12月24日の夜。クリスマスツリーの下に、赤い封筒に入ったサンタクロース宛の手紙とともに、マカロンと牛乳が置かれていた。数日前から理子は「マカロン」を買うと言っていたのだけど、どうやらそれは、サンタクロースにあげるためのものらしかった。
キラキラと光るツリーと、サンタへのお礼のおやつ。自分が子供の頃とは勝手が違うものなんだな、と思う。
自分は幼稚園の時、園長先生がサンタの格好に着替えているところを見つけてしまったので、現実を知るのは早い方だった。
朝起きた時にサンタからのプレゼントがある、というふうにしたかった。
24日の午前中に実家から届いたプレゼントではそれが叶わなかったので、25日にそれを決行した。
僕はどうせ5時くらいに目がさめるからと、子供の寝かしつけとともに自身も寝落ち。
花さんは復活したようで、そのままクリスマスの支度をしたらしい。
「準備完了」というメールが届いていた。
プレゼントがツリーの下に置かれ、用意されていたマカロンと牛乳は、お皿だけ残して片付けたというわけである。
翌朝、ツリーの下へ駆け寄りプレゼントを見つけた時の喜びようといったらなかった。
やったー!やったー!と言って飛び跳ねていた。
当たり前だけど、テンションが最高潮に達し、朝ごはんどころではない。
腹が減っているなどどこかへ飛んで行ってしまったようだ。
プレゼントとともに、サンタからの手紙が置かれていた。花さんが用意してくれていた。
そういったわけで、平日の朝のバタバタはいつもに増してバタバタしており、
結果的に保育園に行きたくない、靴を履きたくないとなった。
先ほどまでの和やかムードは何処へやら。
ここのところの寒さなのかなんなのか、めっきり保育園に行きたくないモードが続いている。とてもぐずるため、誘拐犯よりも手際が悪そうだけど、最終的には理子を無理やり抱っこし、保育園まで連れて行った。歩いて数分とはいえ、16キロオーバーの暴れる子供を抱えて歩くのはしんどいものである。
しかしながら、園に着くと割とケロっとしている。そして先生にサンタさんにプレゼントをもらったと嬉しそうに話をしている。
友達のお母さんにも「何をもらったの?」と聞かれると、「シルヴァニア!」と自慢げに話していた。
仕事のお昼休み、ミッドタウンのディーン&デルーカで、花さんへのプチプレゼントとして
少し気の利いたお菓子を買う。
この日の夕飯は花さんが頑張ってくれ、ご馳走だった。ご飯の後には、理子と花さんが、玲さんの黄昏泣きと格闘しながら作ってくれたケーキを食べた。
夜の街に繰り出して祝うような派手さはないけれど、親密で温かなクリスマス。
僕が欲しかったウールの靴下を花さんがくれた。
いい1日だった。
2018年12月27日木曜日
2018年12月19日水曜日
懐かしいって何?
懐かしいって何?と理子が我々に聞いてきた。その問いかけは、まるでアンドロイドのようである。とはいえ、3歳から4歳にかけてようやく連続性というのか、昨日こうだったから、今こうだというのを理解し始めたので、「懐かしい」という意味も言葉もわからないわけだ。
懐かしいを説明するのは少し難しい。
どうやって説明しようかと、まず自分に懐かしいって何?と問いかけてみた。
すると、ポジティブな気持ちになったし、それこそ懐かしい気持ちになった。
「前にあった楽しかったことを思い出すことだよ」と理子にいう。
理解したのかどうかはわからないけれど「そうかー」と返事をする理子。
先日家族4人で初めて旅行をした。
飛行機に乗って、ホテルに泊まって、観光してご飯を食べて、みんなでお風呂に入った。
玲さんは2日目に発熱し、外は雨が降っていた。それでも結局4人が一日中いるというのが楽しかった。
玲さんはまだ早いけれど、いつの日か、理子にとってこんな日々を懐かしいと感じてもらえたら嬉しいと思った。
懐かしいを説明するのは少し難しい。
どうやって説明しようかと、まず自分に懐かしいって何?と問いかけてみた。
すると、ポジティブな気持ちになったし、それこそ懐かしい気持ちになった。
「前にあった楽しかったことを思い出すことだよ」と理子にいう。
理解したのかどうかはわからないけれど「そうかー」と返事をする理子。
先日家族4人で初めて旅行をした。
飛行機に乗って、ホテルに泊まって、観光してご飯を食べて、みんなでお風呂に入った。
玲さんは2日目に発熱し、外は雨が降っていた。それでも結局4人が一日中いるというのが楽しかった。
玲さんはまだ早いけれど、いつの日か、理子にとってこんな日々を懐かしいと感じてもらえたら嬉しいと思った。
2018年12月2日日曜日
一家パンデミック
先週金曜日の夜、理子が唐突に嘔吐した。
彼女はむっくりと起きだし、そして吐いた。その一寸前、花さんは母の直感なのか、やりとりがあったのか分からないが、その自分の手を受け手として、理子の口元にさしだした。そして吐瀉物は布団への直撃を免れた。
しかしながら飛沫は当然布団のみならずこの部屋全体として行き渡っている。
どうやって感染源を絶ち、かつ被害を拡大させないかを寝起きの頭で必死に考えて夫婦は行動した。
洗濯すべきものを風呂においやり、シングルの布団セットを別部屋へ移動した。なにせ4ヶ月の娘がいるのである。そちらへ感染してしまってはもう悲劇以外のなにものでもない。
片付けをしながらも、なおも理子は吐いてしまう。胃の中が空になるまで、一番つらいパターン。防水シーツを敷いてももはや意味はなく、ゲロの飛沫は全くロマンティックなそれではなかった。
片付けをしているなか、頭の中では別のことを考えていた。昼間に行った人ごみに溢れた某感謝祭がいけなかったんだろうか。完全にもらってしまったにちがいない。
花さんには玲さんを別室で見てもらい、僕は理子と一緒に寝た。結局のところ、その日、理子は胃液だけになるまで吐き続けた。寝ながらもやはり吐いてしまう。そしてどうしても喉が乾くようで、「口をゆすぐだけにして」といって水を渡して桶にそれを吐かせた。
少し落ち着いて寝に入るのだけど、ふとしたときに起きて、水をこっそり飲んでしまった。するとものの数分後にはそれをまた吐いてしまう。水を飲んだら吐くという因果関係をまだ理解できない。だから僕が理子に嫌がらせをしているとしか思えないようで、「なんで飲んじゃだめなの」と涙ながらに言うのであった。
結局寝付いたのは深夜を大きく過ぎた頃だったように思う。
日付が変わった頃、隣の部屋で花さんは1歳年を重ねた。
翌日病院へ行くと胃腸炎と診断される。
日曜日、今度は玲さんが吐く。
僕の認識では、母乳を通して、赤ちゃんはこういった病気にはならないと思っていたのだけど、花さん自体が胃腸炎的なものの抗体を持っていなかったようだ。
4ヶ月の子がただただ白い液を吐く、ごぼごぼとした音は本当に聞いていて辛かった。そしてやはりこういったことは布団に入って寝静まった頃に起きるのであった。
火曜日、今度は花さんが吐く。
完全に一家パンデミックである。次々に家族を襲っていく。完全隔離体制である。理子を久々に延長保育した。理子には「ママが病気になったから、パパの言うことをちゃんと聞くんだよ」と言い聞かせた。
保育園で先生にママのことを話すと、隣で話を聞いていた理子が泣き出してしまった。
母はいつも優しくて強いというものなのかもしれない。
木曜日、ついに自分が逝ってしまわれる。
木曜に校了のものがあり、それで安心してしまったのかもしれない。夜中に寒気がしてきて、寝て1時間で起きてしまった。吐き気、腹痛、頭痛、発熱。
僕はまた2次災害を避けるべく、布団を隔離部屋へ移して一人で寝た。
金曜日は仕事を休ませてもらい、療養した。
いくら手洗いを細かくしても、マスクをしても、かかってしまうものはかかってしまうようである。
この冬にあと何度こういったことが起こるのか、考えただけでも恐ろしい。
彼女はむっくりと起きだし、そして吐いた。その一寸前、花さんは母の直感なのか、やりとりがあったのか分からないが、その自分の手を受け手として、理子の口元にさしだした。そして吐瀉物は布団への直撃を免れた。
しかしながら飛沫は当然布団のみならずこの部屋全体として行き渡っている。
どうやって感染源を絶ち、かつ被害を拡大させないかを寝起きの頭で必死に考えて夫婦は行動した。
洗濯すべきものを風呂においやり、シングルの布団セットを別部屋へ移動した。なにせ4ヶ月の娘がいるのである。そちらへ感染してしまってはもう悲劇以外のなにものでもない。
片付けをしながらも、なおも理子は吐いてしまう。胃の中が空になるまで、一番つらいパターン。防水シーツを敷いてももはや意味はなく、ゲロの飛沫は全くロマンティックなそれではなかった。
片付けをしているなか、頭の中では別のことを考えていた。昼間に行った人ごみに溢れた某感謝祭がいけなかったんだろうか。完全にもらってしまったにちがいない。
花さんには玲さんを別室で見てもらい、僕は理子と一緒に寝た。結局のところ、その日、理子は胃液だけになるまで吐き続けた。寝ながらもやはり吐いてしまう。そしてどうしても喉が乾くようで、「口をゆすぐだけにして」といって水を渡して桶にそれを吐かせた。
少し落ち着いて寝に入るのだけど、ふとしたときに起きて、水をこっそり飲んでしまった。するとものの数分後にはそれをまた吐いてしまう。水を飲んだら吐くという因果関係をまだ理解できない。だから僕が理子に嫌がらせをしているとしか思えないようで、「なんで飲んじゃだめなの」と涙ながらに言うのであった。
結局寝付いたのは深夜を大きく過ぎた頃だったように思う。
日付が変わった頃、隣の部屋で花さんは1歳年を重ねた。
翌日病院へ行くと胃腸炎と診断される。
日曜日、今度は玲さんが吐く。
僕の認識では、母乳を通して、赤ちゃんはこういった病気にはならないと思っていたのだけど、花さん自体が胃腸炎的なものの抗体を持っていなかったようだ。
4ヶ月の子がただただ白い液を吐く、ごぼごぼとした音は本当に聞いていて辛かった。そしてやはりこういったことは布団に入って寝静まった頃に起きるのであった。
火曜日、今度は花さんが吐く。
完全に一家パンデミックである。次々に家族を襲っていく。完全隔離体制である。理子を久々に延長保育した。理子には「ママが病気になったから、パパの言うことをちゃんと聞くんだよ」と言い聞かせた。
保育園で先生にママのことを話すと、隣で話を聞いていた理子が泣き出してしまった。
母はいつも優しくて強いというものなのかもしれない。
木曜日、ついに自分が逝ってしまわれる。
木曜に校了のものがあり、それで安心してしまったのかもしれない。夜中に寒気がしてきて、寝て1時間で起きてしまった。吐き気、腹痛、頭痛、発熱。
僕はまた2次災害を避けるべく、布団を隔離部屋へ移して一人で寝た。
金曜日は仕事を休ませてもらい、療養した。
いくら手洗いを細かくしても、マスクをしても、かかってしまうものはかかってしまうようである。
この冬にあと何度こういったことが起こるのか、考えただけでも恐ろしい。
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