2017年6月4日日曜日

旅行記 小さな都市の大きな動物園編

夜中に「ドスン」と大きな音がしたと思ったら、理子の鳴き声が聞こえた。理子の寝相があまりにも悪いせいで、ベッドから転げ落ちてしまったらしい。自宅では布団生活なのでいくらでも転がり続けても大丈夫なのだけど、こと海外のベッドとなると、マットレスの2段重ねと言ったふうで、床からの高さがそれなりにあるから危険である。
幸いなことに怪我には至らなかった。しかし実はバリのホテルでも一度落ちていたから、2度あることは3度目もあるのか?と少し不安になったりもした。


この日は朝から動物園に行くことになっていた。花さんがあらかじめチケットの予約をしており、また園内のレストランで朝食をとるためのスタンバイもできていた。というのも、オラウターンをすぐそばで見ながら食事をするという、外国ならではのなんともワイルドなイベントがあるからである。
とある日、まだ花さんが旅のプランニングをしている際に、「オラウータン見ながら朝食食べたい?」という謎のワードをぶちこんできて「そう、だね」と答えたが故のセッティングであった。

ホテルのフロントでタクシーを配車してもらい、動物園へと向かった。車が走り出してそんなに経たないうちに、車窓からの眺めには木々の姿が増えていき、「いかにも動物園がありそう」な雰囲気となっていった。

動物園に到着すると、まだオープン前の時間にもかかわらずそれなりに人がいた。シンガポール動物園の隣にはナイトサファリやらリバーサファリというのもあったのだけど、今回はそちらには行かないことになっていた。
ゲートをくぐっていくと、ズーラシックパークなるエリアに入った。いわゆる映画のジュラシックパークみたいに、動く恐竜のロボが配備されていて、しかもそれが妙にリアルだった。
理子は当然のごとく怖がり、その場を早く離れたがったのだけど、僕は妙に楽しんでしまった。「ここの人たちはいつか本当に恐竜を蘇らせて飼育し、ジュラシックパークを作ってしまうかもしれない」と本当に思ったのだった。そう思わせる森の入口だった。

歩みを進めると、レストランの入り口があった。このレストランはバイキング形式になっていて、屋根は付いているけど開放的な場所だった。受付をすませると、どうやら先着ではなく、予約をした時点で場所が決められているようだった。店員に誘導されて席に着いてみると、なんとそこはオラウータンが出てくるであろうステージの目の前で、特等席だった。
ここでそんな運を使ってしまっていいのだろうか?とも思ったのだけど、ありがたく座らせていただく。

席に座っていると、オラウータン以外の動物たちがその辺をウロウロしているのが見えた。リスやら大きなクジャクが普通に歩いている。クジャクに至っては、レストラン内を闊歩していたのだけど、店員はさも普通の出来事と言わんばかりで追い払おうともしなかった。実にワイルドであった。

花さんと交代でバイキング朝食を取りにいき、オラウータンの出番を待った。周りにはいろんな国の人たちで溢れていて、当然のことながら日本人の姿もあった。
定刻になったのか、司会進行の男性の声でアナウンスが始まる。
「Ladies and gentlemen」から始まった、もはや演説にも聞こえるそのアナウンスは実に聞かせる語り口調だった。もちろん僕には英語は理解できていないので内容は分からないのだけど、時折自分で話しながら笑ったりしていたからきっと面白いことでも言ったのだろう。
「Hahahaha!」

ステージに向かって、まるで道のようにロープがつながっていて、その奥の方からオラウータンがのそのそとやってきた。実に器用にロープを伝って。
全部で5匹のオラウータンがやってきた。それらが到着するたびに観客席からは歓声が上がった。
朝だからなのか、オラウータンがそういうものなのかもしれないけれど、実にのそのそした生き物だった。「ナマケモノだよ」と紹介されたら信じてしまいそうだった。
僕とオラウータンとの距離は3メートルくらいしか離れてなかった。ステージと客席の間には、遮るものなどないので、彼らが我々の食べているものに興味を持った場合は、のそっとこちらに来ることなど朝飯前だろう。
しかしながら屈強そうな飼育員がオラウータンを、餌を使ってうまく調教しているようだった。司会の男性がこれからオラウータンと記念撮影を始める、ということをどうやら言ったらしい。
「くれぐれもオラウータンに触らないでくれよ、食べられちゃうからね。Hahahahaha!」

すさまじいスピードで子供達が列を作って、我先にと並んだ。専属のカメラマンが撮影し、また客たちはそれぞれ自分のカメラやら携帯電話で撮ってもらうために、別の係りの人にそれを渡していた。
海外の人たちはファミリー写真を撮り慣れているのか、夫婦は自然に肩を抱いて寄り添っていた。おそらくきちんと写真たてに入れられて、リビングかどこかに飾られるんだろう。

当然花さんも、写真撮ってもらおう、と言ったのだけど、どういうわけか僕はその場にいるよと言って列に並ばなかった。そして花さんと理子がオラウータンの前で写真を撮ってもらうのを、椅子に座ってご飯を食べながら眺めていた。


人々がオラウータンの前で写真を撮っている姿を、椅子に座りながらずっと見ていた。オラウータンは、飼育員に途切れることなく渡される餌を食べ続けている。不思議な光景だった。中には何度か列を並び直して複数回撮っている人もいた。オラウータンがそっぽを向いていたのかもしれない。分からないけれど。

司会の男はやはりずっとしゃべり続けている。動物園の職員というよりはラジオのDJの人なんじゃないだろうかと思う。朝食の間ずっと、彼はしゃべり続けていた。音質のよいラジオ放送でも聞いてるみたいだ。


オラウータンたちは一通りの仕事を終えると、来た道を戻り、ロープを伝って森へと帰って行った。先ほど撮ったオラウータンとの記念写真を、係りの人が売りに来たのだけど、値段がすごく高かった。日本人にふっかけているのかもしれないけれど、シンガポールにおいては日本人は貧乏なほうなのではなかろうかとも思う。

僕らは朝食を食べ終えると、もらった地図を見ながらいよいよ園を回ることにした。
園内は東京でも見ることのできる動物もたくさんいるのだけど、日本のそれと違うのは、自分の足で歩いて、彼らの生息地に赴く感覚があるということかと思う。危険な動物たちは当然檻の中だけど、そこに行くまでの過程が森を歩いているようで、こっそり観察でもしているかのようだった。また園内はそれなりに広いので、巡回しているトラムに乗って目的地へいくこともあった。
熱帯の森の上空には大きな鳥が旋回していて、それはまるでプテラノドンのように思えてきたし、園内にある巨大な池、というよりは湖をずっと眺めていたら、ネッシーのようなものがひょっこり顔を出すんじゃないかと思った。なんだかそう思わせる圧倒的な力強さのある動物園だった。

この動物園には、キッズスペースがあって、プールもあるということだったのだけど、改装工事をしていて遊ぶことができなかった。事前にプールで遊べるよ、と理子には言っていたので残念ではあった。
お腹が空いた頃、朝食を食べたところとは別のレストランで食事をすることにした。まず席を確保するのに時間を要した。そして世界各国の人々は食事の仕方がそれぞれ違っていた。自分でカウンターに行き、ピックしてくるというレストランのスタイルだったのだけど、食後の食器をその場に置いていく人、片付けてテーブルを拭いていく人、床にジュースをこぼしても処理をなにもしない人、それぞれだった。
また、多民族国家、様々な宗教が根ざしているシンガポールでは当たり前のことなのだろうけれど、ヒンドゥー教向けの食事というのが用意されているのが新鮮に見えた。
不浄の手では食事をしないのはもちろんだけど、女性は手で食べていて、男性はスプーンで食べてたのが印象的だった。たまたまその一家がそうだっただけかもしれないけれど。


食後、象のショーがあるというので観に行くことにした。開始時間までまだ少し余裕があったので、花さんに席を取ってもらい、僕は理子とトイレに行った。そんなに時間はかからず戻ったのだけど、ショー会場は大混雑だった。混みすぎていて、花さんの姿ももはや見当たらない。
今回の旅ではWiFiを持ち歩かなかったので、携帯もつながらない。かなり焦ったのだけど、なんとか一番先頭に花さんの姿を見つけることができた。しかしながら階段にも人が座っているためなかなか前に進むことができず、とりあえず「エクスキューズミー」とカタカナで言って理子を抱っこして半ば強引に花さんの元へとたどり着くことができた。
「インド人に強引に席を取られそうになった」と花さんは言った。確かにインド人的な人々で周りを囲まれていた。強い意志を持たねばやっていけないのである。


果たして、ショーが始まると、朝食を食べたレストランにいた司会の人がやはりマイクを握っていた。聴かせる台詞まわしで、会場を包んでいる。『この人はもはや象とも話ができるんじゃないだろうか、その巧みな話術で』と思わせるものだった。
5頭くらい象はいて、なにかひとつのストーリーに基づいて展開しているようだった。
具体的な内容はよくわからなかったけれど、人間の指示でその巨体は転んだり、物を運んだり、飼育員の帽子を鼻先でつまんだりしていた。
ショーのステージと客席の間は堀で隔てられていたのだけど、象がこちらに近づいてくるたびに理子は悲鳴をあげていた。でも間近で見る象の目はとても優しかった。

一通り園を見て回ることができたので、タクシーでホテルへと帰ってしばらく休んだ。
理子はベビーカーに乗らず、抱っこが中心となってしまっていて僕らはクタクタだった。


夕飯は、花さんが下調べしていたマルシェというレストランで食べることにした。我々は駅名で言えば、オーチャードというところにいて、隣駅であるサマセットに向かった。MRTという地下鉄の路線図を見てたときに、おしゃれな駅名が多いなと思ったのだけど、このサマセットはやけに記憶に残っている。サマセット・モームが由来なのかな、と思ってよくよくウィキで調べてみると、本当にサマセットモームが長期滞在したことから付けられたとの記載があった。由来がいちいち格好良い。

切符を買うのもだんだんと慣れてきていて、それは旅の終盤を知らせるものでもあった。

サマセットに到着すると、デパートへと入った。RVCAのTシャツが売られているポップアップショップがあって2着買った。ひとつ1200円程度だった。
マルシェは地下にあった。ものすごく旧式のようなエレベーターで降りて、受付をすませると、その地下には面白い仕組みの店が広がっていた。
簡単に言って終えば、フードコートなのだけど、まるでどこかの都市の市場に来たかのような雰囲気で、いくつも店があり、そこで自分が食べたいものを発注し、レジで渡されたカードを提示する。注文内容はそのカードに記録され、最終的に料金を合算してレジで支払うというものだった。

自分で料理を運んだりしなくてはならないけれど、なんだかとってもホットな場所のようだった。次から次へと新規の客が来店していた。
また、子供が楽しめるキッズスペースがこちらにもあり、子連れ対応がバッチリであった。
僕らは食後、そのスペースで理子を放牧すると、外国人の子供達に混じって遊んでいた。子供達はおもちゃの奪い合いをし、大人同士は「ソーリー」を言い合った。でももちろん殺伐とした雰囲気など微塵もなかった。


僕らは店を出ると、まだまだ夜が終わらない街の中を歩いてホテルまで帰った。腹ごなしには一駅ぶんの散歩が丁度良い。
この日は日曜日だった。夜の10時を過ぎているにもかかわらず、街には人が溢れていた。ハイブランドの看板やネオンサインは煌々と街に灯りをもたらしていた。若者たちはその辺に座り込んで大声で笑いあっていた。街が元気なんだろうなと思う。
僕らにもし子供を授かっていなかったら、彼らみたいに夜を使い果たそうと酒を煽り遊び倒すのかもしれない。だけど、理子がいなかったらきっとシンガポールに来ることはなかった。
この強烈なネオンの灯りの中をベビーカーを押して歩いたことを、当然僕は忘れることはないと思う。


こうして僕らはシンガポール最終日を迎えることになった。

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