2014年1月30日木曜日

2014年1月21日火曜日

家族写真

家族写真っていいですね。
カメラを向けられたら、基本的には構えちゃうものだと思うのだけど
家族って距離はカメラを向けても自然体なのは崩れない。
ナチュラルな雰囲気のままフィルムに焼き付ける。
その瞬間をトリミングできてよかったと思える写真に出会えて私は嬉しい。

あと、フィルムカメラを持ってると、
僕は積極的に写真を撮ろうとするらしく、
昨日会った友だちに「そうやって写真に残してくれて嬉しい」というような事を言われた。

写真の原点。
記録を記憶に沿わせる。

写真っていいですね。














 









2014年1月19日日曜日

ファッションに触れる日

韓国二日目。
この日は、朝から市場で食事をすることにした。
HANAさんの案内で、ぐいぐいと道を進んでいく。
案内された一画は、ビニールカーテンで仕切られており、
同じような店が10件近く並んでいる。
中に入るや否や、一斉におばちゃんたちのかけ声が我々に浴びせられる。
うまいよ、座っていって、おいしいよ、席あるよ
知ってる日本語でとにかくまくしたてる。
どういったセンサーがあるのか知らないけれど、
日本人だとすぐに分かるらしい。

元々HANAさんの行きたい店というのがあったらしいのだけど、
どうやら違う店の席に座ってしまった模様。
しかしながら今更席を替える事もできず、ビビンバを注文した。
どっさりとよそられるキムチ。
サービスでつけられる冷麺。
肝心なビビンバも韓国で食べるとひと味違う。
朝っぱらからとても食べれる量じゃないくらいよそられており、
申し訳ないけれど残してしまった。

食べながらまわりの店の様子を見ていたのだけど、
どこも同じメニューだった。
そんななかで、人気ある店とそうでない店があった。
どうして同じ料理を出す店が10件近くも並ぶのだろう。
いろんな料理があって、それぞれの店の良さを出した方がよいのではないか、
とも思うのだけど、漁港の近くには刺身を出す店が乱立するようなものかと
納得することにした。

客は人気ある店に自然と入っていく。
売れてない店の呼び込みはかなわずであった。
この絵面は気分をちょっと、いわゆるブルーにした。
もの悲しげなおばちゃんの顔を見ながらすする冷麺は体を余計に冷やすのだ。


店を出ると、日本で言うところの新宿のような所を歩く。明洞という地域だ。
そこでA LANDというビームスのような店に入る。
前日に行ったファッションビルの店員とは明らかに違う雰囲気。
スタイリッシュで、むやみに近づいてこない。
ラックに陳列されてる服もどこか違う。
初めて上京した高校生の頃のような気分になって、服を見る。
やっぱり服が好きなのである。
あれこれ手に取って、can i try?
6着近く試着して、2着購入する事にした。
取り立てて安い訳ではなかった。
ビームスで買ったって同じ事なんだろうけど、ビームスで服は買わない。

その後も韓国版ユニクロを見たり、海苔の専門店で買い物したり、
ロッテデパートに行ったり、した。

一度ホテルに戻り、やはり一眠りすることにした。
実にゆとりある旅である。


1時間近くたってから、また街へと繰り出す。
今度行くのは青山のような場所である。
サムスン美術館へと向かった。
ここでは杉本博司の展覧会が行なわれていた。
銀座のギャラリー小柳で見たり、ブルータスの特集で見たりしたことがあったのだけど、
量感的にはかなり見応えのあるものだった。
受付でサムスンのタブレットを受け取っていたのだけど、
作品の前にたつと、自動的に作品を認識して解説を始めていた。
残念ながら日本語対応はしていなかった。

その後、常設展を見たのだけど、内容がかなり濃かった。
バスキア、ヨーゼフボイス、アンディウォーホル、ロスコ、サイトォンブリ、
リヒター、エドルシェ、ダミアンハースト、ジャコメッティまであった。
恐るべし韓国。片っ端から揃えた感がある。
サイトォンブリに関しては作品を初めて見られたので感動した。
あとはリヒター。存在感が半端なかった。
ミュージアムの入り口にある発光ダイオードを使った作品は宮島達夫であった。

このエリアは金持ちが多いらしく、走る車もヒュンダイとかではなく外車が多かった。
ミュージアムの近くにギャルソンがあった。
一階にはローズベーカリーが入っていて、ドーバーストリートマーケットと同じだ。
エレベーターで最上階までいって、特に買うものなどないけれど見て回った。
ちょっと前に始まったラインのものから、ビートルズのものやら
たぶんすべてのラインが揃っていた。
そして、店の導線がしっかりしていて、ストレスなく店内を回る事が出来た。
ここでも店員の髪型は川久保玲カットであった。
世界共通なのかしら。

ギャルソンを出ると、D&DEPARTMENTに行った。
日本でもおなじみのものからソウルオリジナルのものまであって面白かった。
HANAはiPhoneケースを買っていた。

その後も、またしてもA LANDに行って靴下を購入した。
なぜかバーコードがなかなか読み取れなかったらしく、
眼鏡をかけたしずちゃんみたいな女の店員は四苦八苦していた。


この日の夕飯は、またしてもディープな店だった。
韓国と言えば焼き肉というわけなのだけど、
ここの店は鉄板が円錐で、下部に溝がついていた。
どことなくジンギスカンの鉄板に近い。
円錐の上部で肉を焼き、油が溝に溜まる。
そこに溶いた生卵を流し込み、ネギやらにんにくやらキムチを混ぜて
スクランブルエッグ的に食べる訳である。
これはおいしかった。
最初に焼いた肉はハラミだったのだけど、塊でやってくるそれを、
HANAがはさみでチョキチョキと切っていく。
やはり訪韓数が違うのである。手慣れてらっしゃる。
その後も韓国語を駆使して注文を重ねていくHANA。
ちなみに韓国語で一つというのはハナなんだそう。
この日もノンアルコールな二人であった。

なんだかんだと歩き回って疲れていたのでタクシーで帰る事にした。
どうやら韓国はタクシー代が安いようである。
勘定もそこそこであった。
ホテル近くで降りる。屋台のようなものがでていたので、何かと思ってみて見ると、
どうやらパチもんを売りさばいてるようだった。
グッチ、ヴィトン、プラダなどというのは、パチもんのお決まりだと思うのだけど、
ひと味違うのは、モンクレールのダウンとかもある点だ。
さらには、GIVENCHYのバンビプリントスウェットという、マニアックなものまで
あったということだ。
スタイルドットコムでも見てるのかしら。
中国で生産してたものが流れてきてるとかなのか、実情は知らないけれど。

違反物だと分かって買い物をすると言うのは違法行為である。
皆様もお気をつけ下さい。



旅の続き

旅行の途中で一度ホテルに戻り、一眠りしてからまた街へと繰り出すというスタイルを
我々はいつの間にか習得していた。
僕にとっては不慣れな街なので、足腰がクタクタだったのだ。

僕たちはまず、古着屋がたくさん集結しているエリアへと向かった。
果たしてそこは、上野のアングラ地帯のようだった。
碁盤の目のように区画が分けられていて、所狭しとラックに服がかけられている。
ガイドブックには掘り出し物が見つかるなどと書かれていたのだけど、
僕たちがたどり着いたときには既に閉店間近の時間で、ゆっくり見る事ができなかった。
それと、店員さんが近寄って何か話しかけてくるのだけど、僕には理解できないので
そそくさと出てしまった。

その一帯を出ると、ファッションビルが立ち並ぶ、東大門というエリアへ行った。
高層ビルのネオンが煌びやかだ。
一つのビルに入ってみると、ラフォーレのような雰囲気だった。
レディースのフロアを一通り見て回る。
聞いた事のない、おそらく韓国のブランドのブースがいくつもあった。
acneだったり、GIVENCHYだったり、Stella McCartneyだったり、
要はハイファッションブランドのエキスを吸い取ったような服が並んでいた。
面白いのは、徹底的に似せてくるということだった。
ブランドの書体まで一緒だった。
そういった意味でなかなか見応えがあった。

メンズフロアも見てみると、店員は暇そうだった。
基本的に店先でスマフォを見ている。
そして店の前を客が通るとものすごく積極的に話しかけてくる。
僕の印象では、レディースのファッションにおいてはすごくハイを意識しているのに、
メンズはただただエグザイル的だった。
中には甘めのものもあるのだけど、なんともピンとこなかった。
このビルの近くには何件もビルが並んでいたので、違うビルにも入ってみたのだけど
違う店で、同じ商品が売られていた。
おそらく問屋が一緒なんだと思うけど、メンズに関してはまだ力を入れてないのかもしれない。
日本人を見ると、日本語で話しかけてくる。
パッと見で日本人と認識できるのか?と疑問に思った。
トルコに行ったときはコリアンか?って聞かれたものだけれど。

その後いくつかのビルを見て回ったものの、接客のしつこさに辟易してしまい、
チョンゲチョンという川辺の道を歩く事にした。
そこはいわゆるデートスポットらしい。
ライトアップされた少し雰囲気のある道だった。

HANAが作ったしおりに沿って、我々はタッカンマリを食べに、
ミョンドンタッカンマリというお店に行った。
その店名の通り、タッカンマリしかない店である。
地元民が集まりそうな食堂で、店に入って特になにも言わなくても
鍋とタレが用意される。このタレは自分で調合する。

僕は鶏肉を煮ただけの鍋と言うのが基本的には苦手なのだけど、
ここのは食べる事が出来た。
風邪を引いていた僕は、本場のマッコリを飲む事なく食事をした。
そして、鍋の締めにうどんを食べたのだけど、これまたおいしかった。
食を堪能したのち、予約してあったマッサージ屋へと行った。
店員さんも日本語が堪能だったし、日本の雑誌のコピーが店先に貼られていた。
日本語で僕が「日本人の客は多いのですか?」と聞くと多いと答えていた。

マッサージの内容はと言えば、スポーツマッサージと言う種類のもので、
全身をマッサージしてくれるものだった。
人生において、初の全身マッサージ。
正直、HANAさんに肩を揉まれるのでも拒否反応を起こしてしまう程
マッサージが苦手なのだけど、ペイするからにはその辺は我慢できるのではと思ったのだ。

服を着替えると、HANAと隣同士のベッドで横たわる。
日本語で「始めますよ」といわれ、なすがままに体をゆだねる。
基本的に痛い。
そして風邪をひいてるために、大量の鼻水が流出していた。
こんなので一時間も耐えられるのか!?と思っていたのだけど
いつの間にか虜になっている私だった。
実はMなのかもしれない。
うつぶせから仰向けに姿勢を変える際に、鼻をかんだら?といわれ放出した。
すると、「アイゴー」と言われた。可哀想にという意味らしい。

その後順調に僕の体をほぐしていく韓国のママン。
隣のベッドから時折聞こえるHANAのうめき声。
異国で何をしているんだろうと、ふと思う。

マッサージを終えると、温かいお茶を頂戴する。
そして会計を済ませて店を出た。
ホテルへと帰る途中、コンビニに寄ってチョコを買った。
ホテルの部屋に戻って、開封してみると、箱が上げ底になっていて、
商品の数が箱の見た目に対してすごく少なかった。
恐るべし韓国。ポテンシャル高いぜ。

2014年1月7日火曜日

KOREA

いつ頃からだったか、HANAが韓国語教室に通いだした。
大学の頃から、外国の空気に数多く触れてきていたようだったので、
韓国に興味を持つことも実に自然なことのように見えた。
通勤電車の中では教科書を読み、家では「宿題がある」と言って
テーブルに向かって何やら書き取りをしていたこともあった。

僕はと言えば、仕事柄長期休みを取ることが難しいこともあって、
海外に思いを馳せることは皆無に等しい。
そんな僕に、HANAは何度も言った。
「一緒に韓国へ旅行しない?」
僕はいつも「NO」と答えてきた。
HANAは僕にこの質問をするようになってから、
相手を変え、時季を変え、実に5回以上韓国へ渡航している。
韓国という国に対して興味を持ったことがなかった僕なのだけど、
「旅費は私が持つ」というHANAの言葉に負け、
「そこまで言うなら連れて行ってくれ」と言って、1月3日にそれは実行された。


早朝の二子玉川駅。
空港へ向かうリムジンバスがロータリーへと静かに滑り込んできた。
係員が名簿を照らし合わせ、乗客の確認をしている。
僕らはスーツケースを預け、バスに乗り込む。
乗用車とは違って高い位置から眺める景色は心をわくわくさせた。
定刻通りにバスは羽田へ向かって出発した。

東京湾景。
昔のドラマのタイトルのような景色を横目に、バスはスムーズに運行を続ける。
果たして、予定時刻よりも早く空港へと到着した。
「チェックインは済ませてあるよ」HANAは言った。
ネットで既に済ませたというのである。実に旅慣れている。
「向こうでWi-Fiを使えるように、機械の手配をしてあるからそれを受け取りに行きましょう」HANAは言った。
無駄がない。実用的。旅のお供にHANAである。実に旅慣れている。
スーツケースを預けて早々に入国審査を終えると、コーヒーを飲んで休憩した。
親に電話をしたり、ネットでニュースを見たりした。
そうこうしている間に、搭乗時刻となり、手荷物を小脇に抱え、飛行機へと乗り込んだ。

飛行機に乗り込む瞬間というのはいつも不思議な高揚感に包まれる。
知らない場所へ連れて行ってくれる、魔法使いが出した不思議なアイテムのようだ。
それはたったの2時間半で僕たちを金浦空港へと運んで行った。
実にあっという間だった。

入国に際し、指紋と顔写真を採られる。ふむ。
地下鉄に乗ってソウル駅へ行き、タクシーを捕まえるとホテルへと向かった。
なんてことないといった風に、HANAはタクシーの運転手に韓国語で目的地を伝える。
そして運転手は静かに車を走らせるのであった。
我妻ながら、感動すら覚えた。


車を降りると、街はどこか黄色く見えた。
そのことをHANAに言うと、
「大陸だから、日本とは空気が違うみたいね」と彼女は言った。
ひどく合点のいく答えであった。日本は島国なのだ。
ホテルでは時間の関係でチェックインができなかったため、
荷物だけ預かってもらうことにして、街へと繰り出した。

「ほんの少し前は、日本人で溢れていたんだけどね」とHANAは言った。
そのことが窺い知れるのは、店先に必ずと言っていい程、
何かしらの日本語が書かれていることで分かった。
店に入ってみると、すぐに日本人だと分かるらしく、
こんにちは、と店員に声をかけられる。
僕もHANAも大きなマスクをしていて、
目元ぐらいしか判断材料がないのにも関わらずである。
日本語を話せる人は、たいてい流暢であった。

お昼ご飯は、HANAが行きたいと言っていたトッポキの店へと行った。
トッポキの店というだけあって、トッポキしかメニューにはない。
あるのはトッピングの種類だけだ。
それゆえ、店に入るやいなや、席に着くとほぼ同時に
トッポキの入った鍋がテーブルに置かれるのであった。
凄まじいシステムだ。
周りを見渡してみても、無駄話をすることもなく食べ終えたら席を立つ。
回転がとてもよい。
鍋の中身はすぐに沸騰し始めた。
地獄のように真っ赤な鍋である。
韓国独特のステンレスの箸やスプーンを使って食べたそれはとてもおいしかった。
しめには、雑炊ではなくチャーハンにして食べた。
これも少し独特である。

腹ごなしもかねて、古い街並が残る北村を歩いた。
日本と同じアジアで、似ているようで似てない街並。
懐かしいようで新鮮な景色を堪能した。

しばらくすると、ホテルのチェックインの時間になったので、戻ることにした。
そして、夜の街へ繰り出すべく体力温存のため、
ベッドへ倒れ込むようにして眠りにつくのであった。