2023年9月13日水曜日

在宅

原因がよくわからない熱がでている玲を、自宅でみることになってもう1週間が過ぎた。

高熱と言うわけでもなく37.5度といったどう思えばいいのかよくわからない値。

食欲もあるし元気だし、昼寝しないし笑顔だし、なにも違和感がない。朝方は36.6度だし、病院に行ってもなにも処方されないような、そんな状態。でも夕方を過ぎると熱が上がっている。

病院の待合室の隣に座っていたおばあさんは、胸が苦しいと訴えていて、でも診察を受けることができるのは数時間後だと告げられていた。決まった先生に診てもらいたいらしい。そこを融通利かせられたら、多少苦しみから解放されるのが早くなるかもしれないのに。時間がよりかかったとしてもそこは譲れないようだった。

僕も歳をとったら、あと30年とか40年経ったら、同じように思うのだろう。当事者にならないと気持ちなんて理解できないだろう。ただの老人のわがままというわけでもないだろう。

彼女にとってはそれ以外の選択肢などないんだろう。


火曜日、夕ご飯の支度をとおもって炊飯器をセットし、17時からの会議にリモートで参加した。18時半には炊き上がるようにしたかった。

まだ暑さの残る奥の部屋にリビングからわざわざ移動したのだけど、玲にとっては新しいおもちゃを手にしたかのように目の前をウロチョロする。

なかなか骨の折れる会議だった。しかもアプリの調子が悪くてマイクやカメラがオンにならなくて、もどかしくもあった。17時半に理子が帰ってきても会議は終わる気配がない。結局のところ、終わったのは19時近くだった。

僕の食事を作るモチベーションを完璧になくなってしまった。

そして、奥の手の、れんげ食堂へ行くことにした。

この店ならしっかりと玲は食べてくれるし、理子も文句は言わなかった。

玲の熱を測ると36度前半だった。


4人席に横一列に3人並んで座った。

僕はとりあえずのビールを飲み、餃子を食べた。理子も玲も自分のご飯を食べている。楽になったものだ。

隣の席では4人席におばあさんが一人で座って結構な量のものを食べていた。それを食べ終わると、こちらを見て「女の子二人でいいわねぇ」とおばあさんは言った。

「ありがとうございます」と僕は答えた。彼女はその続きの会話をする気はなかったようで、さっさと会計に向かっていた。

きっと僕が逆の立場であったら、やっぱり同じように「いいね」というのかもしれない。言わなくても思ったに違いない。疲弊し切った僕の顔ですら、おばあさんには眩しく見える光景だったのかもしれない。

僕はいまそういった時間を過ごしているんだろうと思うと、一緒にご飯を食べにいく子供がいて、喜んでついてきてくれるこの状況を楽しんで過ごすべきなんだろう、そう思った。


家に帰って何気なく炊飯器の中を覗いてみると、ご飯は炊かれてなかった。予約ボタンを押しただけだったのだ。なんかこういう日って数ヶ月に一回は、ある。


2023年8月7日月曜日

理子の夏休み

 いつだったか、理子が夏休みに入ったら、僕の実家に長期滞在ことが決まった。去年も実行されたのだけど、運悪く滞在3−4日目で発熱してしまった。そういうコロナの時季だったのだ。

この時は最寄りの駅まで迎えに行って、そのまま連れて帰った。どこにも寄らず、door to station。言葉も少なかった。


今季はコロナも空けて、体調も万全である。

前々日には自分専用のカートに荷物と期待を詰め込んでいた。

前日には、翌日着ていく服を広げて用意していた。満を辞してというのはこういうことかと体現しているかのようだった。きちんとハンカチを入れているのも偉いなと思った。


土曜日、僕は美容室に行き、11時頃になって理子とでかけた。

電車に乗っていてもとくにYouTubeを見たがったりせずに過ごせるようになっていて

成長を感じる。

あざみ野で乗り換えて、新横浜へと向かう。駅のホームの売店で、理子はヒレカツサンドを選び、私はビールとおにぎりを買った。早々にホームに滑り込んできた新幹線に乗りこんだ。

車列の端のほうの車両に乗ったからか、乗客はまばらで座ることができた。

早速買ってきたものを食べようとすると、辛子が効いていて、僕のおにぎりと交換することになった。


新横浜から三島はあっという間の距離だった。


降りる直前、車窓の向うに広がる青空と理子の後ろ姿が、妙に眩しくて、何度もカメラのシャッターを切った。これから2週間におよぶワクワクの連続に胸を躍らせている様子が、背中から伝わってくるかのようだった。

在来線へと乗り継ぎ、駅につくとそこにはすでに兄が迎えに来てくれていて、近づくとドアが開いた。

そこにはこととみーが満面の笑みを浮かべて歓迎しれくれていた。

それに理子も笑顔で答えていた。


自分が子供の頃に過ごした夏休みの2週間ってどんな日々だったのか。

理子のように真っ黒に日焼けした肌と、白い歯をめいっぱい見せた笑顔で、日々を楽しんでいたのかしら。


家に到着するとそこには水が張られた大きなプールがあった。

水面がキラキラと輝いていた。それはまるで理子の目のようだ。

もう楽しいに決まってるじゃん。

長くて短くて楽しい時間が始まった。

2023年7月24日月曜日

日常

 今日も走りに行った。5時半に目を覚まして、6時前に家を出た。そうして砧公園まで行って一周走った。

家に帰るとまだ誰も起きてなかった。7時前である。

夜に干した洗濯物を取り込む。そしてシャワーを浴びる。シャワーを浴びながら風呂も洗う。

目下の悩みは浴槽の中に、お湯のたまるラインにうっすらと汚れがついていてそれがなかなか取れないことである。インスタで見た強力な汚れ取りというのも効かなかったし、カビキラーも、ジフも、クエン酸もだめだった。あとはどんな手段があるというのだろう。

風呂から出ると理子と花さんが起きてきた。夏休みだというのに早起きな長女である。自分が小学生の時は10時くらいまで寝てて、再放送のアラレちゃんを見るのが日課だったと記憶している。

朝食を食べ終えても、玲は起きてこなかったので、寝ているところを抱き抱えてリビングまで連れてきた。家族それぞれスタートするタイミングが異なるのである。

朝食を食べ終えると弁当を作った。この2ヶ月くらい続いている習慣である。

8時20分ごろになると、理子が学校へと向かった。今日は学校でのプールの日だった。

8時45分。玲と保育園に行く。日陰は涼しく感じるが、日差しは容赦無く暑かった。

昼寝のシーツがけをし、先生に挨拶をして、変わりないですと言える日々に喜びを感じる。

変わりない。一見普通に見えて、その普通をキープすることが難しいのが子育てだと思う。


僕はイヤホンを耳に装着し、駅へと向かった。



2023年7月23日日曜日

走ることについて

 朝、目が覚めると5時前だった。この2、3週間のことだけど習慣として早く目が覚めたら走りに行くことにしている。

何も考えずに顔を洗って、着替えをし、帽子をかぶる。タオルとイヤホンを持って靴を履く。そうして気持ちが萎える前にさっさと家から出て砧公園へと向かった。

5時という時間でも、外はさきほど陽が昇ったというふうでもなく、もう一仕事しおわったかのような空だった。もう蝉も鳴いている。

だいたい、体をほぐすために、駅前くらいまでは歩いている。

駅前のベンチには前日、というよりもほんの少し前までの気配を残すかのように酒瓶が置かれている。もう外で飲むというのが気持ちの良い季節というわけでもないだろうに。

ナイキのランニングアプリを立ち上げて、走りはじめる。イヤホンからはスペアザが流れている。ローレンテック。

朝から環八はせわしなく車が走っている。

砧公園に入るとサイクリングコースへ向かう。犬の散歩をしている人、もう走って汗だくな人。色々いる。芝生の上では老人の集団がゆっくりとした動きでなにやら舞っている。太極拳なのだろうか。僕はそんな人たちを横目にコースに入って走り始める。

だいたいあの辺から走り始めたらこのあたりで何キロという目処があって、そういった目安のようなものがあるからこそ、なんとなく走り続けることができる。

今日は土曜日と言うこともあって、コンディションもよかったので2週目も回ることにした。そして都度1キロ走るとアプリが教えてくれる。1キロを6分37秒で走っていることを知る。

そうして結果的にサイクリングコースを2周走り終えると、それは4キロだった。

この日の朝は、どういうわけか涼しさを感じる陽気で、走り終わった汗だくなTシャツが、体を容赦無く冷やした。

公園を出ていくと、これから走るであろう人たちとすれ違う。僕は家に帰る。まだ7時前のことである。

2023年7月20日木曜日

面倒臭いの向こう側

 額面通りにその言葉を受け取るほど、私は単純ではないので、

理子が最近「面倒くさい」と口にしているのがどこから来ているのかしらと探ってみることにした。

こういったことは極力二人きりのところがよいので風呂で話を聞くことにした。

出だしは感情的になにもかもが面倒なんだということしか言わなかったのだけど、解きほぐしていくにつれ、だんだんと具体的なことについて理子自身に戸惑いがあることがわかった。

それは意味のわからない『割り算のあまり』の問題だったり、学校での先生との関わりだった。そのほかにも放課後のキッズでたくさんいたはずの同級生が、塾に通い出したことによって日に日に人数が減っていってしまったこと。それによって一緒に遊べる日がある種特別なことになったのに、思うように遊ぶことができないことなど、ポツポツと語りだしたのだった。


面倒だという言葉を連呼する裏側にはこういったことが見え隠れしていたわけだった。

日々の忙しさにかまけて、こういったある意味で子供からのSOSに気付いてあげられなかったらと思うとぞっとした。

まだ思っていることを言語化できないんだろう。本当は違うことを思っているのに出てくる言葉が乱暴なものだともったいないので、理子にはいろんな言葉や立場やふるまいを身につけてもらえたらいいと思った。

Googleで小学三年生の壁と調べると小学四年生の壁もあるし、五年生も六年生もある。

そのあとは進学だろう。いずれにしてもそばに寄り添って言葉の節々にあるものをうまくキャッチできるようにしていきたいものだ