2017年6月25日日曜日

BOOK OFF

あなたの趣味はなんですか?と尋ねられた時に、
「そうですね、音楽鑑賞です」というほど、音楽業界にペイしていないし、youtubeやsoundcloudで済ませてしまっている。
「そうですね、カメラです」というほど、レンズを買ったり、最新機種の情報を集めたりなど、のめり込んでアディクトしているわけでもない。
「そうですね、読書です」というほど、毎月の読書量は多くない。月にせいぜい2.3冊である。

あえて言うとしたら、それは「BOOK OFFで埋もれてしまっている良い本を掘り起こすこと」かもしれない。


職場が白金台だった頃、その街にあるBOOK OFFは、高級住宅地にあるからなのか、売られている本がすごかった。
richard avedon, nick night, helmut newton, robert mapplethorpe, egon schiele, 荒木経惟 etc.
僕はそれらを根こそぎ買って、ことあるごとに店に訪れた。

そういったアート系の本が欲しいのであれば、神保町などに専門店がたくさんあるではないか、と思うかもしれないのだけど、僕としては「まさかこんなところにあるわけないよね」という棚の中から、見つけ出したいのである。
それに、アート系専門店では、適正な値段が付けられているが、BOOK OFFの場合はそうでないことが多い。どれもこれも1〜3000円で売られていることが多い。

背表紙に「newzealand」などと配されたよくわからない本の隣に納められた「NICK NIGHT」の文字面からは「ここから救い出してくれ」という声が僕には聞こえるのである。


白金台という街に古本屋というのが合わなかったのか、それとも単純にBOOK OFFの景気が悪いのか知らないけれど、ある時残念ながら閉店してしまった。

それから僕は、中目黒のBOOK OFFに通うこととした。いわゆるオシャレな街として君臨し、感度の高い人々が居住しているということもあってか、ここもなかなかの品揃えだった。そして、少し品揃えがコアだった。僕はここで古屋誠一、antonio lopez, helmut newtonの写真集やら作品集を買った。
しかし、ここのBOOK OFFも閉店してしまった。


僕の通うところはもはや、死神よろしく閉店していく。

五反田のBOOK OFFにもしばらく通い、ブレッソンの写真集やらを買ったりしていたのだけど、この店はどういったわけか、古着販売を始めてしまい、本のスペースが奪われてしまった。

最終的には渋谷店に行き着く。アートコーナーはそんなに広くはないのだけど、1、2ヶ月に一度行くと、なにかしら売っているので定期的に通っている。
この店は、そもそも古着を売っているスペースが地下にあるので、本の売り場を縮小することはありえないと思われる。

僕の生活圏の、あるBOOK OFFではつい最近とんでもないものを見つけてしまった。
一度ふらっと入ってみたときに、ジュリアンオピーの作品集が安価で売っていたので、なにかしら期待させるものがあった。
そして、先日、また所用帰りにふらっと寄ってみると、hedi slimaneのberlin 7Lという本を見つけた。ハードカバーでケースに入ったそれには値段が貼られておらず、本自体に記載されているのかと思って中を見ても値段は分からなかった。そこで店員に聞いてみると、新人だったのか奥に引っ込んで先輩に聞きに行っているようだった。
戻ってきた彼からは「700円です」と告げられる。
僕は返事として「わかりました、ありがとうございます」と言ったのだけど、内心は「嘘だろ?」ととても興奮していた。
そもそもなんでこの本をBOOK OFFに売ったのか、元持ち主にも聞きたいところではある。
僕はその本を誰にも渡すまじと両手に抱え、しばらくその付近をうろうろし、洋書コーナーに行くと、ansel adamsを見つけてしまう。
恐る恐る表4を見ると「500円」のシールが貼られていた。ソフトカバーでうす汚れてはいるのだけど、アンセルアダムスが500円はないだろう。

僕はそれをやはり大事に抱え、レジに行く。この大御所2名の本が2冊で1200円とはとても信じられないのだけど、それに加え、僕は渋谷店で発券された100円引き券を持っていた。
ただでさえ安いのに、さらに値引きして買おうとする僕も僕ではあるのだけど、その券は発券された店でしか使用できないらしかった。

とはいえ1200円である。
意気揚々と帰宅し、スリマン先生の本を調べてみると、かなり高額で取り扱われている本のようだった。


物の価値を知らぬというのは恐ろしい。
とはいえ、興味のない人にとってはただの本だし、ミニマムな暮らしを提唱するような世の中ではなおさら不要なものなのかもしれない。

でもまたしばらくしたら、手を後ろに組みながら、棚をじーっと眺めることになるんだろう。なにせそれがどうやら僕の「趣味」のようだからである。


2017年6月7日水曜日

旅行記 life is journey

旅先ということで気が昂ぶっているからなのか、早朝に目が覚める。花さんも理子もまだぐっすりと眠っている。僕はホテルのWiFiにつなげてネットサーフィンをする。
それに飽きるとそっとベッドを離れて階段を降りる。
備え付けの洗濯機を確認する。昨夜タイマー機能を使って洗濯乾燥していたのだけど、外国製のそれはかなり強烈な熱を帯びていた。日本製だと乾燥が終わってすぐは、危険防止のために扉が開かない仕組みになっているものだけど、外国製だとすんなり開いて、洋服たちはこれでもかと言わんばかりに熱い。
それに洗剤のせいなのか、洗濯機のせいなのか分からないけれど、洗濯物が全体的に黒ずんでいるように見えた。全てを日本での生活のように求めてはいけないとは思うのだけど。

僕たちがシンガポールで滞在しているホテルでは、バリの時のようにホテルから出て海を見に行くなどということは容易くない。ちょっと歩けばカルティエやプラダなどの高級ブティックが全て揃っているようなエリアなのだ。とりあえず洗濯物を畳み、3人分に仕分ける。これでもかと熱を帯びていた割に乾いてなかった服をハンガーにかけて干す。
そうこうしてるうちにどうやら二人が目を覚ましたらしい。楽しそうな声が上階から聞こえてきた。

理子は割と体が丈夫な方だと思ってはいたけれど、まだ2歳だ。当然環境が変われば体調を崩すだろうし、食事が合ないこともあるだろうと思っていた。しかし理子はピンピンしていた。寝ながらベッドから落ちても、熱帯地方で虫に刺されても、特に様子に変わりはない。iPhoneのトーマスアプリアディクトなだけだ。


この日は最後の観光日だった。昨夜のマルシェで食べきれなかったピザをテイクアウトして持ってきていたので、それを温めて食事を済ませた。
荷物の整理をして少し部屋の中でゆっくりと過ごし、支度をして出かけた。
もう花さんは何も言わなかったけれど、僕はまたサロンを巻いていた。逆に言えば、旅先でないとできない格好をしていたわけだ。シンガポールにいる人のおしゃれ、というものがどうやら金持ちストリートファッションのようで、カニエウエストの靴やらオフホワイトを着ていて、まるで総インスタグラマーみたいだった。
そういったわけで、ゴーイングマイウェイに、昨日買ったRVCAの白いTシャツを着て、真っ赤なサロンを巻いた。多民族国家だから問題ないだろう。

理子はおとなしくベビーカーに乗った。花さんが行きたいといっていたデパートで、子供服を見る。そのフロアではキッズコーナーがあり、ジャングルジムなどの遊具があった。
花さんが買い物をしている間に理子をそこで放牧することにした。月曜日ということもあり、あまり人はいなかった。ベビーシッターと思しき人やら、ものすごくお金持ちふうの人がいるくらいだ。
お金を入れると前後に動く、車を模した遊具にとても興味を持ってしまった理子は、それに乗りたいとぐずった。ありがたいことに、とでも言うべきか、両替機も近くにあったためお札をコインに変え、理子をそれに乗せお金を入れてみる。車の形をしたそれが前後に動き、なにかのメロディーが流れ始めた途端、「降りる」というリリックをドロップする。
「待て待て」と僕が言って降りようとする理子をなだめる。
なだめても、泣いて嫌がる子を乗せておくわけにもいかない。仕方がないので理子を下す。無人で前後運動を続ける遊具には、言葉では言い尽くせないほどの哀愁が漂っている。その周りで遊んでいた子供達は不思議そうにそれを見つめ、やがてそれに乗った。
求めていたものが手に入っても簡単に手放してしまうのが2歳児だと知る。

そのうち買い物を終えた花さんが戻ってきた。手には買い物袋を持っていて、どうやら戦利品があったようだ。


デパートから出ようとすると、外は雨が降っているようだった。突然天候が変わるのが熱帯という感じがする。仕方がないので昼食を摂りながら雨が止むのを待つことにした。
地下にある飲食店の連なりを何往復かした結果、「二子玉にもある」という小籠包が美味しいお店ディンタイフォンへと行った。少し並んだけど、すぐに入ることができた。
たまたま隣のテーブルには日本人が鎮座しており、日本語を聞きながらの昼食となった。
最後の昼食だからということで値は張るもののビールを発注する。ここもメニューリストにチェックして発注する方式だった。
青菜炒めや小籠包、チャーハンなどを発注する。こんなことを言ってしまっては本末転倒ではあるのだけど、チキンライスを始めてとして、シンガポール料理がいまいち不得手だったため、台湾料理であるこの店の料理はとても美味しく感じた。二子玉でも食べられるとはいえ、そこで食べてはとても値が張る。僕はこの店オリジナルのメニューの厚揚げも発注することにした。それは舌鼓を打つほど美味しかった。


食事を終えて外に出ると、小雨になっていた。完全に雨が止むのを待つのは諦め、電車に乗ってリトルインディアに行くことにした。その名の通り、インド人街である。
リトルインディア駅を降りてしばらく歩くと、街の雰囲気が一変して、なるほどここがインド人街か、と思わせる様相になる。建物がとてもカラフルだ。
青い壁に黄色い窓枠、赤い柱の建物があるかと思いきや、カトン地区で見たようなパステルカラーの家があったり、ゴシック様式の建物もあった。
とはいえ全体的にはかなりパンチの効いた色使いの街だった。曇り空で全体に沈んで見えていたけれど、晴れの日に歩いたら目がキンキンしてしまいそうだ。
ウィリアムエグルストンが写真を撮ったら、きっと綺麗にトリミングするんだろう。

結局のところ、作られた観光スポットに行くよりもこういった町を歩くのが楽しい。人が住んでいて、成り立った町。リアルな息遣いを感じる町。店の軒先で店員と馴染みの客らしき人が会話を楽しんでいるスローな雰囲気。

リトルインディアではスリ・ヴィラマカリアンという寺院を一つの目的地としていたのだけど、行ったタイミングでは中に入ることができなかった。そういったわけで建物の外側だけを見るにとどまったのだけど、やはり神を祀り崇めるところというのは技巧を凝らした装飾を多用するようだった。人が神に対して献身的であることを示すというのはこういったところにも表れるのかもしれない。

強烈な色彩を元々は持っていたであろうそれは、容赦のない太陽の光で色褪せてしまったように見える。そんな神々が凄まじい数、配された屋根というのか門というのか。厳かというのとは少し解釈が異なると思う。

閉ざされた門の向こう側で、椅子に座って誰かが眠っているのが見えたから、きっとシエスタ中だったんだろう。
しばらく通りを歩いていると、制服を着た小学生くらいの子供たちの集団がいた。30人ほどの4つくらいのグループが先生と思しき人に引率されていた。社会科見学だったのかもしれない。僕の社会科見学はみかん工場だったから彼らのそれはとってもディープだ。

歩いていると、ちょっとした空き地のようなところがあって、中央にカラフルな傘が飾られたモニュメントがあった。柵はあったけど中には入れるようになっていて、そのモニュメントのコメントが書かれた小さな看板があった。
理子はベビーカーでおとなしく寝ていたので、僕は花さんに「ちょっとあのモニュメントの下のところまで行ってみて」と言った。
つまり僕が写真を撮るから、ということなのだけど、花さんは雨で芝生が濡れているにも関わらずそこまで行ってくれた。優しいのである。いい壁があればそこに立ち止まって写真を撮らせてくれる。付き合ってた頃から変わらないのである。
モニュメント近くで振り返った彼女はすっかり不機嫌な表情。あとで聞いたら雨上がりの芝生は濡れているうえに、虫がいっぱいいたらしい。
そんな不機嫌な彼女を僕はしっかりと撮影する。「もういいでしょ?」と口でも目でもなく顔が言ってる。


そんな姿を撮影していたからバチが当たったのか、僕はその後ものすごく便意を催した。
それは旅始まって以来の腹痛である。次の目的地であるムスタファセンターというディスカウントショップに入ると、すぐさまトイレを探した。案内板に沿って見つけたにも関わらず、そこは鍵がかかっていて入ることができなかった。安心という名の扉を一度開きかけてしまったから、とても辛い。
ムスタファセンターはこの近くにもう1店舗あり、そこにすぐさま向かった。暑いし、腹痛だし、とても辛かったのだけど、その上、もう一つのムスタファセンターはものすごく混んでいた。ガイドブックには『ここでお土産を揃えよう!』と書かれている。人気店なのである。相当逼迫した表情で、僕はトイレを探していたのだけど、見つからず神に祈った。「異国の地で漏らしたくない」と。
すると花さんが「そこにあるじゃない」と冷静に教えてくれた。「理子とこの辺にいるから行って来なよ」というので、群れる人混みをかき分けトイレへと直行する。

果たして、トイレは衛生的とは言えない場所だったけど文句も言えない。個室は空いており、入ってみると紙がない。入り口のところに、ポケットティッシュが数セントで売られていた。財布はベビーカーのポケットに入れていて持っていない。トイレを出て花さんを探すも、「この辺にいる」と言っていた場所には当然おらず、「この辺」から離れたところで花さんを見つけることができた。
自分の財布なのにまるで盗人のようにポケットから抜き取り、トイレへ戻る。そうして求められている数セントを投入口に入れようとすると先ほどは気がつかなかった『SOLD OUT』の文字。
もう入り口は開かれている。もう出してから考えよう。
衛生的でない紙もないトイレでそれを済ませると、カバンの中から理子用のウェットティッシュを探し当てた。トイレに神様はいた。

トイレから出ると、花さんに「すごい顔してたよ」と言われた。その時の僕は何を言われても無敵で清々しい気持ちであった。


リトルインディアを離れて、リバークルージングに行くためにクラークキーという場所へと電車で向かった。雨はまだ降っていて、それはなかなか止みそうになかった。
欧米人に人気のスポットなのか、飲食店が軒を連ねており、昼間から人々はビールを飲んでいた。メニューを見てみるといずれも一杯1000円以上だった。それでもグラスを重ねている人たちはとてもリッチなビジネスマンたちなのだろう。
リバークルージングも、やはり花さんがあらかじめ予約をしてくれていた。乗り場で受付を済ませると次の出航までそこで待つことにした。

おじいさんとその孫らしき小さな子が、僕たちが並んでいる列とは別に並び、係員とともに船に乗り込んでいった。どうやら船を貸し切っているらしい。20人くらいは乗ることのできる船に、運転手と2人だけ乗せて船は出航していった。
雨は止まなかったけれど、我々が乗る船も出航となった。もちろん他に10人くらいを乗せて。
川は雨が降ったこともあるのかもしれないけれど、茶色く濁っていた。
さっきまで歩いていた道を、川から眺めることができた。

だんだんと日が暮れ、暗くなっていった。船はきちんと撮影スポットへと我々を誘う。
マリーナベイサンズからは空に向かって光線が放たれているのが見える。なにかイベントが行なわれているようで、なにやら大きな音が聞こえた。

世界3大がっかり観光として名高いマーライオンを真正面から見ることができるのはクルーズだけらしいのだけど、真正面から見てもそれはやはりがっかりする、と言っていいかもしれない。単純にあまり大きくないのだ。

白い建物が連なり、また岸辺に船も連なってるのが見える。瀟洒な建物の向こうに、シンガポールの経済を支えているであろうビル群が見える。船は適度なスピードで周遊していく。僕らにとっては旅の終わりを噛み締めるように。
先ほどまでただ茶色く濁っているように見えていた川は、ネオンを反射させる鏡のようになっていた。


クルーズが終わると、夕飯を食べに行った。チリクラブの店だ。チリクラブというのはカニをトマトベースのスープで煮込んでいて、少しピリ辛のローカル料理とのこと。日本でも一度食べたことがあって、それをまさに本場で食べようというわけである。
花さんによってジャンボという店が予約されていた。とても人気店らしく、平日なのにとても混んでいる。予約のありなしで列が違っていて、我々は予約していたので、当たり前だけどすんなりと入ることができた。
屋根付きの屋外席に通されると、理子用にチャーハンを頼み、我々にビールを頼んだ。そして当然ながらチリクラブである。しかしカニは時価とのことで、値段をきちんと確認してから注文した。ここまで来て食べないわけにはいかない。

周りにはビジネスマンと思しき人たちがカニをがっついていた。肌の色は三者三様で、この国は不思議な場所だなと改めて思った。その他にも女性二人で来ていたり、皆さんなかなか食欲旺盛のようであった。

ここのチャーハンを理子はよく食べた。本当に頼もしい子である。
諸々の料理が片付いてから、いよいよチリクラブが登場した。カニが一匹、オレンジ色の濃厚そうなスープの中に鎮座している。
もう食べる前から脳が「おいしい」と教えてくれている。早く手を動かせと指令を出しているのがわかる。大きな右足を花さん、大きな左足を僕が食べる。甲羅を割るための器具をもらってはいるけれど、我々は素手でカニを持ち、歯で甲羅を打ち破り肉を喰らった。
カニの香ばしさと濃厚スープの旨味が口の中を占拠する。ピリッと辛さを感じるけれど、嫌なほどではない。
しかしながら僕は買ったばかりの白いTシャツを着てきたことを後悔せずにはいられなかった。早速肩口にオレンジ色の染みができていたからだ。とはいえ美味しいものは美味しい。また、揚げパンをスープにつけて食べてもこれがとてもうまい。揚げパンの汎用性たるや侮りがたしであった。

理子は残念ながらこれを食べることができなかったから、時間を弄んでおり、「トーマスアプリする!」と絶叫していた。アディクトしているのである。


食事をしながら、あっという間に過ぎていった旅の日々を二人で反芻していた。その会話で交わされるのは「また今度行くときは」ということを前提としていたことで、花さんと二人で笑った。
まだその場にいるのに、次はどうしよう?と考える旅というのは初めてのことだった。
これまで理子とは韓国と台湾に行っているけれど、これからまた成長していくにつれて、できることや気を付けなければいけないことも出てくるんだろうなと思うのだけど、
きっとどこに行っても楽しいんだろうという確信があった。


食事を終えて歩いた道は、雨が降ったことによってキラキラと光り、旅の余韻に浸るにはロマンチックなそれだった。
あの朝日、あの太陽の暑さ。3人でいる時間の尊さよ。
チリクラブのスープのように、濃厚で忘れることのできぬ日々よ。



2017年6月4日日曜日

旅 最終日

















旅行記 小さな都市の大きな動物園編

夜中に「ドスン」と大きな音がしたと思ったら、理子の鳴き声が聞こえた。理子の寝相があまりにも悪いせいで、ベッドから転げ落ちてしまったらしい。自宅では布団生活なのでいくらでも転がり続けても大丈夫なのだけど、こと海外のベッドとなると、マットレスの2段重ねと言ったふうで、床からの高さがそれなりにあるから危険である。
幸いなことに怪我には至らなかった。しかし実はバリのホテルでも一度落ちていたから、2度あることは3度目もあるのか?と少し不安になったりもした。


この日は朝から動物園に行くことになっていた。花さんがあらかじめチケットの予約をしており、また園内のレストランで朝食をとるためのスタンバイもできていた。というのも、オラウターンをすぐそばで見ながら食事をするという、外国ならではのなんともワイルドなイベントがあるからである。
とある日、まだ花さんが旅のプランニングをしている際に、「オラウータン見ながら朝食食べたい?」という謎のワードをぶちこんできて「そう、だね」と答えたが故のセッティングであった。

ホテルのフロントでタクシーを配車してもらい、動物園へと向かった。車が走り出してそんなに経たないうちに、車窓からの眺めには木々の姿が増えていき、「いかにも動物園がありそう」な雰囲気となっていった。

動物園に到着すると、まだオープン前の時間にもかかわらずそれなりに人がいた。シンガポール動物園の隣にはナイトサファリやらリバーサファリというのもあったのだけど、今回はそちらには行かないことになっていた。
ゲートをくぐっていくと、ズーラシックパークなるエリアに入った。いわゆる映画のジュラシックパークみたいに、動く恐竜のロボが配備されていて、しかもそれが妙にリアルだった。
理子は当然のごとく怖がり、その場を早く離れたがったのだけど、僕は妙に楽しんでしまった。「ここの人たちはいつか本当に恐竜を蘇らせて飼育し、ジュラシックパークを作ってしまうかもしれない」と本当に思ったのだった。そう思わせる森の入口だった。

歩みを進めると、レストランの入り口があった。このレストランはバイキング形式になっていて、屋根は付いているけど開放的な場所だった。受付をすませると、どうやら先着ではなく、予約をした時点で場所が決められているようだった。店員に誘導されて席に着いてみると、なんとそこはオラウータンが出てくるであろうステージの目の前で、特等席だった。
ここでそんな運を使ってしまっていいのだろうか?とも思ったのだけど、ありがたく座らせていただく。

席に座っていると、オラウータン以外の動物たちがその辺をウロウロしているのが見えた。リスやら大きなクジャクが普通に歩いている。クジャクに至っては、レストラン内を闊歩していたのだけど、店員はさも普通の出来事と言わんばかりで追い払おうともしなかった。実にワイルドであった。

花さんと交代でバイキング朝食を取りにいき、オラウータンの出番を待った。周りにはいろんな国の人たちで溢れていて、当然のことながら日本人の姿もあった。
定刻になったのか、司会進行の男性の声でアナウンスが始まる。
「Ladies and gentlemen」から始まった、もはや演説にも聞こえるそのアナウンスは実に聞かせる語り口調だった。もちろん僕には英語は理解できていないので内容は分からないのだけど、時折自分で話しながら笑ったりしていたからきっと面白いことでも言ったのだろう。
「Hahahaha!」

ステージに向かって、まるで道のようにロープがつながっていて、その奥の方からオラウータンがのそのそとやってきた。実に器用にロープを伝って。
全部で5匹のオラウータンがやってきた。それらが到着するたびに観客席からは歓声が上がった。
朝だからなのか、オラウータンがそういうものなのかもしれないけれど、実にのそのそした生き物だった。「ナマケモノだよ」と紹介されたら信じてしまいそうだった。
僕とオラウータンとの距離は3メートルくらいしか離れてなかった。ステージと客席の間には、遮るものなどないので、彼らが我々の食べているものに興味を持った場合は、のそっとこちらに来ることなど朝飯前だろう。
しかしながら屈強そうな飼育員がオラウータンを、餌を使ってうまく調教しているようだった。司会の男性がこれからオラウータンと記念撮影を始める、ということをどうやら言ったらしい。
「くれぐれもオラウータンに触らないでくれよ、食べられちゃうからね。Hahahahaha!」

すさまじいスピードで子供達が列を作って、我先にと並んだ。専属のカメラマンが撮影し、また客たちはそれぞれ自分のカメラやら携帯電話で撮ってもらうために、別の係りの人にそれを渡していた。
海外の人たちはファミリー写真を撮り慣れているのか、夫婦は自然に肩を抱いて寄り添っていた。おそらくきちんと写真たてに入れられて、リビングかどこかに飾られるんだろう。

当然花さんも、写真撮ってもらおう、と言ったのだけど、どういうわけか僕はその場にいるよと言って列に並ばなかった。そして花さんと理子がオラウータンの前で写真を撮ってもらうのを、椅子に座ってご飯を食べながら眺めていた。


人々がオラウータンの前で写真を撮っている姿を、椅子に座りながらずっと見ていた。オラウータンは、飼育員に途切れることなく渡される餌を食べ続けている。不思議な光景だった。中には何度か列を並び直して複数回撮っている人もいた。オラウータンがそっぽを向いていたのかもしれない。分からないけれど。

司会の男はやはりずっとしゃべり続けている。動物園の職員というよりはラジオのDJの人なんじゃないだろうかと思う。朝食の間ずっと、彼はしゃべり続けていた。音質のよいラジオ放送でも聞いてるみたいだ。


オラウータンたちは一通りの仕事を終えると、来た道を戻り、ロープを伝って森へと帰って行った。先ほど撮ったオラウータンとの記念写真を、係りの人が売りに来たのだけど、値段がすごく高かった。日本人にふっかけているのかもしれないけれど、シンガポールにおいては日本人は貧乏なほうなのではなかろうかとも思う。

僕らは朝食を食べ終えると、もらった地図を見ながらいよいよ園を回ることにした。
園内は東京でも見ることのできる動物もたくさんいるのだけど、日本のそれと違うのは、自分の足で歩いて、彼らの生息地に赴く感覚があるということかと思う。危険な動物たちは当然檻の中だけど、そこに行くまでの過程が森を歩いているようで、こっそり観察でもしているかのようだった。また園内はそれなりに広いので、巡回しているトラムに乗って目的地へいくこともあった。
熱帯の森の上空には大きな鳥が旋回していて、それはまるでプテラノドンのように思えてきたし、園内にある巨大な池、というよりは湖をずっと眺めていたら、ネッシーのようなものがひょっこり顔を出すんじゃないかと思った。なんだかそう思わせる圧倒的な力強さのある動物園だった。

この動物園には、キッズスペースがあって、プールもあるということだったのだけど、改装工事をしていて遊ぶことができなかった。事前にプールで遊べるよ、と理子には言っていたので残念ではあった。
お腹が空いた頃、朝食を食べたところとは別のレストランで食事をすることにした。まず席を確保するのに時間を要した。そして世界各国の人々は食事の仕方がそれぞれ違っていた。自分でカウンターに行き、ピックしてくるというレストランのスタイルだったのだけど、食後の食器をその場に置いていく人、片付けてテーブルを拭いていく人、床にジュースをこぼしても処理をなにもしない人、それぞれだった。
また、多民族国家、様々な宗教が根ざしているシンガポールでは当たり前のことなのだろうけれど、ヒンドゥー教向けの食事というのが用意されているのが新鮮に見えた。
不浄の手では食事をしないのはもちろんだけど、女性は手で食べていて、男性はスプーンで食べてたのが印象的だった。たまたまその一家がそうだっただけかもしれないけれど。


食後、象のショーがあるというので観に行くことにした。開始時間までまだ少し余裕があったので、花さんに席を取ってもらい、僕は理子とトイレに行った。そんなに時間はかからず戻ったのだけど、ショー会場は大混雑だった。混みすぎていて、花さんの姿ももはや見当たらない。
今回の旅ではWiFiを持ち歩かなかったので、携帯もつながらない。かなり焦ったのだけど、なんとか一番先頭に花さんの姿を見つけることができた。しかしながら階段にも人が座っているためなかなか前に進むことができず、とりあえず「エクスキューズミー」とカタカナで言って理子を抱っこして半ば強引に花さんの元へとたどり着くことができた。
「インド人に強引に席を取られそうになった」と花さんは言った。確かにインド人的な人々で周りを囲まれていた。強い意志を持たねばやっていけないのである。


果たして、ショーが始まると、朝食を食べたレストランにいた司会の人がやはりマイクを握っていた。聴かせる台詞まわしで、会場を包んでいる。『この人はもはや象とも話ができるんじゃないだろうか、その巧みな話術で』と思わせるものだった。
5頭くらい象はいて、なにかひとつのストーリーに基づいて展開しているようだった。
具体的な内容はよくわからなかったけれど、人間の指示でその巨体は転んだり、物を運んだり、飼育員の帽子を鼻先でつまんだりしていた。
ショーのステージと客席の間は堀で隔てられていたのだけど、象がこちらに近づいてくるたびに理子は悲鳴をあげていた。でも間近で見る象の目はとても優しかった。

一通り園を見て回ることができたので、タクシーでホテルへと帰ってしばらく休んだ。
理子はベビーカーに乗らず、抱っこが中心となってしまっていて僕らはクタクタだった。


夕飯は、花さんが下調べしていたマルシェというレストランで食べることにした。我々は駅名で言えば、オーチャードというところにいて、隣駅であるサマセットに向かった。MRTという地下鉄の路線図を見てたときに、おしゃれな駅名が多いなと思ったのだけど、このサマセットはやけに記憶に残っている。サマセット・モームが由来なのかな、と思ってよくよくウィキで調べてみると、本当にサマセットモームが長期滞在したことから付けられたとの記載があった。由来がいちいち格好良い。

切符を買うのもだんだんと慣れてきていて、それは旅の終盤を知らせるものでもあった。

サマセットに到着すると、デパートへと入った。RVCAのTシャツが売られているポップアップショップがあって2着買った。ひとつ1200円程度だった。
マルシェは地下にあった。ものすごく旧式のようなエレベーターで降りて、受付をすませると、その地下には面白い仕組みの店が広がっていた。
簡単に言って終えば、フードコートなのだけど、まるでどこかの都市の市場に来たかのような雰囲気で、いくつも店があり、そこで自分が食べたいものを発注し、レジで渡されたカードを提示する。注文内容はそのカードに記録され、最終的に料金を合算してレジで支払うというものだった。

自分で料理を運んだりしなくてはならないけれど、なんだかとってもホットな場所のようだった。次から次へと新規の客が来店していた。
また、子供が楽しめるキッズスペースがこちらにもあり、子連れ対応がバッチリであった。
僕らは食後、そのスペースで理子を放牧すると、外国人の子供達に混じって遊んでいた。子供達はおもちゃの奪い合いをし、大人同士は「ソーリー」を言い合った。でももちろん殺伐とした雰囲気など微塵もなかった。


僕らは店を出ると、まだまだ夜が終わらない街の中を歩いてホテルまで帰った。腹ごなしには一駅ぶんの散歩が丁度良い。
この日は日曜日だった。夜の10時を過ぎているにもかかわらず、街には人が溢れていた。ハイブランドの看板やネオンサインは煌々と街に灯りをもたらしていた。若者たちはその辺に座り込んで大声で笑いあっていた。街が元気なんだろうなと思う。
僕らにもし子供を授かっていなかったら、彼らみたいに夜を使い果たそうと酒を煽り遊び倒すのかもしれない。だけど、理子がいなかったらきっとシンガポールに来ることはなかった。
この強烈なネオンの灯りの中をベビーカーを押して歩いたことを、当然僕は忘れることはないと思う。


こうして僕らはシンガポール最終日を迎えることになった。