2012年8月16日木曜日
7th day
世界の観光地として、イスタンブールが高いランクに位置している理由はいくつかあるのだろうけど、実際に訪れてみて思ったのは、町中にある歴史的建造物が多くあるなかで、適度に近代化され、ツーリトを受け入れる体制が、ホスピタリティが備わっていること。そしてまた、トルコ人たちの明るさに他ならないと思う。
トルコは自給率が100%とも言われている。
広大な土地に加えて、海もある。
また、政教分離を取り入れているという事から、イスラム教国でありつつ、適度に自由な部分があるようである。
国の豊かさが、人の表情に現れている。
微笑みの国はタイかもしれないけれど、トルコもなかなかである。
イスタンブールの魅力はモスクなどの歴史的建造物ばかりではない。
若者が集う町もある。
新市街と呼ばれるそのエリアでは、オールドスクールなトラムが路面を走っている。
イスティクラール通りには、欧米のアパレルショップや、デパート、おしゃれなカフェなどがいっぱい並んでいた。
僕は靴屋に入って、みた事のないニューバランスの型を見て興奮したり、
老舗のロクムの店で乙女と化していた。
しかしながら、原因不明の腹痛に見舞われていて、
デパートでトイレに行ったり、デパートでトイレに行ったり、した。
町を歩いていて気になったのはグラフで、ところどころにペインティングがされていた。
この一帯はアーティストが集まる場所らしく、張られているポスターもどこか洒落ていた。
通りを下って行くと、ガラタ塔と呼ばれる町のランドマーク的な建物があった。
入場料を払って頂上まで行くと、イスタンブールの町を360度見渡せた。
高いところから町を見下ろすと、数多くのモスクがあることが改めて良く分かった。
塔を降りた所にあるちょっとした広場で休んでいると、
人懐っこい子猫が、僕の足の上に乗ってきた。
遊んでくれと言わんばかりにツンツンしてくる姿がなんとも愛らしい。
そんな僕たちの姿を見た一人旅らしき青年が、
僕の側に座っておこぼれを頂戴するかのようにその猫に求愛の視線を送り手を差し伸べていた。
しかしその愛は届かなかったらしく、子猫はどこかへ駆け出して行ってしまった。
一旦ホテルに戻り休憩をしてから、トプカプ宮殿へと向かった。
旅のお供、地球の歩き方によると、オスマン朝の支配者の居城とのこと。
そこにはハレムと呼ばれる場所がある。
読んで字のごとく、王様が女性を囲っておくところだ。
しかしながらイスラムの掟によって、王様は直接女性と顔を合わす事はなかったらしい。
どことなく優しい色使い。繊細な模様。
窓枠一つ、壁一つとっても、どれもかわいらしく、素晴らしかった。
豪華絢爛で、均整がとれているなかにもどこか不揃いな部分も有り、人のぬくもりを感じた。
ハレムをでて、芝のある広場に行くと、欧米人たちがめいめいの格好でくつろいでいる。
カップルで芝生に寝転がりながら、本を読んでいたり、股に手を添えたりしていた。
僕たちも欧米人に習って芝生に寝転がり、空を眺めてみた。
空が青い。トルコ人はこんなにきれいな青空を見ていたから、きれいな青いタイルをつくることが出来たんだと思った。
すっかり浸っていると、警備員の人に寝転がるのをやめなさいと注意される。
向こうにいる欧米人はいいのか?といぶかりながらそこを後にした。
時刻は7時を過ぎた。
アジアサイドに行くべく、フェリー乗り場へと向かう。
ツーリストや地元民でごった返している。
僕たちはフェリーの最後尾に陣取って、沈みつつある太陽を眺めていた。
カモメがエサを求めてフェリーの後を追ってくる。
近くにいた子供がパンをちぎって空高く投げた。
カモメはうまいことそれをくちばしでとらえると、満足げに羽を広げ遠くへ飛んで行った。そんな姿を子供の両親は肩を組んで微笑みながら見ていた。
アジアサイドにつくと、しばらくベンチに座って通り行く人たちを眺めた。
日が暮れていく。
僕たちにとって最後のトルコの夜だ。
これまでの旅行の思い出を二人で語り合う。
カッパドキアの衝撃。気球から見た圧倒的な景色。
パムッカレの神秘的な白い世界。
荘厳なビザンツ建築。
魅力が溢れた国だった。
ふと広場に掲げられた巨大なトルコの国旗が目に入る。
赤い地に、星と月が形取られている。
よくよく見ればなんともロマンチックな国旗だ。
(しかしながら調べてみると、どうやら血の赤らしい)
夕飯を取ろうと、町を歩く。
至る所に猫がいる。
どうやら、町の人が餌付けをしているらしい。
魚屋の排水溝の中から子猫が何匹も出てきて親猫とじゃれ合っていた。
屋根にいる猫に向かって肉のかたまりを投げている女性もいた。
カモメがするどい目つきでその肉を狙ってもいた。
アジアサイドはヨーロッパサイドに比べて客引きがしつこかった。
そしてまた、ホームレスの姿が目についた。
こどもがティッシュを売りにきたり、物乞いをしている。
豊かそうに見える側面では、そのような現実もあった。
一通り歩いて、適当な店に入ってみたが、メニューに英語表記がなく読み解く事が出来なかった。
苦肉の策として、地球の歩き方に載っていた写真を見せて、照らし合わせるという荒技に出た。
声のでかい店のマスターはなんとか理解してくれて、厨房に発注した。
そのあとはなんとなく注文するのが億劫になってしまい、食べ物もそこそこに店を出た。
フェリー乗り場へと戻り、チケットを買おうと券売機にお金を入れるが全く反応しなかった。
軽いパニック状態になっていると、トルコ人のカップルが手助けをしてくれ、
係員を呼んでくれた。
笑顔だけ残して彼らは行ってしまったけど、トルコでは何気ないこういった優しさに
何度も触れる事が出来た。
フェリーに乗って再びヨーロッパサイドへ戻る。
路面電車を使いホテル付近まで行くと、ラマダンが始まったことを祝うためのイベントが行われていた。
ブルーモスク付近では日本のお祭りのように屋台が100メートル以上も並び、にぎわっていた。
一通り眺めてからホテルに戻った。
トルコ最後の夜が終わった。
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