2025年5月8日木曜日

台湾最終日

台湾4日目。翌日の朝には飛行機に乗るので、この日が観光の最終日である。

食事を済ませ、部屋に戻り支度をする。しかし備え付けられた巨大なテレビには、なぜここで、というものが映し出されていた。ネットフリックスのタイムレスプロジェクトであった。

続きを見たがる理子をテレビの前から引き剥がし、部屋からようやくの思いで飛び出した。


この町には台湾シャンプーというのがあるらしく、女性陣はまずその店に向かった。僕は一人で街をぶらぶらと歩くことにした。体感的には碁盤の目のようにわかりやすい道だと思った。

そして、この町だけがそうなのかもしれないけれど、アーケードのように道は建物のなかにあるので、日差しが直接当たらなくて歩きやすかった。相変わらず物珍しいタギング、グラフィティを見て歩いた。そして台湾といえばNOE246であるが、ようやくそのステッカーを発見した。

一人の町歩きだからちょっとした不穏な空気感のある路地裏に入ってみたり、朝から営業している屋台のような店を覗いてみたり。急にもトイレに行きたくなって「台湾 トイレ」と検索したりしてコンビニに駆け込んだりもした。

この町にはファミリーマートがやけに多かった。数分歩けば小さな間口のそれが見つかった。台湾での名前は『全家』と書いてあったそのネーミングも面白い。

それとモスバーガーも多かったし、大戸屋もあった。その辺りは韓国とは違うカルチャーである。


シャンプーが終わったと連絡があったので、3人と落ち合った。感想を聞いたところ思っていたようないわゆる台湾シャンプーではなかったらしい。これも旅のスパイスであろうか。

この日は猫カフェに行くことになっていて、電車で違う街へ移動した。三越があったりするようなエリア。その三越の一階にはLE LABOがあり、サンタマリアノヴェッラがあった。良い香りに包まれた空間だった。その奥にはニューバランスとビームス。どういったコンセプトなのかわかりかねるけど、その辺が売れ線ということなのだろう。

最上階には誠品書店があった。こういったカルチャーに触れるのはやはり楽しいものだ。

花さんは目的の店があったようで、その店で土産物を物色していた。

僕はフロアをぶらぶらとしてみたのだけど、三越という日本でのイメージとは全く違っていて、小さな店が多く点在していた。ハンドクラフト的な店や、アクアリウムの店、ファンシーショップなど。日本の三越的な感覚でいると不思議な規模感だった。


その後は小籠包が美味しいという店に向かった。

蟹味噌風味の小籠包と普通のもの、チャーハンと玲用にラーメン。空芯菜の炒めものに、台湾ビールを注文した。

料理を待っている間のような、こう言った手持ち無沙汰な時、玲はYouTubeを見ていたけれど、理子は持参していた「世界一クラブ」を読んでいた。YouTubeを見たいということは稀だった。電車に乗ってる時、バスに乗ってる時、カバンからこの本を取り出して読んでいた。なんだかとても素敵な習慣を身につけたものだ。


料理が続々と届いた。小籠包はやはり美味しいし、円卓をくるくると回して料理を取り分けるのも本場感あっていいものだった。食事が楽しいと旅行自体の格が上がるような気がする。


満腹の状態で猫カフェのある街へ移動した。ここは日本で言えば渋谷原宿のような街だった。駅を降りるとH&Mや若者向けの店が軒を連ねるような場所だった。

あらかじめ予約していたのですんなりと入店する。5-6匹はいたのではないだろうかという猫たちと、ポメラニアン。

店のシステムとして一人500元は使わなくてはならないらしいが、満腹な我々にそれはむずかしいことだった。レインボーケーキや、猫の形をしたボトルに入った紅茶やあまいピンク色の液体を注文したけれど、そもそも子供たちは席に着くことはなく、猫を追いかけて店内をあっちに行ったりこっちに行ったりとしていた。


いつぞや日本で体験した猫カフェとは何もかもが違っている。まず衛生観念が違う。ひょいっとテーブルに乗ってくる猫がいるのに、普通に食事ができるスタイルだからである。隣のテーブルではがっつりパスタを食べていたが、糞尿の匂いがする中では自分にはちょっとできない芸当である。

良い点としては猫や犬がとてもフレンドリーということである。撫でても拒否されることがあまりないので、理子も玲も嬉しくて仕方がないといった感じだった。僕も動物からしか得ることのできない癒しを堪能していた。

花さんも堪能していた結果、普通に寝てた。よほどリラックスできたようだ。

店員の男性は最初現地の言語を話してきたけれど、私がジャパニーズオンリーソーリーなことを伝えると少し悲しそうに、でもなにかを伝えてくれようとした。それはこうすればもっと猫が懐いてくれるとか、いま写真を撮ったほうがいいなどの楽しむ方法の伝授だった。そういった気持ちはとても嬉しいものだった。

タイムリミットとなり、会計をすると、一人500台湾ドルで2000台湾ドル、それになんやかんやとついて、支払いがなぜか米ドル支払いになって1万円を超えていた。キャバクラに行ったらこういう気持ちになるのかな、と思った。


平日というのにこの町は人で溢れている。もちろんツーリストも多いのだろうが、そもそもの熱量みたいなものが根本的な部分で存在している気がする。昔の日本もそうだったのかもしれない、と思うが、渋谷も外国人から見たら僕と同じように熱量を感じるのかもしれない。

僕にとって2度目の台湾は、前回とは全く違っていた。成長した子供が意思を持って行動していたし、旅の姿というのはこれからも毎回何かしら違ってくるのだろうと思う。結局そのうち夫婦だけでいく、という旅行になったりするのかもしれない。


最後の食事はホテルの近くのルーローハンが美味しい店だった。

食事はもちろん美味しかったが、中年の集団が部屋を貸し切っていて、誰かの誕生日を祝っているらしいその様子が

とても自由で楽しそうに見えた。月曜日だというのにだ。この国はいい国なんだろうと思った。


翌日、日本に帰国した。台湾では降らなかった雨模様だった。

雨にはじまり雨に終わる旅だった。

次はどこへ?花さんに聞いてみるともう次の旅のプランが頭の中にあるらしい。彼女は嬉しそうに笑った。






2025年5月7日水曜日

台湾3日目

泊まったホテルは良いホテルだった。洗面台は2つあり、どういうわけかシャワールームとバスルームと別々の構造だった。部屋の中にはモダンなアートが飾られている。キャプションが付けられているところを見ると、本物のようだった。大きめのベッドが二つ堂々と鎮座しており、入った瞬間にこの部屋はいい部屋だと思わせるには十分な設備だった。

朝食はビュッフェタイプで、卵料理はどういうったものがいいかとあらかじめ聞かれた。我々は無難にオムレツをお願いした。

初めて見る野菜を食べてみようと思うのは、外国にいる高揚感がもたらしたもののような気がする。それを実際に口にしてみるとアロエのようにパリっとはじけた。世の中には知らないもので溢れている。


今日はバスツアーを予約しており、朝ご飯を食べ終えると集合場所の駅へと足早に向かった。

黄色いポロシャツを着た中年のツアーガイドさんはサイファーと名乗った。髪型は角刈りで、失礼ながら性別がよくわからなかった。

全部で13グループ参加しており、我々はグループ9だった。

バスに乗り込むと、日本人は固まって座ってくれと言われた。英語を理解しない人種だと思われているらしく、個別に色々話しかけるのが面倒だからであろう。

欧米人はいなかったけど実に多国籍なメンバーだった。


我々を乗せたバスはひた走り、最初の目的地である中社フラワーパークへと向かった。

バスを降りるともわっとした空気が漂い、肌をじっとりと湿らせた。不快度がマックスになったらしい理子は口がとんがっている。実にわかりやすい子である。

ガイドのサイファーは、何分後の何時何分にここに集合してください、絶対に遅れないようにと念を押した。


いろいろな花がいろいろなオブジェとともに構成されていて、映えスポットということらしい。ピアノを模した置物や、ドラムセットが置かれたりしている。子供たちは花々を見ても、大きな感動を見せないようだった。大人の方が楽しんでいたかもしれない。

いろいろな場所を見て回ると、同じツアーにいた男性がなにやら女性の前でひざまづいていた。

「ん?もしかして・・・」

男性の手元には指輪が収められているであろうケースがあった。

「サプライズだー!」と一気にテンションが上がる我ら夫婦と理子。

これからバスツアーで1日行動を共にする人にサプライズでプロポーズするなんて、よほど確信がないとできないであろう。

どうやら女性はそのプロポースを受け入れたらしい。たまたま同じツアーに参加しているだけではあるけど、大きな拍手を送った。


その後、暑さもあって早々に集合場所へと向かった。売店で押しの強いおじさんにお茶を買わされる。奥でお茶を飲んでるカップルに「あーあ、買わされてるよ」といった顔をされた。

集合時間になり、ガイドのサイファーもやってきて、ツアーのメンバーを確認し始めた。しかしグループ10は現れなかった。早速イライラしている様子であった。

ルールを守っているメンバーたちはバスに乗り込んで、グループ10が現れるのを待った。

そしてしばらくしてから彼らはやってきた。プロポースをしていたグループだった。

そしてサイファーは「きみたちは他のメンバーの時間も使っているんだ」と注意をした。

「残っててもいいけれど、私が迎えにくるのは3日後だ」とジョークを交えていた。そういったサイファーのジョークはバスの中を楽しい雰囲気にさせていた。

きちんと的確に注意しているんだけど、しらけた空気を作らないというのはものすごく力量のいることだと思う。

僕は単語しか聞き取れないので、Googleの翻訳アプリを膝下においてリアルタイムにアナウンスを日本語に訳していた。


その後宮原眼科という場所へと向かった。ここはもともと日本人が建てた本当に眼科として経営されていた場所らしい。そこは今ではハリーポッターに出てきそうな本棚で埋め尽くされた空間とのこと。

現地に到着し、バスを降りる前にまたサイファーはみんなに告げた。

「リメンバー・・・」絶対に集合時間を忘れるなよということである。

この後も目的地に到着する時にはサイファーは繰り返してこの言葉を言った。


チキンの店で昼食を食べ、有名らしいアイスクリーム屋へと行ったのだけど超満員だった。

その後、宮原眼科に入ってみると確かに天井まで届きそうな本棚。クラシックなのにモダンな空間だった。今ではそこはお菓子が売っていたり、アイスが売っている。ここでも人でごった返しており何も買うことができなかった。

結局その建物のすぐ前を流れている川辺で時間を潰すことにした。他のグループのメンバーも同じように過ごしていた。

川には魚が生息していて、子供たちはその辺にあった葉っぱをちぎって魚にあげていた。

自然が近くにあってそこで過ごせるというのはやはり落ち着くものだった。


集合時間になったのでバスに戻る。サイファーによる点呼があり、順番に番号を言っていき、グループ10と告げると

「Woohoooo!」と元気いっぱい返事をしていた。どうやら彼らはフィリピーナらしいがバスの中が笑いに包まれたのは言うまでもない。

その後オペラハウスを見学したり、レインボービレッジという村に行ったりした。

この村では願い事を書く場所があり、我々もそれぞれがもらった紙に書いていた。

また家族で旅行に来れますように


最後の目的地は高美湿地というウユニ塩湖のような鏡面になる場所だった。

風がとても強く吹いており、風力発電がそこらにあった。僕らは髪をもみくちゃにされながら移動した。

桟橋は1キロ近くあるらしく、その脇には小さなカニがたくさん生息していた。

どういうわけかその蟹の色は白く、片方の手がその体に対しておかしいくらいとても大きかった。天敵に狙われ放題に見える。


注意をまともに聞いてなかった人たちの帽子が桟橋の向こうに飛ばされていてアディダスの帽子に哀愁が漂っていた。


桟橋の先端からは靴を脱いで浅瀬の中に入っていけるようだった。僕らはそこから先へは行かなかったけど、なんともその光景は不思議だった。

本来は太陽が沈む姿を見ることができるらしいけど、この日はあいにく拝むことはできなかった。

こうして最後の目的地を堪能してツアーは終了した。

帰り道は2時間近くかかりながら、朝集合した駅に戻った。

サイファーが最後のまとめのような挨拶をしていたのだけど、どうやら日本人の他のグループの女性が明日誕生日らしい。

サイファーが盛り上げてみんなで「ハッピバースデートゥーユー!」と歌った。こんなにいろいろな人種たちが集まった空間で歌ったことなど人生でなかった。プロポーズの現場を目撃したり、誕生日を祝ったりと、素敵なツアーだったなと思った。


電車に乗ってホテルまで戻ったのはすでに22時近かった。

夕飯を食べていなかったので、ホテル近くにあった屋台で食べた。

コンビニで買ったビールを飲みながら、名前の思い出せないようなそれを食べているのは、旅をしてるなぁと実感させるには十分だった。花さんはとてもリラックスして楽しんでいる表情をしていた。

夜中なのに力強い街。それが台湾の魅力の一つなのかもしれない。




台湾二日目。

ハンマーを持った巨大な猿がやってきて僕の頭を打ちこんで倒れこんだような、暴力的な眠りから目を覚ますとそこは台湾のホテルで、朝だった。久しぶりに村上春樹を読むとこういった現象が起きる。

窓の向こうは喧騒が広がっている。空港の近くということもあってか朝から交通量も多い。大量な原付バイクが道路を埋め尽くしている。これぞ台湾という感じがする。

遮光カーテンの向こうにはレースカーテンなどなく、すっかりと晴れた空模様が広がっていた。傘は必要なさそうだった。

夜中に到着していて疲れていると思うのだけど、割とみんなちゃんと起きることができて、ホテルの朝食をとりに行った。

日本人が多く、台湾感が若干薄いのだけど、用意されたビュッフェの料理を見ると、やはりここは台湾なんだなと思う。南国風なフルーツが目につく。

食堂の窓の外を眺めると、レインボーカラーの古そうな橋が見えた。そしてそこには風がなく元気のない鯉のぼりがかけられている。

鯉のぼりの起源が日本であるなら、それは台湾が日本に対して友好であるという印かなと思った。


ご飯を食べ終えると、僕と理子は階段を使って11階まで駆け登った。エレベーターがなかなか来なかったからである。余計な体力を使ってしまうところが、なんともGWの初日っぽいエピソードだ。


部屋に戻り、支度をしていると不穏な空気が花さんから漂ってきた。

「ケータイがない」サブのケータイが見当たらないのだ。

ひっくり返せるものをひっくり返し、何度も同じ箇所のファスナーを開け閉めしても、そこにあってほしいスマホを見つけることができなかった。

結論としては「飛行機の中で座席前の荷物入れにスマホをなにげなく入れたままである」ということになった。そしてiPhoneの位置を調べると、やはり空港内にあることが確認できた。

空港近くのホテルだったということがせめてもの救いである。電車に乗る必要がある距離感ではあるけれど、空港へ向かった。

英語話者である花さんが、カウンターの女性に話を聞くと、ここを曲がってあそこを曲がってエスカレーターで登っていったこのあたりに警官がいるからそこで受け取ってくれという。

お礼を言って、その場所へと辿り着くと警察官がおり、その手には見慣れたiPhoneが握られていた。

きちんとロックが解除されることを確認した上で、受け取りのサインをしことなきを得た。

旅のスパイスたっぷりであった。こういった時に疲れたとか、面倒だというネガティブなことを言わないことは、子供達のいいところであろう。

そこから電車に乗って、台北市内へと向かった。

車窓からは、高層なビルディング、そして建設中の鉄筋の骨組みも多く見えた。

これからも発展していくであろう光景である。と思えば熱帯感あるモリモリとした力強い木々が姿を見せる。活気があるというのは自然の姿からも垣間見ることができるようだった。エネルギーの強さが人工的なものと自然とで合わさっているようだ。

花さんが予約してくれていたホテルで荷物を置き、街を観光する。

僕は街中にあふれるタギングを見て回るのが楽しく、時々立ち止まっては写真を撮った。

気の利いた雑貨屋さんが多く点在していて歩き回るのが楽しい。僕はとある店で見つけた練り香水が気に入った。理子も気に入った香りを見つけたようだったので一緒に買った。まだ馴染まない日本円換算をしながら買い物を楽しんでいた。

下調べをしていたクッキー屋さんにいったり、かき氷屋さんでイチゴのかき氷を食べると、あまりの美味しさに、マンゴーのかき氷をおかわりしてしまった。

台湾のセントラルパーク、と花さんが称した公園では大量の野良リスと見たことのない大量の鳥がいた。台湾の公園には主に老人が使うであろう健康器具があり、それは子供たちのおもちゃと化していた。

とにかく人がたくさんいて賑やかだった。ただ混乱というわけではなく、賑やかさのなかにも秩序があるように感じ、人が集まるという理由はそういったことにも起因するのかもしれない。

玲はブランコに乗りたいというので順番を待って乗った。遊びたい遊具も子供なりの秩序が存在していた。良い公園だった。


しばらく遊んだのち、ホテルに戻った。そして花さんが予約してくれていた店に行き夕飯を食べた。

この店は予約が必須、しかもなかなか取れないらしい。

気になった料理を一通り頼んだ。

僕は揚げパンや、ひき肉といかと高菜の炒め物が気に入った。そして鮮度の高い台湾ビールはとてもさっぱりした飲みごごちで美味しかった。花さんが絶品だと言っていたエリンギの唐揚げはとても香ばしく、玲もよく食べていた。食事の好みが合うのは安心する。

僕は結局高菜の炒め物を追加した。それをチャーハンにかけたり、麺類にトッピングするととても美味しかった。


夕飯を食べ終えてホテルへと帰る。

相変わらず、昼夜問わず、原付バイクは彼らなりの秩序を保って道路を牛耳っている。クラクションがあまり鳴ることがないというのがその証拠であろう。

僕はやはりシャッターに描かれたタギングを目で追い、家族の楽しそうな後ろ姿を眺めては、台湾の居心地の良さを楽しんでいた。

2025年5月6日火曜日

台湾旅行

「学校に傘置いてあるって言ってたけど、大丈夫かな?」 

朝は降っていなかったのだけど、子供たちが学校に行ってからしばらくすると容赦なく雨が窓を叩きつけていた。

GWをほんの少しだけ早く始めることにした僕と花さんは在宅で仕事をしていた。窓の向こうは見事なまでの雨模様である。

昼食は家で昨夜の残り物を食べたが、全てを食べ切ることができなかった。我々の胃袋は40歳を過ぎた頃から急に小さくなっていってしまったようだ。それなのに腹は出てきてしまうから、中年の体型というのは都合よくいかないものである。

花さんが学校まで玲を迎えに行く間、僕は食器を洗い、生ごみを片付けた。

傘はきちんと学校にあったらしく、また、靴が濡れることもなく玲は帰ってきた。

そして仕事を続けた。


16時前に理子は帰ってきた。こちらは雨足が強まっていたこともあって、バケツをひっくり返したようなずぶ濡れ具合であった。履いていくはずの靴はびしょびしょである。
一縷の希望を託し、布団乾燥機のホースを両足に突っ込んでみた。出かけるまでの30分で乾くのか試したのである。

果たして、見事に靴は乾いた。アイリスオーヤマに感謝した。しかしとうの理子は、もうその靴を履いていく気分ではなくなったらしい。お出かけ用の靴で行くという。

雨がほんの少し弱まるらしいことをアプリで確認し、そこを見計らって家を出た。
空港に行くために渋谷駅を経由しなくてはならないことほど気持ちを萎えさせるものはないと言ってもいい。本当にこの駅が大嫌いだ。
みんなが思っているであろう「人が多すぎる!」という状態に一役買っている状態の自分達である。訳のわからない迂回と混雑を抜けて、成田エクスプレスに乗り込む。花さんはこの時点で既に外国人に話しかけられ人助けをしていた。

花さんが予約してくれたシートに深く腰掛け、本棚から悩んで持ってきた『国境の南、太陽の西』を読む。

空港に着くと、一通りの手続きをしてから、時間が少し空いたのでたこ焼きを食べた。どうしてたこ焼きだったんだろう?日本をほんの少しの期間離れるというのはソース味を欲することなのかもしれない。

巨大なガラス窓の向こうにある景色は、控えめに言って嵐のようだった。
「これで本当に飛行機飛ぶのかな?」と理子は心配そうに呟いた。
「飛ばない訳ないじゃん、大丈夫だよ」と僕は何の気なしに返事をしたが、本当に飛ばなかった。

予約された座席に座って、英語、中国語、日本語でアナウンスがされ、着席とシートベルトを促してからしばらく経った。ところが全くと言っていいほどに機体は飛行のステップを踏もうとしない。
「機長が受けた報告では」と何度キャビンアテンドが我々に告げただろうか。
あと20分で・・・
あと50分で・・・
あと20分で・・・

僕は一度オフにしたスマホの飛行機モードを解除し、雨の今後の動向をチェックした。どうやら数分後に雨が降り止むようだ。
そのタイミングがやってきて、飛行機は滑走路へと移動。
いつもより大きな揺れを伴って台湾へと飛びたった。


台湾には予定よりも数時間遅れて到着した。飛行機を降りると、夜中というのにまったりと暖かい。
タクシーに乗って空港近くのホテルへ。
ダブルブッキングという旅のスパイスを経て、キングサイズのベッドが二つ並ぶという広々とした空間で我々は寝た。翌日から僕にとっては8年ぶりの台湾観光である。
しかしこの時点で実はもう一つの旅のスパイスが待ち受けていたのであった。