日々がめまぐるしく過ぎていく。自分が週刊で発行する媒体の仕事をしているから、「何曜日に何があって、あれをしなくてはならない」という働き方をすることも、平日があっという間に過ぎていく要因と言える。
親になるというのは子供の分の生活までをすることらしい、ということに気がついたのはつい最近のことだ。食事の用意や着替え、お風呂に歯磨き。どれも諸々を用意して与えなくてはならない。花さんと二人で連携して、阿吽の呼吸でそれらを行っていく。
自分だけだったら妥協してもいいけど、それだと子供がアレだから、と言った理由で重い腰を上げることもある。
思い通りにいかないのがデフォルト。この子は生まれてからまだ3年しか経っていない、と思えば、パジャマをなかなか着ないで遊び始めてしまう理子に怒っていたことが馬鹿バカしくなって、好きにせい、と思ってしまう。
朝の7時過ぎに起きてくる理子を9時に保育園に預け、何事もなければ19時にお迎えに行く。それから就寝する22時までが親子の時間となる。
そう考えると、24時間のうちのほんの数時間しかコミュニケーションを取れない。
時折ネットで子育てについて調べることがあるのだけど、そういうのを見ると自分はなにか子供にできているのか不安になる。
子供と生活はしているけれど、果たして育児はできているのか。成長できるようなことを補助してあげられているのか、と悩む、というほどではないけれど、どこかでいつも引っかかっていた。
とある日、理子と一緒に道を歩いていると、信号無視して横断歩道を渡っている人がいた。すると理子は「信号は青にならないと渡っちゃだめなんだよね」と僕に言ったことがあった。それは僕がいつも理子に言い聞かせていることだった。
とても些細なことではあったのだけど、理子の身についたんだなと思って嬉しくなった。何か体験を通して成長することじゃなくても、日々の繰り返しの生活で浸透させてあげることも育児ということなんだろうと妙に腑に落ちた。
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