2014年9月16日火曜日

電話の向こう側

三連休のうち、最後の日、僕は仕事に行くこととなっていた。
とあるショップの開店前の製作物を担当しており、その対応があったのだ。
iPhoneで会社のメールと同期しているので、クライアントからのメールが来たら出社することにしていた。
昼間は掃除をしたり、花さんと理子さんと過ごした。

しかしながら、待てども待てどもメールは来なかった。
15時頃になって、クライアントに電話をした。
すると、あと2時間くらいでメールを送ることができるというので、
それまで自宅待機することにした。

9月も半ばである。
夕方の太陽はすっかり元気をなくし、虫の音も蝉から鈴虫へと変わっていた。
17時には、理子さんをお風呂に入れることにしていた。
平日は花さんがしてくれているので、休みの日は僕が担当していた。
会社に行く前にお風呂に入れることにした。

赤ちゃんが全般的にそうなのか分からないけれど、
服を脱がせて真っ裸にさせるとすごく泣く。
だから、少し寝ぼけているくらいのタイミングでお風呂に入れ、
なにが起きているか分からないうち着替えまで済ませてしまいたい、
それが生後25日経って我々が行き着いたこの時点での答えだった。

果たして、この日の理子さんはすっかりと覚醒していた。
服を脱がせると、泣いた。
そして浴槽に足をつけると少しだけ泣いた。
しかし、体を全部浴槽のお湯につけ、ガーゼタオルをお腹にあててあげると
柔らかな表情をした。
何が起きているか理解はできないけれど、お湯につかるのは気持ちがいいようだ。
花さんのお腹の中にいるような気分なのであろう。

ガーゼで顔や髪の毛、腕、手、お腹、太もも、足、背中、おしり、性器。
順番に洗っていく。背中を洗うときに体の向きを変えるのが、
僕はまだおぼつかない手つきになってしまう。
そしてそんな半人前の僕の動きを察知して、理子さんは泣くのである。

慌てて体をもとの位置に戻すと、泣いた反動なのか、浴槽内で排便した。
お湯の中で漂う便。
とてもリラックスした様子の理子さん。
僕は理子さんを抱き上げると、花さんにお湯をかけてもらい、風呂場を脱出した。

体をタオルでふき、ベビーオイルを塗り、おむつ、服を着させる。
基本的に中腰であるから、体力のいる作業だ。

一通り終えると、僕は仕事に行った。


会社での作業は、それほど大変なものではなく、
スムーズに対応ができた。
21時に終わればよいかと思っていたのだけど、20時には帰ることができた。
僕は仕事が終わった時は、いつも花さんに電話をかけていたのだけど
理子さんが生まれてからはメールで連絡していた。
今まさに理子さんを寝かしつけたところかもしれないし、
また花さんも、合間を縫って寝たところかもしれない。
電話で邪魔をするのは嫌だった。
この日は直前までメールのやりとりをしていたこともあって、
久々に電話をかけることにした。

「仕事終わったよ、なにかスーパーで買い物していくものはある?」
と聞くと、花さんの声に混じって、理子さんの声が聞こえた。
あぁ、家族が増えたんだな
そんなことを強く感じた。

「すぐに帰るね」僕はそう言って電話を切ると
いつもより足取り軽く、まっすぐに家に帰った。

2014年9月10日水曜日

生誕20日



理子と名付けられた我が子が生まれてから20日が経った。
たったの20日であるけれど、僕たち夫婦の生活にもたらした変化はとてつもなく大きい。
生まれたての我が子は何もできないのである。
そして、僕たちは、そんななにもできない我が子に対してもまた無力であった。

なぜ泣くのか?
その動きの意味はなんだ?

とはいえ、少しずつ、知識を増やしていく。
そして対応する。


先週の土曜日、実家の全ての者が東京へやってきた。
全てであるから、祖父母と飼い犬までもである。
そして、皆が理子を抱いて笑顔になった。
姪のうさきは、最初は恥ずかしがっていたけれど、
次第に理子への接触を深めていった。
彼女もまた、理子への愛を深めていってくれていたのである。

僕たちの場合、核家族であるから、
実家で当たり前のように行われていることができない。
大人の目が圧倒的に少ないのだ。

結婚式の挨拶の時に、僕を育ててくれたように、家庭を築きたいと言ったのだけど、
それをどのようにしていけばいいのか、これから考えなくてはいけない。


だんだんと力強く泣くようになる我が子。
可愛くて目が離せない。

2014年8月25日月曜日

2014年8月21日

8月21日の早朝4時頃。当たり前だけど僕はベッドのなかで眠りについていた。
そんな中、部屋の外から叫び声が聞こえる。
「破水した!」HANAが言った。
低血圧で、目覚めの悪い僕ではあるのだけど、文字通り飛び起きた。
ハスイシタ
たったの5文字であるのに、まったく理解ができないでいる僕を尻目に
HANAは至って冷静に見えた。着替えをし、支えなしで自分の足で歩き、まずかかりつけの病院へ連絡。
指示をあおぎ、登録しておいた妊婦用タクシーに連絡をした。
事前にHANAは、必要な物を3つのバッグに入れて用意していたので、
それらを持って、外へ出た。
すると、既にタクシーは指定された場所で待機していた。
夏とはいえ、まだ薄暗く、蝉も鳴いていない時間だった。
タクシーの運転手は、緊急時用にもかかわらず、地理が不勉強らしく
我々が道を指示して病院へと向かった。

車内でもHANAは冷静に見えた。
予定日は24日だったので、3日ばかり早い。
しかも陣痛ではなく、破水から陣痛が起きるパターンだ。
もしこれが、HANA一人の時に起きていたらと思ったらゾッとした。

病院に着くと、時間外受付で事情を説明し、産婦人科病棟へと向かう。
すぐさま、胎児の心音と、胎動の確認を行い、それぞれの数値がグラフ化され、プリントされる。
あたりまえかもしれないけれど、このまま入院ですと告げられる。
そのとき時刻は5時前だったのだけど、9時には先生がくるという。
その間、ご主人はどうされますか?と聞かれたので、
いったん家に帰り、家の片付けをしてから戻ってきます、と答えた。

電車の始発がでている時間だったので、駅まで歩き、冷静になろうと努めた。
少しまえに実家の母には連絡を入れており、起きているようだったので電話をした。
母の声を聞くと幾分落ち着くことができた。

電車に乗るという日常的な行為が、いまいちしっくりと肌になじまない感覚。
自分の体に異変が起きた訳でもないのに、
体の奥の方からすさまじいエネルギーの固まりのような物が押し出してくる感覚があった。

家に着くと、軽く食事を済ませ、食器を洗い、洗濯機をまわした。
洗濯が完了するまでに、インターネットで、破水から始まる出産について調べる。
まったく予想もしなかったことなのだ。
破水とはすなわち、胎児がいるお腹の中の羊水が抜け出ていくことであるから、
時間との勝負になってくる。時間が経つにつれて、赤ちゃんが呼吸ができなくなって辛くなっていく一方なのだ。
24時間以内での出産をある程度の基準としていることが多いようだった。

洗濯を終えるアラームが鳴り、洗濯物を干すと、また家を飛び出した。
病院に着いたのは9時を過ぎていた。院内にあるコンビニエンスストアで、水やポカリスエット、軽食を買った。
そして、ナースステーションで名前を告げると、分娩室に通された。
HANAは、胎児の心音と、胎動をモニタリングする装置をつけ、陣痛を促す薬を点滴していた。
その部屋には、テレビが備え付けられていたが、なぜかチャンネルを切り替えることができず、ニュース番組はただひたすらに、広島の災害のことを告げていた。
僕は、勤め先の社長に電話で事情を話し、休みを取った。

12時頃になって、HANAの食事が出てきたので、
僕もコンビニで買ったおにぎりやらサンドイッチを食べた。
それからしばらくすると、HANAの体に変化が出てきていた。
陣痛の感覚が一定になり、グラフの山がなだらかになったのだ。
助産師さんが、子宮口の開き具合をチェックし、点滴の量を調整。
そういった動作が繰り返された。
痛みは静かに、確実にHANAの体に繰り返しもたらされた。
休む暇もなく、次の波が襲ってくると、HANAの顔は痛みで歪んだ。
休めるうちに休みましょう、と言われても、痛みでとても眠られるような状態ではないようだった。

HANAは言った。
「これが赤ちゃん自身が求めているものだったら我慢できるけど、薬で無理矢理起こした陣痛だから、この痛みに対してどうしたらいいかのわからない」と。

しかし、一センチしか開いていなかった子宮口は、HANAにもたらされる痛さとともに、
確実に開いていくのだった。
4時近くには、8センチほど開いていた。

そして、先生は僕に言った。「思っていたよりも早く生まれるかもしれません、7時から8時くらいだと思います」子宮口も完璧に開きつつあった。
しかしこのことは当の本人には告げられなかった。
痛みの感覚が短く、そして激しいものになっていったとき、
助産師さんは、HANAの体を自分に預けさせながら、
優しく話しかけ、もう少しだよ、あとちょっとだよとHANAをなだめるのだけど、
「あとちょっとってどのくらいなんですか?」と
ひどく冷静に質問をしていた。
僕は先生から聞いたように、「子宮口が開いて、あともう少しで頭が見えるようだ」と伝えた。
僕はHANAの背中をさすったり、テニスボールを押当てたり、汗を拭いたりと、
思いつくことをやりつづけた。それでも足りないと思うのだけれど。


そして、ついに、その時は訪れる。
助産師さんに、「ご主人は立ち会いますか?」と聞かれ、「はい」と答えた。
僕は一度部屋の外に出ると、廊下を行ったり来たりとし、落ち着かなかった。
そして、死んだじいちゃんに祈った。「どうか、無事に出産させてほしい、見守っていてください」と。
いつも診察をしてくれていた先生に加え、女医さんと助産師さん2名が部屋に入り、
出産の支度を始めているようだった。
「ご主人、入ってください」と言われ、部屋に入ると、
酸素マスクを口につけ、分娩台に上がったHANAの姿があった。
僕の心拍数は跳ね上がった。
今まさに、生まれようとしている。
僕はHANAの右側に寄り添い、見守った。
先生が数値や子宮口を確認する。
そしてHANAに声をかけ続ける。
「息を止めると赤ちゃんが苦しくなるよ、吐いて、力んで!」
「そう、上手だよ、赤ちゃんの顔が見えてきたよ」
男の先生が、かけ声とともにHANAのお腹を下の方へと押し出した。
「せーの!」
「もう少しだよ、がんばれ!」先生たちのかけ声が響く。
正直なところ、僕は声をかけることができなかった。
ひたすらに痛みに耐え続けているHANAの姿を間近で見ていたら
情けないけれど、口を開いた途端に涙が出そうになっていたからだ。
それでも、2回めに先生がお腹を押してイキんでいるとき、
「がんばれ!花ちゃん!がんばれ」と叫んだ。

あっという間の出来事だった。
鳴き声とともに、赤子は取り上げられるとHANAの胸で抱きかかえられる。
「おめでとう!元気な女の子だよ」
分娩室で声援が響く。
僕は「やったね。花ちゃん。やったね。がんばったね」と声をかけるけど
その視界は涙でにじんでいた。
HANAは声にもならない声で、赤子を抱いていた。

すぐさま赤子は助産師さんによって、抱きかかえられると、
別室で体を拭かれ、体重、身長を測った。
8月21日。19時21分誕生。47.1センチ。2685gだった。

助産師さんは、タオルで包まれた赤子を僕に手渡してくれた。

僕は愛娘に初めて声をかけた。
「いらっしゃい、理子さん。パパだよ」

HANAと、母たちの名前にある「子」を一字とり、
スペイン語で「豊かな」という意味のある理子(リコ)と名付けた。

理子は、顔の割に大きな瞳をしっかりと見開いて僕を見つめ返してくれた。
これからいっぱい愛を注いでいくよ、理子さん。



花ちゃん、本当にありがとう。







photographed by yanobetty

2014年8月15日金曜日

the other side

平日の朝である。
私は隣にいる眠り人を起こさないようにそっとベッドを出る。
朝はいつもラジオを聞いている。
下世話な話などを流さず、音楽のみを流す番組である。
朝から情報が多いのは嫌いだ。

トーストにチョコレートクリームを塗って、オーブントースターでこんがりと焼く。
マグカップにインスタントコーヒーを入れて、ウォーターサーバーでお湯を入れる。
朝から夏の暑さでうんざりしてしまうがコーヒーはホットを飲むようにしている。
しばらくすると、上階から足音が聞こえた。階段を下りてくようだった。
「おはよう」寝ぼけ眼で彼は言う。目には目やにがまだついている。
あくびをしながら、少し深めの皿にコーンフレーク、豆乳コーヒーを入れて混ぜる。
最近のお気に入りの組み合わせのようだ。
彼はそれをあっという間に平らげると、キッチンのシンクにそれをおき、水で軽く流している。

私は鉢植えに水をやりながら歯を磨く。
新しい芽が次々と顔を出し、鉢植えから溢れんばかりだ。
10時になると、ラジオのDJは違う人へと変わる。
彼も家を出る時間だ。
「行ってくるね」彼は言う。
「今日は燃えるゴミの日だから、ゴミ箱を出してくれる?」
私はそう言うと、
「それじゃあ変わりに自転車を押してね」と彼は言った。

玄関の外に置かれたゴミ箱を彼が運び、彼の自転車を私が押して外に出る。
それじゃあ今度こそ
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
彼は自転車を漕ぎ出し、振り返って手を挙げた。
そして、もう一度、角を曲がる前にこちらを見て手を振り、やがて姿は見えなくなった。

一人になった部屋で、今日一日のことを考える。
天気がいいのでスニーカーを洗うことにした。
バケツいっぱいに水をはり、すこし洗剤を混ぜてタワシでゴシゴシと洗う。
白いスニーカーの汚れはみるみるうちに落ちていく。
蝉の鳴き声とラジオから流れる心地よい音色。
首筋を伝う汗もどこか気持ちいいものにすら感じてしまう。
私の靴と、彼の靴。大きさがまるで違うそれらがテラスに仲良く並び、
太陽の光を浴びている。

時計を見ると、まだ12時を過ぎた頃だった。
彼が戻ってくるまではあと何時間もある。
あと半日、私は何をしよう。
エアコンをつけた部屋の、大きなソファに横になって考える。
カーテン越しに入る夏の日差し。蝉の鳴き声。

私の一日はまだ始まったばかりだ。

2014年7月14日月曜日

聖誕祭

朝の8時前に目が覚める。

僕がきちんと覚醒する頃には、隣でHANAがiPhoneを見ている。
おはよう
僕は声をかける。
それからだらだらと、寝ぼけながら会話をして1時間ぐらい過ごすと
彼女は誰かに向かって「起きる!」と高らかに宣言しベッドからいなくなる。
その誰かは、まだベッドでのたうち回っている。

それから朝食を食べ、軽く片付けをして、
19時まで真っ白な予定帳を埋めるべく、作戦会議をする。
結果、14時10分から渋谷の映画館で上映の『her』を見ることにした。
監督はスパイクジョーンズ、主演はホアキンフェニックス。
彼の作品で最後に見たのは、宣伝物も担当した『容疑者ホアキンフェニックス』である。
普通に映画界にカムバックしている訳である。


13時頃になると、家を出る。
今住んでいるところに引っ越してからというものの
渋谷がとても苦手になっている我々なのであるけれど、
そういった状況でも、それをHANAは受け入れた上で最善を尽くすのである。
「このあたりで電車に乗って、この出口で降りれば
階段ではなくエスカレーターで地上まで出られるよ」
HANAは、さも新しいスーパーではスイカが100円安かったと言った具合に
なんでもないことなんだと、有益な情報を僕にもたらす。
僕はそれに従って、ドラゴンクエストのパーティよろしく後ろを歩いて地上に出る。
しかしながら、久々に歩く渋谷の街はとても疲れるものであった。

予定よりも早い時間ではあったのだけど、
さっさと映画館に入ることにした。

映画の具体的な内容は割愛するが、新鮮で、かつエロティックで
面白いものだった。
僕としては、ホアキンが着ているシャツに見惚れてしまっていた。
スパイクジョーンズが個人的に親交のあるバンドオブアウトサイダーズなのかしらん
と思ってみていたけど、ホアキンみたいに、がたいの良さそうな人は着られないだろうな、とも思った。

映画を見終わると、中目黒へと向かった。
いくつか店を回って、プレゼントを物色した。
人に物をあげるというのは知恵を絞らなくてはならない。
自分がもらって嬉しい物をあげる
というのを念頭に置いてはいるのだけど、人と、僕は違うのである。


再び渋谷へと戻る。
雑踏をかき分け、似たような顔、似たようなファッションをした若者たちをすり抜け
目的の店へとはいる。
とても静かな店内である。
名前を告げると個室へ通される。
果たして主役はもうそこにいた。

とりあえず乾杯をし、いくつか注文をする。
そして他愛もない話をする。
そのうちメンバーが揃い、宴が始まった。
穏やかで楽しい時間が繰り広げられる。

一通り食べた後、店員が誰も注文していないデザートを持ってくる。
ハッピーバースデー
今日は二人の誕生日祝いなのだ。

ろうそくにつけられた火に、夫婦揃って息を吹きかける
そして火が消える

おめでとう

おめでとう

末永い幸せを

今日はきみたちの聖誕祭
夫婦になって初めての誕生日を祝う

永遠に幸あれよ



店を出た後の渋谷の街も、やっぱり騒がしいものだったけれど
昼間よりは幾分マシに思えた日曜日の終わり。