2016年9月5日月曜日

家族旅行 1日目

いつの頃からか、「LIFE IS JOURNEY」という言葉が、我が家の家訓の一つとして燦然とかがやくようになった。
僕が仕事を辞めることになって、次の仕事が始まるまでの間、少し時間を作ることができたので旅行に行くことにした。


行き先は韓国。去年、和歌山に旅行した時同様に、サイコロを振って行き先を決めた。
水曜どうでしょう方式だ。

プランニングはいつもながら花さんが行った。飛行機の手配、ホテルの手配、ツアーの手配。3泊4日のなかで、幼い理子を連れて無理のない、だけど最大限に楽しむべく、花さんは、にやにやしながらガイドブックをめくり、旅のブログをブックマークし、1日目、2日目、3日目、帰国の日までをスケジューリングした。


そして、8月24日である。
その前日も仕事で遅く帰ってきた花さんではあったけど、帰宅時には、旅に向けてのスイッチが入っていた。圧縮袋に詰めた花さん、理子、僕のそれぞれの荷物をカバンに入れていく。3人分の旅支度だ。事前に新しい旅行カバンを購入しており、今までよりも大きくなったカバンに詰め込んでいく。

こういった支度をする時にはいつも、なにか他に持っていくべきものはなかったかな、と自問自答するのだけど、「秘境にいくわけじゃないのよ?」という旅慣れた花さんの言葉に、「足りなかったら現地で買えばよし」と答えを出してカバンのファスナーを閉めた。

通勤するような時間帯に家を出て、二子玉川駅からリムジンバスに乗って羽田空港に行った。道中、普段と違う様子に興奮気味の理子をなだめることに全力を尽くした。
鍵はアンパンマンをうまく使うことだ。
しかしながら、平日だというのに道は渋滞している。それによって車内には重い空気があり、そこに2歳児の大きな声が響くのだった。


離陸までの時間も刻一刻と迫っていた。


無事に空港に着くと、理子は飛行機をその目で認め、「こうきぃ!」といつのまにやら覚えた言葉を発する。早速チェックインカウンターへと行く花さん。インターネットで航空券を購入していた花さんは、iPhoneのモニターを受付で見せ、パスポートを提示した。
すると、受付のお姉さんは顔をしかめる。
「これはまずいことが起きている」とストレートに伝わる表情だ。実にまずいことが起きていた。

ケアレスミスこそ重大なミスである。
チケット購入時、花さんは苗字と名前を3人分全て逆に記入してしまっていたことが判明した。カウンターの向こう側でお姉さんは優しい顔で、「チケットの変更はこちらではできかねますのでそちらで処理してね」ということをすごく丁寧に私たちに告げた。

海外のサイトを使ってチケットは購入されていた。つまり交渉相手は外国人だ。某外国語大学出身の花さんが、羽田空港でチケット会社に電話をかけ、英語で話し始める。なんと頼りになる奥さんであろうか。

理子は母親の側に居たいと暴れわめくので、理子を抱っこして遠くから花さんを見守った。しかしながら、遠くから見る花さんの顔は一向に晴れやかにならない。理子が「困ったなあ」とする仕草と同じ顔をしている。

時間がいっぱい欲しい時ほど早く時間が過ぎていく気がする。離陸まで1時間を切っている。どうやら電話の向こうで専門的な言葉を使って話をしてくるので、理解が難しくなっていたようだ。最終手段として、航空会社の別のカウンターのお姉さんに事情を話し、
電話を代わってもらった。英語で会話の応酬が続いた結果、チケット会社は何もできることがなかった。

・・・

沈黙。

お姉さんは(外国人だった)、とある書類をこちらに差し出した。特別に許可するけど、なにか起きても(例えば出国できても入国できないとか)責任とりません。という書類のようだった。
一つ返事でサインをする花さん。
そして3人分の荷物がベルトコンベヤーに乗せられて、見えないところまで運ばれていったのであった。

花さんが電話をしている間、僕はネットで調べていたのだけど、スペルミスの場合は確実に却下のようだ。また欧米では無理だったであろう。今回はスペルは合っていて、苗字と名前を逆にしていた、ということで、かなり特別な対応のようだった。航空会社によっても、担当してくれた人によっても判断は違うだろう。韓国行きはキャンセルされ、例えば青森に行くことなども僕は想像していた。
よかった。

その後、Wi-Fiの機械を受け取り、オリンピック選手の凱旋を横目にしながら出国手続きをしに行く。書類に一筆書いてあるためか、何事もなくゲートを通過した。飛行機の中で理子を寝かせるために、途中にあったキッズスペースでいっぱい遊ばせる。時間が迫ってきた頃、搭乗口へ。果たして本当に飛行機に乗れるのか、ドキドキしていたのだけど、無事に航空券の半券を切られ、機内へと入った。理子はシートベルトを嫌がり、花さんに抱っこされていたのだけど、CAさんはそれを見逃さず、きちんと椅子に座らせることを命じた。

定刻になると、僕の体に重力がかかり、それと同時に機体が浮いて、あっという間に飛行機は青空の中へ溶け込んでいった。



韓国は晴れていた。
大陸特有の空気感、というものがあるように感じられる。入国するためのゲートは、多くの人が並んでいた。僕たちもその最後尾に並んでいたのだけど、係りのおじさんが僕たちを見て手招きをしている。チケットの不備に負い目がある僕たちは、びくびくしながらそちらに向かうと、小さな子供を抱えていたので、優先レーンに並ばせてくれた、ということだった。
そのあとも、何度かこういった待遇を受けた。電車に乗っていても、おじさん、おばさんが席を譲ってくれるのだ。これが儒教の国がもたらす恵沢か。

荷物を受け取ると、空港を出て、タクシーに乗った。ヒュンダイである。韓国では高級タクシーらしいそれに乗り、ホテルへと向かう。
PJホテル。花さんは以前もここに泊まったことがあるらしい。「エレベーターができてる!」と言って喜んでいた。ホテルの係員は、当たり前のように日本語を話した。無事にチェックインが済むと、部屋に入って大きな荷物を降ろした。

本格的な旅の始まりである。

軽装になった我々は、電車に乗って東大門に行く。ここには故ザハ・ハディドの建築物が壮大なスケールで建っている。もはや建築の粋を超えた、「何か」であるそれは、丸みを帯びた宇宙船のようでもあるし、また、巨大な繭のようでもあった。またその周りには、見渡す限りいっぱいに、LEDを用いて造られた花がたくさんあった。
「夜になったらまた来よう」そう言って、目的地である美味しいタッカンマリを食べさせてくれる店へと行く。もちろんこれも花さんのしおりに記された店である。

こう言ってはなんだけど、とても綺麗な地域だ、とはいいにくい場所にその店はある。花さんも僕もそういった店に全く抵抗がないから、ワクワクしながら店に入った。
店内は綺麗で、韓国人たちで溢れかえっている。ツーリストはあまりいないように見えた。小上がりの座敷に通され、靴を脱いでビニール袋に入れた。テーブルにはコンロが設置されており、早々にタッカンマリの鍋が置かれる。いかにも鶏である、という形を成したものが鍋の中で正座していて、その中で野菜たちが踊っている。そして追加の品を注文するのであった。
そう、注文する前に鍋は置かれるのだ。

食べごろになるまで、店員さんがケアをしてくれる。その間に、僕たちはビールを飲んだ。前回来た時は、花さんのお腹の中には理子がいて、僕はといえば風邪をひいており、二人とも韓国で酒を飲まなかった。ビールの美味いこと、また鶏の旨いこと。
現地ならではの味に舌鼓をうち、ビールをかっくらう。隣のテーブルでは、ダブルデートらしき若い学生風のカップルたちがコカコーラを飲みながら鍋をつつき、2つ目の鶏を発注していた。そんな姿を横目に見つつ、僕たちは締めにうどんを食べ、大満足して店を出た。

4万ウォンと言われるとそれはそれでびっくりするけれど、韓国の通貨であるウォンは、日本円に0を一つ足したくらいなのだ。



お腹いっぱいで、少しほろ酔いで、暗闇に浮かぶザハハディドの巨大建築の中をまた歩く。LEDのライトが点灯され、お花畑は光り輝いていた。韓国は大きな懐をもって僕たちを歓迎してくれているようであった。


韓国旅行の1日目が光のなかで終わっていく。








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