2025年8月7日木曜日

リトルコスモス

 街灯のないこの島で、朝の5時に起きてランニングをするというのはちょっと難しい、ということを理解したので辺りが明るくなるまでベッドで過ごすことにした。

空は雲に覆われている。しかしうっすらと青空も顔を覗かせているので、なんとでもなるだろうと思った。それが島の天気というものなのだろう。


この日は花さんたっての希望で、朝からカヤックツアーに行くことになっていた。

汚れてもいい服装でということで各々が支度をし、朝ごはんを食べた。ビュッフェは気の利いたパンケーキや美味しい果物、ご当地のおかずがたくさんあり、満足感でいっぱいになった。しかしこれからしばらくの間はトイレに行くことはできないからと控えめにしておいた。

ホテルのロビーに集合し、ガイドというのかインストラクターというのか、その人と待ち合わせることになっていた。我々は汚れてもいい普段着、という感じだったのだけど、そこに集まった他の家族は「ガチ」だった。水遊び対策バッチリで、そのまま川にダイブできる、といった出立ちだった。

ツアーへの解像度が甘かったと僕は思ったが、そもそもそんな服は持ってきてないし、仕方がない。理子も着衣水泳を学校でやってきたことだし、甘んじて濡れてしまおうと腹をくくった。しかしながらそのガイドさんは「あぁあ」と言った表情をしていた。

我々はワゴン車に乗り込んだ。そのシートには防水シートが備え付けられており、これから全身がびしょびしょになることが容易に想像できる。

車を走らせながらガイドは端的に説明をし、すべき説明が終わると静かになった。機嫌が悪いのか、そもそも寡黙なタイプなのかはわからない。


目的地に着くと、まずは靴を履き替えた。濡れた岩場でも滑りにくくなるらしい。

それからオールの使い方、方向転換の方法などを軽くレクチャーを受けた。どうやらこのツアーの同行者の中に経験者も混じっているようで、その人たちが先頭に行くことになった。カヤックは二人乗りで、僕と理子がペアになった。理子は前、僕は後ろの席である。

茂みの中を進んでいくと海に出た。浅瀬とはいえ既に膝は水に浸かっている。僕は長ズボンを履いていたので、すでにびしょ濡れである。

まずカヤックに乗る方法から手ほどきを受けた。

西表島でカヤックなんて、「水曜どうでしょう」そのものじゃないか、マングローブの中を進んでいくヤスケンの姿が思い浮かんだ。

進行と旋回の練習をしてから、早速漕いで進んでいくことになったのだけど、僕と理子ペアはいつのまにか最後尾になっていた。

左に曲がりたいからこっちのオールを・・・と頭で考えていると違う方向に流されていってしまう。花さんと玲チームは順調にガイドの後ろをついて行っていた。

マングローブの枝が入り組んでいて、それを避けなら進んでいかなくてはならない。その生い茂る枝の中に突っ込んでいってしまったり、行きたくない方向に流されてしまったり。しまいにはガイドさんのカヤックにロープをくくりつけて誘導される始末だった。


なんとか集団に加わって目的地へ到着。下半身は下着までぐっしょり濡れながら、滑る岩場をなんとか進み、小さな滝壺に到着した。きちんと対策をした人たちはその滝壺にダイブしたり滝をバックに記念撮影をしていた。

花さんと理子も果敢に攻めて、滝をバックに撮影をしていた。うらやましい。

帰りの時間帯は潮の満ち引きと前日の雨の影響で水嵩が増していて行きよりも難易度が上がっているとのことだった。チーム編成を変更し、僕と玲チームで行くことになった。

このチームは僕にはマッチしているようだった。前の席に陣取った玲が指であっち、こっちと指図するのだけど、そんな単純な指示があるだけで意外とスムーズに舵をとることができるのだった。

逆に指示とは違うことをしてしまうと「違う違う、なんで~」と叱責を受けた。

しかし自分の力で進む感覚とコントロールできない具合が妙に楽しいものである。

あっという間に体験の時間は終わり、カヤックから降りてまた車に戻る。帰り道もガイドは静かだった。南国の島のガイドとはいえいろんな人がいるものである。

でもこの経験自体はとてもいいものだった。また機会があればぜひやってみたいなと思う。

その後ホテルに帰り、シャワーを浴びて着替えをした。一休みするともう昼食の時間だ。

ホテル近くの唐変木という店に行ってみたが、どうやら店員さんが一人で切り盛りしているらしい。店先の椅子に座って待っていると、「今11人を中に入れたばかりだから時間がかかるよ」と我々に伝えた。

その返事として「かまわないですよ~」と言ったが店員のお婆さんは悲しそうな顔をした。きっとしんどいのだろう。

しばらくするともう一組の家族がやってきた。僕は親切心を出して、「どうやら相当待つみたいですよ」と伝えたが彼らも待つことを選んだようだ。


蚊がブンブンと飛ぶし、もういいかという気持ちになってしまったのでその場を離れてホテルで食べることにした。先ほどの家族は待つことにしたらしい。

ホテルの昼食としては安めな1000円という値段だったけど、キーマカレーかタコライスという2種だった。実に潔い。


食事を終えると、自転車を借りて散策することにした。これは理子に借りたものも電動だったのだけど、スムーズに運転できた。


いつか聞いたことのある、星の形をした砂のあるところへー


そこは他の砂浜とは踏み心地が異なった。他の場所がすうっと沈み込むとしたら、こちらの砂浜は少しジャリッとしている。手についた砂を良くみてみるとヒトデみたいに、確かに星の形をしている砂だった。砂の一粒が見分けられるほどの大きさということでもある。これはすごい!と素直に思った。

近くにある店で花さんは海中を観察するためのグッズを借りてきてくれた。ライフジャケットと透明なプラスチックの虫カゴのようなもので、それを海に沈めて観察するわけだ。

4人は海に入れる格好になって早速入ってみた。しかしサンダルの中にその星の砂が入り込んでチクチクと痛い。しまいには裸足になったり、やっぱり履いたりといい塩梅を探しながら海に入った。

浅瀬で観察していると小さな綺麗な青色をした魚がたくさん見つけられた。そのほかにも白かったり透明のように見える魚だったり黒かったり。魚の宝庫だ。

僕は水中眼鏡をして潜ってみた。すると自分の目の前を魚群がサーっと横切っていった。これは素晴らしいものを見たと感動した。こうやって南国の海に魅せられてハマっていく人はたくさんいるだろうと容易に想像ができる。

テレビやガイドブック、メディアで取り上げられるリゾート地とかに、どこか偏見のようなものを持っていた時期もあったのだけど、世間的にいいと言われている場所には魅力が確かに存在するのだった。バリに行った時も同じことを思った。

この日はよく晴れれていた。照りつける太陽の存在を島に滞在中はすっかり忘れていた。容赦無く肌を焼いていた。

砂浜に小さなくぼみがあって、そこには小さな貝や珊瑚のかけらが詰まっていて、小さな宇宙を見ているようだった。そういえばこのビーチの名前は星砂の浜だった。

次の予定の時間もあり、名残おしいがビーチを後にした。疲れ切った体に電動自転車は素晴らしい働きをしていた。


ホテルに帰ると、各々が思うままに過ごしていた。花さんはマッサージへ、理子はYouTubeを、そして玲はなぜか学校の宿題をしていた。本当に面白い子である。

僕はベランダにでてぼーっと海を眺めていた。晴れ間を見ることが少なかったから青い空と海が繋がっている景色を目に焼き付けたかったのだ。それはやはりとても美しいものだった。


その後19時を大きく回った頃、ホテルのプールを抜けてビーチへにでて夕日を見ることにした。この時間でもまだ太陽は沈んでいなかった。

いろんな家族やカップルがいて、思い思いに過ごしていた。僕は適当な場所に腰を下ろし、夕陽に照らされてシルエットだけ見える人々の姿を眺めていた。

双子の女の子たちが仲良く手を繋ぎ寄せては返す波を楽しんでいる。男の子は砂の城を作っている。ワンピースを着た女性の裾が風でゆらゆらと揺れている。

世界が永遠と感じられるような時間だったが、徐々に沈んでいく太陽が時間は止まってないということを告げている。

やがて太陽は海面に道を作ってから雲に隠れてしまった。完全に陽が溶けて沈んでいくところは見ることはできなかったけど、完璧じゃないというのがいいよなと思った。


その後、夕飯を食べにいくのだけど、ホテルまで送迎の車が来ていた。素晴らしいシステムだ。店についてからわかったのだけど、ホテルに帰る定期便もしっかりとでていた。

旅の最後の夜である。サンダルを脱ぎ、畳の席に案内された。ビールを飲み、ビールを飲み、ビールを飲んだ。お通しにでてきたパイナップルはとても美味しく、ピザを食べ、刺身を食べ、もずくキムチというものを食べた。どれも美味しかった。いつも旅の終わりに振り返りをするのだけど、今回のハイライトはやはり「話はきかせてもらった」一択だ。

ふと自分の足を見てみると、綺麗にサンダル焼けしていた。履いていたサンダルは10数年前にトルコに行く時に買ったものだ。そしてトルコの容赦ない日差しで足元はサンダル焼けをしていたのだけど、それと同じ跡が今回の旅でも刻まれていた。それが妙におかしかった。


翌日天気が荒れることもなく無事に帰宅した。いい旅だった。いい経験をした。

花さんに次は何か考えているのか?と台湾を旅行し終えた時と同じ質問をした。

「来年はリフレッシュ休暇もあるしね、ヨーロッパかな?」だって。

テーブルの上にいくつかの都市のガイドブックが置かれる、そんな光景を想像した旅の終わりだった。


2025年8月5日火曜日

理子

 随分と前から決まっていたことで、理子は夏休みに沼津の実家に2週間行くことになっていた。家族旅行が終わり、その翌週のことである。

「バタバタとしていてあまり家にいることがなくなるね、帰ってきたらキッズでキャンプだ」などと話をしていたけれど、あっという間に出発の日がやってきた。

8月2日。

事前に新幹線の予約をしていて、理子の持っているパスモに紐づけていた。

13時15分発、14号車2番D席

この情報をスクショして理子の携帯電話に送っておいたら、それを暗記していて驚いた。

「そんなことを暗記しなくても大丈夫だよ」と僕は言ったけれど「いいじゃん、覚えちゃったんだもん」と理子は言った。そういったところからもこの帰省へのワクワク度が伝わってくる。

駅から一人で新横浜まで行くこと。新横浜からは一人で新幹線に乗り三島駅まで行くこと。

これが理子に与えられたミッションだった。これを伝えてからは自分のタブレットにその道順を書き、復唱し、ニコニコしていた。

いよいよ出発となり、なにかのトラブルが発生した場合のことを考えて1時間余裕を見た。

「何が起こるかわからないからね」と言っていたのだけど確かに予定外のことが起きた。

駅のホームで友達に会ったのだ。彼女はお母さんと一緒で僕も面識があり、ホームが一緒なのでもちろん行く方角が一緒だ。しかも僕たちが降りる駅の一個手前で彼女たちも降りるとのこと。

久々の再会に嬉しそうな理子。僕もお母さんとお話をして予定の駅で別れた。

一人で降りるべき駅で降りる、というミッションはできなかったが、乗り越えるための道順を歩き、改札を抜けていった。乗り変える電車は発車寸前で駆け込む形で乗車した。

「しまった、また二人で乗ってしまった」と思ったのだけど、仕方がない。

「あと何駅で降りるかわかる?」と聞くと「3つくらい?」という。

「適当だなぁ。急行でもそんなに少なくないよ」と言って笑った。


新横浜についたが、トラブルがなにも起きなかったので1時間近く早くついてしまった。当初はお気に入りのサンドイッチを買って車内で食べるというつもりだった。

「ご飯どうする?どこかお店で食べる?」と聞くと当初の予定通りにサンドイッチがいいと言い、時間が余っているのでベンチに座って食べることにした。

僕はまず新幹線のホームまで見送るために入場券を買い、その後サンドイッチ屋に行って理子に選ばせると、トマトとモッツァレラチーズのサンドイッチを選んだ。

「意外だね?」って言ったら「前もこれだったよ」だって。


改札を抜けて待合室に行くと運良く座ることができたので理子を座らせて、僕はサービスとしてコーラを買い与えた。嬉しそうにコーラを飲み、サンドイッチを貪る。

「お出かけ」ということで耳につけた青いイヤリングが揺れている。顔もニコニコとしていて感情を抑えることが難しいくらいワクワクしているようだ。

他愛もない会話をしトイレに行くと言って帰ってきたら顔面蒼白で「イヤリング落とした」だって。きた道戻って探してきたと言ったらきっちりと見つけて帰ってきてニコニコしている。感情のジェットコースターがフル稼働だ。

飽きない時間を過ごしていると定刻が迫ってきた。

きちんと西へ向かうホームへと行き、予約した号車の位置まで一人で向かっていた。

大したもんだなと思う。

一緒に順番を並んで待っていると、ニコニコしているけど不安も混じったなんとも言えない顔をしていてとても愛おしく感じた。こうやって親元を離れて成長していく場面に立ち会うことができてよかったと思った。

新幹線の到着がアナウンスされる。直前に学習した、新横浜の次は小田原、熱海、三島でと復唱していた。あっという間の40分だけど、理子にとってはもちろんのこと、送り出すほうにとっても大冒険だ。隣の人はどんな人かな、ちゃんと降りれるかな。途中でなにもトラブルが起きませんように。

ついに新幹線は到着した。きてしまった。

理子はニコニコした顔で乗り込み、椅子に座った。どうやら隣の席には既に女性が座っているようだった。理子はこちらに気がつくと手を振っている。僕もスマホで撮影しながら手を振った。

新幹線の停車時間にお別れの時間など加味されていないから、すぐに発車となった。

しばらく僕は新幹線と並走して歩いた、理子も手を振りかえしていた。

どうやら僕も感情のジェットコースターに乗っていたらしい、目の前が涙で滲んだ。

この涙はどういった涙なんだろうかと思った。

理子としばらく会えない寂しさか、成長していく姿の嬉しさなのか。新しいことに挑戦する子供に少しばかりの嫉妬のような感情もあるのかもと思った。

2週間、親元から離れて暮らす。それが従姉妹の家という守られた環境の中だったとしても、理子の中で、新しい感情が生まれて育まれることを祈ってやまない。


2025年8月3日日曜日

「話は聞かせてもらった」

 石垣島滞在3日目の朝、あることに気がつく。この街は陽の昇る時間が東京とは異なることだった。5時すぎに目を覚ましてもまだ窓の外の景色は暗かった。

なんとなく早朝にホテルの周りを走ることができたらいいなと思っていた。

しかし天気が悪いということとは違って、まだ純粋に外が暗い。陽が昇ってない暗さである。

朝のぼけっとした頭のなかでは、ブルーハーブのリリックの一節が流れていた。

「北から日が昇ることに慣れてないお前たちは~」

ちょっと意味合いは違うけど、その土地においての当たり前は、自然のサイクル自体が他の地とは異なるということだ。


ぼんやりとしたスマホの灯りが視界の片隅にあった。どうやら花さんも起きているらしい。そのうちお互いが起きていることが気配でわかり夫婦の会話が始まる、今日をどのように過ごすのかが議題だ。

この日は石垣島を離れて西表島に移動する日だった。

台風が接近している影響があったのはこの部分だったが、予定していた上原港行きは欠航してしまっていた。大原港行きは午後だったが運行しているとのこと。

行く手段がないという最悪の事態は免れたわけなので、時間はずれ込んでしまうけれど大原港から西表島に行くことにした。

それまでの間どうするか、中途半端に空いてしまった時間をどうやって過ごすかを話し合い、ホテルから出ないでプールで過ごそうということになった。子供たちもそれが喜ぶんじゃないか、と。


「話は聞かせてもらった」


不意に聞こえたこの台詞。え?と思ったら理子が起きていてずっと我々の話を聞いていたらしい。

会話に加わるべきタイミングがベストで面白かった。なかなか人生において「話はきかせてもらった」なんてワードをいう機会はないだろう。刑事ドラマでもみたことあったのか?花さんも僕も大爆笑だった。

後日談であるがこのことをスレッズに書いたところ232いいねがつくという僕の投稿の割にはプチバズりしたのだった。


なにはともあれ予定は決まった。

食事を済ませて移動の支度をする。部屋に備え付けられているメモ書きに理子と玲はそれぞれコメントを書いていた。いつからか我が家の伝統と化したそれにはそれぞれ感謝を述べている。

THANK YOU BERRY MUCH!

スペルミスもかわいいものである。言いたいことはわかる。


あーとほてるたのしかったです。またきます。ありがとうございます。

と玲は書いていた。



部屋を出ると荷物をフロントに預けてプールに移動した。

ただの四角いプールだけど楽しい時間を過ごさせてもらった。ありがたいことである。

もう十分、というところでプールからあがり、水着を脱水にかけ、浮き輪も空気を抜いて仕舞った。


タクシーでフェリー乗り場へ移動し、売店で食べ物を買う。

僕は小さめのお寿司セットを買った。薄い卵焼きでご飯が巻かれていて美味しかった。

花さんは袋に入ったご飯のうえに、鳥のささみ揚げが乗っているという食べ物を選んでいた。

いろんなご当地食べ物があるようだ。


定刻になりフェリーに乗り込む。なんとなく前の方に乗ってしまったのだけど、フェリーにおいては中央よりも後側、もっと言えば優先席付近が揺れにくいらしい。

大原港に到着すると雨は小降りだった。降りてすぐ近くのところに大型の星野リゾートの送迎バスが停まっていた。それに乗って1時間近くでホテルに到着するとのこと。

運転手は陽気そうな柄のシャツを着て、まぁポーズだけね、という感じで制帽を頭に乗せていた。

港から出てすぐのところに交差点があり、信号で停車した。すると運転手はこのように話をしてくれた。

「この島で唯一の信号機です。なぜ一つだけあるのかというと、この島で育った子供たちが都会に行ったときに信号機で戸惑わないようにするためです」

なるほど、当たり前に享受していたこういった部分も社会生活で必要な素養なのである。


西表島の緑の濃さは想像以上だった。思った以上に勾配もあり、大自然そのものだった。バリとかシンガポールに近い雰囲気だ。1時間のドライブもそんな景色を見ていたらあっという間に過ぎていった。


15時過ぎにホテルに到着する。星野リゾートにおきまりなのかウェルカムドリンクと果物が用意されていた。

チェックインして部屋に入ると、カーテンで仕切られた雰囲気の良い天蓋ベッドのようなものがあり、

窓の外はジャングル的な草木で覆われて、その隙間には海が見えた。


荷解きをし休憩をしてからホテルの周りを歩いてみた。生い茂った緑のなかに鮮やかな花ばな。時折さーっと雨が降り、すぐに止む。そんな感じだからか気温も高くないように感じられ快適に散歩できる。

その足で海に出てみた。細かな砂の質感と穏やかな波。そんなに水温も低くなく、足をつけても冷たいことはなかった。海岸線に沿ってあたりを見渡すと少し離れたところには断崖絶壁な場所もあったりして景色が圧巻だった。


夕飯はホテルから近くのINABAという店で食べた。沖縄料理ではないものを食べたいというときにパスタとかピザがうまいという店だった。

理子と玲はハンバーグをセパレートして食べたり、大人たちはイノシシのタタキやら豚バラの串焼き。ゴーヤチャンプルにタコライスなどいろいろ食べた。どれも美味しく、畳の席で食べるというのもなんだかよかった。

しかし若い店員の子がとても緊張しているようだった。リゾートバイトで本州から来たのかな、などと想像した。


お腹いっぱいになってホテルまで歩いて帰ると、あたりは街灯もなく本当に真っ暗だった。真っ暗ではあるけど生き物の気配は漂っている。理子はとても怖がっていたけれどそんな暗闇のなかでも、道端の草木のところで小さな光がいくつもあった。なんだろうと思ってスマホの光を当ててみると虫だった。でもいわゆる蛍のような見た目ではなく、どちらかと言えば毛虫のような出立だった。少し前に世田谷区の祭りで蛍の光を見た時は本当にうっすらとした光だったのだけど、この野生の虫の光はそれよりも強く感じた。

これが南国で生きる虫の強さか、などと思った。


西表島の持つポテンシャル恐るべしである。

2025年8月1日金曜日

ジャングルナイトツアー

19時半にフェリー乗り場にあるポスト前に集合。ということで竹富島から戻って、そのままフェリー乗り場に居続けた。

ツアーの終了は21時を過ぎるということで、コンビニ行き食料を調達した。しかし時間帯の問題なのかあまり品数はなかった。

フェリー乗り場のベンチに座って食べる。もうとっくに売店は閉まっていた。離島の夜は早く終わってしまうのだ。しかしながら陽が沈むのは遅い。まだ夕焼けが続いていた。もう傘は不要な天気だった。

定刻になり集合場所に行くと既に多くの人が集まっていた。人気のあるツアーのようだ。

我々の名前が呼ばれるとワンボックスカーに案内され、そこで長靴を渡された。

家族がうまいこと座れるようにガイドの「ユウキ」が手際よくさばいていく。

車内の前方に中国人や韓国人のツーリストが座り、その後ろに3家族ほどの日本人が座った。

窓際、前の席に車酔いをしてしまう子供を優先で、という流れで座ってもらっていると、少し神経質そうなお母さんが、「私も弱いんだけど」とボソッと呟いて若干の苛立ちを感じているように見えた。

ツイストパーマを強くかけ(もしかしたら天然かもしれないけれど)、モンスターを飲みながら話す若いガイドはユウキと名乗った。もう一人のガイド、ドライバーはリュウ。「本当はもっと長い名前なのだけどリュウと呼んでください」と彼は言った。リュウから続くもっと長い名前ってなんだろうとしばらく僕は考えてしまった。おそらくリュウノスケザエモンタロウとでもいうのであろう。

車が動き出し、ツアーの同意書にサインなどをし、目的地へと向かう。ユウキは英語をあやつり外国人たちにも指示を出していた。若くてチャラついて見えるユウキの姿に、僕は当初抱いた感情を改める必要があると思った。この男、すごくきちんとしている、と。

とにかくユウキは喋りが上手だった。石垣島には天気予報など当てにならない、実際に起こったことが全てであると言った。この島の素晴らしさを嫌味にならない程度にウィットに富んだ表現で、まず日本語で説明し、その後英語でも話した。そしてその英語で中国人も韓国人も笑った。なんというエンターテイナーであろうか。

南国の若い男のツアーガイド、というとどこか軟派なキャラクターを想像してしまうし、そういった姿をしていたのだけど、彼は立派で有能な陽キャなガイドだった。
今から行く場所には天然記念物の生き物がいたり、見ることがなかなかできない生き物が多くいるとのことだったのだけど、「絶対に皆さんにみていただく」とユウキは満ち溢れた自信をもって我々にプレゼンした。現地に到着する頃にはもう車内のみんなはユウキへの信頼が高まっていたことだろう。


街灯がまるでない道をひた走り、寡黙なリュウは安全に我々を目的地へと連れていった。

ジャングルを安全に回るための注意事項を確認し終わったあと、強力なペンライトを貸してもらい、いよいよ藪の中へと入り込んでいく。街灯もないので各々の家族が持っているペンライトの光る先だけが頼りである。

僕たちを含めて4家族がリュウの引率だった。リュウはユウキほどの派手さはないけれど、隠キャというわけでもなくきちんとガイドとして有能だった。ユウキは体がとても臭い蛇をみつけるけれど、リュウはとても珍しいレアな貝を見つけてくれた。真っ先にヤシガニを見つけたのもリュウだった。きちんと彼らのチームの中にも役割があるわけである。

4家族がそれぞれ縦に並んで進んでいるので、ガイドの注意が行き渡らないので、我々がまず話を聞いて、それを後ろの家族に伝えていった。そうやってチーム感が強まっていったのである。

車の中で神経質そうだったお母さんもジャングルとユウキやリュウの話術にすっかりと解きほぐされたようで楽しそうにしていた。

勾配のある道や、聞いたことのない何かの鳴き声。少しの恐怖がありながら、慣れないサイズの長靴を履いていてコンディションとしては大変ではあったけれど、とても楽しい時間だった。

最終の目的地として洞窟があり、そこでユウキのグループと合流。コウモリがいたり蟹がいたりしたけれど、一番面白かったのはユウキであった。Tシャツを脱ぎ壁によじのぼってる姿は最高だった。

ツアーはとても楽しめた。満点の星空を眺めることはできなかったけれど、十分だった。ユウキに言わせれば星はどこでも見ることができるからである。

車へ戻る道で、リュウの引率チームは2家族に減ってしまっていて、残りはユウキチームに吸収されていて、それに気づいたリュウはちょっと寂しそうだった。暗闇でもわかった。


帰りの車内でもユウキは饒舌だった。ツアーは終わったので、これから島をどうやって楽しむのかという部分に論点を置いて話をしていた。飲み屋に行くなら、肉を食べるなら、酒を飲むなら、と。もちろんをそれを英語でも伝えていた。僕はとっても陽キャというものに憧れてしまった。いやユウキという人間に惚れてしまったのかもしれない。


フェリー乗り場に着いて解散。とってもいいツアーだった。台湾の時もそうだったけれど、個人で回る観光もいいが、その場限りのチームであっても、ツアーというのもいいものだなって思った。それにはやはり有能なガイドが必須、ということなんだけれど。