2014年1月7日火曜日

KOREA

いつ頃からだったか、HANAが韓国語教室に通いだした。
大学の頃から、外国の空気に数多く触れてきていたようだったので、
韓国に興味を持つことも実に自然なことのように見えた。
通勤電車の中では教科書を読み、家では「宿題がある」と言って
テーブルに向かって何やら書き取りをしていたこともあった。

僕はと言えば、仕事柄長期休みを取ることが難しいこともあって、
海外に思いを馳せることは皆無に等しい。
そんな僕に、HANAは何度も言った。
「一緒に韓国へ旅行しない?」
僕はいつも「NO」と答えてきた。
HANAは僕にこの質問をするようになってから、
相手を変え、時季を変え、実に5回以上韓国へ渡航している。
韓国という国に対して興味を持ったことがなかった僕なのだけど、
「旅費は私が持つ」というHANAの言葉に負け、
「そこまで言うなら連れて行ってくれ」と言って、1月3日にそれは実行された。


早朝の二子玉川駅。
空港へ向かうリムジンバスがロータリーへと静かに滑り込んできた。
係員が名簿を照らし合わせ、乗客の確認をしている。
僕らはスーツケースを預け、バスに乗り込む。
乗用車とは違って高い位置から眺める景色は心をわくわくさせた。
定刻通りにバスは羽田へ向かって出発した。

東京湾景。
昔のドラマのタイトルのような景色を横目に、バスはスムーズに運行を続ける。
果たして、予定時刻よりも早く空港へと到着した。
「チェックインは済ませてあるよ」HANAは言った。
ネットで既に済ませたというのである。実に旅慣れている。
「向こうでWi-Fiを使えるように、機械の手配をしてあるからそれを受け取りに行きましょう」HANAは言った。
無駄がない。実用的。旅のお供にHANAである。実に旅慣れている。
スーツケースを預けて早々に入国審査を終えると、コーヒーを飲んで休憩した。
親に電話をしたり、ネットでニュースを見たりした。
そうこうしている間に、搭乗時刻となり、手荷物を小脇に抱え、飛行機へと乗り込んだ。

飛行機に乗り込む瞬間というのはいつも不思議な高揚感に包まれる。
知らない場所へ連れて行ってくれる、魔法使いが出した不思議なアイテムのようだ。
それはたったの2時間半で僕たちを金浦空港へと運んで行った。
実にあっという間だった。

入国に際し、指紋と顔写真を採られる。ふむ。
地下鉄に乗ってソウル駅へ行き、タクシーを捕まえるとホテルへと向かった。
なんてことないといった風に、HANAはタクシーの運転手に韓国語で目的地を伝える。
そして運転手は静かに車を走らせるのであった。
我妻ながら、感動すら覚えた。


車を降りると、街はどこか黄色く見えた。
そのことをHANAに言うと、
「大陸だから、日本とは空気が違うみたいね」と彼女は言った。
ひどく合点のいく答えであった。日本は島国なのだ。
ホテルでは時間の関係でチェックインができなかったため、
荷物だけ預かってもらうことにして、街へと繰り出した。

「ほんの少し前は、日本人で溢れていたんだけどね」とHANAは言った。
そのことが窺い知れるのは、店先に必ずと言っていい程、
何かしらの日本語が書かれていることで分かった。
店に入ってみると、すぐに日本人だと分かるらしく、
こんにちは、と店員に声をかけられる。
僕もHANAも大きなマスクをしていて、
目元ぐらいしか判断材料がないのにも関わらずである。
日本語を話せる人は、たいてい流暢であった。

お昼ご飯は、HANAが行きたいと言っていたトッポキの店へと行った。
トッポキの店というだけあって、トッポキしかメニューにはない。
あるのはトッピングの種類だけだ。
それゆえ、店に入るやいなや、席に着くとほぼ同時に
トッポキの入った鍋がテーブルに置かれるのであった。
凄まじいシステムだ。
周りを見渡してみても、無駄話をすることもなく食べ終えたら席を立つ。
回転がとてもよい。
鍋の中身はすぐに沸騰し始めた。
地獄のように真っ赤な鍋である。
韓国独特のステンレスの箸やスプーンを使って食べたそれはとてもおいしかった。
しめには、雑炊ではなくチャーハンにして食べた。
これも少し独特である。

腹ごなしもかねて、古い街並が残る北村を歩いた。
日本と同じアジアで、似ているようで似てない街並。
懐かしいようで新鮮な景色を堪能した。

しばらくすると、ホテルのチェックインの時間になったので、戻ることにした。
そして、夜の街へ繰り出すべく体力温存のため、
ベッドへ倒れ込むようにして眠りにつくのであった。

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