2016年10月24日月曜日

2016年10月17日月曜日

PLAN C

僕の仕事はシフト制である。月火水働いて、木曜休んで、金土働いて、日休む。といった具合に不定期である。とはいえ、前職とは異なって、一ヶ月のスケジューリングは揺るぐことはないため、プライベートの予定を組むことは可能である。
「ディズニーランドに行こう」という誘いを、友人からもらったのは先月のことだった。
この友人は、花さんが妊娠中に、ヨガに通っていた際に知り合い、偶然にも職種が近しいこともあり、すぐに仲良くなった。また、出産予定日も近く、自然の流れで出産後にも交流が続き、今に至る。
旦那さんは、グラフィックデザイナーであり、趣味も似通っていて、仲良くさせていただいている。家も3駅程度しか離れていないので、偶然二子玉で会う、ということもある。貴重なご近所お友達一家なのである。
そんな友人の子供が最近ディズニーに興味をもったようで、ランドに連れて行ってあげたい、ということになったのだけど、週間天気予報によるとその日はどうやら雨が降るようだった。ここのところの東京は、ほぼ毎日のように雨が降っている。もしくは曇っている。そういったわけで、「雨だった場合のことも考えないといけないな」ということで、代案を考えることにした。プランBである。
室内で子供が遊べるところ、ということで真っ先に思いついたのは東京ドームシティのアソボーノである。ここは花さんと行ってみたいという話をしていたところだった。このことを友人に提案すると了承してもらえたので、雨が降らないことを願いつつも代案を用意したことで安心していた。

果たして今日は予報通りの雨であった。朝から割と強めの雨が窓を打ちつけているではないか。天気予報がこんなにも的中することがあるのだな、と思いつつも、思考はプランBに切り替わる。これは友人一家も同じで、東京ドームのある水道橋駅に行くまでの最短ルート、何時発の何車両目に乗るべきかも記されたメールが届いた。
そういったわけで、我々はその電車に乗るべく、支度を済ませ、雨の中余裕を持って向かうことができた。
ホームで電車を待っていると、反対車線の電車がホームに入ってきた。理子はその車両に向かって「バイバーイ」と言って手を振った。路線が多い大きめの駅だと大変である。電車が去ったと思ったら違う路線の電車がまた到着して、手を振り続けることになる。誇張ではなく、手を振り続けるため、ある程度のところで親が制止して抱き上げるしかない。

10時11分。予定通り渋谷方面の電車は到着する。一車両目の前から3番目のドアに友人たちの姿を認めた。ドアが開くと挨拶をする。この前会ったのは夏で、イチゴ狩りをした時だ。「おはよう」と友人の子供である杏ちゃんに挨拶をする。すごく目がキラキラしていてかわいらしい。雨合羽を着て、おばあちゃんが作ってくれたという帽子(!)を被っていた。
朝10時の電車は、まだ通勤時間であり車内は混んでいた。渋谷で人が減るかと思いきや、そんなことはなく、表参道で減るかと思いきや、むしろ増えた。結局のところ永田町で人々は降りていった。みんな働いているのである。

僕たちは一度電車を乗り換えて水道橋駅へと向かった。そして東京ドームシティに着いて、驚いた。アソボーノの入り口には長蛇の列ができていたのである。平日にも関わらずである。どこまで続いているのか、困惑しながら歩みを進めると、角を曲がってなお列は続いていた。並んでたら入れるといった人の量ではない。月曜日休みの人たちがこんなにいるなんて。。。

大人たちは冷静に考えた。プランCである。
この近くに子供たちが遊べる場所は?
大人四人はiPhoneのサファリを起動させ、「水道橋 子供 遊ぶ」とタップし、検索をはじめる。すると導き出されたプランCは「四谷3丁目 東京おもちゃ美術館」であった。花さんたち女性陣は行き先が決まるや否や、A.S.A.P、食事の場所を探し始める。食にこだわるマインドが素晴らしい。男どもにはないものを持っている。

電車に乗ってまた移動をする。その間、会っていなかった間に起きていたことを話しながら向かった。こういった時間が楽しい。ちょうどランチタイムで、駅ナカの飲食店が並ぶエリアからは香ばしい匂いが漂っていた。

目的の駅に到着すると、ホテルにあるビストロWという、ビュッフェの店に行く。パッと見、子供が騒いでいいような店構えには見えない、きちんとしたところだったのだけど、店員さんは快く我々を迎え入れてくれた。そしてテーブルには子供用の椅子がセットされ、食事メニューには、アンパンマンプレートがあるではないか。おもいっきり子供対応のできた場所だった。このことは周知されているようで、当然のことのように店内には同じように子供を連れた人たちが次から次へとやってきた。自分に子供ができると不思議なもので、子供の声がまったくうるさく聞こえない。どちらかと言えば「あぁ、この泣き方、懐かしい」と思うのであった。

めいめい、食べたいものを取り、理子の分もとり、食べさせる。ここのところスプーンの使い方が上手になってきて、こぼす量も少なくなってきた。毎日成長している。親たちはまた近況を話し合う。杏ちゃんは、理子と誕生日が近いこともあり、理子とほぼ同じようなタイムラインで成長しているようだった。できること、まだできないこと、興味あるもの好きなこと。人の成長って面白いものである。

食事を終えると、目的のおもちゃ美術館へと行く。ここは以前僕たちは訪れたことがあった。月齢に応じて遊べる場所が分かれていたため、以前よりも少しお姉さんの部屋も入ることができた。基本的には全てが木でできた遊具であり、おもちゃだった。角がとれたものだから安心して遊ぶことができる。木でできたにんじんや大根などの食べ物を、小さな鍋に入れ、おぼんにそれを乗せてこちらにやってきて、「ごはんどうぞ」と言って僕にくれた。大人たちは楽しそうに遊ぶ子供達を、細くなった目で見つめ、また写真に残そうと、カメラを向けるのであった。

しばらく遊んでいると、疲れたのか目をこする仕草をするようになった。そろそろお昼寝の時間だ。パパたちは各々抱っこ紐を装着し、抱っこする。そして退園した。理子は相当眠かったようで、歩いているとすぐに眠りについてしまった。
駅に着き、電車に乗って椅子に座ると、僕もその揺れが心地よく、うとうとと少し眠ってしまう。当日の天気なんてその時にならないと分からないし、子供がいると予定通りにいかないことだってある。だけど「こんな風に終わるプランCも悪くはない。」そんな風に思う。

2016年10月9日日曜日

窓の外は

目を覚ましてすぐにしたことは、天気を調べることだった。iPhoneで天気を調べるのではなく、いまの外の状況を知るために、カーテンを開けた。窓の外は雨だった。水滴がついていて、空はどんよりとしていた。
この日は理子の通う保育園の運動会の日だった。僕はシフト制で勤務しているため、この土曜日の休みには公休希望をだしていて休日となっていた。まるで自分が参加するはずだったかのように、朝からがっくりとうなだれる。理子はそんなこともつゆ知らず、まだ眠り続けている。
それでも霧雨のようなものだったので、止めば問題ないかもしれないなどと思い、理子を起こして、支度をし、朝食を食べた。
8時45分には保育園へと集合になっていた。8時の時点ですごく微妙な天気だった。降ったり止んだりしている。
今時の保育園の行事の決行か否かの連絡はメールで行われるようで、事前にも違う内容のことを何度か受信していたが、それは花さんのメールアドレスだった。
花さんのいるパリとは時差が7時間あり、向こうは深夜である。メールが来ているかどうかの確認ができないので、迷惑だよな、と思いつつ、いたしかたがないので保育園に電話することにした。開催の有無を聞くと、まず名を名乗れというので理子の父だというと、延期を告げられた。
それはそうだよな、今窓の外はまた雨が降り出していた。

果たして、僕にとって予定のない雨の休日となってしまった。
理子は状況を特に理解しているわけではないので、いつものようにアンパンマンを見せろとのたまう。理子と遊んで布団の上で絵本を読んだりしていたら、気がついたら僕はまた寝てしまっていた。

お昼、母が作ってくれたミートソースパスタを食べる。理子も自分一人でガツガツ食べる。その後テレビを見ながらゆっくりしていたのだけど、気がついたら窓の向こうは青空が広がり始めていた。
母は、この町を散歩したようで、神社でお祭りがあることをポスターで知っており、「理子、お祭り行く?」と聞いていた。どうやら二人で行こうとしており、玄関で靴を履いている。僕は完全に出遅れていた。彼女たちはもうすっかり二人でお出かけしても問題ない関係性にまで到達していた。母のコミュニケーション能力の高さを、僕は昔から知っていた。知らない人に話しかける、仲良くなるというのはまったく珍しい姿ではなかった。

僕がカメラを持って、支度をして家を出た頃にはマンション内に二人の姿はなかった。歩みを進めていくと、二人はもう神社の近くまで行っていた。
母は、手に紙袋を持っていて、「もらっちゃったー」と言った。袋の中にはバナナやらポテトチップスやらコーラが入っていて、町内会が子供に配るものらしい。
この町に引っ越してきて1年が過ぎていたけど、初めてこの祭りにきた。立派なお神輿があり、神社付近には多くの露店が並んでいた。そして子供たちの姿が多く見られた。
母は、隣に座っていた人が食べていて美味しそうだったから、といって、ジャガバタを買い、焼き鳥を買い、台湾風のチジミのようなものを買っていた。僕もビールを買って、それらを食べながら、町内会が用意してくれていた簡易テーブルと椅子でちょっとした宴会が始まった。
理子は焼き鳥を食べ、お茶を飲み、満足したのか、テーブルを抜け出してそこらじゅうを走り回る。さっと後ろを振り向くと、にやっと笑って、「いいの?いいの?」とでも言いたげに遠くに行こうとする。追いかけてきてほしいわけである。「待て待てー」と追いかけて、捕まえると「たすけてー」と叫ぶ理子。まるで人さらいにでもあったかのようである。

理子は人見知りだと思うのだけど、愛想があるようで、テーブルの隣の輪投げ屋のお兄さんに視線を送ってお兄さんを笑わせてていた。

時間はこの時16時頃だったのだけど、ビールを2缶のみ、お腹も満たされていたので家に帰った。理子はすっかり母に懐いていて、道中は手をしっかりと握り合っていた。
この10日間、花さんの不在によって、理子が大泣きしたというような表面的に出した感情はなかったけれど、保育園では「疲れているようだ」と話があった。不安、寂しさが緊張感となっていつもより疲れるんだろうな、と思った。
母の手をしっかり握っている理子の姿を見ると、絶対的な信頼を寄せていい、と思える人がいないと、だめだろうなと思った。
きっと僕だけだったら、花さんの不在は、理子にとって本当に不安だらけの大きな穴となって存在して、理子を飲み込んでしまっていただろう。

母と、実家のみんなに無理を言って上京してもらったけれど、母に助けてもらって、本当に心強かった。そして久々に連日に渡って母の手料理を食べられたことはやっぱり嬉しかった。



振り返ってみるとあっという間だけど、やっぱり長いよ。
今日、花さんが帰ってくる。

2016年10月7日金曜日

杏の挙式

母の妹の子供、という位置付けの従姉妹である杏が、結婚式を静岡で執り行うとのことで、理子と二人で参加した。
僕はスーツのパンツを履き、白のオックスフォードシャツ。コードヴァンのチャッカブーツを履いた。そしてガーメントにジャケットを入れた。キャンバス地の大きめのバッグに、理子のお出かけセット一式。おやつ。家族へのお土産。
理子の衣装は実兄が用意してくれていたので、とりあえず沼津に帰るためだけのかわいい服を理子に着替えさせた。
スーツだけど、エルゴを着用し理子を抱っこする。手には中身がいっぱいのバッグ。なんとなく思い立って、たまたま近くにあった理子のうさぎのぬいぐるみをバッグに押し込む。
品川に行くために、嫌いな渋谷を経由する。理子はバッグからうさぎのぬいぐるみを取り出して、自分の手に持っている。朝の山手線は混んでいなかった。座席に座ってケータイを見る人、化粧直しをする人、会話をしている人、さまざまな人の姿が見える。全身でアニメオタクであるということを主張している若者がいる。着用している服にアニメのプリントがされ、カバンには大きなぬいぐるみが二つ垂れ下がっている。オタクとはその嗜好を隠したがる人と誇示する人と、極端だなと思う。

品川に着いて、まず新幹線のチケットを購入する。そして二人分の軽食を売店で買う。なんとなくビールも忍ばせる。なにがあるか分からないから、新幹線の発車時刻よりもだいぶ早く到着していた。僕は新幹線のホームでビールを開け、それを飲む。

電光掲示板に、僕が乗る予定の新幹線の情報が掲示される。自由席の号車を確認し、乗り口へ移動する。理子は他のホームに到着する新幹線の姿を認めると、「しんかんせんのりたい!」と明確に発音した。
「理子もこれから乗るんだよ」と教えると、うれしそうに大きく頷いた。
予定時刻にきちんと新幹線は指定のホームに滑り入ってくる。車内に進み、子連れ必須の出入り口付近の席を確保する。そしてすぐさま静かに新幹線は発車した。

車窓は街並みから緑あふれる自然の姿へと移行していく。そんな景色を見ながらおにぎりをほおばり、またそれを理子に分け与える。ペットボトルのお茶をこぼさず器用に飲み進める理子を見て、ちょっとしたことだけど成長しているな、と思う。

今回はいつも降りる三島駅ではなく、新富士駅で降りた。改札の向こうでは、母と姪が待ってくれていた。二言三言交わして、車に乗り込む。同じ衣装を着た3人の姪の姿はとても可愛らしい。車には両親と兄夫婦と姪たち。今回は花さんは残念ながら参加できなかったけど、この人数での結婚式の参加は初めてだ。
会場は駅から程近かった。僕たち以外にも、駐車場から降り立つ人たちがいて、おそらく式に参加する人たちなのだろうけど、知らない顔ぶれだった。結婚式とは不思議なものだなと思う。新郎新婦に縁がある人間たちが集まるのに、隣に座った人は知らない人だったなんてことは当たり前のことだ。

式場へと入ろうとすると、大きなガラス窓の向こうに、新婦の双子の息子たちの姿が見える。双子は同じ衣装を着て、変顔を決め込んでこちらに手を振っている。僕は、「久しぶり。お前はどっちだ?」といきなりアイデンティティを軽視した挨拶をする。年に1、2回しか会わない双子の見分けかたを、僕は持ち合わせていないのだった。

挙式までの時間がそんなに残されていたわけではないので、早々に理子の着替えをする。しかしながら当然のごとく簡単には着替えさせてくれない。大人数人で理子をなだめながら新しい服に袖を通させる。サイズはぴったりで、適度なフェミニンさが可愛らしい。これで髪の毛をセットさせてくれたら完璧だったのだけど、理子は髪の毛を触れられるのを極端に嫌がるのだった。

ウエルカムドリンクで当たり前のようにビールを飲む。品川駅で缶ビールを飲んでいたから、午前11時の時点で既に2杯目だった。滅多に会うことのない新婦の父親に酌をされ、今昔の話で盛り上がる。娘の結婚式に参加する父とはどんな気持ちなんだろう。そんな話を聞けばよかったなと今では思う。

理子は久々に会う多くの親戚たちの前で、とまどい落ち着かなかった。僕のそばから離れようとせず、しがみついてくる。ちょっとでも離れると「パパー」と泣きそうになりながら寄ってくる。これからの数日間、母が東京でお世話をしてくれることになっていたのだけど、そんな姿を見るとすこし不安になった。式場のスタッフに促され、チャペルへと案内される。僕はカメラ係を仰せつかっていたので、控室からビデオを回していたのだけど、途中で兄に代わってもらった。
十字架を正面にして、左側、二列目に座った。理子にとっては初めての結婚式への参加だ。薄暗い室内で、「くらぁい」と意見を言った。
スタッフから、リングピローを運ぶ役の羽咲と、フラワーガール役の琴羽と理子に説明がある。分かったのか、分かっていないのか、不明ではあるけど「うん」と頷く理子。その手には、うさぎのぬいぐみが強く握られている。理子が緊張で固まって動けないちょっと先の未来の姿を僕は想像する。それはたやすいことだった。

スタッフの進行の元、挙式は静かに始まる。扉が開き、リングピローを持った羽咲が一礼をし、バージンロードを緊張の面持ちで歩く。神父にそれを渡すと役目を終えた羽咲が安堵の表情で席に戻る。そして新郎もゆっくりとした足取りで前へと進む。そして花嫁とその父が登場する。扉の向こうは光が強くて逆光になっている。花嫁の隣に立っている父は泣いているようにも見える。本当のところはわからない。扉が開いた瞬間に飛び込んでくる親戚友人たちの顔と、十字架、ろうそくの光のゆらめき。色々な過去の思い出たちが頭の中を駆け巡って必死にこの状況を理解しようとしているのかもしれない。娘を持った僕も、いつかは同じ思いをするのかもしれない。この状況の感情を理解することなんて、今の僕にはまだできない。

ベールダウンする母の姿。その目には確実に光るものがあった。この家族はいろんなことがあった。30年。一つの形態を、色々な形に変えながらこの日まできた。途中僕の知らない時期もあったけど、今この瞬間に、杏の父と母と、祖母と、僕たちが参加できている当たり前のようなことを奇跡として感じる。祖父が生きていたらどう思ってくれたろう?



神に誓う二人、列席者に誓う二人の口づけ。退場していく夫婦の後ろをフラワーガールとして付いていくはずの理子は、なんとその流れについていくことができず、席でその後ろ姿を見守るにとどまった。
列席者への退場も促され、外にでてようやく、理子は花を手に持つことができ、階段を降りる新郎新婦に向けて花を投げかけるのだった。
ブーケを手に持った杏は、それを祖母に渡すというサプライズを用意していた。進行役によって祖母の名前が呼ばれ、手を引かれながら、それでも自分の足で歩いて杏のもとへ行く。そこでどんな会話がなされたのか僕は知る由もないけれど、杏は泣いていた。
自身の結婚式の時を振り返ってみても、祖母に花束をプレゼントした時、僕もなぜだか涙を流していた。どういった涙なのか今でも説明がつかない。
祖父母という存在は、両親や兄弟とは違って、自分に対して俯瞰で見てくれているような温かい距離感があるように思う。祖母の家に遊びに行った時に、決まって好きなおやつを用意してくれていたり、好きなごはんを作ってくれていたり、家に遊びに来ることを心待ちにしてくれていて、温かい目で見てくれているのをとても感じた。
花束を渡す瞬間、昔よりも老いた祖母と対峙して、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちが押し寄せるということなのかもしれない。



記念撮影が行われ、退場していく夫婦。朝方降っていたという雨が嘘のようにあがり、きれいな青空のもと挙式は終わった。

2016年10月5日水曜日

2016年10月1日土曜日

ふたり

「パリに出張に行くことになった」と花さんが僕に告げたのは、今の季節から2つくらい前のことだったかと思う。その時僕はまだデザインの仕事をしており、不規則極まりない生活を送っていて、10日間の海外出張で花さんが不在になるという事実を全く受け入れることができなかった。
「本当に行かなくてはいけないのか?」「テロが頻発しているのに行く必然性があるのか?」「2歳になったばかりの子供がいる家庭を会社は考慮してくれないのか?」など花さんに言ったとしても仕方のないことを僕は口にしてしまったりもした。結果として決定は覆ることは当然なかった。
その後、僕は転職をし、平日休みとなりはしたのだけど、以前よりかは幾分時間の規則性を保てることとなった。しかし、定時で仕事が終わったとしても、保育園の終了時刻である18時には全く間に合わないことには変わりはなかった。そのため、僕の母親に東京に来てくれることをお願いした。母は快諾してくれて、それは本当にありがたいことだった。

9月30日。僕のシフトでは休みであり、花さんのパリ出発日であった。しばらく前から、理子には「ママはしばらく遠くに行っちゃうんだよ、その代りにばあばが来てくれるからね」と言い聞かせをしていた。理子は本当に理解しているのかはわからないけれど、「うん」と大好きな親指をしゃぶりながら答えてくれた。
花さんは5時台には起きていて、支度をしていた。僕は6時過ぎに起きた。そのうち理子が起きてきて、着替えをし、支度を済ませた。
一人分の、でも10日間もの長い時間を過ごすための旅行カバンはそれなりの重さだった。7時40分の羽田空港行きのリムジンバスに乗った。

バスの中では、一番後ろの席に座った。隣には3歳の女の子が母親と座っていて、そういった状況が理子をリラックスさせてくれたのか、大きく騒いだりすることもなく、過ごしてくれた。高速に乗るまではいつも時間がかかるけれど、最終的には予定時刻に空港の到着した。
今回の旅券は、別の人が手配をしてくれていたようだった。花さんは、カウンターでパスポートとiPhoneの画面を提示し、荷物を預けていた。
11時5分のシャルルドゴール空港行き。出発までは時間があり、現地でお世話になる日本人にお土産を買ったり、カフェテリアでコーヒーを飲んだりした。花さんの膝の上に座る理子。大好きなアンパンマンのアプリで遊んでいる。場所は空港とはいえ、いつもの光景だった。でもふとした時に花さんは目を赤くし、そこには涙が溢れていた。
「理子にかわいそうなことをしちゃう」と花さんは言った。僕は持っていたハンカチを花さんに渡した。
こういう時になんて声をかければいいんだろう。
男として、「仕事頑張ってきてよ。パリでしか味わえないものがあるからそれを吸収して、僕に教えてよ」と言った。
父として、「理子のことは心配しないで。写真送るね」と言った。
夫として、「付き合ってから考えてもこんなに離れていたことないよ、寂しいよ」と言ってしまった。

出発の時間は無情にも近づいていく。花さんに抱っこされる理子。エレベーターに乗って嬉しそうに閉じるボタンを押す。出発ゲートが目に入ってくる。高校生の集団がいて、引率の先生がなにやら生徒たちに呼びかけている。
理子が走り出すので、僕は抱っこする。荷物を持ち前を歩く花さん。振り向いたとき、彼女はまた泣いていた。今度は先程よりも大粒の涙だった。
僕も泣いていた。どういう涙なんだろう。母親を理子と離れ離れにさせてしまうことに?花さんの涙を見たから?
答えは単純だ。愛している人と離れてしまう寂しさからだ。

最後に理子を抱っこする花さん。不思議と理子は泣かなかった。そして、前を歩き出す花さんに、手を振る僕と理子。姿が見えなくなるまでそれは続いた。
しばらく僕の涙は流れ続けていた。空港で涙を流しているなんて、どんな安い設定のドラマか。

「デッキがあるから、そこで飛行機が見られるよ」って花さんは言っていた。僕と理子はそこに行くことにした。巨大な敷地にいくつもの飛行機が並んでいた。これからどこかへ飛び立つものや、着陸したばかりのもの、空にはひっきりなしに機体が飛んでいるのが見える。
ここのところの雨模様とは打って変わって、大きな空は青く、ところどころに雲を作っていた。開放的な場所で理子は走り回って、飛行機の姿を認めると、「ひこうき!」と叫んでいた。しばらくそんな風に過ごしていた。
歩き回って疲れたのか、抱っこを求めてきて、抱っこ紐で理子をそこに収めると、すぐに僕の耳を触りだし、自分の親指をおしゃぶりして、眠りについた。

朝から長い移動をして、疲れたんだろう。僕はデッキから離れて、電車に乗って帰ることにした。そのことを花さんにメールした。すると電話がかかってきた。
「いってらっしゃい、パリを楽しんで。でも本当に気をつけてね」と僕は言った。
「連絡してね。こちらからも電話するね」と花さんは言った。

「愛してるよ」と僕は言った。またしても涙が出てきた。電話を切ってからもしばらくそれは続いていて、本当に弱い男だなと思った。
理子が寝てくれていてよかった。


花さんの仕事の成功と、無事の帰国を祈る。