2017年7月25日火曜日

初島 ショートトリップ 2日目

4時半に目を覚ますというのは、もはや珍しい事ではなくなった。22時には寝てしまうわけだから、十分寝ているといえばその通りなのだ。
しばらくベッドで、もぞもぞしながらネットサーフィンをした後、着替えをし部屋を出た。当然花さんと理子の1日はまだ始まっていない。

朝5時台のホテルのロビーには誰もいなかった。しかし昨夜食事をしたレストランでは、すでに準備を進めているようで、高い天井に食器が重なる音が響く。朝の始まりの音だ。
ロビーを過ぎて外に出ると、僕と同じように朝早くに目を覚ました人というのは少なからずいた。すれ違うと会釈をする。そういう意味では早朝というのは他人とも親密になる。昼間だったらただの知らない人だけど、早朝にはどこかプライベート感が漂っている。

散歩というのは最終的に出発点に戻ることなので、掲示された地図を見るともなく見て、なんとなく歩き始める。
空はうっすらと曇っていて、散歩するには丁度良いけれど、蝉がこれからの暑さを予言するかのように力強く鳴いている。ホテルの敷地内にある自販機で甘いコーヒーを買って、歩きながら飲んだ。

道なりに進むと、NHKと書かれた建物があり、灯台があった。もちろんこの時間帯には入ることはできない。木々のトンネルを歩き、虫の音を聞き、なんとなくカメラで写真を撮る。ランニングしている人とすれ違うがここでは会釈しなかった。
しばらく歩くとコテージがあったり、南国を思わせる植物の群れを見た。どこかバリのような雰囲気を感じて懐かしく思った。
傾斜があり、階段があった。道なりに進んで行くと、プールがあった。その脇を抜けると海がすぐ近くにあったので、大きな岩を踏み進んでいった。
海岸というのはその地域でだいぶ印象が異なった。僕の地元では海は砂浜であり、波打ち際には少し大きな石が連なっているけれど、ここの海岸は、とても大きな岩が浜を作っていた。そして様々なものが打ち上げられ、日に照らされて色を失っていた。
絶妙なバランスで組み合わされた大きな岩達は微動だにしない。そこにしばらく立って海の向こうに見える漁船を目で追い、空高く飛ぶトンビの姿に目を細めた。

飲み干した缶コーヒーは僕の手に収まっていた。そして唐突に、無性にトイレに行きたくなった。僕は自然の摂理に基づき、来た道を引き返していった。本当はまだ散歩を続けたかったのだけど、抗えない便意というものが存在するのである。

。 。 。


部屋に戻ると、小さな音量でテレビを見る事にした。まだ二人は眠りについていた。時刻はまだ6時半なのだ。

−。−。−。

しばらくすると、ベッドルームから二人の声が聞こえ始めた。どうやら彼女たちの朝が始まったらしい。
支度をして、ホテル内にあるレストランへ行った。これも花さんによって予約済みである。逆を言えば、予約しないと朝飯にありつけないのだ。
高級な和食料理という趣のお店で、仲居さんは着物で対応していた。レストラン内は子供連れが多く、凛とした店内と子供の叫び声のギャップを感じた。とはいえ初島で朝食をとるには選択肢が限られてしまうのだから仕方がない。
理子には白いご飯をもらい、大人二人の料理を理子に取り分けて食事とした。美味しい食事に、僕はご飯をおかわりした。

食事を終えると、部屋に戻り少し休憩して、ホテル内の野外プールに行く事にした。暑さは時間ごとに増していく。少し雲は出ているものの肌に突き刺すくらいには暑さを感じた。理子はプールに行くことをすごく喜んでいた。こういう時の着替えはスムーズではあるのだけど、水着を着るとそのまま出かけようとしてしまう。幼児とはいえホテルのロビーを水着で走り抜けるわけにはいかない。二人がかりでなんとか洋服を着させると我々も着替えてプールへと向かった。

プールにはすでに家族連れなどがそれなりの人数いた。パラソルつきのビーチチェアはもうすでに残っていなかった。仕方がないのでその辺にとりあえず荷物を置いて、エキサイトする理子をシャワーに浴びせ、プールへと入った。
暑いとはいえまだ朝の10時である。水はとても冷たかった。小学生の頃の体育のプールを思い出させる冷たさだ。でもこの冷たさにもいずれは慣れる。そうは思っても大人になってしまうとそういった我慢はなかなかできないのであった。
その点理子は笑顔で楽しんでいる。冷たいという刺激は理子にとっては面白いわけだ。プールの構造は浅いところ深いところと別れていたのだけど、理子には浅いところも十分に深い。まわりの子供たちを見ると、当たり前のように浮き輪を持っている。我々はまったくそういった準備をしていなかったので、急遽売店で購入することにした。
浮き輪やボールなどに空気を入れるのはお父さんの仕事のようで、空気を入れる機械のところには列が出来ていた。
膨らんだ浮き輪を手にした理子は喜びを一層深め、深いエリアにもどんどん進んでいった。橋の下をくぐると「トンネルだー!」と言って興奮していた。楽しそうで何よりである。
とはいえそれなりの時間プールに入っていると、理子も寒さを感じるようで、隣接した室内プールにあるジャグジーのところを発見すると、そこでしばらく遊んでいた。
それにも飽きると部屋に戻った。僕の体もすっかりと冷え切っていた。


昼食を摂りに、港の方へと行く事にした。いわゆる食堂街と言われる場所である。
ホテルのシャトルバスに乗って行った。三連休中日のお昼であるから、どの店の前にも人だかりができていた。花さんの下調べによると、めがね丸という店が良さそうとのことだった。その情報は確かのようで、その店は並ぶのを躊躇させるほどの人だかりだった。
「とりあえず一番奥のほうまで見てみようか。とりあえず。」と言って歩いてみる。容赦のない太陽の光は思考を鈍らせ、ビールを激しく所望した。当たり前のことなのだけど、どの店も魚料理であり、メニューにはどれも同じようなことが書かれていて、どこの店も人でいっぱいだった。それだったら初志貫徹、めがね丸に並ぼう、ということになった。
どの店も間口がそんなに広いわけではないので、列は当然店の外にできる。日陰もない中ただただ待つ。大人はまだしも理子にはこまめに水分を補給させた。
ガラス扉の向こうには、食事を済ませ、ビールをジョッキで美味しそうに飲む中年の姿があった。くつろいでいるような人たちの姿を見ると、「この列が見えないのか?さっさと出てくれ!」と思うし、前に並んでいる人たちはそれを口に出して言っていた。

ようやく我々も店内に案内されると、料理を頼む前にビールを二つ頼んだ。それが目の前に到着するや否やその黄金の液体を喉に流し込んだ。体全身が欲していたそれが身体中を駆け巡っった結果、ようやく旅だな、と感じた。トルコを旅行したときのことを思い出しても、暑さを乗り切った後に飲んだビールの印象がとても強く残っている。不思議なのだけど。
なめろう丼と、定食と、ラーメンを注文した。3つ注文して多いような気もしてしまうのだけど、それらはすっかりと3人の胃袋に収まった。特に気に入ったのはラーメンだった。さっぱりとした味なのだけど、丼一面に盛られたこの土地特産の海苔がとても美味しかった。ビールはお代わりした。先ほど列に並んでいるときに罵った中年の姿は、まさに自分だったわけである。
クーラーの効いた部屋で、漁村の美味しい食事をしてビールを飲む。実に旅である。
店を出ると隣の店でかき氷を食べた。理子は「青いよ〜」と言って舌を出して見せた。とっても嬉しそうだった。


バスでホテルへと戻ると、すっかりとくたびれてしまい、ベッドへと突っ伏してしまった。「5時前から起きてるからね、寝なさい」と花さんが僕に言ったようだった。多分。聞くともなしに僕はシエスタへと向かっていった。


僕が目を覚ましたとき、二人はソファにいた。どうやらホテル内にあるキッズエリアで遊んできたらしい。花さんは大浴場に行きたいと言っていたので、理子には内緒でこっそり行ってもらった。理子はまだオムツが外れないので入ることができないのだ。
理子は花さんの不在に気づいても、特に泣くことはなかった。しばらく室内で過ごしていたのだけど、ホテル内を散策する事にした。
最上階に行くと、屋上にも出ることができた。タバコの灰皿からはかすかに匂いがしていて、そこに誰かがいた気配を感じた。
遮るもののない屋上には心地よい風が吹いていた。その風にのってトンビは羽を広げて辺りを漂っていた。時折低空に飛んできて、その体の大きさに驚いた。
理子は手すりにつかまり身を乗り出して空に手を伸ばしたりしていた。とても危なっかしい。高いところにいるという感覚が、まだつかめていないようだった。

だんだんと太陽が傾き始め、空がオレンジ色に染まり始めると「お空オレンジになってきたね」と理子は言った。すっかりと言うことが一人前になってきた。そんなささいな会話も僕にとっては微笑ましく感じる。

一度部屋に戻ろうとして、ロビーに向かうと、どこかからか「りこー!」と聞こえた。理子はとっても嬉しそうに、その声の主のもとへ駆け寄った。もちろんそれは花さんだった。大浴場で満足したらしい花さんの表情はとても晴れやかだった。

部屋に戻ってしばらくしてから、朝食を食べた和食屋へと行った。夜は趣が異なり、とても高額だった。思わず注文を躊躇するような値段だった。しかし最後の夜だからなどと理由を探してビールを飲み、理子が食べられそうなうどんなどを注文し、食事を済ませた。
ビールを飲みながら1日を振り返ってみたのだけど、特になにもしていない1日だった。それなのに時間はどんどん過ぎていった。
旅行というのは訪れた土地のなかでも、どこかへ訪れたりするものだとは思うのだけど、この初島においては、ここで過ごすことだけで良いようである。もう少し理子が成長したら違った楽しみ方ができるのだと思う。けれど、今の僕たちにはこれで十分だった。3人で同じ時を過ごすという当たり前のようなことを。

部屋に戻る前に、ゲームセンターを見つけた。そこはレトロなコインゲームやパチンコゲームなどで溢れていた。一気に自分が子供だった20年以上前にタイムスリップしたようだった。僕は100円玉をコインの両替機に入れると、出てきた10枚のコインをプラスチックのカップに入れた。そしてあの頃と同じように真剣な眼差しでコインを投下していった。島は大人を子供にさせる魔法があった。あの頃と違うのは、隣に同じような顔をした子供がいることだった。「パパなにしてるの?」と理子は不思議そうに聞いてくる。「パパにも子供の頃があったんだよ」と僕は答えた。理子が生まれるずっとずっとずーっと前の事。


パパ33歳。夏。理子はもう少しで3歳だ。きっとこの日のことを、理子はそのうち忘れてしまうに違いない。それでも、日々は連続している。今日が明日に繋がって、明日もそのうち昨日になる。だから、今日この1日が理子にとって楽しかったのなら、その楽しさは明日にも繋がるはずだ。


理子にとっては、いつもよりちょっとだけ夜更かしをして、2日目の夜が終わる。






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