2025年8月5日火曜日

理子

 随分と前から決まっていたことで、理子は夏休みに沼津の実家に2週間行くことになっていた。家族旅行が終わり、その翌週のことである。

「バタバタとしていてあまり家にいることがなくなるね、帰ってきたらキッズでキャンプだ」などと話をしていたけれど、あっという間に出発の日がやってきた。

8月2日。

事前に新幹線の予約をしていて、理子の持っているパスモに紐づけていた。

13時15分発、14号車2番D席

この情報をスクショして理子の携帯電話に送っておいたら、それを暗記していて驚いた。

「そんなことを暗記しなくても大丈夫だよ」と僕は言ったけれど「いいじゃん、覚えちゃったんだもん」と理子は言った。そういったところからもこの帰省へのワクワク度が伝わってくる。

駅から一人で新横浜まで行くこと。新横浜からは一人で新幹線に乗り三島駅まで行くこと。

これが理子に与えられたミッションだった。これを伝えてからは自分のタブレットにその道順を書き、復唱し、ニコニコしていた。

いよいよ出発となり、なにかのトラブルが発生した場合のことを考えて1時間余裕を見た。

「何が起こるかわからないからね」と言っていたのだけど確かに予定外のことが起きた。

駅のホームで友達に会ったのだ。彼女はお母さんと一緒で僕も面識があり、ホームが一緒なのでもちろん行く方角が一緒だ。しかも僕たちが降りる駅の一個手前で彼女たちも降りるとのこと。

久々の再会に嬉しそうな理子。僕もお母さんとお話をして予定の駅で別れた。

一人で降りるべき駅で降りる、というミッションはできなかったが、乗り越えるための道順を歩き、改札を抜けていった。乗り変える電車は発車寸前で駆け込む形で乗車した。

「しまった、また二人で乗ってしまった」と思ったのだけど、仕方がない。

「あと何駅で降りるかわかる?」と聞くと「3つくらい?」という。

「適当だなぁ。急行でもそんなに少なくないよ」と言って笑った。


新横浜についたが、トラブルがなにも起きなかったので1時間近く早くついてしまった。当初はお気に入りのサンドイッチを買って車内で食べるというつもりだった。

「ご飯どうする?どこかお店で食べる?」と聞くと当初の予定通りにサンドイッチがいいと言い、時間が余っているのでベンチに座って食べることにした。

僕はまず新幹線のホームまで見送るために入場券を買い、その後サンドイッチ屋に行って理子に選ばせると、トマトとモッツァレラチーズのサンドイッチを選んだ。

「意外だね?」って言ったら「前もこれだったよ」だって。


改札を抜けて待合室に行くと運良く座ることができたので理子を座らせて、僕はサービスとしてコーラを買い与えた。嬉しそうにコーラを飲み、サンドイッチを貪る。

「お出かけ」ということで耳につけた青いイヤリングが揺れている。顔もニコニコとしていて感情を抑えることが難しいくらいワクワクしているようだ。

他愛もない会話をしトイレに行くと言って帰ってきたら顔面蒼白で「イヤリング落とした」だって。きた道戻って探してきたと言ったらきっちりと見つけて帰ってきてニコニコしている。感情のジェットコースターがフル稼働だ。

飽きない時間を過ごしていると定刻が迫ってきた。

きちんと西へ向かうホームへと行き、予約した号車の位置まで一人で向かっていた。

大したもんだなと思う。

一緒に順番を並んで待っていると、ニコニコしているけど不安も混じったなんとも言えない顔をしていてとても愛おしく感じた。こうやって親元を離れて成長していく場面に立ち会うことができてよかったと思った。

新幹線の到着がアナウンスされる。直前に学習した、新横浜の次は小田原、熱海、三島でと復唱していた。あっという間の40分だけど、理子にとってはもちろんのこと、送り出すほうにとっても大冒険だ。隣の人はどんな人かな、ちゃんと降りれるかな。途中でなにもトラブルが起きませんように。

ついに新幹線は到着した。きてしまった。

理子はニコニコした顔で乗り込み、椅子に座った。どうやら隣の席には既に女性が座っているようだった。理子はこちらに気がつくと手を振っている。僕もスマホで撮影しながら手を振った。

新幹線の停車時間にお別れの時間など加味されていないから、すぐに発車となった。

しばらく僕は新幹線と並走して歩いた、理子も手を振りかえしていた。

どうやら僕も感情のジェットコースターに乗っていたらしい、目の前が涙で滲んだ。

この涙はどういった涙なんだろうかと思った。

理子としばらく会えない寂しさか、成長していく姿の嬉しさなのか。新しいことに挑戦する子供に少しばかりの嫉妬のような感情もあるのかもと思った。

2週間、親元から離れて暮らす。それが従姉妹の家という守られた環境の中だったとしても、理子の中で、新しい感情が生まれて育まれることを祈ってやまない。


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