2010年1月30日土曜日

レーシック〜手術編〜

1月28日
空は雲に覆われていた。
絶好のレーシック日和だと思った。

病院に行き受けつけを済ませ、簡易的な検査を受ける。
手術代を支払い待合室で座っていると、
「58番ながはしさーん」と呼ばれ廊下に並んだ。
6人ほどの名前が読み上げられ一緒にエレベーターに乗った。
奇妙な一体感がエレベーターを包む。
フロアが変わりスリッパに履き替え、荷物をロッカーに入れる。
椅子に座って名前が呼ばれるのを待った。
その間、他の人が名前を呼ばれていったが
がんばってなーと心のなかでつぶやく。

果たして自分の名前が呼ばれ小部屋に通されると
数種類の目薬をさされた。
そしてぼんやりとする視界の中に映るナースの後ろ姿についていき
手術室前にある椅子に座って順番を待った。
「目を閉じていて下さいね」耳元で囁かれる。
しかし僕の耳はそんな声には反応せず、手術室から聞こえる
「キュイーーーーーン」という音に耳を奪われていた。
目の手術で聞こえていいのか!こんな音が。
僕の恐怖は金ちゃんの仮装大将のメーターの様に急上昇した。

10分ほどが経った頃だろうか、自分の名前が呼ばれ手術室に入った。
すると6人くらいの医者たちがいた。
「こんにちはー」と挨拶され、僕も自分自身をリラックスさせるために挨拶を返した。
手術台に乗り横になると、体にシートをかぶせられる。
なにを思ったのか、飼い主に腹を差し出す犬のように
腕を曲げてしまい拳を握ってしまった。
「あの、手を」とマスクをしたナースに飽きられながら言われた。
ナースはそれぞれの手に2つ目薬を持っていて、それらを僕に事務的に点眼した。

右目から処置が始まった。
パソコンの起動音のようなのが鳴ったり、ナースが意味不明な数字を読み上げたりした。
僕の目の上には近未来の世界に出てきそうな機械が覆いかぶさった。
「緑の光を見続けて下さい」催眠術師のように先生は言う。
しかしこの催眠術はまったくかからず、僕の目は落ち着きのない小学生のようだった。
ここから先はよく分からない。
イメージ的には「時計仕掛けのオレンジ」だ。
断片的に記すと、眼孔になにかの機械を装着させられ
あれよあれよという間に、視界がだんだんぼやけてくる。
それにともなって、かなりの圧力が目にかけられる。
緑の光なんてどこにも見当たらなくなる。
そして、匂いがし始める。
なにかがこげる匂いだ。
「うぉぉぉぉぉ×××」心のなかで悲鳴を上げる。
痛みではない恐怖。入れても仕方が無いのだけれど全身に思いっきり力が入る。
リラックスしてね〜と言われるがまったくリラックスできない。
なんじゃーと思ってるうちに機械が外された。
そして「次に左目やりますね」と言われるがこちらの方が難儀だった。
なまじ、順序を知っているものだから、次にこれくるー!と予測してしまって
緑色の光を凝視できない。
先生に何度も注意される。
ものを凝視するのってどうやるんだっけ?と僕の目は幼児と化していた。
10分もしなかっただろうか、処置は終了した。

僕の左目が幼児化してしまったためか、
処置が終わった後に右目には無い異物感が左目にはあった。
それどころか、目を開けられなかった。
ナースの後をなんとなくついていき、薄暗いゆったりとした椅子が置かれた部屋に入った。
僕より先に手術をした人たちもそこにいた。そして15分ほどそこで過ごした。
頬に涙が伝ったのであろう、「ティッシュを下さい」と時折患者の声が聞こえた。

しばらくして名前を呼ばれ検査を受けた。
その頃にはなんとか左目を開ける事も出来たが見開く事は出来なかった。
「異常なし」初老の先生が言った。
その後ナースに薬の使用方法の説明を受けたが涙でパンフレットは見えなかった。

保護用の眼鏡をして受付を抜け、ガラス張りになった廊下で外を見た。
すると裸眼で遠くの文字が見えるではないか。
「東京国際フォーラム」
み、見えるぞー!
僕は自販機でコーヒーを飲みながらしばらく薄暗い外を眺め続けていた。

そして、電車に乗って代々木公園へ行った。
しばらくベンチで遠くを見つめていた。
通りすがりの外国人が声をかけて来たり、学生のカップルが通り過ぎたりもした。
でも僕の目は遠くに見える人影を追っていて、「ああ、ここまで見えるんか」と
感動していた。


翌日彼女と会った。
「裸眼でここまで見えるんだぜー!へへへ」と言うと
もともと裸眼な彼女は僕以上に小さな文字を読む事が出来ていた。
くそったれー!

2010年1月29日金曜日

レーシック〜導入編〜

友人のMからレーシックのチケットをもらったのは12月の終わりの頃だった。
場所は品川近視クリニック銀座店である。
その時点で1月の中盤には、私の頭のてんこにあるアテロームの
摘出手術をすることが決まっていた。
目に関することではないので、レーシックに支障はないのではと思っていたが
やはり心配になり、品川近視クリニックにメールで相談した。
レーシック後に体の別の箇所の手術をするのはなにかまずいことあるんでしょうか云々。
すると数日後レスがあり「それはいかん、1か月は待たれよ」という。
ちなみにヤフー掲示板にも同様の質問を投げかけてみたものの、
ビュアー数こそ伸びる物の、返答はいっさい無かった。

アテロームの手術をしてその後レーシックを受ける事にした。
1月中盤、アテロームの手術も無事に終わり、抜糸の際に
キングオブコントの片割れに似てるビルケンシュトックを履いた先生に
「レーシックの手術を今後受ける予定があ…」
言い切らないうちに先生は貧乏揺すりをしながら「大丈夫です」と言った。
レーシックの申し込みをする事に決めた。

電話で予約をした。
最速でいつ検査を受けれるのかというと、「明日にはできます」というので
こちらの姿勢も示すべく一番早い時間でお願いしますと言った。

果たして検査当日。
指定された時間に病院に行くと奇麗なフロア。
きれい、かわいいギャラの良さそうな受付嬢たち。
にこやかなスマイルを通り抜け待合室に行くと、平日とは思えないほどの人がいる。
しかし待ち時間も少なく診察が始まる。
なんでこれで視力が分かるんだろうと思わせる機械。
相変わらず嫌なCの字の視力検査。
緑と赤どちらがはっきり見えますか?
んーあ か すか ねぇ
じゃあこれは?
んー み どり かなぁ
申し訳ない気持でいっぱいになった。

その後、目に光を当ててみたり、麻酔をして眼球に触れられたりした。
さらに瞳孔を開く目薬をさされたりした。
レーシックとはなんぞ、という説明を4人同時に受ける。
担当の人が最新の装置の素晴らしさを語り、古い機械のだめさを語った。
それであなたはどの種類の手術を受けるのか?と聞かれたが、
「最新のやつで…」と言わざるを得なかった。
時間短縮の意味もあるだろうが、
集団心理として10万円のでとは言えない空気があった。

診察結果が全て出て、小部屋の診察室に通された。
手術を受けてもよいという。
受付にて最速でいつ受けられるのかと聞くと、これまた明日だというので
一番早い時間に予約を入れた。
諸注意を受け病院を出ると、開きっぱなしの瞳孔に日差しが無遠慮に入り込む。
これには閉口した。しばらくまともに目を開く事が出来なかった。
クリスピードーナツを買って帰宅した。

手術編に続く

2010年1月25日月曜日

週末写真版










週末

カメラマン・ベティが言った。
「すぐるさんちの、この白い壁いいっすねぇ、今度ここでアー写撮らせてもらえませんか?」
先週相変わらずのメンツで飲んでいるときの会話だ。

22日の金曜日、一本の電話が入った。
「ベティですけど明日大丈夫ですか?」と。
「ま、まじだったのか!」

翌日の土曜日14時に予定されたアー写の撮影は17時に変更になり
なんとなく手持ち無沙汰になってしまった僕は、
ツタヤで借りていた「色即ぜねれーしょん」を見る事にした。
ミルク多めのコーヒーを入れて、飲みながら1時間くらいが経った頃
「ドンドンドン」と少し控えめなノックが聞こえた。
サングラスをしたベティが現れた。
そしてバンドのメンバーを迎えに行くと言ってまた外に出て行った。

以前、リリーフランキー氏のなにかの本に書いてあった話を思い出した。
(誰も知らない名言集か美女と野球だと思う)
AV女優の写真撮影に、リリー氏の部屋がスタジオとして使われ、
BGM何かかけて下さいとお願いされたリリー氏が
どんな曲をかければいいのか困って悶絶したという。
この話を思い出してしまった僕も悶絶してしまった。
バンドのメンバーがどんな人か分からないから、とりあえずこのまま
青春系色即じぇねれーしょんだ!

果たしてバンドのメンバーは現れた。
なんだかいい人たちそうだ。
さっそくベティは機材をセットしにかかった。
ちゃぶ台に載せられたiBook。ペンタブ。
カメラにiBookをセットしてすぐにチェックできるようにしている。
なんだか本当に簡易的なスタジオになっていった。
マスキングテープみたいなもので立ち位置に印をつけ撮影が始まった。
家主の僕は、iTunesをいじる事にした。
ametsubがいいのかー?
それともaphex twinか。スタジオっぽくジャズトロか?
しかしながらとくに音楽に左右される事無く淡々と撮影は進んで行った。
なので僕はシャッフル機能に丸投げした。
スーパーカーの後にsoulwaxだ。そのあとは山下達郎だ。

バンドのメンバーの一人が、この電気カーペットいいですね、と言った。
僕は初対面の人たちが交わすであろうなんてことない会話をはじめる事にした。
今日は暖かいですねぇ。
ベティ君とはいつぐらいからの付き合いなんですかぁ?
この家換気扇がないんですよ、ぐふ


「次いきまーす」
「はいっ」
『you are best for me』
「いいですね」
『oh! honey』
「体はそのままで、首だけ右に動かして下さい、右です、右、いや首だけです、そう」

時折、ベティの声と山下達郎がシンクロした。

かくして、撮影は無事に終了した。
バンドのメンバーは帰り、ベティは残った。
そしてレタッチを始め、しばらく時が経った頃マシオ先輩がビールを持ってやって来た。
先週みたいな今日が始まった瞬間だった。
そしてpillowsだったり重低音がバクチクしたり、未来は俺らの手の中だったり
新手のティッシュだったり、音楽界を縦横無尽に渡るyoutube大会が始まった。


12時を過ぎて彼らは帰った。
僕は二つの窓を全開にあけて、煙草の煙を外においやった。
外ではかすかにオリオン座が見えた。

2010年1月22日金曜日

僕が見る夢には一つの傾向が見られる。
それを具体的に記述する事はできないけれど
目を覚ました時の徒労感はずっしりとくる。
またあの夢か、と。
なにか自分の中で腑に落ちないところがあったのだろうか。
僕は外面を良く見せようとしてるから
夢の中で贖罪してるのかもしれない。
謝ったことで自分を正当化しようとしているのか。
でもそれは結局夢の中での話。
現実にどうこうできるわけではないのだけれど。

今日も自宅で仕事をした。
仕事をすると、自分の中でなにかバランスを保てる感じがする。
一歩も外に出てないけど。

calmが波の音をメロディに乗せている。
煙草の吸い過ぎで舌がしびれている。
ベランダで洗濯物が踊ってる。
外では空き缶が転がる音がする。

明日は頭を縫ったところの抜糸をする。
寝よ。

2010年1月20日水曜日

仕事

以前の会社でお世話になってた人から仕事の発注が来たので
それを受けてレイアウト。
1ページの自社広告。
作ってる間は楽しい。

久々にデザインをしたので夢中になってしまって気がついたら朝になってた。
4案ほどを作りPDFでメールした。
今日の19時頃、レイアウトの方向性が決まって手直しをすることになった。
ついでにもうひとつ仕事をもらった。
やっぱりデザインは楽しい。

劇場版の東のエデンを見に、新宿テアトルへ行った。
キャパシティに対して客の入りは、水曜の3時という事もあって少なかった。
内容は割愛。
その後、自転車で新宿を散策。
H&Mはやっぱり自分では着ないだろうな。
ユニクロにはヒートテックはなかった。
L-BREATHで厚手の靴下を買った。
原宿の時しらずは、僕の知らないうちに閉店していた。
ビンテージのラグタグでミリタリーコートを買った。
店員さんは、常連のおばさんたちと談笑していた。
とても人が良さそうだった。
リーバイスレッドが1万円を切っていた。
立体裁断で太めのシルエットのジーンズがあって試着したけど
サイズがでかかったので買わなかった。
表参道を明治神宮方面へと進むと、赤い光が見えた。
近寄ってみると、新幹線が開通した青森の記念イベントだった。
そのまま代々木公園を突っ切って家へと帰った。

2010年1月18日月曜日

2010年1月15日金曜日

写真





写真っていいですね。

あれ

今年一回も書いてなかった。

今年が始まってもう2週間たったわけですが
僕はその間に頭皮を縫いました。
7年間も僕の頭に居座った粉溜を某病院で取りました。
しかし局部麻酔ってのはほんとに恐ろしいもんで。
手術中の先生とナースの会話が聞こえてくるわけですわ。
「ちょっとここみてごらん?」
「えーなんですかぁこれ。こんなのってあるんですねぇ」
僕の開かれた頭皮を見ながらの会話ですよ。
その後も、「明日の学会がぁ」とか「肛門の下のなんとか腺を切って〜」とか
そんな話してるわけ。僕の頭皮を引っ張りながら。
おまえらマジかよ、と思うし、局部麻酔だから言おうと思えば言えるんだけど
言ったとしたら僕が確認できない位置の手術なので
なんか変な事されても分からないから言えなかった。
というかそもそも言えるような度量はないのだけれど。

で、結局そのまま終了。
ドラマとかでよく見る緑色の紙を取るとそこにはドクターの姿はなかった。
おばちゃんのナースがサイズの合わないネットを僕にかぶせて終了した。
というか、手術後の惨劇が僕の目の前にあった。
血の付いたなんやかんやが。

マジかよってまた思いました。