2016年1月24日日曜日

記憶

昨日、お風呂に入っているときに、ふと幼少の頃のことが思い出された。
なんてことない、ほんとにただただ日常の断片的な記憶。
なんでこんなこと覚えてるんだろ?
そして今は、なにをふと思い出したのか、それを思い出すことすら出来ない。


僕の一番古い記憶は、幼稚園の頃の話で、
園庭で遊んでいるときに、
先生に呼ばれ、2階の方を振り向いたときの場面。
その場面が写真のように切り取られて、
キャプションで説明されるようにこのように記憶されている。
「お遊戯会で親指姫の王子役をやる予定の男の子の前歯が
このタイミングで抜けてしまい、前歯がはえ揃っている端役だった僕が招集された」

いまでもそう認識しているのだけど、
本当にそういったいきさつだったのかは知る由もない。
写真やら、映像やらで記録されているのだけど、
のっぺりした王子っぽくない顔で、キラキラの衣装を着て
ぎこちなく演じている姿があるので
事実として「王子役をやった」というのはある。
もしかしたら本当は、キャプションの説明書きのような話ではなかったのかもしれない。
とは言え、最初からお前は王子役だ、と言われるタイプじゃないことは承知しているのだけど。


幼少の頃の記憶がそのまま素直に残っているものなのかしら。

僕の小さな頃の記憶は、父親が撮影していたビデオを繰り返し見ることによって
記憶がかなり補填されている。
だから、自分で体験した記憶よりも、第三者がとらえた事実が
僕の記憶として入り込んでいる気がする。
自己を形成するのに、記憶よりも記録が入り込んでいるというのも不思議な話。


中学の卒業式。
ここでも僕の父親は責務を果たすがため、やはりビデオを撮影している。
体育館での式典が終わり、教室で最後の授業みたいなことをした後に、
校舎内を歩いて退場する、というのがあった。
その校舎内、階段を各クラスのみんなが降りてくる実にいいポジションで、
父親はやはりカメラを構えている。もはや報道カメラマンがごとく、
どこがよい位置なのかを把握しているのである。
雨で急遽、校舎内を練り歩くことになったのに、退場のルートすら把握している!

僕は父親を見つけると、(撮影するためにいい位置にいるから見つけやすい)
あぁ、こんなところにも親父がいる、やっぱり撮影している、嫌だなと思った。
僕も思春期なのである。
本来は、僕が父親を見る場面が記憶されてるところ、
父親から見た僕の絵を記憶してしまっている。
そしてそのときの僕は父親の構えているカメラのレンズに向かって
なにかをつぶやいている。そして露骨に嫌そうな顔をしている。
だから、僕の卒業式の思い出は、父親に対してすごく嫌な顔をした記憶がキープされている。
何故ならそのときのビデオを幾度となく見ているから、
記録が記憶を凌駕したのであった。



なんとなく、花さんに「なんでこんなこと覚えてるんだろう?ってこと何かない?」
と聞いたところ、しばらく考え込んだ後で「そういえばね」って話をしはじめた。
多分、こんな質問をされるまでは、全く思い出すことなく頭の中の
ものすごい奥のほうにしまい込んでいたであろう記憶なんだと思うのだけど。



今日もやっぱり「なんでこんなこと覚えてるんだ?」
ってことを思い出すのかもしれないけど、
それもなにかで上塗りされてしまったものなのかもしれません。

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