雪が降ってたらそのまま歩いてみようと思うのだけど、雨だと、ただただ面倒になる。美術館を後にした僕らは、少しだけ街を歩いてみたけれど、やっぱり億劫になってきた。気分を変えるために地下鉄に乗って、ホンデという街に行くことにした。
この街は日本で言うところの渋谷、原宿の雰囲気らしく、要は若者の街らしい。
確かに駅からして行き交う人たちの年齢が今までの街とは異なる。そして人の量も多くなった。
改札を抜けて地上に出ると、やはり雨が降っていた。ちょっと雨宿りしたからといって止むような種類のものではなさそうだった。この街では、目的のご飯屋も行きたい本屋もあったのだけど、そういった欲求を雨がどこかへ流してしまった。
とりあえずお腹が減ったからご飯を食べよう、ということになり、地下鉄のエレベーターを降りてすぐ近くにあったファッションビルに入る。その最上階にレストランがいくつかあるようだった。
洋食のレストランに入った。たぶんイケてる店なんだと思う。観光客向けではなく、韓国の若者向けである。メニューには日本語表記などなかった。
グラタンとボロネーゼのパスタ、あとはフライドポテトを注文した。ここは原宿なのかしら。
僕はビールを飲みながら窓の向こうの止まない雨を睨んでいる。
しばらくすると注文したものがそれぞれテーブルに置かれる。ボロネーゼは何故か甘く、理子はフライドポテトしか食べなかった。
やはり僕はビールを飲む。そして意を決してその甘いパスタとグラタンをなんとか胃の中に押し込む。
満足感とは別にお腹は満腹になる。
この店は、肉がメインの店らしい。だから肉を頼まなかった僕らは店員にしてみたら、「何しに来たの?」という感じのようだった。
隣のテーブルでは、運ばれてきた肉の塊を、店員がその場でフランベしていた。燃え上がる青い炎に狂喜乱舞する客。しかし動画撮影がうまくいかなかったようで、もう一度フランベさせていた。もはや味なんてどうでもいいのである。インスタ映えなのである。イイね!
僕らはそそくさと店を出た。止むことのない雨。諦めてまた地下鉄に乗って移動することにした。
そして昨日行ったデザインプラザの遊び場にもう一度行こうということになった。理子にたっぷり遊んでもらったほうが良いだろう。旅行に行っても親都合ばかりで面白くない、という印象になってしまうのは避けたかったのだ。
果たして、いざキッズパークに到着してみると、昨日とは打って変わって子供達で溢れていた。
雨→子供の遊び場→室内→デザインプラザ→大人たち廃人
という流れになるようだ。
穴場というわけではなかった。単純に昨日は平日だっただけだ。
受付を済ませて理子を放牧する。しかしながら昨日のようにのびのびというわけにはいかない。様子を見ながら理子は少しずつ場慣れしていった。
子供達は走り回り遊びまわる。親たちはソファで安定して廃人になっていた。
理子は木製のシルヴァニアファミリーみたいなものがいたく気に入ったらしい。何故か正座で遊びに興じている。
しばらくして、喫茶スペースで休憩する。子供用の飲み物も当然のことながらある。
10組くらいのカフェテーブルと椅子があったのだけど、椅子はどれも凝っていてデザイン性が高かった。 D&DEPARTMENTにでも置いてありそうな椅子はどれも可愛かった。子供に寄りすぎていないところが大人たちがリピートする理由の一つなのかもしれない。
そしてまた、ここにいる子供達がさらっと洒落ていて驚く。洋服のおしゃれさのアベレージが高い。
理子にも東京代表として頑張っていただいたが、着ている服はZARAと韓国で調達した服だった。
2時間きっかりと遊んだ我々はザハハディドの建築物の内部を歩いてみることにした。全体像が全くつかめない。ところどころ、入居していない空間もあったりした。そして繭のように丸みを帯びたフォルムであるから、自動ドアも斜めだったり、逆に垂直な部分というのが少ない印象だった。東京オリンピックの会場もこの人が候補に上がってたわけだから、確かにぶっとんだものが出来上がったんだろう。
外に出ると、雨は小降りになっていた。ホテルに戻ってご飯屋に行きつつ最後の散策をすることにした。
韓国にはこれまでに3回来たのだけど、いずれもALANDという服屋に行っていた。ここはBEAMSのようなセレクトショップである。
日本のそれよりも価格帯は若干安いかな、といったぐらい。前々回は3着ほど購入していたけど、前回は自分のなかでヒットが全くなかった。あまりにパクリ感がすごかったためだった。
今回、30分くらいかかけて服を見ていたのだろうか。理子は洋服屋が嫌いなので、花さんが理子を見ていてくれた。
全体的に見ていてワクワクするようなものが多かった。旅先での高揚感もあるのだろう。見たことも聞いたこともないブランドだし、来年もあるブランドなのかも全く分からないけれど、楽しい。ファッションはこの瞬間に存在するのだなという潔さを感じる服たち。
ラックにかかったそれらを見ていると、高校生の頃に鈍行電車で何時間もかけて原宿に行ったことを思い出す。手にとっては鏡の前の自分に服をあてて、ラックに戻しては悩んでいたあの頃。一緒に買い物に行った友達の「似合ってるよ」の一言でレジまで辿りつく。
今回もあの頃みたいに悩んでいると、「パパ格好いい」と理子が言ったので購入に至った。財布を開いて服を買ったのは実に久々だった。ユニクロでの買い物以来だ。
僕は33歳にしてクレジットカード不携帯なので、どうもECサイトでの購入というのになじみがない。そういうわけでアマゾンで買い物もしないし、ゾゾることもない。服は実店舗で買う。もしくはメルカリを使用し売上金で購入する。
花さん的にはヒットがなかったようで、ご飯屋に行くことにした。
もちろん最後のディナーも店は決まっている。カンジャンケジャンを食べるのだ。これは生の蟹である。醤油やらなんやらで漬け込んだそれは、今まで食べたことのない食感と風味に溢れていた。理子には食べさせることは躊躇したけれど、かなり美味しい。最後のディナーにふさわしいものだった。またお通し的にでてきたキムチやら韓国のりの中に、日本で言うところの「ごはんですよ」を乾燥させたようなものがでてきて、これがひどくうまかった。
周りには当然のように日本人で溢れている。店内では、取材を受けた番組がテレビで流され、またキャプチャーされた画面をプリントして壁に貼っていた。どうやらジャニーズの嵐がきたことがあるらしい。
今回の旅も、新しさがあった。日本国内を3人で旅するよりも安く行けてしまうお隣の国は、3度目の渡航であってもやはり楽しかった。花さんが作ってくれた『しおり』の通りには行かないことがあったけど、きっと彼女にしてみたらガイドブックやら旅ブログを見ているときには既に旅行していたようなものだったのだろうと思う。想像の中で旅をすることの楽しさを知っている花さんは、既にもう他の国へ旅しているのかもしれない。
食後、最後の買い出しに行く。花さんが「いつもいく」というスーパーである。スーパーと言ってもコンビニより狭いのだけど、所狭しと商品が置かれたそこは確かにスーパーマーケットだ。当たり前のように日本語で商品の説明書きがなされ、店員は日本語が達者だった。僕らのほかにも日本人の女の子が一人で買い物していて、韓国のりの種類の説明を日本語で聞いていた。
誇張ではなく街なかの商店では日本語で溢れている。道を歩いていれば日本人がいるし、説明書きも日本語だ。電車に乗っていると理子を見て席を譲ってくれるし、老人たちは話しかけてきた。我々が日本人だから、ということで嫌な扱いはされたことがなかった。
テレビやらネットでは嫌韓な部分がフィーチャーされがちだけど、実際に韓国に訪れてみるとまったくと言っていいほど肌感覚が違った。とはいえソウルだから、と言ってしまえばそれまでなのだけれど。
買い物を終えて、雨上がりでキラキラと光る街を歩く。理子の思い出としてこの景色が蓄積されていてくれたら嬉しいと思った。
翌日は早朝から出発した。7時にはホテルをチャックアウトし、タクシーでソウル駅に向かう。朝の冷え方はキリッと肌を刺すようだった。
ソウル駅には、空港直結の電車があり、この駅で大きな荷物を預けることができる。つまり空港で列に並んで荷物を預ける手間も省けるし、てぶらで電車に乗れるわけだ。これは画期的で便利な仕組みだった。2つのスーツケースとベビーカーを持っている我々にはとてもうれしいサービスだった。
Wi-Fiを返却し、電車に乗った。朝ごはんはコンビニで買ったパンだ。
我々は実にスムーズな動線で空港へ行き、出国した。手荷物を既に預けていた我々は、それ専用のゲートから入り、出国した。なんというか、おもてなしとはこういうことなんじゃないかと思う。
飛行機が離陸すると理子は眠りについた。
日本に到着すると、ソウルよりも少しは暖かく感じた。第3ターミナルでの食事は避けたかったので、カートにスーツケースやらを乗せ第2ターミナルへと移動した。
レストランが並ぶ階まではエレベーターがなく、エスカレーターのみだった。つまりカートでの移動は不可だった。なんという動線の悪さか。
和食レストランでご飯を食べる。理子にはキッズプレート。食事をしながら旅を反芻する。会話のなかで「次に行くときは〜」となされるのが最早なにも違和感がない。この一年実に旅をした。2月に台湾。5月にバリ、シンガポール。そして韓国。ジェットセッター花理子に至っては台湾に2度行っているし、花さんは出張でパリに2度行っている。
いつの頃からか長橋家の家訓として燦然と輝くようになった life is journeyが体現されつつある。来年もどこか旅に出かけられるようにしたいものである。
成田空港からまた2時間近くかけて渋谷駅に戻った。すると、ここへきて理子の疲れがピークに達したようで、まるで歩こうとしなかった。そしてベビーカーは断固拒否。「理子ちゃんベビーカー乗らない!」と渋谷の中心で叫ぶ。疲れて眠いならベビーカーに乗ったほうがいいという大人たちの理屈は子供にはまかり通らない。
こうなるともう手がつけられなかった。駅での殺気立った人の往来と、本当に動線の悪い道のりに、うんざりしてしまう。
絵に描いたように駄々をこね、暴れる理子を一瞥していく渋谷の民。
うんざりしたところで理子は歩かないし前に進むことはできない。少しずつ前に進んでいくしかない。ベビーカーは畳み、理子を抱っこしてスーツケースを引く。AKIRAのように腕がもげて落ちそうだった。
全くおもてなしされていないエレベーターを乗り継いで、ようやく地上に降り立つことができた。成田から電車で渋谷まできた外国人は、重たい荷物を持ったまま駅から出られないんじゃないだろうか。
なんとか乗り込むことができたタクシーのなかでも叫び続ける理子。もはや手がつけられなかったのだけど、三茶を過ぎたあたりまでくると寝てしまった。
寝ぐずりのひどい状態だったわけだ。
ようやく車内は静かになった。しかしタクシーを降りた後、寝たことによってさらに重みを増した理子と、スーツケース2つ、ベビーカーとリュックを背負った我々は、エレベーターが付いてないマンションを買ってしまったことを心の底から後悔した。
部屋に着いて、理子を布団に寝かせたのだけど、彼女は翌日の朝まで目を覚ますことはなかった。こうして旅が終わった。
「次はどこへ?」
旅を想像するのはいつだって創造に溢れている。