2017年12月28日木曜日

大井川鉄道 トーマスクリマス運行

サンタクロースは理子に魔法のチケットをくれました。
大井川鉄道トーマスクリスマス運行のチケットです。
あと何日でトーマスクリスマス乗れる!と心待ちにしていたものに
笑顔マックスで楽しんでいました。

記憶に残る旅になったかしら。























2017年12月9日土曜日

photo diary

ここのところのそこんとこ。


























2017年12月6日水曜日

旅、最終夜

雪が降ってたらそのまま歩いてみようと思うのだけど、雨だと、ただただ面倒になる。美術館を後にした僕らは、少しだけ街を歩いてみたけれど、やっぱり億劫になってきた。気分を変えるために地下鉄に乗って、ホンデという街に行くことにした。
この街は日本で言うところの渋谷、原宿の雰囲気らしく、要は若者の街らしい。
確かに駅からして行き交う人たちの年齢が今までの街とは異なる。そして人の量も多くなった。
改札を抜けて地上に出ると、やはり雨が降っていた。ちょっと雨宿りしたからといって止むような種類のものではなさそうだった。この街では、目的のご飯屋も行きたい本屋もあったのだけど、そういった欲求を雨がどこかへ流してしまった。
とりあえずお腹が減ったからご飯を食べよう、ということになり、地下鉄のエレベーターを降りてすぐ近くにあったファッションビルに入る。その最上階にレストランがいくつかあるようだった。

洋食のレストランに入った。たぶんイケてる店なんだと思う。観光客向けではなく、韓国の若者向けである。メニューには日本語表記などなかった。
グラタンとボロネーゼのパスタ、あとはフライドポテトを注文した。ここは原宿なのかしら。
僕はビールを飲みながら窓の向こうの止まない雨を睨んでいる。

しばらくすると注文したものがそれぞれテーブルに置かれる。ボロネーゼは何故か甘く、理子はフライドポテトしか食べなかった。
やはり僕はビールを飲む。そして意を決してその甘いパスタとグラタンをなんとか胃の中に押し込む。
満足感とは別にお腹は満腹になる。

この店は、肉がメインの店らしい。だから肉を頼まなかった僕らは店員にしてみたら、「何しに来たの?」という感じのようだった。
隣のテーブルでは、運ばれてきた肉の塊を、店員がその場でフランベしていた。燃え上がる青い炎に狂喜乱舞する客。しかし動画撮影がうまくいかなかったようで、もう一度フランベさせていた。もはや味なんてどうでもいいのである。インスタ映えなのである。イイね!


僕らはそそくさと店を出た。止むことのない雨。諦めてまた地下鉄に乗って移動することにした。
そして昨日行ったデザインプラザの遊び場にもう一度行こうということになった。理子にたっぷり遊んでもらったほうが良いだろう。旅行に行っても親都合ばかりで面白くない、という印象になってしまうのは避けたかったのだ。

果たして、いざキッズパークに到着してみると、昨日とは打って変わって子供達で溢れていた。
雨→子供の遊び場→室内→デザインプラザ→大人たち廃人
という流れになるようだ。
穴場というわけではなかった。単純に昨日は平日だっただけだ。

受付を済ませて理子を放牧する。しかしながら昨日のようにのびのびというわけにはいかない。様子を見ながら理子は少しずつ場慣れしていった。
子供達は走り回り遊びまわる。親たちはソファで安定して廃人になっていた。
理子は木製のシルヴァニアファミリーみたいなものがいたく気に入ったらしい。何故か正座で遊びに興じている。
しばらくして、喫茶スペースで休憩する。子供用の飲み物も当然のことながらある。
10組くらいのカフェテーブルと椅子があったのだけど、椅子はどれも凝っていてデザイン性が高かった。 D&DEPARTMENTにでも置いてありそうな椅子はどれも可愛かった。子供に寄りすぎていないところが大人たちがリピートする理由の一つなのかもしれない。
そしてまた、ここにいる子供達がさらっと洒落ていて驚く。洋服のおしゃれさのアベレージが高い。
理子にも東京代表として頑張っていただいたが、着ている服はZARAと韓国で調達した服だった。

2時間きっかりと遊んだ我々はザハハディドの建築物の内部を歩いてみることにした。全体像が全くつかめない。ところどころ、入居していない空間もあったりした。そして繭のように丸みを帯びたフォルムであるから、自動ドアも斜めだったり、逆に垂直な部分というのが少ない印象だった。東京オリンピックの会場もこの人が候補に上がってたわけだから、確かにぶっとんだものが出来上がったんだろう。

外に出ると、雨は小降りになっていた。ホテルに戻ってご飯屋に行きつつ最後の散策をすることにした。
韓国にはこれまでに3回来たのだけど、いずれもALANDという服屋に行っていた。ここはBEAMSのようなセレクトショップである。
日本のそれよりも価格帯は若干安いかな、といったぐらい。前々回は3着ほど購入していたけど、前回は自分のなかでヒットが全くなかった。あまりにパクリ感がすごかったためだった。
今回、30分くらいかかけて服を見ていたのだろうか。理子は洋服屋が嫌いなので、花さんが理子を見ていてくれた。
全体的に見ていてワクワクするようなものが多かった。旅先での高揚感もあるのだろう。見たことも聞いたこともないブランドだし、来年もあるブランドなのかも全く分からないけれど、楽しい。ファッションはこの瞬間に存在するのだなという潔さを感じる服たち。

ラックにかかったそれらを見ていると、高校生の頃に鈍行電車で何時間もかけて原宿に行ったことを思い出す。手にとっては鏡の前の自分に服をあてて、ラックに戻しては悩んでいたあの頃。一緒に買い物に行った友達の「似合ってるよ」の一言でレジまで辿りつく。
今回もあの頃みたいに悩んでいると、「パパ格好いい」と理子が言ったので購入に至った。財布を開いて服を買ったのは実に久々だった。ユニクロでの買い物以来だ。

僕は33歳にしてクレジットカード不携帯なので、どうもECサイトでの購入というのになじみがない。そういうわけでアマゾンで買い物もしないし、ゾゾることもない。服は実店舗で買う。もしくはメルカリを使用し売上金で購入する。

花さん的にはヒットがなかったようで、ご飯屋に行くことにした。
もちろん最後のディナーも店は決まっている。カンジャンケジャンを食べるのだ。これは生の蟹である。醤油やらなんやらで漬け込んだそれは、今まで食べたことのない食感と風味に溢れていた。理子には食べさせることは躊躇したけれど、かなり美味しい。最後のディナーにふさわしいものだった。またお通し的にでてきたキムチやら韓国のりの中に、日本で言うところの「ごはんですよ」を乾燥させたようなものがでてきて、これがひどくうまかった。
周りには当然のように日本人で溢れている。店内では、取材を受けた番組がテレビで流され、またキャプチャーされた画面をプリントして壁に貼っていた。どうやらジャニーズの嵐がきたことがあるらしい。
今回の旅も、新しさがあった。日本国内を3人で旅するよりも安く行けてしまうお隣の国は、3度目の渡航であってもやはり楽しかった。花さんが作ってくれた『しおり』の通りには行かないことがあったけど、きっと彼女にしてみたらガイドブックやら旅ブログを見ているときには既に旅行していたようなものだったのだろうと思う。想像の中で旅をすることの楽しさを知っている花さんは、既にもう他の国へ旅しているのかもしれない。


食後、最後の買い出しに行く。花さんが「いつもいく」というスーパーである。スーパーと言ってもコンビニより狭いのだけど、所狭しと商品が置かれたそこは確かにスーパーマーケットだ。当たり前のように日本語で商品の説明書きがなされ、店員は日本語が達者だった。僕らのほかにも日本人の女の子が一人で買い物していて、韓国のりの種類の説明を日本語で聞いていた。
誇張ではなく街なかの商店では日本語で溢れている。道を歩いていれば日本人がいるし、説明書きも日本語だ。電車に乗っていると理子を見て席を譲ってくれるし、老人たちは話しかけてきた。我々が日本人だから、ということで嫌な扱いはされたことがなかった。
テレビやらネットでは嫌韓な部分がフィーチャーされがちだけど、実際に韓国に訪れてみるとまったくと言っていいほど肌感覚が違った。とはいえソウルだから、と言ってしまえばそれまでなのだけれど。

買い物を終えて、雨上がりでキラキラと光る街を歩く。理子の思い出としてこの景色が蓄積されていてくれたら嬉しいと思った。



翌日は早朝から出発した。7時にはホテルをチャックアウトし、タクシーでソウル駅に向かう。朝の冷え方はキリッと肌を刺すようだった。
ソウル駅には、空港直結の電車があり、この駅で大きな荷物を預けることができる。つまり空港で列に並んで荷物を預ける手間も省けるし、てぶらで電車に乗れるわけだ。これは画期的で便利な仕組みだった。2つのスーツケースとベビーカーを持っている我々にはとてもうれしいサービスだった。
Wi-Fiを返却し、電車に乗った。朝ごはんはコンビニで買ったパンだ。
我々は実にスムーズな動線で空港へ行き、出国した。手荷物を既に預けていた我々は、それ専用のゲートから入り、出国した。なんというか、おもてなしとはこういうことなんじゃないかと思う。

飛行機が離陸すると理子は眠りについた。



日本に到着すると、ソウルよりも少しは暖かく感じた。第3ターミナルでの食事は避けたかったので、カートにスーツケースやらを乗せ第2ターミナルへと移動した。
レストランが並ぶ階まではエレベーターがなく、エスカレーターのみだった。つまりカートでの移動は不可だった。なんという動線の悪さか。
和食レストランでご飯を食べる。理子にはキッズプレート。食事をしながら旅を反芻する。会話のなかで「次に行くときは〜」となされるのが最早なにも違和感がない。この一年実に旅をした。2月に台湾。5月にバリ、シンガポール。そして韓国。ジェットセッター花理子に至っては台湾に2度行っているし、花さんは出張でパリに2度行っている。

いつの頃からか長橋家の家訓として燦然と輝くようになった life is journeyが体現されつつある。来年もどこか旅に出かけられるようにしたいものである。


成田空港からまた2時間近くかけて渋谷駅に戻った。すると、ここへきて理子の疲れがピークに達したようで、まるで歩こうとしなかった。そしてベビーカーは断固拒否。「理子ちゃんベビーカー乗らない!」と渋谷の中心で叫ぶ。疲れて眠いならベビーカーに乗ったほうがいいという大人たちの理屈は子供にはまかり通らない。

こうなるともう手がつけられなかった。駅での殺気立った人の往来と、本当に動線の悪い道のりに、うんざりしてしまう。
絵に描いたように駄々をこね、暴れる理子を一瞥していく渋谷の民。
うんざりしたところで理子は歩かないし前に進むことはできない。少しずつ前に進んでいくしかない。ベビーカーは畳み、理子を抱っこしてスーツケースを引く。AKIRAのように腕がもげて落ちそうだった。

全くおもてなしされていないエレベーターを乗り継いで、ようやく地上に降り立つことができた。成田から電車で渋谷まできた外国人は、重たい荷物を持ったまま駅から出られないんじゃないだろうか。

なんとか乗り込むことができたタクシーのなかでも叫び続ける理子。もはや手がつけられなかったのだけど、三茶を過ぎたあたりまでくると寝てしまった。
寝ぐずりのひどい状態だったわけだ。

ようやく車内は静かになった。しかしタクシーを降りた後、寝たことによってさらに重みを増した理子と、スーツケース2つ、ベビーカーとリュックを背負った我々は、エレベーターが付いてないマンションを買ってしまったことを心の底から後悔した。

部屋に着いて、理子を布団に寝かせたのだけど、彼女は翌日の朝まで目を覚ますことはなかった。こうして旅が終わった。


「次はどこへ?」
旅を想像するのはいつだって創造に溢れている。


2017年12月3日日曜日

韓国旅行3日目 心が動くもの

するつもりのない早起きが、旅先という場所でも続いていた。窓の向こうはまだ暗い。昨日と同じように、道は渋滞していて、ヘッドライトの光道ができていた。
雪は降っていないようだったけど、墨がまざったような重い雲があるように見える。
この日は朝食を外に食べに行くことになっていた。僕がリクエストした「キンパを食べる」を花さんが叶えてくれる日だった。

花理子も早々に起きて準備をする。翌日は朝の7時にはホテルを出ることになっていたから、実質時間を使えるのは今日だけだった。
花さんのメイクアップ時には、必ず膝の上に理子は座った。そうして小さな手鏡を持って、パフを頬にパタパタとはたく。時には口紅すら唇に乗せる。すっかりオマセさんだ。そうして理子のメイクが終わると、聖書をテーブルの引き出しから取り出して読み聞かせが行われる。昨日見たような朝がまた始まるのだった。

地下鉄に乗ってカンジャンシジャンというところにいく。韓国のグルメ市場である。朝も早い時間から人々はここでご飯を食べている。とはいえまだ支度をしているオモニたちもいる。市場としての明確な開始時間というのはないのかもしれない。
だれが名前をつけたのか分からないけれど、麻薬キンパと呼ばれるものがあるらしく、それを目当てに向かった。
韓国人の習性というのか、傾向として、同じような店が連なるというスタイルを確立しているらしい。店先に並ぶの食べ物が隣同士でほぼ一緒に見える。なにが違うのかぱっと見ではよくわからない。それ故、先駆者たちのブログやらガイドブックを参照にして店を選ぶことがベターだと思われる。
店に名前がついているのかわからいないけれど、区画で番号が割り当てられている。我々は「どこかしら、麻薬キンパ」とブツブツ話しながら歩いていると、通りかかったおじさんが、「あっちだよ」と身振りで教えてくれた。

果たしてその店は他の店と面構えはやはり一緒だった。同じようなおばさんと同じような食べ物が小さなカウンターに並んでいる。しかしその店の椅子は客によって埋まっていた。そこが違う点だ。
こちらがどうしたものかと立ちすくんでいると、後ろに回れというようなことを言っている(気がする)。どうやらその店の真裏に位置している店の椅子に座れと言っているようだ。いいのかしら、と思いながらとりあえず座ってみる。そして指差しでキンパを注文する。するとオモニは、後ろの店の同じような顔をしたオモニに注文を告げた。持ちつ持たれつ、といった具合に商売しているようだった。
ごはんと日本の黄色いお新香のようなものが韓国海苔で巻かれている。小さく切り分けられたそれを食べる。確かにちょっと中毒性があるような気がする。目の前でオモニが食材をなにやら調理して準備している。そして火にかけられた鍋から湯気が立ち上り、おいしそうな匂いが胃の中まで届くようだった。
隣の席にはまたしても女2人組の日本人が座った。そしてやはりキンパを注文していた。どうやらわさび醤油を隠し持ち、キンパにそれをつけて食べていた。確かにそっちのほうが美味しいかもしれないけれど、マナーとしてどうなのかと思う。オモニはそれを見て怒っていた。そして彼女たちは僕らよりも後から来たけど、僕らより先に退店していた。
僕らはそれを食したあと、お会計をした。キンパ分の代金はザルに入れて裏の店に回していた。

2度目の旅が面白いという趣旨の「2度目の◯◯」という旅番組が僕と花さんは好きなのだけど、それで紹介されていた店に行った。ピンデトッと呼ばれる、おやきとでも言うのだろうか。そこらじゅうでオモニたちが揚げていた。
花さんが一つ注文すると、揚げたてを作ってくれた。そしてそれをヘラで2等分に分けて紙コップに乗せて渡してくれた。この店はイートインの場所がなかったので、立ちながら食べた。サクサクしていて魚介の香ばしさもあって美味しかった。
食べながら花さんは悔しそうな顔をしていたので、どうしたのかと聞いてみると、番組で見た「クンバン ハンゴ ジュセヨ」 と言えなかったのが無念だったらしい。これは出来立てをください、という意味だ。それでもオモニは出来立てをくれたからよかった。

市場はアーケード内にあるとはいえ、とてつもなく寒かった。食べたキンパは常温だったから冷たいものだし、体が温まるようなマッコリを飲んでもいなかった。そういったわけで、早々にそこを後にした。そしてタクシーを拾ってサムスン美術館へと向かった。運転手に行き先を伝えるのだけど、どうしても疎通が取れていない。どうやらサムスン美術館というのは2種類あるのか、サムスン美術館リウムと言わないと通じないようだった。
タクシーに乗っていると、雪が降り始めた。寒いわけだ。


窓の向こうの景色がどことなく見覚えのあるものになっていく。通り過ぎる車は高級車になり、ギャルソンの店を曲がり、高級住宅地を抜けると美術館に到着する。
寒空のもとで美術館のスタッフがタクシーのドアを開けてくれた。

入り口までのアプローチは宮島達男の作品によるものだった。床に埋め込まれたデジタルの数字がランダムに変わっていく。理子は興奮しているようだった。
館内に入ると、まず名和晃平の強烈な作品が目に飛び込んできた。鹿の剥製に丸いクリスタルで覆った見ごたえのあるものだった。美術系の雑誌などで見たことはあったけど、実物を間近で見たのは初めてだった。透き通ったクリスタルの向こうに、鹿の毛並みが見える。なるほど、本当に剥製を使っているのだな、と確認する。
花さんが「足がたくさんあるね」という。本当だ。体は一つだけど、足が8本あった。よくよく見ると顔も二つあるし、角も4本あった。俯瞰で見ることを忘れてしまっていた。

受付で全ての荷物、ジャケットをロッカーに入れるように促される。もちろん撮影不可である。韓国の国宝と現代美術のフロアで分かれている。儀礼的に、国宝も見てみる。日本でもそうなのだけど、壺とかを見ても僕は知識が乏しいので心が動かない。それよりも理子の動きのほうが怖くて仕方がない。手の届くところに国宝があり、僕の手には何をしでかすか分からない3歳児がいる。

10年位前にイタリアのウフィッツィ美術館に行ったことがあるのだけど、その時は手に届くところに教科書に載っているような作品の群れを前にして、目眩のようなものがして座り込んでしまった。作品に感動したというよりは、作品に何かをしてしまいそうで怖くなったのだった。その感覚が蘇ってしまった。

そういった国宝であるらしいものたちはさらっと見るに終わった。なんといっても僕が見たいのは現代美術のほうなのだ。前にも見たけど花さんに「おかわり」を要求したのは
リヒターをまた見たいからだった。

韓国人作家のもの、その他の国の作家のものとフロアが分かれている。3階から見て回る。ジャコメッティ、サイトンブリ、ベーコン、バスキア、ロスコ。雑食と言ってしまえばそれまでだけど、本当に色々なものが所蔵されている。前回見た時にはなかった、シンディーシャーマンやリチャードプリンス、ダミアンハーストまであった。シンディーシャーマンの作品はかなり大きなサイズで、このフロアで写真の展示はかなり異質だったけど見ごたえはあった。

しかし以前見たリヒターの巨大なペイントはどこを探してもなかった。3階から1階に再度往復したりもしたのだけど、見つからなかった。その代わりに、リヒターの違う作品が展示されていた。それはそれで見ごたえはあるのだけど、芸術が爆発しているあの作品が見たかったのだけど、無念だった。


エレベーター待ちをしていた一角に、杉本博司の劇場シリーズの写真があった。
花さんと「さらっと杉本博司の作品まであるんだね」などという会話をしていたら、理子が「これお家と同じだね」と言ったのだった。
以前この美術館に来た時に、自分への土産として B5サイズくらいの劇場シリーズのポストカードを買っていて、自宅の玄関に飾っていたのだ。
それを理子が日常的に見ていて、それと同じだ、と言ったわけだ。僕は本当に嬉しくなっった。日々のことを理子が心にストックしてくれているのだと思ってわくわくもした。
「そうだよ!理子、これがお家のと同じだってわかるんだね、すごいね」と言って僕は彼女を抱きしめた。どうして抱きしめられているのか本人は分かっていないようで迷惑そうではあったのだけど、僕は本当に嬉しくなったのだ。これからも理子には、良いと思うものを目に触れさせたり、体験させてあげたいと思った。親から子供にしてあげられるのはそういうことだろう。
僕は見たかったリヒターの作品のことなどすっかり忘れてしまった。そして理子はベビーカーで眠りについた。

しばらく僕は作品をゆっくりと見て、美術館を後にした。
降っていた雪は冷たい雨に変わって地面を濡らしていた。
僕たちはプランBを考えながら次の目的地に向かっていった。

2017年12月2日土曜日

韓国旅行 2日目 子供天国編

子供服市場で大量の狩りをし、大荷物を携えて昼食を摂ることにした。
しおりによると、どうやらうどんを食べることになっているらしい。お店の場所を花さんはあっという間に見つけることができる。ここはあなたの地元なのでしょうか。
メニューは3-4種類くらいだったと思う。選ぶ余地などない。あれか、これか、それである。だから、注文してから調理されたものが我々のテーブルに運ばれてくるまでの時間はあっという間だった。さながら吉野家である。もちろんキッズ用のメニューなどないので我々が食しているものを理子に取り分けて食べる。
しかし理子の口は、一見さんお断り、京都の老舗のようである。なかなかうどんを口に運ぼうとしない。
「ほら、いつものちゅるちゅるだよ。おいしいよ。お肉も、ほら!入ってるし。」
「パパもママも美味しそうに食べてるよ!ほらほら理子も食べたくなってきたでしょ」
我々のくどきをまったく耳に入れようとしない。都合のいい耳だ。
「理子ちゃん食べない!」と先日どこかで聞いたようなセリフがリフレインする。
「じゃあいいよ。」と僕は言う。押してだめなら引いてみる。
しばらく理子はぐずぐずとしていたが、何がきっかけだったのか分からないけれど、取り分けられたうどんをちゅるちゅると吸い始めた。
そういうものなのである。

『あっという間に料理が運ばれてくる』ということと『すでに調理されている』ということは限りなくニアイコールだと思われるのだけど、このうどんにおいては、イコールといってよい。ほとんど伸びているといっても過言ではなかった。
というわけで、理子に取り分けたはずがまだまだ麺は減らない。結局のところ僕は完食出来なかった。

周りを見渡すと、日本人だらけである。そして、なんのガイドブックに書いてあったのか分からないけれど、めんつゆを持参している輩がいて、さらにはそれをテーブルの上に堂々と置いていた。旅先では許されると思ってるのか知らないけれど、こういうのを見ると日本人も民度が低いんだなと思わざるをえない。

店を出ると、近くのセブンイレブンで軽食を買う。この店はどういうわけか、入り口付近がゲームセンターのようになっていて、若者たちがダーツに興じていた。中には兵役中と思われる軍服を着た屈強そうな男もいた。
ゲームセンターの並びに、当たり前のように日本語表記のガチャガチャが置かれている。理子は「あ、がちゃがちゃだ!」「あー!」という。
旅先だし、いいか、と思いやることにする。
最近のガチャガチャは僕が子供の頃のように100円ではできない。たいてい300円程度を要する。でも300円は韓国ではお札で1000ウォン札3枚である。コインが必要なガチャガチャでどうやってお金を投下するのかしら、と思っていたらなんのことはない。500ウォンを6枚入れるのであった。コインの投下口にはその分の厚みがあった。力技である。


理子がガチャガチャに興じている頃、僕のお腹では予断を許さない状態が起きていた。辛いものを食べたせいで腹痛に見舞われていたのだ。そういったわけですぐさまホテルに戻った。一部ではトレットペーパーもトイレに流してよいけれど、たいていはトイレの脇にあるバケツに使用済みティッシュは入れることになっている。


しばらくホテルの部屋で休むことにする。花さんは戦利品をベッドの上に広げて満足そうにしている。そして「ワンシーズンに一度は買い出しに来たい」という発言をする。
要は年に4回である。ふむ。もはやバイヤー花である。

理子の聖書による読み聞かせが何度か繰り返された頃、また出かけることにする。
ザハハディドが設計した、巨大な繭のようなデザインプラザに行く。前回来た時も感動したのだけど、今回もまた然りであった。地震大国の日本では建築不可能なんだろうけど、都心部のど真ん中にこういうパワフルな建物を造ってしまうところは韓国のすごいところだと思う。
この中に、子供が楽しめる遊び場があるとのことだった。花さんが思っていたのとは違ったようなのだけど、ここはかなり良かった。日本で言うところのボーネルンドのキドキド巨大版といったところか。
この日は金曜日だったことと、閉園の1時間前ということもあって、人があまりいなかった。そういうわけでかなり伸び伸びと遊んだ。デザインプラザという場所柄、遊具も洗練されている。楽しいのにスタイリッシュだった。そしてデジタルもうまく使っているし、木製のかわいいおもちゃもあるし、とにかく子供だったら2日間いても飽きないのではないだろうかと思われる。
高さのある遊具や場所には数人のスタッフがついていて、子供たちが危なそうなことをすると注意をする。そういった気配りが大人たちを安心させてくれる。
そしてここのいいところは、大人たちが休める場所がきちんとあるということだった。基本的に巨大な一つの部屋なのだけど、周囲を見渡せるところに無印良品の廃人ソファのようなものがあった。pollimolliというメーカーの、このクッションのよいところは廃人一歩手前をキープできるように背もたれがあることだった。そしてデザインプラザにあるというだけあって、デザイン性もあり、テキトーに置いてるわけではなく、適当であった。喫茶スペースには様々な洒落た椅子が置かれていた。手を抜いたところがない。

花さんと僕と交代で廃人ソファのお世話になった。理子はどこまでもパワフルに遊び続ける。平日の夕方17時頃にこの場所にいるのはどうやらブルジョアの部類の人のようだった。シャネルのバッグを持ってるような人種だ。
中には日本人の女の子もいた。日本語を話してたので、話しかけてみると「明日東京に帰るの」と言っていた。
閉園までみっちりと遊んで外に出た。もうすっかりと暗くなり、イルミネーションが目に眩しい。デザインプラザの敷地内には LEDの薔薇がやはり光乱れていた。

いたるところにクリスマスツリーが飾られ、巨大で技巧を凝らしたものが多かった。僕らはそんな光の洪水のような喧騒の中を抜け、ホテルの最寄の石焼ビビンバの店に入った。店先には日本語の看板で呼び込みをしている虚無僧のような老人がいた。まだまだ韓国においては日本人旅行者が多いようだった。
2階の席に案内されると、ハングル文字よりも大きく書かれた日本語メニューの張り紙に思わず笑ってしまう。
石焼ビビンバと汁物とビールを発注する。失敗したなと思ったのは理子用に辛くないものを頼まなかったことだ。
「理子ちゃん辛いの食べない」
ごもっともである。

後ろのテーブルにはヨーロッパ圏と思われるカップルの姿があった。器用に箸を使って食べている。去年はこういう姿をほとんど見なかった。平昌オリンピックを前に欧米人も来韓(こういう言葉があるのか知らないけれど)しているのかもしれない。

店を出ると、虚無僧はやはり静かに呼び込みをし続けていた。まるで修行のようだ。
少し街中を歩いてみると、巨大なクリスマスツリーとクラシックな建物にプロジェクションマッピングが行われていた。その時ばかりは足を止めて、寒さも忘れて3人で見入っていた。まだまだ眠らないこの街は、僕たちがその場を離れた後もずっとイルミネーションで街を彩って、人々の足を止めて、帰路につく人の心を温めているに違いない。


2日目の夜が更けていく。

2017年12月1日金曜日

韓国旅行2日目 買い物天国編

おじさんの朝は早い。
体を移動させるというのは実際に体を動かしたりしなくても疲労となるものだろうに、もうちょっと寝ておきたい1時間まえくらいに目が覚める。
完全な闇のなかで、カーテンの隙間が一つの光線を切り出している。そこに手を差し込んでみる。セントラルヒーティングで温まった部屋なので、ベッドから出るのも苦ではなかった。
カーテンの向こうでは雪が降った後の景色が広がっていた。地面には白く雪が積もり、ソウルタワーのある山の木々にも雪化粧がなされていた。4車線くらいはある蛇のようにくねくねした道路は、ヘッドライトを煌々とつけた車達が、都心へと向かってきて渋滞を作っていた。そこには雪の姿は見られない。
しばらく僕は窓際に立ち、カーテンの中に入り込んで部屋が明るくならないようにした。
カメラを持って窓越しに写真を撮る。僕の呼吸によって、窓はだんだんと曇っていった。

ホテルというのは基本的にワンルームであり、隣人を起こさないようにするには自分がこの部屋から出ていく必要がある。バリに行った時も、結局のところ散歩がしたいから外に出たというよりは、花理子を起こさないように時間を潰すには外に出るより他仕方がなかったからだった。

しかし今回は、窓の外に広がる世界に飛び込んでいく勇気はなかった。なんといっても寒そうなのである。身も凍りそうな0度の世界だ。まだ歩いている人の姿もない。幸いベッドは二つあり、僕は一人で使用していたので、ベッドに戻りネットサーフィンをしたり、窓辺で写真を撮るというのを繰り返していた。

そのうち二人が目を覚ました。
花さんの誕生日の始まりである。


誕生日ではあるけれど、花さんは朝食を調達してきてくれた。
「おいしいトースト屋さんがあるらしいの」と言って寒いことも苦にはならなそうに出て行ったのだ。もちろん、しおりに書かれている。
しかし気がせったのか、花さんから「ルームキーを忘れたから、帰りにエントランスまで迎えに来て・・・」と連絡が来た。Wi-Fiも置いていったから大変であっただろう。

20分ほどして花さんは帰ってきた。おいしそうなトーストとコーヒーも買ってきてくれた。理子にはフルーツジュースだ。
韓国の人は朝食を家で食べることがないのか、キンパしかり、こういった軽食屋さんが多い気がする。
噂通りにトーストは美味しい。ピリ辛のソースに控えめな甘さが混ざり、癖になりそうな味だった。

食後、理子が色々な引き出しを開けまくるという3歳児あるある儀式が速やかに敢行された。開けなくては気が済まないのだ。
ベッド脇にあるライトスタンドが置かれたサイドテーブルに、聖書が入っていた。
ページを開くとそこには鉛筆でサイトンブリが描いた記号の羅列のようなものがあった。一目見てそれは何かがわかった。もちろんサイトンブリによるものではなく、幼児によるいたずら書きである。聖書のありがたみなど微塵も感じさせない力強いタッチである。
思わず僕は「理子じゃないよね?」と言ってしまった。
理子はどうやらこの聖書がとても気に入ってしまったようで、僕たちに読み聞かせを始めた。ベッドに我々を座らせて、ページを僕たちに見せながらオリジナルの話を展開する。その話はアナ雪のセリフやフジファブリックの「若者のすべて」の歌詞が混じったりしていた。ぶっ飛んでいるのである。その柔軟さが僕にも欲しい。


支度を済ませると、理子をベビーカーに乗せてホテルを後にした。
路上には溶けきらない雪が白く残っていて、冷たい風が吹いていた。なるべく日向を見つけて歩いた。繁華街に近いと両替商も多くあって便利だった。事前調査でレートが一番良いとされるところに行き、円をウォンに変えた。
朝も早いというのに行列ができていた。日本でこういう場所を見ない気がするのだけど、どうしているのだろう?

地下鉄で3駅くらい離れたところにある、ソウロルという場所に行く。もともと道路だったところを人が歩けるようにしたものらしい。ここはまだ設備をこれから整えていくという感じだった。そこかしこに、入場できないようにテープが貼られていた。子供が遊べるところという前評判もあったのだけど、目当てだったトランポリンも入れずだった。
それでも子供というのは少しでも広いところがあれば駆け回るもので、楽しそうだった。

しばらくしてから今旅のメインイベントでもある服の狩りに出かけることにした。子供服の問屋街だ。その通りに一歩足を踏み出すと広がる景色はまさに狩場で、両手にビニール袋をこれでもかと抱えたオモニや、観光客の姿で溢れている。気取ったショッパーなんかではない、ビニール袋に服を突っ込んでいるのだ。
すぐに目に入ったのは帽子屋だった。色とりどりで種類も多い。店先にはワゴンに入りきらないそれらが、大きなビニール袋に入れられて地面に置かれている。まるで天国のようなカオス。
花さんの買い物スイッチの入る音が、これでもかと僕の耳に入ってきた。
カーン!


しかしながら、「よくここまでおおっぴらにパクるな」と思う。靴屋に入れば 「バレンシアガ」や「ゴールデングース」を模倣したものが置かれていた。「それ子供用にしちゃうの!」と思わず膝を叩く。子供用に小さくなったそれは、悲しいかなとても可愛い。 ZARAだって同じようなことしてるじゃないか、とも思うのだけど、ここに並べられているのはそれとはベクトルが違う。マルパチなのだ。
かわいいけどもちろん買わない。見るだけ。

洋服の売られている店に入ると、早速花さんの手に握られるめぼしい商品たち。「爆買い」という文字が、花さんの背中に見えるようだった。おとなしくベビーカーに乗った理子は、大人たちの嬉々とした顔を見てうんざりしたのか、寝に入ってしまった。
前回同様、店先に並んだかわいい服とのギャップがありすぎるオモニな店員。80年代に生きていた日本人のおばさんのような風体。やはりここの場所は政府が管轄していて、強制的に人員を割り当てられた場所なのだと思わざるをえない。ビニール袋に無造作に入れられた洋服たち。ブランド名など、あってないようなものにしか見えない、とってつけた感が満載。問屋街という位置付けだからなのかもしれない。それでも360度かわいい服で溢れている。
やはり大人用のトレンドをうまく取り入れたものが多い。そして本当に気が利いているな、って思う。「そうそう、ここに切り返しがあるとかわいい」「色違いで何枚も欲しい!」となるわけである。一般的に思われるような子供服らしいかわいさ、ではないシャープさがここの場所には揃っている。それなのにとてつもなく安い。例えば800円で売られていたリブのパンツは、一般的な店では3600円をつけて売っていると思われるものがゴロゴロしている。

しかし問屋街という場所柄、歩けるスペースはとても狭い。いくら子供に対して寛容なお国柄とは言え狩場にベビーカーは不釣り合いだった。僕はちょっとしたスペースを見つけて花さんの狩りの終了を待つことにした。そうして人間観察を始める。
店員と可愛い服たちのギャップもさることながら、買い物をしているオモニたちの普通っぷりも際立つ。自分はおしゃれに気を使ってないけど子供服は可愛いものが欲しい、ということなのだろうか。

「あの服、『lanvin』 って書いてある・・・」と思った頃、花さんがやってきた。やはり成果物がこれでもかと手に握られている。満足度は65パーセントといったところか、そういう表情をしている。
それを見ていたら僕のスイッチも入ったようで違う店に入った際、ついに僕も財布を開いてしまったのだった。滅多に買い物をしない僕が買ったそれは、さながら「ヴェットモン」のように、2つのスウェットを半分で切って貼り合わせたようなものだった。
結局そのあとも買い物を続け、花さんの満足度が80パーセントくらいになった頃、問屋街を後にした。
そうして僕たちは、リュックに入りきらないものたちを携え、昼食を食べに行くのだった。


まだまだ1日は終わらない。