「うー!んー!!」と主張した。実際与えてみるとパクパクとよく食べる。マレーシアでの食事にうまがあう玲さん。理子も負けじと食べるので、大人が食べる分がなくなってしまった。それでもその食欲を見ていたら、それでお腹いっぱいになってしまった。

食事を終えると、またGRABでタクシーを手配した。しかしなかなか来なかったので、流しのタクシーを使った。メーターには厳密に何セントという単位で表示されていたけど、値段を払うときになると、セントは端数と見なされたのか、お釣りはくれなかった。そういうものなんだろうか。

大人の買い物で体力を使うことなく過ごした理子は体力が有り余っているために、またホテル内のプールに行く。先日もみた親子がやっぱりいる。このホテルに滞在している以上、そういうものである。
理子と同じくらいの年齢の子が、お父さんと入っていて、我々が近づくとハローと挨拶をしてくれる。子供はどちらも恥ずかしがって隠れてしまうので、「ソーリー。シャイガール」と笑って話した。そんなことが数回繰り返された。

相変わらずのビールを飲み、プールを出る間際、先ほど話しかけられたお父さんに、訛りの強い発音で「どこから来たの?」と聞かれて僕は「ジャパン」と答えた。するとそのお父さんはブラジルから来たのだという。ちょっとした会話だったのだけど、よい国際交流の時間だった。

プールを終えて一休みすると、ホテルに近くにあるハッカレストランへと行った。花さん曰く「高城剛がリコメンドしていた店」とのこと。その店は外観は半屋外で、アジアの雰囲気があり、外国人受けしそうなところだった。僕らが店に入った時は7時を過ぎで、まだポツポツと席が埋まってるくらいのものだった。
注文はマレーシアだけど「鍋」とチャーハン、ビール。屋内ではエアコンが全開で付けられていることが多いので、こういった温かいものに飢えていたのだ。
この店にはどういうわけか、カールスバーグのボディコンシャスな服を着たセクシーなおネエさんがたくさんいて、ビールを飲み干すや否や、即コップに注いでくれた。飲みきってなくても注ぐのでなかなか休まらない。結局のところ瓶をお代わりしてしまったのは彼女たちの働きっぷりによるところなのかもしれない。

鍋は、調理されたものが運ばれてくるのではなく、店員さんが全てをセッティングしてくれた。それぞれの野菜を入れるタイミング、火加減調整など、僕らはすることはなかった。
玲さんはやっぱりチャーハンをいっぱい食べた。ポロポロ落としてはいるものの、食欲は衰えることをしらないようだった。僕らは鍋の温かく優しい味を堪能した。
そんなころ、突如屋根が自動で動き出し、頭上には空が広がった。理子が「ばあばにも見せてあげたいな」などと可愛らしいこと言う。
ほろ酔いで気持ち良く、さらにはこんなサプライズ的な仕掛けがあって、とても気持ちが良い。もしかしたら水にあたってお腹が痛くなるなんて心配もしていたけれど、1歳の玲さんも5歳の理子も我々も健康で過ごせている。とても良い。

すっかり2本目のビールも空いて、カールスバーグお姉さんが次のオーダーを促したけど、
しっかりと断って、会計し店を出た。すっかりもう9時を過ぎている。この日もやっぱり長い1日だ。

2019年9月21日土曜日

長い1日



朝、7時過ぎに目を覚ます。カーテンの隙間からうっすら光が漏れているけれど、7時にしては外はまだ暗そうだ。そっとカーテンの向こうへ潜り込み外を見ると、まだまだ夜だった。日本の冬だって7時半ともなればもう明るいと言っていいと思うのだけど、完全にまだ夜の暗さだ。
旅先で早く起きた時は散歩をするのが常であるのだけど、それをするには暗すぎて怖い。仕方がないのでベッドにまた戻った。

8時を過ぎると、家族が起き出した。その頃にはいくらか外も明るくなり始めていた。
10時に運転手付きのガイドを頼んでいたので、さっさと朝食を摂ることにした。ラウンジに行って昨日と同じテーブルに座ると、ウェイターはどこからともなくベビーチェアを運んできてくれる。
玲さんに、クロワッサンやフライドポテト、オムレツなどを与えてみると、面白いくらいにパクパク食べる。もちろん椅子の下にはポロポロ落としているのだけど、それにしても良い食欲だ。
体調を崩しがちな玲さんなので、旅先での体調不良をもっとも懸念していたのだけど、杞憂だった。安心できるむしゃぶりつきである。
並べられた料理で、チキンスープにビーフンか、ちぢれ麺を入れる料理があった。近くにいるコックに注文してちぢれ麺で食べてみることにした。これが朝食べるには良い味だった。

食後のコーヒーまで堪能して部屋に戻ると出かける準備をした。

マレーシアのことを調べた上で、トイレは結構重要なポイントだった。それは便座の周りが水浸しになっていることが多いということだ。要は、日本のように排泄後のおしりの処理をティッシュでするのではなく、備え付けられているシャワーや置かれているバケツの水を使って洗うので、水浸しになってしまうという。そのためにうすっぺらいサンダルではないほうが賢明であるとのこと。そんなわけで僕は今回サンダルではなく、ナイキのソックダートを履いてきたのだった。
ホテルのトイレにももちろん脇にシャワーが付いていた。僕は郷に入っては剛に従え、というかそうせざるを得ないので、用後、シャワーを使って洗ってみた。ウォシュレットみたいなものである。しかし自分でシャワーヘッドを持って洗うのはなかなか難しかった。ピンポイントで洗うことができず、確かに便座を含めて水浸しになってしまった。
そんな悪戦苦闘ぶりを、なぜかガラス張りになっているバスルームの向こう側で、僕以外の3人が隙間見ており、笑っている。ロールカーテンを閉め切っていなかった。


10時になって、ロビーに降りると、ガイドが待っていた。日本語が話せるということだったのだけど、ちょっとかじってる、くらいで達者ではなかった。
ワンボックスカーに案内されると、別にドライバーがいた。こちらは日本語を理解していない様子。
前もって行先は伝えてあって、早速連れて行ってもらうことにした。
自己紹介的な会話がひと段落すると、僕は気になっていたことを質問した。
「街中にいっぱい国旗があるけど、どうしてですか?」
するとマレーシアの建国記念日に備えて、掲揚しているのだという。それにしても結構な量だった。大小さまざまで、中にはビル全体を覆うほどの大きさのものもあった。
日本で同じように国旗を掲げまくっていたら、ちょっと異様な景色に感じるだろうなとぼんやり思う。
花さんとそんな話をしていると、イギリスに占領されていて独立した過去があるから、国旗を誇示しているのかもねと彼女は言った。
こういう時、学校で習うもので無駄な知識などないのだな、と思う。

そしてまた別の質問をする。
「いつもこういった天気なんですか?」つまりもやもやしているものなのか?という質問だったのだけど、「ヘイズだ」と言った。インドネシアで大規模な森林火災があって、それの影響でもやもやとした天気なのだという。ゆえに街も臭いわけである。学校もクローズしてしまうらしい。そのため、人工的な雨を降らせて対策をしているらしいのだけど、それは天気予報ではわからないことらしかった。
国が陸地で繋がっていると、紛争以外にもいろんなことがあるのね、と改めて思った。


ドライバーは猛スピードで走っていく。そしてシートベルトを二人ともしていなかったのが怖い。
そしてバトゥ洞窟に到着する。山、というか崖のようなところに階段をくりぬいた、といった雰囲気だ。その階段は虹色で色付けられていた。その脇には巨大な立像があり、遠くからでも目に入ってくる。そして観光バスがたくさん並んでいる。道の脇では店が並んでいて、花飾りが目についた。「これは菊で、お供えするためのもの」とガイドさんは教えてくれた。確かに店先で菊の花をむしって作っている姿が見られた。黄色や赤の鮮やかな色が目に入ってくる。

車から降りるとガイドさんがあれこれ説明する。階段は何段あり、それを登ると何があってあれがあって云々カンヌン。この人まさか、ついてきてくれないの?と思った時「私はコノアタリデまってます。往復で40分くらいカカル。子供いるだから」
「おい!ガイドだろお前」とこそ言わなかったけれど、内心毒づいた。

この日、僕が玲さんを抱っこしていたのだけど、階段を上るその一段一段が重い。それに結構な急勾配である。階段を見上げるとその彩色の面白さと、まわりにいる野猿に興味を覚えるけれど、なかなかたどり着かないという事実にげんなりしてしまう。
理子もこんな階段で抱っこをしろと花さんにのたまう。無理無理無理!頑張れ!と鼓舞する私たちだった。

階段を登り終えると鍾乳洞の広い空間があった。そこにも寺院のようなものが建てられ、極彩飾で彩られている。何かを売っているかのようなカウンターがあって、入るのにお金がかかるのかな、といぶかっていると、どうやらそれはお供えするものを売っているらしかった。半裸の僧侶たちがおり、祈祷している。しかし観光客がいっぱい溢れていて、その神聖さが少し薄らいでしまって見える。
洞窟内の高い位置に、スプレーでアルファベットがなにやら書かれているのが目についた。でも英語ではないものが多くて読み解けない。そんな中、一言「 REAL」 と書いてあり、なぜかしばらく見とれてしまった。
天井には部分的にぽっかりあいて、空が見えていた。

しばらくうろうろ見ていたけれど、来た道を戻ることにした。こういうとき下りのほうが
結構怖いものである。それに、猿があちらこちらにいて、それもちょっと怖い。ある女の人はどうやら土産物屋で買った小さな像を猿に取られてしまったらしく、号泣していた。それをあざ笑うかのように、猿は柱にそれをカンカンと打ち付けている。また泣く女性。無念である。

どうにかこうにか階段を下りきると、トイレに行く。このトイレは有料で50セント支払った。それからガイドさんのところへ戻る。彼はなにをするでもなく座ってぼーっとしていた。

次の目的地はピンクモスクだった。それがある地域は、今来たところとは逆方向にあるらしく、また車はスピードを出して飛ばしまくる。
だんだんと雲行きが怪しくなって、とうとう雨が窓に打ち付けるまでとなってしまった。
どうやらこれが人工的な雨によるものらしい。「天気予報ではワカラナイ」と彼は言う。

ピンクモスクは、官庁街にあるようだ。モスク以外の建物を見ると、日本では見られないような構造のものが多いように思う。高いし大きいし、複雑そうである。
車を降りると、傘を借りて中に入る。正門らしきところは人で溢れていたのだけど、ガイドは少し脇にある入り口から入ろうとする。さすがだなと思ったのもつかの間。警備員によって止められてしまった。雨で館内が濡れていて滑って危険だから入れないらしい。
目の前に鮮やかなピンクの建物があるのに、ただただ眺めるだけとなってしまった。しばらく雨が止むのを待っていたのだけど、ついに入ることはできなかった。午前の部が終了してしまったのだ。
そして今回のガイドによる案内はこの2箇所だったため、これにてホテルに戻ることになってしまった。「スミマセン、でも雨だから」と言う。あとで花さんに聞くとこのガイドのために支払ったのは実に2万円だった。ぼられたわけでもないし、落ち度があったわけではないけど、少し腑に落ちなかった。

ホテルに着くと、しっかりと高速代は別料金で取られた。この内容でこれは渋い。渋すぎる。


その後、昼食を食べにパビリオンというビルに行く。食事処を探したのだけど、結局昨日食べたディンタイホンのようなお店に入る。どういうタイミングなのかわからないのだけど、理子がぐずりだした。
食べたいと言ったものを食べないし、飲みたいと言ったメロンジュースも飲まない。さらに追い討ちをかけるように玲さんまでもぐずりだした。花さんは玲さんをなだめるために席を立ち、それによって理子はよりぐずった。少し疲れが出てきたのかもしれない。まだ5歳なのだ。


食事を終えると、ホテルに戻って休憩し、ホテル内にあるプールに行くことにした。思ってたよりも暑くないマレーシアだったので、僕はプールに入るのを若干渋っていたのだけど、理子のもやもやを発散させるためにも必要なことだった。
プールに行くと数人が泳いでいた。水着を服の下に着込んでいたので、早々にインした。
屋外にあるので、プールの水は冷たいのだけど、子供はそんなことは関係なかった。インフィニティプールという、要は建物のきわの部分まで行けるような大人向けのように見えるのだけど、ずいぶんと子供達が楽しんでいる。理子も同様である。
最初は花さんが一緒に入っていて、その後僕も入った。水は冷たい。

浮き輪を使ってゆらゆらしている理子はとても楽しそうだ。そういう姿を見ると嬉しくなる。その後、プールに併設されている簡易的なバーカウンターのようなところで、ビールを飲んだ。近くにいた地元民のような少年たちがサテを食べているのを見て、思わず僕も注文した。バリで食べてとてもはまった料理だ。それを食べながらビールを飲む。なんだかとっても夏休みである。
結局7時近くまでプールに入って遊び倒した。長い1日だった。


2019年9月19日木曜日

もやもやした景色の中で



ホテルに到着するものの、チェックインするには時間が早すぎた。花さんは交渉の末、アーリーチェックインという形でお金をいくらか支払いチェックインすることにした。外語大、ここに極まれりである。
その結果、この時間からクラブラウンジにて軽食を摂ることができた。15階から見下ろすクアラルンプールの景色はやはりもやっとしていた。でも目の前には有名なツインタワーがあり、マレーシアの近代化を示す象徴のようだった。そして周りには、15階にいたとしても見上げてしまうビルが他にもいくつもあったのだった。

部屋に入り、荷ほどきをすると、ベッドの中でしばらくまどろんだ。


その後ホテル近くの KLCC公園へと向かった。ホテルから外に出るには、屋根のついた通路を通って行けた。それを使えば主要なショッピングビルなどへは、直通で行くことができる。熱帯における雨予防の役割もあるのであろう。結果的に今回の旅において、純粋に外に出て歩いたというのはあまりなかったように思う。

街中のど真ん中の公園ではあるけれど、緑が生い茂っている。見たことのない草木、蝶々。平日であるからか、人もそこまで多くない。一画では子供用のいく種類もの遊具があった。子供は誰もいない。貸切状態だった。
公園内にはセキュリティの人が何人もいた。そして、意外とチェックが厳しい。園内には、いわゆるじゃぶじゃぶ池があり、そこには子供が入ることができるのだけど、ルールから逸脱した人を見かけると「ピー!」と笛が鳴り、そこから離れろとジェスチャーする。そんな光景を何度も見た。

気温は思ってたよりも暑くはなかった。とはいえ、少し蒸し蒸しする。そして木が茂るところにいるのに、やっぱり少し臭い。しばらくしてから涼むためにも建物に入ることにした。
スリアというショッピングビルに入る。マレーシアの大きな国旗がそこかしこにかかっている。そういえばタクシーで街中を移動してきた時も多くの国旗を見かけた。マレーシア人は愛国心が強いのだろうか。

ビル内をぶらぶらしていると、レゴの店を見つけてしまう。理子はどういうわけか、自分の興味のある企業ロゴやらFreeWi-Fiのロゴを見つける能力に長けている。そしてここぞとばかりに遊ぶこととなった。レゴがワールドワイドに展開していることを恨んでしまう。どうしてそんなに子供心をキャッチしてしまうんだ!

なんとか店から出ることに成功すると、ディンタイフォンで食事をすることにした。一番最初の食事はマレーシア料理ではなかったが、マレーシアならではだったのは「NO  PORK」ということだ。イスラムの国なのである。
「どうして豚は食べてはいけないの?」
という理子の素朴な疑問に「この国で信じられている神様がそう決めたから」と答えるも、
「どうして?」と続けてくる理子。
「どうしてイスラム教にとって豚はだめなんだっけ?」
素朴な疑問は、答えがないままに自分自身も放置していたツケがこんなところでまわってきた。結局理子の興味は別のところに向かって行ったのでそのままこの会話は流れたのだけど。
食事は6品頼んで160RMちょっと。1RMが28円なので4500円くらい。
日本の同じ店で食べるよりはいくらかは安いけど、思っていたよりも高くつく。

食事を終えるとビル内にある水族館へと行った。なんとなく、雰囲気が品川水族館に似ている気がした。水槽のトンネルを通ると、頭上にはサメが泳いでいて、何層にもなった鋭い牙を覗かせていた。出口付近にはもちろんスーベニアショップがあり、どういうわけか日本語表記のポップがいくつもあった。おもてなしというよりは、商売っ気がありすぎるだろうとも思うが、買っていく客も多いのだろう。

ホテルに戻ると、またクラブラウンジに行った。昼食を遅めに摂ったので、軽い食事にしたいと思ったからだ。
ビジネスマンも多く滞在するらしいこのホテルでは、基本的にラウンジにいつでも入れるようになっているらしい。そして時間によってバイキングで提供されるものが異なった。モーニングやらアフタヌーンティ、夕方を過ぎると、カクテルタイムとなり、お酒も無料で楽しむことができた。イスラムの国ではお酒が高いのでこれは有難かった。
しかし食事をする、というほどのものがあるわけではなく、あくまでおつまみ、軽食だったので、理子はご立腹だった。感情が100パーセント顔と態度に出るわかりやすい子である。
僕らはビールを瓶のままで飲んでいたのだけど、ウェイターに「グラスはいるか?」と聞かれた。その意味を特に考えずに「ノーサンキュー」と言ってしまったのだけど、暗に行儀の悪さを指摘されたのかもしれない。カジュアルスマートというのがドレスコードとして存在していたから、僕のビールの飲み方は屋台向きだったのかもしれない。

その後、部屋に戻り、理子と風呂に入り、長い1日が終わった。
かのように思ったのだけど、なかなかどうして玲さんが寝てくれない。
「枕が違うと眠れないの」というわけではなく、ベッドでの就寝が珍しいからかもしれない。あらかじめベビーベッドを手配してあったのだけど、そこで寝るのは断固拒否だったから、セミダブルを2つつなげたベッドを縦横無尽にローリンローリンする。時折ベッドのつなぎ目にはまって抜けなくなり、また泣いた。寝たかと思ったら僕や花さんの足元あたりにいつの間にかいて、あと少しでベッドから落ちてしまいそうになる、ということが何回もあった。
結局熟睡できずじまいで、1日目を終えることとなった。

知らない国

我が家の本棚の一区画には、旅本コーナーがある。いつ頃だったか今まで本棚になかった、新しい国名が書かれたガイドブックの背表紙を発見する。次に旅する国である。
それはマレーシア。貯まったマイルで行けるところ。アジア圏で、行ったことがなくて、幼い子供が行っても大丈夫そうなところ。他にも該当する国はもちろんあるのだけど、マレーシアに落ち着いた。
9月の3連休に合わせて、夏休みを3日くっつけた。そうして花さんは、旅ブログやガイドブックを駆使して、興味深いところや子供対応しているところをピックアップした。そうやって段取りを組んだ。時折、「ここら辺はどう思う?」などとラインが飛んでくる。長橋家の専属ツアーコンダクターである。
そして、「しおり」が今回も作られ、修正を経た改訂版が出発の数日前に送られてきた。今回はクアラルンプールに絞っての旅である。
満を持して旅への出発だ。

それは平日木曜からスタートした。7時間近くの移動を、睡眠時間に充てるために深夜便という選択である。子供たちにとってはそれが負担が少ないと思われる。当然僕は仕事があるので、花さんたちとは空港で待ち合わせることにした。

花さんは、玲さんを抱っこし、理子を連れて空港まで移動するために、あらかじめスーツケースは配送済みである。今回も抜かりなしだ。
空港へは僕の方が先に着いた。送り預けてあったスーツケースをピックした後、シャワールームを予約した。これはウェブでは予約できないので、直接カウンターで申し込んだ。思えばここを使うのは2度目で、以前はバリへ行く時だった。あの時とは違って今では4人家族である。

しばらくすると、3人がやってきた。「パパー!」と元気よく理子が走り寄ってくる。待ち合わせ場所は到着ロビーだったので、その光景はさながら出張から帰ってきたパパ、それをお迎えする家族たちといったふうだ。

5歳の子供もしっかりと「1人」にカウントされ、シャワールームを使用する。一人当たり1000円くらいで30分。僕は理子を、花さんは玲さんをそれぞれ担当する。同室で2人使用は30分×2となって1時間使うことができたので、花さんに1時間使ってもらった。

シャワーから出ると、チェックインカウンターで荷物を預ける。だいたいいつもそうなのだけど、たっぷりあったはずの時間はいつの間にか枯渇している。ゆっくりと『つるとんたん』で日本での最後の食事を堪能することなど出来ず、モスバーガーで済ませた。
店の近くに設けられた休憩スペースには多くのグループがいて、これからどこかへ飛び立っていくようだ。そういう姿を見ると、こちらも旅に思いを馳せて少しドキドキしてくる。

ささっと食事を済ませると、出国手続きをする。理子のパスポートはまだ赤ん坊の頃に撮った写真が使われているので、係りの人にも少し笑顔が見られる。

搭乗口がだいぶ遠かったので足早に歩いていると、陽気な音楽ともに、カートが近寄ってきて、紳士なおじさまが「乗りませんか?」と声をかけてくれたので、喜んで乗せてもらうことにした。行き交う人を器用に、丁寧に避けておじさまは目的のゲートへと我らを運び届けてくれた。道中、周りの視線が注がれているのがわかる。あまり乗っている人を僕自身も見たことがないから、それもそうだよな、と思うが、人の親切は素直に受け取ったほうが良いようである。実に楽チンであった。

果たして、搭乗口に着くと少し遅れが生じていた。その間にトイレなどを済ませる。周りを見渡すと、僕たちと同じように幼い子供を連れている人たちがそれなりにいることがわかる。みんな考えることは一緒のようである。

子供連れは優先的に手続きをしてくれるので、搭乗時間がくると、すぐに機内に入ることができた。花さんが予約してくれた席は、前が壁になった先頭寄りのところだった。その壁にはベビーベッドをつけられる仕組みになっており、あとでCAさんがつけてくた。
グアムに持っていったジェットキッズはもう我々は手放していた。飛行機に乗っているときこそよかったものの、そのうち遊び始めてしまって荷物になってしまうだけだった。
今回はその代わりに、空気を入れて膨らませるオットマンのようなものを使った。もちろん用意したのは花さんである。

定刻通りに飛行機は発った。11時30分。7時間の旅


少しは想像していたことではあったのだけど、玲さんはベビーベッドでは寝ることはなかった。


クアラルンプール国際空港に到着し、無事に入国することができた。市内に向かうために電車に乗る。切符を発券するとQRコードがついていて、改札でそれを読み取る仕組だった。
車内の周りには日本人のおじさんグループがいた上に、窓からの眺めはどこか懐かしさを感じるような田舎風景で、日本にいるかのような気分だった。玲さんは車内でご飯を食べた。実にたくましく育っている。

市内に着くと、タクシーを拾ってインピアナホテルへと向かった。旅の第一印象はいつも、タクシーから見る風景によって決まると言っても過言ではない。窓の外に広がるクアラルンプールの街は、どこを見回しても高層ビルが建ち並び、なにかしらを建築途中で、大きなクレーン車がいくつもならんでいた。高層ビルの上階はもやっとしていてその輪郭がぼけていた。どことなく空気も臭いように感じる。

『深夜特急』ではマレーシアの街を高層ビルの街として描いていたような記憶があるのだけど、今現在においてもなお、高層ビルを造り続けているこの街は一体どうなってるんだろう?発展の天井がないのだろうか?
シャッターに描かれたグラフィティや行き交う人の姿を目で追いながら、ホテルに到着した。
「ようこそ、インピアナホテルへ」
体の大きなドアマンがホテルの中へ案内してくれる。僕たちの夏休みが始まったのである。