2017年2月28日火曜日

台湾旅行記 very very far

窓の外から聞こえる、けたましい原付バイクの音で目を覚ました。思わず遮光カーテンを少し開いて、しばらく原付バイクの往来を見続けた。ホテルの前の道も一方通行だ。
理子は移動で疲れたのか、まだ寝ていた。
前日酒をあおったせいで、風呂も入らずに寝てしまったので入ることにした。ホテルにしては珍しく水圧の高いシャワーで体を洗った。
お風呂から出ると花さんと理子は起きていた。
韓国に行った時、テレビではどういうわけか日本の番組が放送されていて、アンパンマンや、おかあさんと一緒などを見て理子を喜ばせていたのだけど、台湾はどうなんだろうとザッピングしてみた。すると、中国語に吹き替えられたちびまるこちゃん、アンパンマン、名探偵コナンなどが放送されていた。
絵柄はいつものアンパンマンなのに、声がいつもと違うし何を言っているかわからない。そういったわけでいつも以上に戸惑った顔で理子は壁にかけられたテレビを見ていた。
その間に、大人たちはまずは自身の身支度を整えた。そして理子の着替えをした。
この日もどういうわけか素直にベビーカーに乗るお利口な娘であった。

日本で調べていた天気予報では曇りや雨などと不吉な予感をさせていたのだけど、すっかり晴れていた。僕は花さんから誕生日プレゼントでもらったオリバーゴルドスミスのサングラスを得意げにかけて、ベビーカーを押した。九份に向かうために台北駅を使った。九份というのはジブリ映画の『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルになったとされる場所だ。

電車に乗るために地下に降りると、また漢字だらけの標識に戸惑うこととなった。バスの発券機のようでもあるし、長距離移動するための特急車のような券売機もあるし、またそのための待合所のような場所もあった。しばらく歩いて探していると、九份の最寄の瑞芳駅の文字が書かれた路線図を見つけることができた。どういうわけか小銭しか投入できない券売機を使ってしまったようで、妙に焦ってしまった。周りにいる観光客と思しき人たちも、我々の券売機の使い方を興味津々と見ているようだった。
台湾における地下鉄の乗り方というのはネット上にいくらでも転がっている情報だと思われるのだけど、僕は事前にあまりみていなかったので、結果的にかなり致命的なミスを犯すこととなった。
台北駅から九份に行くためには特急か各駅の電車にのるのだけど、我々は特急である自強号というものに乗ることとした。こちらのほうが10分ほど早く目的地につくわけだ。
そのための切符を買ってホームに降り立った時、まさに電車が発車寸前というところだった。文字通り飛び乗った、という形で滑り込み、出入り口の一番近くの席に座った。周りはグループで旅行をしている若者たちで現地か、中国圏の人だった。
電車に飛び乗ってみたものの、本当にこの電車で正しいのか、確信が持てずにいた。「次の駅で降りた方がいいかな?」と花さんは言うけど、「とりあえず乗っていて大丈夫じゃない?」と僕は根拠なくいった。次に停車した駅は路線図で示した瑞芳に行く方向だし、問題ないだろうと思っていた。
しかしながらやはり問題は起きていた。次の駅は素通りし、どうやら瑞芳ですら停車しないのではという見解に至った。ネットで検索すると、「間違いやすいが絶対に乗ってはならない」電車に乗ってしまったようだった。
自強という名の通り、実に特急な電車であった。数々の駅をすっ飛ばしていく。我々は明確な結論を出すために通りかかった車掌に声を掛ける。「この電車は瑞芳に行くのか」と。すると周りにいた客を含めて「は?」という顔をした。車掌は切符を見せるように言うと「oh」と感嘆の声を漏らした。
そしてこれは瑞芳のもっともっともっと先の花蓮に行くのだ、2時間以上止まらないことを無情にも我々に告げた。例えてみるならば、東京駅から東北新幹線に乗って、上野で一回停車しただけであとは仙台まで止まらないくらいのイメージだ。
「very very far」車掌は言った。
もうこれ以上ない言葉だった。
車掌は少し離れたところで調べ物をしてくれ、さらに何かを書き記し、我々に渡してくれた。何時に花蓮につき、何時に花蓮から瑞芳行きの電車があるのかを教えてくれた。
「シェイシェ」と我々はお礼を言ったが、しばらくの間呆然としてしまった。理子だけがはしゃいでいる。そして、ふと外を見ると駅のホームが見え「瑞芳」の文字が目に入った。本来我々が降りるべき駅だ。
ちょっとしたトラブルは旅のスパイス。しかしながら短い旅行期間での4時間以上のロスはかなり大きいものだった。それでも我々はお互いを責めることなく、とりあえず車窓を楽しむことにした。そこには海があり、中国的な建築物があり、広大な自然があった。そしてそれらは間違えなければ見なかった景色なのだ。と納得させた。

しかし本当にノンストップなのだな、と思った。

我々の目的地ではない花蓮に着くと、意外にも多く人が降り立った。その人たちは当然のように改札を出てそれぞれの目的地へと向かっていった。我々はホームに残った。妙に乾いた空気だった。もうお昼ご飯を食べなくてはならない時間だったので、ホームにある売店を見てみたのだけどお弁当や主食になりそうなものは置いていなかった。意を決して改札を出ることを試みた。花さんは、車掌が書いてくれたものを改札にいる駅員に見せると、通らせてくれた。そのあとに僕も続いた。改札の向こうには、いくつか売店や少し広めの待合所があった。セブンイレブンがあり、そこで新國民弁当というものを買うことにした。会計をする前に店員さんが先に温めてくれた。早くさばくための仕組みのようだった。花さんも違う種類の弁当を買った。
瑞芳に行くための電車は30分後くらいに出発する予定だったのだけど、すでにホームに停車していたので乗ることにした。掲示板に示された発車時刻と行き先を、車掌が記入したものと照らし合わせて何度も確認した。

発車する前に弁当を食べることにした。僕の買ったものはご飯の上にどかんと肉の塊が置かれているもので、果たしてそれが何の肉だったのか、知る由もない。
しばらくすると電車は発車し、先ほどとは逆に進む景色を見ながら2時間半を過ごした。


ようやく瑞芳に到着すると、観光地なだけあって、かなりの人で混雑していた。ガイドブックなどではバスに乗ることも推奨されていたのだけど、もう時間をお金で解決する時刻となっていたのでタクシー乗り場に行った。九份までは定額になっているようだった。
タクシーは山を登り、くねくねした道をどんどん進んでいった。前後を大型のバスが走っており、道は混んでいた。次第に土産物屋などの店が連なる場所になり、タクシーは停車した。ここで降りろということらしい。お金を支払い、ベビーカーを組み立てると、またしても素直に乗る理子。一体どういう風の吹き回しだ?

九份の観光エリアに入り込む前から人だかりはできていた。細い道の両脇に食べ物屋や、土産物屋が並んでおり、それぞれの店の前に人だかりができるのでなかなか前に進まなかった。ここではいたるところから日本語が聞こえてきた。どうやらツアー客も多く来ているようだった。この場所でのゴール地点を、千と千尋のモデルの場所としていたのだけど、ここは人の多さで身動きはできないし、みんな写真を撮ることに躍起になっているしで、長居はしなかった。グーグルで画像検索すれば出てくるような写真を撮っても仕方がない。雰囲気はあるけど、そんなに感動するような場所ではなかった。札幌の時計台がそうであるように。

それよりも空が開けた場所で見た景色のほうがよかった。遠くのほうは、もはや色彩をもたず、黒のグラデーションだけで景色が作られているように見えた。
また歩みを進めるにつれ、また時間が経つにつれ、その見え方が変わっていった。
我々は、景色がよく見えそうな店に入って休憩することにした。テラスがよかったのだけど、小さな子供がいると危険だから、という理由で室内の席に案内された。
人の混雑に疲れたこともあり、ビールを飲んだ。

暗くなってからがこの観光地の見せ場のような気もするのだけど、帰宅する人で混雑する前に離れることにした。そして考えた挙句タクシーでホテルまで帰ることにした。そもそもタクシー料金はとても安いのだ。お金の使いどころは見極めないと、あとで疲労という形でボディブローのように効いてくる。

タクシーを拾って乗り込むと、若いお兄さんが運転手だった。そして行き先を告げると嬉しそうだった。それはそうだ。それなりに遠い距離だ。そしてガソリンスタンドに行っても良いかと聞かれた。前もって聞いてくるとは心優しい青年だ。
車内ではYouTubeでかけていると思しき日本の歌が流れた。まずは星野源だった。そしてキャリーぱみゅぱみゅだった。サービスのつもりだったのだろう。日本の音楽が好きなの?と花さんが聞くと、青年は嬉しそうに「はい」と答えた。
青年は丁寧な運転で我々をホテルの前まで送り届けてくれた。理子も手を振っていた。

一旦ホテルで休憩してから、歩いて台湾のラーメン屋へといった。閉店間際のようだったけどギリギリ入ることができた。二人でそれぞれ違う種類のものを注文し、一口二口食べては交換し、それぞれのものに意見を言った。理子には少しお口に合わなかったようで、あまり食べなかった。

夜道を歩くのも楽しいものだった。この細くて陰鬱な道の向こうに奇跡的に美味しいものをこっそりと出している店があるんじゃないか?と思わせる雰囲気がたっぷりと漂っている。
遅い時間になってもやはり原付バイクは大きな群れとなって走っていた。途中でコンビニでビールを買って、ホテルで飲んだ。
遅い時間にもかかわらず、テレビでは中国語で吹き替えられたアンパンマンが放送されていた。










台湾旅行記 夜を使い果たして

日が少し傾き始めた頃、街中に出てみることにした。
日本から持参したベビーカーを組み立てて、理子に話しかける。「ベビーカー乗ろうか?」そういうと、理子は意外にも素直にシートに体を沈めた。ベルトを固定する留め具のところが丸い形をしているのだけど、それを見て「ルンバさん!」と言って理子はお気に入りなのだった。しめしめと花さんと僕は握手を交わす。カード式のルームキーを壁のセンサー部分から抜き取ると、意気揚々と台湾の街へと繰り出した。

台北駅があるこの街は、日本でいえば丸の内のようなところだと花さんは言った。さしずめ台北駅は東京駅といったところか。ホテルから出ると少しモワっとした空気になったのだけど、不快なほどではなかった。
3人で見知らぬ街を散策する。街中に溢れるノイズも太陽の光も日本で感じるそれとはやはり異なっているように感じる。わくわくする気持ちの中にちょっとした緊張もたぶんに含まれている。台湾は一方通行の道が多いらしいとどこかで見聞きしたのだけど、確かに一方向に対して5車線ぐらいあって、反対車線は見られなかった。
我々は地下鉄に乗って、夜市が開かれている街へと向かうことにした。もちろんこれはしおりに書かれていることだ。
地下鉄に乗るためにエレベーターを探し、見慣れぬ標識に戸惑った。そして漢字でしか書かれていない券売機の前でしばらく硬直し、恐る恐るお金を投入した。目的の駅までのボタンを押すと、渇いた音を立てて切符がでてきた。それは青色のプラスチックでできたのコインのようなものだった。まるでモノポリーなどのボードゲームで使いそうな。
そのコインのような切符をどのように使うのか?改札にはそれを投入するような口もないが、センサーのようなものは見えた。そこにその青い切符をあてがってみたけど、ゲートは冷たく閉ざされたままだった。沈黙。
周りの人、すなわちこの街の居住者たちは、東京でいうところのSuicaやPASMOのようなカードを使用していた。
そこへ心優しい青年が現れ、改札のここにそのコインを当てるんだ、と言った風にみぶりてぶりで教えてくれた。立ち尽くしてしまっている異邦人を、台湾人は救ってくれた。
ベビーカーを押していたため、間口の広い改札を通ったのだけど、そのすぐ先にエレベーターがあった。こういった構造はこの駅だけではなく、他の場所でも見られたので、台湾の弱者への扱いが垣間見えるものであった。
電車に乗るとやはり東京の地下鉄とは全く違う座席の配置をしていた。そして、飲食が禁じられているというのは興味深いことの一つだった。

我々は2.3駅先で降りた。地上にでると、すでに日は沈み、街灯によって街は照らされていた。夜市がやっている場所は地図を見て確認した。僕は地図が読めない質なので、花さんが僕を誘導した。そのうち人の流れが、ある方向へと集中していって、その先には人だかりがあるように見えた。どうやらそこが、我々が目指している夜市の場所であるらしかった。小さな屋台が密集し、様々な色彩と匂いと、ある種の興奮をもたらしていた。そこには地元の人間や(なんとなく服装でわかる)欧米人、日本人、他のアジア圏の人々で溢れていた。正直なところかなり圧倒されるような場所だった。そして美味しそうに調理されていく様をまざまざと見せつけられるのに、それを食べたい!と伝える方法が僕にはわからないでいた。なにせメニューに書かれたものを発音できないのだ。
とりあえず一通り見てみようと言って、人の流れに沿って見て回り、これ食べてみたい、あれも、これも、それも、となるのだけど、どうすれば食べられるのか?
座席が用意されている店もあるけど、そうでない店もあった。
花さんはある店の前で立ち止まり、しれっと列に加わった。さすがは何国も旅をしてきた女である。楽しむことを躊躇わないのである。並んでいる間に、若いお兄さんが調理するそれをずっと見ていたのだけど、実に手際がよかった。あらかじめ用意している小麦粉でできた生地を、伸ばし棒で薄くして、それを油の中へと投入する。その生地の上にネギなどの薬味を実に手際よく入れ、そして卵を溶いたようなものをまぜ入れていた。そして器用にくるくると食べやすいように丸めた。
花さんが実際に発注する際、中国語で何かを聞かれたのだけど、疎通がとれないとわかると「バジル?」とだけ聞いてきた。「オーケーオーケー」と答えた。
食べてみると、それはほんの少しの辛さはあったものの、とても美味しいものだった。まるで祭のような雰囲気のなかで食べているというのもあるのかもしれないけれど、それを差し引いたとしても絶品だった。それなのにとびきり安かった。
屋台ではビールなどを売っている店がなかったので、コンビニ(なぜかファミリーマートが多かった)で台湾ビールを買い、路上で二人で乾杯した。
アルコールを摂取したためか、もっと他のものを食べたいという欲求に忠実になることができた。テーブルがある店ならとりあえず座ってみよう、そして店員を呼んでみよう、怒られたとしても何言ってるかわからないじゃないか、ここは異国じゃないか。
テーブルの上にはメニューがあったので、指さしをして店員に発注した。あっという間に注文したものは運ばれてきた。ルーローハンとチーローハン。そして青菜炒めだ。ご飯ものに関して言えば、どちらも美味しく、甲乙つけがたし、と言ったところのだけど、青菜炒めは妙に美味しかった。理子もよく食べた。なにか特別な味付けをしているからなのか、それとも海外で、とびっきり開放的な気分のなかで食べるからなのか。
おそらくその両方なのだろうけど、とにかく我々は夜市を満喫していた。本当はもっといろいろなものが美味しそうで魅惑的で食べてみたかったのだけど、胃袋はそれを許してくれなかった。しばし夜市の雰囲気を堪能すると、軽く酩酊していたこともありタクシーで帰った。
ホテル近くのコンビニ(やはりここでもファミリーマートだった)でビールを購入し、日本語が書かれたお菓子を買い求めた。
そしてホテルに戻ってビールのプルタブを引く。

台湾の夜はまだ続くのであった。

2017年2月26日日曜日

台湾旅行記

なんとなく、台湾に行ってみたいという気持ちが僕の中にはずっとあった。
花さんに「どこか行ってみたいところはある?」と聞かれた時、「台湾、かな」と答えたりもした。そして花さんはその言葉を忘れることなく、情報収集し、ブックマークやら旅本を買ったりして蓄積されて、見事に2月16日に家族旅行という形で実行された。

数日前には完成していた旅のしおりによると、彼女は羽田空港行きのタクシーを手配していた。それは定額制になっており、メーター料金とは関係ない。
朝9時に自宅マンション前にタクシーは横付けされていて、運転手のおじさんは我々に深々とお辞儀をして挨拶をした。
3人分の荷物が入ったノースフェイスのバッグとベビーカーをトランクに入れ、車内に乗り込んだ。出発日の直前まで、ベビーカーの有無は議論されたのだけど、振り返ってみると、ベビーカー無しでの旅は考えられないほど助かることになる。
運転手はまず、我々に道順を確認し、三軒茶屋から高速に乗ることになった。用賀から乗るのは混むからだ。とはいえ、結果としては三軒茶屋から乗ったとしても混んでいた。
道中では、孫がいるという運転手が、親孝行とは何か、それの尊さを我々に説いており、
また、高架化された道からわずかに溢れる光が、車内を暖めていた。
リムジンバスの時よりも、体感的には早く空港に着くことができた。運転手に礼を言って空港へと入り、まずは銀行ATMで日本円のまとまった額をおろした。

スマホを操作しての発券など、もはや珍しいことではなくなった。花さんはiPhoneを巧みに使って、所定の機械で3人分のチケットを受け取ると、早々にチェックインカウンターに向かった。
ここで前回の韓国旅行を思い出さずにはいられなかった。「あの時、花さんは、チケット会社の外国人相手に英会話していたな」「あぁ、難しい顔をしている、うまくいってないんだな」などと花さんから遠く離れたところで理子をあやしながら思っていたことを、つい昨日のことのように振り返っていた。
「今回は何度も確認した」と花さんが言った通り、まさに滞りなく手続きを終了し、バッグとベビーカーはベルトコンベヤーに乗せられていった。
レンタル手続きをしていた(もちろん花さんが)WiFi機器を受け取り、そうそうに搭乗手続きをした。そしてキッズスペースで理子を遊ばせることにした。言うまでもなく飛行機の中で寝ていただくための作戦である。
行き交う人々はみなどこか海外へ行く人たちなのだな、と思うと感慨深い。空港という場所はやはり面白く興味深い場所だ。

搭乗時刻が近づいてきたので、ゲートに並んだ。理子は飛行機をみると「ひこうきー!おっきいねぇ」と叫んだ。この前空港に来た時は「ひこうき」という言葉だけしか言えなかったのに、思ったことを多少なりとも言えるようになっていた。

そして我々は飛行機へと乗り込んだ。手荷物は頭上の棚には入れないで足元に置いた。理子をあやすためのものは手元に置いておかねばならない。
子どもを椅子に座らせシートベルトを装着する、というのはかなり至難の技となるのだけど、御多分に洩れず理子もおとなしく座るわけがなかった。アシアナ航空のときはCAから注意を受けたのだけど、ANAはそこは大目に見てくれているようで、親が確実に抱っこしていれば問題ないということだった。

定刻通り大きな機体は動き出し、加速とともにそれは宙に浮かび、幾たびかの方向転換をして無事に台湾へと向かって飛び出した。
理子に至っては、どういうわけか、花さんの腕の中でそのまま寝てしまった。こんなスムーズな展開などだれが想像しただろう?しかし花さんは「飛立つ瞬間って眠くなるのよね。気持ち分かるわ」と言って2歳半の娘にいたく共感しているのであった。



台湾に着くと、そこは日本でいうところの5月や6月くらいの気候のように感じられた。ようは暑いわけである。なにせ僕は上着を着て、さらにはニットまで着ているのだ。すぐさま上着を脱いだことは言うまでもない。
理子は久々に歩き回ることができるのが嬉しいようで、かなりはしゃいでいる。天井から吊りさがった蝶々の飾りを見て「ちょーちょさん、いっぱいだね!」と言った。

いたるところが漢字のみで説明が書かれており、中国圏に来たのだな、とぼんやりと思った。写真を撮られたり指紋を調べられたりして入国手続きを無事に終え、荷物を受け取ると、空港内にある両替所で2万円分を両替した。
そしてタクシーに乗って予約しているホテルへと向かった。どうやってコミュニケーションを取ったのかといえば筆談である。事前にメモ帳を用意していた花さんはホテル名を(漢字のみ)運転手に見せると「わかったわかった(多分)」と運転手は言った。
とても驚いたことの一つなのだけど空港は市街地の中にある。着陸するとき、すごく異様に感じた。騒音がひどいから、広い敷地が必要だから、いくつもあるであろう理由から市街地から離れた場所に空港はあるものだと思っていたけど、台湾に至っては市街地のど真ん中であった。
我々の泊まるホテルはそんな空港から20分ほど離れたところだったのだけど、運転手は運転しながらポケモンをやっていた。日本語を理解しない人だったようで、僕が小言を言ってもまったく関係ないといった風で順調になにかしらのキャラクターをゲットしていた。大きな道路で車通りが激しめな場所でも彼はスマフォを操作して、運転しながらポケモンしているというよりかはポケモンしながら仕方がなく運転している、と言ったふうだった。
しまいには我々が求めたホテルではないところで降ろされた。ここではないのでは?と抗議するものの「ここだ、大丈夫だ」と言って降ろされた。
いい加減な人がいるものである。年間を通して暖かいから色々とゆるいのかもしれない。

地図を片手に5分ほど歩くと、本来タクシーが我々を届けるはずだったホテルへと到着した。首元に音符のタトゥーを入れているホテルマンは、日本語を理解しており、理子を「かわいい!」と言って褒めちぎった。

室内はベッドも広くモダンな造りだった。荷物を降ろして少し休むことになった。
窓の外には大きな通りがあり、けたましく走る原付の集団が見える。
「あぁアジアに来たんだな」
僕はそんなことで、外国にいることをようやく実感するのであった。



2017年2月21日火曜日

家族旅行 台湾 後編

暑くて脱いだカーディガンを、道のどこかで落としてしまった。






 

公園にはリスがいて、人々は餌をあげていた















初詣をしていなかったので、台湾でそれをおこなった
台湾の人々は信仰を大事にしているようだった








一見入ることをためらうような細くて暗い路地裏には、
びっくりするようなおいしさの胡椒もちを売っている店があった

 










旅が終わり、日常へ





日常の中には奇跡のような美しい光景もみることができる




ライフ イズ ジャーニー
次はどこへ旅に出よう


2017年2月19日日曜日

家族旅行 台湾

少し遅めの冬休みをもらって、台湾へと家族旅行してきた。
花さんにいたっては前日まで、というか当日の朝方まで仕事をして、
仕事の帳尻をつけてくれた。
毎日19時の保育園のお迎えに行くために、
平日片付けたい仕事をやりきれないでいるから、
ここでさらに無理をさせてしまっていた。
けれど花さんのおかげでとても楽しい家族旅行となった。

これまでの旅の通り、今回も花さんによるプランニング。
2歳半の子供を連れての旅は、細かくスケジューリングしても、
そのようにうまくいくはずもないので、おおまかにこの時間帯にここへ、
一旦ホテルに戻って休憩して、といったふうであった。

台湾は日本の春先のような気候で、薄めのジャケットを羽織っていれば問題なく、
むしろ半袖で過ごしていることもあった。
それでも原付バイクに乗っている現地の人たちはダウンジャケットを着ていたり、
厚着をしていたりして、台湾人の気候に対する洋服の考え方はまちまちのようである。

iPhoneを落としてガラスが割れたり、予定外の場所へ行ってしまったりと
ちょっとしたトラブルもあったりはしたけれど、
家族が4日間、一緒にいて密に過ごせるという、当たり前のような、
でも僕らにとってはかけがえのない時間を過ごせたというのが一番嬉しかった。


次はどこへ?
帰りの飛行機の中で、ガイドブックを読み直す花さんの姿は、
トルコに行った時と同じだった。
嬉しそうで、楽しそうだった。

ライフ イズ ジャーニー