2018年10月16日火曜日

記憶

自分の一番古い記憶の場面は「幼稚園の園庭で、2階から先生に声をかけられている」という場面である。
でもそれは、2階から自分を見ている絵。つまり先生の目線で自分を見ているということなので、例えば夢を見たとかで、勝手に作られた映像を最古の記録としているのかもしれない。
そして、どうしてこんなこと覚えているんだろうということもいくつかある。
ふとした時に蘇ってきたり、かいだ匂いから思い出すこともある。
僕は毎日、日記を書いている時期があったから、記憶に関しては少し色濃く残す傾向があるのかもしれない。

ある日、保育園に行くと先生がピアノの練習をしていて、どうやら弾き間違いをしていたようだった。
そんな場面から、僕は小学校の卒業式当日のことを思い出した。
小学校最後の日、いつもより早く学校に着くと、1階の音楽室の脇を通った。
すると、ピアノの音が聞こえた。
それは「巣立ちの歌」で、定年間近の男の先生が式で弾く予定のものだった。
そのリズムは若干崩れていて、とても滑らかな指使いと言った風ではなかったし、どこか音を外しているような気がした。
当時の僕は、どうせならきちんと弾ける先生がやればいいのに、と思ったし、実際の式でも少し危なっかしい演奏だったと記憶している。

それでも、20年以上経っても、覚えているのはその時の情景である。
どうしてかはわからないけれど、中学の卒業式の時のことはまるで覚えていない。父親が撮影したビデオを繰り返し見たことによって、客観的な映像で覚えているに過ぎない。
新しいことよりも古いことの方が、その時の息遣いすら覚えていることがあるというのは、不思議なものだなと思う。


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