2016年10月9日日曜日

窓の外は

目を覚ましてすぐにしたことは、天気を調べることだった。iPhoneで天気を調べるのではなく、いまの外の状況を知るために、カーテンを開けた。窓の外は雨だった。水滴がついていて、空はどんよりとしていた。
この日は理子の通う保育園の運動会の日だった。僕はシフト制で勤務しているため、この土曜日の休みには公休希望をだしていて休日となっていた。まるで自分が参加するはずだったかのように、朝からがっくりとうなだれる。理子はそんなこともつゆ知らず、まだ眠り続けている。
それでも霧雨のようなものだったので、止めば問題ないかもしれないなどと思い、理子を起こして、支度をし、朝食を食べた。
8時45分には保育園へと集合になっていた。8時の時点ですごく微妙な天気だった。降ったり止んだりしている。
今時の保育園の行事の決行か否かの連絡はメールで行われるようで、事前にも違う内容のことを何度か受信していたが、それは花さんのメールアドレスだった。
花さんのいるパリとは時差が7時間あり、向こうは深夜である。メールが来ているかどうかの確認ができないので、迷惑だよな、と思いつつ、いたしかたがないので保育園に電話することにした。開催の有無を聞くと、まず名を名乗れというので理子の父だというと、延期を告げられた。
それはそうだよな、今窓の外はまた雨が降り出していた。

果たして、僕にとって予定のない雨の休日となってしまった。
理子は状況を特に理解しているわけではないので、いつものようにアンパンマンを見せろとのたまう。理子と遊んで布団の上で絵本を読んだりしていたら、気がついたら僕はまた寝てしまっていた。

お昼、母が作ってくれたミートソースパスタを食べる。理子も自分一人でガツガツ食べる。その後テレビを見ながらゆっくりしていたのだけど、気がついたら窓の向こうは青空が広がり始めていた。
母は、この町を散歩したようで、神社でお祭りがあることをポスターで知っており、「理子、お祭り行く?」と聞いていた。どうやら二人で行こうとしており、玄関で靴を履いている。僕は完全に出遅れていた。彼女たちはもうすっかり二人でお出かけしても問題ない関係性にまで到達していた。母のコミュニケーション能力の高さを、僕は昔から知っていた。知らない人に話しかける、仲良くなるというのはまったく珍しい姿ではなかった。

僕がカメラを持って、支度をして家を出た頃にはマンション内に二人の姿はなかった。歩みを進めていくと、二人はもう神社の近くまで行っていた。
母は、手に紙袋を持っていて、「もらっちゃったー」と言った。袋の中にはバナナやらポテトチップスやらコーラが入っていて、町内会が子供に配るものらしい。
この町に引っ越してきて1年が過ぎていたけど、初めてこの祭りにきた。立派なお神輿があり、神社付近には多くの露店が並んでいた。そして子供たちの姿が多く見られた。
母は、隣に座っていた人が食べていて美味しそうだったから、といって、ジャガバタを買い、焼き鳥を買い、台湾風のチジミのようなものを買っていた。僕もビールを買って、それらを食べながら、町内会が用意してくれていた簡易テーブルと椅子でちょっとした宴会が始まった。
理子は焼き鳥を食べ、お茶を飲み、満足したのか、テーブルを抜け出してそこらじゅうを走り回る。さっと後ろを振り向くと、にやっと笑って、「いいの?いいの?」とでも言いたげに遠くに行こうとする。追いかけてきてほしいわけである。「待て待てー」と追いかけて、捕まえると「たすけてー」と叫ぶ理子。まるで人さらいにでもあったかのようである。

理子は人見知りだと思うのだけど、愛想があるようで、テーブルの隣の輪投げ屋のお兄さんに視線を送ってお兄さんを笑わせてていた。

時間はこの時16時頃だったのだけど、ビールを2缶のみ、お腹も満たされていたので家に帰った。理子はすっかり母に懐いていて、道中は手をしっかりと握り合っていた。
この10日間、花さんの不在によって、理子が大泣きしたというような表面的に出した感情はなかったけれど、保育園では「疲れているようだ」と話があった。不安、寂しさが緊張感となっていつもより疲れるんだろうな、と思った。
母の手をしっかり握っている理子の姿を見ると、絶対的な信頼を寄せていい、と思える人がいないと、だめだろうなと思った。
きっと僕だけだったら、花さんの不在は、理子にとって本当に不安だらけの大きな穴となって存在して、理子を飲み込んでしまっていただろう。

母と、実家のみんなに無理を言って上京してもらったけれど、母に助けてもらって、本当に心強かった。そして久々に連日に渡って母の手料理を食べられたことはやっぱり嬉しかった。



振り返ってみるとあっという間だけど、やっぱり長いよ。
今日、花さんが帰ってくる。

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