意識の遠くの方で、話し声が聞こえる。
しかしながら何を言っているのかわからない。
自分はいまどこにいるんだっけ?
意識を覚醒させると、そこはバスの中だった。
隣ではHANAが小さな座席の中でうまいこと自分の体をフィットさせて眠っている。
話し声はバスの乗務員で、サービスエリアに着いたから降りろ、と
どうやら言っているらしい。
寝ぼけ眼でバスから降りると、この旅で一番異国を感じた。
今までいたカッパドキアで見た人々とは明らかに種類が違った。
着ている服も、元々イメージにあったイスラム教徒らしい格好で
また、どことなく威圧的なものを多少なりとも感じた。
ただトイレに行くだけだったのだけれど、恐怖を感じていた。
ネオン管が看板を彩り、どこかパレードのような雰囲気の中、
行列のできたトイレに入った。
トルコでは基本的にトイレが有料だ。
大抵1トルコリラを払わなくてはならない。
入り口の前には料金を払う有人のボックスがあり、
払わないで入ろうとするものなら
言葉が分からなくても通じるような威圧感で払わせる。
イスタンブールの町中を走るトラムと呼ばれる路面電車の料金が、
一律2トルコリラで、ミネラルウォーターの値段も、大抵1〜2トルコリラだった。
チップという意味でも結構高い料金だ。
また、トルコのトイレでは紙を流すことができない。
用をたしたあと、備え付けのボックスに拭いた紙を捨てるのだ。
僕は使う事はなかったけれど、バケツに水が汲まれており
その水を使って手でお尻を洗うという方式もあるらしい。
世界にはそれぞれのトイレ事情があるが、日本はかなり進んでいると思う。
恐怖で尿道が縮こまる中、トイレを済ませいそいそとバスに戻った。
それからも2〜3度サービスエリアにとまったのだけれど、
やはり町にいるよりも妙に異国っぽかった。
どうしてかは分からない。
途中、大型バスから小型のワゴンへと移り、かなりのハイスピードで進んでいった。
カッパドキアを出発したのが8時頃で、パムッカレに到着したのは朝方だった。
待合所で待ってろと、バスの乗務員は言っていたけれど、
海外渡航の多いHANAは、どこかうさん臭さを感じたらしく
荷物を持ってそこを出て行った。
「あれはホテルを斡旋するために乗客を残していると思う。
お金ももう払っているし、ここにくる途中に私たちが泊まるホテルが見えたから、
歩いて行きましょう」とHANAは言った。
パムッカレはどことなく僕の地元に雰囲気が似ていた。
もちろん家の作りなどはまったく違うし、遠くに山が見える訳でもないのだけれど
妙に安心する雰囲気だった。
10分ほど歩くと、ホテルが見えた。
敷地内にあるプールの脇を抜けてフロントに行くと、
まだ時間が早すぎたためにチェックインができなかった。
同じバスに乗っていた中国人の男性も、
同じ事を言われたらしく、目が合うと肩をすくめていた。
旅人は決まって同じ事を聞いた。
「どこからきたの?」
「日本です」と答えると、「数年前まで住んでいましたよ」と彼は答えた。
「日本の漫画が好きです。ナルト。知ってますか?」と彼が言うので
「私の勤めている会社がそれを出版してますよ」とHANAは言った。
彼は目をまん丸くし、驚き、また喜んでいるようだった。
偉大な出版社である。
チェックインまで2時間近くあった。
それまでの間、荷物を置かしてもらう事にして近所を歩く事にした。
商店らしいものはあるのだけど、閉店しかけているような外観だったり
さびだらけの車が放置されていたり、野良犬がふらふらしていた。
時間がとてもゆっくり流れている。
どこからともなくパンを焼く香りが漂ってきたので、
匂いのもとをたどると、小さなパン工場があった。
地元の人は皆そこでパンを買うらしい。ひっきりなしに人が出入りしている。
入り口の前で「日本人ですか?」とスーツを着たおじさんに日本語で声をかけられた。
「そうですよ、こんにちは」と日本語で答えると、
「ここのパンがおいしいから買ってみて」と手招く。
焼きたてのパンが1トルコリラ程度で買えた。
早速食べてみると、ホクホクとしていて、ごまの香りも効いてとてもおいしい。
おじさんの奥さんが日本人らしく、日本語が堪能だった。
話をしていくと、おじさんはどうやらバス会社を経営していて、
僕たちがパムッカレの次にセルチュクに向かう事を告げると
うちで手配すればいいよと言った。
交通手段を決めていなかったので、おじさんを頼る事にした。
車に乗せてもらうと、数分走ったところにおじさんの会社があった。
その目の前には「ラム子の店」と日本語で書かれた日本食屋があった。
「それがうちの奥さんの店だよ」とおじさんが言った。
バスの手配を終えると、散歩を続けた。
どういうわけか、トルコではおじさん、もしくはおじいさんが家の前や店の前で
ぼけーっと座っていることが多い。
かといって、女性が働いているというのを見かけなかった。
どのようにしてこの国の経済が回っているのか、
トルコの七不思議のうちの一つだと思う。
散歩を終えホテルに戻ると、朝食の時間が始まっており、
オープンエアのレストランで皆が集まっていた。
チェックインはしてなかったけれど、コーヒーは飲んでもよいと言われたので
空いてる席に座って待つ事にした。
チェックインを済ませると、部屋に案内された。
ベランダが付いていてかわいらしく、モダンでなかなかいい雰囲気だった。
荷解きをして準備をすると、早速パムッカレへと向かった。
ホテルから歩いて行ける距離にそれはあった。
途中、ラム子の店に寄って昼食を取る事にした。
先ほど旦那さんにお世話になった旨を伝え、
僕は鳥の生姜焼き、HANAは鳥の唐揚げを注文した。
イスラム教の国では豚料理は御法度なのだ。
昼だけど、ビールを注文した。
ここで飲んだビールが一番おいしかった。
どこでもほぼエフェスビールしかないので一緒なのだけど、
冷え具合が違った。
キンキンに冷やすのがうまい、
という日本人の好みを知っているのはさすがである。
食事を終えると、入場料を払いパムッカレの中に進んで行くと、
果たしてそこは真っ白な世界だった。
黄泉の国があるとするならこんなところなのかもしれないと想像した。
世界遺産に登録されているパムッカレは、石灰棚でできており、
頂上部分から階段のように何段もフラットな部分が自然発生し、
そこにはきれいな温泉が溜まっていた。
自然が作り出す芸術にただただ感動した。
土足厳禁のため、サンダルを脱いで純白の世界を歩く。
雲の上にでもいるかのような感覚に陥る。
足下を温泉が流れて行く。
服の下に水着を着込んでいたので、
水のないところで服を脱ぐと、荷物を置いて温泉へとダイブした。
小さな滝のようなところで温泉に打たれ、
また、岸壁のギリギリの部分まで行って広すぎる世界を眺めたりした。
頂上までたどり着いて、下の方を眺めてみて全景をようやく知る事ができたのだけど
ここに来れてよかった、と心から思える光景が広がっていた。
美しすぎる世界だった。
パムッカレの頂上にはヒエラポリスという遺跡があった。
そこには円形劇場や宮殿の柱などが残されていた。
また、珍しいものがあった。
ローマ帝国の遺跡跡に温泉が湧いており、そこがアンティークプールとして
泳ぐ事ができるのであった。
入ってみると、本当に水の下に遺跡があった。
倒れた柱にはびっしりと藻が生えていたり、ある部分からは実際に温泉が湧いており
そこからは発泡しているらしく炭酸のようだった。
足がつかない程深いゾーンがあり、そこでひとしきり泳いだ。
着替えを済ませて歩いていると、Dr.フィッシュのデモンストレーションがやっていた。
HANAはやったことがあるとのことだったのだけれど、
僕は経験がなかったので、やってみることにした。
説明を受けてDr.フィッシュのうようよ泳いでいる水槽に足を突っ込むと
当たり前なのだけど、吸い付いてきた。
思わず声にならない声を上げてしまう。
経験した事のない感触に足を引き抜こうとするとスタッフの人が動いちゃだめだと制す。
そして笑いながら「5分おまけしちゃおう」と言って向こうに行ってしまった。
慣れてもどこか慣れきらない。
擦りむいた箇所を必要に吸い続けるドクターには閉口した。
果たして角質がとれてキレイになったのか、疑問は残りつつそこをあとにした。
帰り道もパムッカレを通った。
若干、日が暮れかけていて、うっすらとオレンジ色が純白の世界に色づけをしていた。
世界の奇跡を堪能して、パムッカレに別れを告げた。
ホテルに戻ると、日に当たりすぎて疲れてしまったのか
ぐっすりと寝てしまい、気がつくと夜の10時を過ぎていた。
何度も何度も起こしたのに、起きなかったから一人で夕飯を食べた、
とHANAに怒られる。
所在無さげに僕はベランダに出て行き、明るすぎる月を話し相手に猛省するのであった。
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