2012年8月16日木曜日

6th day


まぶたの向こうで、ぼんやりと赤い光が見える。
意識が覚醒するにつれて、その光ははっきりと輪郭を持ち、やがていくつものランプになった。
目が覚めても、しばらくはベッドに横たわったまま、僕はそのランプの集合を見つめている。
朝日が差し込む部屋のなかでそれらのランプは、夜に比べて少し存在感をなくしている。

HANAが支度をしている横で、僕はいつも初動が遅い。
HANAが化粧を終えて、あとは髪を乾かすだけ、というタイミングになって初めて僕は着るTシャツを選び出す。
とは言え、手持ちの服は限られているので5分もあれば出かける事が可能であるが出かける直前になってトイレに行きたくなるのが常だ。

朝食は、ホテルのレストランでとった。
フルーツが豊富で、ヨーグルトとともに食べるととてもおいしい。
食後にHANAはチャイを、僕はコーヒーを飲んだ。
斜め後ろで、新聞を読んでいたトルコ人が話しかけてきた。
「日本の方ですよね?私、日本語を勉強してました」

トルコ人は勤勉だ。そして日本人に優しい。
その昔、1890年、和歌山県沖でトルコ人の船が座礁したのを、日本人が自分の身を削ってまで助けたという出来事があった。
それは現代まで語り継がれ、トルコでは教科書にも載っているらしい。
また、イラン戦争の際にも、トルコは日本人に対して尽力した。
トルコは日本に受けた恩を、今でも忘れずにいてくれているようだ。


僕たちに日本語で話しかけてきたトルコ人は、その後も現れた。
ホテルを出てブルーモスクに向かっている途中、「日本人ですか?」とおじさんが話しかけてきた。
観光客を狙った犯罪が多いから気をつけて、とホテルで言われていた僕たちはその言葉に警戒した。
僕は軽く無視をしていたのだけどうやら、ただ単に会話をしているだけのようだ。
そのうち、名刺を差し出してきた。
そこには『HIROSHI』と書かれていた。
もちろんトルコの名前が脇に書いてあったが、日本の名前も営業用として使っているらしい。
空港からホテルへ送迎の仕事をしており、彼女が日本人だという。
とても日本語が上手で、彼がその日本人の彼女と別れそうだということもよくわかった。
限りなく無害であり、また、ブルーモスクをバックに写真を撮ってくれたり、この辺には怪しい人もいるから気をつけて、と助言をしてくれた。
僕の頭のなかでは「そんなヒロシにだまされて」がリフレインしていたけれど、ブルーモスクには今の時間をさけたほうがよいというので、プランを変更し、グランドバザールへと向かう事にした。





グランドバザールは、チープな表現になるが上野のアメ横のようなものである。
歴史と規模は当然グランドバザールのほうが圧倒的ではあるが、雰囲気はとても似ている。
ここでも日本語が堪能なトルコ人が、人懐っこく接客してくる。
「落ちましたよ」と言われても振り返らず「落ちてないよー」と答えた。
なぜか僕の股間を狙ってくる輩もいたが、バザールの雰囲気を堪能した。
HANAは、全身タトゥーだらけのアクセサリー職人の店でイヤリングを購入していた。

歩みを進めて行くと、問屋街のような雰囲気の場所に出た。
トルコでは、そういったところが多いように思う。
ただひたすらにジーンズを売っている一帯があり、軍服を売っている一帯があった。
そんな場所を抜けて行くと、少し風が強くなっていった。
「もしかしたら海が近いんじゃない?」とHANAは言って、鞄からガイドブックを取り出し地図を見た。
「ここを真っすぐに歩くと海があるよ」
そう言った彼女の歩くスピードは少しだけ早くなった。
やがて空にはカモメの姿が見えるようになり、船の汽笛が響いた。

「海だ!」
二人は小さく叫んだ。
青い海にはアジアサイドとヨーロッパサイドを結ぶ船が碇泊している。
海の向こうには、茶色い屋根が連なり、所々でモスクが佇むアジアサイドが見える。
港付近のベンチで、現地のカップルに混じって海を眺める。
日差しは強いけれど、風が心地よい。
カモメがエサを狙って海面すれすれを飛行している。
知らない言葉が行き交う場所で、とても気持ちのよい時間を過ごした。
「私、この町が気に入ったわ」
HANAはどこかで聞いたことのある台詞を口にした。
僕もそう思った。

露天でムール貝のピラフが売っていたので食べる事にした。
2つだけ食べれれば良かったのだけど、食べては手渡され、食べては手渡され、と繰り返し結局10個くらい食べる事になった。
その分お金は取られるわけである。





礼拝の時間が過ぎた頃、ひとまずアヤソフィアに行く事にした。
アヤソフィアはキリスト教の聖堂として建立されたが、後にオスマン帝国によってモスクとして改められてしまったという過去がある。
その際、キリストのモザイク画などを塗りつぶしてしまったのだが、後にアメリカの調査団が入り、それらを発見した。
現在は美術館として解放されているので見学が可能だった。
中を見てみると、トルコ語のカリグラフィに混ざって、キリストを抱く聖母のモザイク画があって、とてもおもしろい。
時代をくぐり抜けてきた重みをとても感じる建物だった。





アヤソフィアを出ると、地下宮殿へと行った。これは過去貯水池として作られた場所。
何本もの柱が幻想的に並んでいて、一番奥の柱にはメデューサの顔があった。
そこを出ると、エジンプシャバザール、小さなモスクや海を眺め、待ちに待ったブルーモスクへと向かった。
町の中心にそびえるそれは、ほかの寺院と違って尖塔が4本ではなく6本あるのが特徴らしい。
重厚な作りと繊細なステンドグラスの作りがとても美しい。
丸い天井は、イタリアで見たドゥオモのクーポラを思い起こさせる。
モスクの中は信者が入る事のできるゾーンと、一般人のゾーンで別れていた。
礼拝の時間は終わっていたのだけど、ぱらぱらと人は残っており、各々が壁に向かってお祈りをしていた。

ステンドグラスの柔らかい光が辺りを包み、礼拝のお経が響く。

初めてイスラム教の礼拝を目にして、とても厳粛な気持ちになった。


モスクを出ると、日も暮れかけてきたので食事をとった。
時刻は8時を過ぎていた。
陽気なトルコ人の働くレストランで、トルコワインをボトルで、また数種類の魚を使ったプレートを注文した。
トルコ人のウェイターは皆男性だったのだけど、執拗に僕に絡んできた。
そもそもどこにいっても僕は絡まれた。
美術館でチケットを買ってもクスクス笑われ、ウェイターはにやにやして僕の肩を揉んだ。
不思議とHANAには絡まない。
どうしてだろう。
宗教的に女性に絡む事は御法度なのだろうか。
店を出るときもトルコ人ウェイターはさりげなくボディタッチ。
楽しげに違うテーブルへと移って行った。

ボトルを一本空けた僕たちは、しばらく散歩をすることにした。
ライトアップされたモスク。
翌日からラマダンと言われる断食に入るので、雰囲気がどこか違った。
僕の勝手なイメージでは、断食はとてもつらく、厳粛に行われるかと思っていたのだけど、日本で言えば、夏のお祭りのようなもので、モスクの尖塔と尖塔に電飾で文字が渡り、パレードでも始まるかのような盛り上がり方であった。
ブルーモスクの前の広場ではツーリトや地元民が酒を飲み、語らっていた。


僕たちはホテルへと戻った。
途中、ホテル手前のレストランのウェイターにまたしても絡まれた。
HANAには絡まない。
肩を組んで、写真を撮れという。
限りなく無害で愉快なトルコ人たち。
町を歩いてても思ったのだけど、男性同士がとても仲がいい。
同性愛的な雰囲気ではなく、和気あいあいと日本の中学生のように無邪気な様子だ。
僕はそんな距離に戸惑いを感じながらも、トルコという国がとても好きになった。

すぐちゃんはスルタン。
恐れ多いよスルタン。


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