恐れながら書くが、一人ではない時間が増えるというのは
ひとつの物事に対しての考え方が2つになるということである。
僕の考えと、もう一人の考え。
時にそれは同調を示し、また時には相反するものを生む。
たとえ自分と同じ価値観の人と意見を出し合っても
歌詞にあるように育って来た環境が違えばズレを生む。
ズレってきっと新しいものの創造に繋がる。
一人では行動に移さない事や発言しない事も多々ある。
二人だからやることもある。
1だとバランスが悪いけど2つになるとバランスが安定する。
そうなればいい。
29日。
遮光カーテンの隙間から覗く外の世界は青に染まっていて
まだ高い位置に太陽を上らせていた。
for mariaをステレオ装置で少し大きめの音でかけて朝が始まった。
冷蔵庫に入っていた野菜たちを鍋にぶち込んで作ったスープ。
寒いけれど窓を開けきって空気を入れ替えながらの掃除。
hanaが先日買った新しいデジタルカメラの試し撮り。
液晶のモニターの中では自然の光が肌を柔らかい白で染めていた。
各々が支度をして家をでた。
外には年末の大掃除で出された大量のゴミ。
先日までクリスマスカラーだった所に年始のお飾り。
東京駅は土産物を買う人たちでごった返していた。
hanaは妹と落ち合って新幹線の改札を抜けて行った。
二人とも乗車券を入れ違えてゲートが閉まるという同じ動きをしていて笑った。
同じ背丈の二人がそのうち寄り添って雑踏の中に消えて行く。
僕はしばらくその場所で手を振った。
二人の姿が見えなくなると僕もまた雑踏の中に消えた。
2009年12月30日水曜日
2009年12月28日月曜日
愛し合ってるかい?
写真の順番がアレですが。
気心の知れた方々と原宿のゆかりで飲んできました。
フリスビーは出来なかったけど
ピストの練習ができました。
結果的にスキッド?はできなかったけど。
そして今右足と右肩が筋肉痛ですけど。
良かった。ということにしましょう。
ゆかりでは5時近くから11時近くまで?飲んだのか。
んー。さすがに腹が出た。
昼間の代々木公園でどうやら流血事件があったみたいなんだけど
その事件の方がたまたま店にいて。
hanaさんとレジ前で話をしていたら
愛し合ってるかい?って聞かれた。ロカビリーな方に。
僕が見た限りでは、彼の愛し合ってるかい?は
到底清志郎には及ばない。説得力がなかった。
しかし昨日はたのしかったー。です。
みなさんまた来年。
2009年12月22日火曜日
2009年12月21日月曜日
マカロニ




乾燥したマカロニをそこへ投入し8分茹でる。
あらかじめ切っておいたキャベツを鍋にいれてマカロニとともに茹でる。
頃合いを見計らってザルにあげてオリーブオイルを垂らす。
人肌程度に冷ましたものを底の深い皿にあける。
コーンとシーチキン、ゆで卵をつぶしたものを入れて混ぜる。
マヨネーズと黒こしょうを適量いれる。
マカロニグラタンの完成である。
いやー
しかし冬は体の乾燥が半端ない。かゆすぎる。
静岡では、かじると言う。かくことを。
★日曜日
ツイッターって便利ですね。
たまたま集まった男4人で初台のhubで軽く飲む。
ICCで行われている展示を見ようというものだったのだけど
僕は結局展示を見ないままに、ただ飲むだけ飲んで中目黒へと行った。
友人がDJをするというので行ったのだが彼の出番が終わるとすぐにでた。
冬の風は服の隙間をめざとく見つけて入り込んでくる。
寒いですね。
今年も後10日ですが
1月1日になれば今年もあと364日ですねってなるだけのことよ。
2009年12月18日金曜日
piste二日目
先日某筋から購入したピスト先生にライドオンして街中を駆け抜けて来た。
とりあえずライトとカギを購入。
渋谷の駅前は押して歩きました。
まだあんなところ爆走できません。
そして運転しながら左足を入れる事ができなかったので
壁によりかかって左足を入れてから発車してますた。
広尾にある、といっても住所は南麻布でしたがフランス大使館に行ってきました。
そこは取り壊される大使館で、おばさんたちに「これなに?理解できないわ」
と言われるようなものをつくるアーティストさんたちに解放されていました。
僕もおばさんたち同様理解できませんでした。
その後アイフォンさんで、近くでなにかギャラリーはないかと思って探したら
近くにあったので行ってみました。エモンフォトギャラリーというところです
http://www.emoninc.com/
クリストファーバックローさんの写真の展示です。
これはよかった。実に。おすすめします。近くに用があったら是非行ってみて下さい。
この頃にはもう日は暮れていて、前と後ろにライトをつけてチカチカと光らせながら
明治通りを疾走してました。いや嘘です。そろそろと運転してました。
しかしあれですね。
ケツが痛い。
チャリを漕いでたら異様にチョコレートが食べたくなりました。
血糖値が下がったんでしょうか。
真っ先に家に帰りました。
そして家の前の直線道路で左足をペダルのアレに入れる練習をしました。
そして満足して家に帰ってチョコ食べました。一袋も。満足しました。
でもまたコンビニで100円のチョコレートを買いました。
寒かったから甘いものが欲しかったのだと推察します。
終わり。
とりあえずライトとカギを購入。
渋谷の駅前は押して歩きました。
まだあんなところ爆走できません。
そして運転しながら左足を入れる事ができなかったので
壁によりかかって左足を入れてから発車してますた。
広尾にある、といっても住所は南麻布でしたがフランス大使館に行ってきました。
そこは取り壊される大使館で、おばさんたちに「これなに?理解できないわ」
と言われるようなものをつくるアーティストさんたちに解放されていました。
僕もおばさんたち同様理解できませんでした。
その後アイフォンさんで、近くでなにかギャラリーはないかと思って探したら
近くにあったので行ってみました。エモンフォトギャラリーというところです
http://www.emoninc.com/
クリストファーバックローさんの写真の展示です。
これはよかった。実に。おすすめします。近くに用があったら是非行ってみて下さい。
この頃にはもう日は暮れていて、前と後ろにライトをつけてチカチカと光らせながら
明治通りを疾走してました。いや嘘です。そろそろと運転してました。
しかしあれですね。
ケツが痛い。
チャリを漕いでたら異様にチョコレートが食べたくなりました。
血糖値が下がったんでしょうか。
真っ先に家に帰りました。
そして家の前の直線道路で左足をペダルのアレに入れる練習をしました。
そして満足して家に帰ってチョコ食べました。一袋も。満足しました。
でもまたコンビニで100円のチョコレートを買いました。
寒かったから甘いものが欲しかったのだと推察します。
終わり。
2009年12月17日木曜日
ride on
今日自転車を買った。
以前、ツイッターで「どう考えてもチャリが欲しい」とつぶやいたら
友人が反応してくれて「当てがある」と言った。
そして今日、水曜日。
彼は僕に電話をくれた。自転車があるぞ。
2時に落ち合った。
目的の場所まで某党の諸悪の根源について話した。
japan is dead soon
目的の場所は明言できないが定価の半分でそれを譲ってくれた。
それはspecializedと言った。
メンテナンスをしてくれて、試乗してこけた。
それからは腰が引けつつ、押しつつ家まで運んだ。
一度友人の家に行き、パーツを交換した。
その後近くの気持悪いお好み焼きやに行ってご飯を食べた。
律儀な彼は、僕の家まで送ってくれた。
ピストは乗りたてが肝心なのである。きっと。
最初は判断力がないのでここを曲がるとか、スピードを落とせとかの指示をくれた。
実に助かった。
その後、彼は僕の家にあがりビールを飲んだ。
そして日本酒を熱燗にして飲んだ。
一本空いた。
そして彼は今毛布にくるまれて寝ている。
僕は日記を書いている。
そろそろ歯を磨こう。
明日からは自転車のある生活が待っている。
かなりわくわくすることをここに宣言しておこう。
以前、ツイッターで「どう考えてもチャリが欲しい」とつぶやいたら
友人が反応してくれて「当てがある」と言った。
そして今日、水曜日。
彼は僕に電話をくれた。自転車があるぞ。
2時に落ち合った。
目的の場所まで某党の諸悪の根源について話した。
japan is dead soon
目的の場所は明言できないが定価の半分でそれを譲ってくれた。
それはspecializedと言った。
メンテナンスをしてくれて、試乗してこけた。
それからは腰が引けつつ、押しつつ家まで運んだ。
一度友人の家に行き、パーツを交換した。
その後近くの気持悪いお好み焼きやに行ってご飯を食べた。
律儀な彼は、僕の家まで送ってくれた。
ピストは乗りたてが肝心なのである。きっと。
最初は判断力がないのでここを曲がるとか、スピードを落とせとかの指示をくれた。
実に助かった。
その後、彼は僕の家にあがりビールを飲んだ。
そして日本酒を熱燗にして飲んだ。
一本空いた。
そして彼は今毛布にくるまれて寝ている。
僕は日記を書いている。
そろそろ歯を磨こう。
明日からは自転車のある生活が待っている。
かなりわくわくすることをここに宣言しておこう。
2009年12月15日火曜日
病院
舌にしびれを感じる。
しばらくずっと吸っていなかった煙草を、このところ吸うようになったからだ。
始めは土産でもらった怪しげな煙草だったが、
その後HOPEを吸い、1ヶ月もしないうちに元々吸っていたCOOLに戻ってしまった。
久々に早く起きて、総合病院へと行った。皮膚科だ。
あらかじめ別の病院で紹介状をもらっていたのですぐに診察となった。
キングオブコメディの顔の面白い方みたいな先生だった。
足が小刻みに揺れていて、つまりは貧乏揺すりをしていた。
手術をするリストがちらっと見えたのだけれど
この世の中には手術しなくてはならない人で満ちあふれているようだった。
来年の始めに手術する事になった。
一応頭の手術だから、ということもあるのだろうけれど同意書にサインをした。
そして採血することになった。
採血場と書かれた場所に行くと、そこはまるで鶏の頭を切除する工場のように、
システマチックに効率的に血を採っていた。
透明な容器に、赤とは言えないどす黒い血が吸い込まれていくのを見る。
僕に順番が回って来て、台に手を置いて拳を軽く握る。
50歳近い看護婦の胸が、僕の握った拳の先に当たっている。
規定の量の血が吸い取られると手際よく針を抜き、消毒した。
5分は手で押さえて止血して下さいという。
しばらく老人たちにまぎれながら5分を過ごした。
そして時間が経過すると脱脂綿をゴミ箱に捨てた。
大量の血を見るよりも、赤い血の付いた脱脂綿がいくつも捨てられている様を見ると
軽く気持が悪くなった。
しばらくずっと吸っていなかった煙草を、このところ吸うようになったからだ。
始めは土産でもらった怪しげな煙草だったが、
その後HOPEを吸い、1ヶ月もしないうちに元々吸っていたCOOLに戻ってしまった。
久々に早く起きて、総合病院へと行った。皮膚科だ。
あらかじめ別の病院で紹介状をもらっていたのですぐに診察となった。
キングオブコメディの顔の面白い方みたいな先生だった。
足が小刻みに揺れていて、つまりは貧乏揺すりをしていた。
手術をするリストがちらっと見えたのだけれど
この世の中には手術しなくてはならない人で満ちあふれているようだった。
来年の始めに手術する事になった。
一応頭の手術だから、ということもあるのだろうけれど同意書にサインをした。
そして採血することになった。
採血場と書かれた場所に行くと、そこはまるで鶏の頭を切除する工場のように、
システマチックに効率的に血を採っていた。
透明な容器に、赤とは言えないどす黒い血が吸い込まれていくのを見る。
僕に順番が回って来て、台に手を置いて拳を軽く握る。
50歳近い看護婦の胸が、僕の握った拳の先に当たっている。
規定の量の血が吸い取られると手際よく針を抜き、消毒した。
5分は手で押さえて止血して下さいという。
しばらく老人たちにまぎれながら5分を過ごした。
そして時間が経過すると脱脂綿をゴミ箱に捨てた。
大量の血を見るよりも、赤い血の付いた脱脂綿がいくつも捨てられている様を見ると
軽く気持が悪くなった。
2009年12月12日土曜日
2009年12月11日金曜日
カメラ!カメラ!カメラ!
新宿に17時。
革ジャンに鋲を打ちまくった刈り上げ1号が、青いマフラーを巻き
白いレペットの靴を履いて現れた。
数分後、襟足刈り上げ2号がレイバンのサングラスをかけて改札を抜けてやってきた。
3人は仕事帰りの人並みを抜けて歌舞伎町の奥深くに進んでいく。
果たしてたどり着いた先は、一人がやっと通れるような狭い道で
ドラクエのパーティよろしく3人が1列に並んで進む。
入り口の横には、洗い物をする水場があった。
やけに声の小さい現地の方の案内で店の奥に進むと
60過ぎのおっさんたちがマニラだのドヴァイだのの話をして盛り上がっていた。
うちらはゆとりだからよー、と戦時中に生まれた生まれたであろうに
そんな話をしていた。
我々はチンタオビールで乾杯し、それからは場所に似合った話題に突入した。
女の子にはどんなパンツを履いて欲しいか。
詳しい内容は割愛する。性癖は個人を尊重されるべきなのである。
2時間飲んでも、まだ7時だ。
歌舞伎町を徘徊し、また別の店に入る。
1杯飲みきった頃に、仕事帰りのカメラマンがやってきた。
彼もまた革ジャンだった。
乾杯し直して飲み続ける。
自然と彼らは各々のカメラを取り出してバシバシと取り出した。
僕の愛機GRDは、自宅の玄関先で眠っていた。
所在無さげな僕を尻目に、カメラマンによるプチ講義が始まっていた。
何時間か飲んだ頃になって、昼間筋トレしまくって疲弊しきっていた一人が
テーブルに頭をつけて眠り始めた。
時折顔を上げてにこっと微笑みピースをみんなに送るとまた机に突っ伏すというのを
少なくとも5回は繰り返していただろう。
12時前になって、そろそろ帰りますかとなり
革ジャン黒パンツな二人は闇に消えていき
僕と眠り人は京王新線に乗って帰った。
次こそはカメラを持っていこう。
革ジャンに鋲を打ちまくった刈り上げ1号が、青いマフラーを巻き
白いレペットの靴を履いて現れた。
数分後、襟足刈り上げ2号がレイバンのサングラスをかけて改札を抜けてやってきた。
3人は仕事帰りの人並みを抜けて歌舞伎町の奥深くに進んでいく。
果たしてたどり着いた先は、一人がやっと通れるような狭い道で
ドラクエのパーティよろしく3人が1列に並んで進む。
入り口の横には、洗い物をする水場があった。
やけに声の小さい現地の方の案内で店の奥に進むと
60過ぎのおっさんたちがマニラだのドヴァイだのの話をして盛り上がっていた。
うちらはゆとりだからよー、と戦時中に生まれた生まれたであろうに
そんな話をしていた。
我々はチンタオビールで乾杯し、それからは場所に似合った話題に突入した。
女の子にはどんなパンツを履いて欲しいか。
詳しい内容は割愛する。性癖は個人を尊重されるべきなのである。
2時間飲んでも、まだ7時だ。
歌舞伎町を徘徊し、また別の店に入る。
1杯飲みきった頃に、仕事帰りのカメラマンがやってきた。
彼もまた革ジャンだった。
乾杯し直して飲み続ける。
自然と彼らは各々のカメラを取り出してバシバシと取り出した。
僕の愛機GRDは、自宅の玄関先で眠っていた。
所在無さげな僕を尻目に、カメラマンによるプチ講義が始まっていた。
何時間か飲んだ頃になって、昼間筋トレしまくって疲弊しきっていた一人が
テーブルに頭をつけて眠り始めた。
時折顔を上げてにこっと微笑みピースをみんなに送るとまた机に突っ伏すというのを
少なくとも5回は繰り返していただろう。
12時前になって、そろそろ帰りますかとなり
革ジャン黒パンツな二人は闇に消えていき
僕と眠り人は京王新線に乗って帰った。
次こそはカメラを持っていこう。
2009年12月10日木曜日
プラス
たとえばなにか一つの事が生活のなかに入り込んで来て
それが普通になってしまうと、1+1のままなのかもしれない。
そうなるまえに、自分が1以上になれば、それは2以上になりうるのか
とか思ったりしている。
もしかしたら、それは+とか2乗という概念ではなく
もっと人生に彩りを添えるものになりえるのかもしれない。
自分が1ですらない状態では他の要素が入って来ても
なにも変わらないかもしれない。
逆にその要素が入って来た事で化学反応を起こして
自分は数字では表せない存在にもなりうるかもしれない。
それは結局結果論というやつなんだけど。
恐らく人と言うのは数字で言うとかなり振れ幅のあるものだと思う。
こんなことを書くとメンヘラちっくなんだけれども
絶えず自分を流動的にしている部分を作らないといけないなと。
これは当たり前なのかもしれない。流動的というのは。
なぜなら環境が人を変える事も多分にあるから。
だったら自分の力で環境を変えなくてはいけない。
停滞していては五感が鈍る。
環境で変わる部分と、変わらないコアな部分。
その両方を確かに持っていきたい。
外は静かな状態で、一人for mariaを聴きながら
夜中のこの時間にふと自分を見つめ直す。
1226が楽しみであるなー。
それが普通になってしまうと、1+1のままなのかもしれない。
そうなるまえに、自分が1以上になれば、それは2以上になりうるのか
とか思ったりしている。
もしかしたら、それは+とか2乗という概念ではなく
もっと人生に彩りを添えるものになりえるのかもしれない。
自分が1ですらない状態では他の要素が入って来ても
なにも変わらないかもしれない。
逆にその要素が入って来た事で化学反応を起こして
自分は数字では表せない存在にもなりうるかもしれない。
それは結局結果論というやつなんだけど。
恐らく人と言うのは数字で言うとかなり振れ幅のあるものだと思う。
こんなことを書くとメンヘラちっくなんだけれども
絶えず自分を流動的にしている部分を作らないといけないなと。
これは当たり前なのかもしれない。流動的というのは。
なぜなら環境が人を変える事も多分にあるから。
だったら自分の力で環境を変えなくてはいけない。
停滞していては五感が鈍る。
環境で変わる部分と、変わらないコアな部分。
その両方を確かに持っていきたい。
外は静かな状態で、一人for mariaを聴きながら
夜中のこの時間にふと自分を見つめ直す。
1226が楽しみであるなー。
2009年12月4日金曜日
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