2016年9月19日月曜日
スイッチオフ
子供の成長は早い。
数ヶ月で何センチも伸びたり体重が増えたり、外見上の変化ももちろんのこと、言語や行動も飛躍的に進化している。
ここの所で言えば、毎日、決まった時間帯に「そろそろお風呂はいるよー」と声をかけると、大好きな(!)アンパンマンを見ていたとしても、自ら率先してテレビのスイッチをオフし、服を脱ぎ始めるのだった。
しかしながら、それとは打って変わって寝るのはなかなかどうしてうまくいかない。「ねんねするよー」と言って布団に連れて行くと、理子が僕たちに「ねんね」と言って布団をかけ、肩をトントン叩くのだった。自分は寝る気がまったくないのである。
寝かしつけるのにいいよ、とネットの民がいっていた天井に映すプロジェクターを導入したところ、それを見て理子は「きれぇい」と言って興奮してしまうのだった。
何かを身につけて大人の都合よく行ったと思いきや、何かを身につけて大人をあざ笑う理子なのだった。
2016年9月17日土曜日
家族旅行 4日目
自宅で使用しているカーテンとは違って、ホテルのそれは光の一切を遮光していた。時計の針が7時を示していても、光を部屋にもたらすことはなく暗闇を作り続けていた。そういったわけで、目を覚ました時は一瞬混乱してしまう。絶対的な確信を持って今が午前中の7時だと言い切ることができないから、大きなベッドのなかでモゾモゾと動いて、まずはこの暗闇の状況を体に馴染ませようとする。そのうち少し離れたところから「おはよう」と声がして、それでようやく今は朝の7時だということに確信を持った。
僕はベッドを抜け出して、カーテンを少しばかり開けて、ベランダにでる。ひんやりとした風が部屋にすっと入り込むので、すぐに窓を閉めた。
外の世界もまだ始まったばかりのように見える。高層ビルが作り出す巨大な影が、低層建築物の上に覆い被さって、まるでカーテンを閉めたように真っ暗な世界を作り出している。そこに住む人たちには、まだ朝の光の恩恵を享受できていないんだろうと思われる。
3泊4日の旅の最終日だったので、朝から荷造りをした。花さんが爆買いをした理子の服のぶんだけ荷物が増えて、理子が使ったオムツのぶんだけ荷物が減った。
朝食は簡単に済ませて、ホテルのチェックアウトをした。飛行機の時間まで観光を続けることになっていたので、荷物はホテルのコインロッカーで預けることにした。アテンドしてくれたホテルマンは日本語をよどみなく話した。
ホテルの近くでタクシーを拾って、国立こども博物館へと行った。この場所は、前回花さんが理子を連れて行った際、とても楽しそうに遊んでいた、ということで今回も連れて行くことになっていた。ここで理子にいっぱい遊んでもらい、飛行機に乗る頃にはクタクタになっていて寝てくれるだろう、という大人都合も多分に含まれている。
当たり前のことかもしれないけれど、その場所についたとき、理子は懐かしさを感じるそぶりなどは見せなかった。僕といえば広大な敷地と、雲が一切ない青い空、心地よい風を満喫していた。博物館内に入ると、大きな本でできたトンネルや、光を使ったアトラクション、自分で遊び方を考えることのできるパズルとパチンコゲームが合体したようなものなど、子供の目がキラキラしてそこから離れなくなるようなものがいっぱいあった。また、一つの遊びのカテゴリーのスペースには係員が立っており、複雑そうな遊具に関しては身振り手振りで教えてくれた。
ひとしきり遊び場を満喫して、外の広場に出てみる。何人かのこどもの集団に大人が引率して説明しているという姿が所々にあった。また、昔遊ばれていたと思われる遊具がいくつか自由に貸し出されていて、それを使って大人たちが手本を示し、子どもたちのヒーローになっていた。負けず嫌いな子は諦めずに頑張っている。こういった場所だからかもしれないけれど、携帯ゲームを持って遊んでいるという子どもはおらず、外をかけまわっていた。なかなかに微笑ましい姿だった。
理子は久々の外遊びに疲れたのか、目をこすりだしたので、抱っこすることにした。すると時間もかからずスヤスヤと寝息を立てはじめた。花さんのしおりには、このあと昼食を食べることになっていたのだけど。
博物館のすぐ近くに目的のうどん屋があった。この店は小金持ちにも人気があるのか、高級車で乗りつけ、店員に鍵を渡して車庫入れをさせていた。
昼時ではあったのだけど、そんなに並ぶことなくテーブルに案内された。僕は当たり前のようにビールを注文した。うどんの他に水餃子もあったので、それも頼んだ。日本でいうところのお通しのような感じでキムチが出てくる。この旅で確信を持ったのだけど、僕にとっては日本のキムチの方が味は好みであった。
白だしのうどんは、するすると僕の喉を通っていった。旅行最後の食事にはいい塩梅だった。ビールを飲み終えるころになって、ようやく理子は目を覚ましたので、大人たちが食べきれなかった水餃子を与えてみるも、起きしな餃子など食えるか、と言わんばかりに口を頑なに閉ざしていた。
想定していたよりも、食事に時間がかかってしまったので、急いでタクシーを拾ってホテルへと戻った。そして荷物をピックアップして外に出ると、玄関口にいる係のおじさんに呼び止められ、「タクシーか?」と聞かれたので、「そうだ、空港に行くのだ」と告げると、流しのタクシーを捕まえようとしてくれた。
僕たちはすぐに捕まるんだろうと思っておじさんに任せていたのだけど、一向にタクシーは捕まらない。タクシーが通ったとしても、おじさんには目もくれず素通りしていく。また、遠くにその姿を認めると、おじさんは大きな声で「空港までだ!(多分だけど)」と叫んで呼び止めようとしてくれていたけど、タクシーは我々の前には止まらなかった。
そもそもホテルが大きな通りに面しているわけではないので、タクシー自体もなかなか通らない。よかれと思っておじさんは率先して捕まえようとしてくれていたのだけど、いたずらに時間は過ぎていく。気が焦って自分たちでも捕まえようと道路に身を乗り出していると、おじさんに制止された。
韓国行きの飛行機のチケットが名前と名字が逆ならば、日本行きのチケットもまた然り。つまり空港では通常よりも搭乗までに時間がかかることが予想されていた。しかも自国ではなく異国において、その説明をしなくてはならないので、時間以外のプレッシャーもあった。そういった色々を考えながら、過ぎ行くタクシーを見ていると余計に気が焦る。「もうあと3分待っても捕まらなかったら、大きな通りに出て捕まえよう」と花さんが言って、時計を見ていると、ようやく一台のタクシーが我々の前に止まってくれた。おじさんはとても満足そうに運転手にタクシー運転手に行き先を告げていた。
おじさんにお礼を言うと、タクシーは空港に向けて走り出した。ソウルの交通事情は東京よりも荒れている気がする。無理矢理な車線変更を繰り返すためなのか、渋滞が多い印象だった。
刻一刻と時間が過ぎていくことの心配に加えて、僕は運転手のことが心配になり始めていた。それは運転中に小瓶のようなものから錠剤を取り出して飲んでいる姿を見てしまったからであった。そして運転の途中で口先を使いながら白い手袋をはめだして、それで額の汗をぬぐっていた。もしやなにか持病を持っているのだろうか。そもそもちゃんと行き先が伝わっているのか?空港からホテルに向かったときとは違う道を走っている気がしてくる。焦りはマイナスの想像を生んだ。
「間に合うかな?」と花さんと話をしても、結局タクシーの運転手と道路状況に運命は委ねられているので我々にはどうしようもできない。僕の手のひらは汗でびっしょりになっていて、そのことに花さんは驚いていた。これも旅のスパイスの一つだろうか。
それでも着実にタクシーは空港まで近づいて行っているようだった。都市から郊外の街並みへと変わっていき、標識に「AIRPORT」の文字が見えた。そして遠くのほうでは飛行機が離陸し、低空で飛んでいる姿も見えた。「もうちょっとだね」と言葉を交わして時計を見ると、離陸の時間まであと1時間を切っていた。
運転手はしきりにミラーを気にしながら運転し、また車線変更を繰り返した。そして無事に空港まで到着することができた。お金を払い、お礼を言って、足早に発券カウンターまでいく。ここからが重要なミッションだ。
花さんは、iPhoneの画面を見せ、また行きの飛行機で、書類に一筆書いて乗せてもらったことなどを係員のお姉さんに説明した。お姉さんは、そのことに理解はしたようで、どこかに電話をかけた。おそらく上司なのであろう。何度か言葉が交わされて受話器を置くと、チケットに名前と名字が逆であることを示す矢印が書かれ、そしてお姉さんのサインがなされた。そして荷物をベルトコンベヤーに乗せるよう指示をされたため、無事に出国できそうだということを理解した。シールがカバンに貼られ、ベルトコンベヤーで運ばれていく。「すぐ近くにあるモニターに、自分の荷物が映し出されたら問題なかったということであるから先に進んでください」という説明があったため、どこか祈るような気持ちでモニターを見つめる。するとあっけなく、僕たちの荷物が映し出された。その映像にタイトルをつけるとしたら『完全な無感情』といった姿をしていた。
無事に出国できそうだと分かると、「あと1時間もない」という焦りは「あと30分も残っている」という認識に変わった。花さんはベーカリーで理子用にパンを買った。そして、出国手続きを済ませた後は、会社の人たちへのお土産を買っていた。
僕はといえば、このときは無職であるので、財布を開くことはなかったが、使い道のないお金がまだ10万ウォン残っていた。やれやれ。
結局のところ、時間には間に合い、チケットの発注トラブルもクリアした。我々は飛行機に搭乗し、指定の座席に座る。何千回と繰り返されたであろう道順で機体は滑走路へと向かうと、その巨大な物体は300キロ近いスピードを出し、空へと飛びだった。理子はシートベルトを嫌がったけど、二人がかりでなだめていた。機体が安定すると、しばらくして食事が出された。行きの飛行機では理子は寝ていたから、理子にとっては初めての機内食だった。
食事を終えると理子はすやすやと眠り始める。僕はイヤホンをつけ、邦画を選択してモニターにそれを映し出した。見ていても途中で画面が切り替わったりするために、みるともなくそれを見続けていた。
韓国は晴れていたけれど、日本は雨が降っているようだった。着陸態勢に入ることを告げるアナウンスで、そのことを知った。
それを聞いただけで、大陸の乾いた風をすでに懐かしく思った。
雨の降る中、果たして飛行機は無事に着陸した。停止線まで時速数キロといったスピードで走る。乗客は携帯の電源を入れ、SNSをチェックし、荷物をまとめていた。飛行機が停止し、乗客が我先にと出口に向かう中、僕たちは理子をなだめながらゆっくりと降りた。
窓には雨の雫がついていて、本当に雨が降っているのだな、と思った。
入国審査のために列に並んだけれど、韓国とは違って係の人に手招きされて優遇されることなどなかった。
ベルトコンベヤーに乗せられた荷物をピックアップして、出口へと行った。
行きとは違ってオリンピック選手の凱旋はやっていなかった。
二子玉川行きのリムジンバスの発車時刻を確認し、レンタルしていたWi-Fi機器を返却した。
バスの乗り場で待っている間、iPhoneを見るともなく見ていると、手元が滑ってコンクリートの床に落ちた。画面には蜘蛛の巣のようなヒビが入っていた。
帰り道は少し渋滞していて、バスの中で理子は大きな声でキャッキャと騒いでいた。
二子玉川駅に着くと、コンビニで軽食を買って、タクシー乗り場に行き、行き先を告げた。抱っこしていた理子の足が座席の白いカバーに触れたことを初老の運転手は暗い声で咎めた。
家に到着し、荷物を降ろして片付けをしていると、花さんが悲鳴のような声を上げた。それはトイレから聞こえていて、もしや洗面所の水が流れ続けていたのか?と瞬時に想像したのだけど違っていた。洗面所に置いていた小さなサボテンが、誇張ではなく絶命していた。まさにそれは死亡現場だった。サボテンの体液が黒く洗面を濡らしていた。換気扇は回っていたけれど、ドアは閉められ、ずっと暗い状態だったのがいけなかったのか。枯れるのではなく、溶けていた、という姿を見て、本当にとても哀しくなった。その黒くなった液体は、いくら拭いても取り切れることはなかった。
旅先のほうが心地がよかったかな、などと思いつつ、日常に戻ることになった。
ライフイズジャーニー。人生は旅らしいのだけど、旅が人生でありうるのだろうか?
外では雨脚が強くなり、次の台風がやってくることを告げていた。
2016年9月14日水曜日
家族旅行 3日目
それぞれの国にとっての当たり前を、渡航前に知っておいたほうがいいわけなんだけど、韓国においてトイレットペーパーを水洗で流してはならない、ということは知っておいたほうがいいことのうちの一つであろう。これはトルコも同じであった。
韓国の下水事情なのか、トイレットペーパー事情なのかは知らないけれど、とりあえず流しちゃいけない。とはいえ、お尻を拭いたらそのまま紙をポイして水に流すというのは、日本人にとっては、呼吸をするような、右足出した後は左足を出すような、考えずに行うことの一つである。韓国旅行3日目にしてもなお、僕はそれに慣れずにいて、朝からトイレで格闘するはめになる。
3日目の朝は、ホテルの近所にあるキンパ屋さんに買い出しに行くことから始まった。8時前くらいには、すでにお店が開いており、テーブル席ではおじさんがテレビを見ながらキンパを食べ、若い労働者たちは、通勤前にテイクアウトしていった。我々ツーリストも、3種類ほど買った。オモニは手際よくご飯と具材を丸めてアルミホイルに包んで手渡してくれた。やはり海苔巻きにはアルミホイルがいい。そして、店の近くにあったコーヒーショップで、コーヒーを二つ買った。ここのおばちゃんは日本語が達者だった。
ホテルに帰るとテレビをつけた。すると、本当に奇跡が起きた!と思ったのだけど、アンパンマンが放送されたのであった。この旅行で一番の笑顔を理子は見せた。ご飯もろくに食べず、テレビにかじりつく理子。僕たちの問いかけには反応しないが、アンパンマンの話が終わる際には「バイバーイ」と手をふる理子。アンパンマンは思考、行動の源である。その後も、どういったわけか日本の番組が放送され、それを見ながらご飯を食べるのであった。
支度を済ませると、地下鉄に乗って、壁画村と呼ばれている一帯へと向かった。その近くでは小劇場が集まっていたり、路上にモニュメントがあったりと、芸術関連の色が濃い場所のようであった。
この辺りは傾斜地で、階段や坂が多かった。建ち並ぶ建物は様々な色でペイントされ、またその壁には動物や植物、メッセージが描かれていた。花さんの作成したしおりには階段に描かれたものを見るという項目があったようなのだけど、それは今作成中のようで、白く塗りつぶされていて見ることはできなかった。
「とりあえず上の方まで行ってみましょう」と花さんが言うので、階段を上った。しかしながらこういう時に限って理子は惰眠をむさぼっており、抱っこ紐によって僕に抱っこされていた。普段は午前中は起きているにも関わらず、だ。果たして、階段を登りきると理子は目を覚ました。やれやれ。
それなりに坂を登ったため、見晴らしのいい場所までくることができた。湿度のない風が心地よく、汗で濡れたTシャツを乾かしていく。屋根のついた休憩スペースがあったので、そこに腰を下ろして休むことにした。
景色を見渡してみると、山に囲まれた場所であることがよくわかった。山と青い空。結局のところ、長く足を止めて眺めるものというのは人が意図的に作ったものではなく自然の姿だった。
そろそろお腹が空いた、ということで、坂をおりて街に戻ることにした。その道すがら、写真撮影スポットというのがいくつかあったので、そこで撮影をした。韓国人も中国人も日本人も、行儀よく列を作って並んで順番を待っていた。
花さんは昼食にビュッフェを選んでいた。綺麗でモダンな造りで、老若男女、多くの人で賑わっていた。時間制限はあるものの、なんとビールまで飲み放題だった。この旅において、昼ビールが定着していたので、僕は迷わずビールサーバーのコックをひねるのであった。料理はどれも美味しく、理子が食べられるものも多かった。また、子供対応がきちんとしており、テーブル席にはキッズチェアを用意してくれるし、トイレにはオムツを交換できるスペースもあった。
ビールの飲み放題を満喫してしまった僕は、食事をそっちのけで飲んでしまい、やはり少し酔ったため、しおりに記載されている通り、シエスタをするためにホテルへと戻った。
シエスタの次に行うことは、花さんの脳内しおりにきちんと書かれている。グルメや芸術を幾分か楽しんだので、少しラグジュアリーなエリアへと足を運ぶこととなった。まずはギャラリア百貨店というデパートで買い物をした。そのデパートはデコデコしているわけではなく、品があって高級感があって、日本にこんな場所あるかしら?いやないだろう、と思わせるものだった。伊勢丹とか紀伊国屋とかそういった老舗感ではなく、ラグジュアリー感に徹して店内は作られていた。いたるところに語学に長けているであろうコンシェルジュのような人が立っていて、そういったホスピタリティもラグジュアリー感を出すのに一役買っているようだった。韓国における富裕層というのがどういった人たちなのかはわからないけれど、とてもウケている、ホットスポットなのであろう。花さんはここで韓国海苔を購入していた。
その建物をでると、ラグジュアリーブランドが軒を連ねる通りがあった。僕たちはその流れから逆行して、街を歩いていく。理子はどういうわけか、ユニクロの店の前で立ち止まり、ちょっとした段差を登ったり降りたりしていた。「パパどうぞー」と理子が言うので、僕も理子の真似をして段差を行ったり来たりする。その様子を見て理子は満足したようだったのだけど、しばらく歩くとまた立ち止まり、こあがりで座り込み、「ポーズ、カシャ」と言って、カメラを撮るしぐさをする。僕の真似をしているのだ。本当に子供って大人のすることをよく観察しているなって思う。だから僕は、僕の使ってるデジタルカメラを理子に渡してみる。「こうやって使うんだよ」って教えてあげると、「パパじょうずー」と言って褒めてくれる。僕の目尻は下がりっぱなしだ。
歩みを進めていくと、若者が集っていそうなエリアにたどり着く。ギャラリーと服と飲食が混じったようなお店や、セレクトショップ、こじんまりとした小さなカフェテリア、奇抜な外観をしたコスメショップなどなど。僕は前回の韓国旅行で気に入ったA LANDというセレクトショップへと入る。前回はいいものに何回も出会って、4着くらい服を買った。そういった訳で今回も楽しみにしていたのだけど、どういうわけか触手が全くと言っていいほど伸びない。買ってもいいけど買わなくてもいい、と思ってしまう。こんな時に爆買いをしていた花さんのマインドが降臨してくればいいのに、と思う。だけど花さんも今回の旅では自分自身のものは全く買っていなかった。全ては理子へと注がれている、ということか。
一通り店を見て回ってから、ホテルのある駅に戻り、夕飯を食べることにした。韓国といえば、焼肉である。
店主のおかあちゃんと、兵役あがりで筋肉ムキムキの店員さんは、理子にとても優しく接してくれた。韓国の人は子供をみるとかわいくて仕方がないのかもしれない。
まずは大人二人はビールで、理子はお水で乾杯をする。「カンパーイ!」というと、理子も「かんぱい!」と言ってグラスを重ねてくれる。お肉は、店員のおかあちゃんが面倒を見てくれるので、僕はビールを飲み、ビールを飲み、ビールを飲んだ。そして肉が焼け、その味を堪能した。理子も肉を手づかみして食べている。
ビールを飲み終えると、最後の夜だから、ということでマッコリを飲んでみることにした。
発酵しているから、ふたを開けるとプシュっといい音がする。その白い液体を口に運ぶと、するっと喉を流れていった。「おいしい!」と思わず叫ぶ。「これは水みたいにグビグビ飲んでしまうね」と言って二人で笑う。そうは言っても1リットルくらいは入ったボトルである。持ち帰るかもね、などと言っていたけど気がついたら空になっていた。
二人でこの旅を反芻する。「ほんとに出だしからどうなるかと思ったけれど、楽しかったね」と僕が言うと、「もしダメだったらチケット買い換えてでも来たよ」と酒が入ってるからなのかたくましい発言をする花さん。
「ちょっとしたアクシデントは旅のスパイスだよ」と世界各国を旅していた花さんは余裕の表情であった。
会計を済ませると、筋肉ムキムキの店員さんは不器用そうにはにかみながら理子に飴玉をくれた。
きょとんとしている理子に変わって大人たちがお礼を言った。
「カムサハムニダ」
ホテルに帰る道すがら、「家族みんな一緒だと楽しいね」と花さんは言った。
「その通りだ」と僕は思った。そして3人で手を繋いで帰った。
家族旅行最後の夜が終わる。
韓国の下水事情なのか、トイレットペーパー事情なのかは知らないけれど、とりあえず流しちゃいけない。とはいえ、お尻を拭いたらそのまま紙をポイして水に流すというのは、日本人にとっては、呼吸をするような、右足出した後は左足を出すような、考えずに行うことの一つである。韓国旅行3日目にしてもなお、僕はそれに慣れずにいて、朝からトイレで格闘するはめになる。
3日目の朝は、ホテルの近所にあるキンパ屋さんに買い出しに行くことから始まった。8時前くらいには、すでにお店が開いており、テーブル席ではおじさんがテレビを見ながらキンパを食べ、若い労働者たちは、通勤前にテイクアウトしていった。我々ツーリストも、3種類ほど買った。オモニは手際よくご飯と具材を丸めてアルミホイルに包んで手渡してくれた。やはり海苔巻きにはアルミホイルがいい。そして、店の近くにあったコーヒーショップで、コーヒーを二つ買った。ここのおばちゃんは日本語が達者だった。
ホテルに帰るとテレビをつけた。すると、本当に奇跡が起きた!と思ったのだけど、アンパンマンが放送されたのであった。この旅行で一番の笑顔を理子は見せた。ご飯もろくに食べず、テレビにかじりつく理子。僕たちの問いかけには反応しないが、アンパンマンの話が終わる際には「バイバーイ」と手をふる理子。アンパンマンは思考、行動の源である。その後も、どういったわけか日本の番組が放送され、それを見ながらご飯を食べるのであった。
支度を済ませると、地下鉄に乗って、壁画村と呼ばれている一帯へと向かった。その近くでは小劇場が集まっていたり、路上にモニュメントがあったりと、芸術関連の色が濃い場所のようであった。
この辺りは傾斜地で、階段や坂が多かった。建ち並ぶ建物は様々な色でペイントされ、またその壁には動物や植物、メッセージが描かれていた。花さんの作成したしおりには階段に描かれたものを見るという項目があったようなのだけど、それは今作成中のようで、白く塗りつぶされていて見ることはできなかった。
「とりあえず上の方まで行ってみましょう」と花さんが言うので、階段を上った。しかしながらこういう時に限って理子は惰眠をむさぼっており、抱っこ紐によって僕に抱っこされていた。普段は午前中は起きているにも関わらず、だ。果たして、階段を登りきると理子は目を覚ました。やれやれ。
それなりに坂を登ったため、見晴らしのいい場所までくることができた。湿度のない風が心地よく、汗で濡れたTシャツを乾かしていく。屋根のついた休憩スペースがあったので、そこに腰を下ろして休むことにした。
景色を見渡してみると、山に囲まれた場所であることがよくわかった。山と青い空。結局のところ、長く足を止めて眺めるものというのは人が意図的に作ったものではなく自然の姿だった。
そろそろお腹が空いた、ということで、坂をおりて街に戻ることにした。その道すがら、写真撮影スポットというのがいくつかあったので、そこで撮影をした。韓国人も中国人も日本人も、行儀よく列を作って並んで順番を待っていた。
花さんは昼食にビュッフェを選んでいた。綺麗でモダンな造りで、老若男女、多くの人で賑わっていた。時間制限はあるものの、なんとビールまで飲み放題だった。この旅において、昼ビールが定着していたので、僕は迷わずビールサーバーのコックをひねるのであった。料理はどれも美味しく、理子が食べられるものも多かった。また、子供対応がきちんとしており、テーブル席にはキッズチェアを用意してくれるし、トイレにはオムツを交換できるスペースもあった。
ビールの飲み放題を満喫してしまった僕は、食事をそっちのけで飲んでしまい、やはり少し酔ったため、しおりに記載されている通り、シエスタをするためにホテルへと戻った。
シエスタの次に行うことは、花さんの脳内しおりにきちんと書かれている。グルメや芸術を幾分か楽しんだので、少しラグジュアリーなエリアへと足を運ぶこととなった。まずはギャラリア百貨店というデパートで買い物をした。そのデパートはデコデコしているわけではなく、品があって高級感があって、日本にこんな場所あるかしら?いやないだろう、と思わせるものだった。伊勢丹とか紀伊国屋とかそういった老舗感ではなく、ラグジュアリー感に徹して店内は作られていた。いたるところに語学に長けているであろうコンシェルジュのような人が立っていて、そういったホスピタリティもラグジュアリー感を出すのに一役買っているようだった。韓国における富裕層というのがどういった人たちなのかはわからないけれど、とてもウケている、ホットスポットなのであろう。花さんはここで韓国海苔を購入していた。
その建物をでると、ラグジュアリーブランドが軒を連ねる通りがあった。僕たちはその流れから逆行して、街を歩いていく。理子はどういうわけか、ユニクロの店の前で立ち止まり、ちょっとした段差を登ったり降りたりしていた。「パパどうぞー」と理子が言うので、僕も理子の真似をして段差を行ったり来たりする。その様子を見て理子は満足したようだったのだけど、しばらく歩くとまた立ち止まり、こあがりで座り込み、「ポーズ、カシャ」と言って、カメラを撮るしぐさをする。僕の真似をしているのだ。本当に子供って大人のすることをよく観察しているなって思う。だから僕は、僕の使ってるデジタルカメラを理子に渡してみる。「こうやって使うんだよ」って教えてあげると、「パパじょうずー」と言って褒めてくれる。僕の目尻は下がりっぱなしだ。
歩みを進めていくと、若者が集っていそうなエリアにたどり着く。ギャラリーと服と飲食が混じったようなお店や、セレクトショップ、こじんまりとした小さなカフェテリア、奇抜な外観をしたコスメショップなどなど。僕は前回の韓国旅行で気に入ったA LANDというセレクトショップへと入る。前回はいいものに何回も出会って、4着くらい服を買った。そういった訳で今回も楽しみにしていたのだけど、どういうわけか触手が全くと言っていいほど伸びない。買ってもいいけど買わなくてもいい、と思ってしまう。こんな時に爆買いをしていた花さんのマインドが降臨してくればいいのに、と思う。だけど花さんも今回の旅では自分自身のものは全く買っていなかった。全ては理子へと注がれている、ということか。
一通り店を見て回ってから、ホテルのある駅に戻り、夕飯を食べることにした。韓国といえば、焼肉である。
店主のおかあちゃんと、兵役あがりで筋肉ムキムキの店員さんは、理子にとても優しく接してくれた。韓国の人は子供をみるとかわいくて仕方がないのかもしれない。
まずは大人二人はビールで、理子はお水で乾杯をする。「カンパーイ!」というと、理子も「かんぱい!」と言ってグラスを重ねてくれる。お肉は、店員のおかあちゃんが面倒を見てくれるので、僕はビールを飲み、ビールを飲み、ビールを飲んだ。そして肉が焼け、その味を堪能した。理子も肉を手づかみして食べている。
ビールを飲み終えると、最後の夜だから、ということでマッコリを飲んでみることにした。
発酵しているから、ふたを開けるとプシュっといい音がする。その白い液体を口に運ぶと、するっと喉を流れていった。「おいしい!」と思わず叫ぶ。「これは水みたいにグビグビ飲んでしまうね」と言って二人で笑う。そうは言っても1リットルくらいは入ったボトルである。持ち帰るかもね、などと言っていたけど気がついたら空になっていた。
二人でこの旅を反芻する。「ほんとに出だしからどうなるかと思ったけれど、楽しかったね」と僕が言うと、「もしダメだったらチケット買い換えてでも来たよ」と酒が入ってるからなのかたくましい発言をする花さん。
「ちょっとしたアクシデントは旅のスパイスだよ」と世界各国を旅していた花さんは余裕の表情であった。
会計を済ませると、筋肉ムキムキの店員さんは不器用そうにはにかみながら理子に飴玉をくれた。
きょとんとしている理子に変わって大人たちがお礼を言った。
「カムサハムニダ」
ホテルに帰る道すがら、「家族みんな一緒だと楽しいね」と花さんは言った。
「その通りだ」と僕は思った。そして3人で手を繋いで帰った。
家族旅行最後の夜が終わる。
2016年9月9日金曜日
家族旅行 2日目
「絶対楽しいから」と花さんにずっと口説かれていた。
なにかといえば、韓国においての洋服事情である。それも赤ちゃん、子供用のものが可愛いから、僕が見たらきっと、確実に、絶対楽しいはずである、と断言していた。
花さんは、理子を連れて二人で韓国に行ったことがあったのだけど、その時に大量の洋服を買って帰ってきた。
どれもこれも500~1500円くらいのもので、確かに可愛い。
いわゆる子供の服にありがちな、妙な派手さ、わけのわからないフリルといったディテールではなく、大人の服をそのまま小さくしたような可愛さであった。ドロップショルダーになってたり、ガウチョパンツだったり、
その時のトレンドを感じるものが落とし込まれていた。
そういったわけで2日目は、今回の旅行のほぼメインと言っても過言ではない、洋服狩りに行くのであった。
花さんのナビゲーションのもと、問屋街のように同じ商品を扱った店が軒を連ねている場所へと行った。もはやなんという街なのかは、僕にはよくわからない。ただ花さんについていくだけである。
通りを歩いていたら、一目で偽物と分かるようなものを普通に売っている店もあった。路上に簡易的に店を出しているところでは、supremeとタグのついたものが大量にワゴンに乗せられて売られていた。売っているおじさん、もしくはおばさんは、それがsupremeというブランドであることを知らなそうな顔をしている。
「おいおい」と思う。以前来た時も、ファッションビルの近くで、当時発売されていたGIVENCHYのバンビ柄のスウェットが路上で売られていて、「それの偽物作るか?」というニッチな商売をしていた。タオルを首に巻いてタバコをぷかっと吸っているようなおじさんがそれらを売っているのであった。
今回行った子供服売り場のエリアは、印象としてはBONTONなのだけど、クラシカルな可愛らしさに、少し大人の流行をアレンジしてあるようなものだった。
「どう?」と花さんが聞くので「確かに可愛い」と僕は答えた。
答えてる間に、幾つかの商品が花さんの手に収まっており、爆買いののろしが静かに上がった瞬間であった。
くどいようなのだけど、ここの店員さんたちは、みんな「ファッションなんて興味ないのよね」といったふうだ。「ここの区画を割り当てられて『これを売りなさい』と言われたから売っているのだ。」とでも言わんばかりであった。自分の持ち場に行くには、服の置かれたカウンターを乗り越えなければいけない造りになっていて、そういった姿勢からもなにかしら感じるものはあった。
それよりも自分のメイクアップに余念がない(朝だったからかもしれないけれど)。もしくはご飯を食べている。韓国の全体がそうなのかはわからないけれど、店員さんたちは各々の店の前で普通にご飯を食べている。
そういった慣習的なところを物珍しく見ている間にも、やはり花さんの手には理子の洋服の量が着実に増えていった。
商売の姿勢うんぬんは置いて考えても、確かに服は可愛いから仕方がない。僕は理子を抱っこしながら花さんの狩りを眺めている。僕は横から口を出すだけ出して戦況を見守る。
僕はふとお店の奥にディスプレイされた服に目を奪われてしまう。「COMME DES GARCON」と殴り書きされたキッズ服が売られていたのだ。実際、ギャルソンのライダースジャケットにそういったデザインがあるのだけど、やはり「おいおい、おい」と思うのであった。僕は花さんに「ねぇ、あれ見てよ、ギャルソンって書いてあるよ。やりすぎじゃない?」と言うと、店員さんは日本語が理解出来るのか知らないが、苦笑いしていた。
結局、アウターやらトップス、パンツまで、10枚近く買っていた。「今日のところはこれくらいにしといてやる」と花さんの背中は語っていた。すごく満足そうだ。
狩りをしたので、お腹が減ったということで、食事をすることにした。若者が集うような小洒落たお店に行った。僕は花さんに旅のリクエストとして、キンパを食べたいと言っておいたのだ。キンパの盛り合わせと辛ラーメンを注文した。そして昼からビールである。実に旨い。
辛ラーメンは、ごくごく普通で、日本で売られているもので作っても同じものを味わうことができると思われる。
食事を堪能した我々は、一度ホテルに戻って小休止することにした。
僕たちの旅行において、いつの頃からかシエスタが導入された。それがあるから昼からビールを摂取できるわけである。また理子は食事の際に服を汚すので、シャワーを浴びたり着替えたりもできるし、荷物も整理できる。これは旅のしおりに記載される重要な項目なのである。
小一時間くつろいだ後、漢江クルーズへと行った。遊覧船だ。
花さんが事前にツアーの予約をしてくれていたので、待ち合わせのホテルロビーへと行き、日本語を巧みに操る添乗員さんと20人くらいの日本人たちとともにバスに乗り込んだ。ツアー内容としては、レストランでご飯を食べてから船に乗って川下りする、ということだった。
しかし、実際にバスに乗ってみると、道が渋滞しており、進みがとても悪い。添乗員さんは大丈夫だ大丈夫だ、とみんなを安心させようと、陽気にしていたのだけど、途中から事態は深刻になっていったようで、「ごはんはもう用意されている。もう調理器具はセットされている」と蕎麦屋の出前の言い訳のようになり、最終的には「すでに肉も焼けている。着いたら30分で食べてください。そしてすぐにバスに戻ってください。少しでも遅れてはならない」と、とても辛い状態となっていった。
そして雨も降り始めていた。
果たしてレストランに着くと、案の定、肉なんて焼かれていなかった。僕たちはプルコギを発注していたのだけど、味わう前にとにかくお腹に入れることを優先した。右隣の席には、小学生くらいの子供を連れた4人家族がいたのだけど、お母さんは若干ヒステリーを起こしながらまだあまり焼けてなさそうな肉を子供達にご飯を食べさせていた。店員さんはのんきにお酒いかがですか?などと聞いてくるのだけど、とてもそんなことをしている余裕はなかったのだった。
食事を終えるとバスに戻り船乗り場まで行く。
「ご飯いかがでしたか?」と添乗員は聞くが、それに答える者などいなかった。
目的地に着くと、船のある場所まで急いだ。大きな橋の下を通ったのだけど、そこではおばあさんたちが楽しそうに宴を開いていた。
日本と違って韓国では湿度を感じることが少なかったし、また緯度も青森と同じくらいらしく夏場でも涼しいのであった。
「そりゃ外でお酒を飲みたくなるよね」と僕は言った。
チケットを受け取って乗船すると、様々な国籍の人たちがいた。大人気のイベントのようだ。
このツアーの見所は、川から眺める夜景はもちろんのこと、川にかかる橋から水が噴き出して、そこを船でくぐるというのがあるらしかった。しかし椅子に座って発車時間を待っている間にも雨脚は強まった。
船員から救命胴衣の説明がなされ、注意事項等の説明があった。「この船が沈没したら船長は真っ先に逃げるのだろうか」と頭をよぎる。
定刻になりゆっくりと船は進んでいく。岸がだんだんと離れていって、ビル群の夜景がとても綺麗に見える。雨が降ったことで余計に綺麗に輝いて見えているのかもしれない。
座席の前の方にはちょっとしたステージがあり、いくつかの楽器が置かれていた。ジャズの生演奏があるとのことだった。川下りをして夜景を眺めながらジャズの生演奏を聴くなんて、字面にするとなんだか少し小っ恥ずかしい。
雨は降っていたけれど、甲板に出てみることにした。理子は雨でもへっちゃらと言ったふうで、無邪気に走り回っていた。
ステージで始まったジャズの演奏は甲板にあったスピーカーによって聴くことができた。
「せっかくの生演奏なのにもったいないね」と花さんは言ったけれど、外で聴くことのほうが気持ち良かった。
カップルたちはスマートフォンで自分たちのデートを写真に収めたり、母親は子供に新しい景色を見せようと遠くの方を指差したり、老人たちは音楽を聴いて楽しんだりしている。
理子は夜景を見ながら「きれぇい」と感想を言った。思ったことを言葉にできるようになったのだな、とこんなところで成長を垣間見る。毎日毎日、木が年輪を作るように、この1日が理子をまた成長させているかと思うと嬉しくなる。
船はやがて乗船コースを無事に運行し、着岸した。
船を降り、バスに戻ったのだけど、橋の下ではまだおばあさんたちが陽気な宴を続けていて、笑い声が響いていた。
帰りのバスの道中は実にスムーズだった。
そしてホテルに戻り、近くのコンビニで物足りなかった食事の穴埋めをするための買い物をし、ビールを買って、まるで日本にでもいるかのような晩酌をして韓国2日目の夜を終えるのであった。
2016年9月5日月曜日
家族旅行 1日目
いつの頃からか、「LIFE IS JOURNEY」という言葉が、我が家の家訓の一つとして燦然とかがやくようになった。
僕が仕事を辞めることになって、次の仕事が始まるまでの間、少し時間を作ることができたので旅行に行くことにした。
行き先は韓国。去年、和歌山に旅行した時同様に、サイコロを振って行き先を決めた。
水曜どうでしょう方式だ。
プランニングはいつもながら花さんが行った。飛行機の手配、ホテルの手配、ツアーの手配。3泊4日のなかで、幼い理子を連れて無理のない、だけど最大限に楽しむべく、花さんは、にやにやしながらガイドブックをめくり、旅のブログをブックマークし、1日目、2日目、3日目、帰国の日までをスケジューリングした。
そして、8月24日である。
その前日も仕事で遅く帰ってきた花さんではあったけど、帰宅時には、旅に向けてのスイッチが入っていた。圧縮袋に詰めた花さん、理子、僕のそれぞれの荷物をカバンに入れていく。3人分の旅支度だ。事前に新しい旅行カバンを購入しており、今までよりも大きくなったカバンに詰め込んでいく。
こういった支度をする時にはいつも、なにか他に持っていくべきものはなかったかな、と自問自答するのだけど、「秘境にいくわけじゃないのよ?」という旅慣れた花さんの言葉に、「足りなかったら現地で買えばよし」と答えを出してカバンのファスナーを閉めた。
通勤するような時間帯に家を出て、二子玉川駅からリムジンバスに乗って羽田空港に行った。道中、普段と違う様子に興奮気味の理子をなだめることに全力を尽くした。
鍵はアンパンマンをうまく使うことだ。
しかしながら、平日だというのに道は渋滞している。それによって車内には重い空気があり、そこに2歳児の大きな声が響くのだった。
離陸までの時間も刻一刻と迫っていた。
無事に空港に着くと、理子は飛行機をその目で認め、「こうきぃ!」といつのまにやら覚えた言葉を発する。早速チェックインカウンターへと行く花さん。インターネットで航空券を購入していた花さんは、iPhoneのモニターを受付で見せ、パスポートを提示した。
すると、受付のお姉さんは顔をしかめる。
「これはまずいことが起きている」とストレートに伝わる表情だ。実にまずいことが起きていた。
ケアレスミスこそ重大なミスである。
チケット購入時、花さんは苗字と名前を3人分全て逆に記入してしまっていたことが判明した。カウンターの向こう側でお姉さんは優しい顔で、「チケットの変更はこちらではできかねますのでそちらで処理してね」ということをすごく丁寧に私たちに告げた。
海外のサイトを使ってチケットは購入されていた。つまり交渉相手は外国人だ。某外国語大学出身の花さんが、羽田空港でチケット会社に電話をかけ、英語で話し始める。なんと頼りになる奥さんであろうか。
理子は母親の側に居たいと暴れわめくので、理子を抱っこして遠くから花さんを見守った。しかしながら、遠くから見る花さんの顔は一向に晴れやかにならない。理子が「困ったなあ」とする仕草と同じ顔をしている。
時間がいっぱい欲しい時ほど早く時間が過ぎていく気がする。離陸まで1時間を切っている。どうやら電話の向こうで専門的な言葉を使って話をしてくるので、理解が難しくなっていたようだ。最終手段として、航空会社の別のカウンターのお姉さんに事情を話し、
電話を代わってもらった。英語で会話の応酬が続いた結果、チケット会社は何もできることがなかった。
・・・
沈黙。
お姉さんは(外国人だった)、とある書類をこちらに差し出した。特別に許可するけど、なにか起きても(例えば出国できても入国できないとか)責任とりません。という書類のようだった。
一つ返事でサインをする花さん。
そして3人分の荷物がベルトコンベヤーに乗せられて、見えないところまで運ばれていったのであった。
花さんが電話をしている間、僕はネットで調べていたのだけど、スペルミスの場合は確実に却下のようだ。また欧米では無理だったであろう。今回はスペルは合っていて、苗字と名前を逆にしていた、ということで、かなり特別な対応のようだった。航空会社によっても、担当してくれた人によっても判断は違うだろう。韓国行きはキャンセルされ、例えば青森に行くことなども僕は想像していた。
よかった。
その後、Wi-Fiの機械を受け取り、オリンピック選手の凱旋を横目にしながら出国手続きをしに行く。書類に一筆書いてあるためか、何事もなくゲートを通過した。飛行機の中で理子を寝かせるために、途中にあったキッズスペースでいっぱい遊ばせる。時間が迫ってきた頃、搭乗口へ。果たして本当に飛行機に乗れるのか、ドキドキしていたのだけど、無事に航空券の半券を切られ、機内へと入った。理子はシートベルトを嫌がり、花さんに抱っこされていたのだけど、CAさんはそれを見逃さず、きちんと椅子に座らせることを命じた。
定刻になると、僕の体に重力がかかり、それと同時に機体が浮いて、あっという間に飛行機は青空の中へ溶け込んでいった。
韓国は晴れていた。
大陸特有の空気感、というものがあるように感じられる。入国するためのゲートは、多くの人が並んでいた。僕たちもその最後尾に並んでいたのだけど、係りのおじさんが僕たちを見て手招きをしている。チケットの不備に負い目がある僕たちは、びくびくしながらそちらに向かうと、小さな子供を抱えていたので、優先レーンに並ばせてくれた、ということだった。
そのあとも、何度かこういった待遇を受けた。電車に乗っていても、おじさん、おばさんが席を譲ってくれるのだ。これが儒教の国がもたらす恵沢か。
そのあとも、何度かこういった待遇を受けた。電車に乗っていても、おじさん、おばさんが席を譲ってくれるのだ。これが儒教の国がもたらす恵沢か。
荷物を受け取ると、空港を出て、タクシーに乗った。ヒュンダイである。韓国では高級タクシーらしいそれに乗り、ホテルへと向かう。
PJホテル。花さんは以前もここに泊まったことがあるらしい。「エレベーターができてる!」と言って喜んでいた。ホテルの係員は、当たり前のように日本語を話した。無事にチェックインが済むと、部屋に入って大きな荷物を降ろした。
PJホテル。花さんは以前もここに泊まったことがあるらしい。「エレベーターができてる!」と言って喜んでいた。ホテルの係員は、当たり前のように日本語を話した。無事にチェックインが済むと、部屋に入って大きな荷物を降ろした。
本格的な旅の始まりである。
軽装になった我々は、電車に乗って東大門に行く。ここには故ザハ・ハディドの建築物が壮大なスケールで建っている。もはや建築の粋を超えた、「何か」であるそれは、丸みを帯びた宇宙船のようでもあるし、また、巨大な繭のようでもあった。またその周りには、見渡す限りいっぱいに、LEDを用いて造られた花がたくさんあった。
「夜になったらまた来よう」そう言って、目的地である美味しいタッカンマリを食べさせてくれる店へと行く。もちろんこれも花さんのしおりに記された店である。
「夜になったらまた来よう」そう言って、目的地である美味しいタッカンマリを食べさせてくれる店へと行く。もちろんこれも花さんのしおりに記された店である。
こう言ってはなんだけど、とても綺麗な地域だ、とはいいにくい場所にその店はある。花さんも僕もそういった店に全く抵抗がないから、ワクワクしながら店に入った。
店内は綺麗で、韓国人たちで溢れかえっている。ツーリストはあまりいないように見えた。小上がりの座敷に通され、靴を脱いでビニール袋に入れた。テーブルにはコンロが設置されており、早々にタッカンマリの鍋が置かれる。いかにも鶏である、という形を成したものが鍋の中で正座していて、その中で野菜たちが踊っている。そして追加の品を注文するのであった。
そう、注文する前に鍋は置かれるのだ。
食べごろになるまで、店員さんがケアをしてくれる。その間に、僕たちはビールを飲んだ。前回来た時は、花さんのお腹の中には理子がいて、僕はといえば風邪をひいており、二人とも韓国で酒を飲まなかった。ビールの美味いこと、また鶏の旨いこと。
現地ならではの味に舌鼓をうち、ビールをかっくらう。隣のテーブルでは、ダブルデートらしき若い学生風のカップルたちがコカコーラを飲みながら鍋をつつき、2つ目の鶏を発注していた。そんな姿を横目に見つつ、僕たちは締めにうどんを食べ、大満足して店を出た。
4万ウォンと言われるとそれはそれでびっくりするけれど、韓国の通貨であるウォンは、日本円に0を一つ足したくらいなのだ。
お腹いっぱいで、少しほろ酔いで、暗闇に浮かぶザハハディドの巨大建築の中をまた歩く。LEDのライトが点灯され、お花畑は光り輝いていた。韓国は大きな懐をもって僕たちを歓迎してくれているようであった。
韓国旅行の1日目が光のなかで終わっていく。
2016年9月3日土曜日
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