旅が日常と違うことは、終わりがあるということだ。
トルコの旅も最終日を迎えた。
シャワーを浴び、身支度を整え、荷物を整理する。
旅の途中からはメッセンジャーバッグは使わなくなり小さな手提げバッグのみだった。
旅に慣れると荷物がミニマムになっていくようだ。
日本人の精神に乗っ取り、立つ鳥跡を濁さず。ゴミをまとめベッドのシーツなどを直す。
ホテルの食堂で朝食を食べる。
隣の複数のテーブルには日本人の観光客の姿があった。
どうやらツアーでこのホテルに宿泊しているらしい。
そのほかには、外国人の老夫婦が新聞を広げている姿がある。長い間宿泊している様子だった。
一度部屋に戻り、荷物をロビーに預けチェックアウトをした。
2、3日でイスタンブールのすべてを回ることはむずかしいが
最後に行っておきたいところに行くことにした。
エジプシャンバザールは、グランドバザールと違って食品を多く扱っていた。
ここでも陽気なトルコ人たちがあの手この手で、我々に声をかけてきた。
しばらく歩いていると、えどまっちゃんの店と書かれた土産物屋があった。
そこにはGLAYのTAKUROやサッカー選手の稲本などの写真とサインが飾られ
日本人に対して友好ですよ、とアピールされていた。
果たして、やはり日本語を話すことの出来る店員がおり、僕たちはまたたくまに店の地下へと案内された。
地下では所狭しと陶器が並んでおり、サイズや柄も豊富だった。
お土産をまったく購入していなかったので、この店でまとめて探すことにした。
一人一人の顔を思い浮かべながら、一通り選び終えると、
店員は、達者な日本語でトルコ石のうんちくを語り始めた。
「ここで買わなくても、いずれ買うとしたら知っておいた方が良いですよ」と彼は言った。
トルコ石には大きく分けて3タイプあり、
天然のもの、アンティークのもの、合成ものがある。
彼はそれを一つ一つ丁寧に説明してくれた。
母親にいいものをプレゼントしようと思っていた僕は、
天然のトルコ石を使ったイヤリングを買った。
「そんなに早く決めて大丈夫?」と彼は言ったが
僕には迷いもなく、それに決めた。時間をかければいいということでもないだろう。
彼はここぞとばかりに物腰柔らかく次の商品を売り始めた。
からすみである。
さりげなく試食をさせ、飲み物まで提供する。
ホスピタリティとは違うのだろうけど、なかなかに親切である。
「お酒のおつまみにいいですヨ」
と東京の王子に在住していた際に身につけたディープな日本語で、我々の財布のひもを緩めさせる。
結局、トルコ石、ハンドメイドの陶器類、からすみを購入した。
その後、兄弟がやっているというお店にも案内されたけれど、
冷やかすだけにとどまった。
店を出ると、一通りバザール内を回って、外に出た。
イスタンブールでの楽しみなことの一つに、サバサンドを食べることがあった。
少し甘みのある味付けをして焼いたサバを、
シャキシャキのたまねぎなどと一緒にパンにはさんで食べるもので、テレビ番組でも紹介されていた。
フェリー乗り場の方へ向かうと、フェイクなクラシック感がただよう船の上で
サバが山積みにされ、ひたすらに店員がパンにそれを挟んでいた。
どうしてそれを船の上で作っているのか、謎ではあった。
サバサンドを作る人と、客からの注文を受けて作る人、
それぞれが海の上で対応しているわけで、どんぶらこと揺れ続けているのであった。
体幹が鍛えられるんだろうな、などと思いながら僕たちはそれを注文した。
屋外に並べられたテーブルに座っていると、子供たちがティッシュを売りにきた。
彼らにとっては生きるすべなのだろうが、断った。
中には強者がいて、いらないと言ってもテーブルに置いていくという技を使っていた。
客のなかには、(特にフランス人っぽいのだけど)露骨に嫌な顔をして
鬱陶しそうに追い払っていた。
そんななかでも、仕組みというものが存在するらしく、
ゴミ掃除をする店員と、その子供たちが絶妙に協力しあっていたり
なんとも不思議な光景だった。
肝心なサバサンドの味はというと、日本風のいわゆるサバであり、
日本で流通させても流行るのではないかと思った。
その後、ホテル付近の土産物屋を物色し、ガラスでできたランプを二つ購入した。
もはやトルコリラの大処分である。
ホテルへ戻ると荷物をピックアップし、空港まで送ってもらった。
来た時とは逆の流れで景色を眺める。
海辺の芝の上では家族が手をつなぎ歩いている。
ゆるりと流れる時間のなかを僕たちは逆走していく。
空港につくと、荷物検査を通って中へと入る。
日本では手荷物検査でフィルムをハンドチェックしてもらっていたのだけど、
もはやトルコの人にはなにを言っても通じない。
ハンドチェックプリーズと言っても無言で赤外線チェックのベルトコンベアーに載せられてしまった。
トルコ空港のチェックインカウンターで手続きを済ませると、
アイリッシュバーでビールを飲んだ。
ここでもエフェスビールは美味しい。
長かったような、短いような、思い出を反芻する。
僕にとっては、片時も離れる事なく1週間一緒だったという事自体が素晴らしい時間であった。
搭乗の時間となって、機内に乗り込むと、また12時間のフライトが始まった。
僕はなぜかなかなか眠ることができず、3本も映画を見てしまった。
隣ではHANAがトルコのガイドブックを読み直していた。
なんともかわいらしい姿だった。まだまだ楽しみたかったのだと思う。
果たして飛行機は無事に我々を日本へと運んだ。
飛行機を降り、荷物をピックアップする間、母親に電話をし、無事に帰国したことを伝えた。
都内へ戻るバスで家の近くまで行くのはウェスティンホテル行きだった。
その手配をし、外に出ると日本特有の湿度の高い世界が僕たちを待っていた。
しかし思いのほか暑くはなかった。バスには数組しか乗車しなかった。
ウェスティンホテルにつくと、タクシーで家まで帰った。
家に着いた頃には、僕の眠気もマックスに達しており、
ラーメンを食べに行こうなどと言っていたのにベッドに突っ伏してしまった。
旅が終わると日常が待っている。
住み慣れた家、使い慣れた家具。
旅に出る前と、帰ってきてからの我々を包む空気は、
同じように見えて少し変わったかもしれない。
見た目ではわからない部分で、静かに鼓動を始める。
これからは旅にも似た日常を送ろう
2012年8月30日木曜日
2012年8月16日木曜日
7th day
世界の観光地として、イスタンブールが高いランクに位置している理由はいくつかあるのだろうけど、実際に訪れてみて思ったのは、町中にある歴史的建造物が多くあるなかで、適度に近代化され、ツーリトを受け入れる体制が、ホスピタリティが備わっていること。そしてまた、トルコ人たちの明るさに他ならないと思う。
トルコは自給率が100%とも言われている。
広大な土地に加えて、海もある。
また、政教分離を取り入れているという事から、イスラム教国でありつつ、適度に自由な部分があるようである。
国の豊かさが、人の表情に現れている。
微笑みの国はタイかもしれないけれど、トルコもなかなかである。
イスタンブールの魅力はモスクなどの歴史的建造物ばかりではない。
若者が集う町もある。
新市街と呼ばれるそのエリアでは、オールドスクールなトラムが路面を走っている。
イスティクラール通りには、欧米のアパレルショップや、デパート、おしゃれなカフェなどがいっぱい並んでいた。
僕は靴屋に入って、みた事のないニューバランスの型を見て興奮したり、
老舗のロクムの店で乙女と化していた。
しかしながら、原因不明の腹痛に見舞われていて、
デパートでトイレに行ったり、デパートでトイレに行ったり、した。
町を歩いていて気になったのはグラフで、ところどころにペインティングがされていた。
この一帯はアーティストが集まる場所らしく、張られているポスターもどこか洒落ていた。
通りを下って行くと、ガラタ塔と呼ばれる町のランドマーク的な建物があった。
入場料を払って頂上まで行くと、イスタンブールの町を360度見渡せた。
高いところから町を見下ろすと、数多くのモスクがあることが改めて良く分かった。
塔を降りた所にあるちょっとした広場で休んでいると、
人懐っこい子猫が、僕の足の上に乗ってきた。
遊んでくれと言わんばかりにツンツンしてくる姿がなんとも愛らしい。
そんな僕たちの姿を見た一人旅らしき青年が、
僕の側に座っておこぼれを頂戴するかのようにその猫に求愛の視線を送り手を差し伸べていた。
しかしその愛は届かなかったらしく、子猫はどこかへ駆け出して行ってしまった。
一旦ホテルに戻り休憩をしてから、トプカプ宮殿へと向かった。
旅のお供、地球の歩き方によると、オスマン朝の支配者の居城とのこと。
そこにはハレムと呼ばれる場所がある。
読んで字のごとく、王様が女性を囲っておくところだ。
しかしながらイスラムの掟によって、王様は直接女性と顔を合わす事はなかったらしい。
どことなく優しい色使い。繊細な模様。
窓枠一つ、壁一つとっても、どれもかわいらしく、素晴らしかった。
豪華絢爛で、均整がとれているなかにもどこか不揃いな部分も有り、人のぬくもりを感じた。
ハレムをでて、芝のある広場に行くと、欧米人たちがめいめいの格好でくつろいでいる。
カップルで芝生に寝転がりながら、本を読んでいたり、股に手を添えたりしていた。
僕たちも欧米人に習って芝生に寝転がり、空を眺めてみた。
空が青い。トルコ人はこんなにきれいな青空を見ていたから、きれいな青いタイルをつくることが出来たんだと思った。
すっかり浸っていると、警備員の人に寝転がるのをやめなさいと注意される。
向こうにいる欧米人はいいのか?といぶかりながらそこを後にした。
時刻は7時を過ぎた。
アジアサイドに行くべく、フェリー乗り場へと向かう。
ツーリストや地元民でごった返している。
僕たちはフェリーの最後尾に陣取って、沈みつつある太陽を眺めていた。
カモメがエサを求めてフェリーの後を追ってくる。
近くにいた子供がパンをちぎって空高く投げた。
カモメはうまいことそれをくちばしでとらえると、満足げに羽を広げ遠くへ飛んで行った。そんな姿を子供の両親は肩を組んで微笑みながら見ていた。
アジアサイドにつくと、しばらくベンチに座って通り行く人たちを眺めた。
日が暮れていく。
僕たちにとって最後のトルコの夜だ。
これまでの旅行の思い出を二人で語り合う。
カッパドキアの衝撃。気球から見た圧倒的な景色。
パムッカレの神秘的な白い世界。
荘厳なビザンツ建築。
魅力が溢れた国だった。
ふと広場に掲げられた巨大なトルコの国旗が目に入る。
赤い地に、星と月が形取られている。
よくよく見ればなんともロマンチックな国旗だ。
(しかしながら調べてみると、どうやら血の赤らしい)
夕飯を取ろうと、町を歩く。
至る所に猫がいる。
どうやら、町の人が餌付けをしているらしい。
魚屋の排水溝の中から子猫が何匹も出てきて親猫とじゃれ合っていた。
屋根にいる猫に向かって肉のかたまりを投げている女性もいた。
カモメがするどい目つきでその肉を狙ってもいた。
アジアサイドはヨーロッパサイドに比べて客引きがしつこかった。
そしてまた、ホームレスの姿が目についた。
こどもがティッシュを売りにきたり、物乞いをしている。
豊かそうに見える側面では、そのような現実もあった。
一通り歩いて、適当な店に入ってみたが、メニューに英語表記がなく読み解く事が出来なかった。
苦肉の策として、地球の歩き方に載っていた写真を見せて、照らし合わせるという荒技に出た。
声のでかい店のマスターはなんとか理解してくれて、厨房に発注した。
そのあとはなんとなく注文するのが億劫になってしまい、食べ物もそこそこに店を出た。
フェリー乗り場へと戻り、チケットを買おうと券売機にお金を入れるが全く反応しなかった。
軽いパニック状態になっていると、トルコ人のカップルが手助けをしてくれ、
係員を呼んでくれた。
笑顔だけ残して彼らは行ってしまったけど、トルコでは何気ないこういった優しさに
何度も触れる事が出来た。
フェリーに乗って再びヨーロッパサイドへ戻る。
路面電車を使いホテル付近まで行くと、ラマダンが始まったことを祝うためのイベントが行われていた。
ブルーモスク付近では日本のお祭りのように屋台が100メートル以上も並び、にぎわっていた。
一通り眺めてからホテルに戻った。
トルコ最後の夜が終わった。
6th day
まぶたの向こうで、ぼんやりと赤い光が見える。
意識が覚醒するにつれて、その光ははっきりと輪郭を持ち、やがていくつものランプになった。
目が覚めても、しばらくはベッドに横たわったまま、僕はそのランプの集合を見つめている。
朝日が差し込む部屋のなかでそれらのランプは、夜に比べて少し存在感をなくしている。
HANAが支度をしている横で、僕はいつも初動が遅い。
HANAが化粧を終えて、あとは髪を乾かすだけ、というタイミングになって初めて僕は着るTシャツを選び出す。
とは言え、手持ちの服は限られているので5分もあれば出かける事が可能であるが出かける直前になってトイレに行きたくなるのが常だ。
朝食は、ホテルのレストランでとった。
フルーツが豊富で、ヨーグルトとともに食べるととてもおいしい。
食後にHANAはチャイを、僕はコーヒーを飲んだ。
斜め後ろで、新聞を読んでいたトルコ人が話しかけてきた。
「日本の方ですよね?私、日本語を勉強してました」
トルコ人は勤勉だ。そして日本人に優しい。
その昔、1890年、和歌山県沖でトルコ人の船が座礁したのを、日本人が自分の身を削ってまで助けたという出来事があった。
それは現代まで語り継がれ、トルコでは教科書にも載っているらしい。
また、イラン戦争の際にも、トルコは日本人に対して尽力した。
トルコは日本に受けた恩を、今でも忘れずにいてくれているようだ。
僕たちに日本語で話しかけてきたトルコ人は、その後も現れた。
ホテルを出てブルーモスクに向かっている途中、「日本人ですか?」とおじさんが話しかけてきた。
観光客を狙った犯罪が多いから気をつけて、とホテルで言われていた僕たちはその言葉に警戒した。
僕は軽く無視をしていたのだけどうやら、ただ単に会話をしているだけのようだ。
そのうち、名刺を差し出してきた。
そこには『HIROSHI』と書かれていた。
もちろんトルコの名前が脇に書いてあったが、日本の名前も営業用として使っているらしい。
空港からホテルへ送迎の仕事をしており、彼女が日本人だという。
とても日本語が上手で、彼がその日本人の彼女と別れそうだということもよくわかった。
限りなく無害であり、また、ブルーモスクをバックに写真を撮ってくれたり、この辺には怪しい人もいるから気をつけて、と助言をしてくれた。
グランドバザールは、チープな表現になるが上野のアメ横のようなものである。
歴史と規模は当然グランドバザールのほうが圧倒的ではあるが、雰囲気はとても似ている。
ここでも日本語が堪能なトルコ人が、人懐っこく接客してくる。
「落ちましたよ」と言われても振り返らず「落ちてないよー」と答えた。
なぜか僕の股間を狙ってくる輩もいたが、バザールの雰囲気を堪能した。
HANAは、全身タトゥーだらけのアクセサリー職人の店でイヤリングを購入していた。
歩みを進めて行くと、問屋街のような雰囲気の場所に出た。
トルコでは、そういったところが多いように思う。
ただひたすらにジーンズを売っている一帯があり、軍服を売っている一帯があった。
そんな場所を抜けて行くと、少し風が強くなっていった。
「もしかしたら海が近いんじゃない?」とHANAは言って、鞄からガイドブックを取り出し地図を見た。
「ここを真っすぐに歩くと海があるよ」
そう言った彼女の歩くスピードは少しだけ早くなった。
やがて空にはカモメの姿が見えるようになり、船の汽笛が響いた。
「海だ!」
二人は小さく叫んだ。
青い海にはアジアサイドとヨーロッパサイドを結ぶ船が碇泊している。
海の向こうには、茶色い屋根が連なり、所々でモスクが佇むアジアサイドが見える。
港付近のベンチで、現地のカップルに混じって海を眺める。
日差しは強いけれど、風が心地よい。
カモメがエサを狙って海面すれすれを飛行している。
知らない言葉が行き交う場所で、とても気持ちのよい時間を過ごした。
「私、この町が気に入ったわ」
HANAはどこかで聞いたことのある台詞を口にした。
僕もそう思った。
露天でムール貝のピラフが売っていたので食べる事にした。
2つだけ食べれれば良かったのだけど、食べては手渡され、食べては手渡され、と繰り返し結局10個くらい食べる事になった。
その分お金は取られるわけである。
礼拝の時間が過ぎた頃、ひとまずアヤソフィアに行く事にした。
アヤソフィアはキリスト教の聖堂として建立されたが、後にオスマン帝国によってモスクとして改められてしまったという過去がある。
その際、キリストのモザイク画などを塗りつぶしてしまったのだが、後にアメリカの調査団が入り、それらを発見した。
現在は美術館として解放されているので見学が可能だった。
中を見てみると、トルコ語のカリグラフィに混ざって、キリストを抱く聖母のモザイク画があって、とてもおもしろい。
時代をくぐり抜けてきた重みをとても感じる建物だった。
アヤソフィアを出ると、地下宮殿へと行った。これは過去貯水池として作られた場所。
何本もの柱が幻想的に並んでいて、一番奥の柱にはメデューサの顔があった。
そこを出ると、エジンプシャバザール、小さなモスクや海を眺め、待ちに待ったブルーモスクへと向かった。
町の中心にそびえるそれは、ほかの寺院と違って尖塔が4本ではなく6本あるのが特徴らしい。
重厚な作りと繊細なステンドグラスの作りがとても美しい。
丸い天井は、イタリアで見たドゥオモのクーポラを思い起こさせる。
モスクの中は信者が入る事のできるゾーンと、一般人のゾーンで別れていた。
礼拝の時間は終わっていたのだけど、ぱらぱらと人は残っており、各々が壁に向かってお祈りをしていた。
ステンドグラスの柔らかい光が辺りを包み、礼拝のお経が響く。
初めてイスラム教の礼拝を目にして、とても厳粛な気持ちになった。
モスクを出ると、日も暮れかけてきたので食事をとった。
時刻は8時を過ぎていた。
陽気なトルコ人の働くレストランで、トルコワインをボトルで、また数種類の魚を使ったプレートを注文した。
トルコ人のウェイターは皆男性だったのだけど、執拗に僕に絡んできた。
そもそもどこにいっても僕は絡まれた。
美術館でチケットを買ってもクスクス笑われ、ウェイターはにやにやして僕の肩を揉んだ。
不思議とHANAには絡まない。
どうしてだろう。
宗教的に女性に絡む事は御法度なのだろうか。
店を出るときもトルコ人ウェイターはさりげなくボディタッチ。
楽しげに違うテーブルへと移って行った。
ボトルを一本空けた僕たちは、しばらく散歩をすることにした。
ライトアップされたモスク。
翌日からラマダンと言われる断食に入るので、雰囲気がどこか違った。
僕の勝手なイメージでは、断食はとてもつらく、厳粛に行われるかと思っていたのだけど、日本で言えば、夏のお祭りのようなもので、モスクの尖塔と尖塔に電飾で文字が渡り、パレードでも始まるかのような盛り上がり方であった。
ブルーモスクの前の広場ではツーリトや地元民が酒を飲み、語らっていた。
僕たちはホテルへと戻った。
途中、ホテル手前のレストランのウェイターにまたしても絡まれた。
HANAには絡まない。
肩を組んで、写真を撮れという。
限りなく無害で愉快なトルコ人たち。
町を歩いてても思ったのだけど、男性同士がとても仲がいい。
同性愛的な雰囲気ではなく、和気あいあいと日本の中学生のように無邪気な様子だ。
僕はそんな距離に戸惑いを感じながらも、トルコという国がとても好きになった。
すぐちゃんはスルタン。
恐れ多いよスルタン。
HANAは、全身タトゥーだらけのアクセサリー職人の店でイヤリングを購入していた。
歩みを進めて行くと、問屋街のような雰囲気の場所に出た。
トルコでは、そういったところが多いように思う。
ただひたすらにジーンズを売っている一帯があり、軍服を売っている一帯があった。
そんな場所を抜けて行くと、少し風が強くなっていった。
「もしかしたら海が近いんじゃない?」とHANAは言って、鞄からガイドブックを取り出し地図を見た。
「ここを真っすぐに歩くと海があるよ」
そう言った彼女の歩くスピードは少しだけ早くなった。
やがて空にはカモメの姿が見えるようになり、船の汽笛が響いた。
「海だ!」
二人は小さく叫んだ。
青い海にはアジアサイドとヨーロッパサイドを結ぶ船が碇泊している。
海の向こうには、茶色い屋根が連なり、所々でモスクが佇むアジアサイドが見える。
港付近のベンチで、現地のカップルに混じって海を眺める。
日差しは強いけれど、風が心地よい。
カモメがエサを狙って海面すれすれを飛行している。
知らない言葉が行き交う場所で、とても気持ちのよい時間を過ごした。
「私、この町が気に入ったわ」
HANAはどこかで聞いたことのある台詞を口にした。
僕もそう思った。
露天でムール貝のピラフが売っていたので食べる事にした。
2つだけ食べれれば良かったのだけど、食べては手渡され、食べては手渡され、と繰り返し結局10個くらい食べる事になった。
その分お金は取られるわけである。
礼拝の時間が過ぎた頃、ひとまずアヤソフィアに行く事にした。
アヤソフィアはキリスト教の聖堂として建立されたが、後にオスマン帝国によってモスクとして改められてしまったという過去がある。
その際、キリストのモザイク画などを塗りつぶしてしまったのだが、後にアメリカの調査団が入り、それらを発見した。
現在は美術館として解放されているので見学が可能だった。
中を見てみると、トルコ語のカリグラフィに混ざって、キリストを抱く聖母のモザイク画があって、とてもおもしろい。
時代をくぐり抜けてきた重みをとても感じる建物だった。
アヤソフィアを出ると、地下宮殿へと行った。これは過去貯水池として作られた場所。
何本もの柱が幻想的に並んでいて、一番奥の柱にはメデューサの顔があった。
そこを出ると、エジンプシャバザール、小さなモスクや海を眺め、待ちに待ったブルーモスクへと向かった。
町の中心にそびえるそれは、ほかの寺院と違って尖塔が4本ではなく6本あるのが特徴らしい。
重厚な作りと繊細なステンドグラスの作りがとても美しい。
丸い天井は、イタリアで見たドゥオモのクーポラを思い起こさせる。
モスクの中は信者が入る事のできるゾーンと、一般人のゾーンで別れていた。
礼拝の時間は終わっていたのだけど、ぱらぱらと人は残っており、各々が壁に向かってお祈りをしていた。
ステンドグラスの柔らかい光が辺りを包み、礼拝のお経が響く。
初めてイスラム教の礼拝を目にして、とても厳粛な気持ちになった。
モスクを出ると、日も暮れかけてきたので食事をとった。
時刻は8時を過ぎていた。
陽気なトルコ人の働くレストランで、トルコワインをボトルで、また数種類の魚を使ったプレートを注文した。
トルコ人のウェイターは皆男性だったのだけど、執拗に僕に絡んできた。
そもそもどこにいっても僕は絡まれた。
美術館でチケットを買ってもクスクス笑われ、ウェイターはにやにやして僕の肩を揉んだ。
不思議とHANAには絡まない。
どうしてだろう。
宗教的に女性に絡む事は御法度なのだろうか。
店を出るときもトルコ人ウェイターはさりげなくボディタッチ。
楽しげに違うテーブルへと移って行った。
ボトルを一本空けた僕たちは、しばらく散歩をすることにした。
ライトアップされたモスク。
翌日からラマダンと言われる断食に入るので、雰囲気がどこか違った。
僕の勝手なイメージでは、断食はとてもつらく、厳粛に行われるかと思っていたのだけど、日本で言えば、夏のお祭りのようなもので、モスクの尖塔と尖塔に電飾で文字が渡り、パレードでも始まるかのような盛り上がり方であった。
ブルーモスクの前の広場ではツーリトや地元民が酒を飲み、語らっていた。
僕たちはホテルへと戻った。
途中、ホテル手前のレストランのウェイターにまたしても絡まれた。
HANAには絡まない。
肩を組んで、写真を撮れという。
限りなく無害で愉快なトルコ人たち。
町を歩いてても思ったのだけど、男性同士がとても仲がいい。
同性愛的な雰囲気ではなく、和気あいあいと日本の中学生のように無邪気な様子だ。
僕はそんな距離に戸惑いを感じながらも、トルコという国がとても好きになった。
すぐちゃんはスルタン。
恐れ多いよスルタン。
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