自宅で使用しているカーテンとは違って、ホテルのそれは光の一切を遮光していた。時計の針が7時を示していても、光を部屋にもたらすことはなく暗闇を作り続けていた。そういったわけで、目を覚ました時は一瞬混乱してしまう。絶対的な確信を持って今が午前中の7時だと言い切ることができないから、大きなベッドのなかでモゾモゾと動いて、まずはこの暗闇の状況を体に馴染ませようとする。そのうち少し離れたところから「おはよう」と声がして、それでようやく今は朝の7時だということに確信を持った。
僕はベッドを抜け出して、カーテンを少しばかり開けて、ベランダにでる。ひんやりとした風が部屋にすっと入り込むので、すぐに窓を閉めた。
外の世界もまだ始まったばかりのように見える。高層ビルが作り出す巨大な影が、低層建築物の上に覆い被さって、まるでカーテンを閉めたように真っ暗な世界を作り出している。そこに住む人たちには、まだ朝の光の恩恵を享受できていないんだろうと思われる。
3泊4日の旅の最終日だったので、朝から荷造りをした。花さんが爆買いをした理子の服のぶんだけ荷物が増えて、理子が使ったオムツのぶんだけ荷物が減った。
朝食は簡単に済ませて、ホテルのチェックアウトをした。飛行機の時間まで観光を続けることになっていたので、荷物はホテルのコインロッカーで預けることにした。アテンドしてくれたホテルマンは日本語をよどみなく話した。
ホテルの近くでタクシーを拾って、国立こども博物館へと行った。この場所は、前回花さんが理子を連れて行った際、とても楽しそうに遊んでいた、ということで今回も連れて行くことになっていた。ここで理子にいっぱい遊んでもらい、飛行機に乗る頃にはクタクタになっていて寝てくれるだろう、という大人都合も多分に含まれている。
当たり前のことかもしれないけれど、その場所についたとき、理子は懐かしさを感じるそぶりなどは見せなかった。僕といえば広大な敷地と、雲が一切ない青い空、心地よい風を満喫していた。博物館内に入ると、大きな本でできたトンネルや、光を使ったアトラクション、自分で遊び方を考えることのできるパズルとパチンコゲームが合体したようなものなど、子供の目がキラキラしてそこから離れなくなるようなものがいっぱいあった。また、一つの遊びのカテゴリーのスペースには係員が立っており、複雑そうな遊具に関しては身振り手振りで教えてくれた。
ひとしきり遊び場を満喫して、外の広場に出てみる。何人かのこどもの集団に大人が引率して説明しているという姿が所々にあった。また、昔遊ばれていたと思われる遊具がいくつか自由に貸し出されていて、それを使って大人たちが手本を示し、子どもたちのヒーローになっていた。負けず嫌いな子は諦めずに頑張っている。こういった場所だからかもしれないけれど、携帯ゲームを持って遊んでいるという子どもはおらず、外をかけまわっていた。なかなかに微笑ましい姿だった。
理子は久々の外遊びに疲れたのか、目をこすりだしたので、抱っこすることにした。すると時間もかからずスヤスヤと寝息を立てはじめた。花さんのしおりには、このあと昼食を食べることになっていたのだけど。
博物館のすぐ近くに目的のうどん屋があった。この店は小金持ちにも人気があるのか、高級車で乗りつけ、店員に鍵を渡して車庫入れをさせていた。
昼時ではあったのだけど、そんなに並ぶことなくテーブルに案内された。僕は当たり前のようにビールを注文した。うどんの他に水餃子もあったので、それも頼んだ。日本でいうところのお通しのような感じでキムチが出てくる。この旅で確信を持ったのだけど、僕にとっては日本のキムチの方が味は好みであった。
白だしのうどんは、するすると僕の喉を通っていった。旅行最後の食事にはいい塩梅だった。ビールを飲み終えるころになって、ようやく理子は目を覚ましたので、大人たちが食べきれなかった水餃子を与えてみるも、起きしな餃子など食えるか、と言わんばかりに口を頑なに閉ざしていた。
想定していたよりも、食事に時間がかかってしまったので、急いでタクシーを拾ってホテルへと戻った。そして荷物をピックアップして外に出ると、玄関口にいる係のおじさんに呼び止められ、「タクシーか?」と聞かれたので、「そうだ、空港に行くのだ」と告げると、流しのタクシーを捕まえようとしてくれた。
僕たちはすぐに捕まるんだろうと思っておじさんに任せていたのだけど、一向にタクシーは捕まらない。タクシーが通ったとしても、おじさんには目もくれず素通りしていく。また、遠くにその姿を認めると、おじさんは大きな声で「空港までだ!(多分だけど)」と叫んで呼び止めようとしてくれていたけど、タクシーは我々の前には止まらなかった。
そもそもホテルが大きな通りに面しているわけではないので、タクシー自体もなかなか通らない。よかれと思っておじさんは率先して捕まえようとしてくれていたのだけど、いたずらに時間は過ぎていく。気が焦って自分たちでも捕まえようと道路に身を乗り出していると、おじさんに制止された。
韓国行きの飛行機のチケットが名前と名字が逆ならば、日本行きのチケットもまた然り。つまり空港では通常よりも搭乗までに時間がかかることが予想されていた。しかも自国ではなく異国において、その説明をしなくてはならないので、時間以外のプレッシャーもあった。そういった色々を考えながら、過ぎ行くタクシーを見ていると余計に気が焦る。「もうあと3分待っても捕まらなかったら、大きな通りに出て捕まえよう」と花さんが言って、時計を見ていると、ようやく一台のタクシーが我々の前に止まってくれた。おじさんはとても満足そうに運転手にタクシー運転手に行き先を告げていた。
おじさんにお礼を言うと、タクシーは空港に向けて走り出した。ソウルの交通事情は東京よりも荒れている気がする。無理矢理な車線変更を繰り返すためなのか、渋滞が多い印象だった。
刻一刻と時間が過ぎていくことの心配に加えて、僕は運転手のことが心配になり始めていた。それは運転中に小瓶のようなものから錠剤を取り出して飲んでいる姿を見てしまったからであった。そして運転の途中で口先を使いながら白い手袋をはめだして、それで額の汗をぬぐっていた。もしやなにか持病を持っているのだろうか。そもそもちゃんと行き先が伝わっているのか?空港からホテルに向かったときとは違う道を走っている気がしてくる。焦りはマイナスの想像を生んだ。
「間に合うかな?」と花さんと話をしても、結局タクシーの運転手と道路状況に運命は委ねられているので我々にはどうしようもできない。僕の手のひらは汗でびっしょりになっていて、そのことに花さんは驚いていた。これも旅のスパイスの一つだろうか。
それでも着実にタクシーは空港まで近づいて行っているようだった。都市から郊外の街並みへと変わっていき、標識に「AIRPORT」の文字が見えた。そして遠くのほうでは飛行機が離陸し、低空で飛んでいる姿も見えた。「もうちょっとだね」と言葉を交わして時計を見ると、離陸の時間まであと1時間を切っていた。
運転手はしきりにミラーを気にしながら運転し、また車線変更を繰り返した。そして無事に空港まで到着することができた。お金を払い、お礼を言って、足早に発券カウンターまでいく。ここからが重要なミッションだ。
花さんは、iPhoneの画面を見せ、また行きの飛行機で、書類に一筆書いて乗せてもらったことなどを係員のお姉さんに説明した。お姉さんは、そのことに理解はしたようで、どこかに電話をかけた。おそらく上司なのであろう。何度か言葉が交わされて受話器を置くと、チケットに名前と名字が逆であることを示す矢印が書かれ、そしてお姉さんのサインがなされた。そして荷物をベルトコンベヤーに乗せるよう指示をされたため、無事に出国できそうだということを理解した。シールがカバンに貼られ、ベルトコンベヤーで運ばれていく。「すぐ近くにあるモニターに、自分の荷物が映し出されたら問題なかったということであるから先に進んでください」という説明があったため、どこか祈るような気持ちでモニターを見つめる。するとあっけなく、僕たちの荷物が映し出された。その映像にタイトルをつけるとしたら『完全な無感情』といった姿をしていた。
無事に出国できそうだと分かると、「あと1時間もない」という焦りは「あと30分も残っている」という認識に変わった。花さんはベーカリーで理子用にパンを買った。そして、出国手続きを済ませた後は、会社の人たちへのお土産を買っていた。
僕はといえば、このときは無職であるので、財布を開くことはなかったが、使い道のないお金がまだ10万ウォン残っていた。やれやれ。
結局のところ、時間には間に合い、チケットの発注トラブルもクリアした。我々は飛行機に搭乗し、指定の座席に座る。何千回と繰り返されたであろう道順で機体は滑走路へと向かうと、その巨大な物体は300キロ近いスピードを出し、空へと飛びだった。理子はシートベルトを嫌がったけど、二人がかりでなだめていた。機体が安定すると、しばらくして食事が出された。行きの飛行機では理子は寝ていたから、理子にとっては初めての機内食だった。
食事を終えると理子はすやすやと眠り始める。僕はイヤホンをつけ、邦画を選択してモニターにそれを映し出した。見ていても途中で画面が切り替わったりするために、みるともなくそれを見続けていた。
韓国は晴れていたけれど、日本は雨が降っているようだった。着陸態勢に入ることを告げるアナウンスで、そのことを知った。
それを聞いただけで、大陸の乾いた風をすでに懐かしく思った。
雨の降る中、果たして飛行機は無事に着陸した。停止線まで時速数キロといったスピードで走る。乗客は携帯の電源を入れ、SNSをチェックし、荷物をまとめていた。飛行機が停止し、乗客が我先にと出口に向かう中、僕たちは理子をなだめながらゆっくりと降りた。
窓には雨の雫がついていて、本当に雨が降っているのだな、と思った。
入国審査のために列に並んだけれど、韓国とは違って係の人に手招きされて優遇されることなどなかった。
ベルトコンベヤーに乗せられた荷物をピックアップして、出口へと行った。
行きとは違ってオリンピック選手の凱旋はやっていなかった。
二子玉川行きのリムジンバスの発車時刻を確認し、レンタルしていたWi-Fi機器を返却した。
バスの乗り場で待っている間、iPhoneを見るともなく見ていると、手元が滑ってコンクリートの床に落ちた。画面には蜘蛛の巣のようなヒビが入っていた。
帰り道は少し渋滞していて、バスの中で理子は大きな声でキャッキャと騒いでいた。
二子玉川駅に着くと、コンビニで軽食を買って、タクシー乗り場に行き、行き先を告げた。抱っこしていた理子の足が座席の白いカバーに触れたことを初老の運転手は暗い声で咎めた。
家に到着し、荷物を降ろして片付けをしていると、花さんが悲鳴のような声を上げた。それはトイレから聞こえていて、もしや洗面所の水が流れ続けていたのか?と瞬時に想像したのだけど違っていた。洗面所に置いていた小さなサボテンが、誇張ではなく絶命していた。まさにそれは死亡現場だった。サボテンの体液が黒く洗面を濡らしていた。換気扇は回っていたけれど、ドアは閉められ、ずっと暗い状態だったのがいけなかったのか。枯れるのではなく、溶けていた、という姿を見て、本当にとても哀しくなった。その黒くなった液体は、いくら拭いても取り切れることはなかった。
旅先のほうが心地がよかったかな、などと思いつつ、日常に戻ることになった。
ライフイズジャーニー。人生は旅らしいのだけど、旅が人生でありうるのだろうか?
外では雨脚が強くなり、次の台風がやってくることを告げていた。
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