2021年7月22日木曜日

備忘録

 自転車に乗って駅前を通る。

ふと、目に入ったのはオリンピックの五輪マークがプリントされたユニフォームのようなものを着た外国人。ホテルの前で何かを待っているような雰囲気だ。平時であったなら「いったいどこの国の人だろう、競技は?」とポジティブに見えるであろうそれが、どこか見てはいけないものを見てしまったかのように感じる。

2021年にも関わらず2020とプリントされた旗も、2年目の夏の風に吹かれて仕方がなくはためいている。


1年生の1学期という、今までの6年の人生のなかではとてつもなく濃かったであろう期間を終えて、理子が学校から持ち帰ってきたもののなかには、オリンピック観戦にむけて用意されたタオルや、入場パスケースのようなものがあった。平時であったなら、人生に一度しかないであろう自国でのオリンピックを生で体験できる最高の出来事であろうし、この後の人生にも多少影響を及ぼすであろう。しかし今ではそれは狂気の沙汰にしか見えない。オリンピックで感染することをどうしても考えざるを得ない。結果として学校行事としての観戦はもちろん中止された。


明日オリンピックが開催されるという。決まっているからやらなくてはならないらしいそれを楽しむには、どういう気持ちを持ち合わせればいいのか。


2021年6月28日月曜日

もう大丈夫だよ

 小学生の時間は大人に比べて実に濃くて、意味を持っていると思うわけである。

理子が小学校へ行くためには僕が付き添い、同じマンションに住む年上のお兄さんと待ち合わせて学校まで行っている。

そして道中にある同級生の家の前で待ち合わせしていくことが多い。そしてその数人のクルーが学校に着く途中で空中分解したとしても僕が正門まで見送るというルーティンには変わりなかった。

しかしである、一年生の1日1日というのは、大人が思っているよりも実に濃いものであるから、昨日までの対人関係とは全く違うわけである。

ある日の朝。大きな道路を渡る手前のT字路で、友達を見つける。

「!あ!○○ちゃん!!」

それまで僕が持っていた理子の保険バッグを彼女は奪う。さもいままでも自分が持っていたと言わんばかりである。

その女の子はどうやらよく会話に出てくる子で、そちらにも付き添いのママがいた。

大人同士は、「これは二人で行ってくれるやつだ」と心の中で小躍りする。単純に手間が省けるからというよりも、楽しんで学校に行ってくれるその表情が嬉しい。

もう僕が後ろにいることなんて忘れているかのように、振り返ることなどしない理子。

さっきまではランドセルが重いことを、ありったけの力でとんがらせていた唇で表現していたのだけど、もう口角が上がりまくりで会話を楽しんでいる。

これからも理子から「もう大丈夫だよ」って言われることが増えるんだろう。それは成長の証ではあるのだけど、僕はちょっと寂しいと感じてしまうのかもしれない。

2021年6月15日火曜日

つないだ手

 朝、学校へ向かう道中。僕の左手にある細い骨もしくは腱を、理子はその小さな右手でコリコリと弄んでいる。むずがゆいからやめてくれというのだけど、本人は至って楽しそうにしている。手をつないで登校するようになってどれくらい経つのだろう。


入学して最初の1ヶ月くらいは、マンションを降りた坂まで理子を見送っていただけなのだけど、そのうちその距離がだんだんと伸びていって、いつのまにか学校の正門まで付き添っている。

4月以降ほぼ皆無となったズボンを履いての登校。スカートを履いていけるのが嬉しいらしく、僕はメルカリで3着ほどZARAのものを買い足した。


朝、大好きな男の子を見つけると、ランドセルをポンっと叩いてコミュニケーションを図る理子。そんな積極性を目の前で見るととても微笑ましい。「やってみないとわからないでしょー」が口癖の理子。

いつの日かつなぐ手が、僕ではなくその男の子になるといいなと思ったり、思わなかったりしながら、正門を抜けていく理子の後ろ姿をしばらく眺めていた。

2021年5月11日火曜日

ストック

「いちのかた」 次女が唐突に放った言葉である。なんの脈絡もなくそのようにはっきりと言ったのだが、どうやら聞き間違えではないようだった。これはよく、長女が真似をしている例のアレである。

それとは別に、長女が卒園間近の学芸会で歌っていた「エルマーの冒険」も、輪郭は不確かだけどそれだとわかるメロディで歌い出した。

つまり今までそれらを頭のなかにストックしていた2歳の次女は、ようやくそれを口から言葉として発声させる術を身につけてそれを披露したわけである。

先週、夜中に夜鷹症のごとく泣き叫び暴れるということがあったのだけど、それ以降親が言うことに対しての返事がとてもクリアになったのだった。

これは頭の中でなにやらスイッチの入れ替わりのようなものがあって、アップグレードしたようである。

これだから子供は面白い。

今まで以上に親がしてほしいことをはっきりと断るようになったが、その時にいう言葉はいつもと同じ「ヤダ」である。

他にも言葉を知ってるはずだけれど。