僕の故郷は沼津で、花さんは青森だ。大型連休の際は、どちらかの実家に帰省するか旅行に行くかとなるのだけど、今年のGWは沼津に帰ることにした。
理子の成長は荷造りをする時にも感じる。めっきり荷物が減ったのである。
年始には、宿泊数よりも余分に着替えとオムツ(日中用と寝る用)を持って行ってたのだけど、それらは今回の帰省に関しては不要だった。3人分の着替えは、ミッションワークショップのリュックサックにすっぽりと収まった。子供の成長は荷物を減らしてくれる。
GWの後半初日は荒れた天気だった。風が強く、それに雨が煽られていた。8時には家を出たいと思っていたけれど、とても無理そうだった。珍しく理子が早起きしたというのに。
天気は次第に良くなっていった。雨が止んだタイミングで出かけた。
GWの新幹線乗客率は100パーセントを超えているとニュースで見ていたため、花さんは東京駅から乗ることを提案した。始発ならいくらなんでも乗ることができるだろう、というわけだ。しかしそんな我々をあざ笑うかのように、東京駅では洗礼をうける。まず乗車券のチケットを買うための行列があり、また改札を通るために行列もできていた。
ホームに出れば、自由席を求めてそれぞれの乗車口のところに10人以上並んでいる。
乗れなそうだったら一本遅らせようということで意見は一致し、とりあえず並んだ。
新幹線が到着すると、意外にもすんなりと席に座ることができた。理子は、もはや東海道新幹線に乗ることに喜びなど感じなくなっていた。一年で何度も乗るからである。
品川、横浜と到着するに連れて、デッキからはみ出た人たちが通路を塞ぐようになった。三島までは40分強。到着したら在来線に乗り換える。新幹線の乗り場から在来線までは少し距離があるので、乗り換えまでの7分は素早く行動しなくてはならない。周りの客も早足である。ホームに着くとほぼ同時に電車が滑り込んできた。
まるで東京にいるかのように満員だった。
すし詰めの電車に乗り、車窓から故郷を眺める。高校生の頃、部活をしていたときは電車で通っていた。もう20年近くも前のことだ。
その時見ていたものとまるで違うのかと言われればそうでもない景色が流れていく。車は空を飛んでいないし、バックトゥーザフューチャーのように3Dの広告もない。
だけど、僕の隣には花さんがいて理子がいた。
原駅に着くと、兄一家が迎えに来てくれていた。車に乗り込むと3姉妹が「理子ー!」と叫ぶ。
実家に着くと、新築の家の前に庭ができていた。施工が終わったばかりらしく、まだカラーコーンが置かれていた。
まだ慣れぬ新築の家にお邪魔すると犬の蓮が出迎えてくれた。吠えないところをみると、ちゃんと僕だということを覚えてくれているらしい。
父母と、祖父に挨拶をする。祖母はデイケアに行ってるらしかった。
荷物をおろし、仏壇にお土産を備えて、お線香をあげた。
子供達は我も我もと線香を手に取り、ポキっと折りながらもなんとか火を点け一丁前に手を合わせている。
そうこうしてる間に手早く昼食が作られ僕たちはご馳走になった。
お昼ご飯を食べると、家の裏に行き、自転車を漕いだりボールで遊んだりする。僕が子供の頃も同じ場所で遊んでいた。車が滅多に通らない道。そこからは大きな鯉のぼりが空を泳いでいるのが見える。あの頃と同じ景色だ。
畑仕事をしていた近所のおばちゃんが僕の姿を見て「優くん?」と声をかけてくれた。
あの頃と同じ場所で、自分の子供が遊んでいる場所で、あの頃面倒を見てくれた近所のおばちゃんと話しをすることの不思議さよ。
3姉妹と理子は、隙あらば使っていた自転車を奪い合い、その度に負けた者の泣き声が響いていた。
夕飯は僕がリクエストしたもんじゃ焼きだった。その頃には祖母も帰宅していて、総勢12名での食卓となった。12人!
誰がこんな姿を想像できただろう。
子供達4人を風呂に放り込み、カラスの行水がごとくかたっぱしから片付けると、布団に入るまで、怒涛の時間を過ごす。
「理子と寝る!」と3人が言い、叶わなかった者は泣いた。
奪い合いの末、結局「ママと寝る」と言う理子に「理子なんて大嫌い!」とふてくされる者あり。
寝入ったと思いきや寝相の悪い子供たちに顔や腹を蹴られ、耳をつねられ3時に目がさめ、そのままなかなか眠ることができなかった。
僕も歳をとったものである。
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