するつもりのない早起きが、旅先という場所でも続いていた。窓の向こうはまだ暗い。昨日と同じように、道は渋滞していて、ヘッドライトの光道ができていた。
雪は降っていないようだったけど、墨がまざったような重い雲があるように見える。
この日は朝食を外に食べに行くことになっていた。僕がリクエストした「キンパを食べる」を花さんが叶えてくれる日だった。
花理子も早々に起きて準備をする。翌日は朝の7時にはホテルを出ることになっていたから、実質時間を使えるのは今日だけだった。
花さんのメイクアップ時には、必ず膝の上に理子は座った。そうして小さな手鏡を持って、パフを頬にパタパタとはたく。時には口紅すら唇に乗せる。すっかりオマセさんだ。そうして理子のメイクが終わると、聖書をテーブルの引き出しから取り出して読み聞かせが行われる。昨日見たような朝がまた始まるのだった。
地下鉄に乗ってカンジャンシジャンというところにいく。韓国のグルメ市場である。朝も早い時間から人々はここでご飯を食べている。とはいえまだ支度をしているオモニたちもいる。市場としての明確な開始時間というのはないのかもしれない。
だれが名前をつけたのか分からないけれど、麻薬キンパと呼ばれるものがあるらしく、それを目当てに向かった。
韓国人の習性というのか、傾向として、同じような店が連なるというスタイルを確立しているらしい。店先に並ぶの食べ物が隣同士でほぼ一緒に見える。なにが違うのかぱっと見ではよくわからない。それ故、先駆者たちのブログやらガイドブックを参照にして店を選ぶことがベターだと思われる。
店に名前がついているのかわからいないけれど、区画で番号が割り当てられている。我々は「どこかしら、麻薬キンパ」とブツブツ話しながら歩いていると、通りかかったおじさんが、「あっちだよ」と身振りで教えてくれた。
果たしてその店は他の店と面構えはやはり一緒だった。同じようなおばさんと同じような食べ物が小さなカウンターに並んでいる。しかしその店の椅子は客によって埋まっていた。そこが違う点だ。
こちらがどうしたものかと立ちすくんでいると、後ろに回れというようなことを言っている(気がする)。どうやらその店の真裏に位置している店の椅子に座れと言っているようだ。いいのかしら、と思いながらとりあえず座ってみる。そして指差しでキンパを注文する。するとオモニは、後ろの店の同じような顔をしたオモニに注文を告げた。持ちつ持たれつ、といった具合に商売しているようだった。
ごはんと日本の黄色いお新香のようなものが韓国海苔で巻かれている。小さく切り分けられたそれを食べる。確かにちょっと中毒性があるような気がする。目の前でオモニが食材をなにやら調理して準備している。そして火にかけられた鍋から湯気が立ち上り、おいしそうな匂いが胃の中まで届くようだった。
隣の席にはまたしても女2人組の日本人が座った。そしてやはりキンパを注文していた。どうやらわさび醤油を隠し持ち、キンパにそれをつけて食べていた。確かにそっちのほうが美味しいかもしれないけれど、マナーとしてどうなのかと思う。オモニはそれを見て怒っていた。そして彼女たちは僕らよりも後から来たけど、僕らより先に退店していた。
僕らはそれを食したあと、お会計をした。キンパ分の代金はザルに入れて裏の店に回していた。
2度目の旅が面白いという趣旨の「2度目の◯◯」という旅番組が僕と花さんは好きなのだけど、それで紹介されていた店に行った。ピンデトッと呼ばれる、おやきとでも言うのだろうか。そこらじゅうでオモニたちが揚げていた。
花さんが一つ注文すると、揚げたてを作ってくれた。そしてそれをヘラで2等分に分けて紙コップに乗せて渡してくれた。この店はイートインの場所がなかったので、立ちながら食べた。サクサクしていて魚介の香ばしさもあって美味しかった。
食べながら花さんは悔しそうな顔をしていたので、どうしたのかと聞いてみると、番組で見た「クンバン ハンゴ ジュセヨ」 と言えなかったのが無念だったらしい。これは出来立てをください、という意味だ。それでもオモニは出来立てをくれたからよかった。
市場はアーケード内にあるとはいえ、とてつもなく寒かった。食べたキンパは常温だったから冷たいものだし、体が温まるようなマッコリを飲んでもいなかった。そういったわけで、早々にそこを後にした。そしてタクシーを拾ってサムスン美術館へと向かった。運転手に行き先を伝えるのだけど、どうしても疎通が取れていない。どうやらサムスン美術館というのは2種類あるのか、サムスン美術館リウムと言わないと通じないようだった。
タクシーに乗っていると、雪が降り始めた。寒いわけだ。
窓の向こうの景色がどことなく見覚えのあるものになっていく。通り過ぎる車は高級車になり、ギャルソンの店を曲がり、高級住宅地を抜けると美術館に到着する。
寒空のもとで美術館のスタッフがタクシーのドアを開けてくれた。
入り口までのアプローチは宮島達男の作品によるものだった。床に埋め込まれたデジタルの数字がランダムに変わっていく。理子は興奮しているようだった。
館内に入ると、まず名和晃平の強烈な作品が目に飛び込んできた。鹿の剥製に丸いクリスタルで覆った見ごたえのあるものだった。美術系の雑誌などで見たことはあったけど、実物を間近で見たのは初めてだった。透き通ったクリスタルの向こうに、鹿の毛並みが見える。なるほど、本当に剥製を使っているのだな、と確認する。
花さんが「足がたくさんあるね」という。本当だ。体は一つだけど、足が8本あった。よくよく見ると顔も二つあるし、角も4本あった。俯瞰で見ることを忘れてしまっていた。
受付で全ての荷物、ジャケットをロッカーに入れるように促される。もちろん撮影不可である。韓国の国宝と現代美術のフロアで分かれている。儀礼的に、国宝も見てみる。日本でもそうなのだけど、壺とかを見ても僕は知識が乏しいので心が動かない。それよりも理子の動きのほうが怖くて仕方がない。手の届くところに国宝があり、僕の手には何をしでかすか分からない3歳児がいる。
10年位前にイタリアのウフィッツィ美術館に行ったことがあるのだけど、その時は手に届くところに教科書に載っているような作品の群れを前にして、目眩のようなものがして座り込んでしまった。作品に感動したというよりは、作品に何かをしてしまいそうで怖くなったのだった。その感覚が蘇ってしまった。
そういった国宝であるらしいものたちはさらっと見るに終わった。なんといっても僕が見たいのは現代美術のほうなのだ。前にも見たけど花さんに「おかわり」を要求したのは
リヒターをまた見たいからだった。
韓国人作家のもの、その他の国の作家のものとフロアが分かれている。3階から見て回る。ジャコメッティ、サイトンブリ、ベーコン、バスキア、ロスコ。雑食と言ってしまえばそれまでだけど、本当に色々なものが所蔵されている。前回見た時にはなかった、シンディーシャーマンやリチャードプリンス、ダミアンハーストまであった。シンディーシャーマンの作品はかなり大きなサイズで、このフロアで写真の展示はかなり異質だったけど見ごたえはあった。
しかし以前見たリヒターの巨大なペイントはどこを探してもなかった。3階から1階に再度往復したりもしたのだけど、見つからなかった。その代わりに、リヒターの違う作品が展示されていた。それはそれで見ごたえはあるのだけど、芸術が爆発しているあの作品が見たかったのだけど、無念だった。
エレベーター待ちをしていた一角に、杉本博司の劇場シリーズの写真があった。
花さんと「さらっと杉本博司の作品まであるんだね」などという会話をしていたら、理子が「これお家と同じだね」と言ったのだった。
以前この美術館に来た時に、自分への土産として B5サイズくらいの劇場シリーズのポストカードを買っていて、自宅の玄関に飾っていたのだ。
それを理子が日常的に見ていて、それと同じだ、と言ったわけだ。僕は本当に嬉しくなっった。日々のことを理子が心にストックしてくれているのだと思ってわくわくもした。
「そうだよ!理子、これがお家のと同じだってわかるんだね、すごいね」と言って僕は彼女を抱きしめた。どうして抱きしめられているのか本人は分かっていないようで迷惑そうではあったのだけど、僕は本当に嬉しくなったのだ。これからも理子には、良いと思うものを目に触れさせたり、体験させてあげたいと思った。親から子供にしてあげられるのはそういうことだろう。
僕は見たかったリヒターの作品のことなどすっかり忘れてしまった。そして理子はベビーカーで眠りについた。
しばらく僕は作品をゆっくりと見て、美術館を後にした。
降っていた雪は冷たい雨に変わって地面を濡らしていた。
僕たちはプランBを考えながら次の目的地に向かっていった。
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