額面通りにその言葉を受け取るほど、私は単純ではないので、
理子が最近「面倒くさい」と口にしているのがどこから来ているのかしらと探ってみることにした。
こういったことは極力二人きりのところがよいので風呂で話を聞くことにした。
出だしは感情的になにもかもが面倒なんだということしか言わなかったのだけど、解きほぐしていくにつれ、だんだんと具体的なことについて理子自身に戸惑いがあることがわかった。
それは意味のわからない『割り算のあまり』の問題だったり、学校での先生との関わりだった。そのほかにも放課後のキッズでたくさんいたはずの同級生が、塾に通い出したことによって日に日に人数が減っていってしまったこと。それによって一緒に遊べる日がある種特別なことになったのに、思うように遊ぶことができないことなど、ポツポツと語りだしたのだった。
面倒だという言葉を連呼する裏側にはこういったことが見え隠れしていたわけだった。
日々の忙しさにかまけて、こういったある意味で子供からのSOSに気付いてあげられなかったらと思うとぞっとした。
まだ思っていることを言語化できないんだろう。本当は違うことを思っているのに出てくる言葉が乱暴なものだともったいないので、理子にはいろんな言葉や立場やふるまいを身につけてもらえたらいいと思った。
Googleで小学三年生の壁と調べると小学四年生の壁もあるし、五年生も六年生もある。
そのあとは進学だろう。いずれにしてもそばに寄り添って言葉の節々にあるものをうまくキャッチできるようにしていきたいものだ
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