朝5時に目を覚ました。ベランダに出ると、月が高いところで煌々と光っていて、海に道筋を作っていた。水面でそれがゆらゆらしている。
月は大きな雲に覆われて隠れたり、またひょっこりと顔を出している。
しばらくは上半身裸で外に出ていたけれど、薄ら寒くて服を着た。南国といえど、そういうものらしい。
ニワトリがコケコッコーと元気よく鳴いている。しかしまだ朝はなかなか始まろうとはしていないように思う。
そう思っていたら、空がだんだんもやもやしてきて、雨が降り、しばらくするとまた止んだ。
先ほどまでは空に溶けていた山の輪郭が、くっきりと浮かんできた。太陽はどこから登るのだろう。
6時を回ると、空全体が明るくなってきた。遠くの方に強い光が見えて、星が瞬いているのかと思ったら、ゆっくり移動していた。どうやら飛行機だった。観光地には早朝から飛行機がやってくるようだ。
ニワトリ以外にも鳥の鳴き声が増えてきて、グアムの朝がどうやら始まり出し、我々も活動を開始することにした。理子は去年も着ていたお気に入りのワンピース姿だった。
前日の反省を活かして、早めに朝食を食べにバイキングへと行く。種類は豊富だった。日系のホテルらしく納豆やごはんなどがあったので、理子にはそれを与えた。しかし、いわゆる納豆のタレがなく、醤油で味付けしたのが嫌だったらしく、あまり手をつけなかった。難しい年頃である。
花さんはグアムを周遊するバスのチケットをネットで予約していて、ホテル内にあるHISのブースでそれを受け取った。いたるところにバス停があり、3日間乗り放題だった。バスはホテルにももちろん停車するため、これが本当に便利だった。ぬかりない花さんの活躍によって、我々は目的地へと向かった。
グアムの道が悪いのか、バスの性能の問題なのか、乗っているとガタガタとかなり揺れた。それにどういうわけか、座席は日本の一般的なそれとは違って、窓際に一列に並んでいるため、停車するたびに進行方向に、つんのめってしまう。
朝方の雨が嘘のようにいい天気だった。バスの車窓から眺める景色はどれも新鮮だ。いわゆるアメリカンハウスはモダンに見えたし、木々の緑はとても強く、南国を感じるものだった。しかしながら至るところに日本語の看板があった。よほど日本人がたくさん来るようである。
イパオビーチ近くの停留所で下りて、海岸まで歩いた。基本的に日陰などなく、照りつける太陽が肌に痛い。
僕が玲さんを抱っこしていたのだけど、理子も歩くのを拒否し、結局花さんが抱っこしていた。
海岸に近いところにだだっ広い公園があり、滑り台などの遊具があったけど、日差しで座面が熱くて遊ぶことはできなかった。すると理子は「おしっこ」と言った。唐突にやってくる子供の尿意。
土地勘のないところでのその意思表示は大人を困惑させる。その広場において建物っぽいそれを探して歩く。近づいてみると、全く関係のない建物で、右往左往。すると、少し離れたところにいたおじさんが、身振りであっちに行けという。思いっきりカタカナで「トイレ?」と聞くと頷いていたので、そちらに行くと本当にあった。
助かった。
気を取り直して、海辺へと行くと、ホテル前の海岸とはまた質が違って、かなり綺麗だった。まばらに人がいる程度で、特に混雑しているわけでもない。気持ちのいい場所だった。
我々は11時に、そのビーチ近くのレストランを予約していたので、一旦そちらに向かった。
プロアという名前のその店に着くと、まだ開店していなかったけれど、続々と客が集まってきた。その人たちはみんな日本人だった。
店が開くと、我々は窓辺のいい席に案内された。照明や、壁面の色の趣味がとても良い。
一押しメニューのバーベキューとシーザーサラダ、それと理子用のキッズメニューを注文する。
これがこの旅で一番の美味であった。
スペアリブを口に頬張った瞬間に広がる旨味は飛び抜けていた。「うまい!」と何度も口ずさんだ。
シーザーサラダというと、全く想像と違った形状をしていた。いわゆるクルトンにあたるものが、一つの筒状のクッキーのようになっていて、その中にドレッシングで味付けされたレタスの房が入っている。
「なんじゃこりゃ」と食べ進んでいったのだけど、これは完食できないほどの量だった。
理子といえば、ミートボールが日本で食べるようなものではないと嘆き悲しみ、パスタもあまり食べずに終わってしまった。子供を楽しませるためのメニューを選ぶのはなかなか難しい。
我々が店を出る頃には全ての席が埋まっていた。超人気店だった。
お腹がいっぱいになったところで、海に行くことにする。木陰にレジャーシートを敷き、水着になる。
理子は待ってましたと言わんばかりにささっと支度をし、海に駆け寄る。ここも波は遠くにあるので安心して遊ばせることができた。
砂浜をよくよく見ると、貝殻やサンゴが細かくなったもので形成されているようだった。だから裸足で歩くと痛い。
この日のために、水中を見ることができる筒状のスコープを持参していたので、それで観察することにした。
理子は魚が見えたと言って喜んでいた。
ときおり花さんと交代した。僕はサンダルを脱いでシートにあがると、サンダルのストラップに沿って真っ赤に日焼けしていた。新婚旅行でトルコに行ったときと同じサンダルを履いていたのだけど、当時も同じように日焼けしていて、それがおかしかった。
玲さんをしばらく抱っこしていると眠りについた。実に穏やかで平和な時間だった。
ふと、遠くの方をみると、ウエディングドレスを着た人がいて、海をバックに写真撮影をしていた。ここに来るまでは、なんでわざわざ外国にきてそんなことするんだろう、と斜に構えた考えをしていたのだけど、実際にこういう場所であることを知ると、気持ちがわからないでもない。圧倒的な絶景だからである。
自分がリゾートの魅力を知らなかっただけだった。
理子がこちらには目もくれず、海辺ではしゃいでいる。何をするわけでもなく楽しい、という最高の時間を過ごしているようだ。
僕もそんな姿を遠くから見ているだけで、気持ち良く時間を過ごせた。
まだまだ遊び足りない、と言った理子をなだめ、ホテルに帰ることにする。
理子はだんだんと不機嫌になってくる。それは単純にまだ遊びたいからというわけではなく、睡魔が襲ってきたからである。行きの反省を踏まえ、玲さんを花さんに抱っこしてもらう。電池が切れかかってる理子は僕が抱っこした。歩かなくてもいいと分かると、元気が出てくる理子。しばらくは僕の腕の中で暴れていたのだけど、しばらくするとすーっと電池が切れた。
「パチン スイッチオフ」
子供にも魅力的なグアムであった。
2019年3月30日土曜日
U.S.A! U.S.A!
到着したグアム空港では、入国のための長蛇の列ができていた。ぱっと見では圧倒的に日本人が多かったが、もちろんそれ以外も多くいるようだった。テープで仕切られた通路に、くねくねと曲がりながらとにかくたくさんの人が並んでいる。飛行機の中同様に子供がわんさかいる。そして時刻は2時近く。当然眠い時間帯である。お父さんによって抱きかかえられている子供たちが多いなか、どういうわけか理子は元気であった。
兎にも角にもまったく進まない列。今までの海外渡航で(両手で数えられる程度だけど)記憶にないくらい並んでいる。これがアメリカに入国するってことか、などど思った。子供連れを優先してくれる国もあったけど、今の状況でいえば、そんな組ばかりなわけで、どちらにしても待つしかなかった。
ようやく入国審査をパスして荷物をピックすると外に出た。しっとりと暖かかった。タクシー乗り場にはボッタクリ防止のためなのか、どこそこまでは幾ら、といった看板がある。
『オンワードビーチリゾート』というホテルが我々が宿泊するところだった。それを告げると、日本よりも大きめな車が動きだす。
当然真っ暗なので景色など見れないけれど運転手は「ビューティフルアイランド」だと言った。
空港からホテルまではあっという間に着いた。ホテルにチェックインし、部屋に入るととても広かった。早速窓を開けてみると、目の前が漆黒の海だった。波の音は聞こえなかったけれど、月の光が海面をゆらゆらと照らし、白い道を作っていた。
これはもう綺麗に違いないと確信させるものだった。
時刻はもう3時近く。我々は広い2つのベッドで寝た。
9時近くに目を覚ました。分厚いカーテンは全てを遮光していて、部屋は真っ暗だったので外の様子は全くわからない。寝ぼけ眼でベランダに出てみると、今までに見たことのない綺麗な色の海が広がっている。エメラルドグリーンと深い青とが混じり合い、遠くのほうで白い波が立っている。遠浅のようだ。少し先には小さな島がある。泳ぎが得意な人はすぐに着いてしまいそうな距離だ。
まだまだ朝なのに、既に海ではモーターボートを楽しむ人がいて、ホテルのプールでは子供達の声が響いていた。
僕らはまずホテルで朝食を食べることにした。閉まってしまうまであと1時間を大きく切っていたのだった。
バイキングのホールに行くと、家族づれが多くいた。そして、とにかく日本人ばかりだった。ホテルが日系だから、ということももちろんけれど、欧米人の姿はほぼなかった。
ホールで働く人たちはおそらくチャモロ人で、どちらかといえば東南アジアよりのように見える彼らは人懐っこそうな顔立ちをしていた。
腕にびっしりと刺青が入っているお兄さんが、玲さんを見つけると優しく微笑み、声をかけてくれた。
ご飯を食べられる時間はあまりなかったので、さっさと見繕って食べることにした。特にすごく美味しいというわけでもなかったけど、素晴らしい景色を見ながら食べるので、十分であった。
玲さんのご飯をお湯で温めて食べさせていると、タイムアップ。閉店となった。
部屋に戻ると、早速着替えをし、しっかりと日焼け止めを塗った。理子は水着のまま駆け出しそうだったので、なだめてズボンを履かせた。ホテル内は当然水着で歩いてはならないのだ。
ウォーターパークという、アトラクション系のあるほうのプールに行くと、流れるプールや、ウォータースライダーがあった。
ビーチパラソルのあるロッキングチェアはもう既に使用されていた。大人気である。
屋根のある売店の、テーブルを確保して、陣取った。理子は早速シャワーの流れる浅瀬のプールで遊び、滑り台を何回も往復して楽しんでいた。そして流れるプールに、自前の浮き輪を持って、花さんと入っていった。僕は玲さんを抱っこして、このグアムの日差しや、僕の目の前を通り過ぎていく黒いニワトリなどの、目新しいものを見て楽しんでいた。
うっかりドルを丸ごと部屋に置いてきてしまったため、売店でビールやらなにやら買うことができなかった。
ひとしきり楽しんだ二人は、テーブルにやってきて少し休憩をして、また理子はプールに舞い戻っていく。今度は花さんと交代して僕も流れるプールに入る。どこからともなく流れてくる浮き輪の一つを浸かってゆらゆら流れる。こんな風にプールに入るのは何年ぶりのことだろうか。中学生以来といっても過言ではない。
お昼をだいぶまわった頃、花さんが売店でご飯を買ってきてくれた。本当はアウトレットに行ってそこでご飯を食べる予定だったのだけど、理子はここから離れることを断固拒否したのだ。
僕はご飯のついでにLITEと書かれたビールを飲んだ。この状況で飲むそれが美味しくないわけはなかった。
花さんと交代したりして、ひとしきりプールを楽しむと、いい加減出よう、ということになった。花さんは先に着替えに戻り、僕は玲さんを抱っこしてテーブルから理子を見ていた。すぐそこの浅瀬にある滑り台で遊んでいたかと思ったら、いきなり流れるプールの方へ行った。しばらくプールサイドから眺めていただけだったのに、浮き輪を持って着水した。僕は全身の血の気が引いてすぐに駆け寄った。僕が慌てふためく姿を、理子はにやにやして最初は楽しんでいた。浮き輪に入っているので、溺れたわけではないので、まだ余裕があったのだ。
しかし僕が階段を下りて理子を捕まえようとしても捕まえることができず、理子が流れていってしまったとき、その状況にびっくりしたのか泣き始めた。当然のことだ。僕の焦りも半端なかった。プールは意外と深く、抱っこ紐で玲さんを抱えたままだと玲さんも溺れてしまう。
運よく日本人の人がその状況を見て助けてくれた。本当に助かった。何度もその人にはお礼を言って、理子にはきつく怒ったし、自分自身も戒めた。
水辺においては絶対安心なんてことはなにもなかった。
花さんが戻ってきて、ことの顛末を話すと、理子はまた泣き出した。そうして部屋に戻って休むことにした。
部屋から眺める景色が綺麗だと、なにもしてなくても居心地の良い時間が過ぎていく。うつらうつらとベッドで横になっていると、いつの間にか寝てしまった。
夕方過ぎ、辺りがもう真っ暗になったころ、ホテル近くのダイナーでご飯を食べた。ザッツアメリカン。地元民もツーリストも集まるいい店だった。メニューにはガツンと肉、肉、肉が並ぶ。ステーキの塊と炒めた肉の2種、それにチキンライスがどっさりと盛られたプレートと、巨大なクラブサンドを注文した。ビールはどういうわけかアサヒだった。そういえばテーブルには「YAMASA」と書かれた醤油が置かれていた。
理子は昼間の出来事のせいか、あまり料理を口にしようとしなかった。無理もないと思いつつ、僕はがっつりとそれらを食べる。旅先でカロリーを気にしてどうするのだと言い聞かせてズボンのベルトをこっそりと緩めるのだった。
店員は気さくに話しかけてくれ、特に玲さんをあやしてくれた。どっさり盛られた料理を、最初は食べきれないかと思ったけど、結局は全部食べきれた。
店を出る頃には理子の機嫌も直っていた。そして「明日は海に行くよ」と花さんと楽しそうに話をしている。旅はまだまだ始まったばかりだ。
兎にも角にもまったく進まない列。今までの海外渡航で(両手で数えられる程度だけど)記憶にないくらい並んでいる。これがアメリカに入国するってことか、などど思った。子供連れを優先してくれる国もあったけど、今の状況でいえば、そんな組ばかりなわけで、どちらにしても待つしかなかった。
ようやく入国審査をパスして荷物をピックすると外に出た。しっとりと暖かかった。タクシー乗り場にはボッタクリ防止のためなのか、どこそこまでは幾ら、といった看板がある。
『オンワードビーチリゾート』というホテルが我々が宿泊するところだった。それを告げると、日本よりも大きめな車が動きだす。
当然真っ暗なので景色など見れないけれど運転手は「ビューティフルアイランド」だと言った。
空港からホテルまではあっという間に着いた。ホテルにチェックインし、部屋に入るととても広かった。早速窓を開けてみると、目の前が漆黒の海だった。波の音は聞こえなかったけれど、月の光が海面をゆらゆらと照らし、白い道を作っていた。
これはもう綺麗に違いないと確信させるものだった。
時刻はもう3時近く。我々は広い2つのベッドで寝た。
9時近くに目を覚ました。分厚いカーテンは全てを遮光していて、部屋は真っ暗だったので外の様子は全くわからない。寝ぼけ眼でベランダに出てみると、今までに見たことのない綺麗な色の海が広がっている。エメラルドグリーンと深い青とが混じり合い、遠くのほうで白い波が立っている。遠浅のようだ。少し先には小さな島がある。泳ぎが得意な人はすぐに着いてしまいそうな距離だ。
まだまだ朝なのに、既に海ではモーターボートを楽しむ人がいて、ホテルのプールでは子供達の声が響いていた。
僕らはまずホテルで朝食を食べることにした。閉まってしまうまであと1時間を大きく切っていたのだった。
バイキングのホールに行くと、家族づれが多くいた。そして、とにかく日本人ばかりだった。ホテルが日系だから、ということももちろんけれど、欧米人の姿はほぼなかった。
ホールで働く人たちはおそらくチャモロ人で、どちらかといえば東南アジアよりのように見える彼らは人懐っこそうな顔立ちをしていた。
腕にびっしりと刺青が入っているお兄さんが、玲さんを見つけると優しく微笑み、声をかけてくれた。
ご飯を食べられる時間はあまりなかったので、さっさと見繕って食べることにした。特にすごく美味しいというわけでもなかったけど、素晴らしい景色を見ながら食べるので、十分であった。
玲さんのご飯をお湯で温めて食べさせていると、タイムアップ。閉店となった。
部屋に戻ると、早速着替えをし、しっかりと日焼け止めを塗った。理子は水着のまま駆け出しそうだったので、なだめてズボンを履かせた。ホテル内は当然水着で歩いてはならないのだ。
ウォーターパークという、アトラクション系のあるほうのプールに行くと、流れるプールや、ウォータースライダーがあった。
ビーチパラソルのあるロッキングチェアはもう既に使用されていた。大人気である。
屋根のある売店の、テーブルを確保して、陣取った。理子は早速シャワーの流れる浅瀬のプールで遊び、滑り台を何回も往復して楽しんでいた。そして流れるプールに、自前の浮き輪を持って、花さんと入っていった。僕は玲さんを抱っこして、このグアムの日差しや、僕の目の前を通り過ぎていく黒いニワトリなどの、目新しいものを見て楽しんでいた。
うっかりドルを丸ごと部屋に置いてきてしまったため、売店でビールやらなにやら買うことができなかった。
ひとしきり楽しんだ二人は、テーブルにやってきて少し休憩をして、また理子はプールに舞い戻っていく。今度は花さんと交代して僕も流れるプールに入る。どこからともなく流れてくる浮き輪の一つを浸かってゆらゆら流れる。こんな風にプールに入るのは何年ぶりのことだろうか。中学生以来といっても過言ではない。
お昼をだいぶまわった頃、花さんが売店でご飯を買ってきてくれた。本当はアウトレットに行ってそこでご飯を食べる予定だったのだけど、理子はここから離れることを断固拒否したのだ。
僕はご飯のついでにLITEと書かれたビールを飲んだ。この状況で飲むそれが美味しくないわけはなかった。
花さんと交代したりして、ひとしきりプールを楽しむと、いい加減出よう、ということになった。花さんは先に着替えに戻り、僕は玲さんを抱っこしてテーブルから理子を見ていた。すぐそこの浅瀬にある滑り台で遊んでいたかと思ったら、いきなり流れるプールの方へ行った。しばらくプールサイドから眺めていただけだったのに、浮き輪を持って着水した。僕は全身の血の気が引いてすぐに駆け寄った。僕が慌てふためく姿を、理子はにやにやして最初は楽しんでいた。浮き輪に入っているので、溺れたわけではないので、まだ余裕があったのだ。
しかし僕が階段を下りて理子を捕まえようとしても捕まえることができず、理子が流れていってしまったとき、その状況にびっくりしたのか泣き始めた。当然のことだ。僕の焦りも半端なかった。プールは意外と深く、抱っこ紐で玲さんを抱えたままだと玲さんも溺れてしまう。
運よく日本人の人がその状況を見て助けてくれた。本当に助かった。何度もその人にはお礼を言って、理子にはきつく怒ったし、自分自身も戒めた。
水辺においては絶対安心なんてことはなにもなかった。
花さんが戻ってきて、ことの顛末を話すと、理子はまた泣き出した。そうして部屋に戻って休むことにした。
部屋から眺める景色が綺麗だと、なにもしてなくても居心地の良い時間が過ぎていく。うつらうつらとベッドで横になっていると、いつの間にか寝てしまった。
夕方過ぎ、辺りがもう真っ暗になったころ、ホテル近くのダイナーでご飯を食べた。ザッツアメリカン。地元民もツーリストも集まるいい店だった。メニューにはガツンと肉、肉、肉が並ぶ。ステーキの塊と炒めた肉の2種、それにチキンライスがどっさりと盛られたプレートと、巨大なクラブサンドを注文した。ビールはどういうわけかアサヒだった。そういえばテーブルには「YAMASA」と書かれた醤油が置かれていた。
理子は昼間の出来事のせいか、あまり料理を口にしようとしなかった。無理もないと思いつつ、僕はがっつりとそれらを食べる。旅先でカロリーを気にしてどうするのだと言い聞かせてズボンのベルトをこっそりと緩めるのだった。
店員は気さくに話しかけてくれ、特に玲さんをあやしてくれた。どっさり盛られた料理を、最初は食べきれないかと思ったけど、結局は全部食べきれた。
店を出る頃には理子の機嫌も直っていた。そして「明日は海に行くよ」と花さんと楽しそうに話をしている。旅はまだまだ始まったばかりだ。
2019年3月28日木曜日
旅の始まり
この世の中には、カードで支払いをすると、マイルというご褒美がもらえるシステムがあるらしい。旅好きである花さんがこれを知ってからは、錬金術士のごとくであった。家庭内における出費という出費はカードを通してされた。スーパーでのちょっとした買い物も、カードで行われた。
そしてある日こう言った。「グアムまで家族で行くぶんのマイルが貯まった」と。
まさに塵も積もればグアム旅行である。錬金術士の努力の賜物であった。
それからというもの、やはり我が家の本棚には、『グアム』とタイトルのついたガイドブックが並んだ。そして花さんはそれを家事の合間に楽しそうに眺めているのであった。または旅のブログ、特に子連れで旅をした人の体験記などを読みふけていた。
それをもとに、旅のしおりが練られ、PDFになって私のGmailに添付されて送られてくるのだ。
出発は平日の夜だった。18時に仕事を終え、僕はそのまま成田へ行くことになっている。花さん一人で、生後8ヶ月と4歳児を連れ、大きな旅行鞄を持って電車に乗るなど出来やしない。
鞄はどうするつもりなの?と僕は花さんに聞いた。すると花さんは「事前に鞄をクロネコヤマトにピックしてもらい、空港宛に送るの」と言った。抜かりない。
飛行機の出発は21時20分だった。花さんたちは帰宅ラッシュを避けるべく早めに出かけて行ったらしい。
僕はといえば、18時に完全に仕事を終わらせるべく、奮闘していた。『飛行機 間に合わない どうする』みたいな検索を昼休みにしてはいたけれど。
かくして無事に会社を脱出した。普段はてぶらで出社しているけれど、この日はリュックを持っていた。しかしだれもそんな様子を気にとめることはなかった。この日は気温もかなり高く、厚手の上着も必要ではなかった。南国に行くのにはかなりの大荷物になってしまうところだったから、助かった。
いつもは大江戸線に乗るところを、日比谷線に乗った。山手線に乗り換えようとすると、緊急停止ボタンが押されたとアナウンスがあった。こういうときに限って、ということでもない、もはや日常の異常の中、ホームは人で溢れかえっていた。
ようやく電車が到着し、乗り込んだ。サンドイッチの具のようにぺちゃんこになりながら僕は東京駅へと向かう。
駆け足で階段を降りて、成田空港行きのホームを目指した。特急券を買わなくてはいけないけれど、券売機には列ができていて諦めた。ホームにいくと、列車はすでに到着していた。同じように券を買えなかったであろう人が、駅員に話どうすれば良いのかを聞いていて、とりあえず乗って車内で支払いをしてくれと言われていたので僕もおとなしくデッキに立っていた。
英語圏ではない人が電話をずっとしていて、その声がやたらとうるさかったけど、「ああ、もうここから海外へ行くのが始まってるんだな」とぼんやりと思った。そして僕は松浦弥太郎の『場所はいつも旅先だった』を読みはじめた。
成田空港へと到着すると、花さんたちとの待ち合わせた場所へと向かった。彼女たちはすでに空港内でシャワーを浴び、玲さんも離乳食を食べ終わっていた。
理子はジェットキッズに乗っていた。子連れの海外旅行の友らしい。ずいぶん前に買っていたけれど、使うのは初めてだ。それに跨って足で蹴って前へ進んで行く。空港くらいの広々したところで使うには安心できる。周りには同じような家族づれがいて、色違いのそれに乗っている子もいれば、あれはなんぞ?と興味津々で見ている子もいた。
荷物を預け、出国手続きをしようとすると、長蛇の列ができていた。予定よりも早く着いていたはずなのに時間はあっという間に過ぎていく。やっと終わった頃には夕飯をゆっくりと食べることもできない時間になっていて、売店でホットドッグを買って機内で食べた。
以前はシートベルトをしたくないといって暴れていた理子は、おとなしく自らそれをしていたし、半年前はYouTube漬けでアディクトしていたけれど、もうそれもなかった。
座席にはモニターはなく、自分のiPhoneにアプリを入れて、それで閲覧するようになっていた。
飛行機内には、玲さんと同じくらい、または理子と同じくらいの子供たちがいっぱいいた。みんな考えることが一緒である。時差が1時間程度なので、夜中に出発して少しでも滞在時間を楽しもうというわけである。これで玲さんが泣き出しても、多少は大目に見てもらえそうだと胸をなでおろした。
離陸に向けてアナウンスがあり、ゆっくりと滑走路へと入っていく。昼間とは違って、ライトアップされたそれは、これからの旅をどこか幻想的なものにするショーアップのようだった。
離陸の瞬間に向けて理子には飴を舐めさせ、花さんは玲さんにこっそり授乳していた。飛行機は速度を速め、次第に機体は空へ向けて傾き地面を離れた。空には大きな月が丸く、煌々と光っていた。
2019年3月26日火曜日
2019年3月7日木曜日
朝
カーテン越しに、朝の光が部屋の中にぼんやりと広がっている。だんだんと季節が変わっていこうとしていることがそんなことからも分かる。5時である。
ここのところほぼ22時には布団に入っている。4人、同じ部屋。理子はママと寝たいし、玲さんは夜中に授乳が必要だからママの隣なわけで、ダブルの布団に3人。シングルに僕が一人寝ている。
夜中、玲さんがもぞもぞと動く音が聞こえる。こういうとき、耳は早々に働き始める。泣きだすであろうちょっと前に、花さんのパジャマのマジックテープが外れる音がする。授乳を開始したようだ。母親の反射神経には父親は永遠に追いつけない。
分断されながらも、5時には目がさめる。
寝るときに、iPhoneは飛行機モードにしていて、Wi-Fiも切っている。布団に入りながらもぞもぞしてなんとなくsnsをザッピングする。洗濯が終わるアラームが聞こえて、僕は布団から這い出る。
洗面所に行き、お風呂の追い炊きをする。洗濯物を干す。ものすごく小さなボリュームで、 never young beach を聴く。
大人のものよりも多い子供たちの服を洗濯バサミに止め、それらを持ってベランダに出る。左手方向は、オレンジ色の光が広がり始めているけれど、右手側はまだ夜が続いているし、中央では星が強く瞬いている。朝とも夜とも言えない、不思議な時間帯である。マンションの3階からは、少し離れたところにある首都高速が見える。この道には夜も朝も関係なく、いつだって車が走り続けている。
洗濯物を干し終えると、風呂に行く。最近日課になっているお風呂での映画視聴である。花さんたちが起きだすまでの時間、1時間ちょっと。つまり映画は一度では見終えることはできないけれど、それくらいがちょうどいいとも思っている。
つい昨日見終えたのはゴッドファーザー3である。つまりその前に1、2も同じように風呂で見終えた。9時間ちかく風呂にいたのかと思うと、いますぐのぼせてしまいそうである。
だいたい映画を見終えるのは、理子が唐突に風呂のドアを開けることによる。イタリアンマフィアが敵を待ち構えて殺そうかというときにドアが開くものだから、なかなかスリリングがある。
理子はここのところ、我々のコーヒーを淹れることにはまっている。といってもコーヒーのカプセルをセットして、レバーを倒せばコーヒーは抽出されるのだけど、きちんとそれに砂糖と牛乳を入れ、さらにスプーンでかき混ぜてくれもする。なかなかである。
それをおぼんに乗せて、テーブルまで運んでくれる。
「『まだかなー』って言って」と理子は僕に言う。
「まだかなー」と僕が言うと、「お待たせしましたー」と言ってコーヒーを置いてくれる。
娘に入れてもらうコーヒーは美味しい。
朝食を食べ終えると、理子の着替え、歯磨きとスムーズに行くこともあるし、我々に怒鳴られて、泣きながら保育園に行くこともある。
魔の3歳とよく言ったものだけれど、3歳で魔になると、そのまま能力は高まっていくわけである。3歳が絶頂では当然ないわけであった。
僕は大抵、iPhoneで音楽を聴きながら支度をしたり片付けをしている。
とある日、ペトロールズのFUEL聴いていたら、理子が廊下を走って僕のところにやってきた。
「楽しそうな曲が聞こえてきたから走ってきちゃった」だそうな。
音を楽しんでいるようで何よりである。いい朝だ。
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