親知らずを抜いたその後であるが、今回はあまり痛みもなく、痛み止めも1回だけ飲んだだけである。抗生物質に関しては毎食後飲んでいる。
しかし気になってしまうのは、強くうがいができないことによる不快感と、歯茎を縫った際の糸が、口の中で割と存在感を放っているということである。ちょっと歯茎にあたる。
来週頭の抜糸が待ち遠しい。
親知らずを抜いたその後であるが、今回はあまり痛みもなく、痛み止めも1回だけ飲んだだけである。抗生物質に関しては毎食後飲んでいる。
しかし気になってしまうのは、強くうがいができないことによる不快感と、歯茎を縫った際の糸が、口の中で割と存在感を放っているということである。ちょっと歯茎にあたる。
来週頭の抜糸が待ち遠しい。
親知らずを抜いた。3月の終わりにも抜いたので2回目である。今回は下部の右側だった。
前回は治療後に家に帰って鏡をみたら顔に血がついていたということがあったので、黒いTシャツを着て臨んだ。
下の歯を抜くのはしんどいという話を聞いていたが、もう歯茎の具合も悪くなっているしということで決断したわけなのだけど、今回は前回よりもかなりヘビーだった。やっぱり力技でグイグイ歯を抜くというのは見えない部分でもあるし呼吸もしずらいしすごく恐怖だった。
麻酔していてももちろん痛みはある。あぁなんか奥の骨に当たっている!と強烈な怖さを伴った触感もある。開けた口の大きさに対して明らかにでかいんだろうと思う器具が、無遠慮に口の中で暴れている。ちょっと無理って結構何度も思った。目を瞑っているからわからないんだけど。
お医者さんやアシストしていた衛生士さんは血塗れの口の中を見ながら、私の骨を砕いていくのに一生懸命だ。たまに聞こえる「あれ?」とかが本当に怖く、もういっそのこと全麻してくれって思ったりもした。
歯医者で治療を受けていて初めて手を上げてストップをかけてしまった。苦しくて。
痛さで顔が歪んでいただろうなとも思う。38歳である。
最後には舌の上に、ポロンっと取れた歯の感触があった。
もう二度と味わいたくない痛みだった。前回とは非にならぬ。
でも30分ほどで終了した。
治療後、ガーゼを噛み終えてからの痛みは前回よりも酷くはない気がしているし、腫れてもいない。終わり良ければ全てよしと言うところか。
1週間は酒も飲まずに静養しようと思う。ドライソケットになりませんように。
朝はだいたい5時くらいに目が覚める。眠るのが22時くらいだから自然と目が覚めるのがその時間というのはもはや必然だと思う。
トップギヤのまま眠りに入る子供たちとそれに付き合う親。ドタバタで1日が終わり、自分だけの時間はないに等しい。それを唯一享受できるのは早朝と、二人の子供を送り出した後、(といっても玲は必ず花さんが送りに行ってくれるのだけど)始業までの1時間ほどである。
ここのところ、朝風呂は花さんとの争奪戦だ。早朝起床が日常になってしまった花さんとともに静かな攻防が繰り広げられる。しかし今日はふと散歩を再開してみようかなと思った。
目を覚ましたのは4時55分のことだった。寝るときは私から遠くにいた玲がなぜか私の腕の中にいた。そして理子の足は私の顔付近にある。
カーテンの真下から隙間を覗き見るともうだいぶ外は明るいことがわかる。のっそりと布団から出る。ハーフパンツとロンTという格好のまま靴下と帽子だけ身につけた。イヤホンを耳につけ玄関を開けてそっと出て行った。もう完全な朝だ。外には歩いている人が数人いるだけである。マスクは顎の位置までずらして砧公園まで歩いていく。
公園に着くと、走っている人たちがいるし、老人はラジオカセットをセットして太極拳の準備をしている。
私はサイクリングコースをただただ歩いていく。贅沢な時間である。イヤホンをしていても鳥の鳴き声や木々の揺らめく音がかすかに聴こえる。
私の脇を色々な走り方でランナーが抜き去っていく。様々な服装、スタイルである。
私は長距離を走るのが嫌いだ。以前駒沢に住んでいる時はまだ子供もいなかったので、夜中に夫婦で駒沢公園を走ることもあった。とはいえ私は最終的に花さんと大きく差をつけてようやく1周したものだった。それ以降ランニングというのをした記憶がない。
30分ほどかけてサイクリングコースを1周した。老人たちは人数が揃ったのか、音楽、というかお経のようなものに合わせて太極拳に勤しんでいた。私は家に帰った。
トイレに入ると寝室から勢いよく誰かが飛び出して行ったようだ。まずリビングへ行ってから風呂場のドアを開ける音がした。「おかしいなあ」という表情が目に浮かんだ。いい線いってるけど私はそこじゃないのよ、と思わず笑ってしまった。
トイレから出ると「パパー!」と玲が笑顔で抱きしめてくれた。金曜日が本格的に始まろうとしていた。
理子と風呂に入り、私が彼女の長い髪の毛を洗っている時。水を含んだそれはどうやら重いらしく、ちょっとした苦痛の表情を浮かべている。顔に水がかかるのもやはり基本的には嫌なのだろう。
そして、ちいさく「うぅ〜」と唸り始め、誰に向けてなのかわからないが怒りが芽生えているようである。嫌だーもうお風呂嫌いとなる。
しかしもう小学生であるから、髪の毛からいい匂いがするとか綺麗な髪の毛であるというのは自分に必要なスペックだと思っている節がある。もっと小さな頃は髪の毛があまり生えてこなかったからその反動でとにかく伸ばしたいというのもあるだろう。
「少し短くしたら?」と言うと「嫌だ」となり
「そしたら我慢するしかないね」と言うとやっぱりそれも「イヤ」なのである。
髪を切らずに、スムーズに洗うにはやはり導入が大事であり、自然な流れでスイスイっとやってしまい、いつの間にか終わってたくらいがベストである。この日はそれがうまくいっていなかったようだ。
ご機嫌をとったり、でも叱ったり。褒めたり、食事の世話をしたり。一緒に歌を歌ったり、毎日フル回転。気がつけばもう5月も半ばに入ろうとしているわ。
玲が唐突に「なんでやねん」と言った。
文脈からして使い方は間違っていないタイミングだったのだけど、どうした?とついつい聞き返した。
第二子の宿命なのかもしれないけれど、上の子の同時期と比べると目のかけ具合が異なる。90パーセントくらいは把握できていたものが、65パーセントくらいしかできていない気がする。
どこでどんなものに触れたのかがいまいちわからないから唐突に感じるのだけど、でも確実に「なんでやねん」に触れているかと思うと笑えてくる。
理子が3歳頃までは、自分がかなり不規則な生活をしていたので、知らない部分が多い。でも玲に至ってはコロナもあって、保育園以外の時間はほぼ接しているのだけど、それでも分からないことだらけである。
「なんでやねん」の次の言葉が気になる今日この頃。
自分という人間は、スムーズに生きられるように、花さんに道を作ってもらっているようである。
つい先日のGW。子供を連れて一足先に旅先へと向かった花さんたち。僕はその翌日に一人で飛行機に乗るという段取りである。
今日び、飛行機への搭乗というのは全てスマホで完結する。クレジットカードと紐づいており全て花さんが手配している。
「あなたはこれ、この時間に空港にいくよろし」と花さんが言う。
iPhone機能のウォレットにチケットが表示され、前日から必死にリマインドしてくれる。
「出発の何時間前だ、忘れることなかれ」と。これがあれば空港での発券なども不要で、ささっと保安検査所も通れてスムーズである。
そして当日。私はきちんと早朝に起きた。掃除をし数日の留守に部屋が耐えうるようにチェックする。洗濯機の水道の元栓も締める。私は気になる部分においては徹底してしまうB型である。
肝心のセキュリティも作動させて家を出た。玄関の鍵を閉めたかの確認も2度行った。
外はまだうっすらと寒かった。
渋谷、品川を経由し羽田空港へ。第3ターミナルは外国へ行くところだから第1.2ターミナル駅で降りる。ちょっと前に行った沖縄の時と同様に問題ない、滞りない。
エスカレーターを登りロビーに入ると思ったよりは人が少なかった。
人々はなにやらカウンターだったり発券機で作業をしている。なぜいちいち時間のかかることをしているのだろう?と謎な上から目線をまき散らしながら、僕はiPhoneのウォレットからQRコードを表示させる。実にスムーズだ。
ところがである。僕がゲートに入りQRコードをかざすと不穏なブザー音である。おや?
すぐさま有能そうな女性職員が僕のところにやってきてどうされました?と聞く。
僕は携帯のモニターを見せると気の毒そうな声で言った。「ここはJALですので、こちらではございません」と。
おや。何事だろうか。前と同じように通っているはずなのだけれど。
ちょうど花さんと連絡をとっていて、どういうわけか通れなかったのだがというと、
もしかして第1ターミナルにいるのでは?と。
おや。おや。このシンプルな字面からとてもやばい状態が伝わってくる。
果たして、僕がいかなくてはならないのは第2ターミナルであった。
しかしウォレットではターミナルの表示はなかったのだ。普通の人はANAの場合は、JALの場合はとターミナルを認識しているのであるが、僕の場合はいつも普通の顔して花さんの後ろに付いていっているだけだったからそういった頭の回路が皆無だった。
心臓の鼓動が早まる。すぐさま外に出てみるも、そこには巡回しているバスの姿も、係の人の姿も見られなかった。出発時間まで40分しかない
タクシーしかない、と思って探すも車内で休憩して寝ていたりそもそも人影が少ない。
無駄にロビーに戻り誰かを探してみるも、こういう時に限って助けてくれそうな人はいなかった。また外に出てみると、まさに客をおろそうとしているタクシーがいた。降りるや否や話をしてみると、僕の切迫具合が伝わったのか、乗せてくれた。そしてお金もいらないという。私は御幸が差したその運転手に何度もお礼を言う。そして私は人に助けられて生きているのだなと思った。
羽田空港はとても広い、車で移動しているのになかなか第二ターミナルには着かない。出発の1時間前には空港にいる状態を作っておいたはずなのに、私は空港内でタクシーに乗って焦っていた。
ドライバーは横山さんと言った。お代はいらぬと言われてもタダでのせてもらうわけにはいかない。しかし悲しいかな財布には諭吉しかいなかった。
無賃乗車の私を丁寧に運んでくれた横山ドライバーには何度もお礼を言い、これがジャパニーズおもてなしかと思う。本当はお金を払いたいのだけどすみませんと思いながらロビーに入った。
果たしてそこはANA一色であった。
もう本当に時間がなくてサササっと保安検査のゲートを目指し、チケットを表示させる。よしよしこれで安心だと思いながらゲートをくぐると、またしてもあの音である。
ブー
なんや、何がいけないんやと思いながら、有能そうな方が私に近寄ってきた。そして私に告げる。「座席指定がまだのようです」と。
そういえば花さんに言われていたわ、座席指定してね、と。
私は誰も並んでいない発券機で、QRコードをかざした。
そこには名前と38歳という年齢が表示されていた。
僕は38歳にして、一人でスムーズに飛行機に乗ることさえできないのだ。僕はなんとなくスムーズに生きていると思いきや、花さんに整地してもらった道を歩いているに過ぎなかった。
この時点で出発まで20分を切っていて、当然座席は全て埋まっており、私には非常口のある場所しか空いてなかった。甘んじてそれを受け入れて、ようやく私は保安検査を通り抜け遠い遠い搭乗ゲートを走って目指すのであった。
スムーズな人生には程遠いようだ。